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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
43/59

中央新聞スポーツ欄 / 東京府 九段偕行社内 将校倶楽部 / 『火星人襲来事件』を伝える東西新聞 / 東日天文館開館記念式典における総理挨拶(1938年10月-11月)

『どうせ見るならハッピーエンドがいいって?ストーリーをどこで終わらせるか、その違いだけだというのに?』


オーソン・ウェルズ(1915-1985)


- 相撲協会新理事長、小磯大将で調整へ -


 広瀬正徳氏が9月に死去して以来、空席であった大日本相撲協会理事長職をめぐり動きがあった。大日本相撲協会の尾野実信会長(陸軍参事官)は、取締の春日野親方(元横綱・栃木山)、立浪親方(元小結・緑嶌)ら執行部と断続的に協議した結果、前朝鮮軍司令官の小磯国昭大将を新理事長に推挙することで合意した。協会関係者によると出羽海部屋の藤島親方(元横綱・常ノ花)も小磯理事長案を受け入れる意向。高砂親方(元大関・朝潮)は反対すると見られる。高砂親方と同じく元取締であり出羽海一門を率いる出羽海親方(元小結・両國)の動向は不明であることから、天竜事件以降の現体制を維持しようとする現執行部と、「正常化」を図ろうとする旧執行部との対決構造を指摘する声もある。現在の大日本相撲協会は東西の両協会の対立を解消するため、大正14年(1925年)に…(以下略)


- 新理事長、巡業の見直しを表明 -


 大日本相撲協会の新理事長に就任した小磯国昭大将(陸軍参事官)は、25日に熊本市内で吉田司家との会談を終えた後、記者団との懇談に応じた。小磯大将は①財政面の強化、②広報戦略の強化、③力士の待遇改善を中心に協会運営に望むとする所信を述べた。9月に予定されていながらも中止された満洲・大連巡業については「水一つとっても本土とは違う環境は、力士の負担も大きい。大陸巡業そのものを見直さなければならないかもしれない」として、再巡業そのものに慎重な姿勢を示した。満洲国と大陸情勢が悪化する中、新理事長の方針には陸軍省の意向があると指摘する声もある。


- 横綱玉錦が虫垂炎で緊急入院、九州巡業は中止 -


 さしもの「ケンカ玉」も医者には勝てなかったか。巡業前の検診で虫垂炎の疑いを指摘された横綱・玉錦関は「勧進元としての責任がある。腹痛程度で放棄出来ない」と強行出場する予定であったが、小磯新理事長の度重なる説得と、春日野親方の諫言もあり、巡業中止を正式に表明した。年寄を襲名してから初めての巡業であり、なおかつ自らが勧進元であることから玉錦関の意気込みは大変なものがあった。二所ノ関部屋の存在感を示そうとしていた横綱としては幸先をくじかれた格好だ。


 玉錦関は巡業中止の責任を取り、力士会会長を辞任する意向。後任の力士会会長は、同じく横綱であり来場所は前人未到の70勝を目指す双葉山が有力視されている。懸案の巡業先の会場費用や宿泊代、チケット代払戻しなどの損害補填に関しては、小磯氏の尽力により偕行社を通じて好角家で知られる井上幾太郎退役大将らが支援する意向を表明しており(省略)…


- 中央新聞 (10月20日-11月1日) -



 洋上に出れば接する機会もなく、母港たる軍港も一般社会と隔絶されている海軍とは異なり、陸軍は極めて地域密着の存在である。それは鎮台制から師団制に移行した後も変わらない。考えてみれば当たり前の話であるのだが、徴兵した将兵を召集するにしても訓練するにしても、遠方から無作為に呼ぶよりも近隣から纏めて召集するほうが管理が楽だからである。また同じ郷土師団ということで一体感を持ちやすいという利点もある。そして円滑な動員には道府県から市町村に町会単位に至るまで、日頃からの小まめなご近所付き合いが欠かせない。いかに師団長が、畏れ多くも大元帥たる陛下から直々に任命されるものであってもだ。


 両者の組織としての性格が特に反映されているのは、陸軍であれば偕行社であり、海軍の水交社である。


 両者は現役あるいは退役将官の社交団体、あるいは研究団体として対の存在として語られることもあるが、その内実は大きく異なる。海軍の水交社はあくまで海軍の外郭団体であり、海軍大臣が社長を務め、現役の海軍将校や候補生に利用が限られた一種の閉じた団体だ。これは海軍の伝統として作戦の秘匿性を極度に重視し、例え予備役であろうとも伝えない作戦思想が背景にあったためであろう。一方で財団法人たる偕行社は、その会員であれば退役した将官であろうと利用可能であり、全国各地に偕行社の支部が存在した。これらは各地の師団本部の所在地と同じであり、両者の関係性の深さが窺える。


 偕行社が共済組合として、また軍事企業としての性格を強めたのは、おそらく大正デモクラシー下での陸軍バッシングが、少なからず影響を与えていたと思われる。明治期までの反動からか、列車に乗れば邪魔だと軍刀を蹴られ、軍人には嫁はやれぬと公然と語られ、挙句に人目を憚り軍服ではなく、背広で出勤するのが当たり前という時代に、陸軍軍人・退役軍人の権利を選挙を通じて主張しようとしたのが在郷軍人会であるなら、経済面で支援しようとしたのが偕行社であったと言える。


 冬の時代において現役の陸軍中枢にいたものからすれば、軍人同士が会費を出し合って助け合うのは当然であり、また長引く戦後不況により職に困った予備役や傷病兵に、陸軍に関係した軍装品の製造販売などの職を斡旋するのはごく自然の発想であった。数少ない予算をどう運用するかは陸軍省の管轄であり、直接的な雇用は難しくとも何らかの形でかつての同士を支援、繋がりを保とうとした。


 そして満洲事変以降、拡大した軍事予算の恩恵を受けた偕行社は、一大軍需企業に成長した。今では軍装品(軍靴・外套・軍刀etc)だけでなく軍に納める食料品の製造から、共済保険の投資運用、各地の陸軍専用の保養施設の運営、学校経営にまで着手している。当然、財団法人としての税制上の優遇を受けているのは言うまでもない。


 偕行社傘下の品には製造元の名前か印が施されている。五芒星と桜をあしらった偕行社制品であることを証明するエンブレムを胸に縫い付けたジャケットを着た、井上幾太郎退役大将(陸士4期・陸大14期)は、これも偕行社傘下のテーラーメイドで仕立てたスーツに身を包んで、指定された九段下の東京偕行社内にある将校倶楽部に顔を出した。


 倶楽部は井上と同じような格好をした予備役や現役将校が屯しており、在郷軍人会会長たる井上の存在に気がついた数名が慌てて立ち上がろうとしたが、井上はそれを手で制すると、案内役に促されるまま奥の応接室へと通された。


 8畳ほどの応接室は南向きの窓と出入口を除いて本棚が壁に密着するように設置されており、偕行社が編集した戦史や歴史書、あるいは各市町村や道府県知事から送られた賞状などが所狭しと飾られている。部屋の中央にある椅子や机は立派な木彫であり、おそらく名のある人物が手がけた工芸品であることをうかがわせる。ほんの十数年前までは、粗末な椅子と机ですらなかったというのに。


 往時の懐具合を思い出しながら席に座った井上であったが、そう言えばこの場にいる人物は皆、それを経験したものばかりであることに気が付いた。


 今や陸軍参事官の中でも最古参である尾野実信大将(旧陸士10期・陸大10期)は井上の4年先輩として、大正デモクラシー期最盛期から昭和初期にかけて「軍縮が正義」という風潮が蔓延した時代に陸軍次官や関東軍司令官として苦労したし、小磯国昭大将(陸士12期・陸大22期)も、大正期に省部の中堅幹部として苦労を強いられた世代である。井上にしても初代航空本部長として予算の獲得に苦労させられたものだ。


 あの時代を経験したからこそ、陸軍全体として予算獲得と拡充のために一丸となって取り組むようになったのは確かだ。現状だけを見て軍閥化という批判をされることは我慢ならないという点では、おそらく尾野・小磯の両参事官と自分の意見は一致するだろうと井上は自分の中で結論づけた。


「どうかされましたか、井上会長」


 沈黙をいぶかしんだのか小磯が訊ねるが、井上はなんでもないと首を振る。首を傾げる小磯を見ながら「それにしても容貌魁偉とはよく言ったものだ」と、井上は小磯の顔を思わずまじまじと見つめていた。


 陸軍屈指の醜男と自嘲するだけあって、傷だらけの拳骨のような風貌の小磯は、不思議と愛嬌のある顔付きをしている。尾野や井上と異なり士官学校の成績はお世辞にもよいものではなく、エリートコースから外れていた。しかしこのどこか憎めない醜男は、どのような環境でも腐らずコツコツと研鑽に努め、同期の杉山元や畑俊六らとも良好な関係を保ち続け、軍以外にもその人脈を広げた。結果、宇垣一成に認められ、宇垣時代にはその四天王とも呼ばれた。


 「何でも出来るが何もしていない」と陰口を叩かれるように、あらゆる役職を卒なく務めたという点では阿部信行に近いが、能吏というわけでもない。軍務局長時代に朝鮮半島と福岡県を海底隧道で繋げる構想をぶち上げて省部の度肝を抜き、実際に検討させたはよいものの、予算面以前に技術面で撤回せざるを得なかったという逸話は、いかにも小磯の気質を表している。十月事件に深く関わっていながら、皇道派(真崎・荒木派)全盛期の宇垣パージも何故かスルリとすりぬけ、粛軍もぬるりと逃れつつ今に至るまで現役を続けているのだがら、まあなんというか……日清・日露戦役を経験して大山巌元帥の副官を務め、今や九州閥の最後の生き残りといってもよい尾野が現役であることに比べると、奇異な感じがしないでもない。


 とはいえそれを正直に指摘するわけにも行かず、井上は先に相撲協会の話題を取り上げた。


「いや、よく玉錦を説得できたものだと思ってな」

「玉錦が、若い頃に可愛がられた春日野親方に頭が上がらないというのはタニマチ界隈では有名な話でしたからね。可愛がりといっても角界の可愛がりですよ?」

「小磯君はそういう筋にも顔が広いのか。それでもあの気性の激しい横綱がよくぞ受け入れたものだよ」


 現在の相撲協会会長である尾野会長が感心したように口髭を撫でる。


 そもそも東西に分かれた相撲協会が合流して現在の協会が設立されて以来、会長職と理事長は共に陸軍将校が務めている。初代会長は福田雅太郎。上原勇作元帥の後継者と見られながら、宇垣との勢力争いに敗れて退役させられた人物だ。追放しながら名誉職をあてがう、こうした如才のなさが宇垣が嫌われた理由なのだが、表向きはあくまで「協会内部の勢力争いに中立公正な立場で運営が可能である」というのがその理由である。


 実際、昭和7年(1932年)の天竜事件(力士の待遇改善を求めた労働争議で、力士の大半が一時協会を離脱した)では、福田会長と広瀬理事長は事態収拾に奔走。強権をちらつかせつつ、事実上協会の全面勝利に漕ぎ着けた。その福田から会長職を受け継いだ尾野は、天竜事件により最大勢力の出羽海一門が勢力を大幅に交代させた後、新興勢力たる立浪部屋や二所ノ関を率いる玉錦などが主導権を握ろうと虎視眈々と企む中で、確執が続く協会をどうにかこうにか運営してきた。最強硬派たる玉錦の性格を知る尾野だからこそ、小磯新理事長の手腕は感嘆するものがあった。


「ケンカ玉とて、今や部屋を率いる身です。理と情で説き、保証をしてやれば聞く耳は持つというもの。最もそのために井上会長のお手を煩わせたわけですが」

「私がそんなに相撲好きとは、今の今まで知らなかったよ」


 井上がくっくと拳を口に当てながら言うと、尾野と小磯は声を上げて笑う。


 相撲協会内部では外様の陸軍軍人が会長と理事長を占めている現状を快く思わないものは多い。会長職はともかく、何れは理事長は生え抜きの親方を就任させたいという点では、ほとんどの部屋が共通認識を持っており、その場合は実績から考えても出羽海部屋の藤島親方(元横綱・常ノ花)しかいないという点でも、不満はあっても大方の力士や力士会、あるいは親方衆の共通認識であった。天竜事件さえなければ広瀬理事長のあとは順当に藤島親方であったはずなのだが、関脇天竜をはじめ多くの力士が事件に参加した責任を取って取締を辞任したとあっては、謹慎せざるを得ない。かといって反出羽海勢力では候補者がいないのも事実。そこに横綱の玉錦関が異例の勧進元を兼ねる九州巡業で、功績を立てて候補者レースに名乗りをあげようという時期に、広瀬理事長の急死である。


 ここは理事長空席で凌ごうとする協会に、協会を管轄する文部省が「組織の統制に不安がある」と待ったをかけた-永井柳太郎文相と、林総理(陸相兼任)が同郷であることが週刊誌で指摘されたのはおそらく「偶然」である。親軍派である永井が陸軍に恩を売ろうと考えたわけでもないはずだ-ともあれ「偶然」朝鮮軍司令官を外れて軍参事官として東京にあった小磯大将が、出羽海一門から推挙されて理事長職に就任。そして九州巡業を中止に追い込み、玉錦は力士会長を辞任した。


「会長たる私としては大陸巡業は是非ともやってほしかったのだがね。現場の兵士からも要望はあるわけだし」

「力士の負担や大陸情勢を考えれば止むを得ないかと」


 残念で仕方がないという割には尾野の顔には悲嘆の色は見えない。退役後、あるいは現役将官のポストとして相撲協会の職を保持したいというのは、組織としての陸軍の性である。負担の大きい大陸巡業の延期を言い出した林陸相の提案に、当初こそ反発した尾野であったが、今では会長として力士の負担軽減を正面から主張するようになった。


 結果的に造反組を潰したとは言え、力士内部で不満があるのは事実。ならば最も環境の異なる大陸巡業を中止し、地方巡業-それも陸軍師団本部や旅団本部がある地方都市を中心にすれば、協会の財政面からもプラスであるし、何より会場に困らない。国民的人気のある大相撲を全面的に支援することで、根深い陸軍に対する国民の反感を和らげるという効果も……とまぁ、小磯理事長が考えたかどうかはわからない。


 ともかく在郷軍人会長である井上は、玉錦関が勧進元(主催者)となった九州巡業の補填に同意したのは確かだし、偕行社を通じて多くの将官が支援を表明したのも事実だ。在郷軍人会の立場を強化するのであれば、いきなり好角家ということにされて小磯に体良く利用された井上としても、特に不満もない。なにより陸軍の権益を代表する偕行社として、陸軍全体の利益になるなら反対する理由もない。


「巡業にちなんだ相撲関係の商品を売り出すというのはどうでしょうかな会長」

「偕行社が独占するのは流石にどうか。地方の土産物屋も色々言いだしかねない」

「ならば限定商品という形ではどうでしょうかな。あるいは傷病軍人支援という名目であれば、力士会もそう五月蝿いことはいわないでしょう。陸軍のキャンペーンポスターに双葉山の写真をつけるとか、いろいろ考えられますな」


 このジャガイモのような顔をした男のどこからそのような発想が出てくるのか、井上は半ば感心しつつ、呆れたように相撲協会会長と理事長のやりとりを聞いていた。溢れんばかりの俗臭だが、小磯の目にはそれとは正反対の危機感が宿っている。世論の風向き次第では、いつまた軍人受難の時代がくるやもしれない。


 どちらかといえば潔癖な九州閥の尾野ですら、日清・日露の栄光と大正期の反動、満洲事変による強硬路線への転換を経験しただけに、内心から溢れんばかりの不愉快な感情は隠し様もないが、小磯の提案自体を否定することはしなかった。とにかく再度、暴風雨が吹き荒れる時代が来ようようとも、びくともしない政治的な土台をなんとしても作り上げる必要がある。


「陸軍は何故か、海軍とは違い、幾らでも兵力を減らせると思われていますからな」

「人を減らすのは簡単だが、育てるのは最低でも10年、育成する人間を育成するにはその倍の時間が必要だ。しかしそれは国民にはわかってもらえない。最も、総理がどこまで理解しておられるかはわからないが」


井上が嘆息しながら言うと、尾野が我が意を得たりと、それでいて渋い表情で頷く。


 真崎人事により最も混乱したのは、陸軍の要諦たる作戦部門や教育機関である。作戦屋のほとんどは真崎らの息がかかっていたし、士官学校長として真崎は4年以上も在職していた。結果、真崎派や過激派をパージすると、各地の師団の連隊長や参謀人事は穴ボコだらけのチーズになった。2・26事件以来、三長官(陸相・参謀総長・教育総監)は林銑十郎・寺内寿一・渡辺錠太郎が務めているが、粛軍人事や三長官人事の長期化への反感よりも、こうした陸軍への危機感が辛うじて優っている状況だ。


 政治的には陸軍主流派と相容れないリベラルな渡辺であっても、その手腕を否定する者はいないし、長州閥の御曹司たる寺内に反感を持つ者がいても、宮様総長の跡が務まるのは、家柄的にもあの坊ちゃんしかいないと認めざるを得ない。そして漁夫の利を得ただけと嫌悪されていても、陸軍主流派の意向と利益を代弁しつつ政権を運営していく能力があるのは、今や林銑十郎しかいない。そして現に、陸軍は犠牲を払いながらも利益は確実に得ている。


「総理に書記官長……今は官房長官だったか。衛生省も創設に向けて本格的に動き出しましたし、民間主導とはいえ重工業関連の合併も進んでいる」

「気に入りませんか尾野さん」

「いささか手ぬるいとは思うよ、それは。官製主導でもっと強行にやるべきだとは思うが、それを陸軍の出身の総理と内閣が潰れてまで推進するべきかと聞かれると困るがね」

「後継総理が政党出身者になれば、それこそどうなるかわかりませんからな」


 尾野の懸念に、小磯が政界の現状を踏まえて、陸軍にとって考えられる最も嫌な選択を口にする。阿部長官が内々の記者懇談会で「世間知らずの官僚よりも政党出身者が物事が見えていて使いやすい」と述べたとか、新聞の政局予想で再来年の総選挙以降は林内閣の存続は難しいであろうと書かれていることなどは、否応なく陸軍を刺激した。かといって政党内閣待望論が盛り上がっているわけでもないし、三土総理や町田総理といった、具体的な名前があがるわけでもない。故に小磯の口調はどこか懐疑的でもあった。


「大体、林が何を考えているかわからんのが困る。侍従武官長も宇佐美ではなく、安井を選んだ」


 侍従長が海軍のポストなら侍従武官長は陸軍軍人のポストである。2・26事件で青年将校に同情的な態度を示し、挙句その娘婿が一味に加わっていた本庄繁(陸士9期・陸大19期)の後任は、騎兵科の宇佐美興屋(陸士14期・陸大25期)が有力視されていた。陸軍の主流派を形成する人脈の広い騎兵科出身で、なおかつ満洲事変でも実際に軍功を立てている。


 しかし林が選んだのは、宇佐美の陸大同期の安井藤治(陸士18期・陸大25期)。士官学校首席卒業とは言え、これという政治信条があるわけでもない典型的なエリートで温和な安井を、陸軍を代表して宮中で活動するべき侍従武官長に選んだ理由は、林の個人的な考えであるとされた。陸大では宇佐美と同じ優等とはいえ、これという軍功もないのに選ばれたのは、2・26事件で東京警備部参謀長として、皇道派であり青年将校に同情的であった香椎浩平司令官を差し置いて、林参事官(当時)と連携して動いたからであると専らの評判だ。


「むしろ宇佐美でなければよいという人事にしか思えない。消去法の人事がうまくいった試しがあるものか」

「尾野さん。それは安井君は卒がありませんからね」

「貴様が言うと説得力があるな」

「ま、それはそれとして田中君の憲兵司令官と合わせて考えると、わからないでもありませんよ。そもそも憲兵科は歩兵科の植民地ですからね。歴代のほとんどが消去法では無理もありませんよ」


 不愉快そうに吐き捨てる尾野に、小磯は身も蓋もないことを指摘する。そもそも軍機と風紀を冷徹に取り締まるべき憲兵なのだが、陸軍士官学校には渡辺総監が制度変更を指示するまで憲兵科が存在していなかった。陸士を卒業して憲兵大学校に進む者もいたが、それは陸大には入れないと成績的に見切りをつけたか、あるいは怪我などの後遺症により前線勤務を諦めた者が多かった。これでは生え抜きの憲兵司令は難しく、結果、憲兵は歩兵科の落伍者の集まる部署のように受け取られた。


 そのため憲兵隊は関東大震災でも2・26事件でも失態を重ねたし、10月事件の黒幕と指摘された桜会には中堅幹部をはじめ多くの憲兵が参加する始末。これでは軍規もなにもあったものではない。


「考えてみれば宇垣さんはまともな人事でしたな」

「小磯君、それは真崎や荒木のめちゃくちゃな人事と一緒にされては…確かに憲兵生え抜きの峯国松を司令官にしたのはあの男だったが」


 政治的には敵対していた宇垣を認めたくないのか、心底不愉快そうに告げる尾野に、井上はあえて自分が工兵科出身者として上原元帥以来の参事官となったこと、あるいは峯の人事は明治以来という歴史的なものだったということをあえて指摘しない。


 宇垣の意図が何であれ、人事が公正であったかどうかはこの際、関係がない。構造的な問題-憲兵科が歩兵科の植民地である構造には宇垣も着手せず(あるいは問題とは認識しなかった)、その結果、憲兵司令官を経験してその裏も表も知り尽くした荒木貞夫が、誰が考えても不適格であり、誰が見ても不可解な経歴の秦真次(陸士12期・陸大21期)を憲兵司令官に据えて、案の定、憲兵を徹底的に政治利用(盗聴から尾行に怪文書作成等々)して、再び憲兵隊は悪評にまみれた。このような人事が可能だったのは、まともな生え抜きの司令官候補がろくにいなかったからだ。


 現在の憲兵隊司令官は田中静壱(陸士19期・陸大25期)。海外勤務を始め省部の要職を歴任した知米派である田中を、あえて少将から中将に昇格させて、歩兵旅団長から憲兵司令官に抜擢した理由を、林は「憲兵組織の抜本的立て直し」としか述べていない。理屈としては誰も反対出来ない……いや、出来るはずもない。2・26事件では現場である東京憲兵隊は具体的な日時まで予想していたにも関わらず、事前の逮捕に失敗。挙句に重臣や閣僚を救出したのは参事官として何の権限もない林であり、内務省傘下の武装警察である。丸つぶれのメンツを立て直すためには将来の幹部候補たる田中しかいない。首の皮一枚でなんとか陸軍のメンツを保った張本人に言われては、誰も反論出来ないだろう。


 田中は最低でも4、5年は中央に留まることになる。そして田中がそのようなことをする人物ではないことは誰もが理解しているが、憲兵司令官はやり方次第ではどのような政治的影響力も振るうことが出来る。


 粛軍人事をほとんど一手に担ったとされる梅津美治郎陸軍次官(当時)が、唯一介在出来なかったと言われるのが侍従武官長と、憲兵司令官である。梅津は同郷である習志野学校長の中島今朝吾(陸士15期・陸大25期)を推したとされるが、梅津本人が黙して語らないので、その真相は誰にもわからない。故に井上も、尾野も、小磯も、想像でしかその思惑を語ることが出来ない。


「まぁ、林君はこの状況ではよくやっていると思うがね。近衛公爵が健在であれば陸軍として新党運動を支援も出来たのだろうが、あの様だ。岸信介国務大臣といい、適度に既成政党を牽制している。内閣官房を強化して、その長官は陸軍出身者だ。懸案であった情報局による情報分析の一元化も、制度上では可能になった」


 よくやっているという言葉とは裏腹に、尾野の表情は決して褒め称えるようなものではない。大正期の反動を知る自分達ですら、現在の林の姿勢には物足りないものを感じるのだ。それを知らない今の中堅若手は、より一層物足りなく感じていることだろう。だからこその宮中の取り込みであり、憲兵部門の強化、あるいは教育カリキュラムの改革だとすれば……


「あるいは総理は、宇垣大将や、荒木、真崎以上の悪人かもしれませんな」

「笑えぬ冗談だな」


 井上の指摘に尾野は不愉快そうに鼻を鳴らす。特に尾野からすれば笑える話ではない。彼の娘婿である武藤章は軍務局の軍事課という花形にいたのにも関わらず、ゾルゲ事件の尾崎秀実と個人的付き合いがあったことを咎められて、今は地方師団のドサ回りを強いられている。各地であれやこれやと衝突をしながら、粛軍人事で穴のあいた組織の立て直しに苦労している娘婿の現状を知るだけに、尾野の懸念は深い。そして小磯だけがその奇面を奇妙に歪めながら井上に反論をした。


「陸軍としての利益と、総理としての林元帥の……仮に個人的な思惑。その両者が一致しているのなら、足を引っ張る必要もありますまい」


 これに井上ではなく尾野が応じた。


「しかし小磯君。組織として強い指導者は望ましいが、強すぎる指導者は望ましくない。まして長すぎるのは困る」


 尾野も小磯も予備役編入が囁かれている。年齢的に考えても無理はない。だからこそ何らかの手を打っておく、あるいは考える必要があるのではないかと暗に指摘する尾野に、奇面の山形県人は肩をすくめながら言った。その態度は人付き合いが苦手とされる東北県人らしからぬ、いかにも世慣れた感じのするものであった。


「尾野大将のご懸念も最もですが、やり方はいくらでもありますよ。幸いにして私は顔が広いものでね」



- 火星人襲来?NZ州全土でパニック? -


 いったい今は何世紀だと思わせるような話だ。それも中西部の、人の数より牛とサボテンが多いような田舎ならともかく、独立13州の一角たる伝統あるニュージャージーやニューヨークを混乱に陥れたというのだから、何をかいわんや……


 10月31日、CBSラジオのマーキュリー劇場で放送された、火星人が襲撃したという『ラジオドラマ』を『ニュース番組』と勘違いした視聴者が郡警察署やCBS放送局に問い合わせ、一時避難民により国道が閉鎖されるパニックになる騒ぎがあった。この番組はイギリスの空想科学小説作家でありハーバード・ジョージ・ウェルズ氏の著作である宇宙戦争(TheWarOfTheWorlds)を元に、同番組のプロデューサーであるオーソン・ウェルズ氏が現代風にアレンジした脚本が元であるという。同番組は新聞のラジオ番組欄ではドラマと明記されており、予告や番組内でも繰り返しドラマであると注意されていたにもかかわらず、多くの聴衆がパニックになったのは、その内容が真に迫るものであったからだというのだが、にわかに信じ難い話である。


 アメリカ特派員である笠信太郎によると、番組は臨時ニュースの体裁によりそれまでの番組を中断するという形で(無論ドラマの脚本)陸軍航空部隊所属の巨大飛行船炎上の一報から始まり、目撃者の談話やNZ州郊外の農村に宇宙船が降り立ち、光線兵器で州兵と戦う実況など、次々と切り替わる「場面展開」は実に臨場感に溢れていたという。


- 東西新聞(11月2日) -



…こうして地上にありながら、天界を覗くとはなんとも奇妙な気分であります。先程、プラネタリウムを一足先に見せていただきまして、あれが火星だと(笑い声多数)ニュージャージー州を襲った宇宙人の故郷を教えていただきました(笑)…それにしても誠に流言飛語とは恐ろしいものであります。しかし真に恐ろしいのは人でありましょう。冷静に考えればありえない事、にも関わらず冷静に考えられなくなる。嘘に真実味を持たせるためには、嘘に真実を混ぜることだといいます。


 我らは今回のアメリカの火星人騒動を、他山の石とせねばなりません。与えられる情報を鵜呑みにするのではなく、自ら考える力を養う……とはいっても、これが中々難しい。新聞やラジオなど情報機関の多様化、あるいは大衆化が叫ばれて久しいですが、普通の生活では複数の新聞を読み比べる時間や経済的余裕などあるわけがないのですから(笑)


…つまりは教育が大事だという、ありきたりな結論になってしまいます。しかしありきたりだからこそ難しい。日々移り変わる世情を反映しつつ、帝国臣民としての責任をリレーして次世代へとつないでいく。明治維新の大業、大正期の高度成長と多様化した社会…これら先人達の功績をどのように伝え、そして教えていくべきか。教育とは総論賛成各論反対となるものです。しかし私は生憎ですが、そこにいらっしゃる評論家の記者諸君とは違い、総理として決断をせねばなりません(笑)…


 幸いにして帝国日本は民族意識という点ではそれほど深刻なる問題を……………はい、抱えているわけではありません。唯一にして無二の国体、民族的な団結、あるいは民族益というものは、すでに国民の中で形成されています。しかし、国益となるとこれが難しい…畏れ多くも陛下より国政を預かる林銑十郎ですが、政治という生業に、誰もが納得する正解は存在しないということを常常実感する毎日です。しかしそれでも国益を追求せねばならない…いや誠にままならぬものです。


 つまり記者諸君にはもう少しだけ、日本を明るく照らそうと日々努力するハゲ頭に優しくなっていただけると有難いなあと、こう考える次第であります(笑い声多数)


- 東京日日新聞会館内での東日天文館開館記念式典における林銑十郎総理挨拶より抜粋 -


・大日本相撲協会…戦前からこんなのばっかなんですよね(白目)相撲史は完全に専門外なので間違いあったらすいません。

・双葉山、現在66勝目。なお年2場所制の時代。すごい。

・「何かあったら玉錦がやったんだろ」という玉錦。

・陸軍には陸軍の言い分がある。

・なんだかんだで個別の人事を見ていくと、それほど変な人事はやってない宇垣陸相…というかあとがひどすぎるだけかw

・東條憲兵政治の先駆者たる荒木貞夫。割とえげつないことを無意識にやるからまぁ…余計たちが悪いんだよな

・少しわかりにくいですが、大まかな認識として主流派の長閥(山縣→寺内、あるいは桂→田中→宇垣)に対抗するため、薩派とその後継者たる上原勇作元帥を中心とした九州閥があったというのが、陸軍派閥の大まかな前提。所謂、皇道派は九州閥と直接=というわけではない。ただ佐賀県出身の武藤義信が中心となり、真崎と荒木が好き勝手したという感じ。福岡県人の尾野は当然、九州閥。統制派は皇道派への反感があっただけで派閥ではないというのが高宮太平の持論だが、正直良くわからん。

・器用貧乏な印象の強い小磯国昭。しかしまあ、総理選びが消去法っていうのも…でもあの状況じゃあねえ…

・ドサ回り武藤章。

・実際にはどれだけ騒動になったか異説ありの事件。

・笠信太郎。緒方竹虎のつてで朝日新聞記者→昭和研究会メンバーで統制経済推進→アカと批判されて欧州特派員→スイスで和平交渉に参加してダレスの知遇を得る→戦後に朝日に復帰、幹部に→CIA協力者…なにこれ(真顔)。朝日はもう戦後とか戦前とか関係なしに人脈が複雑に入り組んでてわけがわからない。


・日本を明るく照らす、林銑十郎!林銑十郎をどうかよろしく!

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