雪が溶ければ何になる
久々に番外編
彼にとって可愛い後輩が婚約者となるその少し前、八神終夜は父親から一つだけ注意をされていた。決して、最後まで心を開くな、と。
それは息子を思ってのことではない。八神家を思えばこその言葉である。
八神終夜は女神の血を引く。氷と雪の支配者である女神は、愛情深く、嫉妬深かった。気に入った存在の目が他者に向かうことすら許せない。愛を向ければ向けるほどに嫉妬の感情もまた大きくなり、最終的には誰に会うことも許せなくなって神域へと閉じ込める。終夜の祖母である女神はそういった性質を持っていた。
だからこそ、終夜の父は彼が感情を表出しないことを望んでいた。
終夜もまた、その懸念だけは理解ができた。なので、どこか心を突き刺す痛みのようなものがあろうとも、自分を曝け出してはいけないと、そう思っていた。
そう、思っていたけれど。
見合いの場で美しく着飾った二菜を見て、彼は無理だ、と思った。好きなんだから、仕方がない。でなければ、治癒の魔法が通らない傷を無視してでも、名前を呼んで、彼女に手を伸ばしたりするものか。
終夜はそんなことを思いながら苦笑した。
それでも、多少は感情をコントロールしなければいけないと彼も思ってはいたのだ。けれど、彼の恋した少女は最も簡単に彼の考えを超えてくる。
ある日、珍しく二菜本人に呼び出されたと思ったら左手を取られた。何がしたいのか、と首を傾げるとその薬指に指輪をはめられた。瞬間、彼の身体を暖かい魔力が包んだ。
「これは」
「一番信頼する、あなたへ」
その言葉が紡がれた瞬間、目があった。
照れ臭そうに、にへら、と笑う。
雪の花が舞う。彼女を彩るように。
それは、終夜にとって世界で一番美しい光景だった。何年経ったとしてもその時のことを忘れることなんてできやしない。
けれど、彼は息を飲んだ後、軽くデコピンをしてゆっくりと息を吐いた。
「出会って数ヶ月の異性に、そんな強い権限を与えるものじゃないよ」
その言葉の響きはどこか優しい。甘さすら感じて二菜は首を傾げた。怒られているのかそうでないのかわからないな、と言うような顔だ。
そんな間抜けな顔すら可愛いと感じて、終夜は笑う。
(ああ、末期だ)
とっくに溺れているのに、自分だけが気が付かなかったのかもしれない。
結女との婚約中は完璧に感情を制御できていた。彼女が自分を気に入っていないことに安堵すらした。もはやそんなことはできないし、二菜は彼がどんなに感情を向けても全てを受け入れ、その心を終夜に預けてくれた。
恋するきっかけすら思い浮かばないくらい、自然に心を寄せた。
それは、雪が溶けたあと、柔らかな日差しと共に春が訪れる。そんな恋で、愛であったのかもしれない。
終夜はそう思っているけれど、二菜がそれを聞くと「私たちの恋愛そんな穏やかだっけ!?」と言うだろう。




