ダラディエ首相の緊急ラジオ演説 / WSJ海外面 / TIME特集 / 『ワシントン・ポスト』コラム / アメリカ合衆国 ワシントンDC(特別市)日本大使館公邸(1938年12月初頭)
「大いに屈する人を恐れよ。いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は、大事をなすに足らぬ」
伊藤博文(1841-1909)
11月30日は歴史的な日となるはずでした。実際、11月30日は歴史的な日となりました。ゼネストの『完全』な失敗が指し示したことは、安心して政府の努力に協力し、法の順守によってフランスの安定を確保するという国民の決意であります(中略)…我々は、有給休暇・最低賃金・週40時間労働法に打撃を与えませんでした。我々は、ただこの法律をフランスの生産と国防の必要に分別をもって『適応』させただけなのです…
- 11月30日夕方、ゼネストを受けたフランスのエドゥアール・ダラディエ首相(国防相兼任)の国民向けの緊急演説より -
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- 「労働総同盟はすでにナショナル・センター(Centre National)ではない」ダラディエ首相がラジオ演説で勝利宣言 -
11月30日夕方、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相(国防相兼任)は国営通信社のラジオを通じた緊急演説に臨み「ゼネストという一大試練を、フランスは乗り越えることが出来た。自由と祖国、そして平和という大義を擁護する為に協力してくれた国民諸君に感謝したい」と述べ、労働総同盟(CGT)が主導した11月30日ゼネストは失敗したという認識を明らかにした。政権発足以来、人民戦線を支持した諸勢力との綱引きが続いていたダラディエ首相にとっては、大きな政治的成果である。直近で言えばスタヴィスキー事件により急進党のショータン内閣が倒閣されて以降、より大きなスパンで言えば大革命、あるいはそれ以前の絶対王政以前から延々と続いてきた院外の政治行動による政変という、フランスの悪しき伝統が是正されるか、注目される。
フランス国内は今回のゼネストの失敗をおおむね好意的に受け止めている。『フィガロ』は1日社説で「良識の勝利!サンディカリズムの政治悪用に国民は拒否を示した」とダラディエ政権を称賛。急進社会党執行部がマルセイユ党大会で示した「フランス人連合」による現在の国防政権こそが、財政危機を打開出来ると結論付けた。カトリック系の日刊紙『クロワ』は「教会とフランス国民との結びつきを意図的に破壊しようとした諸勢力に鉄槌が下った」と旧人民戦線内閣の教育改革を批判した上で、ダラディエ政権に「正常化」を求めた。また急進社会党右派の日刊紙『共和国』も「ゼネストは完全な失敗、すべての公共部門は正常に機能し、労働者はコミュニストの煽動を拒否した」と総括した。
- 政論:賭けに負けたレオン・ジュオー -
レノー緊急勅令の即時撤回を求めて行われた30日のゼネスト(全国一斉ストライキ)実行を受けて、労働総同盟(CGT)執行委員会は「全国各地でCGTの呼びかけに応じた労働者が、ゼネストを戦い抜いたことに敬意を示したい」との声明を発表した。これがいかほど現実からかけ離れた政治的虚言であるかは、もはや語るまでもない。サン=ドミニク街の関係筋は「彼らは空想のフランスに住んでいるのだろう」と冷たく反応したのも当然だ。実際、平日にゼネストが実施されたにもかかわらず、フランス国内において大規模な混乱は見られなかった。
11月12日のレノー勅令案に対する組合員の反発は強烈であった。23日から開始されたルノー社の全工場ストライキには、即座に警官隊が動員され、催涙弾を使用した取り締まりにより300人以上の労働者が逮捕された。にも関わらず、長引く政治的混乱に嫌気がさしていたのか、CGTの県別労働組合や産業別労組はおろか、末端の組合員からも悲観的、あるいは消極的な反対論が聞かれた。
ジュオー委員長と彼を支持する中間派が主導するCGT執行部は、レノー勅令案による社会法の弾力的な例外運用を許せば、いずれは週40時間法など人民戦線内閣での功績はすべて廃止されるであろうと見ている。とはいえ政権との決定的な対立は望んでおらず、そのためナントでのCGT全国大会以降も、政権側との間で断続的な折衝が続いていた。しかし28日に「ゼネスト参加の公務員の即時罷免」を決定した首相通達と、憲兵と機動隊をパリに集中させるアルベール・サロー内務大臣の命令が出たことにより、融和路線は破綻した。
ジュオー委員長は院外からの政治的圧力をかけるため、ゼネストの実行にこだわった。しかしデモや集会で対抗するべきだという強硬左派を宥め、当初の融和路線を支持する委員からの慎重論を抑えるために「24時間ストライキ」に限定することで、執行委員会の了承を何とか取り付けた。ゼネストが成功を収めていれば、人民戦線崩壊以降に威信が揺らいでいたジュオーは、再びCGT内部で主導権を確立出来ただろう。
そしてジュオー委員長は賭けに失敗した。すなわちゼネストは失敗したのだ。
ダラディエ首相がラジオ演説の勝利宣言の中でいみじくも明言したように、鉄道、車、バス、地下鉄といった交通機関、電話交換所や郵便業務、水道に電気、ガスといった公共インフラはいつも通り運営されていた。地方自治体や各学校、パリのカフェですら日常があった。国立兵器工廠や製鉄工場、繊維業など多数が参加した企業では一時的な休業が見られたが、ただそれだけであった。「ゼネストに参加した公務員は厳しく処罰する」という政府の強硬姿勢も効果を発揮したのか、教員を含めても全国でゼネストに参加した公務員は3万にも満たなかった。
ゼネストの散々たる敗北を認めることは、委員長としての責任を問われかねない。ジュオー委員長としてはやむを得ない対応として、緊急執行委員会で声明への理解を得たい構えだ。また人民戦線内閣発足以来、兼職していた鉄道契約金庫やフランス銀行理事の職を辞することも表明している。これは現政権との政治的妥協を拒絶する政治的アピールの一環と思われる。しかし執行委員会内部からは「参加した一般の労働者のみを犠牲にして、執行部がとどまることは許されない」「一刻も早く総退陣するべきだ」との声が相次いでいる。
ミュンヘン協定と非干渉政策に反対する旧CGTU系の労働者の生活派(容共左派)は「政府との妥協を一切排除するべきであった」「工場占拠はやらない、デモもしない、集会もなし。サン=ドミニク街の顔色を窺いながらの24時間ストライキは、ゼネストの名に値しない」、反対に反共平和派(右派)からは「内閣と早期に交渉することで、条件闘争に持ち込むべきであった」「労組の独立性を放棄し、共産党の指導に唯々諾々と従うばかり」と、方向性こそ異なるものの、ゼネスト実施を強行した執行部の指導を批判している。すでにジュオー後をにらんだ政治的駆け引きが始まっていると見る向きもある。
- 『The Wall Street Journal』国際欄 12月1日から2日にかけて -
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- ポール・レノーはフランスの救世主たりえるか? -
1936年6月から始まった人民戦線内閣時代、初めてのバカンスを謳歌しようとする友人達に、貴方が「民主共和同盟(AD)のポール・レノーに期待する」と言えば、貴方は簡単に多くの友人を失っただろう。あるいは現実政治を理解しない狂人として扱われたかもしれない。
つまりポール・レノーとは中道右派に属する政治家とみなされていたが、その主張は限りなく当時のフランス政界において異端の存在であった。対ドイツ融和派が勢力を増している党執行部とも折り合いが悪い彼は、人民戦線に反対する一部経済界の代理人であり、あるいは冷遇される中道右派系勢力において弁が立つガス抜き役程度の存在にしか思われていなかったのだ。
レノーは人民戦線内閣の全ての政策に反対した。週40時間労働に反対し、政府と労働組合、そして資本が合意した画期的なマチニョン協定を「産業競争力を阻害し、国防を危うくするものにほかならない」「ブルム氏の主張される政府主導の賃上げによる購買力政策(リフレーション政策)は妄想の類、アルコール中毒患者がピンクの象を夢見るのと変わらない」「トレーズ(共産党書記長)の言いなりになるぐらいなら、政府は必要ない」と強烈に痛罵し、協定締結に喜ぶ労働者に「貴方々は半年後には、物価高と品不足により一層の生活苦に苦しむことになるだろう」と冷水を浴びせかけた。また軍需産業国有化は「無力にして無気力で無定見、何より恐るべき無能により、結果として国防の強化ではなく弱体化を招いている」「飛行機が必要なのはスペインではない!独仏国境だ!」とコット空相(当時)らを批判した。
ならばレノーは人民戦線に反対する極右勢力から支持を受けているのか?-否である。彼は平価切り下げ支持と対ドイツ外交で批判され続けている。
人民戦線は「反デフレ・反平価切り下げ」という矛盾する政策を平然と掲げていた。これはフラン切り下げを否定したラヴァル内閣の緊縮財政を批判していた社会党には、反ラヴァルの政治スローガン以上の意味合いはなかったはずだ。最低賃金へのプレッシャーは資本の流出を招くことは誰にでも想像出来たはずなのに、ブルム氏と社会党は切り下げに反対する有権者からの支持を失うことを恐れて、経済界の要望を無視。フランと金との交換比率の維持に悪戯に固執した結果、政権発足からわずか3ヶ月の間で大規模な金の国外流出を招いた。一説によると8月だけで44億フランが流出したとされる。
これは尊敬すべき人格者にして潔癖なブルム首相が、まともな政策的勉強をしてこなかったことを意味する。社会党は初の政権参加であり、熱意はあっても政権運営に必要な経験や知識、人脈の全てに欠けていた。一部の財務官僚は財政政策転換を図り、内閣を懸命に支えようとしたが、大勢には効果がなかった。結果として本来、人民戦線それを補完するべき急進社会党に、政権の枠組みを乗っ取られたが、それは本題ではない。
ところがレノーは1934年6月28日(なんとブルム内閣発足の2年前!)、下院において誰よりも早く、そして誰よりも強烈にフラン切り下げを主張していた。議場からはあらゆる罵声と怒号が飛び交う中、彼はいつもの傲岸不遜な態度のまま、具体的な数字と事例を列挙して「フランスの現在の恐慌の原因は内外価格差にあり」と喝破した。ブルム氏も当時は平価切り下げに否定的であった。レノーに対する批判は労働組合よりも極右の方が激しかった。経済音痴の極右からすれば、レノーは右派全体を資本家の手先とすることで、人民戦線をアシストしているように思えたのかもしれない。『アクシオン・フランセーズ』の主催者であるシャルル・モーラスは「イギリスの手先であることを覆い隠したプロイセンのスパイ!」「真っ先に処刑すべきはこの人殺しである!」とレノーへのテロを煽った。民主共和同盟の中ですら、レノーの理解者は少なかった。
結果はどうか?36年6月に発足したブルム内閣は、9月26日には平価切り下げに追い込まれた。その理由はレノーが2年前から指摘していたように内外格差による資本の流出が止まらなかったこと、また人民戦線内閣が行った賃上げやバカンス導入が、レノーが懸念し、指摘していた通りに、企業体力の減少と収益悪化に繋がったからである。景気と財政に直撃したことで「平価切り下げという通貨クーデターはありえません」とするブルムの施政方針演説は、わずか4ヶ月で破綻した。
もっともブルム氏を擁護するとすれば、時遅かりしとはいえ平価切り下げの重要性を理解した同氏は、これに反対する中央銀行総裁を更迭し、アメリカやイギリスとの三国通貨協定という形をとることで、彼のお箱である国際協調と通貨政策をリンクさせようと試みた。公定歩合引き下げ、金の国外流出禁止と同時に通貨協定発行を発表したオリオール財務相は「経済平和と人類平和の条件である通貨平和の開始」と高らかに宣言した。
シャルル・モーラスは簡単に反論した。すなわち「泥棒どもを倒せ!」
シャルル・モーラスに影響されたわけではないのだろうが、中道右派、あるいは保守政党は長引く政局の混乱により政治的なリアリズムを放棄しつつある。レイモン・ポアンカレ挙国一致内閣で閣僚を務めた共和連盟総裁のルイ・マランは、1937年7月に左翼政治家へのテロを煽動した罪で禁固刑に処されたシャルル・モーラスの釈放を祝う式典を主催し、「反共のためにはヒトラーと組むのも選択肢の一つ」と述べた。レノーと同じ民主共和同盟のフランダン元首相は、ミュンヘン協定受諾を歓迎する声明の中で「独仏同盟」を検討するべきと発言した。露仏協商以来の伝統的な対ドイツ牽制外交を支持する反ドイツ右派勢力は勢いを失いつつあり、シャルル・モーラスのような空想的な大言を吐く反共右翼が勢力を増している。
レノーはどうか。「ドイツが信用出来た時代は、これまで一度もなかった」。ミュンヘン協定を受諾したダラディエ内閣の閣僚であるため、表向きは沈黙しているが、オフレコではドイツへの警戒感を隠そうとしていない。こうした経歴や発言から、今やレノーは中道右派のみならず、フランス国内の反ドイツ勢力(共産党を除く)にとって希望の星となりつつある。
同時にレノーは敵が多い。これまでの経緯や発言を見てもらえばわかるように、傲岸不遜な態度により、党の執行部からの評価はなきに等しい。徒党を組むような性格でもないため、政治的な同志は少ない。彼と同じ政党に所属する老練なアルベール・ルブラン大統領は、レノーの必要以上に攻撃的な人格に対して批判的だ。首相を任命する権限を持つ大統領と政治的にそりが合わないことは、彼にとってマイナスに働くだろう。持論を曲げない信念の政治家という評価は、彼の政治的な調整能力の欠如を意味している。共産党は彼を「悪魔」と批判しているし、社会党や連立を組む急進社会党内部からも「レノーだけは御免被る」という声は根強い。
それでも、レノーの能力や政治的勇気、あるいは見識の正しさを否定出来る政治勢力は、今の中央政界には存在しない。ドイツと対抗するために旧連合国の連携を重視するべきとするレノーは、ロンドンの穏健な保守政治家であるチェンバレンにとって(個人的相性はともかく)望ましいパートナーだ。国家社会主義や共産主義が幅を利かせる欧州の現状で、自由主義市場経済を信奉する財政家というのも、イギリス、あるいはアメリカにとっては望ましい。
人民戦線に参加した諸勢力の発言力が低下するのと反比例するように、中央政界におけるレノーの存在感は増しつつある。政権発足以降、レノーは法務大臣であったが、今年の11月1日からポール・マルシャンドー(急進社会党でブルムの財政計画案に反対する論陣を張った)に代わって、財務大臣の要職にある。ダラディエ首相は党を同じくするマルシャンドーよりも、より強硬なレノーを選んだ。レノーは首相の期待に応え、人民戦線の「政治的弊害」の見直しをさらに加速させ、12日にはレノー緊急勅令により「フランスの週休二日は終わった」と高らかに宣言した。
この高圧的な姿勢が今回のゼネストの原因とも批判されたが、ショータン副首相ら急進社会党出身の閣僚が様子見を決め込む中、首相と共に連日連夜、ラジオや政治集会の梯子を繰り返して政府の姿勢への理解を求めた。「国の安定と平和への脅威」であるゼネストには協力しないよう、血の滴るような気迫をもって国民に訴えかけた。その結果として今回、旧人民戦線の中核組織であったCGTの主導したゼネストは失敗した。
12月1日、ポール・レノー財務大臣は記者団との取材に応じ「民主主義国の大義にとって、決して過小評価されるべきではない偉大な勝利を刻印することが出来た」と宣言した。彼個人にとっても過小評価されるべきではない勝利である。かつての政界の一匹狼が、ポスト・ダラディエの本命に躍り出たのだ。
- 『TIME』12月3日号 -
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- 「サボテン・ジャック」は出馬するのか?駐米日本大使の結婚式に見る民主党候補者レース -
(写真):シラス・ジロー氏提供
(中央が麻生商店社長のタガキチ・アソウ、ヨシダ駐米大使の息女であるカズコ嬢)
(写真左、新婦の横にシゲル・ヨシダ駐米日本大使。その隣にガーナー副大統領夫妻)
(写真右奥のアジア風民族衣装は前陸軍参謀総長のマッカーサー氏)
・駐日大使令嬢の異例の結婚式
寒風が吹き付ける中、ポトマック川沿いの小さな教会内で1組の結婚式が行われた。新郎は会社経営者のタガキチ・アソウ、新婦は駐米日本大使の三女であるカズコ・ヨシダ。ともに日本人である。新婦の父であるシゲル・ヨシダがDCに赴任する前に立ち寄ったロンドンにおいて、知人の紹介により知り合った2人は、遠距離恋愛の末に目出度く結婚に至った。congratulations!
さて式は質素に行いたいという両人の要望に従い、身内や友人を含めても招待客は20人にも満たない規模で行われた。しかし参列者は実に華麗なものである。ホワイトハウスからはガーナー副大統領夫妻を始め、コーデル・ハル国務長官やワシントンDCのヘイゼン委員会議長(市長に相当)。中間選挙大敗を受けて下院議長続投を巡り党内調整が続くバンクヘッド氏が登場した際には、会場が聊かざわついた。そして呼ばれていないはずのダクラス・マッカーサー前参謀総長がサプライズで登場し、新郎新婦の門出を祝うという名目で、ジャパンの伝統的な民族衣装による摩訶不思議な余興を披露した際には、会場が凍りついた(ヨシダ大使と新婦のカズコ嬢には大いにうけていた)。
この豪華な列席者はすべて駐米大使のシゲル・ヨシダ氏が着任以来、その持前の度胸と鈍感力を存分に発揮することで、ワシントンDCで続けてきたロビー活動の成果である。その活動は良くも悪くも精力的の一言に尽きる。呼んでないのに来る、来るなと言われても出席する、来てほしいと言えば「貴様から来い」という厚かましさ。批判や誹謗中傷も当人は「友人ではあっても奴隷ではないのだ」と意に介さない。このジョンブル精神あふれた鼻持ちならないサムライを、DCの住民は警戒感をもって迎えた。しかし今やヨシダ大使は立派なDCの一員として迎えられている。
『ハチ・ヒストリー』が話題となればホワイトハウスにアキタケンを贈呈し、米日友好の重要性をメディアに説く。WJC(世界ユダヤ人委員会)のワイズ会長と満洲のユダヤ人問題で会談をもったかと思えば、全米商工会議所の創設メンバーであるチャールズ・ネイゲル氏(タフト政権で商務労働長官)と会談を持ち、チャイナ沿岸部や満洲帝国における米日経済協力の重要性を説く。昨年、チャイナと日本との間で武力衝突が発生すれば、日本の正当性を主張しつつ大統領に仲裁を依頼。共和党上院議員のパーティーで英日経済協商に関する持論をぶったかと思えば、その足で民主党下院議員と農業団体との懇談会に出席。今やその人脈は民主・共和を問わず連邦議会全体に広がっている。
先のトウキョウのヒビヤにおける暴動事件は、米国内において対日感情に悪影響をもたらしている。とくに警官が日本刀を無抵抗な市民に向けて振りかざした写真は、日本が依然として野蛮なサムライの国ではないかという疑念を連邦議会に巻き起こした。チャイナはゲルニカのように上海を爆撃した野蛮人だが、最近政府内部で検討されている大陸沿岸部の治安維持において日本と組むことが正しい選択なのかどうか。ヨシダ大使は「再発防止に尽力する」と明言し、治安警備計画の近代化に取り組む日本の姿勢を説明して、懸念の解消に努めた。
・サボテン・ジャックの思惑とファーレイの離反
これに対して「日本は信頼できる極東のパートナーである」と真っ先に表明した政治家がいる。テキサス生まれのテキサス育ち、第33代合衆国大統領への意欲を隠そうともしない「サボテン・ジャック」ことガーナー副大統領である。
ガーナー副大統領とヨシダ大使との関係の深さは、DCでも有名である。南部の田舎者を代表する保守派の領袖と、アメリカを田舎と公言する英国趣味の東洋貴族は一見すると相性が悪そうに思えるが、葉巻趣味で意気投合したのを切っ掛けに、個人的な交流を深めた。今回の結婚式出席も、ヨシダ大使の希望によるものとされるが「呼ばなければ君のように押し掛けるぞ」と副大統領が言ったとか言わないとか…
もっともこれには個人的関係だけでなく、政治的な背景が見え隠れする。具体的には再来年の民主党大統領候補者指名争いだ。現職2期目のルーズヴェルト大統領は、依然として民主党員に人気は高いが、中間選挙での敗北に見られるように全国的な支持は決して盤石とはいえない。党内のニューディールを支持する勢力からは3選を求める声もあるが、国父以来の伝統的な政治慣習を無視して出馬して勝てる候補かという点では、懐疑的な意見も多い。
ジェームズ・ファーレイの離反は、大統領が3選に意欲のある証左とされる。アイルランド系カトリックのファーレイはNY州民主党の地域ボスであり、大統領が初めて州知事に当選した頃からの政治的盟友である。選挙の度に労組やカトリック教徒などを集票マシーンとして動員するシステムを作り上げ、州知事選や大統領選挙の選挙参謀として彼の果たした役割は大きい。ルーズヴェルトは民主党全国委員長と郵政長官のポストという異例の厚遇で、その貢献に応えた。この人事は党務と閣僚の一体化として反対派の批判にさらされたが、大統領がファーレイを評価していたことは間違いない。しかしルーズヴェルト大統領が最高裁改革を強引に推し進めようとしたため、ファーレイはホワイトハウスと決裂した。
ファーレイは大統領が何も発言していないにも関わらず、「3選はアメリカ政治の伝統を破壊する行為」と各地で積極的に講演している。また本人も大統領指名レースに出馬する意欲を見せている。彼は当然ながらニューディール政策の支持者だ。
党内保守派を代表する政治家であり、経済外交とあらゆる面で大統領と対立して政策決定から外されているガーナー氏としては、まさに絶好の機会だ。いくら冷遇されているとはいえ、現職に弓弾く副大統領では如何にも風聞が悪い。しかし「引退するものだと思っていた」と心にもないことを語りながら、大統領の2期8年の功績を讃えるとあっては、副大統領の口をホワイトハウスが塞げるはずもない。
中間選挙での敗北や全国委員長の離反もガーナー氏にとってはプラスの材料だ。南部保守派は大統領を良く思っていないし、ニューディール政策を支持する連邦議員からも部分的な政策的転換を求める声がある。ガーナー氏としては緩やかな政策転換という形で後者を取り込みたい構えだ。
ガーナー副大統領がヨシダ駐日大使との良好な関係を利用したいと考えても不思議ではない。仮にも副大統領であるガーナー氏としては現政権の政策の全てを否定することは出来ない(本来はそうしたいところだろう)。しかしニューディールをそのまま継承する候補者であるなら、ガーナー氏である意味もない。そこでハル国務長官やモーゲンソウ財務長官を中心に進められているアジア太平洋の外交政策の見直しに積極的にかかわることで、政権内部での存在感を発揮したい狙いがあると思われる。ガーナー副大統領は地元テキサス州第10区で再選を果たしたジョンソン下院議員の祝賀パーティーの演説において「合衆国政府としてもブリュッセル国際会議に注目している。是非成功することを期待したい」と発言し、ホワイトハウスのスティーヴン・アーリー報道官は釈明に追われた。
・ダクラス・マッカーサー
結婚式において奇怪な宴会芸を披露したフィリピン軍元帥は、何時まで経ってもマニラに帰ろうとしない。ウェストポイント士官学校に史上最高の成績で入学し、一度もトップの地位を譲らずに当然のように首席で卒業。フィリピン駐在、メキシコ革命、欧州大戦にはレインボー師団と呼ばれた第42師団とともに西部戦線を駆け抜けた。史上最年少の陸軍士官学校長にして陸軍参謀総長として異例の任期延長をルーズヴェルトから勝ち取った。アメリカ陸軍が誇るエリート中のエリートである。
芝居掛った振る舞い、傲岸不遜で鼻持ちならない野心家にして自信家、能力を鼻にかけて(実際に能力はある)先輩であろうと同期であろうと後輩であろうと、無能とみなしたものへの尊大な態度。大恐慌で苦しむ元同僚が多数参加していた退役軍人抗議事件を軍を動員して排除した冷酷さ。ルーズヴェルト大統領が評して曰く「あいつはシーザーだ」。毀誉褒貶がこれほど激しい人も、そうはいない。
だから共和党の大統領指名争いに参加するつもりなのではないかという憶測も上がる。極東アジア情勢を説明するという理由で、共和党議員と接触を繰り返しているのがその理由だ。ルーズヴェルト大統領は彼を評価していたが、信頼していた様子はない。マッカーサー氏個人の政治的な発言を見ても、民主党より共和党にシンパシーを感じているのは明らかである。
共和党の指名争いは民主党以上に混沌としている。中間選挙での民主党大敗で「3選なし」と考えた人士が「我も我も」と手を挙げているからだ。大方の予想では、タフト元大統領の長男であり上院共和党保守派の領袖であるロバート・タフト(オハイオ州)が最有力候補とされるが、個性の強いルーズヴェルトに慣れた選挙民の心に響くかと言うと、生真面目なミスター・リパブリカンでは決定打に欠ける。ヴァンデンバーク上院議員(ミシガン州)、ギャングバスターで全米的な知名度を誇るトーマス・デューイ(マンハッタン地区検事)、アーサー・ジェームズ(ペンシルベニア州知事)、サウスダコタ州知事のハーラン・ブッシュフィールド…ついにはフーヴァー前大統領の名前まで上がる始末だ。
ただこれらの候補者には共通点がある。市場に対する政府の統制を強めるニューディール政策を否定しているのは言うまでもないが、大統領の外交政策がアメリカ伝統の孤立主義を危うくするものとみている点だ。37年10月にシカゴで行われた隔離演説を「アメリカを戦争に巻き込むもの」と批判したのは、連邦議会の孤立主義者である。民主党も共和党も差はない。
その点でいえばマッカーサー氏は肌合いが大きく異なる。
「必要とあらば、極東であろうと欧州であろうとアメリカ軍の介入を考えるべきだ」
「ミュンヘン会談は、いずれ大馬鹿者の代名詞となるだろう」
「コミュニスト、あるいは国家社会主義に支配された欧州は、合衆国の国益に明確に反する」
真偽は定かではないが、とある議員の会合におけるマッカーサー前参謀総長の発言とされる。会場が騒然とした空気に包まれる中、ヨシダ大使だけが「わが意を得たり」と深くうなずく姿を目撃した参加者は多い。ミスター・リパブリカンをはじめ主要候補は孤立政策を支持する候補者ばかりである。彼らが党内多数の支持を受ける以上、マッカーサー氏が共和党の指名を受けるのは困難だろう。
- ワシントン・ポスト 12月5日のコラムより抜粋 -
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ワシントンDCの緯度は北緯38度。日本で例えると新潟県の佐渡島、あるいは山形や宮城の県南あたりに相当する位置である。12月は何と言ってもクリスマス商戦。年に一度の書き入れ時を逃すまいとする熱気と喧騒が、この政治都市にも訪れる。
だからどうした。寒いものは寒いのだ-駐アメリカ合衆国特命全権大使の吉田茂は、3度目となるワシントンDCでの年越しに、ほとほと嫌気がさす思いであった。無論、12月になったからといって寒さが急に和らぐわけでも、その逆に厳しくなるわけでもない。しかし市内を流れる運河や河川を遡るようにして、寒風が街中を容赦なく吹き付ける環境は、今年還暦を迎えた老人には身に堪えるのは確かであった。
実父である竹内綱は高知の生まれだが、自分が寒さに弱いのは南国土佐の血が流れているからだろうか。
今日も今日とて吉田はそのようなことを考えながら、大使館公邸の自室において、普段着の和装に白足袋、ドテラを着込んで、床の絨毯に直接、胡坐をかいていた。大理石の床に手織りの絨毯、マガボニーの机と洋書の詰まった本棚という洋式の書斎には、吉田の恰好はいかにも不釣り合いであった。吉田の体の正面には日本から運ばせた陶器製の丸火鉢があり、中で赤々と燃える豆炭に手をあてて暖を取っている。おまけに背後の薪暖炉にも火をつけるという徹底ぶりだ。先日ようやく嫁いだ娘には「爺臭い真似はおやめなさい」と言われたが、そんなことは吉田の知ったことではない。
引退したら暖かい場所に別荘を持とう。その時は義父と共に幼少期を過ごした大磯がよいなと、吉田が引退後の生活に一人思いを巡らせていると、その感傷を台無しにする無神経で遠慮のない声が掛かった。もっとも意図的にその存在を無視していたのだが。
「いやぁ、吉田先生も還暦を迎えられて、すっかり爺むさくなられましたな」
身振や言動、立ち居振る舞いは礼にかなっているのに、同時に自分以外のものを平等に見下した態度を取るという相反することを同時にしてのける白洲次郎に、吉田は鼻白んだ。仕立ての良いスーツ姿でノーネクタイの白洲は、24歳も年長の吉田をからかいながら、自分もちゃっかりその対面に座ると火鉢に手をあてている。吉田としてはこうも傍若無人にふるまわれると、呆れるしかない。
「貴様もそろそろ腰を落ち着けたらどうなのだ。岳父殿(樺山愛輔伯爵)も嘆いておられたぞ」
「泳ぐのを辞めると、窒息死してしまう魚がいるそうですよ」
「貴様はその魚と一緒か」
「働き者と評価していただけると有難いですね。いささか自分の福祉を重視している事は否定出来ませんが」
吉田は火箸で灰をかき混ぜながら「このバカボンドが」と吐き捨てた。バカボンド(vagabond)は漂流者、あるいは放浪者を意味する。しかし白洲はむしろそれを気に入ったようで「いい表現ですね」と言ってのけた。
白洲は、早い話が港町神戸のボンボンである。幼少期から暴れ者で、第一神戸中学校卒業後、高等学校に進まずに直接ケンブリッジに留学。そのまま現地で職に就いた。仕事は一流、遊び方は学生時代からの筋金入りのお大尽。遊び方の豪快さでロンドン邦人社会におけるちょっとした有名人になったという。昭和恐慌で実家が破産した後もその生活は変わらず、いくつかの会社の役員を転々として、今は久原財閥系の流れをくむ水産大手・食料加工品会社の日本水産の取締役だ。
吉田は親友の樺山伯爵の娘婿ということもあり、駐米大使として赴任する前に立ち寄ったロンドンで白洲と初めて面会した。わずかの滞在期間の間に、自分の愛娘と筑豊御三家の麻生財閥との御曹司の仲を取り持ったというのだから油断ならない。ひょっとすると白洲に対する感情というものは近親憎悪というものではないかと吉田は考えたが、さすがに自分はここまで厚かましくないだろうと、その考えを否定した。
「それにしても、あのマッカーサー大将のあれは何だったのですか?」
「とっておきの隠し芸だそうだ。実に面白かった」
「笑っておられたのは、貴方と御息女だけだったと思いますがね。式場が凍りついていましたよ」
白洲が珍しく困惑した口調で回顧する。先の結婚式の披露宴において、マッカーサー予備役陸軍大将は余興を披露するとしてオレンジ色の和装に身をまとい、番傘を歌舞伎役者のように芝居がかった仕草で広げると、「congratulations!」と叫びながらフットボールを傘の上に乗せて、クルクルまわし始めたのだ。
会場一同、これには唖然茫然。見て見ぬふりをして、何事もなかったかのようにふるまおうとしたのだが、肝心の新婦と大使が手をたたいて大笑いしているとあっては無視も出来ない。白洲も最後には「上手にフットボールを回すものだ」と感心してしまった。もっともあれで笑える吉田親子のセンスに驚いたと言ったほうが正確だが。
結婚式の思い出や新郎新婦の出会いについて一通り盛り上がり、話がひと段落してから、白洲はおもむろに本題を切りだそうとした。しかしそれより先に吉田が口を開いた。
「それで、何の用だね」
「ダグラス・エアクラフトに、大使閣下のお知り合いはいないかと思いまして」
吉田は不穏な気配を感じて顔を顰めかけたが、丸火鉢の中に視線を落とすことで、白洲から視線を外した。灰の中では豆炭が赤々と、その身を焦がしていた。
「あれはカリフォルニア州に本拠地がある民間会社だぞ。商工会議所のメンバーだったかどうかはわからぬが、チャールズ・ネイゲル(全米商工会議所創設メンバー)を紹介しろとでもいうのかね」
「民間会社ではありますが政府や軍との付き合いもあるでしょう。そちらでもかまいませんよ」
「マッカーサー大将にしてもすでに過去の人だ。陸軍航空に、知り合いがいないわけではないのだろうが-」
吉田は手にした火箸で、追加した豆炭を組み替えながら続ける。
「貴様が誰の代理人として動いているかは、聞かぬほうがよさそうだな」
「何故そう思われましたか」
「ダグラスDC-2のライセンス生産を日本で行っているのは中島飛行機であり、アメリカでの代理人が三井物産だ。社長の中島知久平は海軍将校上がりだが、陸軍にも顔が利く。三井にも海軍にも、そして陸軍にも可能な限り秘匿しておきたい。だから独自の交渉ルートを開拓したい。違うかね」
白洲は「お見事」と手を叩く。欧州大戦(1914-18)で活躍した航空機を本格的な人員と物資の輸送に使おうという動きは、戦後より活発になった。昨年5月のヒンデンブルグ号爆発事件により飛行船の安全性と信頼性が大きく揺らぐと、空のインフラは航空機(あるいは飛行艇)の独壇場となった。
より多くの旅客と荷物を、より目的地に早く、より安全に運送する。旅客機や輸送機が大型化するのは自然の流れであり、30年代から各航空会社の要望を受けて各社が開発競争に取り組んだ。フォード、カーチス、ボーイング、そしてダグラスである。
中でも34年にロールアウトしたダグラスDC-2は、航空会社が旅客機に求めたすべての要求を満たし、なおかつ時代を進めた革新的な機体と称賛された。当時としては破格の定員14人を達成した。続くDC-3では更に大型化を進め、定員30人以上が可能となった。
「さすがは亀の甲より年の功といったところでしょうか。如何にもおっしゃる通りです」
「やめておけ、やめておけ」
吉田は顔の前で手を振った。日本においてダグラス・エアクラフトとのライセンス契約を取り仕切るのは三井財閥系であり、政治的に後押ししているのは海軍だ。中島飛行機は三井物産を通じてDC-2のライセンス契約を結び、DC-3は三井財閥が新たに創設した昭和飛行機工業がライセンス契約を獲得している。吉田は火箸で灰をかき混ぜながら、最近とみに知り合いの増えたユダヤ人商人の言葉を借りて、この親友の娘婿に忠告する。
「官吏の私がいう話ではないのだろうが、商人には商人の掟というものがある。正規のルートを無視して独自ルートを開拓すれば、一時的には利益を独占できるようにみえるかもしれないが、既存の販売網は使えなくなる。それも成功すればの話。失敗すれば信用と資金を失うだけだ。苦労ばかり多くて、碌なことはないぞ」
「ご心配なく。私も航空機のような地に足のつかぬ商売を長く続けるつもりはありませんので」
「上手に例えたつもりか。三井や海軍と喧嘩して、勝てると思っているのか」
にやけた顔をする白洲に、吉田が吐き捨てる。しかし自信家の仮面には、全く揺らぎは見られない。手のひらを豆炭の熱で暖めながら、白洲は明快に言い切る。
「小さな飛行機を何機も飛ばせば、却って遭難のリスクは高くなります。ある程度の定員がないと話になりません。昭和飛行機工業がノックダウンですら生産出来ないとあれば、直接の購入もやむを得ないとお考えのようです」
吉田は内心の嫌な予感が的中したと舌打ちをしたい気持ちを我慢して、口調だけは穏やかに反論する。おそらくそれが何の意味も持たないであろうことは、他ならぬ吉田自身が理解していた。
「……そう焦る必要もないだろう。直ちには無理にでも、数年もすれば昭和飛行機もノウハウを蓄積出来ているだろう。それでもなお三井や海軍と正面から事を構える緊急性が、あるというのかね」
「少なくとも……」
白洲は生えてもいない口髭をねじるような仕草をして続けた。
「来年の遅くとも前半までに間に合わなければ意味がない。総理官邸はそう考えているようです」
・革命、もといゼネストは失敗しました。なおこれから資本家の巻き返しが始まります
・なおナチスは脅威ではないが国民の多数派、というよりも外交はほとんど考慮されない
・一匹狼の嫌われ者レノー。この人が台頭した背景はゼネスト失敗を踏まえないとよくわからない
・というかこの人に頼らざるを得ないのがフランス政局の混迷の象徴のような
・人民戦線が失敗したのもむべなるかなというか。何かどこかで聞い(ry
・マッカーサー「いつもより余計に回しておりまーす!」
・サボテン・ジャックがアップを始めました
・明らかに自分に敵対を始めたファーレイをそのまま職にとどめておくのが、FDRのやり方。慎重にして細密な政治手法、ただし負けてたら優柔不断とボロカスだったのは間違いない
・白洲次郎。遠くから見ているぶんにはかっこいいんだろうけど、そばにいたら嫌な奴だろうな
・軍事はわからないけど航空もわからん(開き直り)