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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
40/59

勅令769号(内閣法第10条改正)/ 東西グラフ10月号 / 在アメリカ合衆国日本大使館公邸 / 東京府牛込区 神楽町 某料亭 / (1938年10月)

『成功には千人の父親がいる。だが失敗は孤児である』


ジョン・F・ケネディ(1917-1963)


内閣官制第10条(明治22年勅令135号):各省大臣ノ外特旨ニ依リ国務大臣トシテ内閣員ニ列セシメラル々コトアルヘシ

 昭和13年10月7日勅令769号により改正

内閣官制第10条ノ規定ニ依リ国務大臣トシテ内閣員ニ列セシメラルル者ニ関スル件



正五位 高等官二等 岸信介

 昭和一三年 十月七日 任国務大臣


 御名御璽 



- 第2次岸の乱?!議論呼ぶ岸国務大臣、揺れる林内閣 -


 半年前にこの事態を想像出来た人間がいたであろうか。居たとすれば、それは政治評論家ではなく占い師の類であろう。鉄壁と思われていた林内閣が大揺れだ。内閣法改正とセットで行われた岸信介(前商工局長)の国務大臣任命に、民政党と政友会のみならず各界から懸念の声が噴出しているのだ。


 そもそも所管省庁のない無任所国務大臣は、いわゆる俗称である。これまでは内閣法10条の規定により「特ニ内閣ニ列セラル」との詔勅が下されていた。例えば黒田内閣の伊藤枢府議長は枢府議長である伯の資格によって「班列」として内閣に参加していた。すなわち大臣と同等の立場とされたため「無任所国務大臣」と呼ばれてはいたが、国務大臣という名称の官があるわけではない。今回政府は勅令により内閣法を改正し、無任所の国務大臣を内閣法における正式な大臣と規定した。その理由は「制度の厳格な運用のため」であるとされたが、それを信じるものは少ない。


・内閣の鬼門『国民健康保険法』


 さて問題の岸信介氏も国務大臣と発令されている。阿部内閣官房長官はこの人事の狙いについて「次期国会における健康保険法の成立、および衛生省の制度設計には専任大臣が必要であると判断した」と会見で答えている。前々回の国会では内相や商工相らが委員の質問に応じて個別に答弁したことから、答弁の修正や訂正が相次ぎ、結果として法案の撤回に追い込まれた。


 前国会ではこれを踏まえて阿部官房長官が政府を代表して答弁に応じたが、さしもの阿部長官も委員会の外における進行中の大日本医師会と産業別組合との折衝までには手が回らず、政府答弁との整合性を両者に突き上げられたことで、協議決裂に至った。野党第1党の社会大衆党は「社会保障の充実に興味のない内閣の姿勢が象徴されている」として、この問題を次期通常会における最優先課題として政府を追求する構えだ。閣内協力の民政党・政友会の反主流派からも林内閣の対応と責任を問う声が上がっており、政府としては内閣の鬼門と化した健康保険法をなんとしても成立させるという意気込みを感じさせる人事である。


・民政党と政友会のお家事情


 問題となっているのはその人選だ。内閣法を勅令により改正してまで新大臣の法的な立場を明確化したわけだが、被保険者の対象を大幅に拡大した国民健康保険法は、関係省庁が多岐にわたる。これらの所管大臣である三土内相(政友会)、俵商工相(民政)、櫻内農相(民政)らは政党出身閣僚であり、当然ながらこの人事は面白くないだろう。挙国一致内閣の名のもとで官僚に奪われていた大臣ポストを、長い闘争の末にようやく奪い返したというのに、仮に岸大臣がこの問題で成果を残せば、政党出身閣僚の素質に疑問符が付きかねない。


 特に自由経済論者である町田忠治氏と、統制・革新官僚の雄であり、満洲閥とも関係の深い岸氏は不倶戴天の間柄であり、町田氏が商工大臣であった本年4月には、臨時産業合理局の統廃合を巡って対立した岸商務局長(当時)を更迭している。わずか半年でこれを復権させたとなれば、衆院第1党たる民政党総裁の顔に泥を塗るに等しい。民政党主流派、反主流派問わず反発は必死だ。


 一方で政友会も内情は複雑である。鈴木前総裁の引責辞任により成立した三土総裁体制はまもなく2年目に突入するが、反鳩山派と鳩山派の対立は依然として深刻である。三土忠造総裁は元総裁・高橋是清内閣参議(元首相)の愛弟子であり旧政友派に属する小派閥を率いる。鳩山派とも、旧政友派の加わる反鳩山派とも関係は悪くなかった。両者の妥協の産物として就任した総裁だが、内務省再編問題に掛り切りである。むしろ次の総選挙を睨み、内務大臣の地位を利用して暫定色の強い総裁の地位を固めようとしているのではないかとする観測もある。


 数の上では反鳩山派が上回り、閣僚数においても上回るが、鳩山一郎氏率いる鳩山派の結束力は侮れない。前鈴木総裁時代からの古参派閥(九州閥の松野派)に加えて、砂田幹事長に河野・安藤・大野といった鳩山親衛隊は意気軒昂たるもので「次は鳩山総裁」と公言してはばからない。


 これと対照的に反鳩山派はその名の通り、反鳩山の連合派閥である。北海道・東北選出議員団、旧政友派(旧床次派・前田米蔵派)、中間派の島田俊雄派、旧森格派、統制経済論者の革新派……これらを寝業師として名高い前田氏が参謀長として取りまとめ、中島知久平という資金源のある総裁候補を総大将に担いでいる。数だけでいえば鳩山派を優に上回るが「戦う集団」としてのまとまりがないのが欠点である。中島氏は当選回数も浅いために威令が及んでおらず、これに追い討ちをかけるのは革新風潮の衰退と、中島氏が中心であった近衛新党構想の破綻である。自由主義が復権したわけではないが、一貫してこの旗を下ろさなかった鳩山氏は「強い指導者」としてのイメージを確立した。


 しかし鳩山派が総裁争い、また次期総選挙に向けた展望があるわけではない。鳩山派の若手の中でも武闘派で知られる旧山本悌二郎派の河野一郎代議士が中心となり、対ドイツ抗議決議案に向けた国民運動を続けているが、これは国内に高まるドイツへの反感を現内閣の対ドイツ外交への批判に結びつけるためだとする見方は強い。実際それまで鳩山氏の親英米・自由主義的傾向に批判的だった国家主義団体・右派団体は、鳩山氏に対する批判を手控えつつある。岸国務大臣は誰もが知る統制経済論者であるが、その源流はドイツにある。次期総選挙と、その先にある次期政権の枠組みを睨んで、現政権内部における外交政策と経済政策の複雑怪奇な綱引きの激化は必須である。


- 東西グラフ10月号 特集『永田町・秋の陣』より -



 「傲岸不遜な共和党員がイギリス人の格好をして歩いている」とフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領に評された駐米大使の吉田茂は、イギリス贔屓で知られる。噂では林総理(外相兼任)に「駐英大使にしてほしい」と直訴したというが、提示されたのが駐米大使であったため、不貞腐れてしばらく返事をしなかったという逸話があるほどだ。挙句にハワイ経由の太平洋航路ではなく、わざわざインド洋経由で地中海からロンドン(比較的長い休暇を取った)経由で、東海岸のワシントンDCに赴任したというのだから筋金入りである。


 首を長くしてその着任を待ち構えていた前駐米大使と大使館職員は、ロンドンで購入したという25/30HPロールス・ロイスの37年式最新モデルを持ち込んだ(しかも自ら運転して!)新任の大使にド肝を抜かれたが、その後に続いたトラック3台にもなろうかという、大使個人の荷物の多さにも愕然とした。


 そして斎藤博(前駐米大使)は頭を抱えながら吉田茂を出迎えたのだが、その格好を見てさらに頭痛がひどくなった。小太り気味の胴長短足に丸眼鏡という、いかにも日本人らしい体躯に、ロンドンの洋服店から職人を呼んであしらえさせたという上下揃いのブリテイッシュスタイルのスーツを纏い、頭の山高帽から足の革靴、靴下に至るまでイギリス製という徹底ぶりだ。


 これではイギリス人に複雑な感情を抱くエスタブリッシュメントのみならず、純粋に「イギリス何するものぞ」と祖国を信じて疑わない大衆の感情を逆なでするばかりである。情報局長経験者であり日米関係の重要性を知り尽くしていた斎藤は、満洲事変後に悪化したアメリカ国内における対日感情改善に向けて尽力していたのだが、あからさまなイギリス贔屓を隠そうともしない吉田の言動は、ワシントンDCの神経をいたずらに逆なでするだろうと口を酸っぱくして忠告した(ほとんど無視されたが)。


 案の定、前任者の懸念は的中し、ルーズヴェルト大統領はこの新任の大使を露骨に遠ざけた。東洋人嫌いだからではない。かつての宗主国の格好をした大使をにこやかに出迎えては、口さがない新聞に何を言われるかわかったものではないからだ(個人的な感情が無かったとは言わない)。


 しかし吉田は全くそんなことに頓着するような性格ではなかった。そもそも駐英大使希望者を駐米大使にしたことが間違っているのだと言わんばかりに(実際にそう考えていた)-幸いにして義父から遺産だけは腐る程相続していたので、最新式のロールス・ロイスを始め、これ見よがしに自分のイギリス趣味を満足させてから赴任地へと赴いた。


 無論、自分の趣味を優先させることだけが目的だったわけではない。吉田はその長い大陸への駐在経験で、アメリカ人は支那チャイナ人に似ていると考えるに至った。自己主張が強く、決して自己の過ちや過失を認めない独善性、自らの考える正義こそが全てであり、それが既存のあらゆる秩序に優先されるべきだと信じて疑わない鈍感さ……個人的に付き合うのなら気の良い友人だが、外交官として付き合うのにはこれほど疲れる人種はいない。ならば最初にマイナスのイメージを与えようとも、ホワイトハウスとワシントンDCの住民に『吉田茂』という人間を見せつけることから始めようと考えたのだ。


 そしてその目論見は成功した。その風刺漫画から抜け出してきたかのような吉田茂の大げさな言動は、この東洋から来た大使への忌避感と同時に、アメリカ人に好奇心を植え付けることに成功した。支那人とは違い歴史が浅いが、それゆえに進取の気質に富む合理主義のアメリカ人は「わからないことはとりあえず調べる」人種である。ここまで来ると、もう相手の懐に飛び込むことに成功したに等しい。「いけ好かないが、話せば分かる面白いやつ」という意味で「半径1フィートの侍」なるあだ名がつくのに時間はかからなかった。


 臆することなく日本政府の考えと、自分の意見を堂々と主張する吉田大使は「支那人は押し売りセールスマンのように自分の考えを言いまくるが、日本人は慎ましやかに微笑んでいる仏像のようで何を考えているかわからない」という見方が大勢であったワシントンDCで引っ張りだことなり、吉田も大陸で唯一学んだ効果的な自己主張の方法を存分に発揮。ルーズヴェルトとも直接のパイプを作ると、先の第2次上海事変では大統領を仲裁役に引っ張り出す事に成功した。


 ただ唯一、吉田にとっても想定外だったのは、アメリカ人の社交性と押しの強さ、そして暇を持て余した英雄志望の元参謀総長の無駄な行動力を見誤っていたことであろうか。


「オー、ミスターヨシダ!オーゲンキー、デスカー?」


 大使館の応接間に入るやいなや、薄茶色の軍服の上から吉田がプレゼントした浅葱色の肩衣袴を羽織り、腰には「忍者」「ハラキリ」と掘られた木刀を2本刺し、頭にはちょん髷の鬘という珍妙奇天烈な格好をしたダグラス・マッカーサー退役陸軍大将は、クラッカーを鳴らしながら吉田茂を出迎えた。


 館の主である吉田は恐ろしい程の無表情で自らの頭についた紙吹雪をひとつ残らず取り除くと、さっさと木目が特徴的な椅子に腰掛けた。マッカーサーに勧めなかったのは、フィリピン軍元帥でもある侍の格好をした人物が、既にその椅子のひとつに木刀を立て掛ける事によって占有権を主張していたからである。


『随分と日本語がお上手になられましたな』

「おや、そうですかな。では貴国の大使館で通訳として雇っていただきましょうかな」


 嫌味と知りつつ減らず口を叩くマッカーサーは不法占拠した椅子に座ると、裃を脱ぎながらパイプセットを取り出す。ケソン大統領との対立によりフィリピン軍の軍事顧問を解かれてから、このフィリピン軍元帥はマニラの邸宅を片付けつつ、アメリカ本国への帰国を願い出ていた。いわば現在は休職中である。莫大な年金やフィリピンで築いた資産があるのにも関わらず、まだ肩書きを欲しがるのか。英雄願望の軍人ほど吉田にとって理解しがたい存在もなかった。個人的には嫌いではないが-友人になりたいかと問われるのならば、それはまた別の話だ。


「ウィリアムが壮健であれば、トレンチャード子爵に代わって私が貴国の政府に推薦したのですがね」


 先程までの調子とは代わり、今は亡き親友を想いながら言葉を重ねるマッカーサーの振る舞いは、吉田の目にも確かに物語に登場する英雄に相応しいものに見えた。その振る舞いが何というか、とにかく「絵」になるのだ。共和制の民主主義国家の軍にはあるまじきことだが、後任のフィリピン軍顧問に就任したというサザーランド大佐を始め、今もなお陸軍には彼のためには命を投げ出すのを躊躇わない熱狂的なシンパがいるというのも頷ける。だた一つ、頭上にあるちょん髷の鬘だけが全てを台無しにしていたが。


 吉田はげんなりしながら、この英雄志望のアメリカ人が、その才を含めて敬愛していた友人について語るのを聞かされることになった。


 類は友を呼ぶというが、マッカーサーの幼少期からの友人であったというウィリアム・ランドラム・ミッチェル陸軍准将(1879-1936)もその例に漏れない。アメリカ陸軍航空のパイオニアであり、実戦経験の豊富さでも航空部隊運用に関する戦略概念や戦術ドクトリンに関しても、おそらく同時代においては随一であった人物である。特に先の大戦においては米陸軍初めての航空部隊を指揮し、航空兵力の集中使用の重要性という自らの理論の正しさを、戦場で幾度となく証明して見せた。


 しかし彼は友人マッカーサーと同じく、非常に性格に難のある人物であった。傲岸不遜で自分の意見こそが絶対的に正しく、それを認めようとしない海軍は穀潰しの糞野郎、陸軍首脳は馬鹿の見本市で、ワシントンDCにいる連中は利権漁りだけが得意の間抜けな政治屋という考えを隠そうともしなかった。特に海軍不要論を唱えて公然と政治活動を行い、これをとがめられて左遷されたのだが、その後も軍首脳部への不満を唱え続けた。ついには時の大統領から軍法会議に掛けられ、その軍人生命を不遇のうちに終えた。


 平時において米軍は数えるほどしか将官は存在していなかったが、軍法会議に反対したのが(皮肉な事にこの軍法会議の責任者を任ぜられた)マッカーサーだけというのが、彼の嫌われぶりを証明している。


 マッカーサーの身びいきが入っていることは否めないが、確かに陸軍航空を中核に将来的に空軍として独立させたい日本軍部の構想には合致する人選だということは、吉田も認めるところではある。しかし米軍首脳部から不興をかった人物をあえて招聘するような真似を林陸相がするとは思えない。そうした考えを伝えると、マッカーサーはわざとらしく肩をすくめた。


「せっかく新しく組織を立ち上げようというのです。古びた帝国に固執するイギリス人よりも、われらアメリカ人のほうが、よほどうまくやるとは思いませんか?」

『考えの相違ですな…ミッチェル閣下については、前任の駐在海軍武官である山口(多門)君も評価しておりましたので、よく存じております。しかし残念ながら軍事的な有能さと政治的な有能さは、比例しない事が多いものです。ミッチェル閣下はその最たる例かと』

「有能なる軍人の意見を受け入れるのも、最高司令官としての器量のうちだと思いますがね」


 ちょんまげを揺らしながらそんな事をいわれても全く説得力がない-吉田は喉まで出掛かったその言葉を何とか飲み込んだ。暇なのか何か知らないが、フィリピン軍顧問から退いたマッカーサーは急に日本趣味に気触れ始めた。自分の英国趣味もアメリカ人から見るとこう見えるのかと、あの吉田をして少しは控えてみるかという殊勝な考えに至らせたのである。


 英雄はどんな場面でも相手から戦果をもぎ取るものだ。たとえそれが周囲から見て、どれ程馬鹿馬鹿しいものであっても。


「それにしても空軍独立化はともかく、ウィリアムの過激な海軍無用論に貴国の海軍将校が同意するとは意外でしたな」

『さすがにそこまで極端な意見には賛同しないでしょうが、具体的にドイツからの鹵獲鑑を、陸軍の爆撃機により実際に沈没せしめましたからな。あの時の騒動は、日本においてもちょっとした騒ぎになりましたよ』


 大戦の記憶が覚めやらない1921年、当時はまだ不愉快な厄介者扱いされながも、陸軍航空における有力者としてそれなりの地位と発言権があったミッチェルは、自らの持論を証明するために大規模なデモンストレーションを兼ねた実験を行う。鹵獲鑑を含めた戦艦3隻を、自ら育てた陸軍航空隊により爆撃。これを沈没、あるいは航行不能にした。この実験は陸海軍共同によって行われたもので、その成果も含めて新聞にも公開され全米において広い反響を巻き起こし、ミッチェルはその「預言者」としての地位を確固たるものにした。


 しかし欧州大戦の英雄でありパーシング陸軍参謀総長(合衆国総軍元帥)がまとめた報告書は、ミッチェルの期待していた、あるいは予想していたものを裏切るものであり、その結論は「依然として戦艦は艦隊における精神的な支柱である」と記されていた。


 当然ながらミッチェルは激怒したが、パーシング将軍はそれ以上にミッチェルに対して激怒していた。大衆公開の軍事実験という芝居染みたやり方が気に入らなかったのもあるが、ミッチェルがあえて航空兵力による対艦爆撃の有効性を強調するために、正規の手続きから逸脱して海軍の検査官を立ち合わせずに実験を強行したり、正確なデータを取ることを妨害していた事が明らかになっていたからである。


 実際、頭上からの爆撃による命中率はそれほど高いものではなく、実験に使用したのも損傷した鹵獲艦や、旧型の戦艦であったことから、一定の効果はあっても依然として戦艦の有効性が証明されるという皮肉な結論が導き出される事になった。またこの実験によりパーシングと決定的に対立したミッチェルの軍における政治的な立場は悪化。最終的に除隊させられることになった。


 吉田の言う「軍事的な才能と政治的な才能は比例しない」とはこうした経緯が背景にあったのだが、マッカーサーはその考えを否定した。


「確かにやり方はまずかったかもしれませんが、そもそも、ターナー岬における爆撃実験の目的は、戦艦に対する航空爆撃の有効性を確かめるためのもの。その目的は達成しているのです。公開実験にしたのも、大衆に理解を求め、その支持を背景に頑迷な軍首脳を説得するため」

『しかし説得には失敗しましたな。閣下もあえてそれを正そうとはなされなかった』

「私にも出来ない事はあります。それに公私混同はよくありません」


 暗にマッカーサー自身が参謀総長として友人の復権に動かなかった事を吉田が指摘すると、マッカーサーはあっさりとそれを認めた。パーシングが相手ではマッカーサーといえども如何にも分が悪い。何よりマッカーサー自身が陸軍参謀総長時代にたびたび物議をかもす発言と言動を行い、大統領府とは常に緊張関係にあった。


 これでは組織の意思としてミッチェルを排除したことを否定する事など出来るはずがない。しかし公私混同がよくないとは、よく言う-吉田は内心、苦笑していた。ならばどうして軍事顧問でありながら財産を増やす事が出来るのか。そしてマッカーサーは「断っておきますが」と付け加えるように言った。


「ウィリアムの能力は私も認めます。しかし彼はあくまで陸軍航空の人間。空軍を利用した植民地の空からの監視と威圧というトレンチャード卿の考えもそうですが、確かに一見すると効果的に思えます。特に政治家からすれば、莫大な経費が必要な陸軍の予算を圧縮できるような魅力的な提案に思えるでしょう。しかし」


 マッカーサーはミズーリ・メシャウム製のパイプに火をつけて続けた。


「陸軍軍人として言わせていただくのなら、これは大いなる勘違いであり間違いと言わざるを得ません。戦艦は爆撃機で沈められるかもしれません。しかし基本的に塹壕に篭る、あるいは市街地でゲリラ戦を仕掛けてくる歩兵を鎮圧できるのは歩兵だけなのです。過去のすべての戦場においても、欧州大戦においても、そしておそらく次の戦場においてもそうでしょう」

『ふむ……私は軍事の素人なので言わせていただきますが、大砲や戦車、それこそ毒ガスに航空兵力による爆撃。歩兵の脅威は増える傾向にあっても減る事はないと考えますが』

「脅威である事と、直接的に鎮圧できる事とはまた別のことなのですよ、ヨシダ大使。まして戦闘員と文民を厳格に区別するべきという傾向が強まりつつある中、無差別爆撃や砲撃などそうそう出来るものではありません。そして西部戦線でも東部戦線でも毎日何十万発という砲弾を使用して塹壕ごと兵士を叩き潰そうとしましたが、シャベルで掘った穴にこもった兵というものは、直撃弾でもなければ、そう簡単に死ぬ事はありません。203高地がそうだったではありませんか」


 兵士を制圧するには兵士をもってするしかない。国民政府軍に対して兵の士気でも装備においても圧倒的な優位にあったはずの日本軍が、長年の間、非対称の戦争たるテロで苦しめられたことを知る吉田にとっては、その単純ではあるが政治的に非常に困難が伴う言葉を素直に受け入れる事は非常に困難を伴う事であった。


『……素直には認めがたいですが、確かにそうかもしれませんな』

「これが市街地戦ならなおさらです。現にスペインではドイツとイタリアが圧倒的な航空兵力により無差別に空爆を繰り返しておりますが、実際に都市を制圧して共産主義者を吊るし上げているのは、装備に劣るといわれるフランコ将軍率いる反乱軍の地上部隊。彼らがひとつずつ虱潰しにしていった結果です。わがフィリピン軍も例外ではありません。分離独立勢力や外敵に備えるためにも、陸軍の増強は避けられない課題であります」

『……外敵、ですか』

「ええ、外敵です」


 あえて強調するように語るマッカーサーの目から、吉田は何か感情を読み取ろうとはしなかった。最初に吉田と会談した時、まだフィリピン軍顧問であったマッカーサーは『外敵と分離独立勢力』の順番で編成に着手していると語った。


 フィリピン(及びグアム)における最大の仮想敵は、ハワイ諸島との間を分断するかのように広大に広がる日本の信託統治下にある南洋諸島。マッカーサーも吉田も、ミッチェルの予言-すなわち「日本は日曜日の朝にハワイを叩くことでアメリカに攻撃し、太平洋で戦争が始まる」を知ってはいたが、あえこの場において取り上げるつもりもなかった。実際、ニュージーランドやオーストラリアにしても、日本にその意思があろうとなかろうと、その強大な海軍力がトラック諸島に位置する事だけでも十分な脅威たりえる。


「象は歩くだけで地面の昆虫を踏み潰しますからな。象の意図に関わらず」

『信じてはいただけませんかね』

「個人の友情で片付けられる問題でもありません。ましてイギリスから武官を招聘して空軍を創設するとあればね」


 そのマッカーサーの言葉で、吉田はこのフィリピン軍元帥が何を恐れているのかをようやく察し、そして密かに恥じた。どうやらこの自分もワシントンの空気に慣れすぎて、極東亜細亜における日本の立ち居地というものにいささか無頓着になっていたらしい。


 ワシントンにおいては周知の事実ではあっても、極東の出先機関においては日英再接近は、フィリピンとグアムの孤立化に繋がりかねないという懸念が出るのは当然であった。吉田は頭をかきながら、マッカーサーに向かって種明かしを始める。


『ご心配はごもっともです閣下。ですがその心配はありません。日英間の間において、米国を仮想敵とするような協定なり同盟を結ぶ事はありえないと断言しておきます』

「言葉だけでは足らないと申し上げたはずですが」

『如何にもその通り。そして今ここで私が何を申し上げても、その証明にはならないでしょう。どうです閣下。少しはワシントンDCの空気を吸われてはいかがでしょう』

「肺が穢れますな」

『まぁ、そうおっしゃらずに』


 吉田はそういうと懐から取り出したダンヒル製のライターをマッカーサーに手渡した。いぶかしげな表情でそれを手で弄びながら何かと問うフィリピン軍元帥に、吉田は人の悪そうな笑みを浮かべながら続けた。


『道なき土地にフロンティアを開拓するのも悪くはありませんが、年齢は書物より多くを知るといいます。わざわざ岩山だらけの荒地を好き好んで拓く必要などないのですからね。貴方々の嫌いな伝統とやらも、そう捨てたものではありませんぞ』


 そして真の愚者は経験からすら学べないものだという吉田流の皮肉は、言葉にされることなく葉巻の煙とともに肺の中に吸い込まれていった。


 相変わらずマッカーサーの頭の上にはちょん髷の鬘があったが、吉田はもう何も言おうとは思わなかった。



 10月(神無月)は日本全国の神が留守になる月であるという。勢ぞろいで出雲で何をしているのかは知らないが、理屈の上では神有月の出雲は、一月の間、前後左右どこを向いても神様だらけということになる。


 そんな面白みのない土地だからこそ若槻禮次郎元首相のような、能力はあっても面白みのない政治家が出てくるのだろうと、岸信介は密かに考えていた。たしかに若槻男爵は歴代首相に比べても群を抜いた見識と良識の持ち主であったが、いかんせん何をしたい、何かを成し遂げたいという意思に欠けていた。しかし政治というものに携わるようになった今、岸はようやく若槻元総理の気持ちが、些かなりとも理解出来るようになった。こんな連中の相手をしていたというだけで、彼は間違いなく評価に値する紳士である。


「やぁ、やぁ岸しゃん。どうじょ、どうじょ、上座のほうへ」


 ちょうど半年前、自分に最後通牒を突きつけた男に招かれた岸は、前回と同じように、その肥後の古狸から慇懃な態度で席を勧められた。以前と違うのは、この宴席の名目が「民政党による大臣就任の内祝い」という名目だけではなく、自分の席が床の間を背にした上座であること、また他にも同席者がいたことだ。


 民政党幹事長の勝正憲、筆頭総務の内ヶ崎作三郎、政調会長の櫻井兵五郎に衆議院議長の小山松寿、そして古狸こと民政党総務会長の大麻唯男。前回と同じ料亭の同じ部屋というあてつけの様な場所の指定は岸に何の感慨も齎さなかったが、指定された銘々膳の前に座ると、ようやく大麻の考えをうかがい知る。自分から向かってちょうど左側、手前から勝と内ヶ崎に櫻井、右手の手前から大麻と小山。三権の長たる小山を下座にしてでも自分を持ち上げようとする姿勢が徹底している。


 大麻が幇間のように明るい声で乾杯の音頭をとり、小山、勝が続いて大臣就任祝いを臆面もなく述べる。半年振りの宴席とはいえ遊びなれた岸はその全てに、にこやかに応じていたが、内心の冷めた感情は変わらなかった。次の通常会で国民健康保険法の制定に失敗すれば、お払い箱になるのは目に見えている。持ち上げるだけ持ち上げておいて、いざ失敗すれば路傍の石を眺めるがごとき態度になるのは、すでにこの半年の間でいやと言うほど経験させられたからだ。


 いや、むしろ成功してたとしても初代の「衛生省(仮称)」大臣になれるかどうか疑わしいものだ。困難な仕事だけを自分に押し付けてて手柄だけを主張するのはよくあることである。初代事務次官ならまだしも「功績大なり」として勅撰の貴族院議員にでも押し込まれかねない。政治というものに手ひどく顔を張られた岸はきわめて慎重になっていた。そしてその表面上の態度とは裏腹のこわばった感情というものは、目の前の狸にはお見通しであったらしい。大麻は杯を空けると、銚子を持って岸の銘々膳の前にどっかりと座り込み「岸しゃん」と口を開いた。


「随分と杯んの進みが遅う思うけんど、ちゃんと政友会さんの会合にもかたってこられたんやろうね」

「ご心配なく、松野(鶴平)鉄相主催の歓迎会と、前田(米蔵)筆頭総務主催の両方に顔をつないでおきました」


 前者は鳩山派、後者は反鳩山派の、それぞれが参謀格だ。岸は両者からの誘いを快諾し、2件の宴席を梯子してからここに来た。無論それは予め民政党側にも話を通している。最大政党を3番目にしたのは政友会の主導権争いに巻き込まれるのを避け、その情報を民政党側に持ち込むのが狙いであった。そしてその思惑は大麻の意に沿うものであったらしい。大麻は岸の口から語られる砂田幹事長や前田らの言動に、大げさなまでに頷いて謝意を示した。もっともその本心がどこにあるのかは岸にはわからなかったが。


「うん、そりゃ大いに結構。あそこん党も内実が複雑やけんね。どちらが主導権ば握っとるか。握るかまだわからん。二股かけとるちゅうやつもおるやろうばってん、こん場合は家ん喧嘩ば外でしとるほうが問題がある。やけんどちらにも顔ばつないでおくんな大事ばい」


 岸は「正解がないのが政界」という、目の前の人物から聞いた駄洒落を思い出しながら、知らず汗をかいていた。元々、政府からの入閣の打診の時、岸としては「班列」、国務大臣相当の扱いであれば十分に仕事が出来ると考えていたのだが、内閣法を改正して国務大臣にするべきとしたのは目の前にいる民政党執行部が政府に申し入れたからだという。この一件を古巣の商工省人脈を通じて聞いた岸は、その思惑に首をかしげたものだ。つい半年前に総裁自ら首を切ったばかりの相手を立てる理由も道理も、岸には思い当たらなかったからだ。


「よーうわからんていう顔ばしとるね」


「うんそりゃもっともばい」と大麻は一人で得心して頷きながら続けた。


「ま、官僚である貴方にはわからんちゃ無理はなか。官僚はいったん出世レースから外るると、よほどん事がなか限り再起はなかけんね。やけんこそ政党ん介入は、組織ば秩序乱す党弊として嫌われたんやろうが。人材は一朝一夕に育つもんでもなかりゃ、控えんポストなんてそう簡単にあるもんやなか。いきなり外からつれてきてん務まるもんでもなかしね」

「発言は控えさせて頂きましょう」

「何をいまさら。あれだけ民政党内閣の足を引っ張っておいて……」


 手酌で日本酒を呷っていた内ヶ崎が聞こえよがしに嫌味をつぶやくが、岸も大麻も聞こえなかった振りをして続けた。


「まあ之んは政治ちゅうよりも、むしろ政略に属する話だかんね」

「政略、ですか」

「うん。同じ人身御供にしてんも、ただん班列ん官僚であるよりも、無能な官僚大臣んおかげで失敗したちゅう理由んほうが、世間にもわかりやすかし、説明しやすかけんね。ついでに林内閣ば揺さぶるる」


 「一石三鳥よ」と顔色一つ変えずに平然と言ってのける大麻に、岸はとっさに反論しようとしたが、沸きあがるように次々と思い浮かぶ数々の理屈や反論をぐっと押さえ込んだ。内ヶ崎だけでなく小山議長や勝幹事長らが、酒を飲み交わしながら油断なくこちらの言動を観察するような視線を向けていたからである。首実検をされるのは慣れていたが、自分の理解の及ばない理屈で一方的に決め付けられるのは癪に障る。それにどうせなら自分がその理屈を使う側になりたいと考える岸にとっては、ここで激するわけにはいかなかった。


「なるほど。失敗すれば私を切るだけでいい。町田総裁と私の関係がよくないことは関係者なら誰もが知っている。腹は痛まないし、むしろ林内閣を揺さぶれる。私の失敗から学ぶ事で、よりよい法案をまとめ、次の機会に民政党主導で法案を成立させる。そうなれば選挙は目前……しかし大麻さん。私の失敗が前提というのはいささか業腹ですね」

「いや、少なかばってん、私は成功すると考えとるばい。むしろあーたでなかりゃ誰にも無理やろう」

「過大な評価、痛み入ります」

「岸しゃん。そう難しい顔をしないで頂きたいねー。こんじゃ、私が苛めているみたいじゃねーでしゅか?」


 自分の表情筋が動かなかった事に、岸は内心、信じてもいない神とやらに感謝した。統制経済論者の先駆けとして戦い討ち死にした今となっては、古巣の商工省に帰る事もままならない。今回の機会は最初で最後の復権の機会。自分をさっさと切り捨てて保身に走った古巣も気に入らないが、それ以上に自分の実力だけで再び階段を駆け上がるためには、この高い一歩を踏み外すわけにはいかないのだ。たとえそれが、この権力亡者共の思惑通りであろうとも、岸にとっては知った事ではない。


「あーた、ところでお幾つになられた?」


 声こそ出さなかったものの、岸は自らの顔がぽかんとしたものになるのは止められなかった。


「はぁ、今年で42になりましたが、それが何か」

「ほう、ということは生まれは明治29年かね。お若いね!結構、結構!」


 結構でもなんでもない。今年が本厄で来年が後厄である。岸としてはそんなものは信じてもいないのだが、こうも目まぐるしく自らにまつわる環境が移り変わっては、何か感じるものがないといえば嘘になる。


「ところで岸しゃん、あーたは誰にもなかもんば持っとらるる。それが何かわかるかね?」

「……商工官僚としての経験でしょうか。満洲閥としての人脈、あるいは個人的な縁戚関係」

「うん。まあそれはあーたの属人的なものよ」


 大麻は岸がとっさに答えたもの全てをざっくりと纏めて切り捨てると、その地蔵のような丸顔をぐいっと突き出すようにして岸の顔を覗き込んだ。


「あーたは今、政界んの台風の目、目玉ね。注目度ちゅう点に関して言えば、一時期ん近衛しゃんよりも上回るかんもしれない。特大級のもんよ」

「悪名ですがね」

「そう。それも飛びっきりのね。何もせんでも新聞なり雑誌が宣伝してくれるんやから、儲け物とおもわんとね。悪名は無名にまさるんばい。そん悪名ですらなかがために、どれだけん候補者が選挙でなかされてきたか。やけんこそ、今回は絶好ん、一世一代ん機会ばい。あーたにとっても、わたしら民政党にとっても……明治20年代後半んの、永井(柳太郎。文相)んところの派閥に数だけはおることはおるけど、層が薄かとよ、うちん党は」


 その言葉の意味するところを瞬時に察した岸は、無理やり作っていた柔和な笑みの表情をかなぐり捨てて、目だけをぎょろりと剝き、目の前の地蔵をねめつけた。


 その岸の変貌に、大麻は「そいよ、それそれ!」と児戯のように、両手を叩いてきゃっきゃと喜んだ。


「あーたはちょうどよか悪人面ばしとる。笑うとそれなりん愛嬌があるとに、状況に応じて、いかめしか顔も出来るのがちょうどよか」


 殺気を漂わせた飢狼の眼前で、飴と鞭をこれでもかとちらつかせながら、大麻唯男はえへへと笑い、そして言った。


「あたしが保障する。あーたは政治家向きばい。それも飛びっきりん悪党になるる素質んあるね」


・たまにぞくっとする事いってるJFK。

・妖怪が半年振りの復活…なんだけど、すでに20話ぐらい書いているので間が長すぎて半年という気がしないw

・だんだんいろいろ内政事情が複雑化してきて、混乱してきた(おい)。なお史実はもっと複雑(白目)

・斎藤博。近衛内閣の外相候補にもなったけど、宇垣外相のあとって、なんでそんなバツゲーム…グルーが評価していたのだから、けったいな親米派というわけではない人。

・吉田茂はこれくらい個性強くないと、書いてて面白くないんですよ。世代を下ってあだ名を拝借。

・なんでマックがこんな面白外人になってしまったのか…謎だ。いや本当に、書いてたらなぜかいつの間にかちょん髷被ってたんだよ。わけわかんねーよ。

・ミッチェル准将(第二次大戦後に功績認められて少将)マッカーサーのお友達で全て理解できる人。いや、こんな人が実際に部下なり組織の中にいたら、どうやったって統制できないよそりゃ。パーシングでなくとも激怒するって。

・うん。やっぱり軍事はわからん。書いたけど自信ないぞ!(おい)

・妖怪化のとまらない大麻。どうしてこうなった。

・史実ではすでに成立済みの法案。日中戦争も早期終結で、国家総動員体制という締め付けがなく、政友会にも民政党にも積極的に業界団体に働きかける動機に乏しい。ああいう情勢だからこそ業界団体も折れざるを得ず、法案の折り合いがついたのだと思う。歴史のIFとして書こうとしたんだけど、やっぱり難しい。

・岸「あの、復権したのにまな板の上の鯉ってどういうことなんでしょう?」

・大麻エモン「もうしょうがないなー信介君はー」


・??「ねー呼んだ?!あたしの事呼んだでしょう、ねーね!!」

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[一言] 史実でもマッカーサーってフィリピン軍元帥をクビになってました?
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