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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
30/59

東京日日新聞 / 報知新聞号外 / 永田町 総理官邸2階 閣議室 / 官邸 総理補佐官執務室 / 総理官邸執務室 (1938年9月)

『われわれは人生という大きな芝居の、熱心な共演者である』


ハンス・カロッサ(1878-1956)


- 林総理、日満首脳会談のため訪満へ。現役総理としては初めての海外訪問 -


 日満両政府は、林銑十郎首相の訪満時期を9月中旬とする方向で調整に入った。複数の政府高官が明らかにした。日本の現役総理が外国を訪問するのは、憲政史上初めての事である。


 政府は昭和10年(1935年)の満洲皇帝陛下来日の返礼として、直宮様たる秩父宮殿下の御訪問を検討していたが、満ソ国境の情勢悪化により断念している。


 林総理は朝鮮半島において漢城や平壌を視察した後、満洲の新京を訪問する。満洲国の張景恵国務院総理(首相)との首脳会談を始め、在満邦人との会談や経済人との会談が予定されている。期間は2週間程度で調整が進められている。陸軍省高官は匿名を条件に「両首脳は内戦再開が懸念される大陸情勢や、北方からの赤軍の脅威に備えるために緊密な両国関係を強調する狙いがある」と説明した。


- 訪満中の臨時首相代理は阿部信行内閣官房長官 -


 政府は臨時閣議で、林総理の満洲訪問中の臨時首相代理に阿部信行官房長官を決定した。有力候補とされた三土内相(政友会総裁)や米内海相もこれに賛成したという。阿部官房長官は閣議後の記者会見で「臨時代理とはいえ、真に身の引き締まる思いであります」と顔を真っ赤にして答えた。


 阿部長官は臨時代理設置の理由について加藤友三郎首相病没直後の関東大震災や、浜口内閣の幣原臨時首相代理の選定過程における民政党の混乱を例に上げ「大災害や不測の事態により首相が欠けた場合、無用な対立や政治的空白を避けるために、あらかじめ臨時継承順位を定めておくべきである」との政府の見解を発表した。


- 満洲の現実を見るべき。支那政策の変更を 石原莞爾氏(元参謀本部作戦課長)一問一答 -


『そもそも満洲の現実というものを、総理が理解していないのが全ての問題なのだ。対英・対米外交にかまけていたことで北方の守りが薄くなり、そこをソビエト赤軍につかれたのが先月の張鼓峰事件である。幸いにして停戦合意はなったものの、支那の内戦再開は必至な情勢だ。これに対する考えが何もないから、今頃になって慌てて満洲を訪問せざるを得なくなったのが実情であろう』


(本紙記者):満洲建国により、防衛ラインが鴨緑江から東三省にまで拡大したことが問題なのではありませんか?


『馬鹿をいっちゃ行かんよ君!満鉄を初めとした各地の合法権益は日露戦役により日本が獲得したものだ。これは英米も認めている。それを見捨てる選択肢は日本にはない。張作霖・張学良親子の反日政策により風前の灯だったそれらを守ったのが満洲事変なのだ。満洲に王道楽土を築くことでソ連への防波堤とし、南京政府と共に中国共産党を叩く。現に南京政府も国としては承認していないが、それ(満洲の存在)を認めたではないか』


(本紙記者):それは林内閣の対英外交の成果なのではありませんか?


『そんなことは知らん。カイゼル禿にでも聞きにいけばいい。問題は、現下の大陸情勢の泥沼化に、再びわが日本が巻き込まれる恐れがあるという点だ。大陸の合法権益を守るためには10個師団があっても難しい。内戦が再開すれば、戦闘員と非戦闘員の区別はおろか、敵味方の区別も出来なくなる。便衣兵の入り乱れる状況で、日本軍が治安を維持するのは極めて困難だ。内戦を避けるためにも、日本が中心となり各勢力の仲介を果たすべきである。そのために粛軍人事で予備役入りとされた、支那の各勢力にパイプを持つ退役軍人を現役復帰させて(以下略)』


- 東京日日新聞(9月6日) -



- 支那で内戦再開?南京市内で武力衝突 -


 (中略)……軍政部長兼軍事委員会参謀総長の応欽おうきん大将が、国民党軍事委員会委員長を辞退したことで、候補者選びは振り出しに戻った。これは『汪兆銘国民党主席-何応欽軍事委員長』による宋子文元財政部長の左派と蒋派の大連立構想が頓挫したことを意味する。とう生智せいち南京軍事参議院院長が意欲を示しているものの、対日強硬派のワシントン講和条約廃棄を主張する同氏の就任には、汪氏の国民党左派のみならず、旧蒋派や右派の西山会議派も強硬に反対している。浙江財閥も批判的だ。


 こうした状況で行われた宗仁そうじん氏の「広東省臨時政府」発言は、李氏の所属する新広西派を中心に広東省の地元経済界の間でも支持の広がりを見せている。南京市幹部は匿名を条件に「先の南京市内における武力衝突は新広西派の将校を拘束しようとした唐派と、これを阻止しようとした汪兆銘派の部隊が衝突したものである」と明らかにした。最早、国民党の箍は外れてしまった。


- 報知新聞号外(9月7日) -



「えらい大陸は大変でんなぁ」


 発言内容とは裏腹に、全く緊張感のない声で内田信也逓信大臣(政友会)が口火を切ると、閣議室に何とも言えない弛緩した空気が流れた。


 気真面目な宮城長五郎司法大臣(貴族院議員)や、アジア・モンロー主義者で大陸政策に一家言ある永井柳太郎文部大臣(民政党)などは額に青筋を立てるが、当の内田は全く気にした素振りがない。海千山千の政党出身閣僚らにも、この経済人上がりの逓信大臣が、鈍感なのか面の皮が厚いのかを測りかねていた。


 内田は他の閣僚など目にも入らぬかのように、林銑十郎総理(外相と陸相を兼任)に話しかける。


「それで総理。こない大変な時期に、いや大変な時期やからこそ満洲にいかれるんでしょうが。予定の変更はないんですか?」

「ありませんな」


 林は咳払いをして簡潔に答えると、満洲訪問に関する自らの見解を披露した。


「むしろこういう緊迫した情勢下だからこそ、訪問する意味があるわけです。支那で内戦が勃発したからという理由で訪問を取りやめては、帝国政府が大陸に対する関わりを弱めるつもりではないか?そのような誤解を与える可能性になりかねない。そうなれば国内のみならず海外市場にも無用な不安と混乱を生じさせる結果となる。この時期だからこそ、大陸の同盟国である満洲政府と日本政府との関係性を強調し、帝国の安全保障と大陸権益に関するコミットメントを強調しなければなりません」

「なるほど。株式市場への波及は確かに困りますな。私の持ち株に影響が出ないうちに何とかしてもらわんと……っと。これは失言でしたな。さすがは総理。ご英断です」


 現役の投資家でもある内田は、あけすけに総理の見解に追従してみせた。閣僚の何人かは小さく笑い、同じく何人かは眉を顰める。永井文相などは掴みかからんばかりの剣幕で睨み付けているが、噂では2・26事件の直後にも株の心配をしていたというのが内田信也という御仁である。受け取り方こそ濃淡はあったが、ほとんどの閣僚は驚きもしなかった。


「満洲へは2週間の予定やそうですけど、船ですか?まさか飛行機ではおませんやろ?」

「私としては飛行機でも良かったのですが、警護の関係上、今回は鉄道と船で行きます」


 鉄道という単語に、鉄道局を管轄する松野鶴平鉄道大臣(政友会鳩山派)が反応を示した。


 すでに内閣官房と鉄道省との間で調整が進められているが、総理の移動ともなれば、秘書官を初め各省庁からの随行団も行動を共にすることが予想される。まして海外訪問となれば各省庁から出向するであろう随行の規模がどれくらいになるのか、現段階では想定が困難だ。情報漏洩の危険性を考えれば、警察や軍部の警護体制は直前まで伝えられない可能性すらある。


 「いっそ特別ダイヤを編成して、専用列車を運行したほうが融通が利くのではないか」と算段を巡らせるが、いずれにしても内閣官房と調整をしなければならないと阿部官房長官に視線を向ける。阿部も心得たものであり、松野に対して向き直ると、小さく頷き返した。


「鉄道と船でっか。そうなると下関あたりまで鉄道で移動して、あとは馬関海峡から船で釜山ですか?」

「半島視察も兼ねていますからな。朝鮮総督府や朝鮮軍を視察して2日か3日。鴨緑江を越えればもう満洲です」

「国境を越えるのは総理にとって初めてのことやありませんしな。今回は中央にお伺い立てなくてもよろしいわけやし」


 『越境将軍』の逸話に絡めた内田のきわどいジョークに、閣僚らは一様に表情を硬くする。そしてただ1人の民間人閣僚でもある結城豊太郎蔵相だけが「ぶふぉ!」と盛大に噴き出していた。どうにもインテリの笑いのツボというものはわからない。


 当の林はといえば、肩を震わせる蔵相を意図的に視界から外しながら「まぁ、これはこれ、それはそれですな」といつもの調子で髭をねじった。


「鉄道省鉄道局と内閣官房の間で事前にルート検討を行っております」


 議事進行役を兼ねる阿部官房長官が、総理発言に関する補足と経緯説明を行う。


「本来なら呉から海軍の船に乗って大連につけ、満洲鉄道で新京まで直行するというのが最も安全なのでしょうが、支那の内戦がどうなるか先行きは見通せません。直前の発表になり申し訳ありませんが、鉄道大臣及び逓信大臣には協力をお願いします」

「官房長官、拓務大臣や海軍大臣もですやろ」

「米内大臣、小川大臣。失礼しました。御協力に感謝申し上げます」


 阿部の謝意に小川郷太郎拓務大臣(民政党)がもごもごと口の中で何かを言う隣で、米内光政海軍大臣がひとつ大きく頷く。この岩手の男は長身で体躯が良いだけに、座っているだけで妙な威圧感を周囲に与える。普段が雄弁なだけに、閣議の際の沈黙は余計に際立っていた。


「当たり前といえばその通りなのですが……」


 いつまでも一方的に内田に喋らせておくわけにはいかないと考えたのか、三土忠造内務大臣(政友会)が発言を求めた。


「何分前例のないことで、各省庁の調整で官邸も苦労されたと聞いております。先帝の時代に西園寺公望元首相がパリ講和会議に出席されたことがありましたが、あれが西園寺さんが元首相だからこそなんとかなったのでしょうね。御本人も拘らないお人柄でしたから」

「そうですなぁ。総理が外相と陸相兼任で相手が満洲やから、そこまで難しくないやろ思てましたけど」


 三土の言葉に被せる様に、内田が半ば強引に自分の発言をねじ込む。


「総理を前にして言うのもなんですけどな。一番うるさい外務と陸軍を抑えていれば、官邸のさじ加減でどうとでもなると思うてましたわ。それがあっちこっちの各省庁が主導権を握ろうと、あるいは発言権を確保しようと人員をねじ込もうとする。事前の各省庁の調整なりが、ここまで面倒で大変やとは阿部さんも思いませんでしたやろ?」


 実際に外務省以外の各省庁も、発言権を確保するために人員をねじ込もうとしている。だが、他のどの省庁よりも強く働き掛けをしているのは、今回の訪満に並々ならぬ熱意を示しているのは逓信省であり、大臣である内田その人であることは、閣僚であれば誰もが知っている。その為、阿部は釈然としない表情で頷いた。


 逓信省にとって全国津々浦々まで逓信網を整備する事は悲願である。中でも満洲から朝鮮、対馬海峡から日本の北九州、関門海峡を経て日本の本土まで通じる大規模な逓信網の整備を目指す「三国通信構想」は、内田大臣肝煎りの看板政策だ。今回の首脳会談においても同計画は日満両政府の共同事業として発表される予定であり、その一貫として日満首脳の直通電話ホットラインの設置で先行合意を見ていた。


 実現すれば日満両国の同盟関係がさらに強化され、逓信省としては国防と経済振興を名目に、堂々と大蔵省主計局から予算を引っ張ってくる大義名分を獲得出来る。その為、2・26事件に関与したとして裁判中の久原房之介・元政友会幹事長が逓信大臣時代に掲げた大規模な通信整備構想の再挑戦であると、トップである内田自らが省内にハッパをかけていた。


 自分で火をつけておきながら火事の延焼を心配する。これではブラックジョークにもならない。阿部は「各省庁から出向する優秀な官僚諸君の御蔭であります」と通り一辺の面白みのない回答をした。


「どないです?内閣官房で高等文官試験の合格者の採用枠を拡大するっちゅう話もあるそうですけど」


 この回答に内田は丸眼鏡を外してハンカチで拭きながら、さらに官房長官に絡むように食い下がる。「人員不足だったらいくらでも手を貸しまっせ」と言ってのける内田に、阿部は「まだ検討段階です」と務めて冷静な話し方で応じた。


「何か具体的なものなり計画があるわけではありません。ですが通商交渉や地方自治制度に関する制度改正など、これからも複数の省庁にまたがる事案が続くことを考えますと、ある程度は自前の人員が必要になるのではないかという声があるのも事実です」


 「例えば先の日英交渉の全権団」と、阿部は具体例を挙げた。


 日英の現在の勢力圏を前提とした、極東亜細亜におけるイギリスへの安全保障協力への協力。それを引き換えにしたスターリングブロック(ポンド経済圏)への日本の参加を前提とする日英通商交渉が本格化するのを前に、日本政府内では全権団の構成を巡ってひと悶着が起こった。


 外交大権を盾に「外交交渉は自分達の専権事項である」と信じて疑わない外務省に、通商交渉の実務を担う商工省や農林省が「我々は外務官僚の部下ではない」と猛反発。鉄道省や逓信省、そして内務省など関連する省庁も我も我もと声を上げ、安保保障に関わることだと陸軍省と海軍省も口を出し始めた結果、収拾がつかなくなった。


 この全権団の構成を総理から丸投げされたのが、外ならぬ官房長官の阿部である。


「今回は何とかなりましたが、その度に内閣官房へ出向を求めていたのでは限りがありません」

「貿易省でもつくりますか……いや、昨今の混乱を見ていれば、外務省が倒閣運動する未来しか思いつきませんな」


 揶揄するような内田の発言に、阿部が露骨に表情をしかめる。


 日英交渉全権団が最初に取り上げられた閣議において、阿部は所管の官庁が多岐に渡ることから「貿易省を新たに設置して一括した通商交渉を担わせるのはどうか」と提案した。


 この時「貴様は内閣を潰す気か」と珍しく色をなして激怒したのが、総理大臣である林銑十郎だ。この後、阿部は全権団の構成を巡る各省庁の大臣や幹部との協議の過程で、自らの貿易省実現の困難さを痛感。「貿易省構想」の撤回と謝罪に追い込まれた。


 数少ない官房長官の政治的な失点を揶揄する内田の真意がどこにあるのか、三土にはわからない。そもそも内田は出戻り組であり、少数派の旧政友派として党に残り続けた三土との関係が深いわけでもない。


 あるいは逓信省として内閣官房の肥大化を牽制する狙いがあるのかもしれないが、過去の政治的な失点を殊更あげつらうのは、少なくとも品の良い行動ではない。不機嫌に黙り込む官房長官に、民政党出身の閣僚から「何とかしろ」という視線が三土に向けられるが、三土が内田を咎める事はなかった。


 何故なら彼自身も、自分の考えに没頭していたからである。


 現憲法において、内閣総理大臣の地位はあくまで大臣の首班というだけであり、大臣はそれぞれの責任で天皇を輔弼すると定められている。行政府の長でありながら実際に何か所管官庁があるわけではない総理の権限は、下手をすると内閣官房という手足を持つ官房長官より弱い。


 首相が陸相と外相を兼任しているというより、陸相兼外相の林銑十郎が「たまたま」首相であるという認識の方が正確だろう。


 その文脈で考えるのなら、総理個人に対する政治的な評価は別として、内閣官房の組織強化と人員拡大は適切であると評価されるべきだ。


 それだけ「弱い総理」にも拘らず、この内閣は内閣改造という難事業を2回も乗り越えた。そして今もなお政権が存続していることを、多くの専門家は不思議がっていた。


 内閣改造と一口に言うが、閣僚が一人でも造反すれば、或いはどこかの省が反旗を翻せば、その時点で政権の命運は潰えてしまう。三土の政治的な師である高橋是清(政友会)は内閣改造に失敗して総辞職に追い込まれたし、つい最近では第2次若槻禮次郎内閣(民政党)が内閣改造を契機とする閣僚の造反で政権を放り投げたばかりだ。


 事実上の政友会と民政党の連立内閣である林内閣の場合、政治的なハードルはさらに高くなる。両党の賛成を得た上で、軍部大臣以外の辞表を内閣官房長官が取りまとめて宮中に提出。改めて大命降下を受けた林の奏上により後任の大臣を指名するというのが「内閣改造」の一連の流れだ。


 この途中で民政党と政友会、そのどちらかが内閣改造に反対すれば、一人でも閣僚が辞表の提出を拒否すれば、あるいは宮中が林続投を拒否して大命降下がなければ、陸軍が、あるいは海軍が大臣を拒否すれば……


 では何故、林銑十郎にはそれが可能だったのか?


 多くの有識者は「林大将が陸軍を強権で抑え込んでいるからだ」と指摘するが、三土に言わせればそれだけでは不十分だ。無論「挙国一致」という建前を、国内のすべての勢力が支持しているからでもない。


 国内の如何なる勢力も、単独で政権を担うだけの実力にかけている。それが林銑十郎の続投に繋がっていると三土は結論付けていた。


 三土自身が閣僚ではなく政党の総裁として痛感していることだが、政党は単独で政権を担う実力と人気を回復していない。民政党も政友会も、衆目の一致する総理候補を抱えていない現状では「政権をつぶしたのか」と批判されたくなければ、林に協力せざるを得ない。そのため両党の執行部は内閣改造の度に、交代となる閣僚や参与官に因果を含めさせた。


 これは軍部でもその他の省部の官僚機構でも、また畏れ多いことではあるが宮中においても同じことだ。林に不満を持ってはいても、林に代わる存在が居ない。有力候補であった近衛文麿は政治的に失脚し、宇垣一成は遠くロンドンの地だ。


 繰り返しになるが、大日本帝国憲法における内閣総理大臣の地位が極めて脆弱であること自体は、誰にも疑いようがない。


 そして現状の多くの政治勢力の思惑が複雑に絡み合う政局において……実に苛立たしく不愉快な現状であるが、牽制しあう各勢力の政治的な統合に関しては、林銑十郎の右に出るものはいない。


 口の悪い馬場恒吾(政治評論家)に言わせれば『阿部長官の調整手腕の賜物』『林が何もしていないからだ』とにべもないが、実際に内閣改造に失敗して退陣に追い込まれた前例から「曲芸的な政治手法」と一部ではやっかみ半分に評価されている。


 そして林銑十郎が政権を構成する各勢力に対して、政治的な配慮を欠かしたことがないのも事実である。


「商工省や農林省は独自に海外とのパイプがありますしな。自分でやってしまいたいという気持ちも無理もありません」


 三土が閣議の議論に意識を戻す。自分の考えをまとめている間、農林大臣の櫻内幸雄が貿易省構想に関する持論を述べていたようだ。内田の発言を契機に、各閣僚が改めて貿易省構想に対する各省の反対意見を強調しておく狙いがあるのだろう。


 視線を向ければ櫻内と同じ民政党出身の俵孫一商工大臣が、同意するように頷いている。民政党でも有数の反英家である俵に、町田の側近中の側近である櫻内を経済閣僚として組ませる。林流の人事の妙と評価するべきなのか。それとも単に民政党からの閣僚名簿を丸呑みしただけなのか。三土には判断しかねた。


 ちょうど今、櫻内が代弁したように「自分達の方が専門知識も交渉の伝もあるのに素人の外務官僚に通商交渉を任せられるか」という不満は、各省庁に内在していた。鉄道省や逓信省も似たようなものであるし、南洋諸島の信託領を管轄する拓務大臣も対英交渉となれば無関心ではいられない。


 こうした主張に外務官僚は「二元外交だ」と猛反発した。日英交渉は外務省本流が希望していた国際政治への復帰(当然自分達の縄張りだという意識がある)の第一歩であり、それに懸ける思いは非常に強い。


 結局、交渉の主導権をめぐって混乱した当時の局面を収めたのは、町田忠治・商工大臣(当時)と林総理のトップ会談である。内閣官房内に対策班を設置。各省庁から出向した官僚らに基本的な交渉方針を作らせ、実際の交渉においては外務省の特命全権公使である伊藤述史をトップにした交渉団を構成することで政治決着を図った。


 この間の各省庁の綱引きや足の引っ張り合いに対処しつつ、対策班を取りまとめて情報統制と根回しを担ったのが、内閣官房長官であり「貿易省構想で現場を混乱させた元凶」と林から名指しされた阿部信行である。


 殆どの閣僚は体よく仕事を押し付けたようにしか受け取らなかったが、阿部がどう考えているかは誰にもわからない。


「……今の所は出向という往復切符ですが」


 貿易省構想への批判、つまり自分に対する批判がひと段落するのを待ちかねていたように、阿部が不機嫌そうに話し始めた。


「いずれは内閣府においても、一定の採用枠を確保したいとは考えています」

「内閣府貿易局ですかな?」


 重ねて内田が揶揄したが、林が「内田さん、まぁそのくらいで」とようやく咎める。これには内田も素直に「言葉が過ぎましたな。えらいすいませんな官房長官」と頭を下げた。顔を朱に染めた阿部としては、自分の感情の持っていきようがない。


「……総理。先程も出た大陸情勢についてですが」


 気まずい空気を切り替えるように、小川郷太郎拓務大臣が林に大陸情勢についての見解を問うた。


「現在陸軍は北京郊外の駐屯軍並びに上海の2個師団の警戒を引き上げた段階ですが、米内さん」

「海軍もシャン陸に動員をかけております。いつでも対応は可能です」


 林に続いて米内海相が短く事実だけを伝えた。


「現地の領事館・大使館からの報告によると、国民政府では蒋介石の軍事委員長辞任を前後して辞職が相次ぎ、政権としての体をなしていない」


 林は髭を揺らして頷きながら、今度は外務大臣としての見解を述べた。


「これは現地に駐屯する陸軍や特務機関からの報告とも一致している。御承知の通り、政府と党が一体化している南京国民政府だが、政府の遠心力に党が巻き込まれている形だ」

「国民政府軍としての一体性を保つのも難しい状況と考えてもよろしいでしょうか」


 大陸政策には一家言ある永井文相の質問に、林がひとつ間をおいてから「永井文相の懸念は正しいでしょうな」と応じた。


「人望の篤い何将軍が就任していれば話は違ったでしょうが」

「永井大臣。だが蒋介石が敗戦の責任をとるために辞任し、その腹心が後継ではいかにも不味いだろう」


 基本的に林は閣僚に対して威圧的に接することはなく、その質問には軍機を除いて出来る限り丁寧に答えるようにしていた。これは閣僚個人に対する敬意というよりも、その背後の政治勢力への配慮という側面が大きいのだろう。


「国民党の一体性を保ちつつ新政権の枠組みを作ろうとする宋子文としては、汪兆銘氏と蒋派との大連立政権で、一種の政府と党の分離を図るつもりだった。それが汪氏のワシントン講和条約条約をめぐる蒋介石批判が、ここに来て響いた格好ではある」

「汪氏は批判のための批判をするような人物ではありませんぞ」

「でしょうな」


 「しかし権力闘争の側面があったことは永井さんも否定はしないでしょう」と林が指摘すると、永井は不承不承ながらも頷いた。大陸においても日本においても、権力闘争の激しさは変わらない。


「それに汪氏の精神を、その配下が共通しているとは限らない。ソ連に習った党内民主集中制の国民党への導入には汪兆銘氏も賛成しているのだし、本質的には蒋介石と大差がない。党あっての政府か、政府あっての党か」


 「それとも蒋介石あっての政府であり党だったのか」と、林は独語するように続けた。


 蒋介石は軍の実力者であり有力な政治家ではあったが、必ずしも絶対的な権力を握っていたわけではなかった。辛亥革命を主導した世代を第1世代とすれば「革命の第2世代」である。実際、孫文死去(1925年)の後に蒋介石は国民党主席に就任してからも、何度か政争に敗れて下野している。


 しかしその度に返り咲いてきたのも確かだ。反蒋介石派の政権は、黄埔軍官学校長を経験して軍事教育部門を抑える蒋介石の協力なしには国民政府軍を統制出来ず、上海経済を牛耳る浙江財閥と縁戚関係にある彼を無視しては経済が成り立たない。


 最初からそれを意図して動いていたかは定かではないが、確かに蒋介石あっての党であり国家であった。そして現に彼の軍事委員会辞任により、大陸各地で箍が外れたように武力衝突が多発している。


 理由も背景も理解出来る。だが有効な解決策は見当たらないし、政治的妥協が行われる余地が極めて少ない。


 どうしたものかと重苦しい空気が閣議室に漂う中、「講和条約を破棄する可能性はありませんか?」と宮城司法大臣が単刀直入に切り出した。


「内戦が本格化すれば、最も中国人民の支持を得やすいのは反日政策であると考えます。実際に廃棄を宣言したとしても、彼らが何か出来るというわけではないでしょう。そして歴代の独裁的な政権が苦しくなるたびに、アヘンのように縋ってきたのが反日政策です」


 石部金吉の宮城としては国民党政府内部の権力闘争や人物評よりも、肝心の法的な継続性が気に掛かるのだろう。「革命外交」なる虫の良いお題目を掲げて2国間条約の無効を迫るのは、歴代国民党政権のお家芸だ。外務大臣を兼ねる林は「司法大臣の懸念は最もだ」とまずは頷いた。何事もまずは否定しないのが、林流なのかもしれない。


「だが今回は裏書人が米国だ。浙江財閥は民族資本だが、その内実は英米系資本との共同経営か現地法人の代理人。つまり彼らの支持と資金がなければ、上海という果実があったとしても干上がるのは早い。そして内戦であれ海外-つまり日本との戦争であれ、これは必要だ」


 そう言うと林は右手の手のひらを上に向け、親指と人差し指で丸を作る。内田はニヤリと笑い、宮城司法相や結城蔵相を始めとした多くの閣僚は嫌なものを見たような表情を浮かべるが、林はどこ吹く風と言わんばかりに続けた。


「これから各勢力は浙江財閥からの融資を競うだろう。その際には当然ながら講和の継続が条件となる……いや、条件とさせねばならない。英米政府、特に大統領にとっての大きな外交的成果となったワシントンDCには強力な外交圧力が期待出来るし、現地の吉田大使にも訓令を出している。反日政策を掲げる勢力が一時的に勢力を増したとしても、長期的には資金が続かない」

「しかし総理、それでは彼らは何のために争うのです?」


 司法官僚らしい合理的な思考で、宮城は疑問を呈した。


「中央政府の権威が失墜し、党もその遠心力に巻き込まれて崩壊していく過程にあるというのはわかりましたが」

「それは宮城さん。足場を固めるためであり、党の中での自分の勢力を守るためですな」


 中央政府の権威が失墜し、党には蒋介石以上の人物がいない。林はわかりきった前提をあえて説明した。


「今は三国志の初期がそうであったように、地方政府が群雄割拠して独立する過程にあるのですな。力のないものが淘汰され、いずれ群雄が中央-つまり南京を獲る」


 丸机に肘をついた永井が、身を乗り出すようにして訊ねた。


「つまり現在の大陸派遣中の陸海の戦力においても現地の治安を維持し、権益を守ることは可能だと?」

「治安に関してはすべてをカバーするのは正直難しいだろうが、各軍閥に条約を守らせるだけの実効性はあると考えている」


 国民党の遵法精神は期待していないが、生存本能と金銭に関する物欲は信頼していると林は続けた。それが極めて事務的な口調であったがゆえに、何人かの閣僚は皮肉であることに気が付くのが遅れた。


「それに反日政策に関しては、先の停戦合意直後に政権を離脱した中国共産党の方が徹底している。一時の勢力争いのために政策をコロコロ変化させる国民党より、共産党の方がよほど筋が通っているし、正直に言うと手強い」

「目的のためには国民党とも組むが、本質を曲げてまで妥協はしない。確かに厄介ですな」


 本質は商売人というよりも投機家である内田逓信大臣が言うとブラックジョークにしかならないが、誰も笑おうとしない。


「今回の満洲国訪問は、単なる親善訪問に留まるものではない」


 林は一つ咳払いをしてから、全閣僚を見渡した。


「先の日英交渉、対米外交、そして対欧州政策の成果も踏まえ、同盟国たる満洲の極東亜細亜における地位を確認すること。これが大前提だ。その上で満洲国政府と大陸内乱、および北からの脅威について共通認識を深めるのが第1点」


 ここまでは多くの閣僚に予想出来た内容であったが、その次の発言に結城蔵相は首を傾げた。


「第2に大陸から流出が予想される資本を、これを出来れば上海で堰き止め、可能であれば満洲へと呼び込みたいと考えている」

「総理。お言葉ですが、それはいささか都合の良い考えではないかと」


 安田財閥の総支配人も務めた結城豊太郎の発言に、対英政策では対立する俵商工相と櫻内農相がそろって頷く。


「見返りもなく政治家の思惑通りに資本家を動かそうとすれば、失敗は免れない。それは過去の歴史が証明しております。水は高きから低きにながれるものであって、その流れを人工的にせき止めることは不可能です」


 町田忠治前商工大臣や結城豊太郎は珍しい例ではない。多くの政党政治家は、地元の有力企業の経営者や投資家としての顔を持ち合わせている。例え職業政治家であっても、後援会などの形で何らかの接点があるのが普通であった(内田逓信大臣はさすがに特異な例だが)。これらは政官財の腐敗や構造的な汚職の元凶につながると無産政党に批判されたが、だからこそ彼らは経済の実態や企業経営者の考え方には非常に敏感であった。


 彼らの反論、或いは意義に対して、林は「その通りだ」とまたも肯定してから反論した。


「流れに枕し石で漱がんと欲するへそ曲がりもいるが、水は低きに流れるものと相場は決まっている。何のために松岡や岸の首を飛ばしたのかということだよ諸君」


 林の言わんとするところを察した結城が「しかし総理」と食い下がる。


「仮に門戸開放政策を実施したところで、資本家は赤軍の脅威のある満洲に出資するよりも、海外に流れるのではないでしょうか。満洲は……こういうと何ですが、日本色が強すぎるのが難点です。上海のような無秩序なまでの大規模な規制緩和は、都市だからこそなしえたこと。曲がりなりにも『国家』としての体制がある満洲において、上海流の投資呼び込みは難しいかと」

「別にそれでも構わない。一度痛い目を見ないと分からないのは犬畜生であろうと、人の子供であろうとも一緒だからな」


 「なんとかの一つ覚えのように門戸開放を繰り返すアメリカ人にも同じことが言える」と、林は再び皮肉を漏らしてから続けた。


「まぁ、豆腐先生ならその点はうまく裁いてくれるだろう」


 満洲国の張景恵・国務院総理の茫洋とした表情を思い浮かべた閣僚の何人かは、またもや首を傾げた。



「……総理は満洲国の実情に詳しい人材を求めている。だからこそ貴様に声が掛かったわけだ」

「お断りだね。こう見えて気楽な浪人暮らしが性に合ってるんだよ」


 武士は食わねど高楊枝とでも言いたいのか。商工省『前』商務局長の岸信介は、実兄にあたる総理補佐官の佐藤市郎海軍中将の打診をにべもなく断った。


 総理官邸内の補佐官室は、その出入りに注意さえすれば人目を気にする必要がない。腹心の部下らしかいないこともあり、佐藤は表向きの真面目くさった顔を止めて、出来の悪い弟に頭を痛める兄の顔に戻った。


「……お前な。痩せ我慢も大概にしておけ。お前だけならともかく嫁さんや子供もいるのだから。意地を張るのを止めて大人になれ」

「兄貴。これでも僕は高給取りだったんだぜ?子供達の教育費や、僕と女房の老後の生活費ぐらいは何とかしてみせるさ」


 金には困っていないと嘯く弟に、佐藤は溜息をつく。普段は拘りなどないという柔軟な考え方をするくせに、一度理屈を立てて言い出した時の頑固さは、並大抵の努力で説き伏せられるものではないことを思い出したからだ。


「俺もね、自分の甥や姪に、自分の弟を『パパの職業は無職です』と呼ばせるのは忍びないと思っているんだが」

「本当のことだから仕方がない。それにもう言われてるからね」


 国内産の安煙草を吹かす岸に、佐藤はほとほと呆れたような表情を浮かべて対面に座った。補佐官室の革張りの椅子に深く腰をかける弟を見ていると、どちらがこの部屋の主かわからなくなる。


 総理の満洲随行団は、外務省や陸軍省を始め、各省庁から希望者が殺到している。明治末期の西園寺総理の非公式な満蒙視察を除けば、現役総理の海外訪問が初めてとなる。各省庁の幹部からすれば「とりあえずそこにいなければ何が起きるかわからないし、対処が出来ないから人員を押し込みたい」というものであったが、少壮中堅官僚は、これこそ出世の登竜門になると目の色を変えていた。


 随行員の選抜に官邸が苦労する中、佐藤は林から「特別枠」として民間有識者との調整を命じられていた。


 植民地政策の第一人者である東京帝大の矢内原忠雄教授、ビリケン(寺内正毅)内閣の元蔵相であり対中大規模借款をまとめ上げた勝田主計、東洋経済新報代表取締役の石橋湛山……そして満洲国の産業政策を立案した元産業部次長の岸信介である。


 町田忠治商工大臣(当時)と臨時産業合理局の廃止問題で衝突して休職処分を食らった岸にとっては千載一遇の好機である。身内に対する情が乏しいと自覚している佐藤としても、実弟がいつまでも政権からにらまれているというのは面白くはない。まして自分の総理補佐官という職責を考えれば尚更だ。


 ごねることはあっても断ることはないだろうとタカをくくっていただけに、実弟の回答に困り果てていた。普段はいけ好かない実兄の困った態度に溜飲を下げたのか、岸は出っ歯を剥き出しにして笑った。


「勉強するのは結構だけど、いくらなんでも付け焼刃にすぎるよ。それに家庭教師だったら矢内原教授で十分だろ?小日本主義者の植民地放棄論者の石橋君を呼び出すこと自体、総理の考えがどこにあるかわかるってものじゃないか。僕なんかお呼びじゃないよ」

「満洲の実態について、お前ほど詳しい人間はいないだろう」

「だったら松岡さんでもいいじゃないか」


 ここで欧州歴訪中の松岡洋右・前満鉄総裁の名前を上げる岸に、佐藤は顔を歪めた。


 西園寺公爵や宮中の重臣には欧米協調派としてふるまいながら、右派勢力には対外強硬派として振る舞うなど、相手に合わせて発言内容を変える癖のある松岡には、佐藤中将を始めとして現在の官邸の中枢部は面白く思っていない。それを理解していながら、あえて起用を薦める弟の根性の底悪さを見せつけられては、兄としては「どうしてこうなったのか」という思いしか浮かんでこない。


「まったくお前というやつは。もう俺は知らんぞ!」

「まぁ、そんなことよりも……これをちょっと見てほしいんだけど」


 岸は真面目な表情を取り繕い、持参した鞄の中から分厚い原稿用紙の束を差し出す。


 その表題を見た途端、佐藤の表情は一瞬の驚きを経てから朱色に満ちた。上官の豹変に何事かと血相を変える秘書官に、佐藤は「出ていけ!」と怒鳴りつけていた。普段は冷静沈着な補佐官の、烈火の如きむき出しの激情をぶつけられた秘書官らが慌てて退出するのを確認してから、佐藤は再びニヤニヤとした表情を浮かべる弟を問い質した。


「……貴様、骨の髄まで陸軍流の考えに毒されたか」

「とりあえず中身を読んでからにしてくれないかい、兄さん」

「都合のいい時だけ兄弟関係を強調するな!それに関東軍や商工省はいざ知らず、海軍では手続きを守ることが仕事であり、それを逸脱する手助けをすることは職責とは考えてはいない!」


 佐藤が日頃の海軍将校としての体面をかなぐり捨てて殴りつけた冊子には『国民健康保険法試案』と題されていた。中身は佐藤でなくともその内容が想像出来る。


 大正期に成立した健康保険法では、主に工場労働者が医療保険及び給付制度の対象とされていた。昨年国会に提出された国民健康保険法では、その対象範囲が農業従事者や漁業関係者、自営業者等に拡大していたため国民の期待や注目も高かった。


 それが肝心の対象範囲や保険料徴収を巡る産業別組合と大日本医師会との対立が解消出来なかったため、昨年(第71回)、本年(第72回)と連続で通常会に提出されながら廃案となっている。林内閣にとって最初の内務大臣である潮恵之輔(元内務次官)更迭の一因となり、続く三土忠造にとっても、内務省改革と同時並行とはいえ手腕が疑問視される原因になった内閣の鬼門だ。


 そのため「戦争には勝ったけれども」「国民には何も銑十郎」「国民は素寒貧な日本にありて、飾り立てたる元帥杖が5本」という揶揄する言葉が流行語に選ばれる始末。総理補佐官である佐藤も頭を悩ませている。


 兄の苦衷を知ってか知らずか、岸は小馬鹿にしたような表情を浮かべながら足を組んだ。


「内務省も馬鹿なんだよ。分割されたくなければ法案成立に協力すればいいのにサボタージュを決め込んだ。そんな態度じゃ衛生省や労働庁の分割設置をむしろ後押しするだけと、何故わからないのか」

「貴様に心配してもらう必要などない」

「内務省は地方行政や治安には詳しくても、新たな概念の法律を作ることには慣れていないのだろう。産業別組合と医師会の対立を解消しようと条文削除でいじることばかりを考えているからそうなるんだよ。試案の段階だが、これでは厚生年金保険法を同時に制定することで給与所得者にも対象を拡大し、保険料に関しては企業負担を……」

「黙れと言っているのが聞こえんのかあ!」


 自ら持ち込んだ改定案をとうとうと話し始める弟に、佐藤は再び書類の束を殴りつけて、有無を言わさず黙らせた。その口を閉じた岸であったが、しかしその団栗眼は佐藤を正面から見据えて離そうとしない。


 弟の覚悟をそこに見た佐藤は、手元の冊子に視線を落とした。


 霞ヶ関でも自分で法案を書ける人間は少ない。この弟は性格はともかく、その能力はある。懸案となっている企業や産業別組合の負担や徴収方法に関しても、確かに内務省というよりも商工省向きの案件であるかもしれない。


 確かにこの愚弟の言う通り、内務省が主導したままでは国民健康保険法の成立が難しいだろう。国会審議の度重なる混乱を見れば、それは明らかだ。


 しかしだからこそ、総理補佐官である佐藤は「これ」を受け入れることが出来ない。


 組織の手続きを踏んでこそ軍規が保たれるという海軍将校としての矜持と信念、そして公私の別を乱すことへの不快感が、弟に対する薄い肉親同士の関係よりも上回るのは、この男にとっては当然であった。何よりこの男は休職中とはいえ商工省の現役官僚である。内閣官房に直接法案を持ち込むなど越権行為も甚だしい。佐藤にとってはそれだけで十分であった。


「……一度だけだ。今回は見逃してやる。すぐに持って帰れ」

「わかったよ兄さん。弟たるもの、兄の言うことに従うものだからね」


 佐藤の予想に反して、岸は大人しくその書類の束を再び鞄に入れると、鍵をかけた。


 休職処分から約3カ月。夜遊びにも行かず家に籠り切っていると聞いていたので、失意で落ち込んでいるのかと思いきや、一人で法案を書きあげていたのだ。その執念は一体何から生まれるものなのか。佐藤は生まれて初めて、目の前の弟を気味悪いとすら感じた。


 出っ歯を剝いて笑うその顔が何か人外じみた妖怪のように思え、佐藤は視線を外すと立ち上がった。


「佐藤市郎総理補佐官」

「……なんだその呼び方は。気味の悪い」


 佐藤が思わず振り返ると、岸は立ち上がって直立不動の姿勢をとっている。今度は何を言い出すのかと顔を顰める長兄の前で、弟は深々と頭を下げて最敬礼をとった。


「この岸信介、ご用命があればいつでも馳せ参じますので、林銑十郎内閣総理大臣閣下によろしくお伝えください。この駄馬は必ずや元帥閣下と、日本のお役にたちますので」


 その芝居じみた態度が佐藤の癇に障ったが、彼はもはや怒鳴ろうとも思わなかった。ただ当初の目的だけは達成しようと、弟に再確認だけはした。


「……満洲には行くつもりはないのだな?」

「それだけはご勘弁を。鮎川さんに殺されてしまいますよ」

「……総理には伝えておく。帰ってよろしい」


 そう言い捨てると、佐藤は不愉快な気分を切り替えようと窓に近寄った。


 そして意図せずして、目の前の硝子に背後の弟の姿が写りこんでいることに気がつく。


 綺麗に45度に曲げられた腰をゆっくりと上げるのが見え、どうせその顔にはいつものにやけ顔なのだろうと佐藤はさらに気分を悪くしたが、その表情に佐藤は背筋が寒くなるのを感じた。


「……感謝します。総理補佐官」


 口元だけは確かにいつもの見慣れたうすら笑いであったが、その瞳には何の感情も宿っていない。


 皺だらけの瞼の下から、西欧人形のガラス玉のような眼だけが佐藤を見つめていた。



 中華民国元大総統の徐世昌は、初代臨時大総統の袁世凱の親友であり政治的な盟友として著名な存在である。科挙に落選した粗暴な幼馴染の袁世凱とは対照的に、科挙にも合格した文人肌の政治家である彼は、清朝の伝統的な教養を身につけた文化人だ。袁世凱が一時中央を離れた間は、彼の名代として振舞い、辛亥革命後は政府の要職を歴任。帝政失敗により袁世凱が失脚した後は後ろ盾を失い、袁世凱の部下たちの傀儡として大総統を2度務めたものの、これという実績も残すことなく退陣している。


 北伐により南の南京政府が大陸を統一した後は、天津においてもっぱら文化活動や慈善活動に勤しんでいた。政治的実績というよりも、その政治的な教養や大陸的な大人としての風格のある人物として敬愛はされていたが、ただそれだけである。


「あの御仁はまだ生きていたのですか?」


 その御年83になろうかという元大総統を、浙江財閥が国民政府主席に担ぐ動きがある。閣議終了後に総理である林銑十郎から伝えられた話は、海軍大臣の米内光政には俄かには信じがたいものであった。


「南京国民政府はもともと、袁世凱の強権姿勢に反対した孫文の流れをくむものではありませんか。その南京政府が袁世凱の親友である旧清朝の官僚を担ぐなど、本末転倒もよいところ。南北戦争後の大統領選挙で、共和党がジェファーソン・デイヴィスを担ぐようなものでしょう」

「何でもありなのでしょうな。少し前の政友会の総裁争いみたいなものです。党内の誰を担いでも分裂が免れないのなら、外から担ごう。この程度の考えなのか、それほど政治的な選択肢に困っているのか。ポスト鈴木(喜三郎)には安達健蔵さんの名前が上がるぐらいでしたし」

「しかし政友会は三土さんを選んだ」


 「まだその点では国民党よりもまともだったのではないですか」と米内が言うと、林は「さて、そのあたりは」と言葉を濁して見せた。


「陸軍軍人の田中さんや、反政友会で戦ってきた犬養木堂さんを担いだ点でどうなのかという気がしないでもありませんが」


 林はやんわりと米内に「五十歩百歩ではないか」という考えを匂わせると、髭をねじりながら続けた。


「宋子文さんも必死なのはわかりますが、蒋介石を引きずり下ろした段階で、蒋派の協力は得られるわけがない。汪兆銘の左派は勢力が弱い。そもそも国民政府軍を抑えられる蒋介石に代わる人材がいないのでは……」

「一昔前の陸軍のようでありますな」


 間髪を容れない米内の強烈な皮肉に、林は一瞬目を瞬かせるが「あはははっ」と笑い声をあげて誤魔化した。内閣就任以来、こうして米内が林に不満をぶつけたことは一度や二度ではないが、一度たりとも激高したことがない。


 そして林は芝居がかった調子で続けた。


「米内さん、男子三日会わざれば刮目して見よと言うではありませんか。『石川の銑十郎は男でござる、身内にほだされ存ぜぬ事を存じたとは申さぬ』」

「仮名手本忠臣蔵ですか。しかし下手な芝居ですな」

「お忘れかもしれませんが、本官は軍人ですからな」


 米内は呆れたような眼差しを向けるが、林は「臨時総理代理についてなのですが」と話題を変える。この男はいつもこの手だ。米内は諦めたように椅子に座り直してから言った。


「阿部さんもつくづく臨時代理に縁のあるお人だ。確か宇垣陸相時代に、陸軍次官として陸相臨時代理を経験されていましたな」

「そういう星の巡り合わせなのでしょう」


 林は総理臨時代理に内閣官房長官の阿部信行(予備役陸軍大将)を指名する意向を明らかにした。もっとも抵抗するであろう陸軍が了としている以上、米内としても反対する理由はない。持ち帰るような案件でもあるまいと、即座に同意を示した。


「今回は阿部さんにお願いしましたが、加藤友三郎元帥の時のような事態が起こらないとは限りません」


 相談する順序が逆かもしれませんがねと、林は笑いながら(米内からすれば笑い事ではない)行政上の問題点を指摘する。


 海軍出身の加藤友三郎海軍元帥は、大正期に総理となるも、在任中に大腸癌で死去した。内田康哉外相が臨時代理となるなか、元老が後継総理を選定中に発生したのが関東大震災(1923年)である。早期に次期内閣が組閣されたことで震災対応への影響は最小限にとどめられたものの、影響がなかったわけではない。


「本来であれば宮中席次に従うべきなのでしょう。ですが政党出身閣僚の力関係が宮中次席通りだとは限らない。だからこそ事前に継承順位を何らかの形で定めておくべきでしょうな」


 内容が内容だけに、林の話し方も流石に慎重さを帯びる。


「仮に……あくまで過程の話ですが、現役の総理が震災により死亡した場合はどうなるかという話です。宮中席次で選んでいては実際に対応できる人材が臨時首相代理になるとは限りません」

「……幣原さんの話ですか?」

「とくに特定の事例を念頭に置いているわけではありません」


 林はしれっと否定したが、民政党内閣の浜口雄幸首相がテロにより負傷した後、臨時総理代理となった幣原喜重郎外相は政党出身閣僚を統制するだけの政治力に欠け、政局の混乱を引き起こした。そうした事態が再び起こらないようにすることは無論だが、天災だけは防ぐ事は不可能だ。


「何時如何なる事態が起きても政治が対応するためには、あらかじめ継承順位を定めておくことは必要でしょう。しかし憲法上、閣僚はすべて個人の大臣の責任で陛下を輔弼すると定められています。宮中席次以外で序列をつけることは、正直のところ難しい」

「では総理はどのような案をお持ちなのか」

「憲法は『現段階』では弄れない以上……」


 『現段階では』か。米内は独り言ちる。額面通りに解釈してもよいものか、或いは聞き流しておくべき性質のものなのか。そして爆弾を投げてきた張本人は、素知らぬ顔で続ける。


「例えば次の内閣改造から宮中への閣僚呼び出し順位により、暗黙の序列をつけるというのはどうかと。先に呼ばれた閣僚の継承順が優先される。法ではなく実際の運用で先例を設けてしまおうということです。斎藤内大臣(斎藤実・海軍出身の元総理)にはすでに検討をお願いしています」

「手回しのよろしいことで」


 それにしても「次の内閣改造」とは。1つの内閣で2回も内閣を改造出来た総理は林しかおらず、3回目となると空前絶後である。3回目まで居座るつもりなのか、それとも自分に代わる総理候補などいないだろうという慢心なのか。


 米内(海軍)としては、現状ではどちらでも構わないと割り切っている。


 兵機一系化を邪魔しない限りは、今の政権に不満はない。帝国国防方針で長年海軍の仮想敵国とされてきた対米交渉に関しては海軍内部でも意見が割れているが、日英の接近は大歓迎だ。それに政権が強固だからといって必ずしも政治的な業績があげられるとは限らないが、長期政権でなければ出来ない事はある。


 米内は自分個人の感情はさておき、海軍の代表として総理に労いの声を掛けた。


「満洲は寒さが厳しいと聞きます。どうぞお気をつけください」


 林は「ありがとう」と満足そうに笑った。


・初めてのがいゆう‐林銑十郎くん(62さい)

・書いてて思った。この内田、めんどくさい。

・史実じゃ貿易省をぶち上げて政権のレームダック化に拍車のかかった阿部信行さん。なんで林さんは激怒したんでしょうね(棒読)

・妖怪岸再登場。

・史実では37年に成立している国民健康保険法。日中戦争下だからこそ早期妥結したという向きもあるが、実際には政友会と民政党の両政党が業界団体の間に入って意見を調整した結果。

・なんだかんだで日中戦争下でも続いた社会福祉の拡大。ただ統制と表裏一体。

・チャイナの情勢は奇奇怪怪。徐世昌の下りは完全なオリジナル展開。意表をつく名前で思いついたのがこの人だったわけで。

・米内君はからかい上手。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こう見ると戦後の内閣制度は戦前の日本の反省から出来てるとよく分かります
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