第38話 やはりこの格好は落ち付きませんね
「ふぅ。やはりこの格好は落ち付きませんね」
アンリエットは自室で溜息を吐いていた。
その恰好は普段の冒険者のそれではない。
どこかの貴族令嬢でも身に着けるような煌びやかなドレスだった。
いや、どこかのではない。
実際、アンリエットは貴族の令嬢だった。
それもこの地を治める大貴族、アルベール家の娘なのである。
件の報告のため、久しぶりに実家へと戻ってきていた。
今日はあくまで冒険者として帰宅しただけなので、わざわざ着替える必要もないだろうと思っていたのだが、厳格なメイド長に「屋敷にいるときはドレスを」と言われて仕方なくドレスを身に着けたのである。
そんな見栄えを気にしているような状況ではないのだが。
幸いいつも領主である父と顔を合わせるとお見合いの話ばかりされて辟易するのだが、さすがに今日はそんな時間はなかった。
Aランク冒険者でもある娘の報告を受け、父はすぐにその深刻さを理解してくれた。
すでに騎士団に命令を下し、厳戒態勢で街の警備を行うことになっている。
今後ヴァンパイアたちがどう動いてくるか定かではないが、アンリエットはひとまず今日はこの屋敷で休むつもりだ。
さすがに寝るときまでは衣服を指定されることもないので、ドレスを脱ぎ捨て、いつもの格好になる。
何かあったときにすぐに動ける服装だ。
そうして本棚から取り出したのは、一冊の本。
小さい頃から何度も読んできたせいか、ボロボロになっている。
『勇者リオンの冒険』
伝説の勇者を題材とした絵本だ。
この都市はかの勇者に護られて滅びを免れ、そして現在の大きさまで発展してきた。
街の名をリベルトと改められたことからも、当時の人々がどれだけ勇者を感謝し、称えたかが分かるだろう。
「ですがもし今、同じことが起こったとしたら……」
本のとある一ページを開きながら、アンリエットは呟く。
子供向けの絵本ながら、そこには青白い肌の魔物たちが、とある街の人々の血を吸っているという悍ましいイラストが描かれていた。
その街の名は、メリッサ。
かつてのこの都市の名だ。
百年前。
魔王軍の一戦力として、この地の人々を襲った者たち。
何を隠そう、それはヴァンパイアの群れだった。
次のページを開くと、そこには精悍な顔つきの青年が描かれていた。
彼こそが勇者リオンだ。
そして対峙するのは、ひと際恐ろしく描かれたヴァンパイアたちの王である。
「ヴァンパイアの王……ヴァンパイアロード」
ヴァンパイアが進化すると、アークヴァンパイアという上位種となる。
そしてアークヴァンパイアがさらに進化すると、ヴァンパイアロードになるのだ。
どういう理屈か分からないが、ヴァンパイアロードは同時にたった一体しか生まれることはないという。
しかしその反面、アークヴァンパイアとは比べものにならない力を持つ。
「……もし、人間を攫ったヴァンパイアたちが、すでにヴァンパイアロードに進化していたとしたら……? 今度こそ、この都市を占領しようと攻め込んでくる……? しかも今は勇者がいない……」
想像しただけで、ぞわりと背筋に寒いものが走った。
と、そのときだ。
突然、屋敷の中が騒がしくなった。
嫌な予感に襲われ、アンリエットはすぐに防具を身に着けて剣を手に取ると、廊下へ飛び出した。
するとすぐにメイドの一人が駆けてくる。
「お嬢様っ、大変です! 街中にヴァンパイアが現れたとの情報がっ! 数は判明していませんが、相当な数に上ると……っ!」
「っ!」
最悪の事態が起こってしまったことを知り、アンリエットは絶句する。
現在、厳戒警備に当たっていた騎士たちが応戦しているようだが、相手は一体でも災害級とされるヴァンパイアだ。
しかも血を吸われると、眷属として操られてしまう。
アンリエットは屋敷を飛び出した。
「はあぁぁぁっ!」
アンリエットの繰り出した剣が、ヴァンパイアの身体を両断する。
即座に振り返ると、背後から飛び掛かろうとしていた別のヴァンパイアを下段から一気に斬り上げた。
どさりと地面に崩れ落ちる二体のヴァンパイア。
一見すると致命傷を負っているが、これで安心はできない。
ヴァンパイアはアンデッドだけあって不死性を持ち、放っておくと回復してしまうのだ。
アンリエットはヴァンパイアの首を斬り落とすと、さらにその切断面へ聖水をかけた。
すると生首が絶叫を上げ、煙を上げながら灰と化していく。
「リオンくんのアドバイスを聞いていてよかったですね」
彼が持っている不死殺しの付与を施された剣がなくとも、聖水で代用できると教えてくれたのだ。
単に聖水をかけるだけでも、ヴァンパイアの力を弱体化させられるようで、念のため大量に購入しておいたのが非常に役に立った。
屋敷を出てからというもの、すでに彼女は五体のアンデッドを倒している。
すでに街の至る所にアンデッドの侵入を許してしまっている状況らしい。
騎士や冒険者たちも戦っているが、時には蝙蝠と化して闇に紛れて逃走するヴァンパイアの群れに大いに苦戦している。
さらに悩ましいのが、血を吸われ、操られた人間だ。
アンリエットにも、先ほど眷属にさせられた騎士が襲い掛かってきて、仕方なく応戦し、気絶させるということがあった。
見た目では判断ができない上に、操られていることを知っているため非常に戦いづらい。
しかもこうした眷属化された人間は、今後どんどん増えていくだろう。
このままでは、最後にはこの都市はヴァンパイアたちに支配されてしまいかねない。
「ともかく、早くカナエたちと合流しないと……っ!」
アンリエットたちは、互いの位置関係が分かる魔道具を所有していた。
近くにいるのはカナエの方だ。
道中でヴァンパイアを倒しつつ、アンリエットはどうにか仲間のすぐ近くまで辿り着いた。
と、そのとき思わず足が止まった。
暗闇の向こう。
そこに恐ろしく強大な気配を感じ取ったのだ。
こちらへゆっくりと近づいてくる。
アンリエットは思わず一歩後ずさっていた。
やがてその気配の主が姿を現した。
「っ……」
これまで色んな魔物に遭遇し、幾度となく死線と言えるような厳しい戦いをしてきた彼女だったが、その存在を前に瞬時に悟った。
(格が違い過ぎます……)
先ほどまで戦ってきた並のヴァンパイアとは桁違いの威圧感。
間違いなく上位種だ。
アークヴァンパイア。
いや――
「ヴァンパイアロード……」
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