犬塚惟重海軍大佐の予備役編入通知書 / 朝鮮総督府鉄道特別列車の食堂車 / 新京日日新聞 / 日満議定書 / 満洲国 新京市 関東軍司令部 / 東西新聞(1938年9月)
『人生では、時には愚か者を演じなければならない時がある』
(ユダヤの諺)
昭和十三年 四月二十日
海軍大臣 米内光政 (公印)
海軍大佐 犬塚惟重殿
海軍武官服役令第十三條ニ依リ現役ヲ退カシムヘキ旨
上諭ニ候條此旨論達ス
(終)
*
客車が揺れ、据付の机の上に置いたカップの中で、コーヒーの水面が僅かに揺らいだ。
客車を牽引するパシナ型蒸気機関車は性能実験では約140キロ前後を叩き出したという。さすがに政府首脳を乗せた特別列車で性能の限界を試すほど、朝鮮総督府鉄道管理局は向こう見ずではないだろうと、佐藤賢了陸軍中佐は埒もないことを考えた。
汽車に乗るのは嫌いではない。むしろ好きな方だと佐藤は自負している。昔はそのようなことを考えたこともなかったのだが、米国駐在を契機に考えが変わった。
赴任した先の野砲連隊はアメリカ南部のテキサス州。ヒューストンやダラスなどの大都市を除けば、あとは延々と砂漠と荒野が広がる田舎であった。延々と続く道路の側には、サボテン、サボテン、岩、サボテン……たまにヒッチハイカーにすれ違ったが、一度拳銃を突きつけられてからは、無視するようにした。あまりにも代わり映えがしないので、運転中は眠気と戦うほうがよほど大変であったことを覚えている。
日本に帰国して「ありがたい」と感じたのは、汽車の中で堂々と居眠りが出来る環境だ。スリや置き引きにこそ注意しなければならないが、何もせずとも勝手に目的地まで運んでくれることの、何とありがたいことか。
おあつらえ向きに適度な振動が眠気を誘い、安い三等車の硬い手すりでも、タオルやら何やらを巻きつければそれなりの枕代わりにはなる。寝過ごしては元も子もないが、窓の外の流れゆく景色を見ていれば、自ずと夢の世界のまま目的地に到着だ。
航空総監の東條英機中将より満洲国の防空体制の視察を命じられた佐藤は、陸軍航空総監部総務部第1課課長の肩書きで林銑十郎総理の満洲訪問に同行していた。
随行団は佐藤を含めた陸海や各省庁からの派遣に加えて、記者団や民間の同行団も加わり、総勢100名以上という「大名行列」である。行く先々で迷惑がられながらも、朝鮮視察の日程を終えた一行は、漢城から朝鮮総督府鉄道・京義線の特別急行列車に乗り、目的地の新京までの約6百kmを一泊二日で進む車中の客となった。
佐藤としては他の省庁の幹部や民間同行団と顔を繋ぎ、ついでに汽車の振動を枕に、東條閣下の目の届かない場所で久しぶりの休息を楽しもうと目論んでいた。おあつらえ向きにこの列車は、満鉄の看板列車である「あじあ号」でも使用されている最新式のパシナ形蒸気機関車が牽引しており、客車も全室が冷暖房完備と来ている。
とまあ、そのような話題を気の緩みからか、かつての恩師に振ったのがそもそもの間違いだった。
「いやぁ!実にすばらしいフォルムである!息子にも見せてやりたいものだ!賢了、見たかねこの機関車のフォルムを!機関車に流線型を採用するという発想!確かに考えてみれば道理ではある。速度を上げるために空気抵抗を出来る限り減らすためには、むしろそれしかない!しかし技術的な限界やボイラーの形もあって、どーしても不恰好なパシシ形のような、大きな寸胴を横に幾つもつなげたようなものしか製造する事が出来なかった……それがこのパシナ形はどうだね!川崎車輛の技術力の粋を集め、ついに流線型の車体を成し遂げたのだ!!帝国日本もついにここまできたかと思うと、感無量だとは思わんかね!更に特筆すべきなのは長距離無停車の高速運転を可能とした……」
「黙れ長吉!!」
いくら陸大時代の教官とはいえ、宮脇長吉代議士(予備役陸軍大佐)の長広舌にはさすがの佐藤も頭に来た。しかし偶然にも鉄橋の上を走っていた為か、当の宮脇は「あん?何か言ったか?!」と大きな声で怒鳴り返す始末。恩師と弟子との関係とはいえ、いまさら遠慮するような関係でもない相手の傍若無人な態度に、佐藤の顔がさらに赤くなる。
「うるさいと言っているのです!教官!お願いですから、少しは周囲への気遣いというものをですね……」
「そうだろうそうだろう!この煩さこそ長距離無停車を実現した原動力の……」
「人の話を聞け!!!」
*
「……あちらの席は随分と賑やかな事で」
食堂車の斜め前の座席で騒ぐ2人に、4人掛けのテーブルの通路側に座る勝田主計元蔵相が胡乱気な視線を向けた。
乗り物酔いが酷い勝田は、ただでさえ神経質そうな顔をよりゲッソリとさせている。昨日から何も口にしておらず、特別に作らせたという泥水のような、いっそのこと粘り気すら感じさせるコーヒーをちびちびと啜っていた。
ところが勝田と相席する石橋湛山(東洋経済新報社社長)と矢内原忠雄(東京帝大教授)は、分厚いサンドイッチと山盛りのスクランブルエッグを楽しんでいる。見ているだけで胸焼けしそうな光景に、勝田はえずきそうになるも、その吐き気をコーヒーの苦味で無理やり飲み込んだ。
「あれが今、巷間で話題の『ハチ物語』の作者ですか」
矢内原がサンドイッチを片手に、勝田と同じく騒動の先に視線を向けた。
大声で怒鳴りあう佐藤中佐と宮脇代議士は、共に大柄な筋肉質の体に顔が直接乗ったかのような、首のない地蔵のような体躯をしている。宮脇の雰囲気は文筆家には見えないと矢内原が正直に自身の感想を言うと、石橋が薄いコーヒーを飲みながら答えた。
「あのお涙頂戴のストーリーさえあれば、誰が書いても日本人に受けるでしょう。教授は英訳はご覧になりましたか?」
「いえ、生憎まだです」
「あれは殆ど別物です」
「主人公もハチから近所の小うるさい頑固爺に代わっていますしね」と、石橋はサンドイッチを咀嚼しながら続けた。
「翻訳の妙というにはいささか度が過ぎてますな。アメリカ人受けするように、それでいて元の話の大筋を変えないように細心の注意を払い、書き換えられている。むしろ宮脇さんの原作の豪快さがなくなっているのは個人的に勿体無いと感じるほどにね」
矢内原は少し考え込むようなしぐさをした後、石橋に訊ねた。
「石橋さん。確かあの宮脇さんは、政友会の三土総裁の実弟でしたか?」
「その通りです。三土忠造さんは宮脇家から養子入りされたのですよ。宮脇先生は元陸軍軍人で、あの先ほどからじゃれ合っている佐藤賢了中佐の陸大時代の教官。末の内務官僚の宮脇梅吉君と合わせて、地元では宮脇3兄弟としてちょっと知られた存在だったとか」
「陸軍軍人の弟と内務官僚の弟ですか。なるほど」
矢内原は得心したように頷いた。
元陸軍軍人の宮脇に、忠犬ハチを主人公とした物語を書くように薦めたのは林総理その人だという話は有名な話しだ。幾度となく薦められてやむなく書いたという宮脇の作品は、出版社はおろか本人の予想すら越えた反応を巻き起こし、東京日日新聞で掲載されるや否や瞬く間に評判となった。宮脇としては名が売れるのは願ったりかなったりであり、渋い顔が瞬く間に恵比須顔となったという。
その宮脇の実兄が連立内閣を構成する立憲政友会総裁の三土忠造。国内政局に疎い矢内原でなくとも、そこまで説明されれば話の筋は読める。『ハチ物語』の成功は、政友会における三土総裁の足場を固める手助けとなったわけだ。なんとも夢のない話である。
「ところで、その大胆な翻訳者は何方なのですかな?格調高い名文だという評判は聞きますが、肝心の翻訳者の名前は一向に聞いた覚えがありませんが」
「それがですな……」
石橋は困ったようにそのはげ頭を掻いて、その名前を告げた。
「あの白鳥敏夫なのですよ」
「……神がかりの、あの白鳥さんですか?」
さすがにその名前は予想外だったのか、矢内原は奇妙な表情を浮かべた。
外務官僚革新派の中心人物であった白鳥敏夫は外務省有数の英語力の持ち主であるが、満洲事変を契機に外務省内の親ドイツ派の盟主として活動。省内で英米派の幹部や上層部を突き上げ、陸軍や外部の親ドイツ派と積極的に連携した。その政治行動故に何度も休職処分を食らうも、その度に勝手に活動を再開するという行動力の持ち主であり、林が外相兼任となると、通算3度目となる異例の休職処分を言い渡されていた。
「『どうせあの男は暇だとろくなことをしないだろうから、これでも翻訳していろ』と朝海(浩一郎)外相秘書官経由で原稿を渡されたそうです。なんでも朝海秘書官と白鳥は甥と叔父の関係だそうで」
サンドイッチを飲み込んだ矢内原は、朝海秘書官の顔を思い浮かべながら、口を開く。
「……よく白鳥さんは素直に応じましたね」
「主義主張よりも、何もしていないという状況が耐えられないという性質なのでしょう。まして名目上の上司に言われたとあってはね。良くも悪くも官僚だということです」
「それにしても人の縁とは妙なものです。どこで誰が繋がっているかわからない」
矢内原は再び宮脇と佐藤中佐に視線を向ける。片や政友会の総裁の名代、その弟子は陸軍航空総監の腹心。確かに妙な組み合わせではある。
石橋は苦笑しながら続けた。
「もっとも三土さんは弟の七光りというわけではありませんよ。あちらの長吉先生も陸軍航空の出身ですが、すでに当選4回。梅吉さんも2年前に新潟県知事を最後に退官しています。むしろ高橋(是清)参議の後継者である三土さんのほうがネームバリューは大きい。それに宮脇代議士も筋金入りのリベラリストですしね」
「……お二人とも、よくそんな食欲がありますな」
2人の会話を黙って聞いていた勝田が青い顔のままつぶやいた。
靴底のような分厚いハムステーキを切り分けた矢内原が、醤油をかけたそれを口に運ぶ手を止めて言う。
「わが師である新渡戸稲造先生は、台湾の荒地を自ら飛び回られることで現地の実態を調査し、後の行政計画策定に活かしました。机上の学問ではなく実学を重視するのは札幌農大以来の伝統です。何事も体力、そのためには食べることからですね」
「記者なんていう職業をしておりますと、昼夜逆転が珍しくはありません。これぐらいで根を上げていては、仕事になりませんよ」
そう言いながら石橋はスクランブルエッグを胃袋の中へとかき込んでいく。矢内原などは右手を上げてボーイを呼び、追加注文を頼もうとしている。
勝田は見ていられず、矢内原の肩越しに車窓の外の風景に視線を向けた。
延々と広がる麦畑は収穫期を迎えているが、かつては何もない荒地であった。
それを変えたのは、国家としての主権と権利を朝鮮から剥奪した日本である。大陸に迅速に兵を派遣するためには、半島のインフラ整備が必要不可欠。そして半島には、それを支える経済力と民力が必要である。そう考えた日本は、この荒地に惜しみなくヒト・モノ・カネを投入することで近代化を推進した。
その結果が今、車窓の外を流れていく景色である。
確かに人口は増え、そして朝鮮自体の国力は向上した。
「しかし内鮮融和は遠い夢物語です」
明治以来の日本の半島政策を、矢内原は否定的に評価した。石橋はもう驚きもしないが、勝田は吐き気と戦いながらも、賛同出来ないという自分の意見を態度で滲ませる。
「比較するために北アイルランドの例を取り上げましょう。イギリス国王がアイルランド島を支配したのが12世紀初頭。イングランドからの入植が本格化したのが16世紀。ここから対立が激化します。先の大戦後の独立戦争を経て英愛条約(1922年)により、一部地域を除いてアイルランドは独立が認められました」
つまりアイルランドは800年かけて北部アイルランド以外のイングランド化に失敗した。そう語る矢内原の主張を勝田や石橋にも理解出来たが、それにたいして深く追求することはしなかった。政府関係者の耳目が多数ある場所で話すような内容ではないという配慮からだったが、矢内原はそれにもかまわず続ける。
「現在、アイルランドの人口は約300万、連合王国のグレートブリテン本島の人口は約5000万。そして北アイルランドは人口の流出入が激しいので難しいですが、およそ100万人。これでは全土の同化政策が難しいことはお分かりいただけるでしょう」
「……分母も分子も大きすぎますな。朝鮮半島は確か2000万前後、内地は約8000万でしたな」
「比率だけなら、英愛よりも日鮮は有利な条件だが」と勝田は続けるが、その表情は乗り物酔い以外の理由により明るくはない。そして血色の良好な石橋が付け加えるようにアイルランドと朝鮮の地理的な条件の違いを指摘した。
「アイルランド島の背後は大西洋しかありません。圧制や飢餓から逃れようとしたアイリッシュは大西洋を渡り新大陸へと向かいましたが、朝鮮半島の後ろにはユーラシア大陸が広がっているのです。つまり朝鮮政策は大陸政策と同じ意味になります」
「満洲にも、半島出身者が流れ込んでいますからな」
半島労働者問題は、今回の首脳会談における議題の一つだ。石橋はそれについても持論を展開する。
「鴨緑江は冬になれば凍ります。出稼ぎ労働として満洲に入り、そのまま不法滞在を続ける。あるいは南下する馬賊の集団と戦うために武装して満洲に入る、あるいはそのまま自分も匪賊化する。形態は様々なようですが……満洲に『不法滞在』している朝鮮人も問題ですが、より本質的な問題はソビエトでしょう」
石橋は食堂車の床を指差し「シベリア鉄道で兵が運べますからな」と続けた。
日露戦役(1904-05)と直前の日露交渉が、帝政ロシアのシベリア鉄道開通を睨んで行われたことは、今では誰もが知る事実である。ロシアの交渉を時間稼ぎとみなした日本は、ロシアの予想に反して戦争開始を決意。ロシアも朝鮮政府に圧力をかけて港湾施設を強制的に徴用しようとしたため(当然ながらそれまでの交渉を否定する挑発行為)戦争が始まった。
「バイカル湖区間を除く全線開通が1904年。日露戦役の真っ最中です」
まさにギリギリのタイミングであったと、矢内原が厳しい口調で語る。
「日本は陸戦で勝利して一時的に追い戻しました。ですが結局、戦後の日露交渉である程度押し戻されています。今やハバロフスクまで全線が開通し、いつでもソビエトは赤軍の展開が可能ときています」
「……教授の認識に付け加えるなら、帝政ロシアも共産ロシアもシベリアの政治犯により労働力は確保されていますからな。仮に奉天会戦で大敗していればどうなったか。考えるだけで恐ろしい」
勝田の発言に、半島政策では見解の異なる矢内原と石橋もそろって頷いた。
陸戦で日本が大敗した場合は、満洲のみならず朝鮮半島までロシアの勢力圏となり、日本海海戦の勝利で制海権を保有した日本とロシアのにらみ合いとなっていただろう。しかし何らかの形で講和条約を結んだとしても、長期的にはシベリア鉄道が東清鉄道や満鉄と連結され、朝鮮にまで延線されていたはずだ。
そして条約の無効化とごり押しはロシアのお家芸でもある。日本が制海権を抑えているとはいえ、半島で膨らみ続けるロシアの外交的圧力にいつまで対抗出来たか。
「仮にそうなっていたら、ロシアが欧州国家ではなく亜細亜国家になっていたわけですな」
「矢内原さんの亜細亜の国家となった帝政ロシアを考えてみるのも興味深いですが、今は現実を考えるべきだろう」
勝田が吐き気を堪える様に口元をハンカチで押さえながら続けた。
「陸と海での勝利があったからこそ、先の日露戦争の意味がある。旅順要塞陥落と奉天会戦の勝利がなければ、日本はいずれロシアの勢力下となっていてもおかしくはなかった。当然ながら今の日本もない……だから石橋さんには悪いが、私は朝鮮や満洲の権益を放棄すると言う考えには否定的なのだ」
これには石橋は「それには賛成出来ませんな」と腕を組んだ。
「しかしですな勝田先生……私も日露戦争の勝利によって日本が極東におけるフリーハンドを確保したというのは理解します」
石橋はそう断った上で「では日本政府は、どこまで大陸に関与するべきなのですか」と問うた。
「百歩譲って朝鮮まではわかります。しかし満洲まで支えるだけの軍事力と経済力が、現実に今の日本にありますか」
「遼東半島の租借権は、現在満洲国から借り受けている形。仮に日本が撤退すれば、満洲は間違いなくソビエト赤軍の傀儡国家になる」
「未来永劫、満洲に関与し続けると?」
批判的な口調で追及する石橋に、勝田は乗り物酔いとは別の理由から来る不快感と吐き気を堪えながら反論する。
「仮に陸軍が先走らずに、張作霖・もしくは張学良政権のままでもその可能性はありました。関東軍のやり方を肯定するわけではありませんが、日露戦役の成果が徒労と化します。どうにも石橋さんは、日本列島が再びロシアの影響下に置かれる。この危険性に対する認識が不足しておられるようだ」
「日満議定書によって、満洲の安全保障に日本が責任を負うことにされましたからな。しかしない袖は振れないのです。段祺瑞に大盤振る舞い出来た頃とは、文字通り時代が違います」
あからさまな皮肉に対して勝田が即座に反論しようとするが、再びハンカチで口を抑える。
寺内正毅内閣(1916-18)において、中華民国の段祺瑞内閣(当時)に総額1億4500万円もの大規模借款が行われた。その時の責任者であり大蔵大臣が勝田だ。大正7年(1918年)の国家予算(一般会計歳出額)が14億8千万の時代のことである。そしてその大部分は回収不能となり、国庫に付けが回された。
黙り込む勝田に、石橋は重ねて厳しく追及する。
「あれは支那を日本経済圏に組み込もうという考えから行われたようですが、実際に残されたのは日本興業銀と、朝鮮・台湾の両特殊銀行への膨大な不良債権だけだったではありませんか。その処理は結局日本国民が支払うことになり、今も重い負担として伸し掛かっております。当時は鉄道敷設や鉱山開発、あるいは林業振興などを名目にされていましたが、実際には段祺瑞の政治資金に流用されるばかりで、何の意味もなかったとか。あの金が日本にあれば、どれだけ多くの地方活性化や都市の再開発が可能だったか」
「……うぇぷ。失礼…石橋さん。その点については否定はしません。私もその責任を逃れるつもりもありません。しかし考えても見てください」
あれ以外に、日本が出兵という手段と選択を行わず、満洲の特殊権益を認めさせる方法があったのかと勝田は逆に問うた。しかしそれは石橋にはやはり言い訳にしか聞こえなかった。
「その殆どが政治資金に利用され、回収不能になったのですぞ。政治は結果責任です。努力したかどうかは、行為の正当化の理由にはならない」
「……ではどうすればよかったと。当時は対華21か条要求が『内政干渉』と欧米からも批判されていたのです。民族意識の高揚する北京の国民政府に、軍事的圧力も駄目、外交的圧力も駄目では、どうすればよかったというのです」
「そこが問題なのです。目的と手段がいつの間にか入れ替わってしまった」
人差し指を立てた石橋は熱意をこめて主張した。
日露戦争の勝利で日本は南満洲鉄道を始めとした特殊権益を得たが、それらはロシアに朝鮮半島へのアクセスを直接確保させないという意味合いが強かった。それが目的と手段が混乱し、今や満蒙利権を守るために満洲を建国したという、主客逆転した話が平然と行われているのが、石橋には我慢ならなかった。
何ゆえ満蒙利権を守るために、満洲の安全保障を日本が責任を負担しなければならないのか。それも国内的な議論もなしに。そこが石橋の根本的な疑問であり、そして不満であった。
「要するに、何のための満洲なのかです。国防のために満洲が必要なのか-だとすればその対象は国民政府なのか、ソビエトなのか。日本経済のために満洲が必要なのか。資源の確保のために満州が必要なのか。あるいは内地や朝鮮の余剰人口のはけ口として必要なのか。議論が混在しているのです。だから日本国内でもまともな話が出来ない。議論の土俵がそもそもいくつもあるのですから、出来るわけがありません」
石橋はそこでひとつ息を吐くと、勝田に視線を合わせるように体の向きを変えた。
「満洲は王道楽土ではなく、現実に人が住む土地です。幣原外相はかつて、革命の資金を得るために満洲売却を打診した孫文に『渤海湾に住民を叩き込んで無人の荒野にするなら考えてもよい』と発言されたそうですが、まさかそんなことは出来ないでしょう」
「石橋さん。現実に人が住む土地であり柵があるというのは同意しますが、いくらなんでもそれは極論でしょう。極論で語っては本質を見失います」
「案外本質を突いていると思いますがね」
「まぁ、その点は見解の相違がありますが……」
勝田はそう言いながら、再びコーヒーに口をつけた。
先の大戦末期、軍事的圧力も外交的圧力も不可能な以上、寺内内閣はそれ以外の手段で北京に満洲権益を認めさせる必要があった。そのために国民政府を連合国として参戦させることで極東における戦後体制の枠組みを確保し、帝政ロシア、北京の国民政府、そして日本の三者で話し合おうとしたのは確かだ。
だが、この戦後構想はロシアの共産革命と段首相の失脚、そして寺内内閣の総辞職により水泡に帰した。
「無論、政治は結果責任。その点は私としても十分に理解しているつもりだ」
「理解するなら私財のひとつでも提供して頂きたいものですな」
「石橋さん、そういう議論はあまりにも非生産的ではありませんかね」
吐き気からか、それ以外の不快感が理由なのか。またもや黙り込む勝田を見かねて、矢内原が仲裁に入るが、石橋は「だからこそです」と続けた。
「わかっております。私としても勝田先生の個人攻撃をしたいわけではありません。当時としては第2次大隈内閣の稚拙な外交の後始末をさせられたのだということもね。しかし、かつての失敗から学ばねば、それこそ1億4500万という大金は死に金となってしまう。つまり満洲とは何なのか。日本の国益の中に、満洲をどのように位置づけるのか。満洲の安保ただ乗りを許すというのなら、その点をはっきりさせないことには、第2の借款が南京政府や満洲政府相手に行われてもおかしくはない」
「安保ただ乗りですか。それはいいえて妙ですな」
矢内原が感心したように両手を打ち合わせた。これに吐き気を飲み込んだ勝田が付け加えるように言う。
「……うっぷ。失礼。支那で内戦が再開された以上、その懸念は的外れではないでしょう。当時の段内閣も袁世凱の帝政撤回後の混乱の中で、主導権を握ろうと必死でしたからな。そこに付込む隙があると考えたのですが、いいように金だけ毟り取られました」
「さらに問題なのは、第一義的にソビエト軍と戦うべき関東軍にその認識がない、もしくは欠如しているのではないかと思われる点です」
石橋は陸軍に対する不満をぶちまけた。
「満洲の安全保障に日本が責任を負うと決めた以上は、それを遵守する義務が日本にはあります。にもかかわらず関東軍は己だけでそれをやってしまおうとする。朝鮮軍を始め、内地の後詰がなければソビエト相手にもたないのは明らかだというのに」
「それは確かに問題です。だからこそ今回、小畑参謀次長が同行されているのでしょう。朝鮮軍でも相当突っ込んだやり取りをされたと聞いています」
「ならばよいのですがね」
まったくそうは思っていない口調で、石橋は答えた。
「支那通の大陸の論理を私は信用しておりませんが、やはり大陸は独特です。そもそも日本は大陸政策というものを歴史的に考えてこなかった。唯一考えたのは太閤秀吉ぐらいでしょうか。歴史的に陸続きでやってきた支那人やロシア人とは考え方や発想が違います」
「違うからといって考えないわけにも-」
石橋と勝田が熱心に話しこむ中、矢内原はふと窓の外に視線を向けた。
丁度、カーブに差し掛かっており、進行方向の鉄橋が見えた。鉄骨が三角形に組み合わさったかのような特徴的な大橋。鴨緑江橋梁-朝鮮と満洲の国境である。
「見たまえ!12連のトラス橋だよ賢了!橋の中央部は旋回する可動橋で、船の往来により動くようになっている!今はもう稼動していないというが、無骨ながらもどこか機能美を感じさせる構造物!あれぞ男のロマンだとはおもわんかね!いやー!息子に見せてやりたい!」
「黙れ長吉!!」
騒がしい食堂車を牽引しながら、特別列車が鴨緑江橋梁を通過した。
*
- 握手を交わす日満首脳。『鉄の同盟』を強調 -
(写真)
張景恵総理(左)と握手を交わす林総理
13日に新京入りした林銑十郎総理は、精力的に公式行事をこなした。満洲国皇帝陛下との謁見の後、同日夜には張景恵・国務総理主催の公式晩餐会に出席した。日本側からは林総理(陸相・外相兼任)、植田謙吉・関東軍司令官、佐藤市郎総理補佐官らが出席。満洲側からは張総理を初め全閣僚が出席した。事実上の国賓待遇である。晩餐会では鄭孝胥・前総理の次男である鄭禹・奉天市長が、林総理の弔問に謝意を示した。林総理は皇帝陛下との謁見の前に、故・鄭孝胥の自宅を訪問。家族に弔意を伝えている。
林総理は晩餐会の直後、同行記者団との会見に応じた。質疑応答は以下の通り。
- 満洲訪問のご感想は -
まだ明日も公式行事がありますからな。しかし寒い!この禿頭には堪えますな(笑)……満洲国側の心温まる歓迎に、日本国を代表して深く感謝致しております。また今年の3月になくなられた鄭孝胥総理の、日満両国関係へのご尽力に関して皇帝陛下、ならびに現在の閣僚の方々に直接御礼を申し上げることが出来たのは、日本国の総理として無上の喜びであります。
- 明日の首脳会談について一言 -
まずは極東情勢に関して率直な話し合いが出来ることを期待しております。日満議定書の精神を確認することが第一。日満の同盟は亜細亜の外交的な財産であります。北に対する備えは無論ですが、不幸なことに南では国民政府の間で内戦が再開されました。この点についても突っ込んだ話し合いをしたい。また経済政策、および労働政策についても率直な意見交換をしたいと考えております。
- 北の備えということは、やはりソビエト連邦を仮想敵国と考えておられるのでしょうか -
北であろうと南であろうと東であろうと西であろうと、備えというのは必要です。満洲国内の治安情勢に関しても、張総理とは突っ込んだ話し合いをしたい。新京の人口流入は有史以来、近代国家が経験のない規模で膨らんでおります。満洲の安定は亜細亜の安定、満洲の繁栄は亜細亜の繁栄です。ぜひとも一致協力して、この困難な時代を乗り切っていきたい。そう考える次第であります。
- 新京日日新聞(9月14日) -
*
- 帝国特命全権大使ガ満洲国国務総理ト共ニ署名調印ノ議定書(日満議定書) -
日本國ハ滿洲國ガ其ノ住民ノ意思ニ基キテ自由ニ成立シ、獨立ノ一國家ヲ成スニ至リタル事實ヲ確認シタルニ因リ
滿洲國ハ中華民國ノ有スル國際約定ハ、滿洲國ニ適用シ得ベキ限リ之ヲ尊重スベキコトヲ宣言セルニ因リ
日本國政府及滿洲國政府ハ日滿兩國間ノ善隣ノ關係ヲ永遠ニ鞏固ニシ互ニ其ノ領土權ヲ尊重シ東洋ノ平和ヲ確保センガ爲左ノ如ク協定セリ
一 滿洲國ハ將來日滿兩國間ニ別段ノ約定ヲ締結セザル限リ、滿洲國領域内ニ於テ日本國又ハ日本國臣民ガ從來ノ日支間ノ條約協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ權利利益ヲ確認尊重スベシ
二 日本國及滿洲國ハ締約國ノ一方ノ領土及治安ニ對スル一切ノ脅威ハ同時ニ締約國ノ他方ノ安寧及存立ニ對スル脅威タルノ事實ヲ確認シ、兩國共同シテ國家ノ防衞ニ當ルベキコトヲ約ス之ガ爲所要ノ日本國軍ハ滿洲國内ニ駐屯スルモノトス
本議定書ハ署名ノ日ヨリ效力ヲ生ズベシ
本議定書ハ日本文及漢文ヲ以テ各二通ヲ作成ス日本文本文ト漢文本文トノ間ニ解釋ヲ異ニスルトキハ日本文本文ニ據ルモノトス
右證據トシテ下名ハ各本國政府ヨリ正當ノ委任ヲ受ケ本議定書ニ署名調印セリ
昭和七年九月十五日卽チ大同元年九月十五日新京ニ於テ之ヲ作成ス
日本國特命全權大使 武藤信義(印)
滿洲國國務總理 鄭孝胥 (印)
*
満洲国のほぼ中央に位置する首都の新京は北緯43度55分、東経125度18分に位置する。
その緯度は日本の北海道道北の中心都市である旭川に相当し、海抜は200メートル前後。地理的にはほぼ中央とはいえ、お世辞にも過ごしやすい環境ではない。しかし満洲国建国以来、日本の莫大な資金と資本、そして人材が投下されたことで、この都市は急速に発展を続けており、当初の13万人が現在では35万を越え、40万人突破は確実視されている。
『こんなところに都市を作ろうとする物好きは、日本人ぐらいのものですよ』
晩餐会の直後、明日の公式首脳会談を前に御城(関東軍司令部)を極秘に訪問した満洲国国務総理大臣(外交部大臣兼任)の張景恵は、同盟国の総理であるはずの林銑十郎に対して、お世辞とも呆れともつかぬ言をぶつけた。
もっとも彼からすれば、額面どおりの言葉以上の意味などないのかもしれない。このような守りにくい土地にわざわざ近代都市を形成するなど、現地の人間からすれば正気の沙汰とは思えないという内容の話を、同時通訳を介しながら林は黙って聞いていた。
日本の傀儡国家である満洲において、最高権力者は関東軍であり、行政の長たる総理や閣僚ではなく、その下の各省庁の次官クラス(日本からの出向)に決定権がある。本来であれば御城(関東軍司令部)か、総務庁辺りの官僚と話せば事足りるのだ。
しかし林は今回の訪問で、あくまで独立国として扱うという姿勢を徹底させるために、張総理との直接対話に拘った。無論これは関東軍のみならず日本から出向した官僚。そして諸外国に向けた政治的なメッセージである。
これに対する返礼が、張総理のお忍びでの会談要請であった。突如として前触れもなく訪問した満洲の政治的な最高位者に、御城は大慌てとなったが、林は通訳のみを同席させて非公式の会談に臨んでいる。
くたくたのスーツに身を包んだ張景恵は、民族衣装が似合う好々爺といった風貌だが、若い頃は自警団という名の馬賊として暴れまわったという武勇伝を持つ。
日清戦争中に張作霖に帰服して義兄弟の関係を結び、清朝に服属。北洋軍閥を継承した袁世凱に属した。袁世凱没後に独立性を高めた張作霖率いる奉天軍閥に属したが、彼の爆殺後は南京政府に所属し、満洲事変後に満洲で政府の要職を歴任。そして関東軍と対立して解任された鄭孝胥の後を継ぎ、国務総理に上り詰めた。
しかし閣議の席でもほとんど発言せず、前任者とは異なり、関東軍の完全なる言いなりとみなされていた。実家が豆腐屋であったことから「豆腐先生」とも渾名されるが、考えようによってはこれも味がないという皮肉かもしれない。それでも深夜に御城を単身で訪問する度胸は、認めざるを得ないだろう。
『鄭孝胥の軟禁解除は、皇帝陛下もお喜びでありました。改めまして感謝致します』
張はまずは謝礼から始めた。
満洲皇帝の教育係を務めた鄭孝胥は、満洲建国に伴い初代総理に就任。しかし独自の仕官の誘いを受けても断り続けたという気骨あふれる忠臣は、満洲国の実権を握る関東軍とたびたび衝突。「我が国はいつまでも子供ではない」と発言して、ついに解任される憂き目を見た(1934年)。
関東軍からすれば「誰が首相にしてやったのだ」という思いであり、鄭からすれば「誰のおかげで満洲なる傀儡国家の正当性があると思っているのだ」という反発からくる衝突であった。
解任後、鄭は関東軍の監視下におかれたが、林銑十郎が総理に就任すると軟禁状態を解かれ、満洲各地を自由に行動する許可が与えられた。しかし鄭は新京にとどまり続け、今年の3月に77歳で死去した。
「いやいや、鄭先生は当たり前のことをおっしゃっただけですからな。貴国は確かにいつまでも子供ではない」
『国葬に際して使者を派遣していただいたことは、奉天市長(鄭の次男)も喜んでおりました』
「建国に際して鄭先生の果たした役割を考えれば当然であります」
鄭孝胥の果たした役割-そんなものがあったのかとは、日満両政府首脳はあえて口にはしない。
満洲があくまで現地の住人の意思によって建国されたという、日満議定書にも書かれた筋書きがある以上、それに反する発言は公式であれ私的であれ許されるはずがない。清朝の看板として関東軍が利用したことはあっても積極的に動いたわけではないのは事実であり、鄭孝胥は満洲としての政治的な独立志向を匂わせるかのような発言をしただけで、更迭されたのだ。
『率直に申し上げましょう。わが国……というよりも国務総理としての私個人の考えとして聞いていただきたいのですが、日本は満日議定書におけるわが国の防衛義務の負担をどのように考えておられるのでしょう』
一挙に本陣へと切り込むとは、さすがは馬賊である。壁を隔てて会談内容に耳をそばだてている関東軍の将校達は、一応に神妙な顔つきのまま、妙な感心をしていた。
ずばりと切り出す豆腐屋の親父に、越境将軍はその頭をなでながら「考えるも何も」と間を置かずに公式見解を諳んじた。
「議定書にある通りに遵守するべきだと考えておりますが、総理は何がご不安なのでしょう」
『日本-というよりも総理個人の姿勢に、私は疑問を感じております』
茫洋としてとらえどころのない張の目が、林を捉えたままきゅっと細められる。
『鄭先生の軟禁解除。これはすなわち満洲国を『大人』として扱う。自助負担を求めるということではありませんか?』
「自分の国は自分で守る。当たり前のことです」
息を呑む将校らの心配をよそに、林は一般論で応じた。
「我が国が貴国の安全保障に責任を負っているのは確かですが、同時に貴国は自国への国防への責任がある」
『林さん。もっと腹を割って話しませんか?』
これには張がもどかしそうに身を乗り出した。
『この国は日本の干渉と関与がなければ成立し得ないのです。関東軍の厳しい干渉、日本から出向した官僚の上から目線は確かに不愉快ですが、われらはそれがなくば、この国が成立し得ないということを理解しています。それが日本の国益であると貴国が考えているからこそ、われらも安心して任せることが出来るのです』
「……鄭先生を軟禁したまま、貴国を永遠に子供として扱い続けたほうがよかったと?」
『天津におられた帝室と先生を引きずり出されたのは貴国であります。その面倒を見る責任が貴国にはある』
「そのための議定書、私はそう理解しておりますよ」
林は髭をねじりながら、すっかりと冷めた茶に口をつけた。
おそらくこの部屋に関東軍の耳目があることを、目の前の老人は承知しているはずだ。にも拘らず隠さず本心を明らかにする。相手が同じ一国の総理だからこそ、一線を越えない限りはどのような発言も許されると考えているのか。それとも別の思惑からか。
林の沈黙をどう捕らえたかはわからないが、張老人は話題を変えた。
『ところで総理。私は先ほど内閣を改造して、外交部長を兼任しました』
「聞き及んでおります。満洲として国際社会に向けた取り組みを強化されるとか。我が国としても全面的にそれを支援いたします。遅ればせながら、ベルリンとロンドンが貴国を承認されたことは実に喜ばしい」
『ありがとうございます』
「……犬塚退役海軍大佐を、外交部の顧問として迎え入れられたのも総理のお考えか?」
林は茶碗を机の上に置くと、張と再び視線を合わせた。
犬塚惟重・退役海軍大佐は軍令部情報部でユダヤ人問題に取り組んだ、日本におけるユダヤ問題の専門家の一人である。安江仙弘(陸軍大佐)もそうだが、当時の日本のユダヤ問題研究者は、ステレオタイプの反ユダヤ論と極端なまでの親ユダヤ姿勢を揺れ動くことが特徴であった。
例えば安江は陸軍におけるロシアの専門家であったことからユダヤ問題に取り組み始めたが、パレスチナや欧州での実態調査後には、徹底した親ユダヤ論者となっている。それとは対照的に犬塚のユダヤ観は、フリーメーソン陰謀論と日・ユダヤ同祖論の入り混じったもので、ペンネームで反ユダヤ論文を書くなど、その主張に揺れがある。
張老人は『いかにも』と頷くが、これも形式論で答えた。
『我が国は優秀な人材を求めております』
「海軍だからこういうのではありませんが、彼は安江に比べると機会主義者の側面のある人物です」
『優秀な人材であれば性格は問いません。国籍も人種もです』
張総理は言い終えるとにっこりと笑う。
そして同時通訳の少し遅れた翻訳が終わってもなお、林は腕を組んで黙り込んでいた。
日本とユダヤ人の関係は、満洲事件を契機に利害関係が一致したことで急速に関係が深まった。安江大佐は関東軍の後ろ盾も得て、昭和5年(1935年)には満洲において現地在住の極東ユダヤ人会議と協議し、世界民族文化協会を創立。会長として在満ユダヤ人の保護に尽力している。ユダヤ人の国際的なシンジケートを利用して、満洲の国際的な地位を固めたい関東軍の思惑に、ユダヤ人-特に極東における反共の思想を持つユダヤ系住民もこれを積極的に利用する形で呼応した。
日本にとって外交や軍事戦略の根幹に関わる部分に、無造作に手を突っ込んできた真意は何か。林は目の前の老人を問いただした。
「総理はご存知だと思いますが、ドイツにおける貴国の行動に、大使館を通じて正式な抗議が寄せられております」
『ええ。私のところにも来ておりますよ。ですがポーランドやドイツがどう主張しようとも、我が国の労働政策や移民受け入れは、純粋に我が国の国内問題であります。林総理もそうお考えになりませんか?』
「まったくその通りです」
しれっと応じる林だが、複数国籍を前提とした国籍法の制定を始めとした現在の満洲における外国人労働者受け入れを主導しているのは、他ならぬ安江大佐その人である。
ドイツとの関係悪化を危惧する軍や外務省の一部勢力はこれに憂慮を示したが、林は中央からそれらを押さえつけた。日英関係の改善を最重要課題とする林内閣としても、ユダヤ人シンジケートの支持は必要不可欠であった。
「ご存知だと思いますが、我が日本は二重国籍を認めておりません」
『存じております。まことに残念ではありますが……だからこそ心配なのですよ』
いけしゃあしゃあとよく言うと、林は呆れとも感嘆ともつかぬ表情を浮かべた。
疲弊した日本の農民を満洲へ集団移住させる構想は満洲事変直後からあったが、試験的な移民団を経て、これを本格的な国策事業にしようとした。
この農林省の動きをつぶしたのは林総理その人である。朝鮮半島出身者の不法移民が満洲各地で問題を起こしている以上、更なる外交的問題は避けたいというのがその表向きの理由であり、当時の農林大臣の島田俊雄(政友会)も、元々反対論が根強い問題であっただけに特に反対することもなく、土地改良などへの予算手当てと引き換えにこれを撤回した。
しかし実際には「王道楽土」を目指して、満蒙開拓を主張する民間団体の支援も受けて内地からも半島からもどんどん農民が流れ込む状況が続いており、林内閣としては悩みの種である。満州は独立国とイギリスやアメリカと交渉しても、実際に植民により併合しようとしているではないかと、交渉の度に批判される材料であったからだ。
そもそも建国以来、満州に国籍法が存在していない状況が続いていたのは、二重国籍を認めていない日本の国籍法との関係、満洲国の実務を担当する日本人の高級官僚の地位が危うくなる恐れがあったからだ。国籍法を理由にパージするつもりではないかと疑心暗鬼になる関東軍をおさえるのは、人事により全権を握った林といえども苦労させられた。明日の首脳会談後の公式発表で公式に決着させる-日本人官僚の地位を保証するまでに、どれほどの政治的な労力が必要だったか。
そうした駆け引きを一切滲ませることなく、張総理は再び建前を堂々と言ってのける。
『独立国家として、国籍法は必要です』
「その通りです。これで晴れて貴国は不法移民を取り締まることが出来るわけだ」
『手荒なことは致しません。お約束いたします』
国籍法制定でユダヤ人に恩を売り、内地や半島からの不法移民を締め出すことで満洲国内で政治的な成果を上げる。まさに豆腐先生の思惑通りだ。では目前の老人は何が心配であり不安だというのか。関東軍の将校にも林にとっても、共通の疑問であっただろう。
そして張老人は、その懸念をようやく言葉にした。
『我が国を大人として扱うのはありがたいことです。しかし同時に防衛義務負担は貴国にある。我が国は独立国でありたいと思いますが、同時に貴国がなければ存立し得ないということも理解しております』
「歯がゆいですな。まるでニガリのない豆腐を噛んでいるような気分です」
『では率直にお尋ねしましょう。林さん……貴方は将来的に満洲から撤退するつもりではないでしょうね?』
今頃、参謀連中は阿鼻叫喚だろう。林はその光景を思い浮かべて苦笑するが、張総理の態度を見て咳払いをすると、自身の居住まいを正した。
「議定書の内容を遵守します。私が日本国総理だからそう申し上げるのではなく、林銑十郎という個人としてもそうあるべきだと考えております」
『条約破りの汚名はかぶりたくはないでしょう。それは国際社会の一員たらんとする貴国の国益にも反する。しかし鄭先生の軟禁を解除したように、後のことは自分で判断しろと突き放すおつもりではないでしょうな。都合のいいときだけ大人扱いでは困ります』
「そのようなことは……」
『満蒙開拓団の撤回。確かに結構です。いざという時に枷となる日本人がいないほうがダメージコントロールはしやすいでしょうからな』
なるほど。これは目の前の老人に対する評価をいささか改める必要があるかもしれない。どこか他人事のように考える林に対して、張は馬賊が獲物を追撃するかのように続けた。
『その点を踏まえて、改めて総理の口からお答え頂きたい。見捨てるのか、それとも見捨てないのか』
「…そのようなことはないと、総理としてお約束いたしましょう」
時と状況に応じ、相手の急所を見極めて強襲する。ましてやここは関東軍の本拠地という、林が妥協出来ない環境である。馬賊の本領発揮かと林は苦りきりながらも、議定書の防衛努力の遵守を約束した。
いつもの「好好先生」の柔和な表情へと戻った張は、さっさと引き上げる姿勢を見せていた。変わり身の早さには呆れるしかない。
『いやいや、どうにも心配性で申し訳ない。年をとるとどうにもいけませんな。これで貴国との関係は約束されました。これで後顧の憂いなく、犬塚先生にもユダヤ人問題でご協力いただけるというもの』
「後顧の憂い、ですか」
『無論、ソビエト連邦のことです。我が国と貴国は同盟国ではありませんか』
「いかにも。同盟国でありますな」
張はふと右腕を上げて時計に目をやる。短針と長針がちょうど頂点あたりで交差するような時刻であることにようやく気がついたのか「これは遅くまで失礼しました」と立ち上がると、林に手を伸ばして握手を求めた。
『明日の会談を楽しみしております』
その老人らしからぬヌラリとした生暖かい手に、林は閉口しながらも笑みを浮かべた。
明日は9月15日である。
*
- 英独首脳会談へ。危機回避なるか -
イギリスのチェンバレン首相が14日、ドイツに入った。ランキマン特使による調停が失敗し、明日15日にはヒトラー総統とベルヒテスガーデンで会談する予定である。チェコスロバキア政府と、ズデーデン・ドイツ人民党との交渉決裂を受けて、13日には首都プラハで大規模な武力衝突が発生。ホッジャ内閣は非常事態宣言を出した。流出が続くドイツ系住民の保護のために「あらゆる手段を選択肢としている」とする総統と、英国の老宰相が危機打開のために協力できるのか。両国首脳の手腕が問われる。
- ボネ外相『英国の対応を見守る』 -
フランスのジョルジュ・ボネ外相(急進社会党)は、議会答弁で「ズデーデン問題はロンドンの対応にかかっている」と述べた。フランス共産党、およびポール・レノー代議士(中道右派会派・無所属)の質問への答弁。
また同外相はフランス単独でのドイツへの武力制裁には慎重な姿勢を示し、ポーランドを始めとした協商関係にある国と緊密に連携すると発言した。ソビエト連邦とチェコスロバキア政府との関係を訊ねた共産党議員の質問には、ボネ外相は答弁を拒否した。反共感情の強い英国政府へ配慮したとの見方がある。
- アルベール・ルブラン大統領、国民に団結を呼びかけ -
フランスのアルベール・ルブラン大統領は14日、国内外の新聞記者との会見に応じた。フランス大統領が海外新聞記者との会談に応じるのはきわめて異例。同大統領は中道右派の民主協和同盟出身ながら反ファシスト・人民戦線内閣の組閣を許すなど、柔軟な政治手法で知られる。エドゥアール・ダラディエ首相(急進社会党・右派)と党派が異なるため政治的な発言を慎んできた同大統領の会見は、現在の情勢に関する危機感の顕れである。同大統領は「いかなる時代においてもフランスは団結し続けなければならない」と述べ、国民に団結を求めた。
- 東西新聞(国際欄)(9月14日) -
・本来より早い予備役編入。
・河豚作戦。日本のユダヤ人観もけっこうおもしろい。
・石工の集団が世界征服!をネタでいえる国。
・第2の黙れ事件。平和です。
・ちょっとうっとうしいオタクっぽくなってしまった宮脇御大のお父さん。
・なぜか野性味あふれる矢内原先生。どうしてこうなった。
・豆腐先生がどうしてこうなった(おい)
・さあ盛り上がってまいりました(白目)