115.彼女と彼は後悔する。
side リディア
ラディったら、何を言い出すのかしら。
ジングに着物があることは、結構前から知っていたから。
ジングに行けたならば買おうとは思っていたわ。
だから今回も、ゴンザさんに事前にお願いしておいたし。
ジングのキモノについても、きっちり勉強しておいた。
おかげで、店主さんには最初から好意的に受け入れてもらったし。
女将さんからの難題も何とかクリアすることができた。
正直に言えば、着付けのテストはものすっごく緊張したけどね。
緊張しすぎて、右前か左前かも、一瞬頭からすっ飛んだけどね。
多分日本人のままだったら、その緊張に押し潰されていたけれど。
令嬢時代の精神力が残っていて本当によかったと思う。
そんなこんなで、無事、キモノを売って貰えることになったから。
購入意欲も倍増。絶対に買う気でいたのも確かだ。
着付けテスト時のキモノは、普段わたしが絶対に着ない色味だったけれど。
さすが、呉服屋の女将さんが選んでくれただけあって。
わたしも素敵だと思ったし、ラディの反応を見るに悪くはなさそうだった。
そして、奥から持ってきて貰った夜桜のキモノは。
ラディも気づいたみたいだったけど、わたしの好みドンピシャで。
買うなら、どっちかかな、とは思ってたわ。
思ってたけどね?
女将さんはどうしたって商売人だから。
わたしたちがお金を持っていることを見越して勧めてきている。
―――親の金だと思われているだろうけど、お店にしたらどっちでも一緒だ。
だから、両方とも高いのよ。
どうしてこれを既製品にしたのか、わからない位のものなのよ。
それをあっさり、両方買おうだなんて。
しかも、即決で。
ラディってば、一体、何を言ってくれちゃってるのかしら。
「ちょ、ちょっと待ってラディ。両方っていうのは……」
「え、だって、両方とも似合うし」
何かおかしなこと言ったかな?的な顔をするの、やめてほしい。
「若いのに、随分と太っ腹だねぇ……」
「あの、若様。両方となりますと……」
いつのまにラディが若様になっているのかは置いておいて。
さすがに、店主さんも焦ったようだ。
でも。
「あ、そうなんですね。わかりました」
金額を提示されても動じないラディ。
どうしちゃったの?
そりゃ、わたしだって、ラディに支払い能力がないとは思ってないけど。
―――お互い、そこそこ稼いでるしね。
事業計画を立てるときは、あんなに経費節減に努めるのに。
どうして、わたしのことになると金に糸目をつけないのか。
おまけに、聞けば。
両親や伯父様たちへのお土産にユカタを全員分買うつもりらしい。
ジングのユカタは、日本の浴衣みたいに夏限定じゃなくて。
通年着れるし、着流しみたいにもできるからね。
確かにお土産にはいいけども。
キモノって、キモノ本体や帯だけじゃないのよ?
下着や襦袢、草履や下駄に小物。
不随するものだって多いのにー!
ってことも、ラディに説明したんだけどね。
購入意欲が揺らいだ様子がない。
ああ、これはもう駄目ね。
説得しても、きっと買う。
ならば、無駄な説得はやめて、わたしもラディにお金を使うことにしよう。
「じゃあ、わたしは、ラディに羽織袴をプレゼントするわ」
「「「は?」」」
ふふ。今度はラディも驚いてくれたわね。
やられっぱなしは性に合わないのよ?
時間的に紋付きにはできないけれど。
わたしがキモノを着るときはラディにも着てほしいしね。
やっぱり羽織袴は必要よね?
ということで、わたしたちは散財した。
ラディは言わずもがな。
わたしは、ラディの羽織袴に加えて高貴な方々へのお土産も追加したから。
最終的に、前世なら数百万円にものぼる額を散財したわけだけど。
でも、まあ、たまにはいいわよね。
なんて、開き直ったりしながらも。
昨日に続いて、今日もご機嫌のまま帰宅したわたしは。
御礼も兼ねて、お夕食にラディの大好物のすき焼きを作ったのよ。
―――お豆腐が見つからなかったことが残念でならない。
そうしたら、これがまた大好評で。
日本料理の底力?を知ったわよね。
そうして、翌日。
さすがに、この二日間でお金を使い過ぎたから。
大人しくしておくつもりだったんだけど。
ふと思ったのだ。
「ねぇ、ラディ。ご実家のお土産はどうするの?」
両親や伯父様たちにはユカタを買ってくれたし。
商会やお弁当屋さんのスタッフたちの分はもう確保してある。
王家やシェリー様へのお土産の算段もつけているんだけどね。
ラディのご実家の分はラディに任せていたのだ。
「え、いるかな?」
「は?いるに決まってるでしょー!何言ってるの!」
やっぱり任せるんじゃなかったかしら。
「そっか……。うーん、じゃあ……、食べ物かな?」
なるほど。
グラント家は、確かに、わたし以上に食に目がない。
武器でもいいんだろうけど、カタナは確保が難しいものね。
「鮭とか蟹とか追加で入荷してないかな?あとは、米酒あたりも喜びそう」
なるほどなるほど。
さすが家族、聞けばすぐに最適な答えが返ってくる。
「じゃあ、午後、市場にいきましょう?」
「え、そこまで急ぐことなくない?お土産だって、ないならないでいいし」
「卵とミルクの残りが少ないの。それに、わたしもお魚屋さんと材木屋さんに御礼したいし、追加のお買い物もしたいのよ」
ここまで言えばラディも否とは言えまい。
「あ、そうなんだ。なら、行かないとね」
よし!
多分、既にラディの頭からは実家のお土産のことなんかすっ飛んでいて。
わたしの買い物のことしか考えていないだろうけど。
行ったもん勝ちよ。
結局、今日もお金を使うことになったけど、それだって仕方がない。
必要経費だもの。
ということで、午前中は御礼の品作りに励んで。
ランチをしてから、市場に乗り込むことになったんだけど。
失敗したわ。
まさか、明日以降にすればよかったって後悔することになるとはね……。
と言っても。
予定していた御礼と買い物自体には問題なかったのよ?
最初に行った材木屋さんでは。
「ん?この前のお兄ちゃんとお嬢ちゃんじゃないか。ゴンザの会長から聞いたよ。あんな丸太の切れ端なんて何にするのかと思ったら、大きな器みたいなのに加工したんだって?」
そう言って、愛想よく迎えてくれて。
前回は、無理を言って木材を売ってもらったから。
その御礼にお餅と大福をお渡ししたら大喜びしてくれたし。
臼と杵も見せてあげたら感心してくれて。
あとふたつ分の木材の追加購入も、快く了承して貰えたわ。
―――聞けば。
ゴンザさんが、追加分を見越して丸太一本仕入れてくれていたらしい。
月締め請求だと言うから、丸太分はこっそりこちら持ちにしておいた。
そして、続いて向かったお魚屋さんでは。
「こりゃ旨そうだ。わざわざ悪かったなあ」
御礼の鮭おこわと味噌や酒粕に漬けた鮭の焼き物を前にして。
笑顔でそう言ってくれたうえに。
「正直な、礼を言うのはこっちのほうなんだよ。公爵家さんから鮭と蟹を注文いただいてな。おまけに、昆布や鰹節も定期注文してくれたんだ」
逆に御礼を言われてしまった。
にしても、料理長さんったら行動が早い。
もう注文していたなんて。
鮭や蟹のような北の海産物は、王都ではほとんど見かけないし。
鰹節もグリーンフィールとの技術提携によって少しずつ出回ってきたけれど。
まだ知名度も低くて、普及には時間がかかりそうだとは聞いていた。
だから、それらを扱うこのお魚屋さんにとっては。
公爵家からの注文は願ってもなかった話のようだ。
どうやら、鮭と蟹は定期的に仕入れることにしたらしくて。
今も追加の仕入れに行っていて、後数日で王都に届くということだったから。
お土産の分も含めて追加注文してお店を後にしてきたのよ。
グラント家のお土産がない、なんて事態にならなくて本当によかったわ。
そうして、そのあとは、卵やミルクなんかの食材も調達して。
当然、米酒も購入して。
時間もあったから、王都の広場で休憩することにしたのよね。
でも、それが間違いだった。
というのも―――――。
ベンチに座って。
マジックルームからクリームソーダを出した時だったわ。
「リディ。残念だけど、これはお預けになりそう」
そう言われて、こちらに近づいてくる気配を感じたのよ。
―――わたしもラディの指導を受けて気配探索を訓練しているのだ。
その気配の主を見て、わたしは、物凄く吃驚したんだけど。
その人が目の前にやってきて。
わたしのクリームソーダに手を伸ばしてきたから更に驚いたわよね。
慌ててマジックルームにしまったわ。もちろん、ふたり分。
「は?ちょっと!どこにやったのよ!?あたしにも寄こしなさいよ!」
「……どうして、君がここに?」
「うふふ。あたしのこと、忘れられなかったのね?」
どうしよう。
この娘が何を言ってるのかわからない。
「今の今まで忘れてたけど。君は王宮に拘束されてるんじゃなかったかな?」
「ほら。わたしがどうなったか気になってたんでしょう?」
ええ?
これ、ポジティブシンキングの域を超えてない?
「やっと王都に戻ってこれたのに、また狭い部屋に押し込まれて。毎日毎日、魅了だとか魔道具だとか意味わかんないことばっかり言われて大変だったの。うんざりして逃げ出してきたのよ」
そうなのだ。
目の前の娘は、あの魅了の魔道具を持っていた娘なんだけど。
脱走してきたことを堂々と宣言されて言葉を失う。
「っていうか、あんた、どきなさいよ。で、さっきの飲み物を出しなさい!なんだか美味しそうだったもの、あんたには勿体ないわ」
大変失礼な物言いに、内心ムカつきはするけれど。
とりあえず、クリームソーダを知らないようだし。
ラディのジーンズやわたしの前世風の服装に驚いた様子もない。
ってことは、この娘が転生者の可能性は限りなく低いわね。
そのことには安心しつつも。
この娘を放置することはできないので捕縛することにした。
緑魔法で草を伸ばして手足を縛ったら、ぎゃんぎゃん煩かったから。
防音結界に閉じ込めて。
「では、ジーンさん。後はお任せします」
実は、あのギルド職員ってば、わたしたちをストーキングしてたのよね。
ただ監視してるだけだったから放置してたけど。
この状況になったら話は別よ。
娘のことは丸投げさせてもらうわ。
「チッ!気づいてたのか」
いや、結構わかりやすかったけど?
という言葉は黙っておいた。
「君たちが捕まえたんだから、君たちが連れて行きなよ」
「は?なんで、俺たちがそこまでしなきゃならないんですか?」
「それが面倒なら、捕まえなければよかったじゃないか」
「だって、魔封じもしてないこの娘を野放しになんてできないじゃないですか」
「魔封じ?」
え?そこに驚くの?
「この娘、今も普通に魅了魔法使ってますよ?」
「は?」
さっきもラディに使ってたし。
脱走だって、魅了魔法で看守を誑かした結果だと思うんだけど。
「魔道具は取り上げているはずだ」
「彼女自身も使えるってことじゃないんですか?どこかで覚えたのか、先天性のものなのか、魔道具の残滓なのかはわかりませんが」
「そんな、まさか……」
「そもそも彼女自身の鑑定はしなかったんですか?」
わたしたちには鑑定魔法をかけたのに?
「俺が指示されたのは、魔道具の鑑定だけなんだよ。まさか、こんな小娘が古代魔法を使えるなんて思わなかったし、興味もなかったし」
は?信じられない。
この人たち、本当に捜査する気あったの?
とは思えど、とりあえずこれ以上は関わりたくないので。
「そうですか。とにかくそういうことなので王宮に連れ戻してください」
やっぱり丸投げすることにした。