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大広間



 そのまま、どこぞのご令嬢のようにグレンにエスコートされて、大広間へと向かった。

 歩いている間に簡単な見取り図を頭に描く。

 どうやら以前に行った「文化と芸術の間」は宮殿の北の端のほうにあり、舞踏会場となっている二階の大広間はそれよりもずっと中央寄りにあるようだ。


 その場所へ到着すると、すでに舞踏会の真っ最中だった。


 開け放たれた大扉の向こうでは、流れる音楽に合わせて着飾った人々がゆるやかにダンスを踊っている。

 扉前に立つ兵はさすがにこの間よりもずっと警戒が厳重だったが、グレンが苦労して根回しをした甲斐あってか止められることも睨まれることもなく入室を許可され、二人してこっそりと人の輪に混じることに成功した。


「もう少し人の少ないところに行ったほうがいいか?」


 ティコが雑踏と喧騒を苦手としていることは、もう見透かされているらしい。首を横に振ってから、グレンの腕に置いている自分の手に少しだけ力を込めた。

 確かに人は多いが、広く開けた場所であるためか、息苦しさを覚えるほどではない。

 それに貴族たちは誰もが囁くような小声で会話をし、ほほほと小さな口で笑うばかりなので、これだけの大人数だというのに静かなものだ。


 そしてその大広間は、広いだけでなく華侈の限りを尽くしたところでもあった。


 天井のシャンデリアでは無数の蝋燭がぐるりと輪になり、揺らめく炎でクリスタルの飾りをきらきらと反射させている。 

 磨き抜かれた真っ白な壁と床、彫刻が施された柱は威厳に満ちており、そこに集う人々の美々しい宝飾品とともに燦然と輝いていた。


「ご感想は?」

「目がちかちかする」


 耳元で訊ねられて正直に答えたら、グレンは笑いを噛み殺した。

 ティコも年頃の娘なので、綺麗なものや美しいものに対する憧れがないわけではない。とはいえ、この場所にずっといたいと思うかと問われれば、やっぱりお断りだというのが率直な気持ちだ。

 自分の価値観とは馴染まない、というのもある。

 でもそれよりも、ここにいる人々の、笑いながら互いに探り合うような視線、言葉を交わして嘲るように上げられる唇、相手によって卑屈さと尊大さを入れ替える態度が、ティコはどうしても好きになれそうになかった。

 そう言うと、グレンは頬を緩めた。


「君はやっぱり健全だな」


 彼のその言葉は、褒めているのか皮肉っているのか、それとも暗に幼いと言われているのか、ティコには判断がつかない。

 しかし一直線に向かってくる楽しげな視線に柄にもなく上擦って、慌てて本当の子どものようにきょろきょろと周囲を見回した。


 人波の向こうのはるか前方の壇上では、立派な椅子に座った人たちが並んでいる。


 その中央、最も上等そうな衣装を身につけた、装飾品過多な太った男性がランベルトの父親で、スパニア国王アーモスだろう。

 王の隣の椅子には王妃らしい女性が座っているが、彼女は夫である王のほうには不自然なくらい目を向けようとしなかった。

 細身というよりは痩せぎすの、手に持つ扇を小さく開け閉めする動作が神経質さを感じさせる女性だ。遠いので表情まではよく見えないが、とりあえず笑っていないのは確実と思われた。

 その原因はおそらく、国王の傍ら、しなだれかかるように寄り添っている女性の存在なのだろう。

 その態度を窘めるどころか腰を抱いて相好を崩している国王は、隣に座る王妃の存在すら忘れているようだった。


「おお、相変わらずヴェロニカ様はお美しい」


 ティコの近くにいる男性たちのうちの一人が、上気した顔でため息を漏らした。それに同意するように、他の男性らの口からも、羨望と賛美の言葉が次々に出てくる。

 ヴェロニカ……どこかで聞いた名だと考えて、思い出した。「文化と芸術の間」で、絵を描いていた男が出した名前だ。あの時の彼も、こんな顔をしていた。


「あの人は?」


 声をひそめて訊ねると、グレンははっとしたようにこちらに顔を戻した。

 どうやらグレンも今の今まで彼女のほうに目を向けていたらしい。


「あの方はヴェロニカ様といって、まあその……平たく言うと、王の愛人だ」


 その声も小さく抑えられている。ふうん、と気のない返事をして、ティコは再び壇上の女性をちらっと見た。

 遠目にも、彼女が素晴らしく美しい女性だというのは判った。

 濃い栗色の髪は凝った形に結い上げられ、胸元が大きく開いたドレスはしなやかで均整のとれた肢体を強調させている。妖しいほどの魅力を全身にまとわせるその姿は、まるで大輪の花が咲き誇り、そこだけ光が当てられているかのように人の目を惹きつけた。

 愛人という立場であそこまで堂々とできるということは、それだけ国王の寵愛が深いということなのだろう。

 中には彼女に冷ややかな目を向ける同性もいるが、それをあからさまに言葉にも態度にも出せないのは、ヴェロニカという人物の権勢がことさら強いことの証に思えた。

 王妃でさえ、彼女のことは見て見ぬふりをせざるを得ないほどに。


「とても、綺麗な人ですね」


 棒読みのような口調で言うと、またヴェロニカのほうを見ていたグレンは、こちらに向き直って苦笑した。

 どうしてもそちらに目が向いてしまうのを、彼自身も止められないようだった。


「……そうだな。利害関係は別にしても、彼女の信奉者は数多いよ。一度でも言葉を交わすと、身も心も奪われるくらい心酔してしまうらしい」


 恋の虜になる、というわけだ。


「グレンさんはあの人……あの方とお話ししたことはあるんですか?」

「いや、俺の立場ではなかなか難しくてな。国王が離したがらないというのもあるが、彼女自身も警戒心が強くて、近づくことも容易じゃない」


 なるほど、だから去っていく馬車を黙って見送ることしかできないと。

 普段は何かに対して強い興味を持つことがなさそうなグレンが、ヴェロニカの姿をじっと見つめながら口を動かしている。

 ティコはその横顔から目を背けた。


 胸のあたりがちりちりする。


 と、そこへ、年嵩の男性がそっと背後から近づいてきた。女性に見惚れていても気は抜いていなかったらしく、大きな手の平が咄嗟にティコを引き寄せる。

 やって来た男性はグレンの後ろに立ち、「ランベルト王子殿下がお呼びです」と小さく耳打ちをした。


「殿下が?」


 グレンは目を瞬いて、顔をしかめた。


「あの人は今度は何を……悪いが、今は無理だとお伝えしてくれ」

「殿下がお呼びです。グレン様お一人で、とのことで」


 年嵩の男性は無表情のまま同じ言葉を繰り返し、新たな一言も付け加えた。グレンがますます渋面になる。

 応じなければ、男性はこの後もずっと「殿下がお呼びです」と言いながらついて廻りそうだ。


「──仕方ない。ティコ、すまないが、少し待っていてもらえるか。すぐに戻るから」

「判った」

「なるべく壁に寄って、目立たないようにしていてくれ。もし誰かが声をかけてきたら、顔を伏せて、『どうぞお許しを』と言えばいい。それが断る時のマナーだから、よほどの礼儀知らずでもない限り、相手はそこで引き下がる」

「判った」

「くれぐれも言うが、俺が戻るまで、どこにも行かず、動かず、何もせず、大人しくしているんだぞ。いいか、何かが起こっても、絶対に余計なことをするなよ」


 いちいち言葉を区切って念押しするように言う。しつこい男だ。


「息くらいはしてもいいんですよね? 早く行ったほうがいいですよ」


 背中を押して急かすと、グレンは何度も後ろを振り返りながらその場から離れていった。

 そんなにうるさく言われるまでもなく、ティコだってわざわざこんなところで目立つことをしようなんて思っていない。

 指示されたとおり壁に張りつくようにして立ち、さてどれくらい待つのやらと考えていたら、「やあ」と横手から声をかけられた。

 見ると、そこでニコニコしているのはランベルト王子である。今日は一段と煌々しい衣装を身にまとっていた。


「え、たった今、グレンさんが捜しに行きましたけど」

「うん、知ってるよ。僕が人を使って追い払ったんだ。ちょっと邪魔だったから」


 何をしているのだ、この王子は。


「一体、何を企んでいるんですか」


 ティコがねめつけてやると、ランベルトは相変わらず罪悪感の欠片もなくあははと機嫌良さそうに笑った。


「別に大したことじゃないよ。たださ、使える手駒は多いほうがいいじゃないか」

「は?」

「執着心のない人間ってのは、案外使い勝手が悪いってこと。せっかくの機会をみすみす見逃すのは勿体ないだろう?」

「は?」

「この三日間の苛ついたグレンはわりと見ものだったよ。あれが怒るところを久しぶりに見た」

「は?」

「というわけで、あいつがいないうちに、例の男を見せてあげる。こっちにおいで」


 ランベルトはまた勝手に話を完結させて、ティコに向かって手招きし、踵を返して歩き出した。

 意思を疎通させるのはもう諦めて、ティコもここに来た目的を果たすべく、彼について足を踏み出す。

 後でまたグレンに説教されそうだ。

 でもそれは、自分の主人にこそ言ってよね、とティコは心の中で弁明した。





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