108.彼と彼女は逃げ出したい。
side ラディンベル
とんでもない誤解が生じていたもんだよね。
公爵家の別邸で怪しげな動きをしていたメイドを捕縛したら。
宰相の命令だったことにも驚いたけれど。
メイドの本当の目的は、宰相とは別の個人的な恨みを晴らすことで。
それが、醤油の技術提携に纏わる誤解に因るものだったんだから。
俺たちは困惑したよね。
メイドの妹の婚約者を攫って醤油の技術を盗んだ挙句に。
醤油を買い叩いている、なんて被害妄想もいいところだ。
そんな事実、まったくないのに。
情報不足から勝手に誤解されて、命を狙われるだなんて。
外交官って難儀な仕事だと思う。
とりあえず、義両親や侯爵に手紙を書いて。
少しだけ睡眠をとらせてもらったんだけど。
仮眠程度に寝て起きたら。
さすがに、まだ手紙の返事は来ていなかったから。
俺たちは裏庭で毎朝の運動をすることにしたんだ。
―――ここでランニングマシンを出すわけにはいかないから体操のみだ。
ほとんど寝れなかったから、眠気覚ましに丁度いいな。
なんて思いながら、リディと体操をしていたら。
今朝方の差し入れの御礼だと言って。
ジョージ様と、保温水筒を抱えた料理人らしき人が来てくれたんだよね。
聞けば、料理長さん自ら洗って持ってきてくれたようで。
更には、味噌汁に大変感動したとのことで。
「弟子にしてください!!」
そう言って、がばっと頭を下げた料理長さんに、リディが凄く困っていた。
とりあえず、見学してもらうことしかできないし。
販売しているレシピの場合は、全てを見せることはできないかもしれない。
ってことを説明したら。
一瞬躊躇はしたものの。
見学だけでも、と再度頭を下げられてしまったから。
時間があるときに厨房を覗いてもらうことになったんだけど。
俺たちは、公爵家にお世話になっている身だしね。
リディは、結局、作り方を教えてしまうんだと思う。
案の定、朝食作りを見学していた料理長に出汁の取り方を説明して。
出汁とだし巻玉子をおすそ分けしていたしね。
―――今日は、和朝食のようだ。
そうして、朝食の準備が整ってから、一旦部屋に戻ったら。
義両親や侯爵、王家からも返事が来ていて。
ダレンさんの件と醤油の売上明細の件は、すぐに対応する。
と、心強い言葉をいただいたけれど。
何よりも、俺たちを案じてくれている言葉が書き連ねてあって。
ものすごく有難くて、ちょっとこそばゆかった。
ただ。
『よくもまあ、次から次へと騒動に巻き込まれるものだ』
という陛下からのお言葉には、苦笑するしかなかったよね。
本当に、俺たち、連日お騒がせしているからね。
それは心から申し訳ないと思いつつ。
王家からの手紙には、陛下からの抗議の書も含まれていたから。
早速、シエル様の部屋を訪ねて。
他の手紙と合わせてお渡しして。
「我が国の王家は本当に仕事が早くて、臣下としては複雑だよね」
そんなことを話しながら、一緒に朝食をとったんだけどね。
昨夜の騒動から寝ていない護衛さんたちが大変食欲旺盛で。
リディが慌てて、追加の炙りたらこや味付け海苔を用意してたよね。
相変わらずの護衛さんたちの食べっぷりに、みんなで笑ったりして。
騒動があったとは思えないくらい和やかな時間だなって思ってたら。
別邸にリュート様が訪ねてきた。
「昨夜は、本当に申し訳なかった」
出迎えた途端に頭を下げたリュート様に、シエル様が駆け寄って。
すぐに頭を上げるように言ったんだけど。
シエル様は、意外と容赦がなくて。
「こちらも早速で申し訳ないんだが」
「また何かあったのだろうか……?」
「いや、さすがに昨夜のことは国に黙ってはおけなくて、報告させてもらったんだ。そうしたら、王家からこれが届いちゃってね」
そう言って、陛下からの抗議の書を差し出したから。
リュート様は固まって、動かなくなってしまった。
うん、騒動から半日も経ってないしね。
―――魔法転送については『秘術』だと伝えてある。
大国の王からの抗議なんて現実逃避したくなるよね。
とはいえ、リュート様もすぐに我に返ってくれて。
きちんと受け止めなければな、と言って。
抗議の書を手に、シエル様と一緒に王宮にあがり。
ロラン様は別邸に残って。
グリーンフィールから送られてくる書類を確認することになった。
ということは、魔法転送装置がフル稼働となるわけで。
俺たちもお手伝いすることにしたんだけど。
グリーンフィールの王宮は、急のことながらも対応してくれて。
関係書類を送ってくれるんだけど、精査ができていないから。
送ってくれた書類をこちらでも確認して。
必要な項目を抜き出して該当の村の売上明細を新たに作ったりしている。
リディって、暗算も早いけど、計算機はもっと早いんだよね。
その速さに、ロラン様が口を開けてぽかんとしてるのがおかしかったな。
「それ、本当に計算してるんですか?」
「お手数でなければ、検算していただけるとうれしいです」
そう言われて、ロラン様も計算した結果。
一切間違いがなかったようで、呆然とリディを見ていた。
それを横目に、俺は新たに届いた手紙を手に取ったんだけど。
そこで、今度はジョージ様が訪ねてきて。
なぜか、俺に警備の相談をしてきた。
昨夜の一件に加えて、盗賊討伐のことも護衛から詳しく聞いたらしく。
俺のことを買ってくれているみたいなんだけどね。
俺が思い付く警備って表向きじゃないからちょっと困る。
そう思いながらも、ジョージ様の質問に答えていたら。
思いのほか時間が経っていたようで、リディが昼食を持ってきてくれた。
「大変庶民的な食べ物で申し訳ないのですけれど、ジョージ様もよろしかったら召し上がってくださいね」
そうして差し出されたのは、ハンバーガーとサンドウィッチで。
ロラン様は嬉しそうに顔をほころばせて選び始めたし。
不思議そうにバーガーを手にしたジョージ様も、一口食べて目を輝かせた。
「これ、すごく旨いな!」
その様に安心して、俺も食べ始めたんだけどね。
ここで、さっき手に取ったまま忘れていた手紙があったことを思い出して。
行儀が悪いながらも、食べながら読んでみたら。
「ラディ?ごめん、美味しくなかった?」
リディに余計な気を遣わせてしまったけれど。
俺が変な顔をしてしまったのは、ご飯じゃなくて手紙のせいだ。
「ごめん、そうじゃなくてね。殿下が早速、ダレンさんのところに行ってくれたみたいなんだけど」
「本当に殿下は行動が早いですね。でも、何か問題でも?」
「ダレンさん、あのメイドの姉妹とは幼馴染ではあるようなんですが、その妹とは婚約した覚えがない、というか、恋人でもなかったみたいです」
「「「……………………」」」
俺の言葉に、ロラン様やリディだけでなく、ジョージ様も黙ってしまった。
みんなで何とも言えない顔をしてしまったのも仕方がないと思う。
とりあえず。
ダレンさんはきちんと同意していて、すぐにジングに戻るつもりもなくて。
今、関係各所に手紙を書いてくれているそうだから。
その手紙で、あのメイドに納得してもらうしかないよね。
そうして、午後も、次々と届く書類や手紙を捌いて。
ジョージ様も度々顔を出してくれて、王宮まで使いを出してくれたりして。
目の前の作業に没頭していたら、すっかり夕方になってしまった。
いつの間にか、リディまでいなくなってる、と思ったら。
すごくいい匂いがしてきたから。
ロラン様も、顔を出していたジョージ様もそわそわしてきたんだけどね。
さすがに、シエル様たちを無視して夕食にすることもできず。
じっと我慢の子で待っていたら。
漸く、疲れ切った顔をしたリュート様とシエル様が帰ってきた。
おふたりを労いながらも、早々に食卓を整え始めた俺たちを見て。
リュート様とシエル様は呆気にとられていたけど、許してほしい。
だって、今日の夕食はカレーだから。
あの香ばしい匂いは、絶対にカレーだから。
ジョージ様なんて。
多分食べたこともないだろうに、匂いだけで食べたがってたからね。
そうして、出てきた夕食は、予想通りのカレーで。
素揚げ野菜が添えられて、彩りもきれいで。
おまけに、唐揚げとサラダまでついていた。
なんて完璧な夕食だろうか。
―――ちなみに、味見をした料理長さんは感涙していたようだ。
使用人さんにも差し入れたらしいから、皆でカレーの虜になればいいよ。
「ああ、今日はカレーなのか。それなら仕方がないな」
シエル様がそう苦笑していたけれど。
そうなんです、仕方がないんです。
ということで、早速、皆で揃って食べ始めたら。
「これは、カレーというのか?グリーンフィールの名物なのか?」
「本当に旨いな。香りも食欲をそそる」
ジョージ様はかなり食いついてきたし。
リュート様も気に入ってくれたようだ。
ガツガツ食べて、お代わりをして。
みんなのお腹が落ち着いたところで、今日の報告会をすることになった。
「今日は、書類や手紙を届けてくれて助かったよ」
「おかげでグリーンフィールの冤罪は晴れそうだ」
あのメイドの誤解っぷりは酷かったからね。
きちんと証明できたのならよかった。
結局、宰相とメイドは王宮の牢に拘束されて。
現在も聴取が続けられているという。
メイドは、妹の思い込みと現実との違いを知る度に大人しくなって。
今では素直に話しているようだけど。
宰相は、ずっと、しらばっくれていたようなんだよね。
それが、メイドの暴露話で言い逃れができなくなって。
漸くぽつりぽつりと話し始めたそうだ。
どうやら、宰相の領地は羊皮紙の生産地で。
うちの商会の紙が輸入され始めたせいで経営難に陥っているんだとか。
これ、実は、グリーンフィールでも騒動になった案件で。
紙の代わりに、羊の皮をなめして上着や小物にすることを提案したら。
人気商品になって、今や立派な産業に成長したんだけどね。
そのこと、知らなかったのかな?
なんてことを考えた時だった。
まさか、ここで爆弾が落ちるとは思わなかったよ。
「陛下が君達に会いたいと言っていてね」
「「はい……?」」
いやいやいや。
俺たち、ただの旅行者なんですけど。
「もしや、わたしたちのことを陛下に?」
「メイドを捕縛できたのは君達の活躍あってのことだからね」
なんてことだ。
何故口止めしておかなかったのか。
「それに、君達に助けられたのは昨夜だけじゃない」
うわー。それも話しちゃったのか。
「盗賊を討伐してくれただろう」
「運良く奇襲がうまくいっただけです」
「怪我人の手当ても見事だった」
「グリーンフィールでは救急箱など珍しくないものですから」
「魅了の魔石の件だって」
「仕事柄、知っていただけです」
「王都までの道中でも、」
「優秀なのは、わたしたちじゃなくて我が商会の商品ですわ」
すべて間髪入れずに反論したんだけどね。
「すまない。要は、陛下が君達に興味を持ってしまったんだ」
これ多分、腕輪のことも知られている気がする。
国からの抗議がやけに早かったことも、訝しんだだろうけどね。
多分、それは、今日シエル様から聞き出しているだろうからね。
あー、もう、面倒なことになったな、とは思うんだけど。
リュート様が罰せられても困るから、行くしかないよね。
そうして、承諾するしかなかった俺たちは。
今日も今日とて、義両親と侯爵と王家に手紙を書いた。
それに対して、陛下から。
『私や精霊王の名を使っても構わん。ジングの好きにはさせるな』
という返事が来たから。
平民とはいえ、無駄に侮られないようにしなくちゃね。




