アメリカ合衆国 ワシントンDC(特別市) ホワイトハウス執務室 / 在アメリカ合衆国日本大使館公邸(1937年7月)
『正真正銘の民主主義的な専制君主』(ルーズヴェルト大統領について問われて)
B・ムッソリーニ(1883-1945)
- 『アメリカ外交について』 -
親愛なるアメリカ合衆国市民の皆さん。フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトです。
本日は現在の世界情勢と、アメリカ政府の外交政策についてお話したいと思います。
117,465、117,465、117,465
この数字は先の世界大戦において民間人の戦没者も合わせた、アメリカ軍全体の戦死の数です。
11万7千465人。戦傷者は20万5千690人とその倍近くになります。
これだけの犠牲を払いながらも、世界に平和は訪れませんでした。
私達は彼らの英雄的な献身だけではなく、その冷徹な現実を忘れるわけにはいけません。
今、世界は先の見えない混迷の時代にあります。しかし私はアメリカ合衆国の未来に悲観はしておりません。私が大統領に就任して6年目となります。この間、私は学んだことがあります。
それはアメリカをアメリカとして偉大たらしめている理由です。
私はアメリカが偉大であるとするなら、それは国民一人ひとりの偉大なる精神の発露によるものだと考えています。
17世紀に英国の圧制から逃れ、メイフラワー号でニュー・プリマスに到着した清教徒達は、わずか100名ばかりであったといいます。しかし彼らには偉大なる意思と使命がありました。それは彼らの子孫である私達、アメリカ国民一人ひとりにもあるものです。
アメリカは団結していないという人がいます。確かにその通りです。私達には意見や見解の相違があります。
しかしこの偉大な精神こそが、この多種多様な意見が存在するアメリカをたったひとつの、そして強大な国家として団結させ、幾多の困難に打ち勝つ原動力となってきたのです。ゆえに私は偉大なるアメリカ国民の将来と、アメリカの未来に何の不安も抱いておりません…
- アメリカ合衆国大統領ラジオ演説放送『炉辺談話』(1937年7月10日) -
*
コルシカの貧乏貴族の小倅に、欧州各国がきりきり舞いさせられたナポレオン戦争(1803-1815)。
戦後「二度とあんな目にあってたまるか」と各国政府が近代化政策に血眼になる中、軍の近代化は当然として、内政において重要視されるようになったのは大蔵省(財務・予算部門)と内務省、そして文教行政である。
国家への帰属意識を青少年に育成するための教育の重要性は言うまでもない。
そして大蔵と内務に関して言うのなら、帝政ドイツでは内相から帝国宰相へのコースが形成されていたし、後発国の日本でも内務大臣は事実上の副総理として扱われていた。イギリスの首相が長らく第1大蔵卿が正式名称であったように、財布を握るものが強いというのは家庭でも国家でも変わらない。
ところがその例外的な国がある。
欧州大戦を経て基軸通貨のポンドが揺らぐ現状で、ドルとともに急速に世界経済の中心として台頭しつつある北米大陸最大の共和制国家-アメリカ合衆国である。
『そもそもアメリカ合衆国とは何か』
独立戦争以来、次々と発生したこの国の政治課題は、突き詰めればこの言葉に収斂される。
合衆国なる奇妙な邦訳は、本来は合州国とでも訳すべきなのかもしれない。18世紀後半の独立戦争当時は13州だったのが、1937年現在において星条旗に輝く星の数は48にまで拡大した。
州権主義(民主共和党)と中央集権主義(連邦党)との対立は「宗主国からやっとのことで独立したのに、連邦政府が新たな支配者となるのか」という感情的な反発もあり、建国当初から重要な政治問題となった。そのため軍や一部政府機関を除けば、連邦党の事実上の消失もあり、結局ゆるやかな全国政党である州権主義的な民主共和党-後の民主党が長く政権を担った。
歴代政権はその政治的な矛盾と欺瞞のはけ口を西部開拓という形である程度発散していたのだが、19世紀に西海岸に到達すると、国内課題に向き合わざるを得なくなった。
結果、南北戦争(1861-65)という悲惨な内戦を経て最終解決されたかに思われたのだが、しかしそれは分離独立勢力を武力弾圧したというだけであり、根っこに横たわる対立が緩和されたわけではなかった。
団結したといいながら、統一されていない。その多様性こそアメリカの強みであると主張するのが民主党であるとするなら、弱みであると考えるのが南北戦争で勝利した連邦政府を率いた共和党の違いと言えるかもしれない。
そのアメリカの行政府において他国の蔵相や内相に相当する政権No.2のポストが何かというと、大統領のスペアでありながら上院議長以外にこれという職務もないため「たんつぼほどの値打ちもない」と本人が自嘲する副大統領を除くと-なんと国務長官(Secretary of State of the United States)である。
邦訳が問題なのかもしれないが、外務省の名前を国務省(United States Department of State)とするあたりがアメリカ合衆国という国の外交に対する姿勢を如実に顕している。初代ワシントン以降、建国初期に大統領に出馬して当選した多くが国務長官経験者であったし、軍を除けば最大級の官僚機構をもつことから、リンカーン政権ではクレイ国務長官が事実上の行政執行者として内政改革を主導した。
現在の国務長官はコーデル・ハル(66)。アメリカ南部テネシー州出身の弁護士で、民主党の州議員から政治的キャリアをスタートさせた。米西戦争に従軍した後、連邦下院議員・連邦上院議員を経て、1933年に国務長官に抜擢された。以来もっぱら内政に力点をおく現大統領の外交を支えている。
経歴から分かるように外交のプロというわけではなく(長らく欧州政治と不干渉を貫く孤立主義であったアメリカ政界に外交のプロなど存在するのかという疑問はあるが)、極めて典型的な、それもアメリカ民主党の党人派政治家といったほうが理解しやすいのかもしれない。
弁護士とは依頼人の利益を第一に考えるものである。その点、ハルは確かに任命権者たる11歳年下の大統領に一貫して忠実であった。
ニューディール政策と呼ばれる大統領の経済政策への反発から、伝統的に民主党支持だった大企業が離反し、党が分裂の危機にさらされてもなお、ハルの大統領への支持と忠誠は全く揺らがず淡々と職務にあたった。その点を現在の第32代アメリカ合衆国大統領であるフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトも評価しており、彼に全幅の信頼を置いている。
もっとも大統領が外交政策にそれほど関心がなかった為かもしれないが。
「傲岸不遜な共和党員が服を着て歩いているような男であったな」
「……閣下、それは日本のシゲル・ヨシダ大使のことでしょうか?」
「他に誰がいるというのだ」
ホワイトハウスの執務室にコーデル・ハル国務長官を呼び出したルーズヴェルト大統領は、万年筆片手に手元の原稿に視線を落としていた。国民向けラジオ放送の収録を10分後に控え、最終チェックに忙しい。人も無げな大統領の態度であるが、ハルはこれという反応も見せずに丁寧な慇懃さで応じた。
話題は他でもない。極東における最古の帝国から来訪した大使との会談内容について、スタッフを交えず大統領個人の見解を確認するためだ。こうした政治的な慎重さがホワイトハウス内の権力闘争からハルを超然とさせていた。
「まったく、忌々しい男であった」
ルーズヴェルトは内心の不快さを隠そうともせずに吐き捨てる。
態々ロンドンから職人を呼んであしらえさせたという上下揃いのブリティッシュスタイルのスーツ。その上にフロックコートと山高帽、ステッキ片手に常に葉巻を口にしながら記者をあしらうその態度は「貴族よりも貴族らしい」と、ワシントン外交界隈において(良くも悪くも)瞬く間に評判となった。
頑なにイギリス式を貫く大使に、唯一アメリカの要素を見出そうとするのなら、アメリカが事実上の経済植民地としているキューバはハバナ産の葉巻ぐらいのものであろうか。
これで好感を持てというほうが無理なのだとルーズヴェルトは、あのような英国かぶれの大使を駐米大使とした日本政府の禿げた軍人宰相(外相兼任)の真意を疑った。もっともまともな神経をしているのなら、ドイツのカイザーのような恥ずかしい髭を生やせるわけはないのだが。
大統領は苛立たしげに原稿にペン先を走らせた。これでは健康によくない。主に忠実で決して裏切らない犬を飼うことを勧めるべきかと考えながら、ハルは臆することなく口を開いた。
「ヨシダ大使は、日本におけるチャイナの専門家です」
「チャイナの専門家?」
基本的に関心はないが一定の知識はあると自負しているルーズヴェルトは胡乱げな視線を、この11歳年長の党の長老に向けた。
「つまり君が以前『シナ通』と呼んでいた日本陸軍の、それもテロとクーデターが三度の飯よりも大好物という、頭のおかしいモンキー共のお仲間か」
「いえ。いわゆるシナ通なる、日本のチャイナの自称専門家とは一線を画しています。天津・奉天などの領事を歴任し、ギイチ・タナカ内閣の外務次官として山東出兵に関与しています。真の意味でチャイナの問題を表も裏も知り尽くした専門家です」
ハルの言葉に「確かに日本人にしては話せそうな男であった」とルーズヴェルトは不承不承ながらも腕を組んだ。彼の母方のデラノ家は中国との交易で財を成した一族であり、ルーズヴェルトも個人的に中国には親近感を覚えている。
しかしそれと合衆国の国益とは別の話だ。まして中国がアメリカ人も含めた在留外国人にテロを頻繁に繰り返しているとあっては。
「ヨシダ大使はチャイナのテロ行為に対する強硬派ですが、関東軍を中心とした陸軍の出先機関のやり方には批判的でした。理由としては南京の国民政府が人民を煽る口実になりかねないという理由からですが」
「日本人だけならともかく、わが合衆国民を名指しで対象にされてはたまらん。アメリカ企業の商売にも差し支える」
「閣下、そこが問題なのです」
ホワイトハウスのスタッフに邪魔をされず直接意見を伝える機会は限られている。この機会を逃すまいと、ハルは身を乗り出して続けた。
1899年のジョン・ヘイ国務長官の門戸開放演説以来、アメリカは一貫して中国の市場開放を求めている。満洲における独占的な経済権益を確保したい日本は内心猛反発したが、そもそもこの宣言は日本を含めた列強にことごとく無視された。
事前に連絡も調整もなく一方的に言い捨てるように宣言されたものに従う義理などなく、まして国際法の根拠が何もなかった。
実にアメリカらしいスタンドプレーであったが、アメリカはこの奇妙な宣言の翌年、さっそく中国における商売の難しさを思い知らされる。
義和団事件(1900)だ。
当時の清全土で暴れまわった暴徒は北京に集結。各国大使館を包囲し、当時の政府ですらこのテロ集団を追認した。各国政府は救援軍を派遣しようとしたのだが、大軍を派遣出来たのはロシアと日本という近隣の2カ国のみであった。
「つまり政府に治安維持を担う能力と意思が欠如しているのです。これは今の政府も変わりませんし、各地を事実上支配している軍閥も同様です。中には山賊だかなんだかわからない連中も混ざっておりますし」
「北伐だったか。20年代に南京の国民政府が北京政府を降伏させたのだろう?」
「わが国の南北戦争のように、軍事的な決着がついたということではないのか?」と、自国の歴史で例えようとする大統領に、国務長官はやんわりと否定した。
「残念ながら閣下。北伐の勝利とは、単なる軍閥の離合集散の結果であり、むしろ日本人を対象にしたテロは増加傾向にあります」
ふむ、とルーズヴェルトは考え込むように腕を組みなおした。
南北戦争により南部は荒廃したが、北部の資本と人材が投下されて戦後復興はそれなりに進められた。
しかしチャイナは違う。各地の軍閥は収奪するばかりで、まともな統治が出来ていない。そんな連中がいくら集まったところで政府を運営出来るはずがないというハルの説明は、ルーズヴェルトにも理解出来た。
「だが国務長官」
ルーズヴェルトは合衆国大統領としての自分の立場を確認するように、政府の立場を繰り返した。
「アメリカとしては日本のやり方は支持出来ない。何故なら満洲における軍事行動は明らかなるパリ不戦条約違反であり、満洲国なる現地政府が日本へ独占的に与えた経済特権は、門戸開放を基本とした9カ国条約違反である」
「そもそも満洲における中華民国の主権を真っ先に認めたのは日本ですからな」
清王朝の故郷とも言える東三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)は、歴代政府が一種の聖地として漢族の入植を制限していた。しかし時代が下るにつれて漢族が流入。ついには人口比で逆転するに至った。
辛亥革命(1911)により中華民国が建国されるが、この地域の主権は国際的に未確定のままとされた。
それを1910年代に中華民国政府の主権を認めたのが、第1次山本権兵衛内閣の牧野伸顕外務大臣-吉田茂の岳父である。
せめて不承認政策を貫いていれば話は違ったのだろうが、そうはならなかった。これでは「満洲は清王朝のもの」という大義名分論など、何の意味も持たない。随所に日本政府への配慮が見られるリットン調査団の報告書にしても国民政府の度重なるテロ活動を批判しながら日本が中華民国に認めた主権を一方的に否定したことを指摘していると、ハルは国務長官として大統領へのレクチャーを続けた。
「日本に同情の余地はあります。満鉄を始めとした経済権益など最も関係が深かったのが日本政府です。仮にこれらの権益が侵害され、日本が出兵すれば当時の帝政ロシアとて黙ってはいなかったでしょう」
「第2次日露戦争か」
政治キャリアを海軍関連の役職から始めたルーズヴェルトは、ランドパワー国家に対する理解に難がある。しかし自身の疑問を率直に周囲の人間に尋ねる柔軟さがあった。
「武力衝突まではいかなくても、極東全体が緊張したことは間違いありません。あくまで名目上、中華民国の主権を認めてロシアの進出をけん制し、日本の権益を新政府に認めさせる。確かに当時に限れば合理的な判断ではありました」
「皮肉なものだ。岳父の資産が婿を苦しめているとはな」
同情するような言葉とは裏腹に、ルーズヴェルトの表情からはそのような感情は一切見られなかった。よほどヨシダ大使との相性が悪いと見える。
「そういえば」とルーズヴェルトは、話題を北京郊外で発生したという日中両軍の軍事衝突へと切り替えた。
「それで北京郊外の、何とかという橋で発生したという、日本軍と国民政府軍との軍事衝突はどうなったのだ」
「盧溝橋ですな。現地の軍司令官レベルで一時的に停戦の動きがあるようです。しかし……」
「何だね。演説開始まで時間がないのだから、さっさと報告したまえ」
裏付けに欠けることから言い淀んでいたハルであったが、ルーズヴェルトが大統領として命令すると素直に従った。
「……国民政府軍が全土から兵を動員しているのではないかという報告が入っております。現地の領事館に確認を急がせておりますが、中央軍4個師団が河南省北部にむけて動員令が下されたようです。現段階で確認できる限りでは最低でも15個師団以上」
その言葉に、ルーズヴェルト大統領は手にした万年筆を握りつぶして叫んだ。
「Isn't that a war!(それは戦争ではないか!)」
*
『外交とは基本的に内政干渉ですからなぁ。しかし外交が内政の延長線である貴国は、あまりにも他国の内政とそれに与える自分自身の影響力に無関心すぎる』
「まったくですな。わが国の大統領を批判したくはありませんが、あの男……いや、失礼。大統領閣下は内政にしか興味がないのです」
フィリピン軍元帥の肩書きをもつアメリカ陸軍少将のダグラス・マッカーサーのあまりにも明け透けな物言いに、駐米大使の吉田茂は声を立てずに笑いを見せた。いきなりアポもなしに日本大使館を訪問したとはいえ前の陸軍参謀総長閣下を無視することも出来ず、吉田は自らこれを丁重に出迎えた。
マッカーサーの副官(確かアイゼンハワー少佐とかいったか?)が、顰め面で駐在駐米大使館付武官の山口多門海軍大佐と話し込むのを尻目に、吉田はマッカーサー来訪の真意を探ろうとしていた。
「ご存知かも知れませんが、私は今、フィリピン顧問をしていましてな」
『聞き及んでおります。フィリピン自治政府のケソン大統領は、閣下の長年の御友人とか』
「いかにも。昔から私の家はフィリピンに縁があったのですが、引き受けた最大の理由はルイスが私の友人であったからです」
「よく言うよ」と副官のアイゼンハワー少佐は山口大佐に小声で零した。莫大な報酬と高級ホテルの滞在費までは理屈がついたとしても、裏金まで請求する友人がどこにいるものか。
副官同士がそんな会話をしているとは知らずに、マッカーサー『元帥』は、彼のシンボルマークであるコーンパイプ…ではなく、ミズーリ・メシャウム製の高級パイプをふかしながら上機嫌で自身の苦労を語る。
「わが大統領閣下は46年にフィリピンの完全独立を約束しました。独立国家には軍は必要不可欠ですからな。ところがこれが一筋縄ではいきません。何せ、かの国には島が大小あわせて7千近くあります」
『それは、想像以上の困難でしょうな』
「分離独立主義者やテロリスト、海賊などが逃げ込むには絶好の環境と言えますな。かといって熱帯雨林を焼き尽くすわけにもいきません。国民の8割近くはカトリックですが、ルソン島についで2番目に面積の広いミンダナオ島に限れば、人口の2割から3割がムスリムときている。これは難しい」
マッカーサーは珍しくその仕事の難しさを率直に認める。暗にフィリピン独立を認めたのは早すぎたと大統領の批判をしたいのか、それとも困難な仕事に立ち向かう自分自身を自画自賛したいのか。吉田にも理解しかねたが、表情を変えずに再度葉巻をふかした。
ハバナ産の馥郁たる香りを楽しみながら、吉田はあえて悪手とは知りつつも誘い水を向けた。
『フィリピンを独立させようと、パナマから撤退しようともそれは貴国の勝手です。しかしですな、他国の植民地政策や外交まで、内政の延長上であれこれ口を出されては正直迷惑です』
「ミスターヨシダ。君は遠い日本から態々やってきて、私に外交の講義をしようというのかね?」
やって来たのは元帥閣下のはずだがと思いつつ、吉田は「これは失礼」と大口を開けて笑い飛ばした。
『閣下。日本が遠いという点に関しては、閣下と私の間で認識の差があるようですな』
「と言いますと?」
『私にいわせるなら、日本とアメリカは太平洋をはさんだ隣国です。東洋の諺に一衣帯水というものがあります。一本の細い帯のように、細い川や海峡で隔てられた近隣という意味です』
「……貴方は太平洋が狭いというのか?」
陸軍軍人たるフィリピン軍元帥には簡単に同意しかねる概念であるのか、それでもマッカーサーは首を傾げつつ応じた。
「それを言うならアメリカは、イギリスやフランスと大西洋を隔てた隣国になるし、共産ロシアはアラスカ州を挟んだ……いや、大使のそれを否定するわけではないが」
間違ってはいないのだが、何かこう釈然としないという表情を浮かべるマッカーサー『元帥』に、吉田はあえて隠喩的な表現をした。
「実際に狭いかどうかは関係ありません。いわゆるモノの例えですな。まぁ、太平洋を挟んだご近所付き合いのついでに、ゴミ出しの日時とやり方ぐらいは相談しておかねばならないと考えてはいますが」
声も図体も大きい貴国が、いつまででも孤立主義では困るのだと吉田は内心で呟く。
現大統領のフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトは就任以来、内政問題に注力する一方、外交的には消極策を続けている。
先に述べたフィリピンの完全独立を始め、共和党の歴代政権が主導した中南米やカリブ海諸国への派兵を段階的に取りやめ。ニカラグアやキューバなどにアメリカの影響力の強い政権(傀儡政権)を樹立すると軍事占領を終結させ、兵を引き上げさせた。果ては太平洋と大西洋をつなぐ戦略的要所のパナマ運河の潜在的な主権をパナマ政府に認め、将来の返還を暗に認めたという具合である。
ルーズヴェルトは米国の経済発展には対外的な植民地というものは、十分条件(安全保障のため傀儡政権の樹立と支援の継続)ではあっても、必要条件(アメリカの経済成長に必要不可欠)ではないと考えている節がある。だからといって自国がすでに持つ対外経済権益を放棄したりはしなかったが、パナマ国民の武力弾圧を続けてまでも、パナマ運河の主権をアメリカが持ち続ける必要はないと判断したのは確かだ。
そもそも外交に興味がなかったのだろうが、植民地から独立した共和国であるという歴史的な背景もあり、倫理的にも英仏など先進国の植民地支配を許されないものと考えていたようだ。
無論それは日本に対しても例外ではない。
幕末以来、日系移民問題や海軍軍縮条約などの紆余曲折はあっても一貫した友好国であった日本の満洲への『侵略行為』に関しては、中国国民政府のテロ行為には憂慮を示しつつも、多くのアメリカ国民同様に批判的であった。
しかし問題は、これらの行為がすべからくアメリカの内政の延長線上の感覚で行われていたことであり、それまでの国際的な外交慣習や国際常識とは相反するものであったことだ。「皆が昔からやっていることではないか。それも今も継続中なのに、何故自分達だけ言われるのだ」という日本の反発にも理由があった。
『貴国にとっては、フィリピンだのキューバだのは必要ないかもしれませぬが、イギリスが大英帝国を続けていくにはインドが必要不可欠であり、フランスは北アフリカの海外県から撤退など致しますまい』
「日本が朝鮮半島や満洲から撤退しないように、ですかな?」
『閣下、私は貴国の外交政策について話しているのですよ』
マッカーサーはパイプを手に心底愉快そうに笑い声を上げた。元帥の副官などはあっけに取られたように上機嫌な上司を眺めている。
吉田はマッカーサーの副官に「おや」と視線だけを向け、わざとらしく片眉を上げながら続けた。
『先ほども申し上げたように、貴国が自国の考えに基づいて撤退されるのは勝手です。しかし先の大戦により、貴国は望むにしろ望まないにしろ国際政治におけるメインプレイヤーとなりました』
『ルールを守るものから、ルールを作る側へとなったのです』と、吉田はマッカーサーにアメリカの国際的な地位向上を認めて見せ、返す刀で苦言を呈した。
『貴国が一度何かを決めれば例え英仏やロシア、ドイツなどの主要国が反対しようとも、それが新たな国際的ルールとなる。先の大戦の犠牲者と国際的な貢献により、貴国はそれだけの力を得たのです。にも関わらず過去の先例を全く無視して勝手なルールを作られては、他の参加者が苦労します。無論、その先例の中には下らない過去の遺物が含まれていることは認めますが』
吉田の指摘にマッカーサーは「私は今の大統領を好みません」と言わずもがなの枕詞に続けた。
「ですが参謀総長として御仕えしたので、その考え方は理解しているつもりです。強大な力には責任が伴うということを、大統領閣下はご存知なのです。植民地のような18世紀以前の遺物は存在しないほうがよいと、私も個人的に考えてはおりますが、だからといってその考えを他国に強要することなどありませんし、ありえません。我が国はそれほど暇でもありませんし、お節介でもない」
『私の学生時代、クラスの中で同年代よりも飛び抜けて体と声の大きな同級生がいましてな。ガキ大将というやつです』
『わかるでしょう』と吉田は人を食ったような笑みを浮かべた。部屋の隅でそれを聞いていたアイゼンハワー少佐は、それがあまりにもアメリカという国を-合衆国の国民と、有権者が選んだ大統領の意思をないがしろにしているように聞こえた。だが客観的に見れば、そういわれても仕方がない側面があるのは認めていた。
欧州大戦の後、当時のアメリカ大統領(民主党)が提唱した国際機関への加盟を拒否したのは、アメリカの連邦議会(共和党)だ。戦間期の欧州の混乱に巻き込まれずに済んだことと引き換えに、国際政治への責任を放棄したのは間違いない。だからこそドイツやイタリア、そしてソ連といった現状打破を狙う勢力が伸張している。
祖国と国民に絶対の自信をもつ大統領-それこそ世界中を敵に回してもアメリカは単独で戦えるし、経済的にも問題はないと考えている(実際にそうであろう)ルーズヴェルトからすれば、欧州が混乱しようと関係ないのだろう。
しかし軍人として万が一の事態を考えるならば-そこまで考えを巡らせたアイゼンハワーの気持ちを代弁するかのように、先ほどまでの上機嫌が嘘のように、険しい表情でマッカーサーは吉田に反論した。
「チャイナで好き勝手にやる貴国に言われたくはありませんな。そもそも、満洲における中華民国政府の主権を認めたのは、大使の岳父殿ではありませんか」
『これはしたり!』
吉田茂は面目ないといわんばかりに、その頭をピシャリと叩いた。
『あの時はそうするしかなかったのです。そして国内の跳ね返りを抑えるのは大変なのですよ。閣下も退役兵士のデモを鎮圧された際に、その御苦労は味わわれたでありましょう』
「それこそ貴国の内政問題ですな。わが国には関係ないこと」
これに吉田はわざとらしく両手を広げて、肩をすくめてみせる。なるほど。この元帥閣下が休暇を名目にフィリピンから引き上げてまで、ワシントンくんだりまで足を運び、自分に何を確認したいのかが吉田にもおぼろげに見えてきた。
フィリピンはいわば敵中に孤立した要塞である。距離的にはグアムに近いが、南洋諸島を信託統治する日本が敵に回れば、本国との連携が断たれる。
伝統的に対日警戒論(反日)の強い英国自治領のアンザック諸国の協力は得られるだろうが、オランダ領東インドやフランス領インドシナ連邦が敵対すれば、瞬く間に干上がりかねない。そうなればゲリラ戦をしなければならなくなるのは反政府勢力ではなく、フィリピン正規軍やアメリカの軍事顧問団である自分となりかねない…
この将軍は考えのない強硬派と聞いていたが、噂とは当てにならぬものだ。少なくとも直接日本の本省とやり取りせずに、正規の外交ルートを通じて直接確認するあたり、最低限の良識はあるらしい。日本のサーベルをちらつかせる社会主義かぶれの軍人共にも見習わせたいと、吉田は内心において感歎していた。
これなら一緒に仕事が出来るかもしれない……まぁ、そんな日が来るとも思えないが。
さてどう答えるべきかと、吉田は葉巻の煙を深く吸い込む。
目の前のフィリピン軍元帥が望む答えを返すことは簡単である。しかし自分の一存で確約を与えるには問題が大きすぎたし、この軍人はそこまで馬鹿ではあるまい、かといって当たり障りのないことで煙に巻くには、どうにも面白くはない。
英国人より腹黒く、貴族よりも悪趣味な吉田の悪い面が顔を覗かせた。
『まったくもってその通りですな。しかし今の政府は違います。ご存知のとおり昨年のクーデター未遂事件以来、政府は軍の統制に尽力しております。危険分子を排除し、人材の入れ替えも行いました。信頼とは行動で勝ち取るもの。どうかこれからの行動で判断して頂きたい』
「なるほど。これからの行動、ですか」
言葉を慎重に選ぶマッカーサーに、吉田は「いかにも」と大きく頷いた。
『これから起こるチャイナとの戦争で、判断して頂きたいという意味です』
これにはコーン・パイプを咥えたマッカーサーの口元が、盛大に引きつった。
・人のことはよく見えるのに自分のことはわからなかったムッソリーニおじさん。
・今も昔も日帝の対米帝外交とは対チャ●ナ問題だったりしたり、しなかったり…ゴニョゴニョ
・中国?チャイナ?シナ?まあどれでもよくは…ないんだけど、とりあえず説明文ではわかりやすく中国と、あとはその時と場合によりあてはめました。
・薔薇おじさんの人種差別意識についてはあえて触れませんでした。だって色々と面倒くさ(ry
・当時の一般的な意識や空気を書くって難しい。というわけで必要以上に政治家としての側面を重視して書きました。だっていろいろとめんど(ry
・なお、団結したアメリカ国民の中には(ry
・薔薇おじさん「私は合衆国市民をイギリスの植民地支配を維持するために戦わせているわけではない!」(まあそうなんだけれども)
・薔薇おじさん「英国も植民地独立させたら?インドはソビエト式に統治したほうがうまくいくと思うし」チャーチル「」
・独立した諸国の有様を見たチャーチル元首相「だから!早すぎたと言ってるんだ!」