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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
34/59

東西新聞(夕刊版)/ 東京府牛込区 神楽町 某料亭 / 総理官邸別館(日本間)執務室 / 東京日日新聞(国際版)(1938年9月)

『党派根性は、偉大な人間さえも大衆の卑小に低下させる』


ジャン・ド・ラ・ブリュイエール(1645-1696)


- 林総理が帰京。予定されていた記者会見は延期へ -


 朝鮮半島の視察、および満洲国への公式訪問を終えた林銑十郎首相は19日午後、特別列車で東京駅に到着した。皇居に参内して天皇皇后両陛下への帰国報告を終えた後、総理官邸で記者会見をする予定であったが、延期が発表された。臨時首相代理を務めた阿部信行内閣官房長官は「総理不在中の懸案について政府与党および閣僚と協議するため」としている。


- 駐日英国大使が総理官邸を訪問。英独首脳会談についての報告か -


 19日夜、英国のクレイギー大使が総理官邸を訪問した。同行したサー・サンソム商務参事官は記者団の問いかけに「英日経済協議に関する報告」と答えたが、会談に同席したと思われる澤田外務事務次官、林桂・陸軍次官らは無言を貫いた。ベルヒテスガーデンで行われたズデーデン問題を巡る英独首脳会談の成果について、英国政府より通知があったものと思われる。ドイツの若き総統と大英帝国の老宰相が再度の欧州大戦を防ぐことが出来たのか、注目される。


- 東西新聞(夕刊版)(9月20日) -



 衆議院の第1党である立憲民政党の幹事長を務める勝正憲は、元大蔵官僚である。東京帝大法学部卒業後、文官高等試験に合格すると、大正末期に東京市助役に就任するまで20年近く税務畑として日本全国を渡り歩いた。政界に転じた後も民政党内閣で経済関係の役職を歴任し、税制に関する解説本を多数出版するなど、党有数の財政通として知られている。故に幹事長という選挙対策の総責任者というポストは、どうにも畑違いの感がぬぐえなかった。それも町田総裁直々に「次の総選挙までに資金集めをするのが君の仕事」と言われては……


 党本部での会合を終えて、牛込区の神楽坂の料亭街に車をつけた勝は、待ち構えていた各紙の記者を適当にあしらうと、「ここのは美味いからね」と一軒の蕎麦屋に入った。


 海千山千の政治記者連中は、その蕎麦屋が近くの某料亭の系列下にあることや、地下を通じてその料亭に通じていること、その蕎麦屋が秘密の出入り口として利用されている事まで承知していたが、わざわざ記事にすることはしない。よほどのネタがあるのならともかく、何もない中で衆議院第1党の幹事長の不興をわざわざ買うようなまねをする必要が感じられなかったからだ。まして花柳街の暗黙のルールを破ることで出入禁止となっては、公私共にたまったものではない。


 勝手知ったるなんとやらと、勝は玄関番の老人の案内を待つまでもなく地下を通じて料亭に入ると、今度は女将の案内に従い、入り組んだ廊下を何度も渡り、奥の間へと通された。敵から身を守るためにあえて複雑にしている……わけではなく、他の客と顔を合わせないようにという料亭側の配慮である。


 目的の牡丹の花が描かれた襖の前に立つと、女将が「お連れの方が到着されました」と声をかける。中からの返事を待ち「ありがとう」と女将に頭を下げながら勝が中に入ると、先客の二人-内ヶ崎作三郎(民政党総務)がこちらに向かって頭を下げており、その横では大麻唯男(民政党総務会長)が「やぁ、勝しゃん」と、右手を上げていた。


「いや、遅くなり申し訳ない」

「とんでもありましぇんよ。御足労ばおかけして、申し訳ありましぇんね」


 酒臭い息を吐きながら、大麻は勝に床の間の上座を勧めた。しかし勝は脚を踏み出そうとして、戸惑った様な視線を両者に向けた。


 明治の民党の流れを汲む政友会と民政党という2大既成政党(保守政党)において、幹事長は中堅幹部の就任するものである。男子普通選挙法改正と同時に中選挙区制度が復活すると、さらにその傾向は強まった。同じ政党の候補者ですらライバルになる状況では、選挙対策の責任者であっても、自力で当選するだけの地盤と資本力を持つ有力者相手には、その威光は通じない。名幹事長といわれた安達謙蔵(民政)や松野鶴平(政友)は、そのような状況でも幹事長として巧妙に選挙戦を指揮して勝利したがゆえに「選挙の神様」と呼ばれたのだ。


 勝が町田忠治総裁の側近であり、また財政通であることは誰もが認めるところだが、彼は選挙戦を指揮したことのない幹事長である。


 年齢でいえば内ヶ崎が61歳、勝が59歳、大麻が49歳と迷うまでもないのだが、政界の秩序とは当選回数が全てだ。そうなると大麻は当選5回で最多となり、内ヶ崎とは当選回数は4回で同じだが、彼は初当選は大麻と同じ大正13年の第15回衆議院選挙(1924年)であり、落選が1回あるためだ。


 ところが大麻は政友本党系、内ヶ崎は憲政会系の生え抜きであり、後者が今の民政党の主流であるという認識は根強い。このようなことを考えると内ヶ崎や大麻を差し置いて自分が上座に座るのはためらわれた。


 このような勝の逡巡を見て取ったのか、大麻が立ち上がると「ま、ま、幹事長でしゅしね」と無理やりその背中を押して、上座に押し込むように座らせる。一番年少でありながら、一番押しが強く、そしてそれが「政治力」という奇妙な言葉ひとつで許されるのが永田町というところだ。


「大麻先生と内ヶ崎先生を差し置いて私がよいのでしょうか」


 ここで今更「じゃあ席を替えましょう」という返事が返ってくるわけもないのだが、勝はあえて尋ねる。こうした場で勧められた席に何の疑いも持たず、遠慮も会釈もなく座るような人物は、少なくとも選挙には当選しない。通念上の社会慣習と社交辞令、そして独自の政治文化。本音で話す関係を構築するためには、不合理な建前を一通り演じることで、本音で話すだけの価値があると相手に認めさせる必要がある。勝はこうした慣習が馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、それを演じることを苦とする性格ではなかった。


 普段から酔っているかのような口調と眼差しの大麻は、丸眼鏡の下から何を考えているのか読み取りにくい視線を勝に向けて、ひとつ頷くと口を開いた。


「いやいや、勝せんしぇいには、何かと手元不如意で大変な時期に、党の幹事長という重責を担われているわけでしゅからね。当然んことばいね。私も総務会長として、協力ば惜しみましぇんぞ」


 ならば貴方がやればよいのだという不満を、勝は飲み込んだ。政党内閣崩壊以来、財閥は既成政党攻撃に巻き込まれることを恐れて、政治献金には慎重であり、財界全体としても政党の足元を見て献金を渋る傾向が続いている。「右翼や過激派の攻撃対象になりたくない」を大義名分にすれば、堂々と献金を削減出来ると豪語した財界人がいたとかいう真偽定かならぬ話は、勝も町田総裁から聞いている。そのような時期に選挙の責任者を押し付けられるなど、貧乏くじ以外の何者でもない。


「大体、選挙の指揮という意味でしたら、ご本人を前に言うのもなんですが、内ヶ崎先生のほうが適任ではありませんか」

「……情勢を分析するのと実際に選挙戦を指揮するのとはわけが違いますよ」


 先ほどからうつむいたまま書類に目を落としている内ヶ崎は、鉛筆片手に視線も上げずにそっけなく返す。普通選挙法導入直後に、無産政党の躍進が政界において危機感を持って語られる中、「明治民権運動以来の既成政党優位は揺るがない」と冷静に喝破したのが内ヶ崎である。早稲田大学の教授を経て故郷の宮城県から出馬して当選した彼は、政治家というよりも学者としての雰囲気を漂わせている。少なくとも自分の実力を、過大評価する事は無論、過小評価することからも程遠い人物であった。


 勝は内ヶ崎そっけない返事にため息をつくと、懐からシガレットケースを取り出した。


「例の、岸君のやつですか」

「…幹事長はこれが、それ以外の何に見えるというのですか」


 愛想も何もあったものではない内ヶ崎の回答に、「少なくとも税務申告の書類ではないでしょう」と勝が下手なジョークで応じると、大麻だけが笑い声を上げた。遠くの座敷から聞こえてくる三味線の音が妙に物悲しく、勝は咳払いをして煙草を咥えながら、口髭を撫でる事で誤魔化した。


「それで幹事長、あーたの率直な見解ば、お聞かせ願ごたるんやが、岸君のこれ、どうおもわるる?」


 大麻は『国民健康保険法試案』と題された書類の束を左手でもち、右手の甲で叩く。先ほどの党の総務会で交付された資料なので、当然ながら大麻も勝も同じものを持っており、その内容は一通り目を通している。


 勝はマッチをすると咥えた煙草に火をつけ、赤黒く点滅した後に、息を吐き出した。


「正直に申し上げますと、このような形の持ち込みは極めて不愉快です。これまでの国会審議の過程を踏まえたうえで、党の政策調査会が議論を進めているのです。党外の、それも休職処分中の官僚の法案持込などありえません。それも政調会ならいざ知らず、党の最高意思決定機関である総務会に直接……」

「勝しゃん。私はあーたの岸君への感情についてお尋ねしとるわけでも、これまでん経緯ん説明ば求めとるわけでもなか。お解りやろうけども、こん法案についての成否について、お尋ねしとるんばい」


 幹事長という立場から控えていた不満を煙とともに吐き出すように勝はぶちまけたが、大麻は淡々とそれを否定して本題に戻した。勝は一瞬だけ不満を表情に浮かべたが、再び煙草を、今度は煙を肺まで飲み込むようにして吹かした。


「……現在の林内閣は挙国一致内閣、つまり国内の各政治勢力の寄り合い所帯という形で発足しました」


 「それが現在まで続いているのは、他に変わる人材がいないからです」と勝が身も蓋もないことを言うが、大麻は無論、内ヶ崎も否定はしない。


 5・15事件による政党内閣崩壊後、政党は単独での政権維持は困難になったが、それに続く政権が挙国一致内閣となり、政党勢力も引き続き参加する形になったのは、どの政治勢力も政党を意図的に排除して単独で政権を担うだけの実力がなかったからである。


 例えば陸軍は結局のところ官僚組織であり、予算の裏づけがなければ動けない。海軍はその独自性の維持と、予算を分捕る以外の政治や政局に興味がない。貴族院はその性格上、党派単位で行動出来ない。政党政治に批判的な革新官僚らは各省庁を横断しているが代表的な指導者はおらず、2・26事件で代表格だった後藤文夫内務大臣が暗殺されたことで、頭を失う形となった。既成政党に代わり、革新的な政治を衆議院で推進するという立場の無産政党(社会主義政党)は、議会で圧倒的な少数派の上に内紛続き。平沼枢密院議長率いる平沼系の司法官僚らは政権の足を引っ張ることは出来ても、それ以上のことは出来ない。


「皮肉な話ですが、どの政治勢力からも受けのよかった近衛文麿元公爵の失脚後、政党勢力復権の流れは加速しました。曲がりなりにも戦争に勝利した林元帥に代わるだけの人材はなく、衆議院は私達を含めた既成政党の勢力が依然として過半数を占めています。挙国一致内閣は、新聞や雑誌においては議会第1党である民政党と、第2党の政友会との事実上の連立政権として扱われることも多くなりました」

「……何とも回りくどかね」


 大麻が嫌味を言うが、勝はそれを聞こえなかった振りをして続ける。確かに現状、政党勢力はほかの政治勢力の不振や孤立に助けられる形で政治的に復権しつつあるが、喜んでばかりもいられない。懸案を解決する能力がないと宮中を始め各政治勢力に判断されたがゆえに、政友会、あるいは民政党単独での政権復帰は否定され続けているのだ。それが他の勢力の自滅という形で政権の比重が自分達に傾いても、政権担当能力がなければ、政権復帰をしたとしても同じことを繰り返すだけだ。


 主導権争いのお家騒動が続く政友会とは対照的に、第1党民政党の町田総裁は、政策調査会の充実という形でこの問題を解決しようとしている。モデルは英国保守党の政調会であるが、この前段として、浜口内閣時代に政策能力の欠如ゆえに党外の官僚-浜口総裁の個人的な友人で政治的盟友であった幣原喜重郎(外相)、伊沢多喜男(非政友会系の大物内務官僚)の干渉を許して、次の若槻総裁時代に党の分裂を招いた苦い経験がある。


 そのため町田総裁は党独自の政策立案能力の向上により、党外人の干渉を排除しようとした。また同時に政調会の拡充を党勢拡大に結びつける狙いがあった。


 この町田構想はある程度成功し、党外人の干渉を排除という意味では成功した。ただ問題は、政調会を永井柳太郎派-政策的には町田ら党執行部と相反する中堅若手が牛耳るようになったことである。親英米派・自由経済の信奉者である執行部に、亜細亜主義者の経済統制論者の永井派は衝突した。永井が擁立しようとした近衛元公爵の失脚もあり、町田や大麻らの政治力で執行部が永井派を政調会の中で押さえ込む状況が続いてはいるものの、これでは党の近代化という本旨からすれば本末転倒である。


 その民政党総務会に休職処分中の商工官僚である岸信介が、独自の『国民健康保険法試案』を持ち込んだことで、勝を初めとした党の執行部は頭を抱えることになった。本来であれば門前払いをすればいいだけなのだが、持ち込んだ本人は無論、その内容が内容なだけに、そうも出来ない事情があったからだ。


「よりにもよって国民健康保険とはな」


 勝は忌々しげな表情で煙草を灰皿でもみ消した。


 大正期に成立した保険法を改正し、医療保険及び給付制度の対象範囲を農業従事者や漁業関係者、自営業者などに拡大しようとする国民保険法は、現在の内閣にとってまさに鬼門中の鬼門である。担当官庁である内務省の不手際から、対象範囲や保険料徴収を巡る産業別組合と大日本医師会との対立が国会にそのまま持ち込まれ。昨年(第71回)、本年(第72回)と続いて国会に提出されながら廃案となった。


 利害対立の仲裁が期待された既成政党も、内務省と民政党との緊張関係、政友会の混乱もあり手腕を発揮できず、同じように批判にさらされる結果となっている。


「二度あることは三度あるというが、この場合は仏の顔も三度までというべきか。次の国会で制定に失敗すれば、それこそ政権の鼎の軽重が問われかねない」

「ばってん幹事長、今ん内務大臣は政友会ん三土しゃんだ。考えごつよっては、そう悪うなかとやなかとな?」


 揶揄するような口調の大麻に、勝は「総務会長。いくらなんでもそれは」ととがめるような視線を向けるが、本人はまるで明日の天気を予想するかのような気楽な調子で、とんでもないことを言い出した。


「幹事長はまじめすぎる。こりゃおそらく今ん政調会には話は通っとるんやなかとね?」


 大麻の言葉に勝だけではなく内ヶ崎も顔を上げた。そう言えば今日の総務会に参加した櫻井兵五郎(政調会長)は黙り込むばかりでろくに発言しようとしていなかった。同じ石川県選出の永井の政治的な盟友であり、永井に負けず劣らず押しの強い彼の態度を奇妙に感じなかったわけではない。


「永井と岸のクーデター、か」

「あの野郎、ふざけた真似を!」


 内ヶ崎は拳で机を殴りつけて叫んだ。内閣の鬼門であり懸案の健康保険法改正を主導することで、永井派は党の主導権を執行部から奪い取る。岸を初めとした商工省の統制派はそれに協力することで政治的に復権する。考えてみればこれだけの法案を細部まで一人で書ききれるわけが無いのだと、勝や内ヶ崎はようやく得心したかのように頷く。


 それを見た大麻は、御銚子から手酌で御猪口に酒を注ぎながら口を開いた。


「それで幹事長。こん法案そのものについてはどう思わるるとね」

「大麻さん、あなた何を言っているのかわかっているのですか?どう思うも何も、私は党の幹事長だ。党の規律と秩序を守るのが仕事であり、永井さんの片棒を担ぐのが私の仕事ではありません」


 勝の返答に、大麻は「わかっていない」とでも言わんばかりに首を横に振った。


「幹事長。あーたは御自分んの職責についてまだ理解しとられん。あるいは何か勘違いしとらるるよ。あーたの仕事は選挙に勝つこと、そしてその銭っ子ば引っ張ってくることよ」

「それは、いやそれはわかっております。ですが大麻さん」

「絵ば描いたのが誰であろうと、そぎゃんこつは…はっきり言って、どぎゃんでんよかとね。絵に描いたもちば食ゆるごつするのがわれわれん仕事。最終的に餅ば国民に食わする。そんで国民に感謝してもらって、名前を書いてもらう。つまり誰が餅ば配るかが問題であって、誰が餅ば作るかは問題やなか」

「それは確かにそうかもしれませんが」


 勝ではなく内ヶ崎が戸惑ったような声を上げるが、大麻はそれに答えずに言葉を区切ると、丸眼鏡の下から感情の色がこもっていない冷めた視線を正面の勝に向けた。


「正直なところ、餅ん袋に他ん名前があってん問題やなか。一番大きゅう民政党と書いてあればそれでよかんや。ただ、こん餅ば食べて食中毒でも起こされては困る。だから私は、こん法案ん内容がどうなんかと、税ん専門家でもある幹事長にお尋ねしとるんや。もう一度だけお尋ねするが、こりゃ食ゆる餅になりそうとな?」

「……認めたくはありませんが、先の国会で問題になった負担割合や徴税方法については現状に即した修正がされております。産業別組合に関する負担についてはまだつめる必要があるかもしれませんが、おそらく現状ではベストかと」

「それならよかばい…財界も最近は生意気ばいと思わんかね?」


 大麻が突然話題を変えるが、勝は苦々しげな表情こそ変わらなかったものの大きく頷き、内ヶ崎もこれには強く同意した。


 三井系は政友会、三菱系は民政党支持とされたのはかつてのこと。既成政党が支持を失うにつれて、財界は何かと理由をつけて献金を渋るようになった。その癖、自分達の負担が重くなるような労働法制の制定や工場法の改正、あるいは今回の国民健康保険法についても消極的であり、むしろ廃案を喜んでいる節すらある。


 先の内閣改造まで内務政務次官として廃案となった国民健康保険法に携わった内ヶ崎は履き捨てるように言う。


「自由放任経済を勘違いしておるのですな。必要最低限の税金さえ納めれば、後は知らぬといわんばかりだ。治安を維持するのは国家の仕事、儲けるのは自分達の仕事…確かにそれはそうだ。財閥の社会貢献について否定するわけではないし、我々も理解している。しかし政治の溝さらいだけわれらに押し付けて、自分たちは何も負担せぬなどと」

「内ヶ崎さんの言う通りばいな。社会主義者や統制論者ん声が小そうなったけんといって、彼らんやり方が支持されたわけやなか。そして彼らん代理人になるるんなわれわれ既成政党しかおらん。にもかかわらず代理人がおらんでも問題なかと勘違いしとる」


 大麻は小さく頬を震わせると、身を乗り出して勝の顔を見据えた。


「岸や永井が絵ば書くて言うんなら、われらはそれに乗ってやろう。手柄は我らがおっただけば良か。政治資金ば引っ張ってくるんな幹事長ん仕事。負担割合ば交渉材料にして、恨まれぬ程度に、せいぜい締め上げてやってくれん」


 「何せ幹事長は公平公正なる税ん専門家やけんな」という大麻の言葉に、勝は引きつった笑みを何とか浮かべた。



「先ほどフランシス・ピゴット英国陸軍少将(駐日駐在武官)を通じて、英国政府にヒュー・トレンチャード子爵の招聘を要請しました」


 歴訪を終えた総理が出席し、阿部官房長官の臨時代理の解除などいくつかの事案を決済した臨時閣議の後も、米内光政海軍大臣は総理官邸にいた。別館の日本間において、総理と英国大使との会談が終了するのを待っていたからである。


 慌しく陸軍や外務省の高官らが移動するのを尻目に、米内は暢気に冷酒を煽っていた。出てこないとは思いつつ酒を要望したのだが、本当に出てきたから驚きだ。もっともここに口うるさい山本(五十六)次官がいれば出来ない芸当だが。


 会合を終えた林総理が「お待たせした」と小走りで駆け込んでくるのを、米内は手を上げて向かい入れる。随行するのは総理補佐官の佐藤市郎(海軍中将)だけである。さて今度はどんな無理難題をぶつけてくるのかと身構えていれば、冒頭から予想以上の不穏な単語を平気で投げ込んで来た。


「それはつまり陸海の航空部門を」

「いえ、陸軍航空総監部を、空軍として独立させるつもりであります」


 この言葉に米内は一気に酔いが冷めた。


 林が先ほど名前を挙げた空軍元帥のヒュー・トレンチャード子爵は、イギリス空軍の父と呼ばれる英国空軍の事実上の創設者である。元は陸軍軍人として植民地を渡り歩いたが、初期の航空部隊に所属して欧州大戦を戦い抜き、航空兵力の重要性を主張する彼の強い働きかけを受けて、大戦末期の1918年に創設されたのがイギリス空軍(RAF)だ。参謀長に就任したトレンチャードは航空機運用の一元化など先進的な取り組みを進め、成功も失敗も数多く経験している。


 確かに同じ島国であり、また海軍を有する日本において空軍を創設するのであれば、先例とするにはふさわしいだろう。


しかし陸軍を中心にした空軍創設という単語は、米内にとっては即座に判断のしかねるものだ。


 英国のそれは陸軍航空隊と海軍航空隊の融合したものであり、一時期はすべての航空戦力を空軍に一元化し、空母艦載機すら空軍所属としてあつかうという非効率な運用がなされていた。それを日本において陸軍主導で行うということは、海軍から航空戦力を取り上げるということにしか聞こえない。なるほど、海軍航空に並々ならぬ愛着のある山本を連れてくるなという林の事前連絡の真意は理解できたが、だからといって海軍の責任者としてそのような構想が許容できるわけが無い。


「海軍は陸軍の下請けではありません」

「いやいや、まあ最後までお聞きください。英国空軍も空母艦載機のRAFでの運用はあきらめたようではありますし、実際に航空部門を独立させるというのなら、英国の失敗から学ぶ点も多いでしょう。それとは別にトレンチャード子爵は空軍を植民地の警護-というよりも威圧に使うことに積極的でした」

「野蛮極まりないですな」


 皮肉ではなく、米内は彼自身の本音として思ったことを素直に口にした。アフリカから亜細亜まで広大な植民地を持つ英国は、植民地軍の迅速な展開が困難である。空から威圧して住民を屈服させる。トレンチャード子爵の経験もあるのだろうが、確かに効果的なやり方だ。しかしそれはあまりに野蛮なやり方のように米内には思えた。


「野蛮だろうと何だろうと効果があることは確かでしょう。子爵は御自身が植民地軍時代に苦労されましたからね。空軍を使えば、より少ない兵力で効果的に広い範囲を威圧が出来る。実際に日本のそれで応用できるかはともかく、その経験についてはぜひお聞きしたいのです。人口の問題もありますし、ほとんど人のいない東アフリカと、2000万以上の人口がある朝鮮半島で同じことが出来るとは思いませんがね。それでも、少しでも使えるものがあるのなら使いたいというのが、半島と満洲を実際に視察した私の意見です」

「総理、私が問題としたのはそこではありません」


 米内はそう言うと、林の後ろに直立不動で立つ佐藤総理補佐官に視線を向けた。海軍出身でありながらこのような発言を総理に許すとは、貴様は官邸で何をしているのだという不満を見せたつもりなのだが、佐藤はまんじりともせずにこれという反応を示さなかった。


 米内は仕方なく、自らその不満を口にした。


「先ほど総理のおっしゃった陸軍航空総監部を中心とした空軍の創設。これが陸軍の下になるのか、それとも陸海と並んで空軍という形で大元帥閣下の統帥に属する事になるのか。とにかく憲法上の問題をクリアしたと仮定しましょう。ですがそれが陸軍を中心としたものになるのなら、海軍としては受け入れがたいものがあります」

「しかし米内さん。航空兵力、海軍航空部隊と陸軍航空部隊が融合して新しい組織を作るというRAF方式は日本にはそぐわないでしょう。陸海の協調は確かにすばらしいことだとは思いますが、実際にはどちらかが主導権を握らなければ組織は作れない。仮にこれが海軍が中心となったものと仮定しましょう。その場合、陸軍は賛成しないでしょう」

「ならば何ゆえそのような提案をなされるのか。海軍を馬鹿にしておられるのか」


 米内が珍しく言葉に怒気の色をのせるが、林はいつものように髭を捻りながら「そうではありませんよ」と否定した。


「海軍の実力については私も十分に理解しております。その実力にふさわしいプライドの高さもね。特に先の上海事変におけるシャン陸の活躍。あれは陸軍のいかなる師団や旅団よりも優れた働きでした」


 突然、シャン陸-上海海軍特別陸戦隊の健闘をたたえ始めた林に、米内はその真意がわからず、それ以上の言葉を飲み込む。


 大陸の情勢悪化に従い、各鎮守府から陸戦部隊を出向させて編成していた特別陸戦隊は幾度と無く革命軍やテロリストから上海の治安を死守した。そこで第1次上海事変(1932年)直後にはこれを常設部隊として上海海軍特別陸戦隊に昇格させた。この部隊は海軍における唯一の常設陸戦隊として、先の第2次上海事変(1937年)においても陸軍の増援部隊が到着するまで戦い抜いた経緯がある。


「大川内(傳七)少将の指揮の卓越さについては、上海派遣軍の松井(石根)元帥も畑(俊六)中将も手放しで賞賛しておりました。民間人を守りつつ、かつ民間人に被害を与えないようにして戦う。市街地戦の難しさは陸軍だからこそわかりますとも。まして相手は数も豊富で戦時国際法を無視するなんでもありの国民政府軍ですからな。大川内少将の手腕はいくら賞賛しても賞賛し切れませんとも」

「はぁ、それはありがたいのですが……」

「張学良が殺害されたのはご存知ですかな」


 「……存じませんな」と米内は想わず鸚鵡返しの妙な回答をした。林は神妙な表情で髭を捻った。


「そうでしょうな。わたしも影佐(禎昭)大佐(陸相秘書官)から先ほど聞いたばかりです。楊虎城夫妻とともに銃殺され、遺体は南京市外に晒されたとか」

「蒋介石の仕業でしょうか」

「さて。それはどうでしょう。そもそも張学良と楊虎城(第十七路軍司令官)は共に西安事件の首謀者ですからな。あれは抗日を優先させるための諫言だったという見方もありますが、私からすれば共産党と組んで国民党をのっとろうとした、ただのクーデターです。そして西安で捕らえた蒋介石をソビエトに引き渡そうとしたのに、スターリンから『コミンテルンはテロリズムに加担しない』と否定された。そこで最終的に抗日という大義名分の下で第二次国共合作を組もうとした。蒋介石か毛沢東か、どちらが先に言い出したのかわかりませんが…その結果が先の敗戦」


 「あちこちの勢力から恨みを買っていたでしょうしね」と林は肩をすくめる。広西省の独立宣言や、唐生智の軍事委員会主席の就任宣言等々。大陸の混乱はますます拡大していく中、不満の矛先として粛清されたのではないか-林はそうした陸軍の考えを米内に伝えた。


「とにかくこれから大陸の混乱はますます拡大していくでしょう。我が国が軍事介入を行えば一時的に抗日で結束するかもしれませんが、内戦の先送りでしかない」

「では総理は現状を放置されると?」

「大陸に兵を注ぎ込んで、国民党と共産党を日本陸軍が地平線の彼方に放逐するまで戦い続けるのを、海軍が了承した上で、予算面でも協力してくれるというのなら、いくらでもやりますがね」


 林のどこかおどけた言い方に、米内は首を振って否定した。


「トレンチャード子爵の、RAFの経験はむしろ大陸での内戦で役に立つとは思いませんか」

「各勢力を上空から威圧するとおっしゃるのですか」

「威圧というか、威力偵察と申しますか。それだけの航続能力のある戦闘機の開発は無論必要でしょうが、幸いにして上海や北京郊外の駐屯地、旅順、半島。あるいは洋上の空母。拠点についてはある程度めどがつくと考えます。大陸沿岸部の日本の拠点、あるいは上海や香港などへの脅威を早期発見するためにも…しかしこれだけでは足りません。艦隊には艦隊、戦闘機には戦闘機、戦車には戦車、そして兵士に対しては……」

「……兵士ですか」


 米内の言葉に林は満足げに深く頷くと、背後の佐藤補佐官から書類の束を受け取ると、目の前の海軍大臣に渡した。


「明治維新以来、日本は海外諸国より多くを学んできました。これは後進国であり、また現在でもそうである日本が、手っ取り早く追いつくための手段でありました。そして先進諸国の失敗を回避することも出来るわけです」


 食い入るように冊子に視線を落とす米内に、林はどこまで本気かわからない口調で付け加えた。


「-Always faithful(常に忠誠を)-よい言葉だとは思いませんか?」


 冊子の表紙には『日本版海兵隊構想』と書かれていた。



- 英仏首脳会談。危機回避なるか -


 18日、大英帝国を訪問したエドゥワール・ダラディエ首相とジョルジュ・ボネ外相は、ロンドンでチェンバレン首相、ハリファックス外相との会談に臨んだ。その成果については公表されていないが、ズデーデン問題をめぐり昨日行われた英独首脳会談を元に協議が行われたものと見られる。


- ハリファックス外相、ソビエトのルーマニア、およびポーランドの無害通行権は「断じて認めない」 -


 フランスのボネ外相との会談を終えたハリファックス外相は、記者団との囲み取材に応じた。ハリファックス卿は「ソビエトとチェコスロバキアが相互援助条約を結んでいることは承知しているが、そのためにルーマニアとポーランドの主権国家の権利を侵害する権利はソビエトにはない」とソ連を牽制した。一部報道で、ソビエトがチェコスロバキアへの軍の派遣のために、両国に無害通行権を両国政府ならびにフランスに要求したとの報道を否定するためと思われる。ボネ外相もフランス紙とのインタビューでこれを否定した。


- チェコスロバキア内閣、ズデーデン問題に関するドイツの要求は受け入れない -


 チェコスロバキアのミラン・ホッジャ首相は東京日日新聞との単独インタビューに応じた。同首相は同国の有力政党である農業党の指導者の一人であり、これまで外務大臣や農業大臣を歴任している。同首相は「ドイツおよびヘンライン氏の要求は到底受け入れがたい。チェコスロバキアは領土を一インチたりとも譲歩しない」として、要求の拒否を明らかにした。


- 東京日日新聞(国際欄)(9月20日) -


・林元帥が帰国しました。

・どこにでも出てくる近衛文麿。どの政治勢力からも期待されてたんだけど、どこにも根っこが無いから。本人の性格もあるんだろうけど。

・暗躍する岸。そして利用しようとする大麻ら執行部。わー素敵な関係だなー

・史実でもなんだかんだで最後まで粘り続けたのがノンキナトウサン。

・既成政党は力は無いけど倒閣運動する力はあるので、結局最後まで排除出来なかった。まあそのおかげで公職追放で素人だらけになったので吉田ワンマン体制が可能に。なにがどう転ぶかわからないから歴史って面白い。

・大麻さんが一番年下という衝撃。

・権利擁護してほしけりゃ、そりゃ出すもの出してもらわないとねぇ(ゲス顔)

・張学良退場。いや…別に理由は無いんだけど、なんとなく(ひどい)

・アメリカではなく英国式での空軍創設。

・アメリカ式の海兵隊

・微笑でぶとは私のことです(体型のみ)

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