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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
38/59

東京日日新聞 / チェコスロバキア共和国 プラハ城(大統領官邸)/ 東西新聞・ミュンヘン会談に関する松岡洋右氏談話 / チャーチル元蔵相私邸・チャーチル回顧録 / 中外商業新報(1938年10月)

『指揮官は心を自由にしておかなければならない。偏見、先入観、固定観念を排除することである』


フェルディナン・フォッシュ(1851-1929)


- ホルティ摂政、ヨーゼフ・アウグスト大公に国王即位を要請 -


 ハンガリー王国のホルティ摂政は、9月29日の貴族院及び国民議会(下院)における議決を受けて、ヨーゼフ・アウグスト大公殿下に国王就任を要請した。アウグスト大公は回答を保留している。ブタペスト駐在の旧連合国外交筋は、本紙の取材に対して匿名を条件に「アウグスト大公の即位がハンガリーと地域の情勢安定化につながるのであれば歓迎する。ただしドイツの支援があろうと後者が保証される見通しはない」と述べた。


 ハプスブルク復辟反対の急先鋒であったチェコスロバキアのベネシュ大統領の辞任が必須な情勢とは言え、旧二重帝国諸国においてはハプスブルク家の復権に対して警戒する声も根強い。またオットー元皇太子を差し置いての国王就任は、ハプスブルク王党派の間で混乱を引き起こす可能性も指摘されている。現在ベルギーに居住するオットー元皇太子からのコメントは確認されていない。


- 英独首脳会談。チェンバレン首相「英独不戦の精神を確認」 -


 ミュンヘン協定への調印直後、英独両首脳はミュンヘンの総統官邸において再度、首脳会談を行った。チェンバレン首相は会談後、記者団との取材に応じ「英独海軍協定こそ両国の友好善隣の証明である」と述べ、ミュンヘン協定が今後の欧州安定の礎となること、及び英独関係の将来に自信を示した。チェンバレン首相はまたチェコスロバキアの国境問題に関する国際委員会に関して、積極的な関与により中東欧の安定に貢献すると述べた。


- チェコスロバキア首相、協定受諾を表明 -


 チェコスロバキアのヤン・シロヴィー首相(国防相兼任)はミュンヘン会談の終了を受けて、上下両院議長、連立与党の代表と会談。臨時閣議終了後に声明を発表した。同首相は「ミュンヘンにおいて行われた会談の成果を尊重する。政府と軍は同協定を受託し、これを履行する」と述べた。ただ対ドイツ強硬派のベネシュ大統領、及びプラハの大統領府からの声明は確認されておらず、政府内部での対立を指摘する声もある。


- 東京日日新聞の国際欄(10月1日) -



 チェコスロバキア共和国の首都プラハは「百塔のプラハ」の異名を持つ中欧有数の歴史を有する古都である。


 記録によれば6世紀頃から都市が形成されていたようだ。10世紀には司教座が設置されたが、この時点で既に欧州有数の都市だったのだろう。街のあちこちに見られる古い時代の尖塔は、日本でたとえるなら奈良か京都、あるいは鎌倉であろうか。1346年には、この地を拠点としたボヘミア王が神聖ローマ帝国皇帝に即位。国際的な政治文化の中心として開発が進み、黄金のプラハと呼ばれた。


 しかし13世紀から15世紀にかけてフス戦争や30年戦争が相次いだことからプラハは衰退。ハプスブルク家がプラハを含めたボヘミア国王を兼任すると、政治の中心はウィーンへと移された。チェコ文化、あるいはスロバキア文化は規制され、プラハにとっては暗黒の時代が始まった。ウィーンのような歴史の浅い(プラハに比べれば確かに浅い)、それも文化的に遅れた排他的な都市を政治な上位に仰がねばならないとは!


 フランス革命による民族意識の高揚から、20世紀初頭には二重帝国内での自治権要求、あるいはハプスブルク家からの独立を目指す諸運動が本格化。欧州大戦(1914-18)を経て、ついにチェック人とスロバキア人は連合を組み、チェコスロバキアとして独立を果たした。約3世紀ぶりに勝ち取った独立の栄光に、プラハの市民は酔いしれた。


 そして今、その栄光はわずか20年足らずで潰え様としている。歴史ある町並みを歩く市民の顔は暗く沈んでいるか、そうでなければ協定受諾に反対するデモ隊の一部として声を張り上げていた。その掛け声だけがプラハの街中を流れるヴルタヴァ川(ドイツ語でモルダウ川)の水面に寂しく響いていた。


「君は私に辞任しろというのかね」


 ヴルタヴァ川を見下ろすかのように、市外のほぼ中央に位置するプラハ城は、かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝、ハプスブルク家の皇帝達が居を構えた。現在、ここにはチェコスロバキア共和国大統領官邸が設置されている。デモ隊の掛け声が響く大統領執務室において、エドヴァルド・ベネシュ第2代大統領は、机の上で手を組みながら険しい視線をヤン・シロヴィー首相(国防相兼任)に向けている。


 シロヴィー首相の背後には最高裁判所長官のエミル・ドミニク・ヨゼフ・ハーハ、与党第1党のルドルフ・ベラン党首(農業党)、ヤン・マリペトル下院議長(農業党)、ヤン・シュラーメク元首相代行(人民党)らがいた。しかしシロヴィー首相以下、全員が沈黙して語らない。正確に言えばハーハ長官だけが困惑したように視線をしきりと軍人宰相に向けていた。しかしシロヴィー首相は胸に綺羅星のごとく光る略章とは対照的に、起きているのか寝ているのかよくわからない視線をぼんやりと漂わせていた。


「これは英仏の裏切りだ。チェコスロバキアを野蛮なマジャール人に、ゲルマンの蛮族の子孫に、ワルシャワの山賊に売り渡す条約の承認など、私は断じて認めん。昨年亡くなられたマサリク初代大統領がご存命であればこの様な……首相、君は私の話を聞いているのかね」


 その態度が気に障ったのかベネシュ大統領が声を荒らげるが、シロヴィー首相はその言葉でようやく気がついたとでもいう具合に、眼帯で隠されていない右目-左目は戦傷で失われている-を大統領へとあわせた。


「失礼しました大統領。まずミュンヘン協定の第1段階としてズデーデンからの軍と警察、及び官吏撤退にむけて参謀本部及び内務省を通じて自治体、及び警察に指示をする必要があります。こちらが閣議で了承した関連書類であります。承認の御裁可を」

「どうやら貴官は私の話を聞いていなかったようだ」

「拝聴しておりました。その上で申し上げております大統領閣下」


 一切の躊躇なくシロヴィー首相が書類の束を差し出すと、ベネシュは言葉に詰まる。大戦中を通じて初代大統領マサリクの片腕として働き、国民社会党の創設メンバーとして国政をリードし続けたベネシュにとって、国内の政治家の多くは自分と同格か、あるいは序列的にいえば格下の存在ばかりである。彼からすればチェコスロバキアという国を作り上げたのは自分だという強烈な自負があった。


 だが大戦中にチェコスロバキア師団を率いて活躍し、戦後も赤軍と渡り合うなどチェコスロバキア軍の事実上の創設者であり、依然として強い影響力を持つ上級大将が相手では勝手が違った。故にベネシュは軍の最高司令官として、政府の最高位者として対応することにした。


「君は一体、なんの権限があって協定受諾の表明をしたのか。確かに内政に関しては首相にある程度の裁量はある。しかし我国の命運を決めるべき権限を、私は君に移譲したつもりはない」


 ベネシュは机の上で手を組み替えると、険しい表情をシロヴィーに向ける。


「それとも君は軍を背景にして、私に辞任しろというつもりか」


 この不穏な言葉にハーハ長官が表情を強ばらせたが、最高裁長官以外の反応はベネシュの期待したものとは違った。下院議長や連立与党の党首らは相変わらず暗い表情であったが、それ以外の感情を見せることはなく、またベネシュから視線をそらすこともない。ベネシュはここに至って、ようやく自分が置かれた立場と彼らの沈黙の意味を察した。


 シロヴィーは先ほどまでと同じ調子で、大統領に憲法の規定から説明を始めた。


「辞任される場合、憲法の規定により後任大統領が選出されるまでは、首相の私が大統領権限を代行することになります。閣下が辞任される場合、私が署名することになるかと。協定で設定されたズデーデンからの軍警察及び官吏の撤退期限は10月10日。これが遅れることはドイツ軍による武力介入の口実になる可能性があります。英仏が署名した以上、この協定を履行しないことで起こされる混乱の責任は、わがチェコスロバキアが負わなければなりません。後は大統領閣下のご判断次第かと」

「私の断りなく勝手に協定受諾を表明するなど、これはクーデターではないか!私に代わって君が国を率いる野心を持つのは勝手だが、私はまだ辞任してないし、するつもりもない!」


 ベネシュが声を張り上げて机を拳で殴りつけるが、シロヴィー首相は相変わらず顔色を変えずに続けた。


「大統領閣下。就任の際、私は申し上げました。私は政治家ではなく軍人であり兵士だと。閣下はドイツに対して動員体制を保つためには私が必要だとおっしゃった。ゆえに私は首相をお引き受けいたしました。私は軍の最高責任者として申し上げます。我が国は英仏の支援なくして勝利することは不可能です」

「イギリスの態度はいつものことだが、フランスの裏切りは予想外であった。しかしまだソビエトがいる。中東欧における勢力の再編や、ドイツの勢力伸張はモスクワも望んではいないはずだ」

「大統領閣下。ルーマニアやポーランドがソビエト赤軍の無害通行権を認めることも、イギリスがそれを認めることもありません」

「それは我がチェコスロバキアが戦おうとしないからだ!自ら戦わない国は滅びることは歴史が証明している。それに自らを守ろうとしない国を誰が支援してくれるというのか。首相、私は歴史に無能と評価されることは我慢できても、己の政治的な地位と命押しさに、我国の死刑宣告書に署名したと歴史に記されたくはない!」


 この言葉にシロヴィー首相はわずかに目を見開くが、すぐさま顔に浮かんだ感情を消し去ると「大統領閣下」と再度呼びかけた。


「私は大統領閣下を尊敬申し上げております」

「嫌味かね」

「事実であります。閣下は安楽なる従属の道を捨て、マサリク初代大統領と共に、わが祖国と民族のために命を恐れず戦われました。閣下が自らだけが安全な場所で強硬論を煽るような煽動政治家であれば、私も二重帝国の軍籍を投げ捨て、義勇軍に参加することもありませんでした。独立後、閣下は政界で、私は引き続き軍に身を置きましたが、立場こそ違えこの国を守るために戦ったと自負しております」


 「では何故」と反駁しようとするベネシュを、シロヴィーの右目が視線で威圧した。


「ですが敗北すればすべてを失うのです。あのハプスブルクがそうだったではありませんか。今なら領土を切り刻まれようとも、国家としてのチェコスロバキアを残すことができます。残念ながら今の閣下は、閣下の理想とする国家を守ることに熱心なあまり、現在の我が国が見えておられないのではありませんか」

「私が自分の過去の業績を守りたいがため、己の失政を認めたくがないゆえに反対しているというのかね……」


 「侮るではない!」とベネシュは再度机を殴りつけた。拳に血が滲むが、それにも構わず立ち上がる。往年の革命家としての血が騒いだものか、白皙の顔を真っ赤にしていた。


「国家が理想をなくして、なんの独立国か!ハプスブルクを追放し、チェック人とスロバキア人の共和国としてかつてのプラハの栄光を取り戻す。プラハを中欧の、欧州の中心都市として再度蘇らせる。あの屈辱の数百年を、君たちは忘れたのか!今ここで屈することは、プラハを永遠にベルリンの従属都市に、チェコスロバキアを永久にドイツの衛星国にすることなのだぞ!君たちは国の独立を売り飛ばす売国奴か!」


 売国奴という言葉にヤン・シュラーメク元首相代行が顔を歪め、ハーハ長官が痛ましげに視線をそらす。ただこの場においてヤン・シロヴィー首相の険相と気迫だけがベネシュの威圧に単独で対峙していた。


「私は軍人であり歴史家ではありません閣下。故に後世において何と記されようと興味はありません。私はこうして今は首相という職責を担っておりますが、兵士として、祖国と領土、民間人を守るべき軍人としての職責を忘れたことなどありません」

「国家が滅亡してなんの軍人か。それでも制服を着たければドイツ国防軍にでも入隊すればいいのだろうが」

「大統領閣下。国土が削られたとは言え、我が国はまだ滅亡したわけではありません。国際委員会には我がチェコスロバキアも参加いたします。スロバキアの自治もハンガリーへの領土割譲も、人民投票もこれからなのです。英仏の支持を取り付け、あるいは中欧での激変を嫌うイタリアを取り込むことでドイツに対抗し、チェコスロバキアがいずれ国家として再建するだけの最低限の基盤を次世代へと残しておく。これも戦いであると私は考えます」

「そんなことが可能であれば、今日のような事態にはなっていない!だからこその独立であり防衛態勢の強化だったのだ。先の大戦のような機会は二度とは訪れない。我らがドイツの一地方自治体となるか、永遠にチェコスロバキアの名が消えるかどうかという問題だと、君は理解していない」


 ベネシュはチェコスロバキアの国力の限界と自らの限界を踏まえつつ、実現の可能性の低さを指摘すると、シロヴィーを揶揄するような口調で続けた。


「それにしても君がそんなに口が回るとは知らなかった。今からでも政治家に転身すればいい」


 シロヴィー首相はベネシュ大統領の挑発には乗らず、一旦言葉を区切る。息を深く吸い込むと凄みのある声を搾り出すように発した。


「誰かがやらなければいけないことであります。今、戦えば間違いなく我が軍は敗北します。そして協定を受諾したとしても、この戦いに栄光ある勝利は望めません。無論、降伏も撤退もです。どちらを選んでも屈辱の敗北しかないのです。そして兵士は畑から生まれることはありません。家庭であり地域社会が育み育てるものです。たとえ国が滅び、売国奴と呼ばれようとも、兵士と兵士を育む環境あってこその国家であります。たとえいま国家が滅びようとも、それを残さねば、我が民族は真の意味で亡国の民となります」

「それは違う。国家あってこその地域社会であり家庭だ。民族言語が規制され、地域が分断されれば兵士を育てる環境そのものがなくなってしまう。国を失った民が帰属意識を持ち続けることがどれほど困難なことか。かつての二重帝国における我らがそうであった。我らは二等国民として蔑まれて弾圧され、二度と今のような環境を取り戻せなくなる。永遠に各地を放浪する民族となるのだ…ユダヤ人のように」


 放浪の民と同じ命運をたどるという言葉に、シロヴィー首相の背後で控えていた何人かがわずかに反応を示したが、ただそれだけであった。両者が妥協するつもりがない以上、ここで勝敗は決まったといってもよい。


 ベネシュはシロヴィー首相と、その背後に並んだ高官らの顔を1人づつ見据えると、ふぃっと顔をそらして彼らに背を向けた。窓の外からは相変わらずデモ隊の過激な声が響いてくる。


「……私がマサリクと作った国だ。独立を失い数百年、その間の先達の涙と血と命でつないできた無念の歴史の土台の上に、我らが民族が、そして私が家族を犠牲にし、友を裏切り、同士を売り飛ばし、そうして作り上げたのがこの国だ」


 数多の犠牲と嘆きの上に紡がれてきた民族の歴史。己が努力や成功体験を誇りたいだけならいくらでもほかのやり方がある。ベネシュは国家の指導者として、国民をこれから導くものとして、民族の歴史に責任があるからこそ、現在の責任者として今日を生き延びるためにそれらを放擲するような真似は出来ないと考えている。


 一方でシロヴィーは軍人として自分らの部下に、今死ぬことを命じなければならない。たとえそのために未来の子孫から恨まれることになろうとも、今日を生き延びねば明日は来ないという、単純極まりないが冷徹な覆せない現実を誰よりも理解しているからだ。同じ国家や民族の未来を見据えていても、背負ってきた過去に重きをおくか、それとも今に重きをおくかの差だ。故にベネシュは搾り出すような声で、己の思いの丈をぶつけた。


「たとえ世界中がチェコスロバキアが滅んだと断言しても、世界で私だけになろうとも、この私だけは認めない……滅ぼしてなるものか」


 その独白が掛け値のない真実であると知っているからこそ、シロヴィー首相は直接答えず、もう一度だけ確認をした。


「大統領。よろしいですね?」


 ベネシュは窓の外を向いたまま小さく頷く。複数の足音が、執務室から出て行く音が聞こえたが、彼は振り返らなかった。



- ベネシュ大統領辞任。チェコスロバキアの正常化なるか -


 5日、チェコスロバキア共和国のベネシュ大統領は辞任を表明した。当面はヤン・シロヴィー首相が憲法の規定に従い大統領権限を代行する。後任の大統領候補については複数の名前が挙がるが、連立与党はハーハ最高裁長官の擁立で調整を進めている。ベネシュ大統領の辞任によりミュンヘン協定の履行に向けて情勢が安定するか、注目される。


 また連立与党の農業党のルドルフ・ベラン党首は対ドイツ交渉に向けて「挙国一致によりこの国難を乗り切らなければならない」として、農業党や人民党、国家社会党など非社会主義政党を除いた連立与党による新党構想を発表。ヤン・シュラーメク(人民党)ら一部には慎重論があるものの、政争によらず強力に政府を支持する新党により国際委員会におけるチェコスロバキアの立場を強化するものとして、歓迎する声が出ている。


- 人民投票見送りへ。人口割合は1918年?英独仏で調整続く -


…また関係筋によればチェコスロバキアのドイツ領確定に関しては、ミュンヘン協定により人民投票により帰属が決定されるはずであったが、これらは現地の情勢不安により見送られる見通しが濃厚である。関係筋によればドイツ人が全体の5割を占める地域を自動的にドイツに編入することが決まったという。ところが人口比率の基準となる統計は1918年、つまり欧州大戦終結当時のものを採用するべきとするドイツと、現在の状況を反映するべきだとする英仏の間で対立が起こっているという。仮にドイツの主張に従えば、現在チェック人やスロバキア人が多数を占める住居でもドイツに編入される地域が出ることから、混乱が予想される。


- クーパー海軍大臣が辞任。ミュンヘン協定「受け入れられない」 -


…(中略)政府は後任人事を早急に決めるとしている。保守党においては首相の対応を支持する声が大勢だが、チャーチル元蔵相ら保守強硬派がミュンヘン協定に反対している。また数年前まではチェンバレン外交を評価していた野党第1党である労働党のクレメント・アトリー党首は、今回は「ナチスドイツの無軌道な拡張を許すもの」として批判に回った。スペインにおいて人民政府が劣勢であることや、フランス国内で左派勢力が窮地にあることが背景にあるとされ「国際協調外交ではファシストを止められなかった」と自己批判する声もある。


- 英蘇関係悪化か。外交孤立化強まるソビエト -


 今回、チェコスロバキア問題において英蘇の関係改善が図られるのではないかという一部観測もあった。しかしハリファックス外相はフランスのボネ外相との会談でソビエトがポーランドおよびルーマニアに要求していた無害通行要求を否定。依然としてイギリス国内におけるモスクワへの警戒感は根強い。これらの背景には伝統的な「野蛮で遅れた」ロシアを忌避する感情に加え、大陸における共産系勢力の伸張を嫌う声が合わさったものと思われる。特に保守党においてはナチス・ドイツに期待する声は根強く「毒を持って毒を制す」と似た論理が横行している。ソビエト人民外交部としては、各国がチェコスロバキア問題を契機にドイツ封じ込め政策に転換することを見越した上で欧州外交に復帰しようという目論見が崩れた形となった。


- 外交評論家の松岡洋右氏談話 -


 一連のミュンヘン会談によって最も大きな成果を得たのはどこか。イギリスでもフランスでもイタリアでもない。ドイツは周辺国と共にチェコスロバキアを生贄にして領土を獲得したが、ただそれだけだ。彼らの言う自給自足を目指すという東方生存圏には程遠い。ハンガリーはアウグスト1世の即位により英独両国の政府にパイプを獲得した。ハンガリーとしては両国を二股にかける外交を目論んでいるのだろうが、周辺情勢がそれを許さないだろう。何れはベルリン=ローマ枢軸に飲み込まれる。日支戦争の二匹目の泥鰌を狙ってアメリカ大統領は仲介役として大きな役割を果たそうとしたが、イタリアにお株を奪われた。途中からイタリアに押し付けたのかもしれない。イタリアは嬉々として乗り出し、大きな役割を果たした。感謝されたが、それ以上の何かを得たわけではない。当然ながら信頼されるわけもない。


 私はソビエトこそが、今回の外交的な勝者であると考える。何故か。彼らは今回、最も少ない代価で、最大限の成果を得たからだ。


 先の大戦以降、各国はソビエトをロシア帝国の後継者とは認めず、国際政治から意図的にパージしてきた。それは正しい。裏切り者に与えるものなどあってはならない。建国当時の赤軍は度重なる粛清の影響もあり非常に脆弱であった。しかし彼らは着実に実力をつけている。客観的情報に乏しいため詳しい分析は難しいが、なにせ彼らは民政を気にする必要がない。弾圧でも粛清でもなんでもありの、軍事一本槍という無茶苦茶なやり方すら可能な一党支配国家だ。わからないものほど恐ろしいことはない。


 現に今回、彼らは口先だけでチェコスロバキア情勢に介入してみせた。これは例えとして正しいかどうかはともかく、例えば先の日支戦争においてタイ王国が「即時停戦をしない場合は武力介入も辞さない」といっていたとしても、何の影響も与えなかっただろう。しかし今回はリトヴィノフ外交人民委員の発言を、チェコスロバキアの当事者能力を否定したはずのハリファックス外相もボネ外相も、リッベントロップ外相もチャーノ伯爵も無視しなかった。出来なかったのだ。人民外交委員は赤軍の援軍をちらつかせることで、周辺国の反応をテストした。また実際に軍事的解決をちらつかせた場合、英仏など旧連合国とその世論がどう推移するかも同時にテストしたのだ。それも憎悪を集める敵役はナチス・ドイツが担当する形で。


 彼らは何も失ってはいない。むしろイギリスの本音-大陸政策に関与したくない事と、フランスの弱体化-ドイツに単独で対抗する意思がないことを見抜いてしまった。ひょっとすると彼らはドイツと共同歩調が取れると考えたかもしれない。例えばポーランドがそうだ。ドイツもソビエトも、ポーランドから領土を取り戻したい点では共通している。ポーランドはチェコスロバキアから領土を奪還したと喜んでいる場合ではない。また我が帝国日本も、欧州情勢とは無関心ではいられない。ポーランドの後ろにはドイツがいるが、我が日本の背後には太平洋、そしてアメリカがいる。それを忘れてはならない。


- 東西新聞(国際欄)(10月5日) -



 昭和13年(1938)も残すところ2か月余りとなった10月初頭。日英経済交渉も大詰めを迎えつつある中、駐英大使の宇垣一成はイングランド南東部のケント州にあるカントリーハウスを訪問していた。むろんアポなしの押しかけである。屋敷の主も手慣れたもので、自室に彼を通すや否や、時候の挨拶もなしに愚痴とも諦観ともつかぬ言葉を吐き出していた。


「このままではフォッシュ元帥の予言が真実となってしまう」

『たしか、ヴェルサイユ条約を指して、たかだが20年の停戦に過ぎないと喝破されたという』


 「いかにも」と、その太く短い首を縦に振ったのは、イギリス保守党における対ドイツ強硬派の領袖であるスペンサー・チャーチル元蔵相である。


 既に過去の人とされるこの老人が対ドイツ強硬派なのは、自分を認めない保守党領袖への嫌がらせだとする穿った見方もあるが、駐英大使の宇垣一成はそうではないと考えている。ジョンブル魂をどこかに置き忘れてきたかのような気の抜けた英国紳士モドキが跳梁跋扈するウェストミンスターにおいて、有り余る闘志と闘気が漲る老人には、すべてが真剣勝負である。


 確かに主流派から干されたことで影響力は大幅に低下しているが、かつて政府の要職にあったことからか、情報収集能力は健在。またその分析も一流であり、宇垣が時折、酒をたかりに行くダウニング街10の主から聞くものとほとんど差はなかった。もっとも、その分析をもとにした結論は大きく食い違ってはいたが。


「かの人物は傲慢でしたが、ナポレオン以来の伝統とでも言いましょうか、そのプライドと能力が正比例した人物でありました。連合国軍最高司令官として最終局面の難しい舵取りをにない、軍人としても外交官としても、あるいは政治家としても優秀でした。それこそ今のフランス政府とは比べ物にならないほどに」

『フランス陸軍有数の理論家でしたな。『戦時統帥論』は私も読みふけったものです』

「開戦直前まで陸軍士官学校長を務めておりましたからな。今のフランス軍は彼の教え子であるはずなのですが」


 現実とのギャップを認めたくないと言わんばかりに首を横に振るチャーチル。彼の応接間には左右の本棚があり、天井近くまで乱雑に本が差し込まれている。そしていつものことだが本棚に入りきらないものは床から机から思いつくところに積み上げてあり、その中には新聞の切り抜き帳らしきものも挟まっている。おそらくこの本の山のどこかにフォッシュ元帥の著作があるのだろうが、宇垣は探す気にすらならない。


「かと言って理屈倒れにはならなかった。実際の戦場においては剛毅にして果断。マヌル会戦における決断は並大抵の凡将が100人集まっても出来るものではありません」

『ふむ。確かに。1人の決断は100人の助言よりも有効な場合もあるものです。しかし閣下がそれほどまでフォッシュ元帥を評価しておられたとは意外でしたな』

「人柄が良いというのは政治家にとっては褒め言葉にはならないのですよ。誰にとってもいけ好かない人間というものは確かにいますが、政治も戦争も、人柄ではなく結果が全て。結果的に彼の言うとおりにドイツを分割しておけば……いや、これは繰り言ですがね」


 チャーチルは自らの考えを否定すると、苦笑しながら机の引き出しから灰皿とオイルライターを取り出した。葉巻はどこにあるのかと見ていれば、本をいくつかどかした下に、潰れかけた箱が見えた。


「クレマンソー元首相とも最後は対立しましたしな。クレマンソー氏はドイツは分割してもいずれ統一するだろうと。分割するなら外交安全保障上のコストが上昇するのではないかと考えていたようです。一方でフォッシュ元帥はドイツ人はいずれ復讐戦を考えるのだからいま分割しておくほうがコストは安くなると」

『政治的にはクレマンソー氏が正しいですな。そして軍事的にはフォッシュ元帥が正しい』

「いかにも。だからこそ難しい」


 チャーチルは憂いを含んだ目でため息をつきながら、葉巻を箱から取り出すと、シガーカッターで切り口を整え始める。宇垣は主に断りもせずに。自らも箱に手を伸ばした。元々、その箱に入った葉巻は自分がチャーチルに差し入れたものだが、何時も目の前で美味そうに吹かすものだから、いつしかそれが習い癖となっていた。チャーチルはチャーチルで何も言おうとしない。面の皮の厚さだけはいい勝負である。


「今回とて何を重きに置くかで判断は異なるでしょうが、ドイツを押さえ込むという意味なら、介入したほうが長期的なコストは安くつくかもしれなかった」

『英国単独で大陸情勢に介入することは可能ですかな?』

「可能か不可能かではありません。やるかやらないかです。そしてヒトラーは、英国がドイツの大陸の覇権を黙認すると、ドイツが大陸で何をしようともイギリスは手を出さないという誤った教訓を学んだ可能性が非常に高い」


 2分ほどかけて着けたオイルライターの火が、葉巻の先で燻る。チャーチルは煙をゆっくりと吸い込むと「それにしても」と言葉と共に吐き出した。


「ハンガリー復辟の一件、あれは貴殿の、いや貴国の差金ですか」

『さてどうでしょうかな?』


 宇垣は直接には肯定も否定もしなかったが、その態度が何よりも雄弁に物語っている。テレキ・パール首相の私設顧問だとかいう胡散臭い日本人の言語学者だか宗教学者だかの存在は、チャーチルも聞き及んでいた。最も具体的に何かしたという話は誰も聞かないのだが、その風変わりな言動と行動でハンガリー国内においてはちょっとした有名人らしい。ひどい記事だと神がかりになったオーカワなる顧問が閣議の席で「日猶同祖論」を唱え始め、つまみ出されたとかいうもの。


 ただチャーチルが確認している中で確かなのは、今の日本の首相のハヤシ・センジューロー元帥はムスリムに関心があり、オーカワなる人物は日本におけるムスリム研究の第一人者だということだけ。そしてその日出づる帝国からやってきた大使は同じことしか言わない。


『私はチェンバレン首相に申し上げただけです。同じベルサイユ条約体制を否定するにしても、ドイツの言いなりに国境線を書き換えるだけでは芸がないとね。断っておきますが、チェンバレン氏が私の言いなりで動いたわけではありませんよ。何らかの示唆サジェスチョンは出来てもね。全ては大英帝国の国益になると考えた彼の決断です』

「我が国は直接的な支援をするわけではないし、ハンガリーの決断を承認するだけ、王室外交も期待出来る。一方でドイツはこれからを考えればハンガリー国民の反感を買いたくないし、ハプスブルクを分断、最低限でも旧オーストリーの安定化に繋がるだけでもよし。ハンガリーは連合国とチェコスロバキアへの復讐が出来る。なるほど、チェコスロバキア以外は皆、幸せというわけですか」


 チェンバレン首相を歓迎する空気に満ちた庶民院において「チェコスロバキアはどうなるのだ。誰がドイツの和平精神とやらを保証するのだ」と演説したチャーチルらしい皮肉に、宇垣も苦い笑みを浮かべるしかない。実際にチェコスロバキアを見捨てたのは確かなのだ。


『ベネシュ大統領、あぁ、前大統領でしたか。ロンドンに亡命されると聞きましたが』

「我国は欧州の政治的な敗北者の塵箱ですからな。シャルル10世にルイ・フィリップ、ギソー元首相、そしてナポレオン3世。歴代亡命者だけで革命後のフランス史の説明が可能です。お聞きになりますかな?」


 『いやそれ以上は結構です』と宇垣は再度苦笑しながら手を振った。島国ゆえの利点というべきか、確かにイギリスは大陸からの政治的な亡命者をかつての政治的な敵対者か同盟者かを問わずに受け入れてきた。亡命者の人脈を生かしたい、あるいは大陸に復権後は政治的なパイプを構築したいという下心もあったのだろうが、時代が下るに連れて、政治的な価値よりも人道的な観点からの側面もクローズアップされるようになったのは確かだ。


「ベネシュだろうと、イムレーディ・ベーラだろうと我が国は受け入れますよ。それが大英帝国ですからな」

『しかしガンジー氏は受け入れないので?』


 宇垣がその名前を取り上げたのは興味半分からであった。しかし帰ってきた反応は、火の着いた吸いかけの葉巻を握力に任せて握りつぶすという想像以上の激しいものであり、宇垣もあっけにとられた。


「あれはテロリストです。耳障りの良い言葉ばかり並べ立てておりますが、あの男は、結局のところインドを大英帝国から独立させたい意地汚い盗人に過ぎません。あのような輩と取引するぐらいなら、スラム街の子供を教育してイートン校に入れるほうがまだ楽というもの!」

『はぁ、そうですかな。私の目には穏健派の人格者に思えますが』

「ご冗談を!テロリストに穏健派も強硬派もありません。皆テロリストです。ムスリムとヒンドゥー?そんな単純なものではありません!あの男は所詮は弁護士、インテリの革命家です。我国は知っています。印度亜大陸はそんな生易しいものではありません。バラモンだのヴァイシャだの、社会構造が何千何万と細分化され、自分のカースト以外は人ではないかのような見るも無残な後進性!統一インドなど、我が大英帝国がムガルを滅ぼすまで存在しなかった癖に、さも自分らが何千何万前から保持していたかのような傲慢さ!無知が罪だとすれば、知りながら意図的に嘘をつくインド国民議会派なるテロ集団は詐欺師ですな!」


 「彼は大英帝国の栄光と成果を自分と同一視している」とはロイド・ジョージ元首相から聞いていたが、これほどのものとは。宇垣はチャーチル元蔵相の熱弁を聞きながら、内心でその白人至上主義とも思える強弁に辟易としていた。


 宇垣はこれと同じような言説をソールズベリー侯爵ら保守党右派の領袖からも聞いたことがあったが、彼らはあくまで英国経済におけるインド市場の重要性からインド支配を捉えていた。そうでもしないと有権者を納得させられないのだ。一方でチャーチルのそれは植民地文明化論-遅れた未開人を先進国が近代化させるべきだとする点に重きが置かれており、イギリスがインドを通じて世界各地の植民地とその権益を支配することこそが、ソビエトの世界赤化戦略に対抗出来る唯一の手段であると確信していた。またそのためには採算を度外視してでもインドを確保するべきだとも。


 いくら本国からの指示とはいえ、なにゆえこのような時代に乗り遅れたかのような帝国主義者の植民地支配の言い分を聞かねばならないのだ。とはいえ朝鮮総督を経験した宇垣には(チャーチルほどではないとは言え)頷けるところもあった。インドナショナリズムなるものが大英帝国という強大な支配者がなければ成立し得なかったように、大日本帝国がいなければ朝鮮半島は今でも大陸勢力の属国であり、宇垣も統制に苦労した朝鮮ナショナリズムは生まれなかっただろう。


 彼らを恩知らずと罵ることはたやすいが、だからといって即座に離婚出来るほど簡単な関係でもない。ある程度の時間と本国からの融資により形成された現地の財産-ハード面では公共施設やインフラ、ソフト面では教育や治安といったものは、今更、現金して引き揚げる事が出来るものではない。特に朝鮮半島の場合は本土が近く、大陸における後方拠点でもあることから、日本政府は印度亜大陸に対する大英帝国以上の投資をしていた。かといって同化政策を進めているが、朝鮮人が完全なる帝国臣民になったと思うほど宇垣は楽観的でもなかったが。


 宇垣がそのようなことを考えながら話を聞き流していると、ようやく落ち着いたチャーチルは肩で息をしながら、片手で器用に2本目の吸口のカットをしながら口を開いた。


「それで、貴国は今回の一件で、何を得たというのです」

『そうですな。欧州の平和というのはどうでしょうか?』


 チャーチルはそのあからさまな美辞麗句に「ふん!」と鼻で笑い飛ばす。イカれた帝国主義者というわけではないのだと、宇垣はチャーチルに対する己の認識を改めるのと同時に、その複雑怪奇な性格に頭の芯が痛くなる思いであった。


「欧州で平和が欲しいというのなら、ベルリンに頭を下げれば良いのです。すぐさま平和が訪れるでしょうな。ナチによる従属と支配という副産物がついてきますが……良いですかな閣下。妻への愛情という形に見えないものでも、毎日手を変え品を変え、水と肥料、そして言葉をかけてやらねば枯れてしまうもの。この世に無料で、代償を払わずに買えるものなど存在しないのです」

『おやおや、これはこれは』


 宇垣は「お熱いですなぁ」と揶揄おうとしたが、チャーチルの表情があまりにも真面目なために、その考えを引っ込める。


 宇垣は咳払いをして居住まいを正した。宇垣からすればダウニング街10の主にだけ説明しておけばよく、まして「過去の人」に今更話す必要があるとも思えないのだが、それが東京の意向とあっては仕方がない。『まぁ、確かにチェンバレン首相とはいくつか突っ込んだ話し合いを続けておるのですがね』と口を開いた。


「貴国の全権団がロンドンに到着してから1ヶ月近くなります。そろそろ決着がつく頃でしょうかな」

『それもあります。ありますが……そうですな。あの時は揚子江と申し上げたのですが、今ならば、もう少し欲張っでもいいでしょう』


 この場にチェンバレン首相がいれば、こう言うだろう。宇垣のその時の笑みは。チェンバレンがダウニング街11(蔵相公邸)の住人の時に、初めて宇垣が押しかけてきた時に見せたものと同じだと。


『たしか希土戦争(1919-22)の時でしたな。ロイド・ジョージ内閣がギリシャを支援する姿勢を崩さない中、後に首相になられる保守党のボナー・ロー氏が、イギリスは世界の警察官ピーラーではないと政府を批判されたのは』

「あれは保守党が、あの時の私は自由党でしたが保守党が政権奪取のために仕掛けた政治的なもの。それ以上の意味などありません」

『問題はそこではありません。世界の警察官ではないと公言した人物を、貴国は首相に選んだことが問題なのです。先ほど閣下も言われたではありませんか。対価もなしに得られるものはないと』


 その発言の先に、このかつての同盟国の大使が言わんとするところを察したチャーチルは手を出して、その発言を強制的にやめさせる。たっぷりと、それこそ葉巻の三分の一ほどが燃え尽きるほどの時間が経過してから、チャーチルはようやくのことで諸々の感情を押し殺したことがわかる押し殺した声を出した。


「それで、貴国が大英帝国に代わって職責を果たされるとでも?」

『それこそまさかですな。円の現在の実力では極東における補完通貨にはなりえても、それ以上の力はない。治安に関しても同様です。ライヒマルクは論外。そうなると……あとは消去法でしょう?』


 宇垣はもう一度、あの不愉快な笑みを浮かべた。



……躾のなっていない犬は野犬と同じだ。むき出しの暴力の使い方も知らず、誰彼かまわず噛み付かれては敵わない…フェリペの島とインドを一緒にされては困る。彼は私がそう指摘すると『ならば躾ければよいだけではありませんか』と、何も考えていないのかと思うほど気楽に答えた。ただその下膨れの赤やけた顔の中で、眼だけがぎょろりとしているのが印象的であった。いっその事、この場で撃ち殺せたらどれほど気が楽になるか。想像するだけで胸がスカッとしたものだ。


 犬はどう躾をしても猫にはならない。犬は叫ぶ、馬は走る、魚は泳ぐ。適材適所。確かに認めたくない、だが英国政府が先の大戦以来の非公式な暗黙知として存在してたことは否定できない。だからといって不愉快な事実なのは変わらないのだが。最善ベストではなくとも、まだまし(ベター)ではある。希望があるとすれば、彼らは自由と民主主義を信奉する西欧諸国の優秀な教え子であり、若くて柔軟、活力あふれる国だということだ。それは若者らしい無鉄砲さや無神経さとも紙一重ではある。ならば先達が教え導けばいいというのが、かつての大英帝国の同盟国だった政府の意向であるらしい。あの自らの正義を信じて疑わない、図体ばかりが膨れ上がったあの引きこもりに?その困難さをこの地球上で最も知り尽くしているのは、おそらくこの私だろう。イングランド貴族の名門と、アメリカ人の富裕層を母にもつこの私。


 それにしても気楽に言ってくれるものだ。大英帝国が飼い犬にかみつかれてから約160年余り。あまりにも巨大に、そして自由奔放に育ったそれを(しかも引きこもり!)、再び番犬に躾け直そうというのだ。調教とは服従と似て非なるものだ。相互に一種の契約か、あるいは信頼関係がなければ成り立たない。例えとは分かっていても、それは蛮勇というよりは妄想に近い話である。


「そこまでおっしゃるのなら、あのコロニストの子孫共をどう躾けるか。カイザー首相のお手並み拝見とまいりましょう」


 私の回答は半ば嫌味であり、半ば懇願であった。


- ウィンストン・チャーチル著『第二次世界大戦回顧録』より抜粋 -



- 日英通商航海条約改定。ボンド経済圏に日本参加へ -


(中略)最後まで交渉参加に否定的であったオーストラリア、ニュージーランドも1年以上に及んだ本国との交渉により、最終的には了承。懸案であったロンドンにおけるポンド保有条項については、それに相当する金またはドルでも可能とすることで最終的に合意した。今回の調印およびオタワ関税協定の改正により、スターリングブロック(ボンド経済圏)に、日本が、円ブロックにポンド経済圏が参加することが可能になる。英国でも「経済面における日英同盟の復活」(ロンドン証券取引所幹部)と前向きに評価する声が大きい。政府は関連条約の調印及び法制制定のため、11月にも臨時会を召集する予定。


- ハンガリー国王にヨーゼフ・アウグスト大公が即位 -


 ヨーゼフ・アウグスト大公はホルティ摂政の留任を条件に即位に同意。4日、聖イシュトヴァーン大聖堂においてハンガリー王位の継承を宣言された。以後はアウグスト1世(アーゴシュト1世)と名乗られる。


 ハプスブルク家長であるオットー元皇太子は「ヨーゼフ・アウグストのハンガリーの継承は無効である」とする声明を発表し、ホーエンベルグ公爵とホーエンベルグ侯爵の兄弟はこれを支持した。一方で親ドイツ派で知られる前首相イムレーディ・ベーラ氏の有力な支援者であったテシェン公爵アルブレヒト氏は上院議員として旧イムレーディ派と共に即位を支持。対応が分かれる結果となった。


- ポーランド政府、旅券法改正を強行?領事館で騒ぎ相次ぐ -


 ベルリンのポーランド公使館においてユダヤ系ポーランド人約2000人が押し掛け、保安警察所属の武装警察官隊が出動する騒ぎとなった。噂は旅券法改正により現行びポーランド外務省発行の旅券が無効化されるというもので、これを聞きつけたユダヤ系ポーランド人が同公邸に押し掛けた模様である。ポーランド外務省の報道官は、この噂を「根拠のない妄想である」と完全に否定した。同国においてはドイツと並んで近年反ユダヤ主義が勢力を増しつつあり、各地のユダヤ・コミュニティは警戒を強めている。


- 中外商業新報(10月5日) -


・ようやく9月が終わった。もっとこうテンポよく行きたいんだけど、だんだん悪い癖が出てきた。

・引くも地獄進むも地獄、でも誰かがやらなければならないこと。

・過去あっての今、今あっての未来。自分だけのことならともかく背負っているものがある以上妥協ができないというのはある。それをもって現実が見えないというのは(たしかにそうかもしれないけど)いささか酷かもしれない。

・ベネシュ「どうせ滅びるなら、華麗に滅びればいいのだ」とか言わせようとしてたんだけど、何度キャラ練り直してもそういう感じにはならないのであきらめました。

・ヒトラー「あれ?そんなこといったかなー」

・もともと孤立化していたソビエト。まあ当たり前なんだけど。仮に国際政治の仲間外れにしてないくてもやってたことは変わらんだろうし。

・おかしい、松岡洋右さんはネタキャラだったはずなのに真面なこと言ってる(おい)

・書いてて思いましたが、この人は徹頭徹尾、ランドパワーの信奉者なんだなあと。

・帝国主義者チャーチル。だからといってこの人の功績が否定されるわけではない。そもそもいい悪いじゃないんだし。自由主義の旗を降ろさなかったがゆえに、本人の本意ではない大英帝国の幕引きを担うことになったというこれ以上ない矛盾と皮肉

・要するに大英帝国は単独では存続不可能。史実でもイギリスはそれを認識していたし、だからアメリカに反対しなかった。でもアメリカはイギリス側の思惑なんか知ったこっちゃなかった(そりゃそうだ)さて日本が加わってどうなるか

・この作品の主役誰だっけ?(おい)

・経済や貿易協定に関してはそれっぽく単語をつなぎ合わせているだけ…という言い訳。

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