獨逸青少年團歡迎の歌 / 國民新聞・東京日日新聞 連載特集・北原白秋の東西新聞への抗議文 / 東京府荏原区 松平恆雄邸 / 東西新聞号外(1938年9月)
「どんな荒れ狂った嵐の日にも、時間は経過するのだ」
ウィリアム・シェークスピア作・劇曲『マクベス』より
燦たり輝く ハーケン・クロイツ!
ようこそ遙々 西なる盟友!
いざ今、見えん 朝日に迎へて
我等ぞ東亞の 青年日本!
萬歳 ヒットラー・ユウゲント!
萬歳ナチス!
- 『萬歳ヒットラー・ユウゲント(獨逸青少年團歡迎の歌)』1番 -
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- ヒトラー青年団、伊勢神宮参拝へ -
来日中のヒトラー・ユーゲント団が、伊勢神宮を参拝することが決まった。宮内省や文部省から一部慎重論も出たが、ドイツ側の強い希望もあり、政府がこれを受け入れた。青年団は東照宮への参拝を皮切りに、北海道や東北各地を視察。各地で歓迎を受けた。現在は鎌倉に滞在中の一向は、10月には岐阜県関市で日本刀の製造を見学した後、神宮へと参拝する予定であるという。
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聽けわが歡呼を ハーケン・クロイツ!
響けよその旗 この風この夏!
防共ひとたび 君我誓はば
正大爲すあり 世紀の進展!
萬歳 ヒットラー・ユウゲント!
萬歳ナチス!
- 『萬歳ヒットラー・ユウゲント(獨逸青少年團歡迎の歌)』2番 -
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- 右翼団体の抗議運動激化。各地で警戒 -
かねてから予定されていた神宮参拝をめぐり、右翼団体の反対活動が激化している。25日には鎌倉市における抗議活動が市当局により直前に規制されたことから、一部団体が警視庁から出向した特別警備隊、および神奈川県警の警備部隊と衝突。12名の逮捕者と5人の重軽傷者が出た。
亜細亜主義を掲げる右翼団体は、ゾルゲ事件による近衛公爵失脚以来、ドイツへの反感を強めていたが、第2次上海事変におけるドイツ国防軍の国民党軍への支援を契機に「日支友好を妨げたのはドイツの陰謀である」として反独運動を開始した。昨年11月には東京日比谷公園において元農林大臣の山本悌二郎氏(政友会)や俵孫一氏(民政党)が発起人となり、ドイツに対する両院での抗議決議を求める国民集会が開催された。同大会では玄洋社系の対外部門である黒龍会が事務局メンバーに参加していることが確認されている。山本氏は昨年末に死去されたが、同氏の大臣時代の秘書官であった河野一郎代議士が中心となり、対ドイツ抗議を決議するべく奔走を続けている。しかし俵氏が内閣改造により入閣したこともあり、実現の見通しは立っていない。
中でも黒龍会の反応は激しい。内田良平氏死去を受けて会長に就任した葛生能世氏は「ソビエトとドイツこそが、東亜団結と亜細亜民衆の敵である」「ドイツは団結した日支の実力を恐れており、その為に蒋介石氏をそそのかして戦争を仕掛けたのだ。真の戦犯はドイツだ」と公言してはばからない。就任間もない葛生氏が黒龍会における基盤を固めるために手柄を欲しているのだという冷笑的な見方もあるが、葛生氏の背後に頭山翁の姿を見る向きもある。
帝国日本における民間政治団体の草分けであり、今もなお国粋右派勢力の領袖として伝説的な存在である頭山満氏は、83歳という高齢ではあるが、福岡県出身の衆議院議員や高級官僚、貴族院議員などを通じ、依然として政財官に幅広い影響力を有している。同氏は辛亥革命以前から孫文氏を後援するなど、国民党系勢力とは半世紀以上もの長い関係にある。同氏がドイツの国民党支援に不満を持っているのは明らかであり、実際いくつかの雑誌の取材において同様の不満を述べていることが確認されている。
これら右派団体主導の反ドイツ運動に対して、現在の林内閣は一貫して距離を保っている。ドイツへの留学経験もある林総理は、ユーゲント団員の歓迎晩餐会を主催し、政財界に協力を呼びかけるなどドイツとの友好関係醸成に余念がない。ドイツも満洲国承認を通じて日本側へのアプローチを続けている。一方で林内閣はかねてから親英派とされるようにイギリスとの関係を重視しており、現在は経済交渉の為、外務省の特命全権公使の伊藤述史を団長にした使節団をロンドンへと派遣している。連立与党内からは「ロンドンとベルリンに二股をかけているのだ」と揶揄する向きもあるが、林総理は平然としたものである。むしろ反ドイツ運動を如何に抑えるかに苦慮しているとする見方もあるが-
- 國民新聞(9月28日) -
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燦たり輝く ハーケン・クロイツ!
勤勞報國 またわが精神!
いざ今、究めよ 大和の山河を
卿等ぞ榮ある ゲルマン民族!
萬歳 ヒットラー・ユウゲント!
萬歳ナチス !
萬歳ナチス !
- 『萬歳ヒットラー・ユウゲント(獨逸青少年團歡迎の歌)』3番 -
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…東西新聞社の対応には不満を禁じえない。確かに私は東西の依頼により、この詩を書いた。しかし勝手に改変する権利など与えた記憶はない。私の詩精神と表現が冒涜されたのだ。私はいかなる時も自らの信念を曲げて作詩したことなどない。断っておくが、私は反独逸主義者ではないし、まして親独逸派でもない。私は聖徳太子が隋の煬帝に送った国書、つまり「日出づるところの天子、日没するところの天子に書を致す」の精神で書いたと自負している。独逸と日本、日本と独逸は対等の関係であり、上下関係にあるものではない。私はあくまで日本の詩として、彼らを、遥々西欧から来日した青少年団を歓迎する為に書いたのだ。
それを東西新聞は、この日本の詩を勝手に独逸語風の発音に書き換えたのだ。彼らが日本をヤーパンと呼んでもかまわない。それが彼らの言葉なのだから。しかし何ゆえ東西新聞はラジオ放送において「ハーケンクロイツ」「ヒットラー・ユーゲント」「ナチス」と私が表現した日本の詩を、独逸生粋とかいう巻舌で表現したのか。大凡だが検討はつく。独逸語に詳しいと自惚れた輩が「これは独逸語の正しい表現ではない」とでも言ったのだろう。
媚び諂うのは友好ではない。
- 東西新聞(文化面)『東西新聞社に問う』北原白秋寄稿 -
(東西新聞は緒方社長名で謝罪広告を掲載、文化部の担当者と責任者には減給処分が下された)
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記者:すでに予定の半分を経過されたわけですが、最も印象に残っておられることはなんでしょうか?
シュルツェ団長:豊かな自然、厳格にして団結した国民性などいくつかありますが、やはりその中でも印象に残っているのは福島における白虎隊々士の墓参ですね。
記者:天候が優れず見送るべきではないかという意見もあるなか、悪天候の中で参拝を強行されたと聞きました。
シュルツェ団長:その通りです。ご存知の通り、戊辰戦争において彼らサムライは、圧倒的な政府軍を前に装備に劣りながらも果敢に戦いました。主君への忠義を貫き、故郷を守ろうとしたのです。わずか20にも満たない、私たちと大して年齢の変わらない彼らがです。
シュルツェ団長:ご存知のように、我がドイツは、ほんの数年前まで困難な時代にありました。ですがヒトラー総統の率いる国家社会主義ドイツ労働者党は、腐敗するワイマール政府を批判しつつ、赤化の脅威と戦う状況にありました…今の私たちからは想像も出来ませんが、当時、ドイツにおいて総統率いる勢力は少数派でありました。共産党との戦いにおいては、我らユーゲント団の先達も凶弾に倒れています。絶望的な状況にありながら主君への忠義を最後まで貫いた武士道。若きサムライ達の愛した故郷と、最後の地を、ぜひこの目で見たかったのです-
- 東京日日新聞 連載特集『ヒトラー総統の息子達の日本滞在記』より抜粋 -
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現在の帝国日本の駐英大使は、何かと物議を醸すことで知られる宇垣一成元陸相である。外交官のみならず多くの官僚機構の常でもあるのだが、外務省は主流派・非主流派を問わず、この人事に省を挙げて反対した。組織内部の秩序(順送り人事)が乱れることを嫌ったのもあるが、宇垣という陸軍の実力者かつ厄介者であり、また敵の多い人物を外務省が庇護するかのように、あるいは受け入れるかのようにとられることを嫌ったからである。
前任の駐英大使である松平恒雄もこの人事に反対した一人である。
今は平民とは言え、父は松平肥後守で知られる松平容保というれっきとした旧会津藩主の一族である彼は、その娘が直宮である秩父宮親王に嫁いでいる。そのため政治的な言動を控えていたが、この時ばかりは反対論の先頭に立った。しかし外務大臣を兼任した林銑十郎がこれを押し切り、松平はやむなく宇垣に引継ぎをして東京に戻った。それから2年近くが経過したが、松平には新たな大使職を提示されることもなく、関東大震災後の沿線私鉄による大規模な宅地開発により建築された自宅において、外務省顧問の肩書きを持て余していた。
退役陸軍大佐の町野武馬が荏原の松平邸を訪問したのは、彼が福島県内におけるヒトラー・ユーゲント団の案内役を無事御役御免となった9月の終わりのことである。
旧会津藩士の出身である町野は、紋付羽織袴姿で日本酒の瓶が入った風呂敷をぶら下げながら「ご無沙汰しております」と、かつての主家筋の家に、さながら友人のような気安い態度で上がりこんだ。町野からすれば松平は主家筋とはいえ、すでに華族籍を離れた平民籍であるし、何より幼少期からの顔なじみである。必要以上にしゃちほこばる必要性を感じていなかった。これは松平も同じことであり、町野の態度を咎めることもなく通した。
「相変わらず暇そうでなによりだ」
古武士のような風貌に似つかわしいざっけのない町野の言葉に、応接間のソファーに丸机をはさんで座った松平は、いささか苦笑混じりながらも否定することもなく頷いた。こちらも血筋に似つかわしく、いかにも殿様然としている。
「忙中閑有り……と言いたいところだが、たしかに暇だな」
「その体を見ればわかる。俺が林さんに口を利いてやろうか」
町野の憎まれ口に、松平は今度も苦笑するだけで応じた。
旧会津地方の関係者や縁故のあるもので形成される会津会の中でも、町野は家柄は無論、知名度や顔の広さでも異色の存在である。父は『最期の会津武士』と呼ばれた町野主水。彼自身、陸軍軍人として日露戦役の旅順攻防戦における白襷隊の生き残りであり、参謀本部を経て、退役後は福島県選出の代議士や奉天軍(張作霖)の顧問を歴任した。会津会において町野以上に社会的地位の高い軍人や官僚は数多いるが、存在感や影響力という意味においては町野と並ぶ人間はそうはいない。口を利くというのであれば、しかるべきところに世話を焼いてくれるのであろうが、松平はそれをやんわりと固辞した。
「生憎だが、そこまでして働きたいと思うほど、私は仕事熱心ではないのでね」
「宇垣大将と比べられるのが嫌なのか」
「それもないわけではない。しかしそれだけじゃあないよ。ところでユーゲント団員のお守りはどうであった?」
松平は茶で口を濡らすと、話題を切り替えた。この話はこれで終わりにしたいという思惑が透けて見えたが、町野はあえてそれ以上追求するつもりもなかったので、これに応じた。
「何、さして苦労はなかった。あちらもエリートばかり、将来の幹部候補生を見繕って送ってきたのだろう。どこぞの悪ガキとは違う。多少大人しすぎて、物足りなかったのも事実だが」
町野はそういうと上半身をわずかに丸まるように屈めて、松平の顔を覗き込んだ。
「しかし宮内省がよく神宮参拝をよく認めたものだよ。あそこはナチス嫌いの君のお仲間だらけだろう」
「相手が頭を下げたいというのだから、断る理由などない。それに必要以上にナチス…ドイツの現政権の反感を買う必要もないと官邸から遠まわしに指摘されたようだ」
宮中に伝のある松平の言に、町野はさもありなんと頷く。国家に永遠の友人はないというが、永遠の敵もいないのも事実である。松平としても、必要とあらば相手がファシストであろうとアカであろうとも交渉のテーブルに引きずり出すだけのパイプを維持しておくのが外交官としての矜持でもあった。
「いまやナチスは飛ぶ鳥を落とす勢いだからな」
「町野さんがナチスシンパだとは知りませんでしたな」
解っていながらもあえて揶揄するような松平の言葉に、「まさか」と町野が顔をしかめて見せた。
「ソビエトをけん制するためにドイツと一定の関係性を保ちたい。その必要性は理解するが、あのような押し入り強盗のような政権を好き好んで支持する気はない。それに好き嫌いで付き合いの選り好みをしてはいけないというのは、外交官たる貴様のほうがよく理解しているはずだろう」
「頭で理解しているのと、実際にそのように振舞えるかというのはまったくの別の問題だよ。秩父宮殿下の訪独と、ナチ党大会出席を遠まわしに阻止された林総理の決断には感謝しているが…」
松平は苦い感情を飲み込むかのように、目の前の湯飲の茶を流し込んだ。婚約の際に華族籍とするため養女に出したとはいえ、自分の娘の婿であり岳父となる秩父宮は、どちらかといえば親ドイツ派であり、かつては青年将校との関係も指摘された。自他共に認める親英米派の松平からすれば、とんでもない話である。
それ故にただでさえ直宮と、それも政治的に親英米派の跋扈する宮中で難しい立ち位置にある娘婿と、直接的な縁戚関係にある自分を外務省が持て余しているのは松平も感じてはいた。
「……実は内大臣の斎藤実子爵から宮中にポストを用意するといわれている」
「体のよい押し込め隠居だな。外務省-というよりも林総理にとっては、よほど貴様の存在が邪魔なのだろう。どうせ外務次官になれるわけでもなし、受ければよいではないか」
「私個人が次官になるとかならないとかいう問題ではない。そう簡単に言ってくれるな」
「今のまま外務省で無役でいるのもつまらんだろう。君が常日頃言う宮廷外交、それを実行に移すには外務官僚でいるよりも、むしろ宮中にいるほうが何かと都合がよいのではないか?直宮様の岳父とあれば、あだ疎かには出来まい」
「それはそうなのだが」と松平は考え読むように自らの顎に手をやる。今の陛下は皇太子時代に欧州を歴訪されたが、その時も内外から大きな反対があった。明治維新以来、物理的な制限や限界もあり、海外での王室行事などへの参加は皇族が名代となるのが常であり、先の英国王ジョージ6世の戴冠式も秩父宮が陛下の名代として参加している。久邇宮家や伏見宮家など皇族は多数いるが、やはり直接的な兄弟関係にあり、比較的お上と年齢の近い秩父宮ほどの「重さ」はない。
「だからこそ、反対出来ないこともある。大勢が固まってしまえば、いくら岳父だなんだと言ったところで」
「鈴木さん(貫太郎)以来、侍従長は海軍出身者ばかりだ。斎藤さんにしても海軍出身の元首相。君の同志はいくらでもいるだろう……ずるいと言ってくれるなよ?適当に手を抜いて人に任せるのも力量のひとつだ」
「それは、私の父への嫌味かね」
「さて、どうだろうか」
眉間に皺を寄せる松平に、町野はわざとらしく肩をすくめて見せた。幕末政治において京都守護職というババを押し付けられ、戊辰戦争における敵役となった松平容保は恒雄の実父である。容保は政治的な虚言を呈さず真面目に取り組み、それゆえに政治的な責任を一身に負う形となり、会津を地獄に叩き落した。町野の父である主水は家族を失っている。
「私たちのような士族-武士階級はいい。先祖伝来の禄を食む以上はそういう覚悟であるべきだし、不平不満を言うべきではない。しかしだ。正直なところ農村部ではその感情の持って行き所がないのだ。勝手に戦争を始めたあげく、総動員体制を強いて農村を戦禍に巻き込んだとね。だからこそ金払いのよい政府軍に農民が積極的に協力したわけなのだし、藩も減封ではなく、遥か遠い陸奥への国替えを選んだのだから」
「おまけに藩主親子は腹も切らずに生き延びた、か。容大の兄(松平容大)がぐれるわけだ」
「といっても恨み骨髄というほど単純なものでもない。おらが殿様なのだからね。白虎隊の遺体を政府軍の圧力にも拘らず丁重に扱い葬ったのも会津の農民だ。だからこそ納得出来ない事もあるのだろう。明治初頭の三島(通庸)県令の強引なやり方への反発から、旧藩政への懐古主義のようなものが出てきたのも事実なのだが……とにかく一言では言い表せるようなものではない」
福島2区の代議士として選挙区をまわった町野はそれを嫌というほど味わった。白河以北一山百文、戊辰戦争以来の屈辱をばねに原敬は帝国の宰相に上り詰め、旧東北諸藩出身の多くの著名人は政官民で活躍した。
それでも会津の松平と庄内の酒井がもう少しうまくやれば、新政府軍に東北の蹂躙を許すこともなかったはずだという恨み節は、澱のように会津の地に残り続けているように町野には思えた。城下を戦場とした松平が出て行ったかと思えば、後から来たのはより苛烈な新政府の県令。これで感情が拗れない方がおかしい。
「つまり白虎隊士の墓は、会津藩への意趣返しというわけか」
「私も会津武士の末裔だ。松平様(容保)の生き様を批判するわけではないし、否定するようなこともしない。とはいえ地元住民にその思いが全くなかったわけでもなかろう」
「それをムッソリーニだのナチ・ドイツだのが賞賛しているのが皮肉といえば皮肉だな」という町野に、松平は今度こそ明確な渋面を浮かべた。
福島県の視察で白虎隊士の墓参を熱望したのは、日本側というよりもヒトラー・ユーゲント団のほうである。元ドイツ大使の石碑や、元老院とともにムッソリーニが送った記念碑にユーゲント団が黙祷をささげた姿は非常に絵になり、翌日の新聞にはこぞってこの写真が引用された。日本側の随行団の一員として参加した町野からすれば、不快感よりも感心するばかりである。
「誰が絵を描いたかは知らないが、相変わらずドイツ人は新聞記事になりそうなネタを提供するのがうまい。ベルリン・ローマ枢軸に日本を結びつけたいという政治的な下心を、若き隊士の武士道を顕彰すると言う建前で覆い隠したわけだ。日本人はこういう浪花節的なお涙頂戴のお話が好きだからな」
「それこそひねくれすぎてはいないかね?」
「何、支那大陸で軍事顧問なんかをやるにはこれくらいでちょうどいいのさ。相手の好意を素直に受け取るような間抜けは、骨までしゃぶられた挙句、出汁をとられて髄まで噛み砕かれ、その後に砕いて漢方薬として売られる土地だからな」
松平は呆れたように首を横に振るが、町野は真面目くさった顔をして続けた。
「綺麗は汚い、汚いは綺麗、さあ飛んでいこう。淀んだ空気と霧の中」
シェークスピア作劇の『マクベス』。そのあまりにも有名な魔女の台詞を口にする町野に、松平は鼻白みながら尋ね返した。
「わが父も魔女の甘言に踊らされた愚か者といいたいのかね?」
「その逆だよ」
むしろその方がよかったかもしれないと町野は続けた。父の主水が聞けば激怒するだろうが、単なる愚か者であれば旧会津藩士も領民も感情の持っていきようもある。しかし松平容保は実際にはそうではなかった。
「人格高潔にしてつまらぬ政治的策謀を嫌う。むしろマクベスに暗殺されたスコットランドのダンカン王か。肥後様が少しでも不真面目なら、京都守護職という厄介なものは引き受けられなかったと思う。国元も江戸藩邸も大反対であったことだし。しかし引き受けられた。引き受けざるをえない状況に追い込まれた」
「綺麗と汚いを使い分けられなかったというわけか。政治的に未熟で稚拙」
「人として、あるいは武家の主として肥後様ほど魅力的な人もそうはいないだろうが」
「だからこそ、今こうして我らが存在できるのだろうが」と町野は続けた。町野主水が家族を失わなければ、後妻を迎えることもなく、町野武馬がこうして悪態をつくこともなかっただろう。また松平容保が腹を切っていれば、松平恒雄が外務官僚として大使にまで上り詰め、直宮様の岳父として会津の政治的な復権を成し遂げることもできなかったはずだ。
生き恥をさらしたという批判に耐え、生き延びたからこそ今の自分達があるということを、この二人は誰よりも理解していた。
だからこそ腐れ縁のような関係が続いているのかもしれない。松平はそのようなことを考えながら、町野の言葉の裏に含まれているであろう複雑な感情に気がつかないふりをして更に尋ねた。
「ユーゲント団員にとっては、あの総統閣下も忠義の対象というわけか」
「先祖伝来の血ではなく、自ら勝ち取った、あるいは選んだという違いはあるだろうがね。それで実際にどうなのだ。あのフューラーは戦争を始める気なのか」
「それはイギリス人次第だろうな」
町野の問い掛けに松平は冷たく吐き捨てた。
「フランス人も堕ちたものだ。真にドイツを押さえるつもりがあるなら、イギリスを頼らずとも単独でやればよい。わざわざロンドンに首相と外相が出向いて『戦争を始めれば自分達を支援するか』などと聞くとは。クレマンソー元首相が生きていれば一喝されるだろうよ。『お前達の旗はユニオンジャックか!』とな」
「そのようなことだからドイツに足元を見られるか。それだけ先の大戦の遺産が重過ぎるのだろうが」
「そのようなことが関係あるか。問題の本質は欧州大陸の主導権をベルリンが握るか、パリが維持するかという点のみ。ベルリンの尻をなめたくなければ、今戦わずして、いつ戦うというのだ!」
苛立たしげに松平が膝を揺らし始めるのを見ながら、町野は「やはり彼は殿様だな」と感慨深く頷いた。
徴兵制の国民軍において、先の大戦における戦死者約140万人というのは政治的な縛りである。チェコスロバキアの為に再びそれだけの死者を出せるかと言われてうなずけるフランス国民はいないだろう。仮に勇気ある政治家が「Oui」と決断したところで、次の選挙で有権者に「Non!」を突きつけられるのがオチだ。多党制と派閥の分裂が続く今のフランスの政情では、選挙になる前に内閣が崩壊する恐れすらある。仮にそのような状況で「正しい判断」を貫けるとすれば、それは貴族であり殿様のような民意を無視できる存在だけだ。
「しかしな松平、スペイン内戦も終局に向かいつつある。7月から人民政府はエブロ川沿いで大攻勢を仕掛けているようだが、どうも勢いがない。地中海沿いに南北に分断された領土を繋ぐどころか、共和政府側はカタルーニャ州に閉じ込められつつある。人民政府にそれを救援する力はもう残されていないだろう」
「国際旅団とやらも、名ばかりでまったく役に立っておらんしな」
松平は唾棄すべきであるという感情を隠すこともなくはき捨てた。スペイン内戦は内紛続きの人民政府側の敗北が確実視される状況になりつつあり、ソビエトも支援を引き上げつつある。残されたのは人民政府を守るというヒロイズムに殉じる事を決意した義勇軍ばかり。エブロ川攻勢が失敗に終われば、カタルーニャ州陥落は必須である。そしてカタルーニャ州は地中海に面したフランスとの国境に位置する。
「フランス政府としてはドイツよりもカタルーニャからの難民流入をどうするかの方が、より切実で頭が痛い問題なんだろう。バルセロナ政府を支持していたから出て行けともいえないし、それに連立政権内部の綱引きもある。共産党や急進社会党左派は共和主義者を受け入れろと主張するだろうし、右派や軍部は国内の不安定化につながると反対することは間違いない」
「そのような下らぬ目先の問題が大事だというのか!今がどういう状況か、パリは理解していない!」
「理解しているさ。理解しているからこそ、身動きが出来ないんだろう。今のフランスの首相にしても政権を失うことを恐れているわけではない。倒閣による政治的空白が怖いのさ。そしてそうせざるを得ないようにベルリンは手を着々と打って来た……最もこの時期に合わせるつもりでフランコ将軍を支持していたわけではないだろうが」
「まさに綺麗は汚い、汚いは綺麗というわけだな」
松平はがりがりと頭をかいた。責任感が強いゆえに自らの地位と政権の存続にこだわる。政権の存続にこだわるゆえに相手に妥協をせざるを得ない。そして妥協をすれば政治的に正しい、自分が本来行いたい、あるいは行うべき政策が実行出来ない。松平容保の子として、その政治的なもどかしさは理解出来るが……
「だからといってベルリンのやり方で政敵を粛清すれば、パリはパリではなくなるだろう」
「そんなことが出来るだけの実力も組織もないだろう。しかしな町野、戦争に負ければ国が滅ぶのだぞ」
「それを選ぶのはフランス人さ。私や君ではない」
町野はそう言うと、悲憤とも憐憫ともつかぬ色をその顔に浮かべる。
「綺麗は汚い、汚いは綺麗、綺麗は汚い、汚いは綺麗。さあ飛んでいこう、汚れた空を掻い潜り」
綺麗な死もあれば、汚い生き方もある。松平や町野はそれをいやというほど叩き込まれてきた。確かに死んでしまえば、それで御仕舞である。汚くも生きていればこそ、生き延びたからこそ成し遂げられることもある。
「ユーゲント団員が白虎隊に憧れるというのも、妙な話だ」
松平は感情のこもっていない声でぽつりとつぶやくように言う。今の会津の復権にしても、朝敵の会津が、わずか100年足らずの間に直宮様と縁戚関係になると一体誰が想像出来ただろうか。それにしても会津と同じく焼け跡の中から復興したドイツの青少年が、亡国の青少年の忠義に-死に様に憧れる。これほど皮相な話があろうか。
「憧れているからといって結末まで真似をする必要はない」
町野の接したヒトラー・ユーゲント団員は、規律正しく素直な少年達であった。願わくば、汚くとも生きる道を選んで欲しいものだとは、町野は口にはしなかったが、おそらく黙って茶を飲み干した松平も自分と同じ感情であろうことは伝わった。
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- 英独仏伊4カ国首脳会談開催へ -
第2次欧州大戦の危機回避なるか。28日午前、イタリア王国のベニート・ムッソリーニ首相が提案した首脳会談に、英仏独の3首脳が同意した。会談場所はフランスの首都パリ、スイスのジュネーブ、あるいはドイツ南部のミュンヘンが有力視されている。チェコスロバキア政府に最後通牒の回答期限を同日の午後2時に設定していたドイツのヒトラー総統は「我が友人の提案を受け入れる」とのコメントを発表した。
イギリスのチェンバレン首相は閣議を切り上げ、バッキンガム宮殿に上奏。ウェストミンスター宮殿で開かれた緊急の両院合同会で提案受け入れを宣言すると、集まった議員から大歓声を浴びた。ジョセフ・アヴェノル国際連盟事務総長、ローマ教皇のピウス11世も歓迎声明を発表。ホワイトハウスはスティーヴン・アーリー報道官が「各国の平和の維持に向けた粘り強い努力と行動に敬意を表する」声明を発表した。国務省からのコメントは確認されていない。当面の戦争開始は避けられたという見方が広まり、ロンドン、パリ、フランクフルトの証券取引所では連日の低迷が一転して大幅に反発。これを受けてNY株式市場も全面高の展開である。
- 阿部内閣官房長官「情勢を注視」 -
阿部信行官房長官は閣議後の記者会見で「情勢を注視している」と述べ、4カ国首脳会談への直接の回答は避けた。
- 東西新聞 号外(9月29日) -
・北原白秋。日本の国民的作詞家。伏見軍令部総長宮を讃え奉る歌とか、いろいろ物議ありそうなのも作っているが、ドイツ万歳の時代に「俺の詩を勝手に変えるな!」と激怒したあたりにプライドを感じる。
・実際にはこの時代は反英運動全盛期。それを反ドイツ運動に改変しただけというネタばれ。日中戦争の激化に従い反英運動も燃え上がっていくのを、早期停戦でドイツ支援関与&ゾルゲ事件というので反ドイツに…なんでこんなにぐだぐだ説明しているかというと、まあ無理あるだろうなと思いつつ書いているから(おい)
・頭山満、まあ一種の政治的怪物。東洋的な大人というべきか。とにかくこの人もいろんなところに名前出てくる。
・なんだかんだでやろうと思えば強引な人事は可能。馬場人事(大蔵省)、松岡人事(外務省)とか。大臣のキャラクターにもよるのだろうけど。まあ上手くいくほうが珍しい。組織防衛の常だけどさ
・松平容保や白虎隊を茶化したいわけではないんですが、まあこういう書き方になってしまい。嫌いじゃないんだけど、こうほかを差し置いてでも好きか?と聞かれると困る感じってあるじゃないですか(言い訳)
・町野武馬、この人も面白い人だと思う。軍事評論家という枠にはまらない。戦後は吉田茂とも付き合っている。