表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
革命横浜  作者: 神羅神楽
3/3

その3

 港の見える丘公園で降りて、花園に立ち入った。

「綺麗だね。ねえ、手を繋がない?」

「いいだろう」

 匠はぎゅっと皆子の手を握った。ネイルをしていない、深爪の、幼い、あの頃の生々しい手──。

 何かが掌の内側から広がる感じがした。はっとして手を離すと、バラの花弁が一枚、握らされていた。彼女は歯をにっと見せ、微笑んでみせた。

「このやろう」

 こともなげにそう呟き、彼女の手を引いて、薔薇園の中二人で歩き、静かに匠たちは愛し合った。

 近代文学館に行くと、休館日だった。月曜は休館とのことだ。匠は必要以上に嘆いて、しばらく右往左往した。

「どうすんの」

「まあ、元町歩くか」

 皆子の手を引いて、異人館をめぐることにした。空は病気みたいに晴れ渡っていた。

 

 元町公園の辺りは、お気に入りのスポット。異人館が集まっていて、異国情緒という言葉で一括りするのがもったいないほど、近代の外国に来た気分になる気がする。中華街にしてもそうだが、横浜は文化に恵まれている。

「たくちゃん、あれ」

 皆子が指さしたのは、エリスマン邸だった。看板に、「名物 生プリン」とある。喫茶店のようだ。元町に来た回数が少ないわけではないが、これは初めて見る。

「800円か。金持ってる?」

「うん。せっかくだし行こうよ」

 もう人殺しに怯えている表情ではない。匠も人を殺したことに怯えている表情ではない。入ってみることにした。


 醤油の匂いがきつい。古電話を見たとき、意味もわからず皆子は爆笑した。店内に入ると、鉄板でまだ垢ぬけたばかりの青年が鉄板で肉を焼いていた。必要以上の高級感に浮足立つ。

 ガラス張りの窓からは、散り終りそうな桜が見える。黙っていなければならないような感じだったが、桜は日常性をもたらし、匠をくつろがせた。

「いい雰囲気ね」

「ああ」

 生プリンを注文。

 皆子と向かいあって座る。

「ほんとに死んじゃ駄目だからね」

「もう死んでるよ」

 皆子は悲しい笑みを浮かべた。

「出所するまで待ってるから」

「そいつは悲しいね。きっと出所するころは冬だな」

「そしたらうちにおいで。鍋作ったげる」

 青々とした感傷に引きずられているとき、プリンが運ばれて来た。白い形の崩れたプリンと、カラメルソースと、ひよこのゴム製の人形が並べられてきた。

「どうやって食べるんですか」

 店員に聞くと、

「こちらのカラメルソースをお好みの量かけ、ひよこの人形を容器の上で押し潰しますと、生卵が出てくるので、あえて召し上がってください」

 ひよこを潰すと、本当に生卵が出て来た。

「なにこれ、面白い!」

 皆子ははしゃいだ。匠も、不意をつかれた笑い声をあげた。混ぜてスプーンを口に運ぶ。すごくどろどろしていて、生卵の味を判別するのが苦難した。

 匠は、日常を恨めしく思った。特に目の前にいる皆子を最も、恨めしく思った。スプーンが形状を変えて、ナイフに変形しようとしている。するとこのプリンが、血まみれになったかのようにさえ思える。ああ、罪人には石打ちが待っている。世界がもし覆ったのなら、きっとすべての愛はひしゃげる。そして過ちが市民権を得るだろう。世界などもう要らない。緑の壁によりかかって眠りたい。


 皆子を駅に連れていった。皆子は、雲ひとつない表情で、「もう大丈夫」と言った。

「今日はありがとう。私のほうが楽しんじゃったね」

「俺も楽しかったよ」

 皆子は口を真一文字にして、黙っていると、頭を俺の胸に押し付けた。

「……死んじゃ駄目だよ?」

 匠は腕を彼女の背に回そうとしたが、やめた。彼女の肩をつかみ、偽りに満ちた「ありがとう」を言った。彼女は去っていき、死についての深淵にそっと身をなげだそうとしていた。

 匠は、皆子と反対方向のプラットフォームへ向かう。

 そのとき、後ろで悲鳴があがった。振り返ると、刃物を持った男が次々と人を刺していた。

「皆子!」

 すんでのところで男は捕えられた。と同時に非常停止ボタンが鳴った。目の前には線路に身投げし、泣き崩れている皆子の丸い背中があった。

 これを乖離と呼ばずして何と呼ぼうか。温かい涙で眼球はこのときも潤っていた。匠は文庫本を、駅のゴミ箱に放り投げた。


 了


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ