東西新聞『海軍定期人事』/ 東西グラフ11月号 / 杉山メモ / 東京市麹町区千代田 皇居内 内大臣府公邸 / 東京日日新聞 (1938年11月)
『私が私として生きることを、許して欲しい』
アンネ・フランク(1929-1945)
- 海軍定期大異動発令。長谷川・加藤の両中将、大将に昇級 -
海軍の本年度定期大異動は2日、左のごとく発令された。米内海軍大臣にとっては3度目の定期人事であるが、GF長官を含めた大規模な人事は就任以来2度目である。前横須賀鎮守府長官の長谷川清中将、前呉鎮守府長官の加藤隆義中将の昇級により、現役の海軍大将は7人となった。
既定路線であるとされていた山本五十六中将(前海軍次官)のGF長官人事に代表されるように、米内大臣はおおむね下馬評通りの人事を行った。第3・第4艦隊の所属する支那方面艦隊の再編や、海軍省で兵科・機関科の制度統合に取り組む井上成美軍務局長は留任であることを踏まえて考えると、第二次上海事変後、大陸問題への積極的な関与を避けたいとされる海軍中央の認識が現れている。特に豊田貞次郎次官は、海外経験が豊富な軍政畑のエースといわれながら、ここしばらくは艦政本部や航空部門など中央から遠ざかっていた。満を持しての登板と本人は意気軒昂だが、その手腕が発揮出来るか、注目される。
【進級】
海軍中将 長谷川清(前・横須賀鎮守府長官)
海軍中将 加藤隆義(前・呉鎮守府長官)
任海軍大将・海軍参事官(写真と略歴)
【転補】
海軍中将 山本五十六(写真と略歴)
補・連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官(前・海軍次官)
海軍中将 吉田善吾(写真と略歴)
補・海軍省参事官(前・連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官)
海軍中将 豊田副武(写真と略歴)
補・第2艦隊司令長官(前・支那方面艦隊所属第4艦隊司令長官)
海軍中将 及川古志郎(写真と略歴)
補・横須賀鎮守府長官(前・支那方面艦隊司令長官兼第3艦隊司令長官)
海軍中将 嶋田繁太郎(写真と略歴)
支那方面艦隊司令長官兼第3艦隊司令長官(前・第2艦隊司令長官)
海軍中将 豊田貞次郎(写真と略歴)
補・海軍省次官(前佐世保鎮守府司令長官)
(中略)
海軍少将 大川内傳七
支那方面艦隊参謀長(上海海軍特別陸戦隊司令官兼任)
(以下略)
- 東西新聞 (11月3日) -
*
・外務省(際立つ広田派の冷遇と石井菊次郎の影)
外務省の新人事は、一言で言えば対ソ重視である。外務次官の沢田廉三(大正3年入省)は駐仏大使に転身した。浪人が当たり前の難関で知られる外交官試験を現役の首席で突破した外務省屈指のフランス通である沢田だが米国や南米、支那への駐在経験もある。国際的にも国内的にも豊富な人脈を持つ外務省のエースだ。外務次官として2年半、外相兼任の林総理を支えてきた。その沢田に代わって新次官に就任したのは前ハンガリー公使の谷正之(大正2年入省)。重光葵・元外務次官(現駐ソ大使)の直系であり、完璧主義者の重光門下らしく仕事には隙がない。重光大使と連携して対ソ外交に取り組む狙いがあるとされる。露仏協商以来、断絶を挟んでるとは言え対ドイツ包囲網を形成してきたフランス大使に沢田を持ってきたのも、これが関係していると思われる。
新しい人事の背後にある思惑が大事であるように、代えなかった人事もまた重要だ。駐米大使の吉田茂(明治39年入省)と、駐英大使の宇垣一成(退役陸軍大将)。幣原外相と田中総理の下で外務次官を経験した大物大使と、外様の陸軍大将。異例の2人が共に続投となったのは、日米・日英関係を重視する林総理の評価が極めて高いからである。もっとも宇垣大将の場合は厄介払いの側面が大きいのもまた事実であり…(中略)…欧州局長に大橋忠一(大正7年入省)。さて新設された情報局総裁には、日英経済協定を纏め上げた特命全権公使の伊藤述史(明治42年入省)が抜擢された。各省庁から出向した全権団を統括した手腕を評価されてのことだ。
これとは対照的に冷遇が際立つのが外務省の亜細亜派である。広田弘毅元外相の直系であり、次官として広田外相を支えた有田八郎(明治42年入省)は、亜細亜派の領袖として次期外相候補とみなされていた。しかし林内閣においては全く畑違いのブラジル大使のポスト。これも1年だけのことで、その後任が東亜局長候補と言われた石射猪太郎(大正3年入省)。共通しているのは大陸駐在経験が長いということである。同じく広田の下で情報局長であった天羽英二(大正元年入省)も、国際労働機関(ILO)日本代表として主要ポストから外されている。一部の中堅若手からの信望が篤い白鳥敏夫・元情報局長(大正2年入省)の無期限謹慎処分の解除が検討されている革新派に比べると、その冷遇は明らかだ。
亜細亜派冷遇の裏に、枢密院顧問官の石井菊次郎元外相(明治23年入省)の影響を指摘する声もある。新しく総理秘書官に就任した久保田貫一郎は石井子爵の娘婿。親仏派の石井子爵は第2次大隈内閣の外相時代には対支那・対ドイツ強硬派であったが、同時に国際協調派としても知られていた。加藤高明前外相の単独強硬路線を修正し、米国政府と西太平洋や大陸をめぐる交渉を開始した人物である。この時の外務次官が幣原喜重郎男爵(明治28年入省)であり、いわゆる幣原外交の始まりである。旧主流派の幣原派が石井子爵を新たな後ろ盾に広田派と抗争を繰り広げているとする見方は、あながち間違ってはいないだろう。
そうなると注目されるのはドイツ大使である。対ドイツ外交ではなく対ソ重視の布陣と評価とした理由がこれで、敵の敵は味方の論理で、モスクワを牽制するためにドイツ政府との関係を改善したい林内閣にとって、外務省屈指の反ナチスで知られる東郷茂徳(大正元年入省)大使は目の上のたん瘤であり、いずれは更迭されるという見方が多い。しかし反ナチス派と親ナチス派との抗争で機能不全となった同大使館を立て直した東郷の手腕は不可欠であるという声も根強く、実際に東郷大使を全面的に支援したのは林総理であるので、これもどうかわからない。
・海軍(次期海軍大臣レースの行く末は)
懸案を多々抱える海軍にあってポスト米内はどうか。米内元帥は29期。30期のクラスヘッドである百武源吾大将は能力実績ともに抜群だが、偏屈で正論を吐くため人気がない。恐米家とも揶揄されるが、とにかく理屈が立つので中途半端な反論をするとこっぴどく叩きのめされる。退役海軍大将の百武三郎侍従長(19期)は実兄であることもあり、実際には難しいだろう。
31期からは今回長谷川と加藤が大将になったが、横須賀鎮守府長官になった及川中将も来年には大将になると見られている。つまりこの3人が31期の大臣候補ということになる。故・加藤友三郎元帥の養子である加藤大将は、これも厳格過ぎて人望に乏しいし、そもそも旧艦隊派である。長谷川大将、これは人格器量、そして能力ともに抜群で支那艦隊司令長官としても功績を立てた。ただ、いささか奔放すぎる。あの遊び巧者の米内大臣がやんわりと注意したというのだから相当なものだ。米内と同じタイプが2代続くのはどうかという声も出る。そうなるといささか優柔不断という評価はあっても、人格的にバランスがよい及川中将が大将昇格と同時に海軍大臣候補ということになる。しかし軍令が長く軍政の経験に乏しい欠点がある。仮に31期から及川大臣が出た場合、本命とされる32期は微妙となる、
ポスト米内で最も有力視されているのは海兵32期である。まず軍参事官に転じた吉田中将だが、細かすぎて大臣の器ではないと海軍内での評判はよろしくない。米内大臣は地位にこだわる人物ではないが「吉田大臣」ではいかにも不安である。山本GF長官は米内と大臣-次官として2年近くコンビを組んだ間柄であり、政治は嫌いだが出来るという、文字通り米内の後継者である。しかしGF長官は少なくとも2年は動かせない。同じく32期だと塩沢中将は31期の及川中将と共に来年には海軍大将になると思われる。両名の昇級で上海の論功行賞は終わる予定だ。話は脱線するが山本中将もGF長官となったので、吉田参事官と共に時期はともかく海軍大将への内定が出ている。つまり将来的には31期と32期から3人ずつ、合計6人の大将が出ることになる。
さて軍令だと32期からは支那艦隊司令長官となった嶋田繁太郎中将がいる。海兵時代の成績は振るわなかったと本人が自嘲しているが、仕事は杓子定規と言われるほど真面目で几帳面。部下にも上司にも同僚にも馬鹿がつく丁寧さで接することで知られ、言葉を荒げる場面を見たものはほとんどいない。小まめな付き合いと付け届けは欠かさず、狷介な作戦屋の多い軍令には珍しい男だと伏見宮総長のお気に入りだったとされる。これが潔癖な政治嫌いの多い海軍では評判の悪さにつながるわけで、人気取りをする陸軍的な政治軍人だと批判される。あの変わり者の山本中将が何を考えているのかわからないと評するぐらいなので、相当な変人かもしれない。身内では評判が悪いが、説明が丁寧な嶋田には外ではファンも多い。だから計算づくの狡猾な男というやっかみも出るのだが、とかく国会答弁でもぶっきらぼうで最低限のことしか言わない米内大臣とはまさに好対照であり、だから嶋田大臣もありえなくはない。
33期は両豊田、つまり豊田貞次郎と豊田副武である。クラスヘッドであった豊田次官はとにかく頭が切れる。頭脳明晰、口八丁手八丁の野心漲る豊田次官は、一貫して軍政を歩んだ海軍大臣候補であった。伏見宮総長の不興をかって、一時期は畑違いの航空や艦政に送られて予備役入りも囁かれたが、却って現場を勉強出来たのだと本人は意気軒昂たるもの。挫折感など微塵も感じさせぬ、宮様総長を激怒させた轟然たる自信は健在で、山本前次官を辟易させたという。
一方の支那艦隊の第4艦隊からGF直轄の第2艦隊長官に栄転した豊田中将。名前の副武は「お供え物」に由来しているとされ、長らく豊田次官の添え物扱い。良くも悪くも次官とは対照的な性格で、気難しい喧し屋で大の陸軍嫌い。第2次上海事変では占領した建物に片っ端から「海軍管轄」の張り札をして、あの冷静なる陸軍の畑俊六派遣軍参謀長を激怒させたという逸話の持ち主である。
就任以来、陸海協調で進んできた米内海相が、あえて陸糞と罵る豊田副武中将を後継者に選ぶとも考えにくい。しかし2代続いた海軍内閣をつぶしたのが陸軍クーデターであるという声は根強く、それが反陸軍で鳴らす豊田中将の人気につながっている。かといって軍政一筋で艦隊司令を経験していない豊田次官ではどうにも収まりが悪い。だからいっそのこと、ひとつ遡ってでも軍令部総長の永野修身(28期)を持ってこようかという話になる。人事を送らせて子飼いの山本を大臣にしたい(山本中将からすればありがた迷惑な話だ)、あるいはせっかく元帥にしたのだから有効活用するべきだろうというのは、いかにも米内海相が考えそうなことである。
さてそうなると問題は陸軍である。これが記者泣かせの林人事で、さっぱりもってわからない…
- 東西グラフ11月号 『中央省庁幹部人事論評』より -
*
- 杉山元(当時は教育総監部本部長)のメモより -
十一月二日(木)午前八時より麹町区代官町の総監部において、林(桂)陸軍次官と約一時間会談。陸軍省より町尻(量基)軍務局長、今村(均)兵務局長(調査部長兼任)、総監部より自分と牛島(実常)工兵監、関(亀治)輜重兵監が同席。
・陸軍省、教育総監部管轄の学校統合(整理)について。
イ、町尻軍務局長より「諸兵種・各科ごとではなく、予備士官学校が甲種幹部候補生への集合教育を行っているように、対象毎に軍学校を統一させてはどうか」と提案あり。安易な合同は各学校の指導方針を混乱させるのではないかと牛島工兵監。合同教育について参謀本部と合同で検討部会を設置することで合意。
ロ、幼年学校制度について今村局長より「不適切」な発言。林次官より注意。
(今村は幼年学校ではなく中学出身、満洲事変で幼年学校出身者に囲まれて苦労したゆえの提案か)
午前十時より陸相官邸で林陸相(総理と外相兼任)、渡辺総監と寺内(寿一)参謀総長による三長官会議。林陸軍次官、小畑(敏四郎)参謀次長と自分が同席。
・元波蘭国籍の猶太人避難民問題、日赤を通じた救済案を波蘭政府が受け入れ。
総理発言骨子
イ、革命西比利亜の蘭国孤児救済の故事もある。波蘭政府とベック外相を粘り強く説得した酒匂(秀一)大使の功績大なり。
ロ、満洲、あるいは日本へ亡命を希望する中から15歳以下の子供を優先。方法としては一時期に波蘭政府が在留資格を認めたものを、ワルシャワの日本公使館が受け入れ、シベリア鉄道を通じて満洲国へ移送。問題は独逸政府。
ハ、あくまで人道的な観念からの緊急措置的な対応であり、政府として猶太人問題に関与すると決定したわけではない。独逸政府との関係悪化を懸念。
・武官制に関する陸軍省官制再改正について協議(予備役から現役に)
【寺内総長発言骨子】
1、2・26事件結審した以上、荒木や真崎の復権は困る。10月事件に関与の疑いが残る宇垣大将の例もある。軍籍剥奪が難しい以上、この際は武官制を再改正して現役に限るべきではないか。
2、自分はどちらでもよいと考えてはいるが、確かに真崎や宇垣の復権は困る。
3、軍部大臣は軍人であるべきだ。総理は政党に弱腰だという声がある。政党は着実に勢力を回復しているが、危機感が足りないのではないかという声だ。軍部大臣の文官起用を主張する声も出てきかねない。その前に先手を打つべきではないか。
【渡辺総監発言骨子】
1、陸軍大臣の選任に陸軍としての意向を反映させたいとする総長の発言は理解出来る。
2、荒木や真崎を軍部大臣にするような内閣なら、そもそも組閣出来ない。理由として弱い。同じ理由で宇垣も。
3、個人的な見解だが、大臣は文官でも問題はないと思う。作戦や人事に介入されるのではないかという懸念だろうが、陸軍は大臣を通じて大元帥たる統帥権を有される陛下を輔弼するのであり、大臣個人に仕えるわけではない。
4、それに素人ならむしろ扱いやすいではないか。
寺内総長と渡辺総監との間で論争。作戦介入は断じて不可、情報漏洩の危険性を指摘する総長に、参謀総長を文官にしろというわけではないと渡辺総監。しかし三長官とはいえ実際には陸軍大臣の人事権は他の長官を上回っていると総長が再反論。
総理が軍部大臣の文官制についての話ではなく、現役に限るかどうかという問題に論点を戻すべきと発言。
【総理発言骨子】
1、陸軍大臣の選任に関して一貫した方針がこれまでなかった。昭和初期までは前任者の推薦と三長官会議という一定の枠があったが、ここ数年の混乱でそれが難しくなった。特に宮様総長により三長官会議が機能不全になったからである
2、皇族に責任を負わせられないという大義名分を使われた。その点を含めて、これまでの陸軍大臣選任の経緯を整理しておくべきかと考える。過去の事例を調査するべきだ。
3、ただ宮様を、その能力にかかわらず三長官にするべきではないという暗黙の了解は、次の長官に伝達しておくべきだと考える。勝ち戦ならともかく、何か問題が発生した場合、恐れ多くも陛下に問題が及びかねない。それだけは避けるべきだろう。
4、暫定措置として、三長官人事については前任者の同意と、三長官会議の了承により後任を了承することにしてはどうか。急病死や事故による欠員の場合はやむをえないかもしれないが、少なくとも平時はそれで問題がないと思うが如何に。
総理発言を総長と総監が了承。
渡辺総監より辞職の申し出あり。後継として自分を指名される。三長官会議はこれを了承。
謀られたか。渡辺の糞爺…
*
前内閣総理大臣の岡田啓介(15期)は、2・26事件により内閣が総辞職した後、つい最近まで自主的に謹慎していた。本来であれば被害者が謹慎するのもおかしな話なのだが、岡田は被害者である以前に、行政の責任者でもある。総理が官邸を命惜しさに逃げ出した、事態が収拾するまで雲隠れしていたと心無い誹謗をされてはどうしようもない。
確かに岡田は警備局からの一報で官邸を脱出した後、都内に潜伏していた。本来であれば、批判者が言うように即座に宮城へ参内するべきだったのかもしれないが、反乱軍が宮城に自分を追って入れば、その時点で事態は武力解決しかなくなる。警察部門のトップであった後藤文夫内務大臣が殺害されていたため、警察は一部を除いて機能不全となっていた。更にこの時点では陸軍のどこまでがクーデター計画に参加していたかはわからなかった。そのため岡田は市内の、海軍が以前から秘密裏に用意していた隠れ家に身を潜めて、横須賀鎮守府と連絡を取りながら、タイミングを計っていた。
しかし結果的には出遅れた形となり、事態収拾の主導権と手柄は陸軍参事官であった林銑十郎に握られる形となった。
2年以上に及んだ東京陸軍特別法廷が結審したこともあり、岡田はさっそく宮城内の内大臣府公邸に内大臣の斎藤実子爵を訪れていた。斎藤は岡田の来訪を喜んで迎え入れ、往時の内閣の思い出話に花を咲かせた。政治的な後見人である老人が上機嫌なのを見ながら、岡田は「自分が狸なら、この人は妖怪の総大将ではないか」と埒もないことを考えていた。
斎藤実は日本海軍の最長老である。何せ海軍の重鎮とされる前軍令部総長であり海軍元帥の伏見宮博恭王が黄海海戦の時に三笠で砲塔を指揮していた時には、海軍次官として軍政の中枢にあったのだから。日本海軍を実質的に作り上げた山本権兵衛元海相(1852-1933)の側近中の側近であり、軍務局長、艦政本部長や海軍次官を歴任した後、山本の後任として5つの内閣で海軍大臣を通算8年間務めた。最後の海軍大臣の時の総理は山本権兵衛だというのだから、何か因縁めいたものすら感じる。シーメンス事件で山本と共に失脚し、予備役編入となった。しかし斎藤は恩師である山本よりも、政治的にしぶとかった。
維新以来、日本は政治的な汚職に関与した疑いをもたれただけでも、責任をとって辞職した場合は、二度と重職に就けないのが暗黙の了解である。ただ2人、その例外があるとすれば、陸軍では元老の山縣有朋元帥、そして海軍では斎藤となる。山縣の一件(山城屋事件)が陸軍創設当事の事件であることを考えると、監督責任のある大臣時代に引責したはずの斎藤が復帰出来るわけがないのだが、この人の場合はそれが出来た。陸軍の指定ポストだった朝鮮総督を2度も経験。半島でなにか問題があれば斎藤総督といわれるぐらいに長く務め、ついには5・15事件の後に首相に上り詰めた。
これに激怒したのが枢密院副議長だった平沼騏一郎(現枢密院議長)である。シーメンス事件では検事総長として捜査を指揮した平沼は、斎藤が実際には関与していた疑惑があることを承知しており、これを握りつぶすことで(平沼の主観では)政治的に恩を売っていた。ところが5・15事件の後、政友会と組んで首相になろうとした矢先に、斎藤にその椅子を掻っ攫われたのだ。ふざけるなということで、適当なでっち上げと強引な捜査手法で帝人事件という疑獄をつくりあげ(たとされる)、閣僚をとっ捕まえて総辞職に追い込んだ……
と思ったら、後任の総理は斎藤の後輩である海軍の岡田啓介大将。平沼は歯軋りして激怒したが、後の祭りである。どこからか平沼の策謀を聞きつけていた斎藤はさっさと自分の内閣に見切りをつけて、現内閣の与党を形成する勢力や宮中にも根回しをして、岡田後継を既定路線としていた。挙句に内大臣として宮中入りし、西園寺公爵が元老(つまり自分自身の)亡き後の後継総理を選定する体制の中心と考える内大臣に就任した。しぶといなんて代物ではない。
「ところで陸軍が現役武官制度の再改正を検討している件だが」
斎藤がその恰幅のよい体躯を震わせながら、椅子に座りなおす。老大将はつい先月、81歳の誕生日を迎えたばかりだ。左の耳が奇妙なまでに小さいのは戦傷によるもの…ではなく、若いころに友人と大喧嘩の末に噛み千切られたからだという。総白髪のいかにも老紳士というに相応しい風貌の老人だが、そもそも板を一枚挟んで即地獄という環境に身をおくことを自ら選んだ海の男が、見かけどおりの老紳士であるはずがない。
「海軍としては無視すればよろしいのではありませんか。あるいは総理は海軍が拒否した以上、陸軍としてもやむなく取りやめたという形にもっていきたいのでは」
「その可能性はすでに海軍省でも検討している。ただ官邸に私が直接確かめた感想だと、総理は前向きのようだ」
「ならば海軍がわざわざ憎まれ役を買って出る必要もない」と続ける斎藤の口調は淡々としたものである。現役武官制を盾に、気に入らない内閣を潰すのは陸軍の専売特許ではない。ただ海軍のほうが立ち回りがうまかったのは事実だ。陸軍は現役大臣を引き上げることで内閣を潰し、結果として世間から猛反発を浴びたが(大正政変)、海軍は組閣中に大臣を出さないと決めて、これを叩き潰した。
これはシーメンス事件で山本内閣が総辞職した後、枢府議長の清浦圭吾が組閣の大命をうけて組閣本部を立ち上げていた時のことで、予備役であろうと現役であろうと一致団結する、誇り高き海軍一家ならではのやり方である。
つまりいざとなれば海軍は陸軍以上に政治的な存在になろうと思えばなれる。しかし極度に現役重視でありながら、山本権兵衛の作り上げた軍政優位-海軍省の軍令部門への優越が、これを許さなかった。艦隊派(軍令部門)と条約派(軍政部門)の抗争や、軍令部長が総長に格上げされたりもしたが、一時的なことで、すぐさま軍政優位の主流派体制に戻った。個人的野心で政治的な動きをする人間は、たとえ高官であろうと躊躇なく排除された。
歴代海軍大臣は一部を除いて、この抜かずの伝家の宝刀を知りつつ、陸軍と渡りあってきた。山本権兵衛が総理として軍部大臣武官制を改正したのも、これにより陸軍が政治勢力として弱体化することを認識していたからである。海軍一家はあっても、陸軍一家はない。しいて言えば山縣元帥の山縣閥か長州閥だが、案の定、山縣の死後は衰退した。
「つまりこれは、現役の陸軍省にも政治的な拒否権を与えよと要求してきておるわけだな」
故・山本の側近として表も裏も事情を知り尽くし、陸軍のポストを着実に侵食する尖兵として朝鮮総督を務めてきた斎藤の言は重い。だからこそ岡田は自らの危機感を率直に進言した。
「総理からすれば陸軍の統制に利用しようという考えでしょうか。しかし陸軍には前科があります」
「伝家の宝刀は抜かないからこそ意味があるのだがな」
軍部大臣現役武官制を利用した倒閣と、実力行使によるクーデター。陸軍はすでに両方とも抜いてしまったし、岡田も斎藤も共に命を狙われた。岡田は斎藤からの引継ぎ事項で、宮中に陛下の避難所を設立する陸軍の提案は拒否するようにと言われて首を傾げたが、斎藤からその理由を聞いて納得せざるを得なかった。いざとなれば近衛師団が避難所の大元帥を軟禁する可能性など、考えたくもない。
「しかしだ岡田君。抜く前に手を打てば問題はなかろう」
「それはそうですが、実際には難しいのではありませんか。2・26でも事前に決起すると言う情報はありましたが、後手に回りました。陸軍が現役武官制を利用して倒閣に動いた段階で、すでに手遅れになっている可能性もあります」
「そのための内大臣だよ。それに幸いにして宮中は海軍のシンパが多い。陸軍の侍従武官長が、スパイ扱いされているのに比べるとな」
宮中で海軍が侍従長ポストを押さえているように、陸軍も指定ポストとして侍従武官長がある。これだけではなく陸軍出身の侍従武官や、実働部隊たる近衛師団など宮中にはいくらでも陸軍の代理人が存在している。しかし陸軍は自らの政治的な要求を一方的に主張するばかりで、宮中の不信を集め続けていた。特に2・26では侍従武官長が反乱軍たる青年将校の縁戚であることから同情的な対応をしたとして、御上の逆鱗に触れる始末。それに引き換え、海軍の歴代侍従長は御上の信任が篤く、自然と宮中における海軍の政治的な地位向上に貢献している。どちらが政治的な巧者かは明らかだ。
「ポストがあったとしても、素質のある人間を選ばなければ意味がない」
「素質、ですか。能力ではなく」
「素質だ」と斎藤は鷹揚に頷いた。
「知識や能力は後から勉強すればどうとにでもなる。宮中というところは他の省庁のように、才能があればよいというものではない。万事控えめに、普段は与えられた仕事をきちんとこなす。しかしいざという時は腹が据わっていないと役に立たない。政治的な修羅場というものに遭遇しても、うろたえないだけの芯がなければ、使い物にならない」
暗に2・26事件当時の本庄侍従武官長や、陸軍首脳を念頭に置いた発言をする斎藤。陸軍と海軍の、組織としての政治な素質の差ともいえるが、あくまで結果論として宮中における信頼の差が出ただけであり、海軍が最初からそれを目的として組織的に動いてきたわけではない。
「つまり陸軍に拒否権を与えても、問題がないとお考えなのですか」
「問題はある。今の三長官ならともかく、荒木(貞夫)男爵のような部下に甘い、統制の出来ない陸軍大臣が再び就任すれば、第2の青年将校に内閣の死命を譲り渡すことになりかねない。しかしこれまで積み重ねてきた海軍の政治的な信頼と資産を揺るがすほどのものではない。極端なことを言えば、私や君が殺されても、いずれは海軍の主導権が確立される」
「その気になれば、陸軍内閣など叩き潰せるので問題がないと?」
斎藤は笑いながら膝の上で両手を組んだ。この老人は相手に要求を突きつけるようなことはしない。あえて選択肢を与えて、こちらの望ましい選択を選ぶように仕向ける、あるいは政治的な環境を整えてやる。そして最後はそっと相手の背中を押す……ようなこともしない。あくまで相手が、それも自分の考えだと疑わずに転げ落ちるのを黙って見ているだけだ。助けを求めるのなら手を差し伸べるが、その時点では自分と相手には圧倒的な差がついている。
林総理は2・26事件の事態収拾の過程で、遅ればせながらもそれに気がついたのだろう。このままでは陸軍は海軍の後塵を拝し続けることになる。海軍ではいまだに陸軍批判が根強く、そもそも陸軍のクーデターで海軍内閣がつぶれた直後に、陸軍内閣を認めたことがおかしいという声もある。
岡田からすれば、斎藤は陸軍をして、そうせざるを得ない状況に追い込んだだけの話だ。陸軍内閣である以上は、外から内閣の足を引っ張る無責任な事も出来なくなる。だからこそ林総理はあれだけ敵対勢力を血眼になって粛清した。その粛清に手を貸した渡辺総監は、昔からこの問題に気がついていた数少ない軍人だろう。そして寺内総長はいまだに気がついていないだろうし、おそらく関心もない。
そこまでして陸軍がようやくスタートラインに立った頃、後継総理を決定するとされる重臣会議を主催する内大臣は斎藤だ。これでは勝負どころか話にすらならない。だからこそ国体明徴問題などを通じて陸軍は必死に「重臣ブロックは君側の奸」と宮中を攻撃したのだが、御上の不興を買うばかりであった。
自業自得だとはいえ、いささか総理に同情的な気持ちにならなくもない岡田に、斎藤老人は「そういえば」と思い出したように口にした。
「例の青年将校への死刑執行だが、日付が決まったよ」
いまさらこの老人が、陸軍の機密に属するであろう事を知っていることに驚きはない。故に岡田は「いつでしょう」と何気なく尋ねた。
「うん。ゾルゲ事件の執行も同日に行うと司法省から報告があった。11月7日、だそうだ」
「ソビエトの革命記念日ですか……」
岡田は思わず絶句した。2・26からすでに2年以上が経過し、あの重大事件はすでに日本国民にとって過去の出来事として扱われている。青年将校に同情的だった声も、彼らが裁判で公言した荒唐無稽な発言が、おそらく意図的に報道にリークされるようになると、むしろ嘲笑の対象となっている。
それをコミンテルンのスパイと同日に処刑するとは……内外の日本政治に注目する勢力すべてにとって、これ以上ない効果的なメッセージだろう。陽気にカイゼル髭を捻る普段の姿からは想像もつかない酷薄きわまりない決定に、岡田は思わず息を呑んだ。そんな前総理に、斎藤はいつもと変わらぬ調子で続けた。
「わかりやすくてよいではないか。むしろ私としてはやりやすい相手だよ」
*
- パリのドイツ大使館内で発砲事件。三等書記官が重態 -
11月7日、パリのドイツ大使館で発砲事件が発生した。犯人はユダヤ系フランス人のヘルシェル・グリュンシュパン(17歳)。ドイツ大使館を訪問したグリュンシュパンは、応対した三等書記官のエルンスト・フォム・ラート(29歳)を所持していたリボルバー拳銃で2発発砲。銃弾は腹部と胸部に命中し。ラート書記官は重態。犯人はその場で取り押さえられた。グリュンシュパンはユダヤ人であることから、ナチス政権の民族政策に抗議する意図があったと思われる。
- 東京日日新聞(11月8日) -
・陸海の人事年鑑と個別の経歴、逸話集を見比べながらああでもない、こうでもない、あかん逆行しているから調整して…だめだ辻褄が合わなくなる…だから多少「ハンモックナンバー抜かしてね?」があっても見逃してください(おい)
・豊田貞次郎と豊田副武という対照的なキャラクター。
・嶋田でなければ東條の相方は務まらなかっただろう
・調べれば調べるほど妖怪じみてくる斎藤実。なんなんだこの爺さん。
・タフなネゴシエーターの岡田啓介。政治的な見識があったかどうかはともかく、のらりくらりと斎藤譲りのしぶとさ。終戦にこぎつけたのもこの人の働きが大きい。だけど相手が交渉するつもりがなかったらどうしようもない。
・政治が好きなのに政治がへたくそな陸軍。
・政治が嫌いですよーといいつつ、政治がうまい海軍
・海軍も武官制を利用しているのは案外見落とされている。だからこそ、その武器をむざむざ放棄したに等しい東条内閣の嶋田海相があれだけ批判されるわけで。
・実際のゾルゲ事件も執行は11月7日。えげつない。