65.彼女と彼は思わぬ人に会う。
side リディア
穏やかな日常を過ごすなんて、いつぶりかしら。
わたしがまたやらかしたせいで、レンダルでの出張が長引いてしまったし。
帰国してからも、豚の加工肉やスモーク商品の試作に追われていたけれど。
それらの仕事が、漸く片付いて。
わたしとラディの生活も日常に戻った。
ルド様たちの視察の後、ちょっとだけ日常っぽい日々があったけど。
その後すぐに、わたしが部位販売の提案をしてしまったから本当に久々だ。
と言っても、お弁当屋さんには、実は、以前ほどは行っていない。
というのも、わたしたちのイレギュラーな仕事が長引いてしまったから。
行けない日が多すぎて、わたしたちをシフトに組むと逆に邪魔というか。
月に数回しか行けないなら、最初から数に入れないほうが体制を整えやすかったのよね。
今では、わたしたちがいなくてもお店は十分に回していける。
それは、正直に言えば、ちょっと寂しい気もするけれど。
でも、わたしたちのお店ってことには変わりないし。
わたしたちがお店に立てば、常連さんに声を掛けてもらえる。
突発的な仕事の事を思えば、今の形が一番いいのだと思う。
そんなわけで。
わたしとラディは、特別メニュー係に特化している状態だ。
特別メニューと言っても、わたしからしたら大して特別でもないんだけど。
ポテトサラダサンドでも喜んでもらったりしていて。
あまり凝ったものは作ってないのよね。
そもそも、凝ったものは高価になりがちだから。
お弁当屋さんには向いていないのだ。
これまでに作った特別メニューで再販の要望が多いのは海老を使ったもので。
エビカツサンドとかエビマヨおにぎりは、また売ってほしいとよく言われるらしいから、これは、常時メニューに加えようかと思っている。
養殖が成功したから、海老も手に入れやすくなったのよね。
常時メニューと言えば。
多分、もう少ししたら、豚の加工肉も売り出されるようになると思うから。
ホットドッグに加えてBLTサンドとかも常時メニューにできそうだわね。
しばらくは特別メニューはお休みして新メニューに特化してもいいかしら?
そう思って、ラディに相談したら。
「むしろ、特化するしかないと思うよ?」
という返事が返ってきた。
確かに、新メニュー開発と調理指導に追われることになるものね。
ならば、特別メニューを作ってる暇はないか。
じゃあ、そろそろレシピ起こしを始めようかな、なんて思ってたら。
「それに、食品の店舗のオープンがあるから、そっちにも顔を出さないと」
そう言われて、後回しにしていた新商品企画を思い出した。
決して忘れていたわけではない。後回しにしていただけだ。
今回、ホットドッグの試作をしたら。
ケチャップとマスタードの販売も決まったんだけど。
実は、わたしたちが出張している間に粉末スープも出来上がっていたから。
―――粉末技術のグラント家との売買交渉は、商会に任せることになった。
だったら、食品のお店を出そうということになったのよね。
ケチャップとマスタードを売るなら、マヨネーズだって売ったらいいし。
粉末スープも、鶏がら・ブイヨン・和食だしの三種がある。
「リディアちゃんなら、他にもいろんな調味料、思い付くでしょ?」
お母様からのそんな無茶ぶりもあって。
調味料の新商品を提案することになっていたんだわ。
まあ、スパイスや乾燥ハーブだけでも結構な種類になるし。
塩だってアレンジすれば、いくらでもバリエーションを増やせる。
―――デュアル侯爵領の特産物は塩だから、喜んで貰えるはずだ。
もちろん、調味料だけじゃなくて、缶詰やレトルト食品も扱うから。
トマト缶とかパスタソースなんかもいいんじゃないかと思う。
思い付くは思い付くけど、それらはまだわたしの頭の中にしかないから。
お弁当屋さんの新メニューレシピの書き起こしとあわせて。
食品店舗で扱う新商品の企画書を作らないといけないわね。
そうして、わたしたちは。
「じゃあ、俺は、食品店の調査に行ってくるね」
ラディは調査に分析、わたしは商品企画。
自宅作業をメインに、時々、商会やお弁当屋さんに顔を出して。
しばらくはそんな穏やかな日常を過ごしていたんだけど―――。
久しぶりに、ドラングルに嫁いだアンヌ様からお手紙が届いた。
アンヌ様は、今では、ドラングルの王太子妃だ。
少し前に盛大な結婚式をしたことは聞いていたけれど。
その後は、お披露目と社交にお忙しくされていたはずなのに。
一体どうしたのかしら?
そう思って手紙を読んで、驚いた。
「ラディ、大変よ!」
「え、どうしたの?」
「アンヌ様から、接待要請よ」
「ん?どういうこと?」
アンヌ様からのお手紙によると。
やっぱり、アンヌ様は社交にお忙しくされていたようで。
ドラングルの貴族と、頻繁にお茶会を開いていたらしい。
そんな中、あるお茶会でのこと。
北部の辺境伯夫人が南部の港のある領の御令嬢に魚料理について尋ねていて。
辺境伯夫人が、お魚を生のままでも食べるのかを聞いたら。
御令嬢は、信じられないと言った顔で否定して。
その返答を聞いた辺境伯夫人が、がっかりされていたようなのだ。
その会話を聞いて、アンヌ様は、わたしが作ったお寿司を思い出して。
グリーンフィールの南部では、生のお魚を食べることを伝えたところ。
かなり、根掘り葉掘り聞かれたらしい。
あまりにも食いつきがよかったから。
もし視察に行くなら知り合いを紹介する、なんて安請け合いをしてしまったら。
辺境伯夫人から、それこそ、前のめりで、よろしくお願いされたそうだ。
ということで、事前相談がなかったことの謝罪とともに、彼女を迎い入れることを検討してほしい、という話なのだけど。
「珍しいご婦人だね。グリーンフィールでだって、魚を生で食べたりしなかったのに。しかも、そのご婦人、北部の人なんでしょ?」
そうなのよね。
北部ってことは、レンダルに近い場所だから、魚自体、食べることも少ないだろうし、なおさら生の魚を食べようなんて思わないと思うんだけど。
「食べるのがお好きなのかしら」
「にしても、好奇心旺盛過ぎない?」
確かに。
まあ、でも、今のわたしたちは、仕事も落ち着いているし。
お刺身やお寿司を作ることくらいは何てことはない。
これから返事を出して、日程を検討するとなれば。
いらっしゃるのは来月以降よね。
ならば、豚の加工肉やスモーク商品の販売は開始されているだろうし。
お弁当屋さんの新メニューだって、調理指導まで終わってるだろう。
食品の新店舗だってできていると思う。
新たな仕事が入らない限り、お迎えできそうかしら?
ラディとそう話して。
アンヌ様には、了承のお返事をして。
両親やルイス伯父様にも報告をして。
ドラングルのことを聞こうと、レティシアお義姉様にもお手紙を書いたら。
アンヌ様からはすぐに、御礼と日程相談のお手紙が来て。
両親たちも仕事の調整をしてくれることになって。
お義姉様からは、レポートか!と思うくらいの何枚にも渡るお手紙が届いた。
ただ、大変困ったことに、御夫人だけでなく、御夫婦でいらっしゃるそうだ。
隣国の、辺境伯領の、御当主夫妻が、いらっしゃるのだ。
こんな高貴な方々をわたしたち平民がお出迎えしてもいいものなのだろうか。
いや、もちろん。
御夫人だけだったら平民の対応でもいいだなんて思っていたわけではなくて。
当初から、アンヌ様には、案内役がわたしたちでいいのかは確認している。
それに対して、アンヌ様からは、ぜひわたしたちに、という返事が来ていて。
更には、我が家の魔道具のこともご存じだから、使用人もいらないし。
普段から平民との距離が近い夫婦だから普段着でもいいということで。
正直、わたしもラディも混乱している。
さすがに、伯父様も陛下に話を通したらしいのだけど。
『アンヌがいいって言うなら、そうしてくれ』と言われただけだった。
え、それでいいの?
とは思うものの。
陛下からもアンヌ様からもそう言われるならば。
わたしたちは普段通りにするしかないわよね。
「あ、リディ。シア義姉さんも辺境伯夫妻を知ってるようだよ」
なんですと?
お義姉様、なんて素敵な情報をお持ちなの!
ラディの言う通り、お義姉様のレポートには辺境伯情報が書いてあって。
どうやら、一年くらい前に魔獣の大量発生があったらしく。
お義姉様も冒険者として討伐に参加していたそうだ。
大変残念なことに、その際に先代御当主が亡くなられて。
御子息が後を継いだらしいのだけど、まだ二十二歳とのこと。
おまけに、奥様も二十歳と、本当にお若い御当主夫妻だ。
お義姉様はお会いしたことはないらしいのだけど。
このお若い御当主夫妻は、かなり砕けた方たちのようで。
よく平民と語り合ったり、お酒を飲んだりもするそうだ。
そもそも、この辺境伯領は。
近年、近隣諸国とのいざこざはないけれど、魔獣に悩まされている地域で。
騎士はもちろん、傭兵団もいれば、冒険者の出入りも激しくて。
平民と共闘することも多いし、平民からもかなり慕われているらしい。
「なんか、すごくいい人たちみたいだね?」
「そうね。ちょっと安心したわ」
とはいえ、辺境伯なんて高貴な方々に失礼なことはできないから。
その後も、お義姉様のレポートを読み込んで。
南部ならお魚も食べるようだけど、北部であればレンダルと食文化は似ていて。
魔道具も大して普及していないし、水環境もあまりよくはないらしい。
どちらかと言えば、レンダルに似ている国ではあるのだけど。
レンダルよりも作物の育ちはいいし、何よりも鉱山の採掘量が豊富で。
騎士の育成に力を入れているだけあって優れた剣や武具が多いそうだ。
という、お国情報を勉強しつつ。
出来る限りの準備をしていたら。
あっという間に御夫妻がいらっしゃる日になった。
――――そして、当日。
いらっしゃる前に雑用を片付けておこうと思って。
ラディと畑に出ていたら。
「うわ、予定より早く着いたみたい」
ラディの気配探索がすぐに察知したのはいいのだけど。
わたしたち、本当にラフな格好してるのよね。
でも、お待たせするわけにはいかないから。
急いで門まで出向いて。
「こんにちは。ヴァレンシア辺境伯夫妻でいらっしゃいますか?」
「はい!そうです!すみません、予定よりも早く着いてしまって」
「いえ、こちらこそ、こんな格好ですみません」
いや、本当に。
ラディは綿シャツにジーンズだし。
わたしなんか、チュニックにストレッチパンツだ。
まだ時間があると思ってこんな格好だったのだけど。
本来は、着替えてお出迎えするつもりだったのよ?
だから、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったんだけど。
「もしかして、ジーンズ……?」
奥様のそのつぶやきに、驚いた。
まさか、ジーンズを知っているなんて。
ドラングルにはデニムがあるのかしら。
なんて思ってたら。
奥様は、わたしたちの後方を見て、目を見開いていた。
「え、嘘!自転車があるの!?」
実は、以前から、密かに試作していた自転車。
わたしたちの馬のルー君とアリーが結構お歳を召してきたから。
それに代わるものとして作っていたんだけど。
この人、今、『自転車』って言ったわよね?
「……っ!」
奥様は、失言だと思ったのか、急いで手を口に当てたけれど。
わたしたちは確かに聞いたわ。
さすがにこれには、わたしもラディも目を見張るしかなくて。
ふたりして、奥様をまじまじと見てしまった。
うそでしょ?
もしかしなくても、奥様は転生者なの……?




