エスペラント
Tordaĵo──世間では俺みたいな奴をそう呼ぶそうだ。
Kara amiko──直ぐ隣にいるお前、俺はお前を親友だと思っている。手を伸ばせば……いや、手を伸ばしたくなるこの想いは──Senreciproka amo──きっと俺の思い過ごしなのだろう。
薄暗い俺の部屋で二人、俯きながらスマホをいじる。
俺がお前を覗き見ようが、その顔はスマホを見たままだ。少しは気付け。
「…………なぁ」
「んっ?」
キョトンとした顔が無性にムカつく。可愛い目をしてまつげなんか付けまつげでもしてんのかと言わんばかりだ。
「──いたたた!」
なんか腹立ったから頬をつねってやった。少し紅くなった頬を見て、少し気が晴れた。
「腹……減らねぇか?」
「……そう言えばもうこんな時間だ…………」
「待ってろ。下で何か探してくっからよ」
台所の棚を漁る。客用の上等な菓子はいつもの場所だ。
ついでにカップラーメンでも持っていってやるか。
「おい、イイモン見付けたぞ♪」
「あ、ありがとう……」
「多分後2~3分で食えるから、それ入れてから食えよ」
割り箸と後入れスープを放り投げ、お湯を注いだカップラーメンを置く。ちょっとお湯が弾いて指が熱かったがいつものことだ。
「……豚骨ミソ明太マヨチーズバーガー味?」
「おう、近所のスーパーでヤケクソみたいな値段で売ってたからな。きっとマズいぞ♪」
「い、幾らなの? コレ……」
「5円」
「ごえん!?」
待ちきれず、先に蓋を外し後入れスープを適当に入れて割り箸でかき混ぜる。割り箸も途中から折れて左右が歪だ。これに限っては真っ直ぐ割れた、ためしがない。
「うはっ、マズッ! 最高にマズい!!」
スープも少し飲んでみるが、濃厚な明太マヨとチーズと豚骨ミソが核戦争を起こして最高にマズい!!
「ほら、遠慮せずに食えよ」
「う、うん……」
小さい口を更に小さくして麺をちまちま啜る姿に、何とも言えない怒りが込み上げてくる。
俺の麺はもう無いのに、奴の麺は一向に減る気配が無い。
「……けっこう美味しいよ?」
「ハァ!? 味音痴かお前?」
「痛い。痛いって……」
少し赤くなった頬をもう一度捻る。今度はさっきより強くだ。
「ケッ! お前の舌は五円舌だよ!!」
「そんなことないよ。このカップラーメンを作った人達は、美味しいと思って作ったんだから」
「……なら全員五円舌だな」
「『美味しい』は世界共通なんだよ?」
「はいはい。俺の超高級舌には合いませんでしたよ……」
クソ不味いスープを一気飲みし、空の容器をゴミ箱に投げ入れた。弾けた汁が壁に飛んだがそんなものは気にしてやらん。
「……専門学校卒業したら、世界中を回って、美味しい料理を作りたいな。そして世界中に『美味しい』を届けるんだ」
「へーへー。結構な夢と希望で……」
「卒業したら……どうするの?」
「ねーよ、やりたい事なんて。お前も卒業したらどっか行っちまうんだろ? いいじゃーねか俺の事なんてさ……」
まだ半分も減ってないカップラーメンを大事そうに持ち、チビチビと啜る姿に、怒りを通り越してアレな気持ちになってくる。
客用の羊羹を丸ごと齧り、俺はやり切れない思いをため息と共に吐き出したが、それは気休めにしかならなかった。
「ねえ?」
「あ?」
「いつも思うんだけどさ」
「なんだよ」
「パンツ……見えてるよ?」
「…………」
立てていた膝をゆっくりと降ろし、言葉が詰まった喉から静かに鼻へと空気を送る。
羊羹を一口齧り、舌打ちと貧乏揺すりが止まらない。
(なんかコイツに言われるとスゲームカつくな……)
──グッ……
不意に膝を人差し指で押さえられた。
「……なんだってんだよ」
奴はカップラーメンを机に置き、余裕かました顔で説教でも垂れようとしている。その前に頬をつねり殺してやろうか。
「女の子がどうこう、とは言わないけどさ。でもさ……好きにしてるって言うかさ……なんか自由に見えて実はやらされてる感があるんだよね……それ」
「何だっていいだろ!? 何だよ急に!!」
奴に対して初めて余裕の無い罵声を浴びせてしまった。
ハズい……間違いなく今の俺はクソダサい。
「『女の子らしくしなさい』って言われたから……それなの?」
「俺は俺の好きに生きてんだから関係ねーだろ!!」
「『勉強しなさい』って言われたから、英語とかじゃなくて授業に関係無いその何とかランドって言葉の勉強してるの?」
「エスペラントだ!! 世界共通語だぞオイ!!」
「…………それ、本当に君が望んで始めたこと?」
「……………………」
──ベチャッ!!
食べかけの羊羹を奴の顔目掛けて思い切り投げてやった。
「知るかバーカ!! 死ね!! 死ね!! 死ーね!!!!」
部屋を飛び出し、家すらも飛び出し、ひたすらに走った。普段運動しないくせにメッチャ走った。
家からそう遠く離れてない、いつもの道路で、息が上がって足が止まった。
「……誰か…………」
俺を知らない、私を知らない誰でもない『誰か』に問い掛けるも、その誰かは当然応えてはくれなかった…………。
落ちていた小石を拾い上げ、近くの公園に向かって投げ付ける。
小石が鉄棒の柱に当たって、何処かに跳ねた。そして小石は何処かに消えた。
「…………私に戻りたい……」
意地を張る余裕も無く、素直になる勇気も無く、ただ私は俺をする事でしか自分を保てなくなっていた。