視線の先
結局犯人の目的も正体も明らかにはならなかったが、女の子は無事、母親の元へと返された。
ティコは無理やりグレンに連行されて、母子と対面することになった。グレンには「麻袋を担いだ男を見つけて追いかけていた」と説明したが、女の子の証言によってはまた違う言い訳を考えなければならない。
しかし身構えていたティコに、二人は何度も頭を下げ、ただ礼を言うばかりだった。
「ありがとう、ありがとう、この子が帰ってこなかったらどうしようかと思った。あんたのおかげだよ、本当にありがとう」
母親はそう言って号泣し、マリエという娘のほうは、しっかりと母に抱きつきながら、
「助けてくれて、ありがとう。この恩は一生忘れません」
と大人びた言葉を口にし、笑みを浮かべた。
マリエは可愛らしい女の子だった。怖い思いをしたのだろうに、幼いこの子のほうが今にも倒れそうな母を支えているように見える。
血の気の戻った頬、涙の滲む目には、きらきらとした眩いまでの生気が溢れていた。
ティコは複雑な思いで、彼女たちを眺めた。
……この「力」を使って、誰かから感謝されることがあるなんて、考えてもいなかった。
母の持つ力は、母を悲惨な死へと追いやった。それは忌むべきもので、疎外されるべき異端であったからだ。
ティコがそれと同じ力に目覚めたのは、皮肉なことに、母を失った直後のことだった。咆哮を上げながら自分の中で暴れる正体不明の何か。それが魔力だとマルティンから知らされた時、ティコは驚き、怒り、嘆き、そして慄いた。
まるで呪いのようにべったりと、母と自分の人生に張りついて離れない、と言われているようで。
それでも魔術を教わることに同意したのは、母のように何も知らないままでいたくないと強く思ったのと、どうせ今さら自分から引き剥がせないのなら、この変な力を操るすべを身につけたほうがいいと考えたからだ。
だから寝食を忘れて必死に勉強した。文字を習い、様々な術を学び、力をコントロールすることを覚えた。
そして師匠以外の他人には、決して必要以上近寄らなかった。
自分にも母と同じ力があると判れば、また利用された挙句に裏切られ、死を望まれるようになるだけだ。だったら最初から接点など作らず、関わらないでいればいい。
あちらは普通の人間、自分や母やマルティンのような特殊な力を持つ者とは、所詮住む世界が違うのだと、そう自分に言い聞かせ続けてきた。
魔術師としての自負は抱いているが、その力に対する相反する感情も、ティコには未だ離れがたく残っている。
こんな力さえなければ、今も自分は母親と二人、村の中で幸せに暮らしていたのではないかと──
ティコの中では常に葛藤がある。誇りはあるが、一方でどこか疎む気持ちもある。力が自分の拠り所でありながら、その力をどう使うのが正しいのか、未だによく判らない。
もしもマルティンに訊ねていたら、ティコにその答えをくれただろうか。
それとも、いつものように「それは自分で考えて見つけなければならないんだよ」と穏やかに諭されるだけだっただろうか。
会いたいな。早く師匠に会いたい。
「本当に君は少し目を離すと何をしでかすか判ったもんじゃない」
頭を下げる親子の傍らで、グレンが文句を言っている。さっきからずっと説教していたのに、まだ足りないらしい。意外としつこい男である。
「……ま、でも」
だがそこで、彼はふっと目元を緩めた。
ぴったりとくっつくように身を寄せ合う親子を見やる。母親の服を強く握りしめるマリエの小さな手を見つめるその瞳には、優しい色が浮かんでいるような気がした。
「必死になって町中を走り回った甲斐があったというものだな。──よくやった」
褒めるように言って、手を上げかける。
駆け回っているうちにフードが外れ、乱れてしまったティコの髪を直そうとしたのかもしれないが、その手は中途半端なところで止まって、苦笑いとともに再び引っ込められた。
ああそうか。「断りなく触れられるのが苦手なら、言ってくれれば決してそういうことはしない」って言っていたもんね……
そう思い、ティコはなんとなくむず痒いような気持ちになった。
グレンは時々、変に律義で、調子が狂う。
***
本来黒塔の中に囚われているはずのティコは、これ以上目立つ行動はできない。もちろんグレンも同様だ。
というわけで、死んだ男については町の自警団に任せ、グレンのほうからも後ほどランベルトに報告することにして、二人は親子に別れを告げた。
鍛冶屋では、いなくなったティコをイヴァン老人が泡を食って捜していた。彼に事情を話し謝罪をして、城への帰途を辿る頃には、もうすっかり空がオレンジ色に染まりつつあった。
灰色の雲が夕日に輝き、薄くたなびいている。それを見上げて、なんとも長くて短い一日だったなと、ティコは息を吐いた。
「ティコ、城門を通る時は忘れずフードを……ん?!」
外れたフードに改めて視線をやったグレンは、ぎょっとして目を剥いた。
「ラデク?! いつの間に?!」
フードの中では、カエルのラデクがちんまりと丸くなって目を閉じている。
ティコは、なに驚いてんの? という顔をした。
「え、はじめからここにいましたけど」
「ウソだろ!」
「ラデクもたまには外に出たいだろうと思って、一緒に連れてきたんです」
「最初フード被ってたよな?!」
「ずっとわたしの頭の上に乗ってましたよ? ねー、ラデク」
ティコは同意を求めたが、ラデクは返事をしなかった。
グレンが腕を組み、しばらく黙り込む。ようやく口を開いた時、彼は非常に厳しい顔つきをしていた。
「堂々と嘘をつけば誰もが鵜呑みにすると思ったら大間違いだぞ、ティコ。……君は一体、何を隠してる?」
「何って、なんですか」
「それを俺が聞いているんだ。君はもしかして、マルティンの身内どころじゃなく、本当に……」
「自分の目で見たものしか信じない、と断言していたのはどこのどなたでしたっけ? グレンさんは何を見たんです? 想像だけで決めつけるのだったら、あなたも第三王子も、わたしを城まで引っ張ってきたスパニア国王と同類ということじゃないですか?」
畳みかけてやると、グレンは眉を寄せて小さく唸った。反論できないらしい。
「だったらいずれ確証を掴んで、君の目の前に突き出してやるさ」
「楽しみにしてます」
「その時に君がどんな顔をするのか、俺だって楽しみだよ。いいか──」
意外と負けず嫌いなところがあるらしいグレンが言い返してきたが、その声は途中で呑み込まれるようにして消えた。
ん? と見ると、彼は動きを止めて、ティコ越しに何かをじっと目で追っている。
ひどく真剣なその眼差しに、一瞬、心臓が跳ねた。
彼の視線が向けられているほうに自分も目を向ける。道の先では、立派な黒い馬車がガラガラと音をさせて走っていくところだった。
その馬車はまっすぐ城へと向かっていた。身分の高い人がどこかに出かけて、帰るところなのだろう。
「──ずいぶん豪華な馬車ですね」
「ああ。車体に王家の紋が入っているのが見えるか? あの馬車に乗れるのはヴィラ城でも一握りだけなんだ」
「王族……ということですか?」
グレンはランベルト王子の側近なのだから王族には慣れているはずなのだが、その声と口調はひどく遠く離れたものについて語っているように聞こえた。
「いや、王族だったらさすがに護衛がつくよ。それに、窓にカーテンがかかっているから、中にいるのは女性だ。あの馬車に乗れる立場で女性となれば、その条件に該当する存在はごく限られる」
「ふうん……」
グレンには手の届かない、王族に近しい高貴な女性、か。
「憧れてる、とか?」
少しからかうように言ってみると、グレンはようやく馬車から視線をこちらに戻して、ほんの少し笑った。
「……うん、なんとかして近づきたいとは思ってるんだけどな」
お近づきになりたいと狙っているがままならない、ということか。
なんだか面白くない気持ちになって、「へえ」とティコは不愛想な相槌を打った。