NYT社説 / 東京日日新聞「ブリュッセル国際会議全権団」 / 中央新聞「杉山総監発言」に関する記事他 / 京畿道京城府 鮮満拓殖会社 総裁室 / 東横映畫新聞広告(1938年11月20日-22日)
「怠け者だったら、友人をつくれ。友人がいなければ、怠けるな」
サミュエル・ジョンソン(1709-1784)
- 【社説】満洲帝国承認問題:エンペラーの軍は信用出来るのか? -
1931年に恐らく日本の陸軍が中心となり建国された満洲帝国は、時代錯誤の帝国主義という熱病におかされた大日本帝国の侵略の象徴とされてきた。前政権のフーバー共和党(1929-33)、そして現政権のルーズヴェルト民主党(1933-)の両政権がこれを否定してきたことは、大陸との通商関係を重視する経済界の一部や、チャイナのロビイストの働きかけを受けた政治家を除けば、国内では多くの無関心と消極的な賛成により支持されてきた。しかしその現状は変わりつつある。
国務省が満洲帝国との国交樹立に向けた交渉に着手しているのは周知の事実である。現政権が大陸政策-というよりも対日政策を転換した背景には、いくつかの要因が数えられるが、約3年前のクーデター未遂事件以来、日本の大陸における軍人外交路線は明らかに後退していることが大きい。満洲帝国に隣接するいくつかの傀儡政権から手を引いたことや、第2次上海事変における抑制された軍事行動から「極東の憲兵」としての再評価したものと思われる。現にドイツとイギリスは5年前には認めなかった満洲を国家として承認した。フランスもこれに続くと思われる。
コーデル・ハル国務長官にとっては頭の痛いことに、2週間前の中間選挙で与党民主党は歴史的大敗を喫した。上下両院でかろうじて過半数を維持したものの、現政権に対して有権者は明確なノーを突きつけた。強引に推し進めようとした最高裁改革の失敗や、市場経済への過度の介入を批判した経済界の離反など敗因はいつくか挙げられるが、少なくともホワイトハウスが選挙戦で繰り返し喧伝した「平和の薔薇」のスローガンや、外交的な大成果について、ニューディール政策による恩恵を感じられない合衆国民は冷笑した。
連邦議会において、そもそも外交面における大統領の理解者は少ない。民主・共和共に程度の差こそあれ孤立主義-アジア太平洋地域や欧州大陸への不干渉政策を支持する議員が多い。隔離演説ですら批判の対象となったことは記憶に新しい。同時にフィリピン独立は無論、パナマをはじめとする中南米からの一方的な引き上げは、太平洋やカリブ海といったアメリカ合衆国の勢力圏に力の空白をもたらすものとして評判が芳しくない。超党派議連に属する共和党のヴァンデンバーグ上院議員(ミシガン州)は「大統領の楽観主義と、欧州への一方的な感傷による外交にはこれ以上つきあえない」とホワイトハウスを痛烈に批判している。同議員はタフト上院議員(オハイオ州選出)とならんで共和党の次期大統領候補でもある。一方で閣内では奇妙なねじれが生じている。ニューディール政策をこれまで支持してきたヘンリー・ウォレス農務長官のような親大統領派が対日政策転換に批判的であり、社会主義的な政策であると批判し続けてきた南部保守派の領袖たるガーナー副大統領や、駐日大使のジョセフ・グルーがこれに積極的である。
共和党の反ニューディール派、あるいは親ニューディール派のウォレス農務長官らは、そもそも日本は一時的な融和姿勢を示しているに過ぎず、満洲あるいは大陸での既得権益を認めてしまえば、いずれは強硬外交に戻るのではないかと危惧している点で共通している。一方でガーナー副大統領に代表される民主党保守派は、ここ数年来の極東における日本の行動から、政治的あるいは軍事的な妥協が可能であると考えている。前者はアジア太平洋におけるアメリカのプレゼンスが日本に侵食されることを恐れており、後者はむしろ米国の影響力を維持するのに利用できるとも考え始めている。南京の政権の混乱が、日本の再評価につながったとする悲観的な見方もあるが、決して的外れではあるまい。
日本は約70年前に革命を成し遂げた功労者の引退後、一部の例外を除いて強力な政治的指導者を欠いてきた。政権が2年以上続いた内閣は数える程であり、民主化が期待された政党内閣時代には、むしろその支持層に突き上げられる形で一時的な融和外交と強硬外交を繰り返すばかりで、外交的な安定性は望むべくもなかった。多くの日本政治ウオッチャーも、今の政権を担う林銑十郎陸軍大将の外交姿勢が、一時的な妥協によるものでいずれは強硬路線に立ち戻るのか、それとも本格的な国際協調路線への回帰によるものなのか、その見解はわかれている。彼は陸軍出身だが、クーデター反対派として振舞うことで、皇帝の信任を得て政権を発足させた。外務大臣と陸軍大臣を兼任しており、首相候補を有さない主要な自由主義政党と保守政党がこれを消極的に支持している。非政治的な海軍も表だって反対はしていない。このわかりにくさが日本に対する慎重姿勢の一因ともなっている。
日本の真意を検証することになるのは20日よりベルギー王国ブリュッセルで開催される9カ国条約会議になるだろう。本会議は日本政府が開催を呼びかけたものである。当事者である南京国民政府が欠席なのは、チャイナの政情を考えればやむを得ない。表向きの議題はチャイナの内戦への対処と、各国の経済権益が集まる沿岸都市部の治安維持活動を目的とする連合軍の編成である。実際には上海に流入を続けている難民問題を話し合うためだ。湖南省長沙の大火災で焼け出された被災者だけでなく、大陸各地の紛争から逃れた避難民が続々と詰めかけており、専門家のあいだでは最終的には十数万規模にまで膨れ上がるのではないかと指摘する声もある。現地日本軍や上海市参事会は対応に頭を悩ませている。
- 『The New York Times』(11月21日)社説 -
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- ブリュッセル国際会議開幕 -
(写真)
議場入りする日本代表団。全権の重責を担うのは駐ベルギー大使の佐藤尚武(写真中央)。
外務政務次官の松本忠雄(写真右後方)と外務省通商局長の来栖三郎(写真左後方)
(中略)次席全権である松本忠雄氏は、加藤高明元総理の総理秘書官や、斎藤・岡田両内閣の外務参与官を歴任した民政党の外交通。支那問題にも精通しており、林総理(外相兼任)の名代として、日本の立場を各国に訴える役割を担うとされる。外務省内には「代議士はスタンドプレーが多い」「松岡(洋右)全権の二の舞にならないか」と危惧する声もあったが、次期外相候補とされる佐藤大使を代表とすることで矛を収めた。会議の成功は佐藤外相に繋がるとして同行した来栖局長らも鼻息が荒い。
- 東京日日新聞 日本全権団の横顔 -
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- 教育総監「柳条湖は天恵だった」と発言。各党は早速反発 -
教育総監に就任した杉山元陸軍大将は、19日の陸軍士官学校における着任挨拶で「柳城湖事件と言う天恵により士官学校の卒業生はようやく300人規模に回復した。出来れば500人単位は確保しておきたいが、現状では難しい」と発言した。満洲事変における戦死者を陸軍という官僚組織の利益に結びつけたものとして、来年度予算編成が本格化する中、連立与党は一斉に反発。親軍派が主導権を握る野党第1党の社会大衆党からも批判する声が出ている。
・杉山総監発言骨子
日露戦争により帝国陸軍は甚大な損害を受けた。その調整として20期、21期はその穴を埋めるため一時的に、いささか水増しとも言えるほどに大量に任官させたが、その後は大正期の軍縮もあり最盛期の700人規模から500、400と低下し、ついに昭和2年の39期では200人規模にまで卒業生の数は低下した。一時的な大量任官による質の低下と、その後の任官絞込みによる軍への影響は諸君も承知の通りである。昭和8年(1933年)には36期以降には同期を一斉に大尉に同時進級させることで穴を何とか埋めてきたが、部隊を維持するための一時的な苦肉の策であり、長続きはさせてはならない。これは現在の24個師団体制の維持すら危うくなりかねない、危機的な数字である。
柳条湖事件はその点では天恵であり、本土の国民に満蒙の現状、および日本の国防の危機的状況を訴える好機でもあった。何とか44期からは300人まで規模を回復させたとはいえ、大正期や昭和初期を通じた深刻な士官不足は国軍にとって深刻な事態であることに変わりはない。そこにあのクーデター事件である。信頼回復のためにはやむをえなかったとはいえ、多くの人員を追放したため陸軍の現状は依然として深刻である。
第2次上海事変前には17個師団体制であったが、上海派遣軍の留守を守るという形で新設師団も増やして24個師団体制にまで拡充することが出来たのは、渡辺前総監の尽力によるところが大きい。しかしこれは近衛師団も含めた数であり、特に新設師団は到底その実力にふさわしい内容のものではない。可能であれば士官学校の規模を1期500人規模に拡大したいところであるが、再び戦争でも起こらない限り難しいだろう。この書類上の師団を戦える戦力へと作り変えることが、諸君らの仕事と心得てもらいたい。国軍の威信を回復し、国民各位から改めて十分な理解と協力を得るためにも、諸君の一層の努力と献身を期待する。
- 総理官邸と外務省が杉山発言に激怒。杉山総監は謝罪し撤回 -
(外務省欧州局幹部の談話):「ブリュッセル国際会議を前に、総監は何を考えているのか。足掛け7年近くかかってようやく陸軍の尻拭いが出来るという時に、再び戦争を望むとは言語道断。日本陸軍への不信感を煽る様な発言を、よりにもよって教育部門のトップがするとは論外だ」
(安達謙蔵・国民同盟総裁の談話):「渡辺前総監のこれまでの努力を正面から否定するような行為だ。陸軍の現状への危機意識はわからないでもないが、物には言い方というものがある。しかも時期が悪すぎる。丸い豆腐をわざわざ四角に切り分けるようなことはしないでもらいたい」
(阿倍官房長官の談話):「杉山総監には、総理から直接発言に十分留意するようにとの注意があった。杉山総監にはこれからも職務に邁進してもらいたいというのが、陸軍大臣としての総理の考えである。(発言についての質問に)いろいろな見解はあるだろうが、私的な意見をこの場で述べるのは差し控えたい」
- 民政党外交調査会が朝鮮・満洲視察へ出発 -
立憲民政党は19日、党の総務会において田中武雄代議士(元拓務政務次官)を団長とする朝鮮・満洲視察団を派遣することを決定した。町田総裁もこれを了承した。民政党は現在、同党幹部の小川郷太郎氏を拓務大臣として送り込んでいるが、若槻前総裁や町田総裁らは幣原外交の影響を受けて、植民地行政に関しては外務省あるいは内務省において一元的に行うべきという考えである。同党は田中内閣において同省が設置されたときに反対した。特に大蔵省出身の勝正憲幹事長は、現在進められている省庁再編の中で拓務省を再編するべきだという意見を公言しており、同党の伝統的な財政整理の考え方にも沿うという主張だ。
一方、親軍派の大亜細亜主義者である永井柳太郎文相の影響を受けた若手中堅の間では、同省の機能を拡充させることで、より積極的な満蒙開発、あるいは南方開発に乗り出すべきという意見が根強い。大隈(重信)侯爵の対外強派もまた民政党の伝統であるが、より深刻な問題として地方農村部を中心とする余剰人口と貧困問題があげられる。有力な移住先であった満洲国は国籍法改正の影響もあり急ブレーキがかかり、朝鮮半島に関しては東洋拓殖の財政改革を優先する総督府が消極的である。また世界恐慌からの景気後退から抜け切れていない南米各国は現在以上のペースの移民受け入れには消極姿勢を示している(中略)…
このままでは国民同盟や東方会に、東北や北陸で地方組織を喰われるという民政党県連の危機感は根強い。特に移民問題は政友会北海道連や、東北選出の議員団も重要政策にあげており、民政党対外硬派の議員集団と連携を図る動きもある。政友会とは下からの連携ではなく上からの戦略的同盟を維持したい民政党執行部としては、視察団派遣を通じて現地の特殊会社の経営状況や実情を調査することで、同党政調会における半島政策や東亜外交政策に反映させたい構えだ。しかし朝鮮総督府や満洲国関係の特殊会社は陸軍の影響力が強く、軍機の壁を前にどこまで掘り下げた調査が可能か、前途は多難である。
- 砂田幹事長、東北6県の代議士と懇談へ -
(中略)…前田米蔵総務の調停むなしく、東北6県の政友会県連は「満洲国に対して国籍法改正への働きかけ」を求める各県連執行部の決議案を、砂田重政幹事長に提出した。北海道連でも南米移民の旗振り役であった南条徳男代議士らがこれに呼応する構えである。また満洲への移民希望者の多かった長野県等でも地元県連が、これに賛成する動きが出ている。政府閣僚である三土総裁(内相)は静観する構えだが、改正を申し入れた東北選出議員団は、林内閣に対して移民政策に関する政府の考えを次期国会で追及すると意気込んでいる。
- 中央新聞(政友会系全国紙)11月21日の記事から抜粋 -
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西條八十の作詞という軍歌『戦友の唄』に「同期の桜」という単語が出てくる。
これは海軍兵学校がモデルだが、陸軍で同期の桜といえば、ドカン学校になるのだろう。無論、正式名称ではない。士官→土管→ドカンという具合で、要するにただの駄洒落だ。陸軍士官学校は文字通り陸軍の、士官を育てる学校だが、この士官は佐官のことではなく尉官のこと。ここに入らなければ将校(少尉以上の武官)には基本的にはなれない(陸軍経理学校等の士官学校卒業同等の例外あり)。陸軍出世双六のスタートラインであり、ドカンの先に何があるかは、在学中の努力次第といったところか。
陸軍士官学校12期は、明治33年(1900年)の11月卒業であり、19世紀最後の士官学校卒業生である。この世代は尉官として3年ばかりの経験を積むと日露戦争(1904-05)に従軍した。東三省-現在の満洲各地で戦塵と血潮にまみれ、士官学校の先輩も後輩も、そして同期も数多く戦地に倒れた。畑俊六、杉山元、小磯國昭、そして二宮治重。この4人は全員が日露戦争に従軍し、戦後2年ほどして揃って陸軍大学校に入校する。
陸軍大学校は高級参謀の養成機関であり、教育総監部ではなく参謀本部の管轄。ここを卒業しないと平時において基本的には星付の将官にはなれない(陸大卒業同等とみなされる例外有り)。いわゆる天保銭(陸大卒業徽章)組である。天保銭は人事の不公平感に繋がるという理由から2・26事件後に廃止されたが、エリートであることに代わりはない。
では何を教育していたかといえば、基本的には3年間の徹底的な詰め込み教育であり、語学に法学に数学、戦術に戦史、科学に化学に物理、当たり前だが体育に馬術、そして参謀の実務教育など。得点配分の大きい分野の一芸に特化した変態(語学狂・馬術狂)もいるにはいたが、何せ期間が限られているし量が量だけに付け焼刃が意味をなさないので、大体は公平な客観的な順位になるとされる。卒業後も3年間の成績はついて回るから、一瞬一コマたりとも油断は出来ない。知力体力共に兼ね備えた真面目な人材を選出するためのものなので、杓子定規のつまらない選出といえばそうなのだが、外れは基本的には少ない。
先に述べた陸士12期の4人のうち、畑が首席卒業でドイツ駐在武官補佐。二宮も優等(イギリス駐在)、杉山は参謀本部(情報部門の第2部勤務)と優秀だったのだろう。では小磯はといえば-陸大22期55人中の33位……実に微妙である。
いくらエリートといっても甲・乙・丙・丁とある。恩賜の軍刀組をふくめた甲(将来の三長官あるいは幹部候補)、能力はあるが人格や勤務態度等その他の項目でマイナスとされた乙(将官から佐官)、まあ鍛えりゃ何とか使えるの丙、端にも棒にもかからぬ「さびた天保銭」ことサビ天の丁……このうち丁がどんじりというので案外目立ち、人事当局者の目に留まって思わぬ出世を果たすこともあったというのだから、陸軍出世双六は面白いのだが、考えてみればどん欠でもエリートのどん欠なのだから優秀に決まっている。
繰り返しになるが、エリート中のエリートが揃う陸大において中間より少し下の成績なのだから、この山形出身の醜男が無能なわけがないのだが、小磯の33位は確かに中途半端な席次といえる。それが今回ようやく大将に昇進した杉山(教育総監)、次こそは次こそはで先送りの畑(陸軍参事官)、宇垣大将に近すぎるという理由で皇道派に睨まれて中将のまま予備役入りとなった二宮を差し置いて、真っ先に大将に上り詰めたのが小磯だというのだから、人生はわからない。ほかの期と比べてみてもそのような中途半端な順位で大将に上り詰めたというのは前代未聞のことであるらしい。
「調べた人間は相当暇だったのだろうな」
『内鮮一体』と揮毫された掛け軸を見ながら、升田憲元代議士(島根2区・民政党)は、陸士12期の同期の桜である二宮治重(予備役陸軍中将)に語りかけた。東洋拓殖の京城本社にほど近い一等地に本社ビルを構える鮮満拓殖の総裁室は、部屋の主である二宮の趣味を反映してか、整理整頓が行き届いており、むしろ殺風景な村役場の事務所のような印象を升田に与えた。
ただ唯一の例外がこの掛け軸であり、南次郎・朝鮮総督の朝鮮統治綱領の有名なスローガンが、件の小磯大将(前朝鮮軍司令官)の筆により踊っている。といっても文字がいささか小ぶりにまとまりすぎている気もする。いかにも書には人柄が出るものだと、升田と二宮は顔を見合わせて笑った。
「相撲協会の理事長になったそうだが、前任は主計畑で経理学校長もやった廣瀬(正徳)さんだろう?小磯で大丈夫か」
「同期の親交があるからかばうわけでもないが、あれはあれで器用な男だ。心配はいらないだろう」
「なにせ大将閣下に上り詰めるぐらいだからな」
そう語る升田自身、日露戦争に従軍して大尉で退官した後、京都帝大に入学して高等文官試験に合格したという超エリートである。おそらく軍に留まっていても間違いなく陸大を卒業して将官になっていただろう。
高等文官としてキャリアを重ねて弁護士の傍ら東京市芝区の区会議員、そして昭和11年(1936年)の衆議院選挙で立憲民政党の公認を得て地元島根から初当選を果たした。民政党が半島・満洲の視察団に加えるのも頷ける経歴の持ち主だと、現在は鮮満拓殖会社の総裁である二宮治重は内心頷きながら、升田に座るように勧めて、自らはその対面に腰掛けた。
「杉山と畑の2人に関しては、奇妙奇怪なる林人事の犠牲者という見方も出来るが。それにしても林総理の人事は、梅津君の陸大の成績と士官学校卒業年次が金科玉条というつまらない人事とは対照的ではある。なにせ時計の針を巻戻して陸士8期で固定してしまったのだからな」
「貴様の立場で、そんなことを言ってもいいのか」
「なんのことかわからんね」
言葉少なく尋ねた同期に、二宮はどうとでも受け取れる如才ない言い方で返す。
鮮満拓殖会社は、文字通り朝鮮半島出身者を満洲開拓に斡旋するという、俗っぽい言い方をすれば陸軍の天下り先の特殊会社の総裁である。にも拘らず現役トップの人事を批判するつもりかと尋ねる升田に、あえて言質を与えてやるほど二宮は同期の絆を感じてはいなかった。二宮はあえて話題をそらすように、先んじて口を開いた。
「それにしても、あと1月もすれば通常会(国会)だろう?貴様こそ、こんなところで油を売っていてもいいのか」
「後1月しかないからこそ、色々と先に見ておく必要があるんだ。国会が始まれば3ヶ月は身動きが取れない。次の予算には反映出来なくとも、補正予算や来年度がある」
「政党の政策調査会というのは仕事熱心なのか、それとものんびりしているのかわからんな」
「それが仕事だからな」
民政党随行団として訪鮮している升田の立場を揶揄するように二宮が言うが、当人はいっそ慇懃無礼なまでの素っ気のない回答で応じる。根が真面目な畑や杉山なら「馬鹿にしているのか」と激怒するであろうが、如才のなさでは小磯大将とは引けを取らないと自負している二宮は、これを受け流して続けた。
「南総督からも協力するように命じられている。聞きたいことがあればなんでも聞いてくれ」
「どうせ協力するのなら、柳条湖事件(南次郎は当時の陸相)の時にしっかりと関東軍を押さえ込んでくれればよかったのだがね」
「おいおい、貴様は今更そんなことを言うためだけに、遥々と朝鮮まで来たのか」
二宮が呆れたような口調で、観察するような視線を升田に向ける。
いくら3月事件でのクーデター未遂計画への関与がささやかれているとはいえ、二宮は陸軍におけるかつての民政党内閣の同盟相手であった旧宇垣派の幹部である。そして現在の陸軍の中枢と陸士の同期であるという関係性は、新人代議士の升田としては数少ない党幹部に売り込む材料だ。その程度の計算は出来るだろうと二宮は算盤を弾いていた。そしてこの陣笠というにはいささか年をとりすぎている新人代議士先生は、憂鬱と沈鬱が入り混じったような短い息を吐いた。
「杉山総監にも同じことを言ってもらいたいものだ。俺は肩身が狭い」
「升田、貴様も勉強不足の新聞記者と同じことを言うのか」
「中央で予算編成に携わったのなら、この時期はどこの省庁も殺気立っているのはわかるだろう」
升田の愚痴に二宮は苦笑した。二宮は中央の省部における軍官僚としての才覚を同郷岡山県の先輩である宇垣一成に見込まれ、その最盛期には同期の杉山・小磯、そして建川美次(陸士13期・陸大21期)と共に宇垣四天王と呼ばれた男である(非政治的な作戦屋である畑は、当然ながら数には入らない)。
処世術の天才であり長期政権を築いた宇垣陸相に見込まれただけに、二宮も陸軍の予算要求には様々な立場で関わった。つまり升田の指摘する杉山発言を各勢力がどう利用しようとするかについても、おおよそ見当がついた。
「それを言うのなら貴様もドカンの出身なのだ。俺も貴様も」
二宮は自らのスーツの胸元を指して続けた。
「今は軍服を脱いだとはいえ、その重要性は理解しているだろう。杉山のいうことが見当違いでないことも理解しているはずだ。わからんとは言わせんぞ」
「俺1人が理解していてもな。また陸軍の恐蘇病が始まった、予算拡充のためのプロパガンダと言われるのが関の山。大蔵主計局や民政党の大蔵官僚出身議員は鬼の首を取ったような騒ぎだ。陸軍当局には発言に注意してもらいたいというのに」
「貴様の苦労も徒労というわけか」
「茶化すな。これでも俺は渡辺前総監の路線を支持しているのだから……」
升田は一瞬だけ歯痛を堪える子供のように顔をゆがめて続けた。
「陸軍の現状は、党としても深刻に受け止めている」
「受け止めているという割には」
二宮がそれ以上口を開く前に、升田は手でそれを制して続けた。
「町田総裁以下も冷や汗をかいておられたよ。先の第2次上海事変、シャン陸はよく戦ったが、広島の特別大演習による事前動員がなければどうなっていたか」
「上海が国府軍の統制下に置かれていただろうな。日本軍の権威は失墜し、大陸各地で反日暴動が激化しただろう」
陸軍への誹謗中傷ではなく厳然たる事実であるだけに、二宮は升田の発言を是とした。昭和12年(1937年)当時、陸軍は半島駐在を含めて17個師団体制であったが、粛軍人事の影響でどの師団も部隊運営に深刻な影響が出始めていた。戦時編成への移行は最低でも1月から2か月は必要である。それを特別大演習を名目に即応可能な戦時編成の6個師団が広島県にいたのだから、話が出来すぎている。
「閣議で町田総裁は大演習の規模拡充に反対されたそうだが?」
「反対ではなく慎重意見だ。あの状況では陸軍の行動に懸念を持つのは当然だろう」
「結果論ではどうとでもいえる」と升田は、椅子の背に背中を押し付けた。
「誰が考えてもあの状況で陸軍の虎の子の6個師団が揃っているなど、都合がよすぎるというものだ。あの時、陸軍の対応が後手に回れば、林内閣はもっと早く潰れていただろう。そんなことだから千里眼の持ち主だとかいう話も出てくるわけだが」
「御船千鶴子じゃあるまいし」
二宮は升田の冗談か本気かよくわからない発言を、手を振って否定した。とにかくこれにより陸軍は何とか2・26で失った面子を取り戻し、ようやく本来の仮想敵である対ソ戦を前提とした軍備拡張に取り組むことが可能となった。
二宮にとっては、その事こそが重要であり、陰謀論であろうとオカルトであろうと、理由はどうでもよい。ただ対ソ戦を考えるのであれば重要な後方支援拠点である半島政策をあまりにおなざりにしていると二宮は不満を持っており、その点を升田に率直に訴えた。
「総督閣下だけではなく総督府としての意見と受け取ってもらっても結構だ。半島経営の安定なくして満洲の防衛は出来ない。しかし、どうも現内閣の施策では後回しにされていると感じる」
「予算は無尽蔵ではないのだから、ある程度優先順位がつくのはやむを得ないだろう」
眉を顰める二宮に、升田は一旦言葉を区切ると「そもそもだ」と続けた。
「大体、極東における戦力比が、蘇10:日3という陸軍参謀本部の見解は正しいのか?」
「参謀本部第2部は自信を持っている数字だ。それにソビエト軍の精強さは先の張鼓峰、満蘇国境の衝突によっても証明されたではないか。懸念材料だった極東の労働者不足は政治犯も含めた流刑者を使い、突貫工事でシベリア鉄道の拡充を続けている。いずれは東の兵力を西に、西の兵力を東にと、より機動的に動かせるようになるだろう。ソビエト空軍も侮れない。そして何より」
二宮は身を乗り出して続けた。
「相手は共和制や議院内閣制のように、民意を心配しなくてもよい。こちらが相撲なら、相手は一党独裁の何でもありの野良試合だ」
「確かにその通りだ。だからといって、こちらが髷を切り落として土俵の上から降りるわけにもいかない。貴様も中央を離れたとはいえ、今の状況は貴様も理解しているだろう。軍事費をよこせ、内容は軍機だの一点張りでは政権がもたない」
「わかっている。だからこそ合理主義者の渡辺前総監ですら、昭和11年綱領に基づく一合軍備計画に同意されたというのは、理解してもらいたい」
二宮が指摘したように陸軍はすでに昭和11年(1936年)に作成した大綱に基づき、五ヵ年計画で対ソ戦を前提とした軍近代化に着手している。翌12年の9月には第13・第18師団が復活し、既存の連隊から抽出して新設した第26・第101・第108・第109師団を含めて23個師団体制に。10月には第114師団を創設して、現在(昭和13年11月段階)では24個師団体制である。
しかし師団の数を増やすのと引き換えに、新設師団は4個連隊からなる重師団制(甲師団)だが、それ以外の定員を3単位師団という「軽」師団の乙師団に引き下げられるなど、数は増えてもその内実は必ずしも追いついていない。まして甲師団であるはずが人員不足や予算の上限により乙師団であったり、連隊や旅団の看板を師団にかけ替えるだけにとどまっているのが現状だ。本来であればこの5月には31個師団体制になっているはずなのだが、残りの7師団は書類だけの幽霊師団というところに、陸軍の懐事情が表れている。
むろんこれにブレーキをかけたのは士官学校を始め教育部門を管轄していた渡辺前総監だ。「内容を気にしなくてもよいという前提ならば、予備役からなにから総動員をかけて数字だけなら50個師団にまで拡充は可能だが、その場合の質に関して総監部は責任を持てない」ときっぱりと明言されては、かっとなりやすい寺内寿一参謀総長も反論出来ない。参謀次長の小畑敏四郎にいたっては「幽霊師団や張り子の虎で赤軍と戦えるか」とそっけない。杉山総監の発言は確かに迂闊ではあったが、陸軍の現状に対する危機感からのものだ。
「濃いコーヒーを水で割れば数だけは増えるが、水の入った樽にコーヒーを一滴垂らして『コーヒー』と売るのはさすがに無理があるというものだ。おそらく渡辺前総監は現状のペースでは30個師団前後が質と量を拮抗させる限界と考えておられるのだろう。無論、それを今の総監のように公言されるような下手は打たないが」
二宮の指摘に升田も頷きながら応じる。
「まずは現状の24個師団が戦時編成となっても困らないだけの人的な手当てをすることだろう」
「戦車に航空機、大砲に小銃は言うまでもないが、その他の軍服に糧食、もろもろの日常用品に至るまでの装備品の生産拡充……」
指折り列挙してみせた二宮であったが、途中でそれを辞めると「渡辺前総監はぬかりないよ」と両肩をすくめ、両掌を上に向けてお手上げという姿勢をして見せた。国内の工廠と兵器製造所を管轄する陸軍造兵廠は陸軍省管轄。軍装備品は偕行社を始めとした陸軍や退役軍人と関係の深い関連企業が多くを受注している。大正デモクラシー期には「弾圧」された陸軍軍人を守る避難壕であったそれらが、満洲事変等を経て、今では陸軍を中心とする一大軍需企業に成長した。
渡辺前総監はそれらと対立する愚を犯さず、陸軍の総意である一号軍備計画に従いながら、そのスケジュールを調整して需要をコントロールすることで、供給先や天下り先企業を、中央の陸軍省が統制する体制を作り上げた。
2・26からの信頼回復という時期に、統制の回復という誰もが反対出来ない理屈。二宮から見ても舌を巻くばかりであり、渡辺が副官として仕えたかの山縣元帥を彷彿とさせる政治手腕だ。林陸相の知恵袋というのもうなずける話である。無論、そんなアンタッチャブルな存在が代議士にとって面白いわけはない。升田は、その必要性は認めながらも、眉間にしわを寄せながら不満を口にした。
「正直に言うと、あまりおもしろくはないな」
「まあ、代議士としての貴様の立場ならそういわざるを得ないだろうが……正直、私としても今の中央には思うところはあるよ」
「閑古鳥が鳴いているからな」
攻守交替とばかりに嫌味を口にする升田に「だからこそ新人代議士先生の相手をする時間もあるというものだよ」と二宮はジャブを返した。満洲国の国籍法を東京が承認したことにより、朝鮮総督府の傘下にある鮮満拓殖が立案していた朝鮮半島出身者の満洲への年間1万戸の移住計画は画餅と化した。半島出身者にとっては満洲の国籍よりも、いざとなれば本土でも働ける日本国籍を選択するのは自然のこと。二宮は苦り切った表情で続ける。
「結局、ここでも余剰人口問題というわけだ。鮮満拓殖が不動産斡旋や当座の生活費、あるいは事業資金の貸付を通じて半島南部から段階的に北部に移住させるという計画も、すべては満洲というフロンティアがあってのこと。北米への移民は紳士協定とやらで不可能となり、大恐慌で苦しむ南米がこれに続いた。大陸は内戦でそれどころではない」
経営への行き詰まりの懸念というよりも、むしろ現状の政府の無策への怒りからか。次第に語気を荒げる二宮に、升田も険しい表情で頷く。
「東北や北海道、大恐慌で大きな損害を受けた中小農家の多い長野など、満蒙開拓にかけていた本土の国民も多い。満洲さえあればすべてが解決するという楽天的な考えには同意出来ないが、それでも本土から半島、そして満蒙と続く人の流れが突然断たれたとあっては、民政党としても無関心ではいられない」
「選挙があるからな」
「選挙があるからこそ、地方の国民の声が拾える。私たちとしてはそれを国政に反映させるだけだ」
代議士としてごく当たり前の建前を述べた升田であったが、二宮はその言葉に笑いながら冗談めかして続けた。
「では朝鮮半島にも、2000万人の意見を代弁するために選挙区を設置するか」
升田は即答出来ず、かつての同期の顔を、その真意をうかがうように覗き込んだ。
半島在住者は約2000万。男女比が仮に半々として1000万である。昭和10年の国勢調査では東京府の人口は約630万人であることを考えると、とてつもない数だ。仮に選挙区が設置されたとしても、満洲の後方支援拠点という地政学的な重要性から、陸軍は総督府の維持を主張するだろう。
内鮮融和や一体が叫ばれて久しいが、半島出身者の事大主義の悪癖が抜けきったとは、少なくとも升田は考えていない。半島の有権者の支持を背景に合法的に親軍政治家、あるいは大陸政策の理解者を永田町に送り込むことも不可能ではない。そうなった場合、三宅坂ではなく京城が陸軍の主導権を握ることにもつながりかねない。自分の思考に黙り込んだ升田の反応を見て、二宮は「冗談だ」と顔の前で手を振った。
「結局のところ東京は、半島や地方のことなど何も理解していないのだ。田舎で仕事がなければ都市部で働けばいいなどと財閥系企業は気楽に言うが、故郷を捨てて新しい土地に移住できる人間がどれだけいるか」
「いささか半島出身者に肩入れしすぎではないか?」
「シベリア鉄道でやってくる言葉も通じぬ亡国の民を受け入れるよりは、よほど効率的だとは思うがね」
二宮の言葉には棘があったが、升田にもそれは理解出来る感情である。赤十字を通じてドイツの元ポーランド国籍のユダヤ人孤児を満洲で受け入れる提案は、すでに日本だけでなく世界で報道されており、シベリア鉄道を使って満洲に流れ込む亡命ユダヤ人の数は日々増えているという。しかし目の前の余剰人口問題ですら解決できていないというのに、欧州の難民問題にかかわる余裕が、一体、帝国日本のどこにあるというのか。まして上海郊外における難民問題も抱え込もうとしている時期に。優先順位がおかしいのではないかという疑問は升田ですら感じていた。
「確かにユダヤ人の境遇には同情するが、それとこれとは別の問題だ。余剰人口問題への対策も示さず予算もよこさず、あげく効率的に運用しろと繰り返すばかり。余剰人口が飢えて死ねば、問題が解決するとでもいうつもりか」
「それは貴様個人の考えか?それとも」
総督府の総意かと尋ねようとした升田であったが、二宮は右手の親指を立てて背後の『内鮮一体』の掛け軸を指すと、笑いながら答えた。
「流れる水は腐らず、精出せば水車は凍らずだよ。凍った水車を再度動かすのは一苦労だし、水が腐ってから飲めと命じられて、飲む馬鹿がどこにいる?」
*
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之ハキネマデハナイ!真実ダ!/近衛公拘束ノ真実ガ、今明ラカトナル…
BBCヨリ独占入手!之ヲ見ナケレバ昭和壱参年ハ終ワラナイ!
『伯林之奇跡』
渋谷東横ニュース劇場ニテ、壱壱月弐参日ヨリ放映開始!
東横映畫株式會社(協力:満洲映画協会)
*映画ノ半券ヲ東横百貨店ニ持参サレタ方ハ、御徳ナ割引券ヲ、プレゼント致シマス*
- 11月22日の主要7社の新聞に掲載されたニュース映画広告より -
・難産でした。朝香宮邸宅、ブリュッセルのホテル、文部省庁舎…書いては消し書いては消しでどうにもまとまらず。
・軍事はわからん!というわけでまちがってたらすまん!(開き直り)
・リベラル派の代弁させるのに実に使いやすいNYT
・杉山教育総監。まあ失言するタイプではないかもしれませんが。
・史実でも割と暴れている政友会東北県連。そりゃ地元が地元なだけに、東京の料亭で憂いていた青年将校よりも危機感は深刻。
・御船千鶴子「やいカイゼル禿!お前達のやった事は、全部全てまるっとお見通しだ!」山川健次郎「ユー!キャスティングからなにから、色々と違うと思うぞ!」
・いきなりストップしたらそりゃ弊害出るわなという話。将来のソビエト侵攻の危険性や、軍の負担が大変だから行かないで(いっても納得しないだろうけど)という理由は言えない(何のために高い軍事費払ってんだという話)。現状に希望を持てないから移民しようとしているのに、まあ無理だろうなと。
・妖怪化のとまらない渡辺錠太郎。もうこの人だけでいいんじゃないかな。
・二宮治重。永田鉄山とか阿部信行とかと似た能吏。でも宇垣四天王の中で一番地味。
・升田代議士は細田吉蔵さんの岳父。ということで紀尾井会の流れをくむ某政党最大派閥の会長(2018年現在)は、実は民政党系になる。旧岸派には民政党右派系が合流しているし、意外と保守傍流系派閥よりも民政党色が濃いかもしれないという、趣味丸出しな考察。
・北海道や東北が後回しというよりも、海外植民地も通じて大日本帝国という一貫したサイクルなんですよね。血液循環で一部に偏るわけにはいかないと例えるには、ちと乱暴か。でもまあ、なんで海外領より俺ら後回しなんだ!となる。
・人余りで困っているという日本。今からするとぜいたくな悩みに思えますが結構深刻。
・最後のは思いっきりふざけました(おい)




