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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和12年 / 1937年 / 紀元二千五百九十七年
4/59

大日本帝国 東京府東京市元赤坂 某料亭 / 赤坂表町3丁目 高橋是清別邸(1937年5月-6月)

『将軍になどなるものじゃない。将軍になったら、山のように心配の種を背負うことになる』


ドワイト・D・アイゼンハワー(1890-1969)


 俗に陸軍首脳-『陸軍三長官』と呼ばれるのは陸軍大臣、参謀総長、そして教育総監である。軍政(軍における行政)を担当するのが陸軍省、軍令(作戦部門)を担当する参謀本部、そして陸大など陸軍全体の教育部門を統括するのが教育総監。基本的に上下関係はないとされるが、実際には年次や年齢などで力関係が変わることもある。


 昭和12年(1937年)4月当時、陸軍参謀総長は寺内寿一伯爵である。


 父は元帥陸軍大将であり第18代内閣総理大臣の寺内正毅(長州出身)。ビリケン宰相ともあだ名された彼は顔に似合わない緻密さで知られ、日露戦争を含めて10年以上陸相を務め、初代朝鮮総督として辣腕を振るった。寿一はその長男だ。


 陸軍においては旧長州藩(山口県)出身者が優遇されていたというが、実際には疑わしい面もある。これらの主張は主に陸大出身の成績優秀者が、長州出身者やその関係者が主流派であるため成績や功績に反して不遇であったと語られることが多い。


 早い話が「頭のいい(試験の成績が良かった)俺らに軍を牛耳らせろ」という事に他ならない。


 先の荒木陸相時代の人事は批判されることも多いが、長州閥を継承した宇垣閥の一掃だけは拍手喝采で受け入れられた。長年の長州閥専横とその関係者への不満がいかに陸軍内部で充満していたかということの証左であろう。


 陸大をそこそこの成績で卒業した寺内寿一が将官となったのは、長閥の権威が完全に崩壊したとされる時期に重なる。こうした情勢下で名実ともに長男である彼への軍内部の風当たりは相当なものであったというが、良くも悪くも坊ちゃん気質で細かいことを気にしない(後先考えない)彼は、大して苦にした様子も見せずに地方師団長のドサ回りを平気でこなした。


 また金持ちで遊び方が豪快、おまけに金払いもよいと芸者にモテる要素が三拍子綺麗に揃った彼は、第4師団長時代にゴーストップ事件(陸軍と警察のメンツをかけた政治問題)で問題をこじれさせた当事者でありながら、事件解決後に両方の責任者の全てを自腹で接待し、芸者を呼んでのドンちゃん騒ぎでうやむやにするなど、なんと評して良いのかよくわからない逸話を残している。


 父親譲りの配慮を見せたというべきか、そもそも問題を大きくしたのはどこの誰だったのかと批判するべきなのか。


 その寺内は第70回帝国議会が終了してから1月ほど経過した5月の中頃に「慰労」を名目に、馴染みの赤坂のとある料亭に、同じ三長官である林銑十郎(陸相)と渡辺錠太郎(教育総監)の両陸軍大将を招いていた。


 名目どおりに飲んで騒ぐために招待したわけではない。三長官が公式に面会しようとすればそれなりの手続きが必要であるし、ただでさえ昨年の事件で陸軍は痛くもない腹を探られやすい。それにどちらが訪問するかで下らない駆け引きをするぐらいなら、こちらのほうが早いだろう-というのが寺内の持論である。


 形式は大事だがつまらない面子よりも実質を重視するあたりは、意外と政治家向きなのかもしれない。


「何が、今の社会局で十分ですだ!この私を誰だと思っておるのだ、木っ端役人風情が!!」

「なるほど、なるほど」


 スーツ姿の渡辺がそのようなことを考えながら手酌で日本酒を呷る前では、何故か招待した側の寺内が上座である床の間を背にして、客であるはずの林に絡むという意味不明な光景が展開されていた。


 三者の年齢は林が寺内より3年ほど年長(ちなみに最年長は渡辺である)、士官学校も陸大も寺内(陸軍士官学校11期・陸軍大学校21期)より、林のほうが年次が上(陸士8期・陸大17期で共に渡辺と同期)なのにも関わらずだ。


「冬は温く夏は涼しい事務机でふんぞり返っておる連中に、前線兵士の福利厚生や衛生環境のなにがわかるというのだ!あん?それとも何か?貴様らが前線に来て、医療行為に従事してくれるとでも言うのか……おい林!!聞いておるのか!!」

「はいはい、聞いています、聞いておりますとも…あ、女中さん。熱燗3本お代わり……ささ、参謀総長閣下。もう一杯」

「……うむ。まったく、わしを誰だと思っておるのだ?!恐れ多くも陛下の軍を預かる参謀総長閣下様だぞ……あん?どうして空なのだ?」

「さ、もう一杯」

「うむ」


 世界広しといえども内閣総理大臣に酌をさせる参謀総長は他にはいないだろうと、赤ら顔の寺内の顔を渡辺は見るともなしに、この奇妙な光景を見物していた。


 林と寺内の両大将は共に和装であるため、町内会の飲み会でうるさ型が、気弱な町内会長に絡んでいるように見えなくもない。軍における年次はともかく、相手は一国の総理である。本来であれば最年長の自分が何か言うべきなのだろうが、せっかく拾った命である。国家の大事ならともかく、このようなことで三長官の結束を揺るがせるのは良くないと渡辺は考え直した。


 だから林の「助けてくれ」という視線を無視するのは極めて合理的な判断であり、断じて2・26事件の際に拳銃を突きつけられたことへの意趣返しではない。


 極めて合理的な自らの考えに満足げに頷きながら、渡辺はカレイの煮付けに箸をつけた。


 ……うむ、これは美味い。魚も良いものなのだろうが、煮付けは汁が濃すぎると風味が損なわれ、薄すぎると魚の旨みを逆に殺してしまう。これは両者が調和して見事に引き立てあっている。酒の肴にもよいが、飯のオカズにしたいぐらいだ。煮付けの美味い店は信用できる……さすがは寺内伯爵。良い店を知っている。


「…というわけだ!渡辺!貴様はどう思うのだ!!」

「衛生省構想ですか。私は賛成ですね」


 箸で煮付けの身を綺麗にほぐしながら、軍における医療衛生の教育部門も管轄する渡辺は賛意を示した。


 「聞いていたのか」と恨めしそうな声を出す同期のカイゼル髭は、再度見なかったことにする。何故か髭がしおれてるように見えるが、きっとこいつは髭が本体なのだろう。貴様の陸相時代に、散々自分が経験したことだ。精々、今のうちに苦労すればいい……そのような憂さ晴らしの感情がなかったわけではないが、些細な問題だと渡辺は自分の中で片付けた。


 昨年、2・26事件により勇退された閑院宮殿下の後任として陸軍参謀総長に就任した寺内は、石原莞爾など満洲組が抜けた作戦部門の立て直しを小畑敏四郎(陸士16期・陸大23期)参謀次長に丸投げ。自らは持論である衛生省構想の実現に向けて積極的に動き出した。


 就任早々「兵士に気持ちよく戦ってもらうためには、美味いメシと綺麗な寝床、そして綺麗どころと遊ぶ場所」と発言して、クーデター騒ぎの後に不謹慎すぎると新聞各紙から袋叩きにあった寺内であったが、確かに日本軍の医療衛生はお世辞にも充実しているとは言えない。


 先の大戦における欧州戦線では、たった1日の会戦で10万単位の戦死者とそれに倍する負傷者が発生した。そのため平時であれば完治する傷であっても、医療設備や体制が貧弱であったがために、戦後になっても後遺症に苦しむ元兵士が続出。深刻な社会問題となった。


 国家総動員体制を目指す日本軍にとっても人ごとではない。現に満洲事変においても、衛生的に恵まれているとは言えない大陸で風土病を発症した兵士が出たという。参謀総長に就任した寺内にとって、医療衛生の充実は焦眉の急であった。


「馬鹿どもが余計なことをしたから、予算要求が難しくなった」


 空になった銚子を机に叩きつけるようにして吐き捨てた寺内に、林と渡辺は揃って頷いた。


 例え必要なことであっても、政治的にそれが認められやすい時期というものはあるし、逆に否定されやすい時期というのもある。昨年のクーデター未遂事件により、陸軍に向けられる視線はかつてないほど厳しい。


 具体的には予算の面だ。梅津陸軍次官の主導する粛軍人事には、寺内は当初こそ「やりすぎると戦えなくなる」という立場であったが、予算要求に支障が出るとなると即座に賛成に回った。いくら精強な日本兵でも空の鉄砲では戦えない。


「陸軍だけでなく、国民全体の医療と衛生環境向上を図るための衛生省。うまく考えましたな」


 滅多に人を褒めることがないとされる渡辺の賛辞に、寺内は「いやぁ」と笑いながら表情を崩した。


 短気で扱いにくい男だが、これで妙な愛嬌がある。小畑のような癖のある男も、いつの間にか飼い慣らしているそうだ。おそらく誰かの入れ知恵なのだろうが、それも上官の器量のうちである。


 地位が人を作るというが、さてこちらはどうなのかと渡辺は同期の顔を見た。


「大体、貴様が総理大臣のくせに内務省をしっかりと抑えこまんから、木っ端役人が偉そうにするのだ!」


 何故か突如として激高した寺内にカイゼル髭をねじ上げられており、渡辺は3度、見て見ぬふりをした。


「閣下。閣下!閣下!!ヒゲはいかん!髭はいかん!!」


 やはり髭が本体なのかと下らぬことを考えながら渡辺は杯を仰ぎつつ考えにふける。


 対象となる医療衛生の国民には当然ながら現役将兵や退役軍人も含まれている。本土に病院を増やして負傷者を搬送する体制を整備するなり、増加傾向にある医療研究費を増やすなりすれば、その分だけ軍の負担は減る。これならば大蔵省主計局も反対しづらい。


 そこまではよかったのだが、現行において公衆衛生を管轄する内務省が「権限が取り上げられる」としてこれに猛反発する結果をもたらした。


 曰く「必要ならば内務省の予算を増やせば良い」「軍のことは軍でやるべきで、内務省に頼るのはお門違いだ」「そもそも寺内の顔が気に入らない」等々。個人的に和解したとは言え、寺内に反感を持つ内務官僚は少なくない。おまけに官僚機構の宿命とも言える権限削減には、省全体が過剰なまでに反応した。


「……まあ閣下のお怒りもわかりますが、内務省も一枚岩ではありませんので」


 髭を抑えながら林が言い訳がましく答えると、寺内は「最初に妥協するから舐められるのだ」と再度怒鳴りつけた。


 昨年、林が組閣本部を立ち上げた当時、真っ先に人事に注文を受けたのは陸軍と内務省である。


 陸軍のそれは「俺の頭越しに勝手なことをするな!」と激怒した寺内と、組織の秩序を何よりも優先する梅津次官が押さえ込んだが、内務省の「川崎内相」反対論は根強かった。


 この時の内務大臣候補であった川崎卓吉は衆議院第1党の立憲民政党の幹事長で、町田忠治総裁の最側近。内務省出身でもあることから反発もないだろうと考えられていたのだが、政党内閣時代に政争と党弊により振り回された内務省の反発は根強く、結局は内務次官経験者の潮恵之輔で妥協せざるを得なかった。


「あの馬鹿どもが余計なことをしなければ、ここまで拗れなかったものを」


 寺内が再度、憤懣やるかたないといった調子で吐き捨てる。


 2・26事件で犠牲になった警察官のことを持ち出されれば、陸軍も陸軍出身の首相も強気には出れない。しかし現状の衛生省反対運動は明らかな組織防衛、それも省益を守るためのものでしかない。


 再び内務省への罵詈雑言を並べ立てる寺内を尻目に、さてどうするのだと渡辺は同期の桜に視線を合わせる。林も心得たもので、その髭を捻りながら同期の気安さもあって、轟然と胸を張り請合って見せた。


「まぁ、なんとかしてみせるさ。任せておけ」

「ならもっと早くせんか!!!」


 寺内の銅鑼声に、林は首を竦めた。



 政党と一口に言っても反政府組織に過ぎないものから、制度内改革を目座す穏健派まで多種多様である。


 そして昭和の御代となり、自由民権運動の流れを汲む2大政党-立憲政友会と立憲民政党は、社会主義を掲げる政治勢力や、大手マスコミを始めとした知識層から『既成政党』と呼ばれるようになった。


 つまり既にある政党、今で言う保守政党という意味である。保守にも様々な定義はあるだろうが、確かに間違ってはいない。


 さてその一角を占める立憲政友会は、そもそも板垣退助の立憲自由党を源流とする民党の流れをくむ政党勢力と、伊藤博文元首相とその系列の官僚や議員が加わり結成された一種の半官半民の政党である。結成は明治32年(1899年)なので、昭和12年(1937年)は結党から38年ということになる。人の男性に例えるなら、赤ん坊が一家を構えで子供もそこそこ大きくなったぐらいの年齢であろうか。


 そのいい年をした大人が、とてもではないが子供に見せられたものではない、実に醜い跡目争いを繰り広げていた。


 事の起こりはそもそもなんであろうかといえば、大正期の原敬総裁時代か、それとも政友会を最初に大分裂させた高橋是清総裁時代か。もしくは昭和初期の田中義一総裁時代か、それとも5・15事件で政党政治にいったん幕を引いた犬養木堂総裁時代か。


 偉大なる指導者であった平民宰相が暗殺され、後継者が育っていなかったのが原因であると指摘する声は大きい。そして実際、原の後継総裁になったのが「宮中席次が一番上だから」という理由で、政党の『せ』の字も知らないし興味もないという老蔵相が選ばれたぐらいである。当然ながら老人には財政家としての手腕はともかく政党指導者としての情熱や政治力か欠落しており、その内閣はすぐに崩壊した。


 以来、政友会は『原敬』という強力な指導者という幻影を追いかけ続けている。しかし青い鳥はいまだに現れる気配はない。そしてもともと仲の良くなかった兄弟は少なくなった遺産と議席を巡って、熾烈な喧嘩を始める始末だ。


「だからあの時、鈴木総裁が辞任していれば、丸く収まるはずだったのだ。それを鳩山が慰留なんぞするから……」

「次の総裁はどうするのだ。後継総裁も決めずに辞めるのは逆に無責任ではないか!」

「選挙に負けて、おまけに自分は落選しておきながら総裁に居座ることのほうがよほど無責任だろうが!」

「中島の金がそんなにほしいのか!」

「少なくとも中島は自分で稼いだ金だ!息子の嫁の実家の足袋屋の金にたかっている貴様らに言われたくはないわ!」

「なんだと貴様、表に出ろ!ぶん殴ってやる!!」


 とまぁ、一事が万事この始末である。


 おまけに当時の政党は、政府の選挙干渉に反抗し監視するために院外団なる私兵とも半グレ集団ともつかぬ手勢を抱えていた。この時期の政友会で会合が開かれると、現役議員に元議員に党顧問の弁護士や秘書、党職員も入り乱れての大喧嘩が始まるのが常であったという。


 言葉にするのも馬鹿馬鹿しく、長ったらしくなるので端折ろう。


 昭和初期に入ると、立憲政友会は党の総裁を党内から選ぶのではなく、あえて党外から迎えるようになった。


 偉大なる原の下にいた党幹部は、閣僚や党役員ならともかく、党の総裁としては原に比べると誰も彼も「どんぐりの背比べ」であり、誰がなっても反発は必至であった。それなら党外から、何らかの持参金や政治的な資産を期待できる『養子』総裁を迎え入れようという考えである。


 退役軍人の票と資金源が期待出来た元陸相の田中義一(在任・1925-29)、第1回衆議院選挙から当選を続けて抜群の国民的知名度を誇る犬養木堂(在任・1929-32)がそれだ。


 ところが養子総裁は、党内基盤がないために逆に党内の派閥抗争を激化させる結果をもたらした。対立する立憲民政党がどちらかといえば総裁専制が比較的強い政治風土であったことに比べると、政友会において党内民主主義がそれなりに機能していた点が、悲劇であり喜劇でもあった。


「一体、何をどうすればいいのやら。皆目見当がつきません」


 香川県選出の立憲政友会代議士である三土忠造は赤坂元町の高橋是清別邸において、屋敷の主人を前に肩を落としていた。心なしかその口髭も垂れ下がっているように見える。


 検察ファッショとも批判される帝人事件で現役の鉄道大臣でありながら逮捕収監され、足掛け3年近くにも及ぶ裁判の末にようやく無罪を勝ち取った三土であったが、晴れて無罪となったのが今年のことだ(1937年)。


 ところが本格的に政界復帰してみれば、長らく野党であった政友会は前年の総選挙で100議席以上減らすという大惨敗。宿敵の民政党に第1党を奪われた挙句、党の総裁がよりにもよって選挙区-それも複数人当選可能な都市部の選挙区で落選するというお粗末な結果に終わった。


 かつて犬養総裁のもとで、デフレ不況により国民を苦しめた民政党を駆逐した4年前の勢いはない。そう零す三土に、屋敷の主人は冷徹な口調で言い放った。


「仕事もせずに、党内抗争にうつつを抜かしていたからな。仕方があるまいよ」


 高橋是清-元総理にして日銀総裁経験者、蔵相経験は数知れずという日本有数の財政家であり、三土忠造の政治的後見人でもある老人は、達磨とも言われる柔和な表情とは裏腹に、古巣を手厳しく評する。


「総理…いや高橋先生。先生も政友会の総裁を経験されたのですから、そんな他人事のようなことを」


 長年傍で仕えて老人の薫陶を受け、その内閣において書記長官を務めた三土は高橋を今でも総理と呼ぶ癖が抜けない。しかし当の高橋がそう呼ばれることを好まないことを、その鋭い視線にあわてて思い出して、呼び方を改めた。


 江戸の最後に生まれ、波乱万丈の前半生を経て一文無しから何度も這い上がり、ついには位人臣を極めたこの老人は、その柔和な風貌とは裏腹に気性が激しく筋の通らないことを蛇蝎のごとく嫌う性質である。


 総理時代にはそれが理由で失敗したが、大蔵大臣時代にはそれが逆に功を奏した。


 現実を見据えず空理空論で争うところは高橋が最も唾棄するところであり、今のような古巣の内紛をどのような心情で見ているかは想像しなくてもわかる。


「国家の大事を前に、政党の行く末など細事も細事。国民もそう考えたからこその、昨年の結果なのだろう」


 これが建前でなく本音なのが、高橋老人の真骨頂であり政治家としての限界なのだろうと、三土は内心で感じ入っていた。人物としても財政家としても間違いなく偉大なのだが、視線が高く視野が広いだけに足元に注意が及ばない。


 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや-大人の志は小人の理解の及ぶところではないが、逆に言えば小人の思惑を大人は理解することが出来ない。


 そして大多数の人というものは、その足元ばかりに視野と視界が集中しやすい。


 原敬が何故、政治家として偉大なのかといえば、高い視線と広い視野、そしてどんな小さなことでも決して足元をおろそかにしないだけの慎重さを兼ね備えていたからだと、高橋老人はかつての盟友を評して見せた。


「原さんという人はどちらかというと、足元を固めて綺麗にするのが好きで、自分の視線の高さや視野の広さは重視していなかったようだが、だからこそ床次(竹二郎)さんとか中橋狸庵(中橋徳五郎)とかの幹部連中も勘違いしていしまったのだ。足元の陳情に対処することこそが政治だと」


 「……間違ってはおらんよ」と、高橋翁は俯きながら続ける。


「確かに足元の掃除をおろそかにすれば、どんな健脚の人であろうともつまづくのものだ。しかし足元ばかり見ていては、どちらに歩いていくのかわからなくなる」


 失われたものの大きさを嘆くように嘆息する。それを嘆くよりも前に進むべきだとはわかっているつもりだが、友人の死を悼むぐらいは許されるだろう。


「……私も含めて、皆が原さんに頼りすぎていたのだな。あんなに偉い人はいなかったが、亡くなってから余計にそれがわかるようになった。理想と現実の折り合いにかけては、あの人の右に出るものはなかった」

「先生、過去も大事ですが今も大事かと」


 高橋は三土の言葉を不快には思わなかった。むしろよく自分の意を理解していると鷹揚にうなずくと「で、鳩山君と中島君のどちらだ?」と逆に質問を投げ返す。


 三土はそれに「ぐう」と、鼾とも唸り声ともつかぬ奇妙な返事をするしかない。


 そもそも先の総選挙で落選しながら、歴史ある政友会の総裁に居座るというドのつく厚かましい人物は鈴木喜三郎という。


 司法官僚として検事総長や司法大臣、政友会に入党してからは内務大臣を歴任した経歴としては申し分のない人物なのだが、この人は政党の総裁でありながら官僚時代には政党政治に懐疑的な平沼騏一郎の直系として知られていた。内相時代には大規模な選挙干渉をして、おまけに自派閥系議員ばかりを露骨に優遇したために与野党から猛批判を受けて辞任に追い込まれたいわくつきの人物だ。


 にもかかわらず親分肌で子分の面倒見がよかったために鈴木派は党内最大派閥となり、犬養総裁亡き後の政友会総裁にまで上り詰めた。


 ところが平沼を嫌う宮中の意向もあり、犬養前内閣がテロによる退陣でありながら、斎藤・岡田内閣の誕生を許し、首相の機会を2回も逃した。極めて権威主義的な体質の鈴木が2代続いた挙国一致内閣を「非民主的」と批判する様は、滑稽を通り越して喜劇的ですらあった(その煽りを受けて、逆恨みの冤罪事件ともされる疑獄事件により逮捕収監された三土には悲劇でしかなかったが)。


 ともかく鈴木総裁と執行部は野党路線による政友会単独内閣を、反執行は内閣に協力しての政権復帰を目指して抗争が激化。結果、総選挙の大敗北に繋がった。


「家の喧嘩も収められぬ人物に、国が任せられると思うのか」


 鈴木総裁の指導力に疑問をつける高橋の言葉に、三土はまたもや複雑な表情を浮かべた。


 永田町において3年近くの政治的空白は大きい。同意は出来たとしても、素直に口にできないあたりが彼の現在の政治的な苦境を物語っている。そして三土は総裁候補とされる2人の政治家の人物評を口にした。


「鳩山君は名門出身らしく人を引き付ける天性の明るさがあります。これは政界広しといえども彼にしかないものです。河野(一郎)だの松野(鶴平)だのという一癖も二癖もある連中、大野(伴睦)のような院外団上がりまで、鳩山君を親分だ大将だと慕っております」

「確かに子分はいるが、同志はおるまい。鳩山嫌いの前田君(前田米蔵)はともかく、今の林内閣にいる文相の島田君(島田俊雄)も中島君(中島知久平)に味方するという話がある」

「……中島鉄道大臣には資金があります」

「鳩山君とて息子の嫁の実家からの資金はあるだろうが、なんといっても中島君には最大の利点がある」


 「『中島』は『鳩山』ではない」-そう明快に断言して見せた恩師の言葉に、三土は今度こそ黙り込んだ。


 鈴木総裁は義弟の鳩山に説得され、お手盛りの極みである勅撰貴族院議員となり「議席があるので」と総裁続投を表明している。だが先の総選挙敗北の責任を問う声が党内で強まり、政権獲得への道筋が一向に見えないことから、ついに辞任に追い込まれた。


 後継総裁に名乗りを上げると見られているのは、鈴木総裁を政治的に支え続けた鳩山一郎と、まだ当選回数こそ少ないものの、中島飛行機を経営して経済界はもとより軍部との繋がりも深い中島知久平の2人である。


 それぞれ53歳と54歳。根っからの自由主義者で、経済界への干渉を嫌うネアカの2世政治家の鳩山と、軍との関係性も深く、経済界への一定の関与も止むなしとする慎重居士の中島。両者は年齢が近いだけに、互いの政治的な背景や政策はおろか、性格ですら好対照であった。


 自由民権運動の流れを汲む自由主義政党の政友会の総裁としては、鳩山の方がふさわしいことは誰もが認めるところだ。


 しかし田中・犬養、そして鈴木の3総裁のもとで主流派としてわが世の春を謳歌した鳩山、そしてその一派への党内の反感は非常に根深いものがある。それこそ反鳩山だけで有象無象の中小派閥が、中島支持で一致結束するほどだ。そして中間派と思われていた島田俊雄農林大臣が中島支持を匂わせたことで、形勢は一気に逆転した。


「鳩山君は親衛隊と呼んでもいいほど熱狂的な支持者がいる一方で、強烈なアンチも多いですから」

「まぁ、毒にも薬にもならぬ政治屋よりはましだろうが、今の政友会の状況では効きすぎる薬は毒薬となりかねぬ」

「党が即死してしまいます」

「鳩山が総裁となれば、反鳩山派は離党すると公言している。かといって中島に、鳩山一派を抱擁できるだけの政治力も器量もあるとは思えぬ」


 高橋が指摘するように、どちらが就任しても分裂は必至である。


 そもそも中島は今に至るまで正式に出馬を表明していない。反鳩山の受け皿として、何より資金源として期待されている期待先行型。これでは歴代の養子総裁と何も変わらない。何より鳩山親衛隊が、当選回数で劣る中島の総裁を認めるとは思えない。


 三土をはじめとした中間派もそれは理解しているがゆえに、現在ささやかれている『対決先送り』のための解決案しかないと考えている。


 そして何を隠そう三土は中間派からの要請を受けて、元の総裁である高橋の支持を取り付けるために訪問している。総裁としては失格であったとしても財政家としての名声と元首相の肩書きは、いまだに政友会に影響力があるからだ。


 言いよどむ弟子の苦衷を見越してか、高橋は先に口を開いた。


「君としては苦しいだろうな。政治信条的には鳩山君だろうが、その義兄である鈴木総裁は平沼枢密院副議長の直系。君を牢屋にぶち込んだ張本人だ。そして中島は何を考えているかわからないと来ている」

「実はお聞き及びかもしれませんが、総裁代行を置こうという案がありまして……」


 丸眼鏡の奥から黙ってこちらを見返す高橋に、66歳になる三土は教授の最終面接を受ける学生のように、緊張した声で続けた。口の中が乾き、喉の奥が引きつりそうになる。こちらを有罪にする気で常に威圧的であった検察官の取り調べですら、これほど緊張することはなかった。


「鳩山君のいう党員まで含めた総裁公選案を取り下げる代わりに、複数の総裁代行を置くことで当面の党内対立を避けようというものです。鳩山君も数で劣勢になりましたので受け入れざるを得ないでしょうし、中島君もいきなり総裁というわけにも。中間派もふくめて3人か4人の総裁代行を置けばなんとかなるかと」

「で、肝心の総裁代行は誰が指名するのか」


 取り繕わずにずばりと切り返す高橋に、三土は中間派が苦心して作り上げた人事案を告げた。


「形式的には鈴木総裁の指名ですが、内実は党内各派からの推薦です。一種の鈴木総裁花道論でもあります。鳩山君と中島君の2人は確定として、あと1人か2人。これなら中間派も反対しないでしょう。とにかく党の分裂だけは避けるべきというのが大勢です。鳩山一派が飛び出しても、中島支持派がふて寝しても政権復帰は遠のきますから。ここは大同小異の精神で、一致結束するべきかと。時間が経過すれば両派の対立構造も…」


「……君は、いや君達は勘違いをしておる」


 背中に鉄棒を差し込まれたかのように、三土は背筋を伸ばした。


 これは駄目だ-理屈でも本能でもなく、彼の経験が半鐘を打ち鳴らす。しかし相手は目の前にあり、いまさら逃げるわけにもいかない。


「政治とは国民のためにあるものだ。政党のためにあるものではないし、まして政党内部での主導権争いなどもっての外……というのは綺麗ごと、建前かもしれない。しかし建前を投げ捨てた公党ならぬ私党に、誰が投票するものか」

「しかしこのままでは、党の分裂は-…」


 避けられますまいと続けようとする三土を、高橋は再び目線で制した。


 丸眼鏡の奥には80をとうに越えた老人とは思えない力強さがある。それが権力欲からくるものではないだろうが。


 思えば自分が裁判で駆けずり回っている頃、この人は歴代の挙国一致内閣の大蔵大臣として常に政治の鉄火場の最前線にいたのだ。この年になってもまだ変わることの出来る、変わり続けられる柔軟性。それが日本最大の財政家としての呼び声も高い高橋翁の政治家としての真髄である。


「いっそのこと、分裂すればよいのだ。さすればいかに鈍感な連中とて有権者の視線の冷たさがわかるだろう」

「……確かにおっしゃられることは正論ですが、離婚した夫婦が再婚するには、最初の結婚の時以上の力が必要です。どうにか離婚せずに、同じ家で暮らしていく方法としては、総裁代行以外に……」

「あるよ」


 三土はその言葉の意味が分からず、とっさに「は?」と聞き返していた。


 高橋はそれに嫌な顔一つ見せずに、もう一度同じことを繰り返した。


「総裁代行以外に党の分裂を回避する手段を探しておるのだろう。あると言っておるのだ」


 「いや、それは」と三土は口髭を撫でながら答えた。


 いくら裁判のため政治の中心から離れていたとはいえ、それくらいのことは三土も理解出来るだけの政治感覚はあると自負している。党の幹部が散々候補者を上げて論争した挙句、結果無理だと判断した案をいまさら出されても、どうしようもないのだ。


「……せっかくの先生の御提案を無下にするようで何なのですが、それは難しいのではありません?つまり暫定総裁案でしょう。鳩山と中島を棚上げにして、第三の候補を立てる。しかし党内が納得するような人間がいるとは思えませんし、何より党外にも党内にも火中の栗を、そもそも不人気な政友会の総裁を好き好んで引き受けるような人材がいるとも」

「おるではないか」

「……?」


 三土は首をかしげ、その可能性が乏しいと承知しながら尋ねた。


「まさか先生が御出馬されると?」


 かつての秘書に、元総理は淡々と言葉を続けた。


「鳩山一郎君は53歳、中島知久平君が54歳。そして君が66歳……わかったかね?」


 出来の悪い学生を教え諭すかのような恩師の口調に、三土忠造はぽかんと口をあけた。



- 今日、内閣改造。三土氏内相か -


 林首相は就任から1年を前に、内閣改造を行う決意を固めた。複数の政府高官によると、省内人事で反発が根強い潮恵之輔内相を始め、司相や文相など複数の閣僚が交代要員として指摘されているという。混乱が続く内務省の立て直しのため、後任には先の帝人事件において無罪判決が確定した三土忠造氏の起用が有力視されている。内務省内ではすでに政党出身者を内務大臣とすることに反発の声が出ている。


- 大阪朝日新聞(5月20日) -


- 内務省で粛清人事 三土内相『適材適所』を強調 -


先日発表された大規模な人事異動に、内務省内で激震が走っている。地方長官人事や警察人事ではそれほど変化はなく、概ね事前の下馬評通りのものであった。例外は潮前内相に反対した中堅幹部の多くに休職処分が下ったことである。適格者がいない部署では局長クラスにすら欠員が生まれ、代理の肩書きが乱立するあり様だ。三土内相は「あくまで適材適所で判断した。それ以上でも以下でもない」と述べているが、白上佑吉次官は「政治活動をしたければ、選挙にでも出ればいいのだ」と公然と宣言している。


- 中央新聞(5月29日) -


- 三土忠造内務大臣、立憲政友会総裁に -


 鈴木総裁の辞意表明により、混迷を深めていた政友会総裁人事に決着がついた。三土氏は高橋是清元総裁の直系。これまで文部、大蔵、逓信、鉄道の各大臣を歴任した政友会の重鎮であり、先の内閣改造において内務大臣に就任した。後見人に高橋前大蔵大臣が控えているとはいえ党内基盤は弱く、年齢的にも鳩山・中島の両氏と10歳近く離れていることから、次の機会を狙う両陣営の戦略とも一致したと観測筋は一致している。両陣営は三土総裁のもとで多数派工作に尽力するものと思われ、すでに党役員人事を巡り熾烈な駆け引きが始まっているとする見方もある。


- 東京日日新聞(6月5日) -



「御見事でした」

「何、弟子の不始末は師匠の不始末よ。それにあのままの政友会を放置しておくのも、原さんに申し訳ないしな」


 数ヶ月前に三土忠造が高橋是清相手に如才なさげにしていた場所で、同じように頭を垂れているのは新任の内務次官である白上佑吉。内務省において地方官・治安警察の要職を歴任した林銑十郎総理の実弟であり、2・26事件において武装警官を率いて高橋蔵相(当時)と斎藤実内大臣を救出した人物でもある。


 今回の内閣改造で三顧の礼をもって三土を内務大臣に迎えた林は、公私混同批判を跳ね除けて、白上を次官とした。省内の反発は予想通りであったが、白上はその現状を逆手にとる形で反対派を炙り出し、粛清人事を断行したのだ。


「陸軍の粛軍もひと段落しましたゆえ、次は内務省というわけです。後藤さんはもういないということを、彼らには理解してもらわないといけません」


 そう嘯く内務次官に、高橋はやんわりとした笑みだけを浮かべた。


 後藤文夫は、政党政治に批判的な革新官僚の親玉的な存在として農林大臣や内務大臣を歴任した大物官僚である……いや、であったと過去形で語るべきか。


 革新官僚の中には明らかに社会主義的傾向の人物もいるが、多かれ少なかれ共通するのは、政党政治家の影響力を出来る限り排して、自分たちの官僚としての職責の及ぶ範囲を増やしたいという点である。ひとつ規制をつくれば、その分だけ影響力を増やせる。無論、必要な規制もあるのだろうが、どう考えても馬鹿馬鹿しいとしか思えない規制があるのも事実だ。


 内務省の相川(勝六)や唐沢などは自分達の政治的後見人である後藤ですら手ぬるいと突き上げていたが、その後藤は2・26事件で反乱軍に殺害された。


 にもかかわらず(ある意味当然のこととは言え)政党に批判的な内務省の中堅幹部や若手は、現政権が政党出身者を優遇しているとして、押さえ込む領袖が不在となったことで今まで以上に言動を激化させていた。


「党弊批判には私も同意するところがあります。鳥取県知事時代に散々苦労させられましたからね。しかしだからといって官僚が好き勝手にやって良い理由にはなりません」


同じ内務官僚でありながら、革新官僚について語る白上新次官は驚くほど冷ややかだ。


「陸軍ですら政治的な要求を韜晦させるだけの知恵があるというご時世に、文官があれでは示しがつきません……総理は十分に妥協しました。内務大臣に次官経験者の潮氏をあてたのもそうです…もはや憚る理由などどこにもありますまい」

「ろくでもない連中が多いとしても、代議士という生き物は有権者に選挙による洗礼を受けているからな。身内の理屈に閉じこもる連中と、どちらが国民経済の肌感覚に近いかといえばな。比べることすらおこがましい」

「高橋先生のおっしゃる通りです。政治と行政の境目は、ある程度再定義する必要はあるでしょう」


 わが意を得たりと大きくうなずく白上。


 大久保利通と山縣公爵が中央集権化政策のために作り上げた内務省は、自由民権運動以来、政官の攻防の最前線であった。内務省の管轄は地方行政から宗教政策、警察に土木、港湾、労働に社会政策と多岐に及ぶ。


 だからこそ内務大臣は長らく事実上の副総理格として取り扱われてきたわけであり、政党政治家はこぞって内務大臣ポストを希望した。高橋は先の内務省人事も踏まえたうえで、白上の発言が暗に内務省分割やむなしと仄めかしたものと受け止め、それを確認するために再度尋ねた。


「再定義か。しかし省内がそれで納得するかね」

「当然ながら次官ポストも局長級ポストも増えるでしょう。出世欲は何も政治家の専売特許ではありませんからね」


 「なるほどな」と初代特許局長も務めた高橋は笑いながらも、愛弟子の苦労に思いを馳せた。あれも難儀な時に内務大臣を押し付けられたものだ。


 陸軍もおそらくはこの動きを歓迎するだろう。特に参謀総長閣下などは手をたたいて喜ぶはずだ。今の陸軍首脳部は本音をうまく隠すだけの知恵を身につけているとはいえ、その本音は誰でも知っている。


 三土を「内務省を陸軍の手先に貶めた」という批判もあると聞く。だがこれを乗り越えることが出来れば、彼は政治家としてさらに一皮むける存在になり得るだろう。


 それこそ私の後見がなくともだ。


「いわば車の両輪というわけです。官僚がいなくても、政治家がいなくても車は前には進めません。これを解決できれば、三土総裁の上につく『暫定』の二文字が消える日が来るかもしれませんね」

「……さて。それはどうだろうか」


 高橋は白上の先走った追従に、あえて首をかしげながら疑問を呈した。


 愚者は自らの経験からしか判断できないというが、歴史から学ぶのは何も賢人ばかりではない。明治維新より約70年。チョンマゲを切り落としてから、まだ1世紀も経過していないとは言え、赤子が還暦を超える以上の歳月が流れた。たかだか70年で人間の本質が変わるはずもない。


 3年後には紀元二千六百年を迎えるというが、神話の時代から人間が肉体的にも精神的にも劇的に進化したわけでもない。そして過去に前例のない問題というものも確かに存在するのだ。


「老婆心ながら言わせてもらうが、政治において前進は後退と同義語だよ。誰も彼も前に進もうと主張するが、自由主義者の前進は、社会主義者にとっての後退だ。国家主義だのアカだの保守だの…それぞれの立場が入り乱れておる。東西南北、どちらに進むのが前なのか。誰が正しいと判断するというのかね」

「それは簡単です。車の運転手ですな」


 誰が車の運転手かは言うまでもない。両手で車のハンドルを回すような素振りをした白上を、高橋は丸眼鏡を外して見据えた。


 瞬間、白上は数ヶ月前の自身の上司のように自らの失敗を悟った。


 恰幅の良い体に達磨のような顔立ち。しかし眼鏡の下の団栗眼の奥には、柔軟な考えの奥底にあり若い頃から一貫して変わらない抜身の日本刀のような老人の本質がたしかに光っていた。


「林君に伝えておきたまえ。三土は煮ようと焼こうと好きにすればよい。それが総理というものだからな。一度死んだ身、この老人に出来ることなら何でもやろう。しかしだ……行き着く先が地獄であろうと崖の下であろうと、付き合ってもらう。運転手として、その覚悟だけはしておくように」


 背中に流れる嫌な汗を感じながら、白上は無言で頷いた。


・親父の一件で長閥に恨みのある全盛期の東條首相ですら気を使ったという寺内伯爵。地味に親子2代で元帥。かみなり親父のイメージ。

・とりあえず高橋是清出しとけば、日本経済は大丈夫という安心感と信頼感。大変便利です。

・若い頃の(具体的にはペルー鉱山時代前後)の眼鏡かけてない高橋是清の写真を見たことがある。とんでもなく怖いんですよこれが。とにかく目が怖い…あれがどうしてああなった。


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・厄介なのは陸軍だけだと思った?残念、内務省も一筋縄じゃ行かないんだよ。

・なお外務省と海軍さんにも魑魅魍魎がいっぱいなんだなこれが。陸軍以上の●ガイだっているらしい。

・商工省や農林省は、「私有財産?なにそれ食べ物?」という母なるモスクワの本家が裸足で逃げ出すアカから、「国なんてなくてもいいんだよ」という米帝真っ青の自由放任論者まで多種多様な人材を取り揃えております。

・そして結局は財布を握る嫁さんと大蔵省主計局には勝てないんだなこれが。

・政党政治は崩壊したけど、政党は健在。社会主義政党から国粋主義政党まで多種多様!彼らの後ろには国民がいるから無視したらえらいことになるよ!そして議会でごねたら予算案一つ通らないんだって。

・社会主義かぶれの新聞や知識人は一年中悪口しか書かないし、言わないぞ!

・経済界には米帝自由主義全盛時代以上の環境で勝ち残ってきた怪物がわんさかいるよ!(なんせ独占禁止法も労働三法もない時代)増税?ハッハッハ!…あ?もしもし政友会(民政党)さん?ちょっとこっち来てくれる?(ほんま財界は伏魔殿やでぇ…)


・さあ、君もこれらを全て踏まえたうえで、好きな内閣を組織して第2次世界大戦に臨もう!

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[良い点] 改稿ありがとうございます。 原敬無き後の政友会というか政党政治は、船体も乗組員も揃えて出港する瞬間に『船長』だけが居なくなった感が何とも…… 元老という権威無しで内閣を舵取り出来た数少ない…
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