安倍源基回顧録 / WSJ国際欄 / カグール事件続報、ルイ・マラン入閣問題と『タン』の社説 / 4ch(政治・歴史板)雑談スレ / ドイツ国 首都ベルリン 財務省庁舎~航空省庁舎(1938年11月)
「航空省で誰がユダヤ人かは、私が決める」
ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング(1893-1946)
・国家社会主義団体の没落と民族右派団体の復権。水晶の夜事件が与えた影響について
世間一般では政治警察たる特別高等警察は、左翼に厳しく右翼に甘いとされる。しかしそれは違うと断言しておきたい。元々、海外から輸入された思想を背景にする左翼団体に比べて、明治維新政府の穏健な外交に批判的だった反政府勢力に起源を持つ右翼団体の歴史は、非常に長い。自由民権運動の一員でありながら、政府や官界との関係も協調と対立、そして勢力争いを経たために非常に複雑である。故にこれが関わる事件に関しては構成員や関係者が地下茎で絡み合っていることが予想され、地上に芽が出た段階ではうかつに手を出せないのだ。
例えば「とある企業」で労使抗争が発生したとしよう。この企業は関東にいくつか工場を持つが、既成財閥との関係が薄い中堅規模の製造業であるとしよう。この会社のとある工場で労働条件をめぐり争議が発生した(させられた)。会社側が用心棒的存在として雇った勢力は、いわゆる周縁社会に属している。彼らの介入が始まると、これを資金源や構成員の供給源としている右派団体も介入を始め、逆に雇い主を突き上げる。強攻策となれば実働部隊である自分たちに払われるモノも大きくなるためだ。これに対抗するように(見計らったかのように)労働組合が登場する。同業他社に檄文をばら撒き、統一してストライキをするぞと経営側に圧力をかける。その過程で仲介役の無産政党が登場し、さも第三者のふりをしたコミンテルン系活動家が運動を乗っ取ろうとする。そしてどちらが勝利しても、顧問や秘書という肩書きを与えることで合法的な立場を獲得する……
こうなってしまう前に手を打つ必要があるのだが、どこから手をつけてよいのかわからない。左翼を叩けば右翼につながり、恐喝事件で捜査を開始すれば,いつの間にか院外団を通じて政界汚職につながるといった具合だ。どれほど難しいか、お解かりいただけただろうか。
普選運動の支持拡大や労働組合の結成が相継ぐなど、各種の社会運動が高揚した大正末期には、怪しげな連中が表社会を闊歩していたことを忘れてはならない。私が特別高等警察に関わった昭和初期は、それに輪をかけて右翼・左翼双方の活動が激化した時代であった。スポーツや芸能といった興行団体のお家騒動、関東大震災後の土地区画整理問題、政界スキャンダルともなった朝鮮総督府など外地の行政機関を巡る汚職事件……私自身、部下を守るために墓場まで持っていかねばならない話も多い。
さて、読者諸君には水晶の夜事件から、いささか話が脱線したように思われたかもしれないが、これが後々関係してくる。内務省及び警察当局は独墺合邦に際して、国際刑事警察委員会(ICPC)の政治的な独立性が担保されるかどうかを疑問視していた。
ナチス政権は発足当時から旧来の刑事警察と政治警察、さらにナチス党と人的な性格を共有する秘密警察を統一して運用しており、国家組織としての警察ではなく、党の治安維持組織としての性格を有していた。これは「天皇陛下の警察官」たることを誇りとする日本警察のあり方とは相いれないものであり、政党政治崩壊後に政治的中立性と公平性を確保しようと努力してきた私個人としても看過出来ないことであった。
オーストリーの併合後、前総裁が「自発的」に辞任したことを受けて、一方的に就任を宣言した親衛隊中将のラインハルト・ハイドリヒ保安警察長官は、ICPCの本部をウィーンからベルリンに移行させることを宣言。加盟各国とのあいだで緊張関係が生まれていた。2国間の警察当局同士で新たに捜査協力を構築するにしても、信頼関係構築には時間が必要である。今後、国境を跨いだ大型犯罪やマフィアの捜査、あるいはコミンテルンに関する調査が困難になることが予想され、ICPCを支配したナチス党の了承と協力がなければ何も出来なくなる恐れがあることから、白上佑吉次官も苦悩しておられた。政治警察や秘密警察の重要性は私も認めるが、それを刑事警察よりも上位に置くことなど、あってはならないと考えていた。
その懸念は水晶の夜事件で的中する。公共の治安を維持して国民を守るべき警察機構が、暴徒の私的制裁を容認したことは、ナチス政権の異質性を理解していたはずの日本警察にも衝撃を与えた。近衛公爵の拘束が伝わると国民のあいだで反ナチス感情が盛り上がったが、警察当局も国家社会主義団体の監視と取締を強めた。
そもそも2・26事件以来、内務省は国家社会主義を掲げる革新系の国家社会主義を掲げる右翼団体の調査を強化しており、中でも旧猶存社-すなわち北輝次郎(一輝)の系列団体の監視と調査を、警保局保安課を通じて全国の特別高等警察部門に命じていた。
この旧猶存社とは、天皇制の下での国家社会主義を掲げる革新右翼、あるいは国家社会主義団体である。大正末期に指導的な地位を占めていた北と大川周明が決裂した。大川は行後社、さらに平沼騏一郎男爵の主催していた旧国本社系の一部勢力と合流して神武会を結成し、陸軍の佐官を中心に信望を集めて昭和維新と呼ばれた血盟団事件や3月事件など一連の事件に関与。5・15事件により逮捕され、禁固5年の判決を受けた。釈放後は林銑十郎総理の支援を受けてコーランの翻訳や、汎ナショナリズム研究に関わったとされるが、東欧や中東における大川の行動範囲や交友関係は広く、現在でもよくわかっていない。
さて北が2・26事件で逮捕されたことで、彼と西田税の関係団体は一斉捜査の対象となり、解散命令を受けた。この際、憲兵隊と特別高等警察との間で主導権争いが発生した。しかし総理官邸からの「天の声」により、さしもの傲岸不遜な憲兵隊も退くことになったのは特筆しておきたい。大川派が政権に「寝返」り、カリスマを失った北派が資金源を断たれたこともあり分裂したことで、国家社会主義系の主要な団体は分裂と再編を繰り返し、あるいは縮小することになる。その多くは既存の伝統的な民族系国家主義団体に統合、あるいは吸収されていった。
その中でも受け皿となったのが明治維新の対外硬派の流れを組む大亜細亜主義、東亜の西欧列強からの独立を掲げていた玄洋社や黒龍会系の団体である。第2次上海事変以降、両者は反独逸運動を熱心に展開していた。奇しくも反ドイツ感情の高まりが、親ドイツ派であった国家社会主義団体の没落と入れ替わるように民族右派に復権の機会を与えたのだ。玄洋社系の政治団体である大日本生産党は、神兵隊事件以降低下させていた勢力を急速に回復。党の掲げる政治綱領には「国賊共産党」「打倒社会民主主義」「金融の寄生虫駆除」「政・民両党絶対排撃」と過激な文言が並んでいたが、国家社会主義者にとっては共通の政策目標であり、旧大川派・旧北派にとって受け入れやすいものであった。また内部に入ることで運動を牛耳る狙いがあったと思われる。
これと手を結んだのが当時の林内閣の政権与党である立憲政友会の総裁候補といわれた鳩山一郎。政友会における自由主義者として知られる同氏だが、政友会単独政権、あるいは党内における主導権確立を目指して、内閣の倒閣を計画していた。民族右派と水面下で手を結ぶことで、林内閣攻撃の別働隊とする狙いがあったと思われる。実際に反独同志会に側近の河野一郎を送り込んだのを始め、鳩山氏の後援企業が生産党幹部へ政治献金をしていたのも確認されている。近衛公爵拘束事件の詳細が伝わると、新聞各紙もこぞって林内閣の対ドイツ外交を批判するようになり、民族右派と鳩山派の提携関係は一層深まることになった……
- 『昭和動乱から内務省解体まで-安倍源基回顧録-』より抜粋 -
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- 急進党のマゼ副書記長、人民戦線全国委員会で「離脱」を正式表明 -
1936年6月に発足したレオン・ブルム内閣以来、同床異夢の反ファシズムを旗頭に、紆余曲折と幾多の政変を経て続いてきた人民戦線内閣が正式に終わりを迎えた。去る11月10日の人民戦線全国委員会に出席した急進社会党(以下急進党)副書記長のピエール・マゼ氏は、居並ぶ社会党や共産党の関係者、そして労働組合の幹部を前に、次のような演説をした。
「急進党が人民連合を支持したのは、共和制防衛の目的及び指針において、我が党の教義と差がないと考え、かつてないほど我が党の綱領を実現するための機会であると考えたからであります。この政治団体はそれを構成する全政党の有効かつ忠実な協力なしには存続出来ません。急進党は共産党がこの本質的な規則を尊重しなかったことを確認せざるを得ません」
これに続きマゼ副書記長は共産党が議会においてミュンヘン協定の批准に反対したこと、また財政全権延長の承認に反対した2点を「事実上の内閣不信任であり、人民戦線の政治的な基盤となる信頼関係を破壊した」と厳しく批判した。急進党幹部は10月12日に党執行部が表明した「フランス人連合」を目指すとする党の方針を改めて確認したものに過ぎないとするが、人民戦線の枠組みからの正式離脱とみられる。
ブルム内閣崩壊後、人民戦線は第3次ショータン内閣(37年6月-38年1月)、第4次ショータン内閣(38年1月-3月)、第2次ブルム内閣(3月)、そして第2次・第3次ダラディエ内閣と続いてきた。人民戦線崩壊の原因は何に起因するか、それはマゼ副書記長が述べた通り「全政党の有効かつ忠実な協力」を獲得し続けることに失敗したからである…
- 特集連載:反ファシズム内閣は何故失敗したのか(第2回-合法的な体制内改革の限界) -
…(中略)初の社会党首班であるブルム連立内閣は、革命ではなく改革を目指した。しかし改革がもたらしたものは、サラングロ内相の軍法会議スキャンダルと自殺に象徴されるように、むしろ左右の対立激化であった。共産党の閣外協力と、ブルム首相がユダヤ人であるというだけで、極右勢力が攻撃するには十分であった。人民戦線支持派はブルム政権崩壊の責任を極右勢力のデマゴギーに求め、中道右派は人民戦線の経済政策の失敗に求めた。
おそらくそれは両方とも正しい。極右勢力の代表格とされる『アクシオン・フランセーズ』紙が数ヶ月にわたって執拗なキャンペーンを繰り返したサラングロ内相の逃亡兵疑惑(全くの無実であった)は、今思い出しても聞くに堪えないものである。無実であることが証明されたにもかかわらず、重ねて同性愛者疑惑を突きつけ、年老いたサラングロ内相の母親が心労で倒れるまで誹謗中傷を加え、挙句は亡くなった妻の墓にまで侮辱を加えた。ついには先の大戦における勇敢な兵士であったこの社会主義者を自殺に追い込んだ。フランス共和制は、半世紀が経過してもドレフュス事件当時と反ユダヤ感情が大して変わらないことを証明してみせた…
…(中略)ともあれブルム首相とオリオール財務相(社会党)は、相次ぐ資本流出や財政危機の深刻化により、就任当時には「ありえない」と否定し-レノー代議士が議会において再三再四、主張していた-フラン引き下げを受け入れざるを得なくなった。それでも反対派のフランス銀行総裁を更迭し、英米両国に呼びかけることで三国通貨協定という国際協調外交の一貫として処理したことは、ブルム首相の政治力の表れであった。
だがレノー代議士が「遅すぎる」と批判したように、全ては遅かった。資本流出の原因とされる労働三法(週40時間労働・有給休暇法・団体協約権の保証)と、7カ条からなるマチニョン協定については、ほとんど手付かずであったからである。そもそもブルム首相には「人民戦線の偉大な勝利」「労働者階級の勝利」とされ、彼自身も「勝利だ」とラジオ演説で宣言したものを否定、あるいは見直しを出来るわけがない。フラン切り下げは「改革の小休止」とすべての政治勢力に受け止められたが、すべてがこれに不満を持った。反対派はさらなる修正を誓い、賛成派はブルムの「変節」に失望した…(中略)…スペイン内戦、財政危機、内相の自殺やクリシー事件など、相次ぐ政治課題やスキャンダルにブルム内閣は満身創痍となり、ついには上院で財政全権の延長を拒否されたことで辞任に追い込まれた。
後任のカミーユ・ショータン首相は急進社会党右派の重鎮であり、既に首相を2度経験していた。しかしスタヴィスキー事件が尾を引いており、党における立場は弱かった。急進党総裁のエドワール・ダラディエは人民戦線を支持することで総裁に就任したが、すでに見切りをつけていたようである。急進党は相次ぐ選挙の敗北により「このままでは左右から挟撃される」として、共和制度の維持と、中産階級の代弁者たる党是にしたがうという名目で人民戦線に参加した。
ショータン氏は3度目となる首相就任直後、社会保障制度や外交政策ではなく「財政危機の解決」を政権の最重要課題に掲げたが、「この政権は過渡期の内閣である」とも語った。急進党の財政委員会が反対していたフラン切り下げは、案の定、同党の重要な支持基盤である都市部の中産階級の所得や農村部の中小農家の経営を直撃。人民戦線そのものに否定的であった右派はこれに激怒した…
- ダラディエ首相、ラジオ演説で週40時間労働の見直しに改めて意欲 -
…(中略)アルベール・ルブラン大統領は第3次ショータン内閣崩壊後、ジョルジュ・ボネ財務大臣(急進党)の組閣が失敗したことを受け、再び社会党のブルムに組閣を要請した。この時は多数派工作に失敗したことで第4次ショータン内閣が発足するのだが、ブルムは「トレーズ(フランス共産党書記長)からレノーまで」を抱合した政権樹立を訴えていた。
つまり新財務大臣に就任したポール・レノー(民主共和同盟)は、ブルムの認識においては保守派-それも限りなく右派に近い一匹狼であるが、旧クロワ・ド・フー(火の十字団)の後継政党であるフランス社会党・(PSF)などとは違い、対話は出来る相手と考えられていた。ダラディエ首相(国防相兼任)が法務大臣のレノーを内閣改造により財務大臣としたのは11月1日であり、急進党が人民戦線を正式離脱したのは10日である…(中略)…
…就任直後にパリ郊外の金属工場街を不法占拠していた13万人(警察当局の発表による)のデモ隊を警官隊投入と催涙ガスの使用により強制排除した同首相は、当初から労働時間の見直しに積極的であった。同首相の肝いりで設置された生産力小委員会の報告は「フランス国内において魚雷艇の建造に必要な時間は、ドイツとイタリアの倍以上である」から始まるセンセーショナルなものであり、奇しくも反ファシズムを掲げ、スペイン共和政府への軍事支援を訴える人民戦線派への痛烈な皮肉となっていた。これに抗議した社会共和連合所属の2閣僚が辞任をしたが、ダラディエ首相はむしろ積極的に見直しをすすめる姿勢を明らかにした。
国防危機が叫ばれているにもかかわらず、労働三法の導入によりフランスの軍需関連企業の生産性は低下を続けている。国有化による一時的な組織の肥大化に加え、単純労働たる炭鉱労働や工場のライン作業で労働時間の制限をすれば生産性が下がるのは当たり前ではないかと言う経済界-フランス経営者総連合も、内閣の見直し姿勢を後押ししている。既にマチニョン協定を批准したフランス生産総連合は「大企業中心で地方や中小の意見を反映していない」として民主化され、経営者総連合に組織を改めていた。急進党は人民戦線を維持したいのであれば見直しを受け入れるべきだとして社会党と共産党に譲歩を求めた。しかしこれは両党と、その支持団体から反発を受けた…
- 労働総同盟『ゼネストも辞さず』との書記長声明。レノー財務相は「重大な結果をもたらす」と警告 -
5月の緊急令により炭鉱業の週42時間労働が2年間暫定延長されたことに続き、ダラディエ内閣が国防関連企業の48時間労働を認める緊急令を準備しているとの一部報道を受け、労働総同盟(CGT)執行委員会は「週40時間労働を有名無実化するものであり、断固として受け入れられない。仮に緊急令を強行した場合は、労働者の権利を保護するためにあらゆる手段を持って対抗する」とするレオン・ジュオー書記長の声明を発表した。CGTはナント市において14日から17日まで全国大会を予定しており、終了後の18日には全国委員会において執行部人事と、緊急令への対応を決議するとみられる。しかし大会では左派(プロレタリア派)と右派(サンディカ派)、そして共産党の支持するジュオー書記長の中間派の三派から、別々に外交問題と労働組合との政党の関係についての動議が出されると見られており…(中略)…
…本来、労働総同盟内部において共産党はジュオーの中間派とは勢力を異にしていたが、ジュオー書記長は外交問題に関してはスペイン共和政府への積極的支持と封鎖反対について共通しており、この点で共通戦線を形成したものとみられる。右派からは「モスクワで篭絡された」と書記長の姿勢に不満の声が出ている。統一労組の分裂も囁かれる状況に、幹部からは「人民戦線の次は自分達だ」と悲痛な声も聞かれた。
- 反ファシズム知識人監視委員会、フランダン元首相への抗議文をようやく発表 -
ピエール・エティエンヌ・フランダン元首相(民主共和同盟)のミュンヘン協定に関する発言に関して、反ファシズム知識人監視委員会は「民主共和制をファシストに売り渡すもの」として抗議する事務局長声明を発表した。9月20日、フランダン元首相はミュンヘン協定受諾を支持する声明の中で「欧州の新たな平和の基盤となるもの」として歓迎した上で「ドイツとの関係は新たなステージへと移った」として反共による仏独同盟の可能性についても指摘した。フランダン元首相の対ドイツ外交への前のめりの姿勢は、民主共和同盟の中からも疑問視する声が出ている。
フランダン声明に猛反発した人民戦線支持派の諸団体は「ファシストが戦争主義者であることを無視している」として、相継ぎ抗議声明を発表した。しかし反ファシズム知識人監視委員会は、批判声明を取りまとめるだけで1ヶ月以上の時間を必要とした。
そもそも同委員会は35年に締結された仏ソ協定や36年1月より始まったモスクワ裁判により、ソビエト連邦を反ファシズムの国際体制にどう位置づけるかという点で、深刻な意見対立が発生していた。監視委員会と共闘関係にあった人権同盟のエミール・カーンは「反ファシズム・反ヒトラーを重視するあまり、ソビエトの異常性と侵略主義に目をつぶってはならない」として、委員会の姿勢を批判。監視委員会は36年総選挙後にブルム首班の人民戦線内閣を積極的に支持することで、かろうじて組織を結束させた。しかし人民戦線の弱体化とともに、再び組織に亀裂が生じたことを露呈した。
スペイン封鎖問題への対応をめぐり、共和政府を支持する共産党に対して「反ファシズムは反戦主義でなければならず、両者は共存しない」と反対派が批判していたことは、記憶に新しい。この構図はミュンヘン協定にも持ち込まれ、協定受諾に反対する共産党とその支持者、そして「コミンテルンの指示によりフランスを戦争に巻き込もうとしている」とする反対派で熾烈な勢力争いが発生。そのためフランダン元外相への抗議声明とりまとめにも影響したものと思われる…
- 『The Wall Street Journal』国際欄 11月8日から13日にかけて -
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- 注目されるカグール裁判、ガムラン参謀総長の答弁拒否問題について社共両党の幹部が協議 -
1937年9月11日の夜、フランス経営者連合総連合と機械工業連盟本部が爆破された。しかし2ヶ月後に内務省とパリ警視庁が名指しで批判したのは、軍内部に存在した恐るべき反動秘密組織と、共和制を揺るがす陰謀の存在であった。革命的行動秘密委員会-通称カグール(CSAR)と称するこの一派は、ブルム内閣が解散を命じた右派リーグのひとつクロワ・ド・フーの一部勢力が結成したことが確認されている。ドロクンヌ将軍とその一派は指導者であるラロック退役中佐がクロワ・ド・フーを政党化し、体制内政党として政治運動を続けようとする姿勢を脆弱であると批判。王政復古と独裁体制確立による政治危機打開を目論んでいた。そのために共産主義者の放棄がまもなく行われると世論に訴えかけるために爆破テロを行ったことが、警察当局による取り調べで明らかとなっている。
すでにヴェジーヌ・ドロンクヌとエドモン・デュセニュールの2将軍は逮捕され、現在、非公開による軍法会議が続いている。同団体は旧クロワ・ド・フーと関係を絶ったとしているが、同団体の後継政党であるフランス社会党(PSF)が当事者となったクリシー事件の暴徒化に関与した疑いも指摘されており、警察当局は警戒を続けている。現役軍人が政治的陰謀に関わったとされるこの重大疑惑に関して、制服組トップのモーリス・ギュスターヴ・ガムラン参謀総長は裁判中であることを理由に議会証言を拒否する姿勢を続けている。そのため共産党や社会党は軍とCSARとの関係を引き続き追求することを宣言しており、その隠蔽体質を厳しく批判している…
- ダラディエ首相、共和連盟のルイ・マラン総裁に入閣を正式要請 -
…8月に労働法制見直しに反対して社会共和連合の2閣僚が辞任したことに続き、人民戦線にノンをつきつけたダラディエ首相は、依然として多くの政治課題を抱えている。財政立て直しや国防体制の強化、スペイン封鎖問題などに対処するためには、内閣の補強工事が必要である。右派政党の中でも共和連盟は人民戦線を批判してきた最右翼であり、マラン氏は経済界の利益を代弁する存在とみられている。しかし連立を組む民主同盟(中道右派)からも、マラン氏入閣には批判の声が出ている。ロレーヌ地域圏のムルト=エ=モゼル県選出のルブラン大統領(民主同盟)は、マラン総裁と支持基盤も重なることから、長年熾烈な争いを続けてきた。
そしてこれは当然ながら35年7月14日の誓いを忘れるなという共産党の警告や「過去ではなく近未来を救うため」に人民戦線の枠内にとどまることを要請したレオン・ブルム氏への回答でもある。10月末のマルセイユにおける急進社会党の党大会を前に発表された政治的なメッセージは「党への政治干渉」として、急進党左派が訴えていた「ルイ・マランと組むことで中道政党たる党の理念が毀損される」事への忌避感を上回る、強烈な反発を引き起こした。急進党右派の中堅若手議員集団である『新共和国』が「共産党の解散」を要求する声明を発表すると、会場から大きな拍手が起こった…
- 社説『民意を問い政界再編を』 -
…もはや人民戦線を支持した民意は失われた。社会党はダラディエ政権への支持をめぐり分裂し続けており、第1党としての責務を放棄している。ならば当時の民意によって選ばれた現在の下院の勢力のまま、政権維持のための政治ゲームを続けることは、むしろ国民への裏切りである。このような現状のままで安定政権は難しい。ダラディエ首相は下院を解散して有権者の信を問うべきだ。私たちも一度の総選挙で議会内の政治勢力の収斂が行わるとは考えていない。それでも選挙戦を通じて有権者の判断を仰いでこそ、初めて内閣の正統性が得られる。政治ゲームによって得られる正統性など存在しない。そしてどのような選挙結果が出たとしても、中道左派、あるいは中道右派の新勢力が多数派を形成しようとすれば、急進党を無視できない。民主主義と共和制防衛のため、各党各会派が財政危機と国防の危機を乗り切るための政治的な基盤を構築するよう、速やかな行動を期待する。
- 『タン』 11月13日 -
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666 第四帝国 2018/08/08(水) 20:15:11.03 ID:YdIQrN51
オーストリー併合の時に、政府の存在しなかったフランスってさ、いくらなんでも、あれじゃないかな(あえてすべてを言わない優しさ)
667 亡命政府副首相代理 2018/08/08(水) 20:18:18.62 ID:ID:O2ZEAiA
>>666
職務執行内閣はあったんだよ。だからギリセーフだよ(震え声)
668 名無しの帝国軍人 2018/08/08(月) 20:19:00.05 ID:fdQZ/n4l
>>667
アウトにきまってんだろwどうやってそれで戦争するんだよwww
ちょび髭が調子に乗るわけだよ。
669 第四帝国 2018/08/08(水) 20:30:59.24 ID:YdIQrN51
そりゃダラディエも人民戦線見捨てるわ。でも肝心の軍がカグール事件でめちゃくちゃだしなぁ…
>>667
…こいつ、また出世してやがる!
670 名無しの落ち武者(求職活動中) 2018/08/08(水) 20:33:51.54 ID:ZLLoXjKo
>>669
まあこれ以前から軍への政治介入は問題になってたし。その反発がカグールとして出てきたんだろう。
ところでダラディエは、最初は人民戦線を支持していた急進党左派だったんだろ?なんで方針転換したんだ?
671 亡命政府副首相代理 2018/08/08(水) 20:38:24.62 ID:ID:O2ZEAiA
>>669
どうもありがとう
>>670
エドゥアール・エリオ総裁を追い落とすのに、人民戦線を支持しただけ。そもそも西暦1936年の総選挙当時、ダラディエの急進党内における基盤はよくなかった。だから政治的に利用した。エリオとダラディエはほとんど政策的に差異はないし。ダラディエ政権でもエリオは下院議長を続けている。つまり穿った見方をすれば役割分担。
それと当亡命政府はいつでも誰でもウェルカム…!
672 帝都新聞です…東西に部数で勝てんとです 2018/08/08(水) 20:43:51.54 ID:WpCb2ltJ
この時期のフランスは本当にわけがわからんな。
>>670
良い主君が見つかるといいね
673 名無しの帝国軍人 2018/08/08(月) 20:45:00.05 ID:fdQZ/n4l
だから中産階級の代弁者なんだよな。極右の横暴にも左翼の革命にも反対する共和制の守護者。周りからみりゃ、ふらふらしている日和見主義者なんだろうけど。首相に就任してからのダラディエの国防への危機意識は相当なものだよ。ガムラン参謀総長とは親友だから一次情報入ってくるし。
前任のウェイガン将軍は「軍への政治介入の片棒を担いでいる」とガムランに批判的だったけど、カグールみたいな連中を野放しにしていた時点で説得力がない。ドレフュス事件の時には注意受けてる前科もあるし。ガムランにしても真相究明を優先すれば、軍がめちゃくちゃになる可能性があったから有耶無耶にしたんだろうと推察する。ダラディエも黙認してたかもしれない。
>>671
まさか本当に亡命政府の幹部じゃねえだろうなw
カイゼル禿「私の政権ではいつでも、どこでも、誰でもどこでもウェルカム…!あなたの夢を追う姿勢を…!私は、全力で応援します…!」(なお、本当にそれっぽいことを言ってる模様)
674 帝都新聞です…東西に部数で勝てんとです 2018/08/08(水) 20:46:41.24 ID:WpCb2ltJ
>>673
いやぁ現役の軍人さんが言うと説得力ありますね(棒読み)
それと(゜ω゜)「お断りします」
675 第四帝国 2018/08/08(水) 20:47:22.13 ID:YdIQrN51
>>673
(゜ω゜)「お断りします」
676 名無しの落ち武者(求職活動中) 2018/08/08(水) 20:49:58.14 ID:ZLLoXjKo
ウェイガン「この梅毒野郎!」
ガムラン「うるせー!ベルギーからの帰化人のくせにフランス人ぶってんじゃねえよ!」
ダルラン「やれやれ、これだからモテない陸軍軍人は」
>>673
(゜ω゜)「お・こ・と・わ・り・♪」
677 亡命政府副首相代理 2018/08/08(水) 20:50:44.02 ID:ID:O2ZEAiA
しれっと美味しい所だけもっていったダルランだけには言われたくねえよなwwww
>>673
(゜ω゜)「お断りします」
678 えぇー今川ぁ?田楽オワコンじゃねえか 2018/08/08(水) 20:51:43.02 ID:gXzu0GEo
>>676
ド・ゴール「パリ伯爵、こいつです。この上から3番目」
>>673
(゜ω゜)「お断りします」
680 通りすがりのズールー族ですが何か? 2018/08/08(水) 20:52:57.14 ID:ZLLoXjKo
>>673
(゜ω゜)「あぁ、こんなにお断りしたくなった気持ちは、あの桜の木の下で、先輩のお断りをした時以来のお断りします」
681 名無しの帝国軍人 2018/08/08(月) 20:55:25.45 ID:fdQZ/n4l
何なんだよこの流れはw
え?私ですか?そりゃもちろん
(゜ω゜)「お断りします」
- 電子掲示板4チャンネル(政治・歴史板)雑談スレ第356弾『僕が一番、上手にお断り出来るんだ!』より抜粋 -
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財務省庁舎の表玄関を出た途端、 ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク伯爵は鼻にまとわりつくような焦げ臭さを感じて立ち止まった。突如として立ち止まり視線を漂わせた大臣に、随行する秘書官や警備の保安警官が訝しげな表情を浮かべるが、クロージクはかぶりを振ると、そのまま迎えの車に乗りこんだ。ここが官庁街であることを思い出し、焼け落ちた木炭のような焦げ臭さを自らの勘違いであると認識したからである。
「こちら今朝の新聞です」
「ありがとう」
黒塗りの車体のドアを財務省の職員が空け、クロージクが席に座り込むのを確認してから秘書官が身を乗り出して新聞を渡す。国内外の日刊紙で、その日によって数は異なるが10紙より下回ることはほとんどない。大臣がそれを受け取って頷くのを確認してから、秘書官はドアを閉め、手を挙げて警護に合図を送る。
大臣の車を中心に3台の警護車両が一斉に動き出した。航空省の庁舎まで約15分の車中の旅である。
運転手以外は自分しかいない車が動き出すのを確認してから、クロージクは秘書官の差し出した新聞の中から、いくつかを取り出して矢継ぎ早に目を通した。共和制支持派の高級紙『タン』に中道右派の論調で知られる『フィガロ』、反共のカトリック系日刊紙の『クロワ』……隣国フランスの新聞ばかりである。国内の新聞に関しては庁舎を出る前に確認を済ませてあり、これらと見比べるために持ち込んだだけだ。
32年6月にパーペン内閣で財務大臣に就任してから、既に6年と5ヶ月。部下達も上司のルーチンワークに慣れたもので、昼頃になればイギリスやベネルクス3国の日刊紙とアメリカ各紙の主な記事が纏められてクロージクの机の上に届けられる。それでもここ数日来、隣国の政党機関紙や、労働総同盟(CTG)の報道文を取り寄せてまで目を通す大臣の行動は、奇異に受け取られていたが、クロージクはそれに気がつかないふりをして、いつものように淡々と職責をこなした。せっかく金枠党員章総統功労章を獲得してナチス党の一員に迎えられたのだ。つまらないことで親衛隊にでも目をつけられては、たまったものではない。
それにしても今のドイツ国内においてこれほどまでにフランスの新聞報道に関心があるのは、自分を除けば宣伝省のオットー・ディートリヒ次官か、その上司である、あの足を引きずった小男ぐらいのものだろうか。彼らの場合は職務の一環としてだが、自分の場合は確認したいことがあるからに過ぎない。そしてクロージクは気になった部分に印をつけるでもなく、次々とページを繰り続けた。そして確認を終えると、小さな声で「そんなものか」と呟いていた。
先の国内の暴動事件の発生直後こそ、フランスの新聞各紙は暴動を批判的に報道したが、2、3日もするとカグール事件の軍事法廷や、ダラディエ内閣の改造問題、週40時間労働の改正をめぐる与野党の反応を伝える記事に埋もれていった。発生直後から批判し続けているのは共産党の機関紙ぐらいのものだが、それも週40時間労働改正反対を伝える記事のほうが扱いが大きい。人民戦線支持派が編集していた『ヴァンドルディ』が健在であれば、これも声高に批判したであろうが、急進社会党が離脱を表明したのを受けて、廃刊を表明してしまっている。
つまりは財務次官が事前に予想した通り、あれだけの暴動が発生したにもかかわらず、フランス人にとっては内政問題のほうが重要だということかと、クロージクは心中でひとりごちると、運転手の肩越しに見える車のミラーで背後を確認した。財務次官であるフリッツ・ラインハルトが乗る黒い丸型のベンツが、車間距離を維持したまま付いてくる。まるで次官の車が警護の中心であるかのようだ。
ナチスの政権綱領に従い、ドイツ民族による共同体の内部においては不公正な格差や富の偏重は一切認められないというのが持論であるラインハルト次官は「民族共同体の発展のため」として所得税改正を含む30以上の税制関連法案を、ライヒ所得税法として一元的に改正。高額所得者や独身者には大幅な負担増加となったが、未成年の子供を持つ家庭は税率を引き下げられた。そして敗戦後、10年以上の長きにわたり賠償金支払いを名目に課されていた「不公正な税制」は廃止され、目に見える還元がなされたことにドイツ国民は拍手喝采し、政権の支持は磐石なものとなった。
問題があるとすれば、一連の改正が財務大臣である自分には事後承認という形であったことであると、クロージクは付け加える。前任者のアルトゥーア・ツァルデン次官であれば、そのような横紙破りをするような真似はしなかっただろうとも考えたが、だからこそツァルデンは更迭されたのだ。
省内において、大臣でありながら閣議の書類にサインをするだけの人形と揶揄されていることをクロージクは知っている。しかし自分からすれば、ツァルデン前次官や、かつての男爵内閣の同僚であるエルツ=リューベナッハ(前郵政大臣)のように、今の政権に正面から戦いを望もうとすること事態が馬鹿げたこととしか思えない。現状を無視して自己の宗教的、あるいは政治的な信条を優先してどうするというのか。
革命を目指して失敗したナチスは、その復活に際して、迂遠な道ながらも議会政党として再度歩き始めた。その挑発的な政策提言とワイマール共和制を否定する過激な言説こそ何の変化もなかったものの、政治生命を絶たれかけたことで、格好だけでも「体制内改革を目指す政党」として振舞うだけの政治的な知恵と狡猾さを獲得していた。だからこそ政権を獲得した後、今まで築き上げた政治的な信用をすべて精算することで、非合法の手段も用いて絶対的な権力を獲得出来たのだ。これまでの経緯をまったく無視して飛んだりはねたりしたところで、たとえ宣伝省の検閲がなくともドイツ国民は誰も相手をしないだろう。
クロージクは6年前のことを思い返していた。1932年5月、男爵内閣と揶揄されたパーペン内閣において、クロージクは財務大臣に就任した。欧州大戦後は一貫してベルリンの財務省の高級官僚として要職を歴任してきたクロージクとしては望外の出世であり、そして予想の範囲内の人事であった。
政治に関心のない(実際にそうであった)無色な財務官僚として務めてきたからこそ、クロージクは当時の政治、あるいは国際情勢におけるドイツの困難さを理解していた。街中には失業者があふれ、外貨は底をつきかけていた。議会政党であるはずの共産党の武装組織とナチスが国会と街中で殴りあい、軍事クーデターの発生前夜……
最初に首相として仕えたパーペン男爵は、その政治経歴から国民にまったく人気のない保守派の政治家であり、軍部と大統領の支持だけを背景に成立していた内閣であった。国会におけるすべての政治勢力が彼に反対している状況にもかかわらず、パーペンは自信満々であり「自分こそがドイツを救える」と閣議の度に公言していた。
そして確かにパーペンはその自信にふさわしいだけの外交手腕を兼ね備えていた。就任して間もなく、スイスで開催中だったドイツ賠償金減額をめぐる国際会議であるローザンヌ会議に、パーペン男爵はノイラート外相やクロージクら閣僚を引き連れてれて出席。旧連合国-中でもイギリスのマクドナルド首相を相手に「この会議が失敗すればどうなっても責任は取れない」とドイツの政情不安をちらつかせつつ、ぎりぎりの交渉を試みた。結果、賠償金総額1320億マルクの8分の1にあたる約165億(支払い済み)に加え、追加の30億を支払うことで完了するというローザンヌ協定を締結した。
最盛期に比べれば2割弱、それも大半が支払い済みのものを含めての成果である。これまでの交渉があったとはいえ、途方もない外交的勝利であることに間違いはない。どれだけ景気対策や経済政策に取り込んでも、先の見えない天文学的な賠償金支払いがあることがドイツの景気回復を妨げ、投資家の流出を招いていた。それがようやく現実的な支払いにまでこぎつけたことで、ドイツ経済に明るい展望が見えてきたのである。どちらかといえば悲観主義者のクロージクですら「これでパーペン内閣の前途は開けた」と考えた。
だがドイツ国民は誰も喜ばなかった。パーペンが更なる賠償金の支払いを約束してきたというナチスや共産党の批判に、男爵閣下は有効な対処がまったく出来なかった。ついには総選挙でナチスが第1党となったことで内閣は軍部に拒否され、男爵内閣は総辞職。この時、クロージクはノイラート外相やギュルトナー法相と共に、シュライヒャー国防相の「閣内クーデター」に協力することで、その地位を守った。
ローザンヌ会議における自らの指導力と閣僚の努力が、一切本国で省みられなかったことに、パーペンは「所詮は大衆などこの程度のもの」と失望していた。ローザンヌで恥辱にまみれながら共に連合国との交渉に携わったクロージクにも、男爵閣下の気持ちは痛いほど理解出来たが、それでも官僚としての醒めた理性が、それもやむなしと受け入れさせた。
ドイツ国民はすでに政治的な、あるいは経済的な負担に耐え兼ねていたのだ。それを理解せずに交渉しても聞く耳を持つはずがないということを、クロージクも遅まきながら理解した。
パーペンは帝政ドイツの栄えある軍人であった。しかし帝政ドイツは敗北した。敗戦国ワイマールでは保守派は失敗した。右翼も左翼も、社会民主主義者も自由主義者も、軍人も経済人も、そしてユダヤ人ですら政権を握ったが、全員が敗北となった。ただひとりの伍長だけが現状の不満を肯定し、偽りと屈辱の平和を否定して大戦の復讐を叫んだ。いささか乱暴だが、意欲的かつ野心的な国家の将来像を訴えた男を、多くの国民は支持した。かつての挫折や政治的な妥協を嫌う強硬姿勢も、むしろ信念を貫く政治家と期待を集めることになった。
クロージクは手元のフランス紙に視線を落とす。相変わらず偉大なる共和国ではつまらない政争が続いているが、数年前までの自分達も同じであったことを考えると、彼らを笑うことはクロージクには出来なかった。かつてフランス人は「ヒトラーか共産党か」という選択を強いられたドイツをあざ笑ったが、今のフランスのあらゆる政治団体は「ヒトラーかスターリンか」という選択に苦悩している。ドイツ人は自らの指導者を選択出来ただけましだったかもしれない。
クロージクは「ヒトラーか共産党か」の選択では前者を迷うことなく選んだ。ノイラートと共にシュライヒャー内閣倒閣にも加わり、パーペン率いる保守派と国家人民党・ナチスとの連立政権として誕生したヒトラー内閣でも、財務大臣の地位を保った。副首相となった男爵閣下はかつての男爵内閣閣僚のリーダーとして、連立内閣の中からヒトラーを押さえ込もうとしたが、その結果は今更、言うまでもない。
昨年の内閣改造で独自性を出そうとしたノイラートは外務大臣を外され、宗教的な信念により政策を批判したエルツ=リューベナッハは解任された。そして自分は生き残った。それが全てであり、それ以外のことはクロージクにとってどうでもよいことである。
窓の外を流れるベルリンの官庁街は、ゲルマニア計画の一環として改修が進められており、かつての混迷の時代の痕跡は全く感じられない。件の反ユダヤ暴動も別世界の出来事のようだ。
現在の繁栄に少なからず貢献したという自負はクロージクも密かに持っていたが、その全てを自分の手柄として誇るほど恥知らずでもない。そして財務大臣としての地位に恋々としているだけの政治家といわれることは不本意であったが、それを否定するだけの材料も持ち合わせてはいない。それはナチスのように体制を変革するだけの政治的な情熱を持ち続けるだけの何かが、決定的には自分に欠けているからだろう。
おそらくそれを総統閣下は見抜いている。フラワーホールの下に留めた金枠党員章総統功労章を手でいじりながら、クロージクは自嘲するかのように微かに唇をゆがめた。むしろ地位にこだわる俗物であるほうが、無用な警戒をされずに済む。
クロージクとその一行の車列はヴィルヘルム街に入り、国民啓蒙・宣伝省の前を通り過ぎる。かつてのドイツ皇帝の別宅を本省に選んだヨーゼフ・ゲッベルスが同省の大臣に就任したのは1933年。ツァルデン前財務次官の更迭をクロージクが受け入れたのと同年である。階段をひとつずつ上るように、何度も蹴り落とされながらも不屈の精神で這い上がり続け、ヒトラーはその権力基盤を着実に固めていった。
クロージクは結果的にヒトラーに逆らわないことで、今の地位を保ち続けることに成功した。それが間違いだと思ったことはない。安易な道ではないし、実際に国民の支持を受けているのはヒトラーである。一度は全てを失ったが、揺るがぬ愛国心により誰よりも困難な道を歩き続け、共産党を打倒して国を混迷から救った救世主。クロージクはそこまで心酔することは出来ないが、パーペンを拒否した国民が、ヒトラーを支持する気持ちは理解出来る。
「大臣、そろそろ到着いたします」
運転手の言葉にクロージクはいかにも貴族らしく鷹揚にうなずくと、新聞をたたんで降りる準備をする。車がゆっくりと航空省の玄関前に到着すると、先に到着していた秘書官がドアを開けた。車から降りて仰ぐように見上げた航空省の庁舎は、その主の性格が現れているのか聳えるような威容を誇っている。クロージクにはそれが必要以上に格式を強調しようとするかのように映った。
それにしても玄関前が何か騒がしい。仮にも「あのような事件」があったばかりだというのに、記者らしき連中が人垣をつくって取材を試みている。警備兵も何故か手をこまねいているように見えた。怪訝に思ったクロージクが、その中央に視線をやると、禿頭の人物と視線が合った。
「あ、伯爵、伯爵!」
「あぁ、フンクさん」
ヴァルター・フンク経済大臣はクロージクの姿を見ると、それ幸いと搔き分けるようにして足早に駆け寄ってきた。握手を交わしながら「ご一緒しませんか」と声をかける。国会における議席が隣同士であるクロージクは、断る理由もないのでそれに同意したが、フンクはそれを見ると安堵したような表情を浮かべた。記者団も伯爵位を有する貴族であり、ヒトラー内閣以前から財務大臣を続けるクロージクには遠慮するところがあるのか、声を掛けずにこれを通した。記者団にすかれたいとは思わないが、自分がそんなに近寄りがたい気難しい人物に思われているのかと、クロージクは内心苦笑した。
「いや、助かりました」
記者団を振り切り航空省の中央ロビーまで進むと、クロージクとそう身長の変わらない東プロイセン人は、その歩幅の小さい足を小刻みに動かす歩き方にふさわしい、なんともセカセカとした話し方で謝意を示した。フリッツ・ラインハルト財務次官は少し離れた距離を歩きながら、時折、経財相の秘書官と話している。その内心は窺うべくもないが、次官である彼が表向き大臣である自分を立てる姿勢を崩したことはない。
フンクに先ほどの記者団について尋ねたところ、聞けば記者団を追い返そうとした警備兵を押しとどめていたのはフンク自身だという。クロージクは自らの疑問を率直に同僚にぶつけた。
「仮にも宣伝省の次官まで努められた貴方が、何ゆえ新聞記者などに遠慮するのです」
「いやぁ、それがゲッベルス大臣からも、あまり記者を刺激するなと言われておりまして」
「いまさら気を使う必要もないとは思いますが、これが外様の辛いところです」とフンクは自らの後頭部を気恥かしげに掻いた。
保守系経済新聞の編集局長であった彼がナチス党に入党したのは1931年。経済記者として取材対象の企業や経済界との伝があることから、入党して間もなく党首の経済顧問に就任したが、その肩書きはもっぱら資金集めのために使われ、実際の政策立案にはほとんど関与していない。ヒトラー内閣発足後は政権報道官のポストを与えられたが、すぐに宣伝省次官に就任した。選挙資金を調達したことへの報奨であり、どちらのポストも「新聞記者なのだからちょうど良いだろう」ということで与えられたに過ぎず、目立った働きをしていない。
確かに-こう表現すると角が立つが、フンク程度では古巣の大臣に釘を刺されて勝手なことも出来ない。記者団としてもそれを見越して口の硬い閣僚よりは、記者上がりのフンクが口を滑らせることを期待しているのだろう。
何よりこの航空省の主が、フンクにそれほど期待していないことは明らかである。シャハト経財相兼ライヒバンク総裁を失脚させて4ヵ年計画、すなわちドイツ経済の全責任者となったゲーリングは当初は経財相を兼任したが、この2月にはフンクにその地位を与えた。シャハトのように自分に逆らわない経済大臣であればよく、むしろ政治的に無力な大臣として、いざとなれば責任を押し付ける狙いが透けて見えたが、当人は今の地位を喜んで受け入れた。そのフンクは相変わらずせわしない口調でクロージクに切り出した。
「ところでクリスタル・ナハトの保証問題に関してですが」
「……今、なんとおっしゃいましたか大臣?」
「ですから水晶の夜に……あぁ、そうでした。いや、先の事件についてゲッべルス大臣がそう呼ぶように訓示を出したそうです。対外的な喧伝戦に対抗するためには、自分達で先に命名してしまうことで印象操作の主導権を握るのが最善の手法だとか。確かに、何やら新しいオペラのタイトルのようではありますね」
フンクからその理由を聞かされたクロージクは、久しく自らが忘れていた嫌悪感という感情を思い出していた。略奪と放火の対象になったユダヤ人商店の窓が割れて、地面に落ちて反射する様子が、夜空に輝く星のように、あるいはきらめく水晶のようであることから名づけたという。いかにもあの悪趣味な小男らしい表現であり、そして小賢しい自己正当化だ。
11月9日から10日に発生した一連の反ユダヤ暴動事件に関して、総統閣下の意向や内々の指示があったかどうかは、クロージクにもわからない。パリにおける三等書記官銃撃事件の発生直前に、報復行動が行われることが示唆され、警察当局や消防に略奪を無視するよう秘密命令があったという噂は聞いていたが、クロージクは閣議においてフリック内相やゲッベルス宣伝相にそれを直接確認するようなリスクを犯すつもりはなかった。
この政権において生き延びるためのコツというものはあるとすれば、自分の与えられた職務権限以外のことに関心を持たないことである。
「ゲッベルス大臣も必死なのでしょう。少しでも自分の存在感を総統閣下にアピールするために必死なのです」
「後処理をしなければいけない我々としては、いささか複雑ではあります」
「それは、まあ確かにそうですな」
フンクはクロージクの発言に、曖昧に頷いた。いささかどころではなく大変な迷惑である。今回の一連の暴動に関しては、海外メディアでは政権を上げての組織的な犯罪と批判する声も聞かれるが、実際には宣伝大臣ゲッベルスの党内クーデター染みた独断専行であるとクロージクは見ている。
同じく海外ではゲッベルス宣伝大臣がまるでナチス政権のあらゆるメディアを一括して支配する総統閣下のゴーストライターのような世論を操る怪物のようなあつかいをされているが、政権交代をはさんでナチス政権を内部から見てきたクロージクは、海外での虚像が膨れ上がるのとは対照的に、ゲッベルスの権威が低下していくのを見てきた。
元々、ナチス党左派のシュトラッサーの秘書としてキャリアをスタートさせたゲッベルスは、北西部を基盤とする左派とミュンヘンの党本部との間で党の主導権争いが生じると、シュトラッサー派の一部を率いて党首であるヒトラーに「寝返った」人物である。政権獲得直前の幾度かの国会選挙に関しては宣伝部長として党の選挙戦術を指揮し、自らは大票田であるベルリンにおける党の代表として攻撃的な選挙スローガンを掲げて全国区の注目を集め、選挙での勝利と政権獲得に貢献した。
しかしヒトラーにその才能を愛されたとは言え、元々生え抜きではないし、粛清されたシュトラッサーやレームとも直前まで関係を保っていた。政権の基盤が固まれば「敵」を作り上げることで自らの政治的な存在感を示してきたゲッベルスの政治的な出番は、おのずと減少する。また宣伝省という、政権内において自らの手足となる新たな官僚機構を作り上げるために、郵政省や外務省、あるいは内務省など既存の省庁に職務権限の移譲を迫り、これを認めさせたが、権限を奪われた監督官庁は当然ながらゲッベルスに批判的になった。
何よりクロージクにおけるラインハルト次官と同じように、ゲッベルスの部下でありながら、党歴も彼よりも古くヒトラーの信任が篤い党新聞部長にして宣伝省次官のオットー・ディートリヒが台頭しつつあった。その焦燥感はクロージクにも理解出来なくもない。パリ大使館三等書記官事件は政権におけるユダヤ人問題の責任者でもあったゲッベルスには千載一遇の好機に見えたのだろう。しかしその結果は自らの政治生命の危機である。クロージクやフンクにとっては迷惑千万な話だが。フンクはこの人には珍しく明確な怒りの含んだ口調で続ける。
「各省庁の試算の段階であり、荒い計算を合算しただけですが、商店の割れたガラスだけでも最低500万ライヒマルクは必要だとか。この他にシナゴーグや略奪された商品の補填、人的補償を合わせて考えますと、支払い金額は20億か30億か、ともかく天文学的な金額になる見込みです」
「随分と高くついた水晶ですな」
「おまけに割れて砕けているので、鑑賞も出来ません」
クロージクの遠まわしの皮肉に、フンクはこちらも皮肉により同意してみせた。100人近くの死傷者が出た上に、ドイツ全土で放火・破壊された店舗の数は数え切れない。彼らの多くはドイツ国内の保険や共済組合に加入しており、ドイツ国内の保険業界は突如として発生した天文学的な保険支払い義務に悲鳴を上げた。相手が相手だけに政治的には「踏み倒し」も不可能ではないが、そんなことをすればドイツ国債及び金融業の国際的な信用は完全に失墜する。この他にも4万人以上のユダヤ人を「保護」する名目で収容所に収容しているが、その費用も必要であり、補正予算を組まなければならない財務省は連日連夜対応に追われている。
一連の「犯罪行為」に関してベルリン警察庁長官のヘルドルフ伯爵などは、普段の反ユダヤ姿勢を忘れたかのように-というよりも警察当局のメンツが丸つぶれになったことに激怒して「犯罪者を全員見つけ出して、裁判にかけずに縛り首にしてやる」と号令をかけているし、ゲシュタポを始め各地の警察も、自らのサボタージュのつけを一斉に払わされるかのように、事後の対応に追われている。
クロージクとフンクが連日のように航空省に出向いているのも、この事件の後始末と、主に保険業界への対応をゲーリングと協議するためだ。事件後の12日に航空省で開かれた初回会合には、ヒトラー総統より事態収拾の全権を委任されたゲーリング国家元帥を始め、クロージクとフンク、ギュントナー法相、秩序警察(Orpo)長官のダーリュケ警察大将、保安警察(Sipo)長官のハイドリヒ警察中将、ドイツ保険組合のヒルガルド理事、そしてゲッベルスが出席した。
事実上のゲッベルスの吊し上げのための会合である。4ヵ年計画の責任者ととしてドイツの経済と財政に全責任を背負うゲーリング元帥はメンツを丸つぶれにされたことに激怒していたが、それ以上にドイツ経済を危機に陥れたことに激昂していた。ヒルデガルド理事が顔面を蒼白にしながら、震えるような声で被害総額と、これから予想されるおおよそ「最低限」の支払い金額を列挙していくと、さしもの傲岸不遜で知られるSiop長官のハイドリヒですら、顔をこわばらせたほどだ。
「これなら100人ではなく200人だけ殺したほうが効果的であった」というゲーリングの批判は、ユダヤ人への侮蔑と憎悪に満ちた発言であったが、実際にその通りであるため、会議に出席した人間は批判されたゲッベルス当人ですら否定しなかった。外国籍のユダヤ人に関しては早急な保険支払いを決定したが、ドイツ国籍のユダヤ人に関しては議論が紛糾する。仮にすべてを支払えば、ドイツ国内のすべての保険会社が倒産しかねない。あくまで法律論から言えばそうするべきなのだが、それをすればドイツ発の新たな金融恐慌を引き起こしかねないほどの規模。これにはフンクやクロージクだけでなく、すべての出席者がゲッベルスを批判した。
「それにしてもゲーリング元帥は、やはり決断力がありますな。いざという時に泥をかぶられる勇気。さすがは先の大戦の名パイロットなだけはある」
これみよがしな政権No.2への追従のように聞こえたが、フンクの口調と表情にはそのようなものは感じられない。むしろ経済大臣として自ら決断しなければならないことを、ゲーリングが肩代わりしてくれたことの純粋な安堵の色が見て取れた。ゲーリングは初回の会議を終えた直後、12日中に3本の政令を布告した(つまり10日から11日の間にはたたき台を完成させていたことになる)。罰金10億ライヒマルクをユダヤ人団体に課す、年末までに国内の企業からのユダヤ人排除、破壊された公共施設やユダヤ人資本の建築物に関して支払われる保険金の国家没収-以上、3点である。
流石に被害者に全責任を負わせるという解決策を聞かされたクロージクは驚いたが、ハイドリヒ財務次官は「素晴らしい考えだ」と絶賛してみせた。その言葉に一瞬だけクロージクは反論しようかとも考えたが、民族共同体にユダヤ人が含まれていないことは、この政権における大前提である。それを考えるなら、論争するだけ時間の無駄だと割り切った。
クロージク自身、冷静に考えてみれば悪くはないと考えを改めた。一度、形式的に支払うことで国際的な信用を担保し、強制的に没収することで支払いを通じてドイツの資本が海外流出することを防ぐ。保険会社には没収した保険金を始めユダヤ人から徴収した10億ライヒマルクを含めて、何らかの形で払い戻せばいい。金融・保険業界に恩を売るだけでなく、経済官庁への自身の影響力も強めることで、ゲーリングはユダヤ人問題解決に失敗したゲッベルスから権限をとりあげたことも含めて、政権内部における求心力向上に結び付けられる。対イギリス外交をめぐりリッベントロップ外相らと鞘当てを続ける国家元帥にとっては総統閣下への格好の材料となる。
なるほど、転んでもタダでは起きないあたりは、ユダヤ人よりもゲーリング元帥の方が上手かもしれない。栄光あるルフト・バッフェの一員として大戦を通じて戦い続けた男は伊達ではないということかと、クロージクは元パイロットとは思えないほど体格の良くなった空軍元帥を見直した。
そういえばゲッベルス宣伝大臣は小児性麻痺の後遺症から先の大戦は従軍を拒否されたという。本人にとってはそれはひどくプライドを傷つけられることであったようだが、やはり修羅場をくぐり抜けた差が、いざという時の腹のくくり方に出てくるのかもしれないとクロージクは考えつつ、航空省の階段を上り続けた。
「そ、それよりも聞きましたか」
青息吐息といった調子でありながら、クロージクを追いかけるように階段を上るフンクが口を開く。大人しくエレベーターに乗ればいいのに、階段に登る自分に合わせるとは。人がいいというか、気が小さいというべきか。だからこそゲーリングが経済相に選んだのだろうが。
「総統閣下の御友人である指揮者の一件ですか」
「さ、左様。例のユダヤ人の、集団駆け込みの一件です」
先の党大会においてバイロイト祝祭管弦楽団を指揮した日本の指揮者であるヒデマロ・コノエは、貴族でありながら気さくな人物で、総統閣下のワーグナー狂に付き合うことの出来る数少ない人物として「総統の指揮者」と呼ばれていた。その彼が、先の騒動の中でユダヤ人を満洲国公使館へ集団亡命させるために行った路上コンサートはゲッベルスのメンツを丸つぶれにしただけでなく、BBCにニュース映画として撮影されて世界中にばらまかれた。
これには親英派で知られるゲーリング国家元帥もナチス政権への裏切りだとして激怒し、「そんなにユダヤ人が好きなら、そのまま一緒に強制収容所へ入れておけ」と公言する有様だ。
「実際には難しいでしょうな。総統閣下とこの一件は無関係です…少なくともそういう建前にはなっている」
「ハイドリヒ長官らが強硬姿勢を崩さないと、聞いておりますが」
「いずれ日本政府とは何らかの政治決着が図られるでしょうが、それこそ外交の問題で…」
クロージクはそこまで言いかけて、自らの口をつぐんだ。なるほど、だからこそ国家元帥はこの問題に関してあれほど強硬なのかと、その理由に思い至ったからだ。
リッベントロップ新外相率いる現在の外務省は、外相の反英路線を反映して日本との関係構築を優先しており、日本の関心を買うために満洲国を承認した。イギリスの植民地帝国は日本の支持なくば維持できないとする見方は一理あったが、日英経済交渉の妥結に象徴されるように、その思惑が成功しているとは言い難い。
政権内における親英派として反英派の外相と対峙するゲーリング元帥としては、コノエの一件で外務省にも自らの力を見せつけ、対英外交の主導権を握りたいのだろう。だからこそ目端の効くハイドリヒ長官が、国家元帥の意向を汲んで、先んじて行動している……話は繋がった。
「ど、どうかされましたか、伯爵、閣下?」
突然黙り込んだ財務大臣に、ようやく長い階段を登りきったことで息も切れ切れのフンク経済相が「何か機嫌を損ねるような発言をしましたか」と言わんばかりの態度で、こちらの様子を窺う。クロージクは「そうですな」とつぶやき、つかず離れずの距離で付き従う財務次官らを見ながら続けた。
「マックス・ウェーバー曰く、理想の官僚の条件というものがあるそうです」
「理想の官僚ですか?」
「えぇ。憤怒も不公平もなく、憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ただ義務に従うのみ-」
列挙されるその条件に首をかしげる経済大臣に、クロージクは-なぜそうしたかは自分でもわからないが-ニカっと歯を見せて笑った。
「いや、我々は義務に従えば良い。それだけの話ですよ」
・一瞬いい事いってるような気がするんだけど、よくよく考えたらいろいろおかしい発言。
・日本の右翼政治団体の系譜…わかるかこんなもん(逆切れ)左翼の無産政党の系譜のほうがまだわかりやすいわ!…というわけで、こちらもいささか無理やりながら生産党にズームイン。敵の敵は見方の鳩山一郎の明日はどっちだ。
・なんかこう中二心をくすぐるネーミングが多いんですよね。フランス政治史って。反ファシズム知識人監視委員会なんて、こうキーボードで打ち込んでいるだけで楽しい単語ってなかなかないですよw
・モスクワの長女の伝統は戦間期から。コミンテルンの指針に忠実でありつつ、割と割り切った対応が出来るのがフランス共産党の伝統(まともという意味ではない)。なお事はすべてエレガントに運べといったかどうかは定かではない。
・ブルム元首相は社会党生え抜きの古参ながら同時代のフランスにおいては相当しぶといやり手の政治家。理想化肌の社会主義者だけど現実を踏まえた妥協と政治的なアピールも出来る。でも何か足りない。
・フランス極右団体の反ユダヤ言説。なんでもありで、もうドン引きとかいうレベルじゃない。そりゃあんなことやってたら今でも色眼鏡で見られるし、反ユダヤ主義がタブー扱いされるわ。
・ドイツの閣僚同士による水晶の夜事件の事後処理の会話。ナチス・ドイツ側の理論を徹底的に意識して書きましたが…もう本当に胸糞が悪くなった。
・クロージク財務大臣。なんというか、こう政治家じゃないんですよね。どこまでも官僚気質というか
・イギリスじゃナチス政権内部の穏健派とみられていたというゲーリング。名前は出さないけど一党独裁国家の親日派政治家と当てはめればわかりやすいか。
・「ヒトラーかスターリンか」…なにこの罰ゲーム。
・さて、ここで問題です。
①1930年代のフランスで急進社会党の領袖として長期安定政権を築く(ただし中道左派政権でも中道右派政権でもどちらでもよいものとする)
②1920年代のワイマール共和制で何らかの安定政権(軍事独裁でも可)を作り、テロの対象とならない形で財政を緊縮して安定させ、賠償金の値引きを連合国と交渉する(支払猶予でも可)
③1940年代の大日本帝国の総理として大東亜共栄圏(中国大陸と西太平洋の独占的地位)を、戦争せずにアメリカに認めさせて日米通商航海条約を復活させる
④1930年代に大粛清のスターリン体制の下で、党幹部として生き残る(手段は問わない)
⑤1945年以降に蒋介石の部下として、腐敗しきった軍を率いて国共内戦に勝利する(アメリカから物資と金銭はもらえる)
どれが一番、現実味のある選択でしょうか。