オランダ王国 デン・ハーグ ノールドアインデ宮殿近くのホテル / 国営ラジオ放送アーカイブス / ドイツ国 ニュルンベルグ ルイトポルトハイン公園 国家社会主義ドイツ労働者党大会会場(1937年9月)
『アーリア人とやらがどこにいる?それは何時から存在した?そもそも存在するのか?空論か神話か、あるいは詐欺か。我々は答えを知っている。そんな人種は存在しないのだ。様々な運動と物珍しさ、そしてそこからもたらされる麻痺した知性。我らは繰り返そう。そんな人種は存在しないと。ただ一人、ヒトラーを除いては、だが』
B・ムッソリーニ(1883-1945)
*
『言葉は、未踏の領域への架け橋である』
アドルフ・ヒトラー(1889-1945)
異論はあるだろうが、そもそも公家とは皇室の藩屏として自らの血統を伝承しながら朝廷を守護してきた人々である。同時に彼らは伝統文化の継承者でもあった。家ごとに生業(和歌や製薬、楽器など)を持ち、それを生活の糧としながら武士の世を過ごしてきた。
摂家筆頭の近衛家にとってそれは雅楽である。
それも笙や鳳笙といった個々の楽器ではなく、雅楽全体を統括し、演奏を指揮することが近衛の生業である。その為、近衛家の子弟は幼少期から日本古来の音楽に親しむ環境が整えられていた。
明治以降の文明開化の流れの中で、近衛家の男子から西洋音楽に興味を持つ人間が出てくるのも、ごく自然なことだったのかもしれない。
近衛秀麿子爵は近衛文麿公爵の7歳離れた異母弟である。
母親が違うといっても文麿の母親と秀麿の母親は姉妹(加賀前田氏)なので、母親だけの血筋で言えば従兄弟になり、父親は同じなので異母兄弟になるという実に複雑な関係だ。
父親である近衛篤麿が政治活動に入れ込んだ挙句に急死した時、長兄の文麿は13歳であった。文麿少年は自分よりも幼い弟達を守らねばならないと決意し、その毅然とした態度が西園寺公望の目に留まった。財産や借財の整理に父親の政敵の手を借り、近衛公爵家の運営は何とか一息つくことが出来た。それこそ弟に雅楽の世界から離れ、西洋音楽の世界に進むことを許すほどに。
日本における西欧音楽の草分けである山田耕作に作曲を学んだ秀麿は、大戦後の欧州に渡欧。当時の欧州クラシックを牽引したエーリヒ・クライバー、マックス・フォン・シリングス、ゲオルク・シューマンら錚々たる面子に演奏指揮や編曲を学び、私財をはたいてマルク安から暴落した楽譜を買いあさった。
帰国後、秀麿は師である山田耕作と共に「日本交響楽協会」を設立。日本における常設オーケストラ楽団の確立にむけて尽力した。しかし山田と楽団運営をめぐって決裂。「新交響楽団」を結成するも、経営不振により団員削減を断行。「東京放送管弦楽団」と改称しながら楽団運営の傍ら、常設指揮者として奮闘していたが、今度は秀麿自身が内紛により追放された。これが昭和10年(1935年)のことである。
「どうだね?欧州で羽根を伸ばしてきたら」
旧知の広田弘毅元外相の紹介により、失意の底にあった秀麿は林銑十郎総理と面会する。この時、彼は『音楽使節』なる肩書きを得た。いわゆる親善大使や名誉大使のようなものの先駆けであろうか。
おりしも「音の魔術師」の異名を持つレオポルド・ストコフスキーに客演を依頼されていたこともあり、秀麿は訪米。ユージン・オーマンディやアルトゥーロ・トスカニーニらと会談し、いくつかの地方楽団で客演指揮をした。この時ワシントンで吉田茂駐米大使とも面会し、音楽談義に花を咲かせている。
名声を高めた近衛子爵は、昭和11年(1936年)末に再び渡欧。BBC交響楽団やドレスデン(ドイツ)、リガ(フィンランド)の歌劇場で立て続けに客演を行い、指揮者として高い評価を得た。
演奏旅行を続けていた昭和12年(1937年)9月。オランダのホテルに滞在中であった近衛の下に、秩父宮殿下付きの侍従武官である本間雅晴陸軍中将が突如として訪問した。この時殿下はイギリス国王戴冠式に出席された後、欧州各国を歴訪中であった。
「……は?公爵家?家督相続?何のお話です?」
直宮たる秩父宮殿下からの公爵家継承の祝辞を本間中将から伝えられた近衛秀麿は、呆気に取られるばかりであり、本間はそれをなだめるのに苦労をした。
ともかく近衛は秩父宮一行と共に、帰国の途につくことにした。報道を通じてしか伝わらない兄の近況にもどかしさを感じていたし、何より欧州では現状の把握が困難であった。
慌てて荷造りをしてイギリスへと再び向かう秩父宮一行を追いかけようとしていた近衛に、再び予期せぬ来客が訪れた。
『Der Herzog-ヒデマロ・コノエですね』
何故かその金髪碧眼の長身男性の顔を見た瞬間、秀麿は背筋に経験したことのない震えと冷や汗が流れた。
190センチはあろうかという長身から発せられる言葉は、さながら教科書通りの美しいドイツ語であある。だが音の世界に生きる近衛秀麿には、その涼やかな声の奥底に秘められたシベリアのツンドラがごとき冷酷さと酷薄さが手に取るように理解出来た。
……いや、違う。秀麿は自分自身の考え違いを即座に否定した。
この男はあえてそれを自分に見せつけようとしている。言葉や態度こそ賓客を招待するためのものだが、これは事実上の『命令』に他ならない。近衛は僅かな瞬間に自分が置かれた状況と、相手の意図するところを正確に理解した。
そしてそれはどうやら相手にも伝わったらしい。もっともそれは躾のよい犬の態度に満足する飼い主のような態度ではあったが。
青年は自分よりも年長の東洋人の対応と反応に満足げに頷くようにしてから、『命令』を続けた。
『わが親愛なる総統閣下が、来る9月にドイツのニュルンベルグで開催される国家社会主義ドイツ労働者党の第9回党大会に、貴殿を是非とも御招待したいと申しております。その際には是非、客演公演もお願いしたいと。いかがでしょうか?』
SS-Gruppenführer-聞きなれない階級は親衛隊中将とでも訳するべきか。
その肩書きだけを名乗ったラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒは、獅子が獲物を射程圏内に捕らえたかのような、獰猛な笑みを浮かべた。
*
-…この男が隠れた軸となり、それを中心にナチ体制がまわっていた。国家の発展は間接的に彼の強力な個性に導かれていた(略)……野心的な男だった。獰猛な狼の群れの中にいるようにいつも自分が一番のリーダーでなければ気が済まなかった。
何事においても一番でなければならず、そのための手段は問わなかった。騙し、裏切り、暴力を使うこともだ。その際、彼は自らの氷のように冷たい知性の助けを借りて、良心の咎めを感じることなどなく、それも極端に残酷なやり方で不正行為をしていた。
- ハイドリヒの部下であったヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク親衛隊少将の回顧録より -
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-…ラジオ中継でお送りしております。日本放(雑音)-、山本がお送りいたします。こちらドイツは現在時刻は午後の1時。ニュルンベルグは雲ひとつない青空であります。
あ、ヒトラー総統が入場しました。聞こえますでしょうか、この割れんばかりの大歓声を!来賓を含め、観客や党員は総立ちで拍手を送っております!涙を流している人もいます!!共和国を混沌と貧困から救出した英雄の入場であります!!!……なんだこれは気色の悪い、どうして俺がこんな仕事を…あぁ、相撲中継してぇなぁ。
照さん駄目だって、まだ切れてないって、あ!切ってないの?馬鹿、切れ!!
-…えー、大変失礼しました。現在、中継が混線しているようであります。変わりまして河西三省がニュルンベルグよりお送りいたします。
ヒトラー総統の演説が続いております。背後にはルドルフ・ヘス副総統、その隣にいるチビ……大変失礼いたしました。小柄な男性は、げ…げる?ゲッペルス?え?何?ゲッベル?(ゲッベルス!)…大変失礼いたしました。ゲッ『ベ』ルス宣伝大臣でしょうか。ブロンベルク国防相、フォン・フリッチュ陸軍総司令官、エーリッヒ・レーダー海軍総司令官、ヘルマン・ゲーリング空軍総司令官ら三軍の長の姿も見えます。眼鏡をかけたヒムラー親衛隊長官が、隣の大柄な男性と何かを話しております。
あ、演説が終わりました。大きな拍手です。入場時と同じ総立ちでの、会場が割れんばかりの大喝采です。しかし近衛秀麿公爵は座ったままです。あ、明らかに嫌そうな顔をしております!これはいけません、いけませんね!(ええぞ、ええぞ!)照さん、だから声入ってるって!
-…失礼いたしました。近衛秀麿公爵が立ち上がりました。ヒトラー総統と固い握手を交わしております。
あ、演奏が始まるようですね。楽団はバイロイト祝祭管弦楽団。毎年8月に行われるバイロイト音楽祭のみ結成される臨時楽団ではありますが、今回は特別に党大会での演奏に臨みます。
演目は当然、ドイツが生んだロマン派歌劇の『楽劇王』-その名声の衰えが来る日はあるのでしょうか。偉大という形容詞はこの人のためにあるといっても過言ではありません。リヒャルト・ワーグナーであります。むしろこれしか考えられません。
それではお聞きください。リヒャルト・ワーグナー作曲。楽劇『ニーベルングの指環』の第3日目-
『神々の黄昏』(Götterdämmerung)
ねぇ、照さん、来場所も双葉山の連勝記録は続くかね。1月場所からは西の横綱だ。勝つに決まってるさ。大体他の力士に有望なのが…『貴様らぁ!音が入っているといってるだろうが!黙れ、黙らんか!!』ちょ、プロデューサー!貴方の声が一番大きいって(ブッ
(演奏が続く)
- 国営放送ラジオ・アーカイブスより -
*
「お疲れ様でした公爵」
「まだ正式には子爵だよ、大使」
駐ドイツ大使の東郷茂徳大使から労いの言葉をかけられた近衛秀麿は、ソファーに仰向けに寝そべったまま素っ気無く応じた。4時間半にも及ぶ特別指揮により精根尽き果てたというのに、ドイツの政権要人との晩餐会に3時間もつき合わされたのだ。
親衛隊に囲まれながらワグナリアンで著名なヒトラー総統の音楽論を延々と聞かされ続けて、疲れないはずがない。確かに音楽論としては面白い点もあったが、近衛からすれば「今あえてその話をしなくてもよいではないか」というレベルを決して超えないものと言わざるを得ないものばかりであった。ドイツ側の政府要人はこれ幸いと近衛に総統の相手を押し付けて、互いに話に花を咲かせる始末。
思考がよくない向きに傾きかけているのを自覚した近衛は、東郷大使に構わず目を瞑ろうとしたが、疲労と緊張のあまり逆に目が覚めてしまう。また実際に気分が高揚してもいた。
ハイドリヒなるいけ好かない男に、護衛だか監視だかわからなくなるほど常時密着されるのには辟易したが、それでもバイロイト音楽祭の時にしか結成されない幻の楽団を指揮出来たというのは、指揮者冥利に尽きる等々……
「はぁ、そんなものですかな」
炭酸水を酒の代わりに飲み交わしながら突如として始まった近衛の熱弁に、東郷はそっけなく応じる。
一時期はドイツ文学者として生計を立てることを志していた文学少年だった東郷には、ワーグナーはいささか専門外。ワーグナーは素晴らしい音楽家だとは思うが、焚書坑儒まがいの事を行う『ナチス』の蛮行の根底に通じているかもしれない総統個人の音楽観に関してだけ言えば、それこそ知ったことではない。
そのようなことを目の前の大使が考えているとは想像もしていない近衛秀麿は、いささかその対応に鼻白みながら問う。
「本来、秩父宮殿下を招待されるつもりだったようですね」
聞き捨てならない単語に、東郷大使は「公爵」と低い声で尋ねる。
「どなたからそれをお聞きになられましたか」
「だからまだ私は、まぁいいか」
指揮者としての近衛秀麿の鋭く激しい感性は働かなかったらしい。一瞬嫌な顔をしただけで、さほど深刻にとらえなかったものか簡単に種明かしをする。
「どなたも何も総統閣下が教えてくれたよ。次は是非お会いしたいと伝えてほしいと、そう言っていたな。直宮様と比べることは不敬かもしれぬが、お前は代理だと面と向かっていわれるのは、少なくとも気持ちのよいものではない」
『確かに不敬ですな。わが総統閣下のお言葉を他人に漏らすとは』
だしぬけに発せられた美声-ここ数日、あまりにも聞きなれたその声に、近衛は冷水のふろに足を突っ込んだかのように肩をすくめ、東郷は胸の前でクロスを切らんばかりに顔を顰めた。
「困ります」と大使館の職員とドイツ側の警護責任者が言い争う声が聞こえるが、東郷の予想が正しければ、その人物が無理に押し入ったのだろう。そして東郷が振り返ると、やはり想像通りの男が冷笑を浮かべながら佇んでいた。
『ハイドリヒ中将。いきなり背後に立つとは、失礼ではありませんかな』
『海外からの賓客と、東洋最古の帝国から来た大使を労うと思いましてね』
ラインハルト・ハイドリヒは33歳。長身は日頃の鍛錬により一部の隙なく引き締まっており、柔らの達人の如きだ。しかし嘉納治五郎先生のような品格はまるで見られない。鍛え上げられた品格のない肉体が親衛隊の制服-ドイツ国防軍のそれによく似ているが、それでいて確実に違いを強調する仕立てのそれを身に纏うと、その風貌も相まってなんともいえない威圧感を醸し出している。
比較的若い幹部が多いとされる現在のドイツ国の政権与党の中でも異色の出世を遂げたことや、政敵への苛烈さでも知られる人物である。現政権が日頃から主張しているアーリア人にふさわしい金髪碧眼の持ち主であり、総統閣下の覚えもめでたいと聞く。
塑像のような冷たさを感じさせる笑み、その瞳には深い知性と残虐さが奇妙に同居しており、東郷はこの眼が大嫌いであった。
ハイドリヒは勝手に椅子を3つ持ち出して車座の形にすると、近衛と東郷に断りもなくそのひとつに腰掛ける。近衛は不承不承、東郷は仕方なくといった具合にその椅子に腰掛けた。
『わが総統閣下の音楽論はつまらなかったですかな?』
『え、ああ、その……』
『ハイドリヒ中将、盗み聞きとは品がよくありませんな』
枕かベットか、それとも壁の中か。まったく油断も隙もない。東郷の指摘にハイドリッヒは平然と『聞こえたもので』と肯定して見せた。
『実を申しますと、私の両親は共に音楽家でしてね』
『ほう、それはそれは。ではなぜ教えてくださらなかったのです?』
『……?何ゆえ自分の弱みを好き好んで他人に見せる必要があるのです?』
近衛の純粋な音楽家としての関心から発せられた問いに、きわめて歪ではあるがこちらも純粋なる疑問が返される。
これが腹芸ならたいしたものだが、素でやってしまうのが『ナチス』であり、この慇懃無礼な若者なのだと東郷は辟易とした。何せ自分の妻(東郷の妻はドイツ人)に『何ゆえ人種的に劣る東洋人と結婚したのか。貴方がユダヤ系だからか』と平然と聞いた男である。
そのような人物と同じ部屋の空気を吸うことすら汚らわしいが、それはおそらく目の前の男も同様であろう。そうした感情を慇懃な態度の底に隠して、ハイドリヒは言う。
『父のリヒャルトは楽劇歌手としてハレにある音楽院の創設者に名を連ねています。母方の祖父はそれなりに名の通った音楽研究者でした。私は生憎、音楽的な才能にこそ恵まれませんでしたが、何かと縁を感じることが多いのです。例えば私の名前のラインハルト、これは父が作曲したオペラの「アーメン」(Amen)の主人公の名前から付けたものなのですよ』
『失礼ながら、ではトリスタンとは』
『公爵のご想像通り。リヒャルト・ワーグナーの傑作楽劇「トリスタンとイゾルデ」の主人公の名前からですよ。オイゲンはドレスデンの宮中顧問官であった祖父の名前からだそうですが』
そう語りつつ肩をすくめるハイドリヒは、ただそれだけを見ればどこにでもいそうなドイツ人青年に見える。しかし実際には長いナイフの夜事件(1934年)を始め、ナチスが政権を獲得してから次々と起こした非合法のテロ事件の実行犯であり、また嬉々としてその先頭に立って自ら手を汚し、あるいは策謀に関わった人物であることを、東郷はドイツ大使として見てきた。
そしてドイツ国内の少数派にナチス政権が何をしようとしているのか、妻がユダヤ系ドイツ人である東郷には確証こそないものの、うすうす感づいていた。もっともそれは仮に他人に説明しようと思えば、むしろこちらの正気を疑われる類のものなので口にはしなかったが。
そうした経緯もあり、ドイツの現政権と東郷大使との関係は極めて冷め切っている。フォン・ノイラート外相も頑固な大使には手を焼き、ついには東郷を無視し、侍従武官で親ドイツ派で知られた陸軍中将の大島浩男爵と直接接触する始末。
東郷は当然ながらこれに激怒。ドイツ大使館内で東郷派と大島派に分かれた勢力争いが始まった。おりしも粛軍人事の余波を受けて大島が予備役編入になることで決着がついたが、これは東郷大使が本省に働きかけたものだと、日本国内の親ドイツ派の顰蹙を買った。
しかし実際には外相兼任である林銑十郎総理の強い意向による人事であることを、東郷は直接伝えられていた。そのため内外からの批判や不満を無視して、東郷はそれまで通りのスタイルを貫いている。
『わが総統閣下は日本との関係を重視しています。今回の近衛公爵の来賓招待を契機とし、是非とも文化面でも経済面でも、そして政治の面でも独日関係の進展を図りたいとお考えです』
自分に対する当てこすりかと見極めるような視線をした東郷であったが、直ぐに辞めた。この若者がこれまでの経緯を知らないはずがない。何より外交官として安売りをするつもりは毛頭なかった。
『ハイドリヒ殿。私の役職をご存知でしょう』
『駐ドイツ特命全権大使ですね』
『その通り。私の言葉は、すなわち日本の国家としての意思を代弁する言葉であります』
東郷はそう言うと、ハイドリヒに対抗するかのように傲然と胸を張った。
『然るに貴殿は何なのです?そもそも親衛隊の貴殿が、如何なる資格で一国を代表する私と話そうというのです?』
無意味に権限と役職を振りかざすのは東郷の好みではないが、話の通用しないドイツ人には形式論と法律論で門前払いを食らわせるに限ると判断した。
ところが今回ばかりは相手が悪かった。
にたりと笑みを浮かべたハイドリヒは『簡単なことです』と、東郷の予想に反して即座に応じて見せた。
『ドイツとはすなわち総統閣下、ドイツの意思とはアドルフ・ヒトラーの考えであります。私は親衛隊を代表し、総統閣下より直接命じられてここに来ました』
『なっ……』
近代国際法と外交慣例をすべからく無視し、あえてそれを力の象徴として誇示するかのように語る若者に、さすがの東郷も返す言葉が見つからない。ノイラート外相を始めドイツ外務省の幹部を翻弄し続けている大使を相手にやりこめたことに満足したのか、ハイドリヒは短く奇妙な笑い声を上げた。
『国防軍の無能な連中は、南京の国民政府軍との関係を重視しておりました。外務省も同様です。無能な人間にもいくつかの種類がありますが、彼らは前例をただ守ることだけが自分の仕事と勘違いしている手合いですね』
『……』
東郷は無言でハイドリヒを睨み返す。だが同時に外交官としての算盤を弾くことも忘れない。
短期ならばともかくドイツが長期的に対ロシア戦略を考えるなら、極東の覇者たる日本をカードとして保有しておくことは、決してドイツの利益に反しない。日露戦争はロシア(ソ連)からすれば歴史的なトラウマだ。
ジョージ6世の戴冠式に伴い訪欧した秩父宮殿下の、ナチス党大会への招待もその一環であると日本側は判断している。だがこれは「政党の大会に皇族が出席する前例になりかねない」と林総理が消極的であり、また第2次上海事変における『事件』やゾルゲ事件により日本国内に反独世論が沸騰したことで立ち消えとなった。
同時に対ソ連に対してドイツカードを使いたいのは、日本側にも共通している。少なくとも東郷としては、そのための秩父宮殿下の名代としての『音楽大使』の派遣であり、これに対する暗黙の返答としてのドイツ側の厚遇であると判断している。
『大使、無言は肯定と受け入れますよ。私を交渉の相手として認めたとね』
『ふん。その口振りでは、どうせ私が何を言おうとも勝手に居座るつもりなのだろう』
『おや、嫌われたものですね……』
くっくと喉の奥を鳴らすように笑うと、ハイドリヒは東郷の先手を打ってカードを切った。
『ファルケンハウゼン中将も捕虜になるとは情けない。どうせなら機密書類を焼き捨ててから自殺でもすればよかったものを。生きて総統閣下の足を引っ張るとはね』
『……貴殿!幾らなんでも言葉が過ぎるのではないか!』
その態度と発言内容が癇に障った東郷が、近衛公爵が所在なさげに視線をさまよわせるのを尻目に怒号を上げた。
『如何に貴殿が総統閣下の覚えが目出度いとはいえ、国家の命を受けて異国の地で奮戦し、その結果で捕虜となった軍人を愚弄する権利は、貴殿にはないはずだ!』
しかし相変わらずハイドリヒは傲岸不遜な態度を崩そうともしない。
『かつての腐敗したワイマールならともかく、今の政府では結果が全て。故にわれら幹部には、いかなる手段(Allen Mitteln)を使ってでも、崇高なる目的を達成するための権限が与えられているのです。如何に中国人と日本人が人種に劣っているとはいえ、勝てなかったのは中将と配下の顧問団が無能であったからです。何一つ同情の余地はありません』
面と向かって劣った人種と名指しされたことは、さすがの東郷も経験がなかった。
本来であればすぐさま席を立ち、呆然としている公爵様を引き連れてベルリンの大使館に戻り、ドイツ外務省に抗議をするべきなのだろう。
しかしハイドリヒの言葉には、むき出しの人種差別意識以外にも無視出来ない要素が確かに含まれていた。
本国からの外交郵便による報告によれば、ドイツ国防軍と国民政府との関係はワイマール共和国時代からのものであり、相当長期間に及んでいたという。顧問団と共に押収された書類が事実だとすれば、言い逃れなど不可能だ。ではこの男は何を言わんとしているのか。
故に東郷は内心の煮えたぎる怒りと激情を押し殺して、この若者に確認した。
『つまり貴国は、今後は南京の国民政府との軍事的協力関係を絶つと。そう考えてもよろしいのですな?』
『フォン・ブロンベルク元帥は総統閣下に忠実ですが、いささか古いタイプの軍人です。陸軍のフォン・フリッチュもね。ユンカーという古びた血筋にとらわれているからでしょうか』
東郷は表面上は険しい態度と表情を変えなかったが、脳内では得た情報を勘案した上で、ハイドリヒの示唆した件に自分の答えうる範囲内においてどのように解答するべきか、考えをめぐらせ続けていた。
現在のヒトラー政権内部で、外交政策を巡る対立があることはわかっている。対イギリス、対フランス、対ロシア……そして日本と支那の政権。国防軍や参謀本部、外務省に政権与党内の権力闘争も絡み、東郷ですらその全貌は把握出来てはいない複雑怪奇なものだ。
つまりこのどうしようもない嫌悪感を漂わせた男は、こう伝えたいのではないか?
『現在の国防軍首脳に敗戦の責任を取らせるというわけですね』
『身内の恥をさらすようですが、今の大臣は他にも政治スキャンダルを抱えていましてね。よい頃合なのです。そう、何も難しく考える必要などないのですよ。海軍や海軍同様、陸軍も総統閣下により忠実な組織として生まれ変わるのだけなのですから。その為には必要な犠牲と私は考えます』
『……それが貴国の、総統閣下の御意思だとおっしゃるわけですな』
本国政府の意向を勘案しながら、言葉を選んで慎重に訊ねる東郷とは対照的に、暗に総統官邸からの指示と意向があることをほのめかせるハイドリヒの解答は、一切の迷いがなく明快なものであった。
『いかにも。独日関係改善の人身御供となって頂きましょう。トラウトマン駐華大使の声明は無視していただいて結構。アメリカの大統領がせっかくやる気になろうというのです。こちらは大使の独断ということで処理いたします』
『……独り言を申し上げますが』
その言葉にハイドリヒが意外そうに眉を顰める。貴国とは違い、政敵を非合法手段で粛正出来る国ではないのだと嫌味をぶつけてやりたい気持ちをこらえつつ、東郷は言葉を選びながら続けた。
『南京政府との関係を清算され、チャイナにおけるテロとの戦いに貴国が参加される、もしくは日本の姿勢を支持されるというのなら、わが日本としてもそれは喜ばしいことであります……それと、駐日大使がいつまでも臨時代理というのは、好ましくはない』
『外務省もいささかの「掃除」が必要でしてね。それが終わり次第……おっと、これも独り言でしたね』
*
『……』
先ほどから近衛は沈黙を守り続けていたが、それは目の前で繰り広げられている内容について、ほとんど頭の理解が追いついていかないからである。
そもそも彼自身はただの音楽家であり指揮者なのだ。しかし目の前の2人が国家の命運を掛けて、言の葉による真剣勝負を繰り広げていることだけは理解出来た。不謹慎ながらも、近衛にはそれが何やらオペラの舞台のように見えていた。
ラグナロク(神々の黄昏)とは、元々は北欧神話の終末の日を意味した言葉である。それを自らの長編楽劇の最後のサブタイトルとしたのがワーグナーだ。
ライン川の奥底で乙女が守護していた黄金。その黄金から作られた指輪は持ち主に無限の富と権力を与え続けるとされ、それを巡って神から人まで入り乱れた壮大な物語が展開される-それが『ニーベルングの指環』の主なあらすじである。
ラインの黄金から指環を作るには、ただひとつの条件がある。それは愛を断念した者であること。
世界を征服したいのなら愛を諦めろ-東郷大使はおしどり夫婦として知られており、ここ数日同席していたハイドリヒが唯一人間らしい表情を浮かべたのは、自らの妻について触れた時であった。
近衛は知らず、自らの手の平をじっと見つめていた。
祝祭管弦楽団を指揮する前に握手したヒトラーの掌は柔らかく温かいものであった。ワーグナーについて拙いながらもその情熱を語り続けていたあの男は、愛を知っているのだろうか。それとも愛を諦めたのだろうか?
「……近衛公?」
日本語の呼びかけに、近衛は慌てて顔を上げた。視線の先では険しい表情ながらも怪訝な顔をした東郷大使。どうやら先ほどから呼びかけられていたのに気がついていなかったらしい。ハイドリヒはそれを見ると『ではこれで』と述べ、椅子から立ち上がった。
『ハイドリヒ中将、まだ先ほどの私の問いにお答えいただいておりませんぞ』
『……しつこいですな貴方も。そもそも仮にそれが事実だとしても、それは純粋なるわが国の内政問題ではありませんかな』
『その通り。内政問題です。やましいことがないのなら堂々とおっしゃればよろしい』
自分が手のひらの感触を思い返していた間にも、言葉による剣の舞が続いていたらしい。
ドイツの民族政策に関する噂を重ねて確認しようとする東郷を、ハイドリヒは形式論で突き放そうとしていた。それは先ほどまでの2人のやり取りとは対照的であることなど、近衛にはわかるはずもない。
ただハイドリヒが根負けしたというよりも、若者らしい傲慢さをひけらかす様にひとつのフレーズを呟いたのが印象的であった。
『Arbeit macht frei』
近衛のみならず、東郷もそろって首を傾げた。それはワイマール連合と呼ばれた連立政権時代の、失業対策の政府のスローガンであったはずだが。そして近衛がその言葉の由来となった19世紀のドイツの著述家の名前を指摘する。
『ロレンツ・ディーフェンバッハですか?』
『さすがは公爵。博識であられる。今回の党大会のスローガンは「労働」。わが党は労働者の党ですからね。かの腐敗したワイマールも、よい言葉を残してくれたものです』
そこでいったん言葉を止めると、ハイドリヒは芝居っ気たっぷりに肩をすくめ、近衛秀麿と東郷茂徳という2人の観客を前に、先の言葉をもう一度繰り返した。
『Arbeit macht frei(働けば自由になる)建築屋に同意するのは癪ですが、よい言葉だとは思いませんか?』
その意味するところは何なのかと一瞬沈黙した東郷を置いて、ハイドリヒはこちらに背を向けると軽やかな足取りで退出する。
少なくとも近衛には、その後ろ姿からは一点の曇りや迷いも見つけることが出来なかった。僅かな期間ながらも濃密な付き合いをした近衛にとって、ハイドリヒはまるで神話の世界の登場人物のような現実味のない若者であった。
再び近衛の脳裏に『ニーベルングの指輪』の最後が頭を掠める。
神々と英雄は去り、神代は終わりを告げる。かつて女神たちが預言した通りに。
全ての終局か、それとも終わりの始まりなのか。神々の時代の後には人の時代がくるのか。
解釈によってはどのような演出も可能かもしれない。
ただ……
「叶うならば神々や英雄として生き続けるよりも、ただ一人のつまらない人間として死にたいものですな」
「……?それはどういう」
今度は東郷大使の視線が自分に向けられる。
「何、深い意味などありません。ですがこれは私なりの意趣返しであり、決意宣言ですね。この国の政府へのね」
静かな決意を秘めた顔でそう独語した近衛を、東郷大使がいぶかしげに見返していた。
・みんな大好き金髪の野獣ことラインハルトお兄さん(白目
・というか弟さんのハインツさんのほうが人間的矛盾と葛藤が感じられて好き。ラインハルトお兄さんは完成されたキ○ガイだし。ちょび髭おじさんのような挫折のエピソードとかあんまりないからか?プロイセン州首相時代のゲーリングと権限争いしたぐらいか
・N○K『ラジオ中継での失敗はよくあることです(棒読み)』え?確信犯だろって?まさか!はっはっ!
・双葉山定次40連勝中(なお1月場所と5月場所の年2回の時代です)
・ちょび髭おじさんとの優雅な音楽談義。うらやましいだろ?(なお本国では反ドイツ感情が吹き荒れている模様。売国奴レッテルはられなきゃいいね♪)
・兄の苦労は弟の苦労だ。諦めろ秀麿。
・東郷茂徳「俺の後ろに立つんじゃない」
・昭和天皇が激怒した大島退場。野党政治家としてなら出番あるかもしれない。
・東郷に外交官としてではなく政治家としての勇気があれば対米開戦は…でもその場合は下手すりゃ内戦開始という素敵な状況。無茶言うな?御尤もです。はい。
・平沼「だから言ったろ?複雑怪奇だって」
・あれ?主人公誰だったけ?