日本国外務省のポーランド外務省への抗議声明 / 東京日日新聞の連載記事『宰相論』 / フリー百科事典より「五相会議」とは / 永田町 総理官邸 2階 閣議室(1938年10月)
『権力は、それをもたない者を消耗させる』
ジュリオ・アンドレオッティ(1919-2013)
拾月七日、日本政府外務省ハ、波蘭外務省ニ対シテ以下ノ通リ抗議声明ヲ発表シタ。
日本政府ハ今回ノ波蘭政府ノ対応及ビ対応ニ対シテ強イ不満ト遺憾ノ意ヲ表明スル。一切ノ猶予期間モ設ケラレズニ行ワレタ旅券法改正ニヨリ、弐萬人モノ無国籍者ガ誕生シタ。敗戦ニヨル一時的ナ特異状況ヲ除ケバ、国籍ノ一方的ナ無効化ナド前代未聞デアリ、コノ対応ニヨリ引キ起コサレタ混乱ノ全責任ハ波蘭外務省、及ビ其政府ニアル。日本政府トシテハ今後二度トコノ様ナ事態ガ起コラナイ様ニ求メルト共ニ、無国籍トナッタ元波蘭国民ヘノ何ラカノ対応措置ヲ求メル。以上。
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現在、欧州ではファッショと共産主義の嵐が吹き荒れております。先の大戦以前、イギリスに代表された保守主義対自由主義という二大政党体制は、世界恐慌により完全に崩壊しました。国民の支持は左右の過激派に流れ、力を失った自由主義政党に変わり、二大政党の一翼を担うと期待された社会民主主義勢力、イギリス労働党や独逸SPDも、単独で政権を担う実力を形成する前に埋没。結果、国家主義対社会主義、あるいはファシズム対共産主義といった二極対立が各国で吹き荒れております。両者の対立は議会の中にとどまらず、ついにはスペインでは内戦という形で噴出しました。
我が日本も例外ではありません。犬養内閣以降、政党内閣は崩壊し、挙国一致体制が続いています。昭和8年頃より続く経済の回復、また次期宰相と衆目の一致していた近衛氏失脚により、新党構想や政界再編の見通しは立たなくなりました。既成政党が忌避される状況は続いていますが、社会主義政党である社会大衆党は内紛が続いており、国家主義政党も勢いがありません。前代未聞の国軍クーデターであった2・26事件の後、消去法により選ばれた林内閣がズルズルと続いているのがその証左であります。
皇紀二千六百記念式典、東京五輪まであと2年。大陸情勢は未だ混沌とし、次の政権の形が見えない中、日本は果たして誰に国家の命運を託すべきなのか。東京日日新聞は10月より特別連載企画として『宰相論』を開始します。第1回は「大衆政治とポピュリズム」を主題に、各党の論客に語って頂きたいと思います。皆さん、よろしくお願い致します。
参加者一覧(司会は本紙編集委員)
・古島一雄(勅撰貴族院議員。元代議士)
・砂田重政(代議士。立憲政友会幹事長)
・小泉又次郎(代議士。立憲民政党総務、前幹事長)
・水谷長三郎(代議士。社会大衆党中央委員)
・安達謙蔵(代議士。元内相、国民同盟総裁)
古島:いわゆる3バンと呼ばれるものだが、政治家に必要なものが3つある。地盤と看板、そして鞄だ。地盤は候補者の後援会や各種支持団体、党の地方組織。看板は知名度、候補者の個人的な人脈の総称と言い換えていいかもしれない。そして鞄は政治資金。候補者のこれまでの政治活動の成果だな。この3つがなければ代議士にはなれない。しかし宰相となるとその3つではものたりない。
水谷:目指すべき国家像、あるいは国家観や人生観ではおまへんのか?
古島:なければ困りものだが、なくても何とかなるものだ。宰相に必要なのは実力と人気、そして運だ。最初の2つは地盤・看板・鞄の延長線上にある。3つあるのが望ましいが、大抵はひとつしかない。実力があっても人気がない、これは官僚政治家によくあるパターンで、その代表格が平沼枢府議長。人気-看板があっても実力がない。これは近衛さんだな。そして運だが、これは難しい。運も実力のうちといえばそれまでなのだが。さてそう考えると、林さんは運がいいのか悪いのか、わからん人ではある。陸軍のトップなのだから実力はあるのだろう。人気は推して知るべしだな。
(司会):あの古島先生、勝手に話を進めないでいただきたいのですが……
安達:指摘しておくと、大衆的な人気と、永田町における人気とは全く別のものだ。
古島:その通り。犬養木堂(毅)が昭和4年(1929)に政友会の総裁になったときもそうであった。当時の政友会は不人気の真っ只中。木堂は大衆的な人気はあったが、党内における人気がなかった。政友会の外様故に政治基盤がなかったからな。おまけに貧乏で金がない。地元では看板、つまり自分の名声だけで当選を続けてきたような男。前者で後者を補完しようとしたが、党内の督軍(派閥)に利用されるだけに終わった。
水谷:近衛公は大衆的な人気はありましたな。官僚、軍部、政党にマスコミと各勢力からの受けも良かった。今となっては馬鹿馬鹿しい限りやけど、ゾルゲ事件の前までは近衛新党がいつ結党されるか、挙句に党の綱領もないのに党役員人事まで流れておりましたし。
砂田:私も2枚ほど保管しておりますよ。
小泉:近衛内閣の閣僚名簿なら私も持っていますぞ。
安達:わたしも後藤(隆之介)が作ったものなら。
(司会):そんな事で張り合わないで頂けませんか。では近衛新党構想が潰れた今、新たな政界再編についてはいかがお考えですか。
古島:果たして近衛君に、その人気を政治的な原動力に変えるだけの実力があったかどうかはわからんがね。大衆的な人気はともかく、各勢力から人気があったというのは、誰にとっても都合が良かったからだ。犬養木堂がそうであったように。木堂はそれでも自由民権運動家としての並ぶものなき名声と、小政党を率いた経験があった。近衛には家柄と大衆的な人気はあったが、それだけしかなかった。
安達:欠席裁判のようだが、まあたしかにそれはそうだ。公が社会主義的な傾向があったところは誰もが知っていた。それがインテリからの人気にも繋がっていた。公のブレーンにも社会主義者は多数いたことは確かだ。しかし公自身が主義者というわけでもない。近衛新党なるものが出来ていたとして、水谷君の期待するような社会主義政党になったかどうかは疑問だ。
水谷:それを言うのなら既成政党中心の近衛新党構想こそ……中島(知久平)元鉄相などは伊藤博文公爵の役割を近衛公に期待しておられたようですけど、それこそ同床異夢というもの。既成政党が自由主義と市場経済への幻想を止めるのならまだしも…そもそも統制という言葉は、我ら革新政党の専売特許でっせ。それを勝手に新党の標語や政策表題に使った挙句、必要がなければ使うのをやめるとは。ええ加減にしてほしい。
小泉:どちらでもいいじゃないですか。饅頭の本家争いじゃないんだから。それに貴方々の主張が広く認められたということなんだし……
水谷:これだから既成政党は!我らのいう革新は、体制全体も含めた革新体制の構築のこと。しかし貴方々の言う革新は、政党の名前の書き換えやないですか。一緒にせんでいただきたい。
砂田:雨の時には傘をさすが、晴れの日には仕舞うべきです。革新は結構だが、晴れの日でも雨の日でも傘をさし続けることに、何の意味があるのですかな。
水谷:嵐の日に傘を勝手に持っていって、その言い様は如何なもんですかね。
(司会):まぁ、そのぐらいで。ではあの、そろそろ政界再編の見通しについて。
安達:そんなものあるか。大体、この状況でどう身動きすればよいのだ。
小泉:そもそも林内閣がこれだけ長続きするとは、誰にとっても想定外だったのだ。2・26事件は事実上、海軍内閣を陸軍がクーデターで潰したのだから。陸軍と海軍との対立を恐れて、誰も火中の栗を拾いたがらなかった。広田(弘毅)外相が大命を辞退したため、消去法で成立したのが陸軍におけるクーデター鎮圧強硬派だった林大将だった。この状況で陸軍内閣など、長続きするわけがない。我ら(政党)もそう考えていた。
砂田:内閣発足直後から、政党再編含みでポスト林が囁かれていましたからな。近衛新党と宇垣新党だ。官僚や軍部の動向はともかく、衆院において近衛派は民政党の永井文相に、政友会の中島、前田(米蔵)。宇垣新党は民政党の、亡くなられた冨田(幸次郎)先生や、俵(孫一)商相、政友会なら、こちらも亡くなられたが山本悌二郎先生に鳩山(一郎)先生。
水谷:外部から見ておりますと、どちらかといえば第2次若槻内閣の協力内閣から始まる政民連携運動の流れを汲む宇垣新党と、革新色の強い近衛新党という違いはありましたが、結局は政友界と民政党の入り乱れた派閥争いでしたな。実現するにしろせんにしろ、将来の浸透を見据えての党内での主導権争い。我が社会大衆党は政策を第一にそのような争いには-
古島:誰にも相手にされていなかっただけだろうが。
水谷:開拓者はいつの時代も異端児扱いされるものでっせ。
安達:よくいうよ、この人は(苦笑)
小泉:まぁ、まぁ。とにかく近衛さんはあの始末。宇垣大将はロンドンです。担ぐみこしがなければ、担ぎ手が仲良くし続ける道理はありません。宇垣新党系の一部は反ドイツで運動しているようですが、大勢ではありません。
(司会):宇垣大将はすっかり存在感が希薄になってしまわれましたね。朝鮮総督からの異例の抜擢、林大将は最初からそれを意図しておられたのでしょうか?
安達:日英関係の悪化の原因は幣原外交にもあるが、英国側にもある。ボールドウィン内閣がメモランダムでワシントン条約体制から逸脱して勝手に関税交渉を持ちかけたのだからな。結果、日英関係は希薄化した。私としては英国にもっと強い姿勢で臨むべきという考えだが、英国に満洲国の承認をさせた功労者は、間違いなく宇垣大将。宇垣大将だからこそ大陸問題で混乱した日英関係を整理出来たのだし、今回の日英経済交渉も大将の尽力なくば成功しなかっただろう。林総理が何をしたかは知らないが。
小泉:それは内政においても言えることだ。林大将は大した人ではないが、阿部(信行)官房長官、あれは食わせ物だ。政友と民政が新党構想で躍起になっているというのに、それを利用して閣僚を通じて政党を牽制したのは、事実上あの男だ。町田総裁(民政)や三土総裁(政友)は、閣僚であることをいいことに、政府を監視するどころか、党内で反執行部勢力に対峙する始末。挙句に林大将は、さも自分は政権の維持に興味がないと振舞っておきながら、いつの間にか2度も内閣を改造してしまった。あの原敬ですらできなかったことを2回もだぞ?
砂田:高橋(光威)書記官長を越えた名長官か。しかし林大将も中々のものだよ。自分でなければ陸軍は治まらないと仄めかしながら、だらだらと2・26事件の軍事裁判を「真相究明」をお題目に引き伸ばして、居座る理由としている。結論が出ていないからどこに飛び火するかわからない。だから反林派は沈黙せざるを得ない。いや、実際には渡辺総監の思惑かもしれないが。
安達:阿部-渡辺のラインか。ビリケンの息子に政治的な腹芸ができるとは思えないし、そう考える方が自然か。懸念材料であった海軍には予算と元帥杖をばら撒いて懐柔してしまった。あとは高橋翁(是清)か。あの老人が近衛公の政治的な遺産ともいえるブレーンを継承して、経済財政政策を事実上牛耳っている。
小泉:それに重臣ブロックとも悪くない。機関説問題で弱体化した宮中に政権と対立するだけの力がないのは事実だが、内閣としては決定的に対立する理由もない。敵を無闇に作らないという多数派工作の原則を徹底しているとも言えますが。
水谷:林内閣はずるいんや!他人に汗をかかせて、手柄は自分で総取り。不在地主や金融資本家も真っ青!
(司会):では林大将についてはどう評価されますか?
古島:君、それがこの政権の難しいところだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花かもしれんが、結局のところそれで誰も困ってはおらんのだ。景気は回復しているし、戦争にも一応勝った。陸軍はおとなしくなったし、海軍は予算をもらって大喜び。内務省を懲罰するためとも言われる省庁再編といっても、事実上のポストの拡大とバラ撒きだ。この状況で誰が反対する?だから誰も正体を確かめようとしない。誰も困らないからだ。
安達:その点、藩閥政権や超然内閣が相手のときはやりやすかった。わかりやすい「敵」が明確だったからね。敵の実力や、実際に強い政権かどうかは、この際関係がない。明確な敵はバラバラの味方を団結させる。一度離合集散した民権運動を再結集した大同団結運動も、2度の憲政擁護運動もそうだった。運動内部の意見対立があっても、敵を倒すことを最優先にすれば妥協が可能だった。それが今は明確な敵がわからない。だからポスト林も盛り上がらない。
小泉:『出たい人より出したい人』の象徴だった近衛さんが失脚したから、余計にそうだ。どれだけボロボロでも受け皿があれば、大衆の期待は勝手に盛り上がる。受け皿がないから、誰も政治に積極的な期待をしない。景気も回復しているし。
水谷:とは言うても先の選挙から既に2年半が経過してます。次の選挙まであと1年半ほどしかおまへん。そりゃあたしの党も人のことは言えませんが、政友はんや民政はんは、三土総裁や町田総裁で選挙を戦えますか?
古島:つまりは次の選挙次第だ。林大将は各政治勢力への手当は出来ても、実際に選挙を経験したことがない軍人。水谷君も実際にやってみてわかっただろう。
水谷:えぇ、それは痛いほどに。
古島:民意というものは誘導できるような代物ではない。民意にばかり従う政治も困ったものだが、民意に逆らう政治は長続きしないのは歴史が証明している。ただ民意の多数派が必ずしも政治的な最適解を導くというわけでもない。日比谷焼き討ち事件の民意に従えば、日本は日露戦争で破綻していたかもしれない。しかし当時の民意を無視したことは果たして正しかったのかどうか。林大将も同じ命題を、次の総選挙で突きつけられることになるだろうよ。
- 東京日日新聞 特集連載『宰相論』より抜粋 -
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・五相会議(朝飯会の項目より移動)
五相会議は昭和前期の日本の内閣において開催された、外交安全保障政策に関する重要課題について審議する会議である。現在の国家安全保障会議の前身。
同会議の開催が初めて公文書により確認されるのは昭和8年(1933年)10月3日の斎藤実内閣が開催したものである。出席者は内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚であった。大蔵大臣は経済財政、および予算編成の責任者としての参加である。当初、同会議は公式的なものではなく、あくまで非公式の閣僚協議であったが、林内閣の下で定期的に開催されるようになり、日中戦争(1937年)の後に、月1回の定例化が決定された。昭和13年(1938年)には議事録作成の為、内閣府に事務局が設置。官房長官が参加するようになるも、依然として五相会議と呼ばれた。林内閣において朝食会の果たしていた外交安全保障当局者の非公式な意見交換の役割は、次第に五相会議へと移行したとされる。
出席者は基本的に前述の5大臣であったが、首相の要請により警察当局を管轄する内務大臣やその他の閣僚、両統帥部の総長等が出席する拡大会合がある。昭和30年(1955年)の国防省発足により、陸海両大臣に代わり、国防大臣と統合参謀本部長が出席するようになった。
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林内閣の発足以来、大蔵大臣の椅子は結城豊太郎が占めている。彼は林内閣における唯一の民間出身の閣僚であり-正確に言えば昨年より勅撰貴族院議員に選ばれたので純粋な民間人ではないのだが、もう一人の宮城長五郎(司法大臣)は検事出身であるため、純然たる民間出身の大臣は結城しかいない。特徴的な張り出た額はいかにも切れ者らしい印象を周囲に与えるが、その顔全体で見ると、どこか強さに欠けている感がある。
経歴は一流、能力は折り紙つきだ。日本銀行におけるエリートコースを歩んだ総裁候補であり、幹部職である理事となるも、安田財閥創設者兼総裁の安田善次郎の不慮の死をうけて、三顧の礼をうけて安田財閥の総裁を引き受けた……というよりも恩師である高橋是清により引き受けざるを得ない状況に追い込まれたのだが。その後も(昭和恐慌下で難しい政治案件絡みが山積していた)日本興業銀行の総裁、(すったもんだの末に成立して誰も引き受けたがらない)商工組合中央金庫の初代総裁を歴任。その背後には尽く達磨宰相の影があった。
結城蔵相からすれば、高橋是清内閣参議は自らを引き立ててくれた恩師であるのと同時に、無理難題を押し付けてくる疫病神のような存在である。「日本経済のため、君の愛国心と能力を見込んで頼む」という殺し文句に抵抗できない結城の性格に問題があるのかもしれないが、彼が日本銀行に入行した当時、高橋は副総裁として日露戦争の戦時外債引き受けで海外を飛び回っていた。実力派副会長直々に目をつけられた新入社員はたまったものではない。
残念ながらというべきか幸いなことにというべきか、この人にはその期待に応えるだけの能力と勤勉さを兼ね備えていた。高橋はその後も、この人を経済界における代理人として存分に扱き使い、ついには結城は大蔵大臣にまで上り詰めた。当人からすればありがた迷惑というか、なんと言うか……
結城は書類から顔を上げると、眼鏡を外して眉間を揉んで閣議室をぐるりと見回した。林内閣以前はコの字形であったという閣議室の机は「威圧感を与えないため」という総理直々の意向により、楕円形のものに代えられたという。通常の閣議よりも五相会議は当然ながら出席者は少ないが、大臣を補佐する人員が多数同席しているためいつもよりも部屋にいる人数は多いかもしれない。
入口から最も遠い席、楕円形の頂点に位置する場所に、総理大臣にして元帥陸軍大将の林銑十郎が座っている。林総理からは向かって左側に米内海相が、右側に結城蔵相が。机から少し離れた場所に、阿部信行官房長官が書記役の官邸職員と共に小さな椅子に腰かけている。
陸相と外相を兼任する林の背後には、林桂陸軍次官と沢田廉三外務事務次官を始め、秘書官らが簡易な椅子に座り、黒子のように控えている。机が楕円形になろうとも、その光景は周囲に十分に威圧感を与えるものであった。そもそも正式な出席者5人(総理・陸相・海相・外相・蔵相)の内、3つを1人の人物が兼任しているのだ。
「これでは三相会議だな」と会議前に米内光政海相が目だけが笑っていない笑顔で爽やかに語っていたことを思うにつけ、結城はさっさと終わらせるに限ると考えながら会議に臨んでいた。もっともその目論見が成功したことはほとんどないのだが。
「では日英条約および関税協定の改訂については原案通りで、御異議ございませんか」
頭髪を剃り上げた林総理に代わり、豊かなロマンスグレーの沢田次官が了承を求めると、米内と共に結城は頷いて応じた。視線の端では阿部官房長官が何やら秘書官らに指示を出しているのが見えた。考えを他に巡らせながら、書類の文面と次官の説明に相違がないか確認をすることなど、結城にとっては造作もないことであった。しかしそんな彼にも出来ないことはある。経済界においてそれなりの修羅場を潜ってきたのだが、例えば目の前で無表情のまま書類を捲る米内が何を考えているかはわからない。口髭を捻る林総理に至っては、考えがあるのかどうか、それとも何も考えていないのかすら確認できない始末。
「それでは次の議題に。猶太人対策綱領に関してですが-」
沢田の回りくどく長たらしい説明が始まると、結城の右隣に座る賀屋興宣大蔵次官が、その肥満気味の体を屈めるようにしてメモを始める。痩身の結城と並ぶのを当人は嫌がっているが、それこそ大臣の知ったことではない。仕事の手の抜き方は達磨宰相譲りであると自嘲気味に自任する結城は、憂い無く自らの考えに没頭することが出来た。
そもそも日本にとってユダヤ人問題は、対岸の火事以外の何者でもない。
ナザレの大工の息子だか何だかを裏切った民族だの、約束の地だのと言われても、そんなことは欧州-どれだけ広く解釈しても中東か南北米大陸までの話である。夫婦喧嘩は犬も食わないというが、ユダヤ・キリスト・イスラムという、御家相続と遺産相続で延々と争う「兄弟喧嘩」にかかわり合いになりたくないというのが本音である。
この内、キリスト教は宗教改革とフランス革命以後の混乱により、事実上世俗の政治勢力としては脱落したが、ユダヤ教との因縁はくすぶり続けている。血統的には約束の地を追放されたユダヤ人と欧州の放浪の民とは血縁関係にはないとされるが、それでも20世紀近く継承し続けた固有の歴史と文化、なにより宗教的な信念が彼らのコミュニティを排他的なものとした。今となっては排他的だから疎まれたのか、疎まれたからこそ排他的になったのかはわからない。
欧州各国に民族自決の概念が広まり国民国家として再編されていくと、ユダヤ社会はさらに排他的に扱われるようになった。固有文化や宗教的慣習を頑なに守る姿勢が、政府にとっても主要な民族を形成する国民にとっても疎ましくなったのだろう。こうした流れを背景に、厳格な政教分離を掲げるフランスで発生したドレフェス事件(1894)は、各国のユダヤ人社会を刺激。既存の国家体制の枠組みの中に自らの居場所はないと考え、シオニズム運動が勃興した。
こうした流れに逆行するかのように最後までユダヤ人を保護し続けたのが、二重帝国のハプスブルク家である。二重帝国各地で勃興した民族運動はご多分に漏れず、国民の基盤となる民族を形成するために、反ユダヤ思想を鮮明にしていた。元々は親ユダヤというわけでもなく帝政を守るための策でもあったのだろうが、フランツ・ヨーゼフ帝は反ユダヤ運動を拒絶し、彼らの庇護者となった。ユダヤ人社会-特に富裕層にとっても帝政支持と引換えに自らの立場を守ろうとする思惑があったと思われる。フランス人の言を借りるなら、アンシャン・レジームの仲間である両者の戦略的な同盟とでもいうべきであろうか。
この同盟は世界大戦により終結。二重帝国は民族自立の名のもと、国民国家として独立し、ユダヤ人社会は国境により強制的に分断・再編された。当然ながら反ハプスブルクであった新興独立国の政権担当者が、ユダヤ人社会に融和的である理由などない。多民族国家を目指したポーランドですら、カトリック色の強い民族国家の色彩を強め、今回のようなユダヤ系住民の強制的な国外追放を後押しした。
つまるところシオニズム運動の、既存の国家にユダヤ人社会の居場所はないという主張はある意味においては正しい。
戦後、旧オスマン帝国のシリアは「開放」され、英仏の信託統治が密約により決定していた。この間の3枚舌外交の一部はモスクワの赤化政権の外交文書の暴露により明らかにされている。紆余曲折の末に大正11年(1922年)には国際連盟常任理事会決議により、シリア南部のイギリスの委任統治が始まった。イギリス委任統治領パレスチナの始まりである。初代の高等弁務官はイギリス人のハーバート・サミュエル。当時の政権与党である自由党で閣僚を歴任した有力政治家であり、自身もユダヤ人だ。
大戦中にありとあらゆる方面に良い顔をしたイギリス人らしい解決策だが、これによってイギリスがこの問題から手を引けたわけではない。むしろ戦後も一貫してこの問題に取り組み、水利権問題などで各勢力から突き上げを受けて苦悩している。戦争に勝つためやむを得ないとイギリス人は言うだろうが、半ば自業自得という気がしないでもない。しかしこの安保理決議には当時の常任理事国であった日本も賛成している。あえて反対するだけの利害関係も理由もなかったからだ。
とはいうものの……結城は眼鏡を外し、胸のハンカチでそれを拭いた。沢田次官の御説明はまだ続いている。目の前では米内海相が腕を組んで微動だにしていない。その横には賀屋次官とはロンドン海軍条約の全権団として因縁のある山本五十六次官が、神経質そうな仕草で手元の手帳に何かを書き込んでいる。「文字通り」殴り合った因縁のある賀屋次官に言わせれば「米内の忠犬」である山本中将は、次の連合艦隊司令長官(GF)の内示が出たらしい。
ふと賀屋がメモを差し出した。その内容はおおよそ自分が考えていたような内容に沿うものだが、より体系的でありかつ要約されたものだ。ならばもっと端的に話せばいいものをと不満を漏らしつつ、結城はさらに自分の考えにふける。
もともと委任統治の制度は国際連盟の創設したものではない。占領した旧同盟諸国の領土問題や植民地の統治の正当性に困った連合国が、苦肉の策として生み出した制度だ。確かにパレスチナにしても連盟常任理事国は最善の努力を尽くしたのだろうが、中途半端な妥協は全ての勢力から不満を呼んだ。その中で最もロビー活動を力を尽くした(それだけの資金力と組織があった)シオニズム団体は、イギリスの全面的な支持とその庇護を選んだ。
確かにそれは成功した。シリア南部、ヨルダン川東岸は(こちらも長いすったもんだの末に)ハシーム家に割譲されたので西岸ということになるが、実質的な政治的成果を最も獲得したのはユダヤ人である。
パレスチナ人-西岸に在住していたアラブ人は当然ながら反発したが、元々この地域はそれほど人口密集地域だったわけではない。斜陽のオスマン帝国は、エジプト総督(現在のエジプト王家)と領土を争ったが、イギリスなど列強の支援によりなんとかこの地を取り戻した。しかし本国での革命運動に追われ、最前線であり政治的にも軍事的にも重要拠点であるこの地に、まともな資本投入は出来なかった。各宗派のコミュニティがひっそりと密集していた聖地を除けば、荒涼とした大地がただ広がるだけ。早くからユダヤ人が大規模な灌漑を行って農場経営に取り組み、身銭を切って公共資本投資をしなければ、まともな都市が存続していたかどうかすら疑わしい。
ユダヤ人社会がイギリス信託統治の中で多数支配の原則を否定したのは確かだが「誰が今まで一番金を出したと思っているのだ、アラブ人は自分達の資本にタダ乗りしているだけではないか」と言われては、銀行家の結城豊太郎としても否定しづらいものがある。しかし国家は市場の理論だけで動くような合理的なものではないことは、素人政治家である結城豊太郎ですら理解出来た。そもそも人は不合理な存在なのだ。その集まりである国家が合理的であるはずがない……
そこまで考えを巡らした彼の脳裏に、突如として達磨宰相の激怒した顔が思い浮かび、思わず首を竦める。
大臣の挙動に「どうされました」と賀屋次官が小さく尋ねたが、小さく手を振って誤魔化す。理屈より実践あるのみ、くだらぬ理屈に思考を巡らす前に動けと激を飛ばす副総裁時代の高橋は、文字通り鬼のように恐ろしい存在だった。そういえばお前は理屈っぽいとよく怒られたものだ。柔和になったのは風貌だけで、その内面は何一つ変わっていない。政治的な狡猾さを身につけて、より狷介な老人となった。結城にとっては迷惑以外の何者でもない。
「……という具合です。もっとも信託統治領パレスチナの問題は、参考として聞いて頂ければ結構です」
長々と話した説明の最後をそうまとめた沢田に、結城は思わず崩れ落ちそうになった。確かに、この問題の複雑さと繊細な部分を閣僚間で共通のものとするために必要だったのかもしれないが、もう少しやり方はあっただろう。米内海相ですら呆れた様な視線を向けている。平然としているのは林総理くらいのものだ。一挙に悪くなった場の空気を切り替えたいのか、首相と同姓だが血縁関係はない林桂陸軍次官が咳払いをして話を引き継ぐ。
「今回のポーランド政府の対応により、大量のユダヤ系難民が発生しました。現地の駐在武官からの報告を踏まえて検討した結果、陸軍ではシベリア鉄道を通じて満洲、あるいは上海に流入してくる可能性があると考えています」
「対岸の火事が、とうとう極東にまで飛び火してきたわけですか」
米内海相の言は聞き様によっては陸軍批判にも受け取れる。そもそも満洲国の建国に代表されるように大陸に深入りしなければ、このような問題に煩わされずに済んだのではないか。歴代内閣にも、むろん海軍にも了承を得ずに好き勝手なことをしてきたからではないかという当事者からの強烈な皮肉だが、林総理は「その通りだ」と額面通りに答えただけであった。その面の皮の厚さは我が恩師と良い勝負である。その林は書類に目を通しながら現状を語り始めた。
「ポーランド政府の旅券法改正による国籍無効処置により、2万人近いポーランド系ユダヤ人が無戸籍となった。上海のユダヤ系コミュニティ、満洲のユダヤ人団体から保護要請、あるいは帝国政府に支援を求める声が出ている」
「満洲は移民を歓迎していると聞きます。満洲に任せれば良いではありませんか」
米内海相の指摘に結城も頷く。
満洲の現内閣を率いる「豆腐先生」こと張景恵総理は国籍法を制定し、二重国籍を承認。積極的に海外からの資本や労働者受け入れを表明している。近隣する大国のソビエト連邦や中華民国は満洲を国家として承認していないため、満洲国政府は政治難民以外の受け入れを拒否している(その代わりに不法移民問題に悩まされているが)。
そして日本政府は明治維新以来、お雇い外国人の法的な地位の問題や官吏採用もあり二重国籍を認めていない。中長期的には日系住民の影響力低下につながりかねないため、関東軍や日本政府は満洲の国籍法制定に否定的だった。
当たり前のことだが豆腐先生が日本政府の意向を無視し、独断でこれほど重要な政策を進められるわけがない。地理的にも欧州から陸路で来る難民の最初の受け入れ先となるのは満洲国。ドイツとの関係を考えるのなら、これ以上ない「防火壁」である。
しかし林はその考えを否定した。
「残念ながら、両大臣の期待には応えられそうにない。ベルリンの満洲国公使館、あるいは日本大使館前には保安警察がずらりと並んでいる」
「……監視ですか」
「警護だよ結城君。最近はベルリンも物騒らしくてね」
林はさらりと流したが、その背後では紳士で知られる沢田次官が感情も顕に、苦々しげに口元を歪めている。ドイツ大使館の職員全員が東郷茂徳大使のように腹が据わっているわけではない。ドイツ政府からすれば人種政策に口を出すなという警告なのだろう。無論それはポーランド政府も同じであり、沢田が直接抗議をしても、ロメル大使(駐日ポーランド大使)は能面のような表情で本国からの訓令を読み上げるばかりであった。
「満洲国政府にはドイツ政府から度重なる抗議が来ている。満洲におけるロシア・ファシスト党の活動禁止処分、反ユダヤ系新聞の取り締まり強化、シモン・カスペ殺害事件の再審請求…尽く彼らのお気に召さないらしい。どちらが内政干渉かわかったものではないな?」
「河豚計画への影響を避けるためにも認められない、そういうわけですか」
米内の問いかけに林は直ぐには答えず、机の上で両手を組み合わせる。
日露戦争におけるジェイコブ・シフの経験から、日本政府は、満洲事変においても放浪の民を利用した対米接近、あるいは対米改善計画を目論んでいた。系統的には井上馨や藤田伝三郎、久原房之助らの流れを汲む長州出身政商ではあるが、縁戚関係にある岸信介と同じく独自の社会的正義感と勝負感の持ち主であった日産コンツェルンの創業者である鮎川義介は、満洲という新天地に自らとコンツェルンの全てを賭けた。
本社を丸ごと移転するという大胆な決断に象徴されるように、自らのすべてを注ぎ込んだ満洲の国際的地位を確固たるものとするため、鮎川は満洲にドイツ系ユダヤ人を大量移民させることを考え、実際にそれを陸海軍に働きかけた。ドイツからは「国家の裏切り者」を引取り、満洲の国力を引き上げ、アメリカのユダヤ系人脈に働きかける-鮎川からすれば一石三鳥の良策であり、実際に陸海のユダヤ人問題の専門家、安江仙弘陸軍大佐、犬塚惟重海軍大佐は乗り気であった。規模や政府支援の関与には相互や当事者で差があったものの、計画は動き続けた。そして現在も続いている……と思われている。
流石に軍機に関わる部分までは蔵相である結城も知らない。ただ満洲国政府の反ユダヤ主義思想や関連があると思われる事件への断固たる姿勢に、陸軍の関与がないと思うほど結城は間抜けではない。
しかし現段階で河豚計画を評価するなら、机上の空論、あるいは計画倒れであると評価せざるを得ない。
確かに満洲にもユダヤ人コミュニティは存在したが、いくら迫害されているとは言え、生業やこれまでの人間関係など周囲の環境を全て精算して、コミンテルンの支配するユーラシア大陸を横断するほどの決断を万単位のユダヤ人に、選択肢として提供することは出来ても、強いることは出来なかった。地中海からスエズ運河、紅海にインド洋を半島沿いに一周。地図の上では海図を引くのはたやすいが、仮に船団を組めたとしても「約束の地」であるパレスチナで途中下船が多発しただろう。途中経由する鉄道や港湾施設を有する国としても、そのような厄介者の集団を好き好んで引き受けたくはない。彼らからすれば、日本が内政干渉国家だ。
何より結城豊太郎自身、蔵相として河豚計画を聞かされた時、冷笑したのを覚えている。
大体、河豚という名前からして馬鹿にした話だ。毒があるが食べたら旨い?帳簿の数字のように人間の心理が動かすことが出来ると勘違いした社会主義者や統制計画論者らしい自惚れだ。長らく「金貸し」として、何よりあの安田善次郎の後継者として金融の安田を率いた結城は、複雑怪奇な人の裏も表も嫌というほど見てきた。統制経済や計画経済に対する疑念はその実体験から来るものだ。放浪の民とはいえ、土地とは全く無関係ではいられない。人は金がなければ何も出来ないが、その逆はありえない。
結城がそのようなことを考えている間も、陸海のトップによる真剣勝負は続いている。安江仙弘を予備役に編入したのは林陸相であり、犬塚惟重海軍大佐の肩を叩いたのは米内海相。河豚計画に対する政府支援を完全に打ち切ったようにも受け取れるし、民間の立場で取り組むことでドイツに対する釈明の余地を残したようにも受け取れる。
結城の見るところ海軍の立場は前者だが、林の立場はわからない。そもそも総理であり陸相であり外相である林の考えが分からなければ、五相会議としても議論のしようがない。賀屋次官のメモに目を通して見落としがないのを確認してから、結城は嫌々ながらも手を挙げた。
「結城君、どうぞ」
「回りくどいことが苦手なので。総理としては河豚計画をこのまま続けられるおつもりなのでしょうか」
蔵相の疑問に沈黙が一つと頷きが一つ。前者は海軍大臣で後者が陸軍大臣。後者はおそらく本人が最も重々しい仕草と信じて疑わないカイゼル髭をねじる動作をしながら、口を開いた。
「河豚毒がどこにあるか、君は知っているかね」
「卵巣や肝などの内臓であったと記憶していますが」
「その通りだ。フグ毒のテトロドトキシンはまだ解明されていないことも多いが、河豚の餌に原因があるという説が有力でね」
林総理はその回答に満足げに頷く。この総理の下で大蔵大臣として本予算を編成すること3回。大体この人がこのような態度をした時はろくなことがなかったことを、結城は経験により学んだ。それにしても河豚がユダヤ人だとすればテトロドトキシンとは一体何を指すのだろうか。反ユダヤ主義か、それを信じる陰謀論者か、それともそれを利用するファシストか。林は相変わらず髭をねじりながら、どこか得意げな調子で続ける。
「元々、河豚には毒などない。餌の摂取によりテトロドトキシンが内臓に蓄積される。だから危険部位を除けば、河豚は食べられる……ところが我が故郷の石川県では、この猛毒の卵巣を食べるのだよ」
「それはあれですか。福井のへしこのように、卵巣を糠と塩につけるという」
結城が何か言うよりも前に、酒豪の米内が珍味で有名だという石川県名産の土産物の名前を挙げた。
フグの卵巣糠漬けは石川県の白山や金沢の一部で製造されているもので、猛毒の卵巣を数年がかりで非常に濃い塩で年単位で塩漬けをした後、唐辛子や麹などを混ぜ込んだ糠漬けに再び長期間漬け込むことで毒を抜くという伝統的な郷土料理である。なぜ毒が抜けるかは帝国大学の教授が調べてもわからないのだが、とにかく毒のない卵巣が出来上がるといい、これが実に濃厚で酒の肴にも米にも合うとかなんとか。先程までとは対照的に雄弁になる海軍大臣に結城はあっけにとられていたが、林が再び口を開いたのでそちらに向き合った。
「日本人の食に対する貪欲な姿勢は、大したものだとは思わんかね?あの河豚の卵巣ですら食べてしまうのだから」
「はぁ、まあそこにたどり着くまでに出来たであろう死者のことを考えますと……」
「結城君は真面目だね。まぁ確かにあえて好き好んで食べる必要はないかもしれない。だが-」
林は生真面目な大蔵大臣らしい回答に苦笑すると、肩をすくめながら言った。
「毒であると知りつつ、それでも安全な部分を探し出してでも食べる。毒があることを知って、尚且つそれを無毒化する努力を重ねる。それこそ旨い物とは言え、たかが食い物にね。食べなければいいだけと賢人は言うだろうが、これこそ人類の最も英雄的な行為であり、最も愚かな行為だと私は思うよ」
*
その年、林銑十郎総理からの御歳暮は河豚の卵巣糠漬けであり、石川の郷土料理であることを知らない閣僚数人が持参した総理秘書官との間で一騒動を起こし「閣僚毒殺未遂事件」として正月明けのメディアを騒がせることになるのだが、それはまた別の話である。
・魔王ジュリオ。イタリア政界はとにかく個性が強い。
・代議士4人と元職1人による座談会での林内閣の評価。近衛内閣の政治的な遺産をそっくり手にしている小狡さは否定出来ない。
・なんだかんだで政治主導の体制を作ろうとしていた近衛内閣。だけど近衛がやったことだから長らく政治的タブーになっていた気がする。近衛が政治主導前回でやっていた時の方が怖い結果になった気がするから何とも言えないんだけど。
・ユダヤ人の歴史をクソ真面目に書いていたら脱線してどうにもならない。あくまでざっくりとした解釈なので信用しないように(おい)。2千年近く放浪しながらコミュニティ内の教育だけで民族の文化と宗教を伝承してきたのは大したものだとは思う。
・陰謀論は愚者の学問といいますが、その理由は結論ありきで都合よく材料を集めるからだと思う。つまり人類は共産主義社会に向かって進んでいるという○クス主義とか。結論が最初から決まっているから。どんなに頓珍漢な途中経過でも「これは違うな」とはならず、結論に合うように検証も研究も捻じ曲げられる。気をつけたいものですが、色眼鏡からは人間なかなか抜け出せない。自分の好きな、あるいは趣味に合う文章は読んでて楽しいものだし。
・鮎川義介。経済界の岸信介(被害者かもしれない)
・山本五十六は米内以外には統制が不可能な狂犬イメージで書いています。具体的に言いますと、ガルパン二次創作でよくある狂犬逸見エ○カのイメージ。異論は認める。
・3人でも五相会議
・結城豊太郎の経歴を見ていたらなぜか苦労人というフレーズが思い浮かんだ。無茶ぶり高橋是清の下りは大体私の脚色なので信用してはいけない(高橋の引き立てがあったのは事実)。でも高橋が部下に無茶振りというのは当たらずも遠からずかもしれない。あの人の基準で「自分が出来たんからお前も出来るだろ」といわれたら間違いなくブラック経営者w
・なお史実の結城さん。
林内閣発足により三顧の礼で迎えられる。
↓
結城「いいですか総理、私が蔵相を引き受けた以上はやりますが、言うことは聞いていただきますよ。このままでは悪性インフレが進行して手がつけられなくなります。物価を抑制しつつ軍備を拡張するためには工夫が必要で、なおかつ財閥に重工業化を推進させるためには両者の協力が必要。つまり軍財抱合の精神で予算を組みます。当然ながら既成政党の協力が必要不可欠。とにかく頭を下げて、協力を要請してください。この予算案に内閣と日本経済の未来がかかっています」
林「まかせておきなさい」
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(予算案可決)
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林「政党を懲罰して反省を促すために衆議院を解散する」
結城(゜д゜ )
結城( ゜Д゜)
結城( ゜д゜)
町田忠治「こっちみんな(怒)」
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当然、既成政党激怒。選挙で林内閣与党大敗。総辞職
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結城「あのハゲは何がしたかったんだ!」
↓
総辞職して近衛内閣発足
↓
近衛「結城さん、蔵相に留任して欲しいんだけど」
結城「勘弁してください、いや本当にフリじゃありませんから」
(なお直後に日中戦争勃発。留任してたらA級戦犯になっていたかもしれない)
・河豚の卵巣ぬか漬け。一度食べてみたいんだけどネットで取り寄せしてまで食べたいものじゃない。誰かお土産でくれたら嬉しいぐらいには食べたい。