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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
57/59

ブリュッセル国際会議に関するNYT社説 / 東京日日新聞(政治面)政友会関連記事 / 東京市豊島区目白町 徳川義親侯爵邸(1938年12月中旬)

『嘘には三つの種類がある、嘘と大嘘、それに統計学だ』


ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(1804-1881)


- 【社説】サウスチャイナはいつから西太平洋になったのか? -


 揚子江を中心とした華南地方サウスチャイナは、アメリカ資本との関係も深いチャイナ経済の中心部である。重慶チョンチャン市、武昌ウーチャン市、漢口ハンコウ特別市、首都ナンキン、そしてシャンハイ。全体的には貧しいながらも、合衆国の人口を優に越える2億とも3億人とも称される巨大な労働市場と生産工場からもたらされる経済的な利益は、大河を流れる水のごとく絶えたことがない。


 ではこのサウスチャイナは、西太平洋地域に含まれるだろうか?


 世界地図を引っ張り出すまでもなく、答えはノーだ。チャイナはユーラシア大陸の東で海洋に面する「国家」であり、西太平洋からは遠く離れている。マニラ-シャンハイ間の約1150マイル(約1850km)は、合衆国を南北に縦断する距離にほぼ等しい。


 ところが先頃閉幕したブリュッセル国際会議におけるアメリカ政府代表団の発言を分析すると、現在のホワイトハウスとコーデル・ハル国務長官、およびヘンリー・モーゲンソウ財務長官の考えは違うようだ。彼らは西太平洋における日本海軍のように、サウスチャイナにおける日本陸軍の優先的な地位を認める取引ディールをブリュッセルで行った。


 1921年11月から翌年3月にかけて、首都ワシントンDCでアメリカが建国以来初めて主催する国際会議が開かれた。この会議において「日常への回帰」をスローガンとして政権に返り咲いた当時の共和党政権が、一体何を目指したのかを振り返ってみよう。


 会議に参加したのは主催国アメリカを筆頭に、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、そして日本とチャイナだった。オランダを除けば、全て先の世界大戦において協商陣営として参戦した国々だ。この9カ国により、世界大戦後の太平洋と大西洋における新たな国際秩序が闊達に討議された。


 ワシントン会議における表の争点がチャイナだとすれば、裏の争点となったのが日本である。つまり太平洋と極東における日本の台頭に対する向き合い方が焦点であった。英日同盟による大西洋と太平洋からのサンドイッチ論に対する警戒感は依然としてワシントンでは根強く、また日本が大戦中に極東における軍事的優位性をチャイナ市場の独占支配に繋げようと抜け駆けを試みたことも記憶に新しかった(それも私達が欧州で夥しい血を流している間に!)。


 米日は3か月にも及ぶ激しい交渉の末に、大西洋の勢力圏を互いに承認した。すなわち西太平洋地域における日本の支配権に対して、ハワイを中心とした東太平洋におけるアメリカの勢力圏を認める。その例外として西太平洋のフィリピンとグアム、大陸における満洲の「特別な権利」の存在を双方が承認、あるいは黙認するというものだ。


 このうち後者に関しては、見解の相違が今もなお両国間に横たわっている。1932年の「満洲帝国」の建国は、チャイナに関する九カ国条約違反-通商の機会均等を定めた門戸開放政策と領土保全の条項に反しているというわけだ。現在のルーズヴェルト民主党政権も前政権からの方針を基本的に踏襲してきたし、アメリカ以外のイギリスを筆頭とする欧州各国もこれに従った。


 そして今回、日本は9カ国条約に基づいてブリュッセル国際会議を呼び掛けた。内戦状態に突入した大陸情勢と、シャンハイ郊外の難民問題を話し合うため各国がこれに応じたという恰好ではあるが、日本はこの会議を1931年以来の満洲における軍事行動の集大成と位置付けていたようだ。そして会議には旧協商陣営とは距離を置きつつあるイタリアも含め、当事者であるチャイナを除いた8カ国が出席した(代わりにシャンハイ市参事会の代表団が加わった)。


 注目すべきは1921年のワシントン会議における表と裏が、1938年のブリュッセルでは入れ替わっているという点だろう。表面上は日本が建国した満洲を認めるか否かが注目されたが、実際にはチャイナをどうするか-如何にサウスチャイナ(華南)での治安を維持するかが最大の焦点であった。


 結論から言えば、日本は揚子江沿岸部の治安維持活動と引き換えに、満洲帝国の承認を各国政府から引き出すことに成功した。世界の金融取引で大きな影響力を維持しているポンド経済圏の指導国であるイギリスが11月には正式に満洲帝国と国交正常化していたこともあり、歴史的なイギリスとの同盟国でありマカオを有するポルトガルはもとより、欧州各国は雪崩を打って承認へと向かった。ホワイトハウスもおそらく近日中に満洲帝国との国交樹立を宣言すると見られている。


 前述の通り満洲帝国における経済特権と引き換えに、日本陸軍は大陸沿岸部の治安維持活動という重責を担う。シャンハイ市参事会がブリュッセル国際会議に出席した9カ国条約加盟国に対して「治安維持活動軍の編成と派遣」を要請したことを受け、サウスチャイナ駐留多国籍軍監視団の結成が決まった。監視団の主力となるのは日本陸軍のシャンハイ派遣軍と、シャン陸の異名で名高い日本海軍の陸戦部隊、そしてイギリスのチャイナ方面艦隊である。


 監視団のトップである初代「団長」には日本陸軍のジョータロー・ワタナベが選出された。司令部はシャンハイのメトロポールホテルに置かれ、サウスチャイナの揚子江流域を中心に、ホンコン(イギリス)、マカオ(ポルトガル)、ニンポー、アモイなど主要港湾都市における不測の事態(例えば長沙大火や大規模な労働争議など)、およびシャンハイ市郊外の膨大な難民対応に従事することになる。


 国務省関係者は「シャンハイの多国籍軍監視団司令部は、1900年のチャイナ救援遠征軍による多国籍軍の反省を生かしている」と語った。だが発表された合意文書を検討する限りでは、即応可能な体制であるとは思えない。サウスチャイナにおける日本軍の優先的な地位を認めたとはいえ、アメリカ軍は建国以来、ただの一度たりとも他国に命令指揮系統を委ねたことはなかった。欧州各国も横並びでアメリカ政府と同様の立場をとったため、多国籍軍の「団長」であるジェネラル・ワタナベの権限は非常に制約されたものとなっている。司令部の連絡員は事実上の監視役であろう。これでは朝に非常事態が発生したとしても、出動する頃には日が暮れてしまう。


 ブリュッセル国際会議ではこの他にも、今後2年の間にシャンハイ郊外の難民救援活動のための総額10万ドル規模の財政支援を行うことが決定された(各国の政府出資と民間基金を合わせた金額)。難民救援活動に対する財政支援は、日本政府代表団が強く求めていたものだ。そして日本軍が単独で作戦行動を実施する場合は、当然ながら財政支援の金額とタイミングに影響するだろう。ブリュッセルの日本政府関係者は「我らは欧米資本の猟犬ではない」と憤慨したとされるが、これではそう言われてもやむをえまい。


 今回ルーズヴェルト政権は、恐らく満洲帝国やペキンなどノースチャイナと引き換えに、サウスチャイナにおける守護者ガーディアンを手に入れた。これはチャイナ全土の領土保全と門戸開放を求めるとする1899年のジョン・ヘイ国務長官の各国政府に対する通牒と比べると、明らかな後退である。連邦議会の多数を占める共和党は「ワシントン会議の否定であり9カ国条約の形骸化だ」(ヴァンデンバーグ上院議員)「自らの外交の失敗を国益の妥協で糊塗した」(フーヴァー元大統領)としてホワイトハウスに対する批判を強めている。先月のトウキョウ・ヒビヤにおける日本警察の暴力的な取り締まり行為も懸念材料だ。日本のヨシダ大使は「軍と警察は組織が異なる」として影響を否定したが、あの調子で難民取り締まりをされては全てが台無しだ。


 建国の父であるベンジャミン・フランクリンは「小さなことを見落とすな。小さな穴であっても、大きな船は沈んでいく」と警告した。このディールが取り返しのつかない小さな穴になるのか、それともチャイナに平穏をもたらす第一歩になるのかは、まだわからない。


 ただ明らかなのは、もはや1920年大統領選挙で共和党が主張していたような「日常への回帰」はありえないということだ。


 来年の一般教書演説において、大統領がどのように発言するのか注目される。


- 『The New York Times』(12月10日)社説 -



- 満蒙移民推進国民運動の設立総会が開催さる -


 国会召集が26日に迫る中、内閣と与党には新たな頭痛の種となるのだろうか?


 9日に東京丸ノ内会館において「満蒙移民推進国民運動」の設立総会が挙行された。初代会長には産業組合中央金庫の石黒忠篤(元農林次官)、事務局長に有馬頼寧伯爵が選出。石黒氏は言わずと知れた農林省のドンであり、有馬伯爵は東京帝大農学部出身として農商務省(当時)において全日農(全日本農民組合連合会)の立ち上げにかかわった貴族院有数の農政通である。両者は近衛元公爵と政治的に近く、現在の林内閣の農村政策に批判的なスタンスであることから-…


 (中略)……という具合に、産業界や官界の理事は、対独同志会と顔ぶれが一致している。前朝鮮軍司令官の小磯國昭氏は、どこにでも顔を出す人物であるが、誰の名代でも務まるというのが小磯氏という人物の面白いところである。今回は平沼枢密院議長の名代だろうか?それとも南次郎朝鮮総督の?


 衆議院出身の理事には、既成政党と革新政党の垣根を超え、満蒙移民推進派の議員がその名を連ねた。同日発足した満蒙移民推進議員連盟には、衆議院議員466名のうち予想をはるかに上回る250名が参加を表明。議員連盟会長には政友会岩手県連会長である田子一民が就任する運びとなった。政友本党出身の田子氏は、現在は林内閣の内閣参議である高橋是清元総理と小選挙区で争った経験もある因縁の間柄だ。


 民政党は党執行部が出席を控えるように所属議員に通達したため、大物は小泉又次郎前幹事長の出席に留まった。満蒙移民推進論者で知られる永井柳太郎文相、担当閣僚である桜内幸雄農相と小川郷太郎拓務相も代理出席に留めた。


 対照的に、直接参加が目立ったのは政友会である。特に北海道と東北6県からは、政友会代議士29名のうち21名が参加するという盛況ぶりを見せつけた。政友会は伝統的に農村部の余剰人口問題解決策としての移民政策に積極的であり、先の総選挙では満洲農民移住計画を看板政策として採用していたことから、現在の農林省と拓務省が進める移民計画縮小に対する反発が根い。南条徳男代議士(北海道4区)は「拓務省の初期計画である20年での100万戸移住目標に戻すべきだ」と鼻息が荒い。


 また政友会から参加した議員は、元久原派を除けば中島知久平元鉄道大臣に近い議員が多いことも特徴である。中島派は総裁候補であった中島氏の発言力低下が叫ばれている。あるいは元幹事長の久原房之介としては、復権の足掛かりとして中島派を一本釣りする狙いがあるのかもしれない。


 衆議院の任期満了まで1年と迫る中、参加した議員の一人は「これは倒閣運動だ」と語り、次期通常会で林内閣を追い詰めると意気込んでいる。ワシントン講和条約の議会承認や国民健康保険法、ドイツ政府による近衛公爵拘束問題など懸案が山積する林内閣にとっては、新たな懸念材料になることは間違いない。


- 三土内相が辞任の意向 -


 10日に突如発表された中島知久平(前鉄道大臣)の政界引退表明は政界に大きな衝撃を与えたが、それを上回る激震が政友会を走った。11日に開かれた政友会臨時党役員会議において、三土忠造総裁は「日比谷事件に対する閣僚としての責任をとるため」として辞表を役員会に提出した。砂田重政幹事長や山崎(達之介)政調会長ら党執行部は強く慰留したが、三土総裁の辞意は固く、やむなく幹事長預かりという形になった。


 関係者によれば、三土内相はこれに先立ち総理官邸に辞意を伝えていた。林総理、および阿部長官の公式な反応はまだ出ていないが、来年度予算審議直前での重要閣僚の辞任は政権に対する打撃となりかねず、三土氏を慰留した模様である。


 役員会議後、三土氏は記者団の取材に応じた。三土氏は後任が決まるまでは大臣を続けることを明らかにした上で「東京五輪の準備が本格化する中、東京府と東京市の対立が続くことは望ましくない」として、日比谷事件の責任問題で小林一太東京市長との対立が続く大達茂雄東京府知事の更迭を示唆した。記者団から、民政党出身の小林市長の責任について問われた三土内相は「私が発言すると問題が複雑化する」としてコメントを拒否した。


- 小橋東京市長「東京市は内務省の植民地でも政友会の私物でもない」 -


 小橋一太東京市長は三土内相の辞任表明について「勝手にすればよろしい」と突き放した。東京市会での政友会市議に対する答弁。小橋市長は「東京市長は東京市議会が選出するものであり内務大臣の選任ではない」として、三土発言は政友会の地方自治に対する無理解を体現したものであるとして痛烈に批判した。


 一連の小橋市長の答弁に対して、政友会と社会大衆党の両会派は反発を強めており、辞職勧告決議の提出の検討に入った。民政党はこれを阻止する構えを見せており-…


- 空中分解の旧中島派。軍師前田もお手上げ状態か -


 前回の昭和11年(1936年)2月総選挙で大敗を喫した政友会は、落選した鈴木喜三郎前総裁の後任を1年近く決定出来ない醜態をさらした。その原因は偏に鈴木総裁を支持する鳩山一郎を中心とする主流派と、反鈴木で反鳩山の非主流派の対立構造にあった。


 前者は鈴木総裁の義弟である鳩山一郎氏を後継総裁に推し、後者は非主流派統一候補として中島知久平氏を支持していた。これを便宜上、鳩山派と中島派と呼称する。前者は政策的には民間主導の自由主義経済を支持し、後者は国家主導の統制経済を支持する傾向が強かった。


 昭和12年(1937年)5月。高橋是清元総理の系列に属する中間派の三土総裁が、鈴木前総裁の指名により総裁に就任することで、党内では一時的に妥協が図られた。以来、三土総裁は林内閣の重要閣僚として両派の対立構造の上に暫定執行部を率いてきたが、党内の亀裂は水面下で広がり続けていた。


 中島氏の引退には複数の理由が指摘されている。同派は元々から反主流派の寄り合い所帯なだけに「鳩山嫌い」以外の共通点は乏しく、数はあったとしても結束力に乏しい。そして企業経営者である中島氏は本心から国家主導の統制経済を支持していたわけではなく、近衛文麿公爵を支持する船田中・太田正孝ら中堅若手議員の取り込みのために、近衛新党派の便宜上の看板として掲げていた節がある。


 中島氏が中堅若手議員からの信望を失うきっかけとなったのは、2度も廃案となった国民健康保険法に関する企業負担に対する消極姿勢だ。林内閣の鉄道大臣であった中島氏は、企業負担の設定は産業界全体の成長の妨げになると主張。船田代議士は「あれは政治家ではなく財界人だ」と失望して、中島氏の勉強会である国政一新会から去った。


 当選回数至上主義の政党組織において中島氏が総裁候補に昇り詰めることが可能だったのは、その政治資金力と反鳩山の旗頭になる器量があると思われたからだ。順風の時はそれでよいが、逆風になると政治経験が不足していることが響いてくる。近衛公爵がゾルゲ事件で失脚したことで、近衛新党派の中島氏は面目を失った。前回の内閣改造で閣僚から外れたこともあり、党内における影響力はさらに低下した。


 大将を支えるべき番頭格である前田米蔵(総務)も、満洲国政府の国籍法制定に端を発した移民問題の取りまとめに苦慮している。満洲国政府への反発を強める北海道と東北県連は、前田氏の政府との交渉路線を拒否して満蒙移民推進議員連盟に加わった。南条徳男代議士は中島派の番頭格である前田米蔵総務の側近だが「これだけは譲れない」「前農林大臣の島田俊雄(旧鳩山系中間派で中島に近い)の責任を追及する」と意気込んでいる。


 止めとなったのが政府専用機選定問題である。中島氏は早くから国産開発、あるいはライセンス契約により国内航空産業の技術力向上を図るべきだと政府と関係省庁に働きかけていたようだ。中島氏は元商工官僚である岸信介国務相の協力を得ようとしたが、結果はダグラス・エアクラフト社からの代理店を通じた直接購入に決まった。メンツをつぶされた中島氏は当てつけのように政界引退を表明した。


 こうした状況で、日比谷事件における警視庁の対応をめぐり白上佑吉次官との対立を深めていた三土内相が党総裁と内務大臣の辞任を表明した。前田氏は側近議員に対して「中島さんは見切りが早すぎた」と嘆いたとされる。中島派-旧中島派の政治的遠心力はさらに強まるだろう。


- 久原元幹事長、総裁選挙の実施を要求 -


 田中内閣時代、政界には銅臭が立ち込めていると度々言及された。それは銅鉱山で財を成した久原房之介氏のけた外れの政治資金を批判したものであった。その銅臭が再び政友会に漂い始めた。


 2・26事件に連座した疑いで取り調べを受けて失職していた久原房之介元幹事長は、東京市芝区の政友会党本部で砂田重政幹事長(鳩山派)と面会。「少なくとも1年以内に行われる総選挙を前に、政友会の挙党体制を構築することが最優先課題である」として執行部の総辞職を求めた。同時に久原氏は「総選挙前に党として時間が必要」として、党としての林内閣への支持を撤回するべきだと主張した。


 久原氏と会談した山崎達之輔政調会長(中間派)によると、久原氏は「一般党員も含めた総裁選挙の実施」を求めたという。久原氏によれば「永田町の理屈で総裁候補を選び続けた結果が今日の混乱に繋がっている。選挙を実際に戦うのは一般の党員であり後援会員だ。今彼らの意見を聞かなければ、政友会は二度と立ち直れなくなる」と主張した。


- 三土・鳩山会談決着つかず。キーマンは久原氏 -


 山王ホテルで行われた政友会総裁の三土忠造(内務大臣)と、鳩山一郎筆頭総務との会談は決裂に終わった模様である。早期の総裁選挙実施を求めた鳩山総務に対して、三土総裁は臨時会まで時間がないことを理由にこれを拒否。国会閉会後に総裁選の実施について検討することを逆提案した。


 一部関係者によれば、三土氏は鳩山総務に対して「自分に代わって内務大臣として入閣してはどうか」と提案したとされる。これに鳩山氏は「林総理の露骨な取り込み工作」として即座に拒否。会談は決裂した。


 (中略)……鳩山氏としては、自らに反発する旧中島派閥の取り込みは最優先事項だ。そこで登場するのが久原元幹事長である。政治資金力では中島氏に劣っていても、使い方の度胸とタイミングでは人後に落ちない同氏。もともと党内では政敵同士であるだけに、旧中島派と鳩山派の双方と等距離にある。そして久原氏の交友関係は実に多彩だ。協力内閣運動での共闘関係から安達謙蔵(国民同盟総裁)と親しく、満洲人脈もあれば朝鮮総督府との関係も深く、社会大衆党系とも関係があるとされる。満蒙移民推進議員連盟に所属したのも、鳩山派の名代だと指摘する声もある。


 2・26事件ですべてを失ったはずの素浪人が、政界再編のキーマンに躍り出た。


- 東京日日新聞(12月9日から13日) -



 東京目白の旧後藤新平邸宅は、現在旧尾張藩主であり貴族院議員の徳川義親侯爵とその一家が居住している。屋敷の主である義親は一般には「虎狩の殿様」として知られているが、その外にも実に多彩な顔と才能を併せ持った人物だ。


 傾きかけた尾張徳川家の財政を大胆な整理と財団法人化によりわずか数年で立て直し、その莫大な資産を湯水の如く使うことで聴覚障害児教育やアイヌ研究、音楽研究者、右翼活動家から社会主義者に至るまで、多種多様な活動のパトロンとして名をはせた。


 植物学者にして林政史研究の第1人者。狩猟愛好家として旧藩士が移住した北海道で熊狩りに興じ、長年の持論である南方での資源確保を調査するため、マレー半島ではスルタンに招かれた虎狩の傍ら、自ら出資した鉱山視察や遺跡発掘調査に従事した。


 貴族院議員でありながら男女同権を訴えるリベラルな華族政治家として院内改革を訴え、男子普通選挙法改正と共に導入された治安維持法に真っ向から反対。未遂に終わった3月事件ではクーデター派に資金を供出し、2・26事件では反乱軍将校の行動に理解を示した。


 早い話、徳川義親は華族社会における鼻つまみ者だ。


 平均以上の頭脳と行動力、そして正義感の持ち主なのは間違いない。自由に動かせる資産があり、時間と暇を持て余している。つまりは良くも悪くも殿様であり、正論を好む頭のよい一匹狼ほど凡人の手に余るものもない。


 貴族院改革を打ち出した時は、その過激な内容からスタンドプレーが過ぎると批判されたし、尾張家の御相談人として財政部門を取り仕切っていた加藤高明(父が元尾張藩士)が総理の時に治安維持法に反対演説を行った際には「理想論ばかりで現実を見ていない」「彼には政治が理解出来ないのだ」と黙殺された。


 近衛文麿や木戸幸一を中心とした革新華族の一派とは一線を画していたが、その思想は彼ら以上に過激であるといっても過言ではないだろう。義親の貴族院改革論は波紋を引き起こしたことは確かだが、これでは大勢は動かせない。


 そして彼自身も自分の欠点を承知していたようだ。鼻つまみ者の周りには社会の鼻つまみ者や排斥された少数者が集まるものであり、義親は彼らのパトロンとなることで自分の自尊心を満足させていたのかもしれない。


 応接室の机を挟んで来客の貴族院議員と向かい合うように座ると、義親はソファーに背を預けながら足を組んだ。その足元にはマレー半島で仕留めたという虎の毛皮が敷かれている。


 蝶ネクタイに丸眼鏡。長い手足を仕立てのよいスーツに窮屈そうに通し、その口元をツンと尖がらせている。そうした振る舞いや仕草は、どこか世を拗ねて見る子供のようだ。予備役海軍大佐の井上清純男爵は6歳年下の華族からそのような印象を受けた。


「次の国会は紛糾しそうだとか?」


 義親は現職の貴族院議員である井上男爵に対して、通常会の見通しを尋ねる。同じ貴族院議員であっても有爵者の互選で選ばれる伯爵・子爵・男爵議員と、世襲の公爵・侯爵議員とでは自ずと政局に対する考え方が異なる。その事を侯爵である義親は理解していた。


「予算案の年内可決のハードルの上に、国民健康保険法に政友会の御家騒動。満蒙移民問題、日独問題に内務省改革の関連法案……」


 井上男爵は指を折りながら、政治的ハードルや懸案となりそうな法案を数え上げる。


「事なかれ主義で懸案を先送りしてきたツケでしょうな」


 井上男爵は海軍軍人らしい落ち着いた声で語ったが、どこか突き放したような印象は否めなかった。


 井上は現役を退いて間もなく15年目を迎える。海兵29期の同期には米内光正海軍元帥や高橋三吉(元連合艦隊司令長官)など、錚々たる面子がそろっているが、彼は海軍主流派の条約派とは疎遠である。


 井上が所属する院内会派の公正会は陸軍を中心とした佐官クラスの退役軍人が主導している。井上も天皇機関説問題の折には、菊池男爵と共に政府と美濃部議員を追及。また同じ海軍出身の岡田総理の政治責任についても連日のように追及した。これで海軍条約派との関係が良好になるわけがない。 


 それでも明確な敵対者が存在することは、明確な味方が存在することを意味している。


 それを証明しているのが、義親の手に握られた海軍省の内部文章だ。


「頂いた資料は拝読させて頂いた」

「お手数をお掛けしました」

「人事局のまとめた報告書以外にも、随分と丹念に、そして個別事例ごとに調査されていた。よほど海軍にしっかりとした協力者をお持ちのようだ」

「これでも海軍出身ですので」


 つまり海軍内部の、現在の米内-永野体制を快く思わない何者かのリークを受けたということだ。そのあたりの事情は一匹狼である義親も察しているため、あえて深入りはせずに続けた。


「海軍さんは表は綺麗でも中身はヤクザ気質だという噂は聞いたことがあるが、正直言ってこれは想定を大きく上回っている。海軍が内々に処分したいという気持ちもわからなくはない」

「勘違いをしていただいては困りますが、海軍すべてがこうだというわけではありません」

「しかしながら、これが事実だとすれば酷いものだ」


 義親は海軍人事局が作成した海軍大臣に対する報告書を捲りながら、その首を傾げた。


 下士官を中心とした新兵に対する個人制裁やリンチ、銀蝿行為の組織的な横行と黙認、管理すべき佐官が業務時間にもかかわらず海軍料亭の芸者を呼び込んでの宴会行為等々……報告書では第二航空戦隊の旗艦『加賀』艦内における惨澹たる有様が克明に記されており、その上で海軍省としての全面的な調査と人事管理の見直しを要すると結論付けられていた。


「個人がおにぎり一つをがめるのとは話が違う。箱やケース単位で窃盗して外部に売り捌くなど論外だ。畏れ多いことではあるが、特命検閲使が出るレベルの問題だ」


 義親が指摘した特命検閲使は、勅命で行われる査察監査だ。海軍の場合は高等文官も含めた調査チームを派遣して、結果を海軍大臣に報告すると定められている。井上男爵も「そうしなければなりますまい」と応じた。


 もっとも井上男爵の場合は、責任追及を海軍上層部まで及ぼしたいという思惑があるのだろうが。


「海軍は『加賀』艦長経験者2名の処分で決着させようとしているようですが、船上という閉鎖的な環境にも原因があります。海軍出身者として海軍内部の自浄能力を軽視するわけではありませんが、自ずと限界があるのも事実。内部調査による処分という名前を借りた隠蔽が行われた可能性もあります」


 隠蔽の二文字を強調する井上男爵。その意図はともかく、確かにこれを水面下で片付けることには義親も反対だった。


「よろしい。次期通常会で私から政府に対して質問しましょう」

「ありがとうございます。公正会としても侯爵を全面的に支援する所存です。またすでに二六新報と連携した調査チームを設置済です」

「二六新報、ね」


 いささかわかりすぎやしないかいと、義親が肩をすくめる。


 自らをフィクサーと自称する政治ゴロの秋山定輔が創刊した二六新報は、論調が一貫せず内紛が絶えないことで有名な新聞社だ。その二六新報社長として13年の長期政権(1911-24)を築いたのが、元衆議院議長で作詞と名高い政友会の秋田清。


 まともな感覚を持った政界関係者か新聞関係者であれば、秋山と秋田の名前が出た段階で手を引く。だからこそ自分の所に持ち込んできたのだろうと、義親はおおよその察しを付けた。


「実戦を想定した厳しい訓練を行うことまでは理解出来る。だが事故ならともかく自殺に追い込むのはやりすぎだろう」

「まずはこれまで報告されている事故についても、本当に事故なのかを検証しなければなりますまい」


 井上の指摘に義親は一瞬だけ鋭い視線を向けてから黙り込み、そしてそこに発想が至らなかった己の浅慮を恥じるように舌打ちをした。井上男爵は勢い込んで続けた。


「閣下。この件に関して私は古巣を擁護するつもりはありません。ですが海軍だけが飛びぬけて暴力的であると認識されたのでしたら、それは誤った解釈と言わざるを得ません」

「わかっている。これはイメージの問題だ」


 身を乗り出す井上男爵に、義親は「だがそのイメージが何よりも問題なのだ」と首を縦に振る。


「あまりこういう言い方は好ましくはないだろが……確かに海軍だけが飛びぬけて自殺者なり脱走者が多いというわけではない。その前提となる統計が正しいのかどうかはともかく、少なくとも今の段階で証明された事実があるわけではない」

「それこそ陸軍や警察と比べたらどうなのかという話ですからな」

「そしてこれが海軍全体のイメージにとってよくないことは、君にもわかっているだろう。だからと言って内部での処分が良いとは思わないが、あの二航戦の旗艦での不祥事だぞ?」


 普段品行方正な学生が暴力事件の当事者になるのと、札付きの粗暴な学生が暴力事件の当事者になった場合を考えてみる。どちらが第三者の印象に残るかといえば、それは前者だ。


 泥臭く土臭いイメージの強い陸軍に比べて、颯爽としたイメージの強い海軍は平時においても国民からの人気は高い。戦時ならなおの事であり、第2次上海事変における二航戦の活躍を知る国民は、その不祥事に落胆して批判を強くするだろう。海軍予算の削減にでもつながれば、噂される「一号鑑」の建造にも影響が出かねない。


 ……いや、だからこそか。義親は井上男爵の顔を見返した。


 井上男爵と彼につながる旧艦隊派人脈も、海軍主流派と完全に敵対しようとは考えていないだろう。そんなことになれば仮に自分たちが政権についたとしても、陸軍の荒木の二の舞だ。米内-永野体制が崩れずとも、主流派の幹部を失脚させることに成功すれば井上につながる旧艦隊派の復権につながる可能性はある。


 むしろ彼らは最初からそこが狙いなのかもしれない。どこが海軍のためなのか。義親は皮肉っぽい視線で井上男爵をいたぶる様な疑問をぶつけた。


「普段から粗暴な学生とは、一体誰の事なんだろうね?」

「さて、私には何とも……」


 公正会は退役軍人が主導しているとはいえ、その多くが陸軍出身者で占められている。政治的主張や見解は共通していても、古巣の支援を受けられない海軍の井上男爵は肩身が狭いのだろう。


 義親をいなすつもりなのか、男爵議員は話題を変えた。


「時に侯爵は、現政権の大陸政策についてどうお考えでしょうか」

「大陸政策?」


 ほら来た。


 全く、ここまで自分が予想した通りだと面白みに欠けるというものだ。義親は思わず笑いだしそうになったが、そのお陰で事前に用意していた原稿を読み上げるようにすらすらと答えることが出来た。


「冀東防共自治政府や下蒙古軍政府のデムチュクドンロブに対する支援を打ち切ったのは、私としても納得していない。また現政権は農村政策に関心がなく、それに故に満蒙移民に対する理解と同情が欠けている。だけど全体的には上手くやっていると思うよ」


 途中まで我が意を得たりと何度もうなずいていた井上男爵であったが、その結論を聞くと困惑気に「そうですか」とだけ答える。義親は足を組み替えながら続ける。


「ブリュッセル会議で満洲国の国際的な地位は確立されたし、上海周辺の難民に対する財政支援の確約を取り付けることが出来た。依然として大陸の治安に難はあるが、南京政府の主導権争いで日本に対する軍事的挑戦、あるいはテロを仕掛ける傾向が現段階では見られない。この点を僕は評価しているね」

「ですがそれはあくまで一時的な小康状態なのでは」

「うん。その可能性はあるだろう。だけど以前のように国際社会の中で日本軍だけが批判される事態を回避する枠組みを作り上げたのは評価してもいいと思う。監視団とやらの司令部には各国の連絡員も駐在するそうだ」


 「つまりは一蓮托生だよ」と義親は笑いかけたが、井上男爵の表情は依然として険しいままである。表情筋を鍛えて威圧するだけで相手の考えが変えられるのなら、これほど楽な話はない。義親の思考を知る由もない井上男爵は反論を続けた。


「私は意思統一を図っている間に、手遅れになることを懸念しているのです。長沙大火のような事態が発生した場合、その責任はすべて対応が遅れた日本軍にあると批判されてはたまりません」

「渡辺大将の手腕に疑問があると?」

「決してそういうわけでは……」


 井上男爵の口調からは慎重に感情が抜き取られていたが、天皇機関説問題の際に陸軍教育総監として敵対した渡辺錠太郎に対する悪意は完全には隠しきれていない。


「松井(石根)大将であれば、我々としても安堵出来たのですが」

「まあ実際にはふたを開けてみなければわからないことも多い。とにかくこれは引き受けたよ」


 義親は手にしたレポートを手の甲でノックするように叩く。すると井上男爵は申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げた。


「御多忙のところ申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」

「まぁ、確かに忙しいことは忙しいが、それはどうにかなると思うから」


 そう口にはしたものの、実際この当時の義親は数々の華族から財産整理に対する相談を受けていたために多忙を極めていた。加藤高明の堅実な政治手法は一切継承しなかった義親であったが、今でいう財テクの才能は受け継いでいた。実際に義親は多くの華族が相次ぐ金融危機で資産を失う中、関東大震災でも金融恐慌でも世界恐慌でも致命傷を免れながら尾張徳川家の財産を確保し続けている。


「貴族院議員としての役目は果たすから安心しなさい」


 請け負うように胸をたたいた義親の態度に安堵したのか、あるいはこれ以上の深入りは藪蛇になるとようやく気が付いたのか。井上男爵は一礼をして退出した。


 それを座りながら見送った義親は、彼の足音が聞こえなくなるのを待ってから机の上のベルを鳴らした。


 隣の部屋に控えていた秘書が当主に駆け寄る。


「お呼びでしょうか」

「今から手紙を書くから、総理公邸の大川周明に届けるように」

「承知いたしました」


 相手がこちらを利用しようとするのなら、こちらが相手を利用してどこが悪い。政敵から最も嫌われたであろう加藤高明の矜持の高さを、旧藩主家の当主は自分の先祖から引き継いでいた。


・日「ようやく満洲の承認までこぎつけたぞ!」(ただし華南の治安維持活動を押し付けられた模様)

・米「ようやく日本もおとなしくなったぞ!」(ただし国民党政府がおとなしくなる保証はない)

・満韓交換論ならぬ北支那・華南交換論……あれ、これ両方とも日本の負担になるんじゃね?

・満蒙移民は人口問題の切り札(当時の認識)。やめるんなら代案出せよとなる

・政友より民政が統制効いていると書くために対比させましたが、史実では両党とも大暴れ

・大政翼賛会合流前は特にひどいが、実際に選挙を戦う議員からすれば人口問題は死活問題

・政友会の御家騒動。これでも史実よりはまだましかもしれないという…

・政友会総裁選びで鳩山が総裁選挙の実施を求めたのは事実。ただし自分が形勢不利になったら引っ込めた。鳩山ェ…

・そりゃ片方が引退したらバランスは崩れます(どこまで波及するかは不明)

・虎狩の殿様。顔見たら「こりゃ人のいう事を素直に聞かねえだろうなあ」という殿様顔

・数字は嘘をつかないが、数字を使って嘘をつくことは幾らでも出来るそうです

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― 新着の感想 ―
[一言] サウスチャイナは何時から西太平洋に?ちょっと話は違いますけど、アメリカ人の世界地図音痴は本当に重症ですよね。それに対する最近のリッスンブール事件は皮肉が効いてて面白かったw
[一言] 少子高齢化が言われる今から考えると当時の日本は理想的なピラミッドを描いていたのでしょうが、今よりぐっと人口が少ない状態で人余り状況とはなんとも羨ましい? 逆に言えば余りにも日本に産業が育って…
[良い点] この時期の政友会のgdgdが分かりやすい。 尾張の殿様のしたたかさ。 [気になる点] 海軍のいじめ問題も闇が深いからなあ・・・ [一言] 更新お疲れ様です。 NYTの嫌味交じりの対中政策…
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