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反目



 城下町に行ってから数日が経った。

 グレンはあの後でランベルト王子に事の次第を伝え、然るべき部署にきちんと報告をしたらしい。町の自警団からもヴィラ城へ連絡があり、調査が差し向けられたそうだ。

 だが、死んだ男がどこの誰なのか、何のために女の子を攫っていたのか、これまで行方不明になった子たちはどうなったのか、結局何も判らなかったという。

 黒塔の部屋でグレンからその話を聞いたティコは、思いきり顔をしかめた。


「要するに、『判ったことはひとつもない』ってことですか」

「そのとおり」

「…………」

「舌打ちするな。君、最初に被っていた猫は一体どこに放り捨てた?」


 向かいに座るグレンが、そう言って苦々しい表情をする。


「わたしは今も非力でか弱い田舎娘ですけど」

「非力でか弱い田舎娘は、そんなに偉そうな態度をしない」

「でもこの城には、わたしと違って身分があって力もある人がたくさんいますよね。なのに誘拐犯の身元も調べられないなんて、揃いも揃って能がないんですか。それとも足りないのはやる気のほう?」


 ずけずけと暴言を連発するティコを諫めることは諦めたのか、「まあ、両方かな」とあっさり認めて、グレンはため息をついた。


「……率直に言えば、『関心がない』の一言に尽きる。城の兵たちの仕事はあくまでも城内の平穏を保つことであって、町での些細な揉め事に出張っていくことはほとんどない。平民が反乱を起こしたとか、税収に影響が出るほど秩序が乱れるとか、そういうことになれば別だがね。今回の件も、調査なんてのは単に形だけだったということさ」

「些細な揉め事って」


 ティコはむっとして眉根を寄せた。


「だって、今まで数年もの間、何人もの女の子が攫われていたんでしょう? そのせいで子どもを自由に遊ばせることもできないくらい、町の人たちは不安を抱いていたじゃないですか。民あっての国なのに、偉い人たちだけを守るための城塞なんておかしいですよ」


 ティコにとって、「人」というものは皆、利己的で自分勝手な生き物だった。

 でもその人間同士の間でも、弱い立場の者は、救いの手を差し伸べられることなく、虐げられ、踏みにじられるだけなのか。

 そう考えると、ひどく寒々しい気持ちになる。


「残念ながらそれが現実というものだよ、ティコ」


 グレンの声がふいに冷たくなった。

 淡々とした口調に変化はないのに、こちらに向けられた瞳が突き放すような硬質さを帯びる。


「この国には決して乗り越えられない壁があるんだ。君も身に染みて実感しただろうが、都市と農村では貧富の差が顕著だし、どこでも差別というものはある。毎日汗水たらして働かなければ生きていけない人間もいれば、一方では働かなくても肉やワインをたらふく腹に入れられる人間もいる。特に現王は、とうの昔に政治に興味を失い、日々享楽に耽るのみだ。『民のため』なんて発想のない主君に仕える連中が、自分のことしか考えないという状態になるのは、当然の成り行きだと思わないか」


 彼の表情からは、国のそういう現状を憂いているのか嘲笑しているのか、まったく読み取れなかった。いや──むしろ、「どうでもいい」と考えているようにしか見えない。

 自ら女の子を捜すことを選んだ、あの時のグレンとは別人のようだ。果たしてどちらが本当の彼なのか。ティコの頭は混乱するばかりだった。


「以前も言ったが、宮廷というところは決して綺麗なものじゃない。アーモス王が政治から離れている分、廷臣たちが裏で激しく権力争いをしているのが実情だ。自分たちだって足元が確かではないのに、町での誘拐騒ぎになんていちいち関わってはいられない、と思うのは普通のことだろう?」


 揶揄するように唇を上げられた。

 そう思っているのは宮廷の人々であって、グレン自身の考えはまた違うのかもしれない。

 だが、その顔と言い方はこちらの反発心を煽る効果しかなくて、ティコの表情が固くなった。


「そう、自分の欲望のために平気で他人を切り捨てたり利用したりするのは、ごく当然のことだとグレンさんは言うんですね。だったら、城の偉い人たちとあの人攫いの男の間に、どんな違いがあるっていうんです?──これだから、人というのは信用できない」


 最後の言葉は嫌悪感が隠せず、吐き捨てるように口から出た。


「……君はずいぶんと潔癖なようだが」


 グレンの口元に浮かぶ微笑は、くっきりとした皮肉に彩られている。


「目的を達するために人や物を利用するのは、俺はちっとも悪いことだとは思わない。俺だって必要なら躊躇なくそうする。そして君にも、大なり小なりそういうところがあるはずだ。そうじゃないか? 自分だけが高く美しい場所から他人を見下ろしているとでも思っているなら、それは大間違いだ」


 舌鋒鋭く切り返された反論に、心臓がぎゅっと縮んだような気がした。


「わたしは──」


 言い返そうとして、その言葉を否定できないことに気づき、口を噤む。

 ティコがこの黒塔に留まっているのは、マルティンの行方を探るためだ。だから差し出された手を取るふりをした。

 誰かに都合よく利用される存在になるなんて真っ平だとずっと思っていたが、ティコだって、グレンとランベルト王子を自分の望みのために利用している。


「どちらにしろ、この点で俺と君が噛み合うことはないんだろうな。今日はこれで失礼するよ」


 ティコが唇を結んで黙ってしまうと、グレンはソファから立ち上がり、素っ気なく背中を向けた。



          ***



 黒塔の階段を下りながら、グレンはすでに後悔していた。


 大人げない真似をしてしまったな、と思う。

 町での誘拐騒動が大して調べられることもなくそのまま闇へと葬り去られるだろうというのは、はじめから予想していたことであって、特に落胆したわけでもない。

 むしろ深入りされたらグレンとティコの関わりが浮上する危険性もあったので、面倒なことにならなくてよかったと安心したくらいだった。

 表面上だけ彼女に同意し、場合によっては憤慨してみせることだってできたはずだ。適当に相手に合わせてやるのは、グレンにとって大して難しいことではない。今までずっとそうしてきたように。

 妙に苛ついて、言わなくてもいいようなことまで言ってしまったのは、なぜだろう。


 髪を振り乱して自分の娘を捜していた母親の顔が脳裏を過ぎったためか。

 それとも、汗だくになって町を走り回るティコの姿を思い出してしまったためか。


 平民の子どもが何人攫われようが殺されようが、貴族連中が一片の関心も持つことはない。それをよく知っているグレンなのに──いや、それを物分かりよく見過ごすのが当たり前になってしまったグレンだからこそ、そんな自分がやけに腹立たしく思えたのかもしれない。

 今回はたまたま関わり合ったから対応しただけ。子どもの捜索に手を貸したのも、少々個人的な事情によるものだ。普段のグレンは宮廷の他の連中と同様に、小さな問題には見て見ぬふりを通す。

 そんなことよりも自分には大きな目的があるからというのを卑怯な言い訳にして。

 それをティコにまっすぐ指摘されたような気がして、つい彼女に当たってしまったか。


 自分らしくもない。思わず自嘲する。


 ティコと接するようになってから、少しずつ自身の何かがおかしくなり始めていることくらいは自覚があった。

 あの娘は毎回ことごとく予想の斜め上の行動をするものだから、そのたびこちらは驚かされ、振り回される。

 結局、ティコは、グレンとは違いすぎるのだ。

 強がってはいるが、素直な性質を持った娘。彼女には彼女の思惑があるのだとしても、宮廷人たちとは異なり、その思考は他人を貶めたり陥れようとする方向には進まない。

 ある意味愚かで、健全だ。


 そして、心が綺麗すぎる。


 人は信用できないと言い、人と関わるのを怖れるくせに、人を助けるために行動するなんて、バカみたいに矛盾している。

 周囲を固い殻で覆っているが、あの娘の本質はそういうところにこそあるのではないか。

 貴族は誰もが狡猾で計算高く、いつも自分の踏み台となるものを探しているような連中ばかりだ。彼女のような人間を宮廷内に放り込めば、あっという間に潰されてしまうだろう。


 ──本当にティコがマルティンの弟子だったら、なおさら。


 動かし続けていた足が、ぴたっと止まった。

 胸の奥で何かが疼いた気がして、その部分に自分の手を当てる。

 グレンは今まで、ランベルトの命令には、その内容の如何によらず、いつも黙って従ってきた。それが彼と交わした契約で、取引だったからだ。


 それなのに今ここに来て、はじめて躊躇を覚えている。


 可愛げがないし、時々やたらと癪に障る言動をする娘だが、ティコが宮廷人たちに寄ってたかって利用される未来を想像すると、ひどく不快な気分になった。

 彼女はたぶん栄達も名声も望まない。それよりは、ひっそりと森で暮らすことを選ぶだろう。そしてそちらのほうが、ティコの生き方として相応しい気がする。

 だが、その考えをランベルトに伝えるのは気が進まなかった。どうせ口にしたところで一蹴されるのは目に見えているし、それどころか大笑いされて余計なことまで言われるに決まっているからだ。

「とうとうあの娘に情が湧いたかい?」

 とか、あの王子は言う。絶対に。


「……バカバカしい」


 小さな声で呟いて、グレンは再び階段を下り始めた。そんなこと、あるわけがないではないか。

「情」なんてものは、七年前のあの時にすべて捨て去って、もう自分の中には存在しないのだから。





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