東西グラフ8月号 / 東京日日新聞・特集記事 / 永田町 総理官邸2階 閣議室 / 東京府牛込区新小川町 三木弁護士事務所 / 総理官邸別館(日本間)執務室(1938年8月)
『友愛と呼称するものは、社交、欲望のかけ合い、かけ引き、そして親切の交換である。つまり自愛が恒常的に何か得をしようとする一種の取引にすぎない』
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(1613-1680)
- 揺れる最高学府!御家騒動の余波は国会にも -
果たしてこれが本当に日本有数の知性が集まる場所なのか。やっていることは沖仲仕の勢力争いと大して差はない。なまじ頭がいいだけにそれが騒動の陰険さと陰湿さを際立たせている感がある。これは思想面の対立と考えるべきなのか、それとも単なる学部内の派閥争いと見るべきなのか。
東京帝国大学経済学部の御家騒動は、民間右翼に文部省、はては政界浪人まで乗り出す始末で全く収拾する気配を見せない。前の経済学部長の土方成美教授と、元学部長の河合栄治郎教授、そして大内兵衛教授率いる左派の三派入り乱れた対立は、よく言えば三国志のような、悪く言えば五胡十六国時代のようなわけのわからない状況である。
経緯を振り返る。登場人物は取り上げ始めるときりがないので、ここでは3人に絞ろう。
自由主義者として名高い河合教授は、そもそも専攻は英国の社会思想史であり労働法制の専門家である。英国労働党およびフェビアン主義に造詣が深く農商務省の出身だ。大正デモクラシーの社会的背景も後押しして主流派となった河合派に、労農派の財政学者である大内教授率いる左派が少数派ながらも対峙していた。大内教授はいわずと知れた社会大衆党左派のブレーンであり、その勢力は小さいながらも強固であった。
この両派に対して昭和期に入ってから勃興したのが、土方前学部長の国家主義派である。土方教授の専攻は理論経済学と財政学。統制経済の言葉の生みの親とされ、満洲事変以降の社会的背景や、河合派への反発と大内派への忌避感もあり、急速に勢力を拡大した。
敵対する派閥同士が相手をレッテル張りしているために、便宜上は河合派を「自由派」、土方派を「革新派」、大内派を「左派」と思想的な傾向も含めて呼ぶことも可能だが、二股は当たり前で、三派を股にかける剛の者もいる始末であるため、それほど意味はない。
土方派が外部の右翼活動家である秋山定輔と手を組んで河合教授排斥運動を起こせば、河合派は文部省幹部と手を組んでこれに対抗。従来河合派に対抗してきた大内派は社会大衆党の勢力争いに引きずられる形で分裂傾向にあり、これで少しは対立がましになるかと思いきや四分五分でかえって過激化する有様である。
これを統制するべき総長の長與又郎氏は学識豊かな高潔なる人物であるが、いかんせん勇気と政治力に欠ける。永井柳太郎文部大臣は「このままでは大学総長の官選案も検討せざるを得ない」と警告したが、かえって「大学の自治を乱す」と全学部共同で反対声明を出し、永井文相の逆鱗に触れた。情勢ますます混沌とする中、次の帝国日本を担う若者への悪影響が懸念される-
- 東西グラフ8月号 特集『揺れる東京帝大』より抜粋 -
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- ヒトラー・ユーゲント来日。各地を親善訪問へ -
冷え込んだ日独関係改善の切り札となるか。ドイツ国の青少年団体であるヒトラー・ユーゲント団が来日し、横浜港で永井柳太郎文部大臣の出迎えを受けた。7月12日にブレーメンを出航した一団は長旅の疲れも見せず、おそろいのユニフォームに襷がけの白のベルトという目にも鮮やかな一団は、団長以下総勢30名の青少年が一糸乱れぬ団体行動を披露し、出迎えた聴衆をわかせた。
この後、一団は東京駅に移動し、駐日ドイツ大使オイゲン・オット氏と共に大達茂雄東京府知事主催の歓迎式典に参加した。シュルツェ団長の感謝の辞に続き、レデッカー副団長が流暢な日本語で『大日本帝国万歳!』を叫ぶと、大きな歓声と拍手が送られた。
(写真)
歓迎式典に飛び入り参加した林銑十郎総理と握手を交わすシュルツェ団長(中央)。レデッカー副団長(前列左)。大達知事と一人挟んでオットー大使。
一団はこの後、外相公邸において林銑十郎内閣総理大臣(外相兼任)の主催する歓迎昼食会に出席した。同会合には陸海の軍高官を始め、政界や官界に経済界、芸能界からも多くの著名人が参加した。
昼食会では元のドイツ駐在武官の大島浩退役陸軍中将が、その朗々たる声量でドイツ民謡を3曲続けて歌い上げた時には日独双方が大いに盛り上がったが、逆に言えばそれぐらいしか目につくところがなかったとも言える。
民政と政友の2大政党の総裁が「公務」を理由に、前ドイツ大使である武者小路公共氏が第2次上海事変におけるドイツの対応への抗議を理由に欠席したように、東京駅における聴衆の反応とは裏腹に、必ずしも日本は歓迎ムード一色ではない。
林元帥の東京駅の式典参加は、警護の兵を動かすことで右翼団体をユーゲントから遠ざける狙いがあったとする内務省警保局の談話を裏付けるかのように、外相公邸近くでは来日に抗議する右翼団体が『私たちはオーストリーという国があったことを覚えている』というドイツ語のプラカードを掲げ、武装警官と一時にらみ合いとなった。
・本多熊太郎(元駐ドイツ大使)の談話
「昨年就任したリッベントロップ外相は知日派であり、第2次上海事変を契機に冷え込んだ両国関係改善の旗振り役である。ドイツの現政権与党内部の政治力学は窺い知れないが、満洲国承認をヒトラー総統に提案したのはおそらく伯爵と見て相違ない。ドイツは英仏を始め周辺諸国との関係が悪化しており、その打開を極東外交に見出したのだろう。今回の青少年団訪問も、関係改善の端緒にしたい思惑が感じられる。私個人としてはドイツと一定の関係を保つことは日本外交にとって損にはならないと思うが、問題は日本がベルリン=ローマ枢軸に参加するか否かだ。将来的な展望もなしに同床異夢のままの一夜限りの関係を続けていれば、待ち受けているのは悲劇的な結末でしかない」
「現在の日本に問われているのは日独関係という2国間関係よりも、日本が連盟脱退の後の欧州や世界とどう向き合うかということだ。ここさえしっかりしていれば、国際情勢がどのように変化しようとも揺らぐことはない。現在、林内閣は日英関係を外交戦略の最重要課題に掲げているように思える。地政学上の条件や国力を考えれば日本独自の外交戦略というものは限られているが、それでも対ソビエトや支那大陸に最も近い大国としてのアドバンテージは、どの国家にとっても魅力的であることを忘れてはいけない」
- 東京日日新聞 連載特集『ヒトラー総統の息子達の日本滞在記』より抜粋 -
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『Guten Morgen!ようこそ日本へ。シュルツェ団長、堂々たる挨拶でした。レデッカー君、すばらしい日本語でしたね。私の日本語よりも上手かもしれません。遠路遥々、ようこそいらっしゃいました。ドイツ少女団の皆さんがいらっしゃればもっと華やかだったと思うのですが(笑い声多数)日本は貴方達を歓迎いたします』
『日本ではほとんどの地域が昨日の8月15日をもって盆の最終日、暑さのピークとされる日を終えたのですが、残念ながら今年ばかりは嘘のようです(笑い声)。ドイツに留学した私としてはベルリンの湿気のない、からっとした夏が懐かしく思われます。ぜひ皆さんには日本の文化を体験して頂き、日本の青少年との関係を深められることで将来の日独関係に貢献して頂きたいと思います。まぁ、堅苦しい建前はこのくらいにして……ここは日本です。本国の口うるさい大人も、風紀委員のような親衛隊もいないことですし、ぜひ羽を伸ばしていってください。オットー大使には私から取り成しておきますので(爆笑)』
- 東京駅におけるドイツ青年団歓迎式典における林銑十郎総理の歓迎スピーチ(ドイツ語) -
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8月15日を過ぎてもなお残暑に苦しむのは日本の伝統かもしれない。
総理官邸2階の閣議室では芝浦製作所製の扇風機が2台稼動しているが、とても追いつかない。着席済みの閣僚は、ハンカチで汗を拭いたりネクタイを緩めたり、扇子で自らを扇ぐことで涼をとろうとしていた。
しかしそうした努力は頭から湯気を噴出さんばかりの勢いで入室した永井柳太郎文部大臣(民政党)のお陰で徒労と化すのだが。
「あんの長與のだらすけ!病理学者の癖に、己の体がどうなっているのかもわからんのか!癌の専門家が聞いてあきれるわ!!」
ヒトラー・ユーゲント団との面会を終えた永井文相は、次官から報告を受けたものか下膨れの顔を真っ赤に染めて激高しながら入室してきた。
軍部大臣と官房長官は総理同席の会談が継続中であり、まだ到着していない。活火山の如き永井の剣幕に、多くの閣僚が書類に目を落としたり、わざとらしく咳き込んだり、雑談を始める中、まともに視線を合わせたのは三土忠造内務大臣(政友会総裁)と内田信也逓信大臣(政友会)の2人だけであった。
「えらい鶏冠にきとりますな、永井さん」
「ここまであしざまに馬鹿にされて怒らねば、私は男ではない!」
「まぁ、気持ちはわかりますよ。気持ちはね」
文部大臣経験者の三土が、申しわけ程度に同意してみせる。
各地の高等学校と帝大は密接不可分な関係(希望大学の学部を選ばなければ、事実上のエスカレーター方式)にあり、明治の後半に現在の制度が成立してからは帝国日本の高等教育や研究活動を主導。官民問わずに多くの人材を輩出してきた。
そしてそれ相応というべきか、専門分野に関する知識の深さは彩帆島沖合いの海溝よりも計り知れず、その矜持と気位の高さは新高山よりもはるか彼方の上にある。
永井としては監督官庁としての一般論を述べただけのつもりであった。それが針小棒大に取り上げられ、挙句「部外者は黙っていろ」といわんばかりの態度で反論してきた東京帝大の対応に、心底激怒していた。
「何が大学の自治だ!最高学府が聞いて呆れる。自分の尻拭いも出来ない連中が一人前の口を利くな!学問上で論争するのは勝手だが、外部の勢力と徒党を組んで実力行使に及ぶなどもっての外!」
「はぁ、まあ……」
「いや、おっしゃる通りでんな永井大臣」
警察当局を管轄する三土内相は飛び火を恐れて言葉を濁すが、特に関係のない内田はうんうんと頷いた。
「そないな理屈がまかり通る道理はありません。ましてや大学だけが例外として許されるわけもない。そうでっしゃろ、宮城さん」
突如話を振られた宮城長五郎司法大臣は、端正ながらもどこか陰気な顔を傾げて「そうですな」と気のない返事をした。しかし内田は気分を害した様子もなく「司法大臣のお墨付きを得ましたな」と永井大臣に視線を戻した。
「どないしまんのや永井さん。官選案をひっこめますんか?」
「内田さん。ここまで虚仮にされて『はいそうです。お偉い先生方のおっしゃるとおりでございます』と引けるわけなかろう!」
憤懣やるかたない調子で「ここまで騒動が拡大した以上は文部省にも面子がある」と永井が吐き捨てる。「文部省」を「政治家個人としての永井柳太郎の面子」と解釈するのが正しいのだろう。三土を始め他の閣僚も同じような所感を持った。
悪名は無名に勝る。政治家はいくら悪し様に批判されても大丈夫だが、侮られては商売にならない。力のない政治家がいくら吠えたところで予算は引っ張れず、法案のひとつも通せない。たとえ永井でなく他の人物が文部大臣であったとしても同じような結論に至ったであろう。東大の対応はその辺りを完全に見誤っていた。
苛立たしげに机を人差し指でこつこつと叩く永井文相に、内田は相変わらず緊張感に欠ける惚けた声で質問を重ねる。
「しかしでんな。落としどころはどないしますのや?」
「落としどころなどない!ケジメをつけさせるのみ!」
「そうやおまへんで永井さん」
内田はやれやれと言わんばかりに首を振ると、永井の神経を意図的に逆撫でするように不都合な現実を突きつけた。
「仮にでっせ。永井さんの希望通りに今の執行部が総退陣して官選案がOKになったとしましょうや。そうすれば東大経済学部の混乱を収拾する第一義の責任は文部省になるんでっせ」
これに永井の手が止まり、我関せずと傍観を決め込んでいた閣僚達も耳目をそばだてた。
「永井さん。あんた秋山の爺さんがごねるたびに、もしくはどこかの大学の学部で御家騒動が起きるたびに同じように粛清して回るんでっか?」
「体がいくつあっても足りやしまへんで」と茶化すような口調で言葉を重ねる内田に、永井は「そんなことはわかっている」と心底苦々しい口調で言い返した。
文部省と各地の帝国大学の複雑な関係は今に始まったことではない。大正期の森戸事件(1919年)や斎藤内閣における滝川事件(京大事件)(1933年)等々……大学関係者の失言や著作を契機に、学内の反対勢力、あるいは問題視する勢力が民間右翼や外部勢力を巻き込みながら騒動を拡大させた事例はこれまでもあった。
そして騒動が起こる度に文部省は振り回され続けてきた。各大学を統制する機会として利用した側面もあったが、必要以上に騒がれては監督官庁としての責任問題になりかねない。かといって下手に強権を発動すれば「学問の自由に対する干渉」として帝国議会での予算審議や法案に差し支える。このような緊張関係の中で各問題は処理されてきた。
永井の対応は、これまでの大学内での問題における文部省の先例からは明らかに逸脱していた。これまでの対応との整合性を問われるのみならず、一度でも強権を振るってしまえば後から撤回することは難しい。高等教育行政のみならず、日本の文教政策全体の信頼に関わる。
それだけの覚悟があって強権を発動するのかと問う内田に、永井は黙り込んで腕を組んだ。
永井の変化を見て、文相経験者の三土が発言する。
「永井大臣も言ったように、仮にも最高学府の問題です。大学自治に関する新たな文部省の『先例』となりかねない」
「三土内相は大学総長の官選案に反対されると?」
永井の視線に「事の是非はともかく」と三土は直接の賛否を避けながら続けた。
「行政としての裁量範囲が拡大する事を官僚は喜ぶでしょうが、それは諸刃の刃ですな。各大学で何か起こる度に、総長を任命した文部省が議会でつるし上げをくう事にもなりかねない。将来的に南北朝正閏問題や天皇機関説問題のような問題が発生すれば、即座に文部大臣の首が飛びかねない」
明治期と昭和初期に国家と当時の内閣を揺るがした2大政治課題を取り上げる三土。その言動は明らかに文部大臣の翻意を促そうというものであった。
永井も内心は三土の言い分を認めてはいた。しかし同じ閣僚とはいえ他党の総裁から言われて翻意したとあっては、それも政党政治家としての永井の沽券に関わる。永井は半ば意図的に、もう半分は本心から不機嫌そうな表情を続けた。
「それにや永井さん」
長年の友人のような気安い調子で、内田が永井に声を掛けた。
「貴方の地元である石川県の第四高等学校。これに相当する帝国大学を設置をするんやったら、官選案やと何かと都合が悪いんと違いますか?」
こともなげに語られた内容に、永井の顔が強張る。一旦開けようとした口がまた閉じられ、むっつりとへの字を結んだ。
永井柳太郎の選挙区である石川県は、江戸時代の加賀100万石の後継として北陸屈指の文化県としての誇りが高い。外地の台北や京城に先を越されたこともあって、金沢での帝国大学創設を悲願としていた。文部大臣として地元の問題を正面から取り上げることは難しいが、永井も新たな帝国大学を設置すること自体には積極的であった。
「官選案を無理やり通せば我田引鉄ならぬ、我田引学で金沢帝国大学を設置したと批判されまっせ?何せ総理も官房長官も同郷やし」
「私が鳩山ならそうしますな」と指摘する内田の顔を、永井はぎょろりと睨みつける。
挙国一致内閣の美名の下でだらだらと事実上の連立内閣が続いてはいるが、政友会の三土内相の忠告を、民政党の永井がすぐには受け入れられなかったように、机の下では民政党と政友会両党の激しい足の蹴り合いが続いている。特に閣内に入れなかった代議士は、同じ政党であろうとも引き摺り下ろそうと虎視眈々と目を光らせている始末だ。
ふてぶてしい笑みを浮かべる内田と、それを睨み付ける永井。
両者の席の間に挟まれている民間出身の結城豊太郎蔵相は、手元の書類に視線を落としていた。
もっともその胸中は、如何にすれば「席替え」を官房長官に依頼出来るかという思考で満たされていたが。
*
「そんなわけで、ここは滝川教授をズンバラリンと首にした貴方の経験を是非にも聞きたいと」
「三木さん、私も滝川教授を首にしたくて処分したわけではない!」
「処分をしたのは貴様だろうが」
この暑さの中でも仕立てたスーツに身を包んで行儀よく正座をする元文部大臣の鳩山一郎(政友会)とは対照的に、和装姿の三木武吉(元代議士・民政党)は平然と胡坐をかきながら応対していた。
二世政治家の鳩山と、井戸端政治家のたたき上げの野次将軍の三木。氏も育ちも所属する党派も異なるという2人であったが、東京市会議員(当時は代議士と兼職可能)として共同して市長選挙を戦ったことから党派を超えた関係を築いている。
憲政会(民政党の前身)の次期幹部候補であった三木は京成電車疑獄事件(1928年)に連座して政界を引退したが、むしろ在野に下った後に鳩山との関係は一層深まった。今ではこうして互いの自宅を訪問する気のおけない関係となっている。
「しかし、いつ来ても汚い家だね」
「クーラー付の音羽御殿と一緒に比べたら、扇風機もないうちの家は豚小屋だろうさ」
「いや、そこまでは言ってはいないが……」
重いもがけないことを言われたと疑問符を浮かべる鳩山に、三木が「言ったも同然だろうが!」と遠慮も配慮もない強い口調で突っ込む。
「あんたはどうにも無意識に相手を傷つけることがあるから発言には注意しろと、いつも俺が言ってるだろうが。何度言っても反省しねえな」
「口の悪い三木さんにはいわれたくないよ」
「俺のは計算づくだからいいんだよ。あんたのは天然物じゃねえか」
「人を家畜みたいに言わないでもらいたいね」
罵倒混じりの軽口の応酬に、三木夫人のかね子が苦笑しながら「仲のよろしいことで」とお茶を差し出した。「どうも奥さん」と気軽に受け取る鳩山に、三木は頭をかきながら「男と仲良くなっても嬉しくないわ」と言い捨てた。
「あらそうね。貴方は女の方と仲良くするのがお好きですからね」
嫌味ではなく、素直に主人の女性関係の華やかさの事実を言葉にしただけのかね子夫人に、さしもの野次将軍も閉口した。
ニヤニヤしながらこちらを面白そうに見る鳩山の顔面を殴ってやろうかとも考えながら、三木は滝川事件(京大事件)の当事者でもある鳩山に当時の経緯を訊ねた。
「俺はよ、あの時は既に在野だったからよくわかんねぇんだけど。文部省が首を切ったんだろ?」
「首ではなく休職処分だよ」
「外から見ていたらおんなじことさ」
「行政上はそうかもしれないが」
「それに実際に最初に言い出したのは文部省じゃないんだよ」と鳩山は語る。またいつもの泣き言かと三木は予想をつけたが、鳩山の口から語られた内容は「当たらずとも遠からず」とでもいうべきものであった。
「司法省からねじ込まれたんだ。少なくとも僕はそう認識している」
司法省という単語が出た途端、三木は「なんだ平沼さん案件か」と事件の経緯を大筋で理解した。
所謂「滝川事件」を大学自治への介入だとする論者は京大事件と、個別研究や学者個人への弾圧と見る論者は滝川事件と呼ぶことが多い。
そもそも京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授が私立の中央大学の法学部で行った「トルストイの刑法観」と題した講演(1932年)が、無政府主義的ではないかと文部省や司法省で問題化したことが最初のステージである。
文部省だけではなく司法省が私立大学での講演内容に敏感に反応した理由は、講演先が中央大学であったからだ。中央大学は初代の司法大臣である山田顕義が創立し、多くの弁護士や司法関係者を輩出するなど司法省と関係が深い。
この時は当時の京大法学部長が謝罪して落着したのだが、翌年に問題は再燃したという。
「司法官赤化事件だよ。あれでスケープゴートに選ばれたのが滝川先生だったわけでね」
「こっちはひどく迷惑したよ」と鳩山は渋い表情で茶碗を片手で口に運ぶ。
司法官赤化事件は昭和8年(1933年)3月に共産党員とそのシンパとされた裁判官や裁判所職員が一斉摘発された一件である。これを問題視した在野の右翼活動家や両院の議員は司法試験員や各帝国大学からの赤化教授、もしくはシンパと思われる教授の追放を主張した。
そして象徴的な意味合いも込めて選ばれたのが現職の司法試験選考委員として「前科」のあった滝川であった。
「平沼の糞爺は枢密院議長になりたいと必死に活動していた時期だ。面子を潰されたと、そりゃあもう」
「司法省は自分の庭のような認識の老人だからな。気持ちはわからないでもないが、そりゃいささかお門違いじゃないか?」
「そうなんだよ!大体、最初に問題になったときは法学部長の謝罪で司法省も了解したんだ。それを蒸し返して!」
鳩山は憤懣やるかたないといった調子で語る。この赤化教授追放運動に政友会内部での反鳩山勢力が「文部大臣の監督責任を問う」名目で呼応したのだから堪らない。
衆議院でこの問題を取り上げたのは宮澤裕(広島県選出)。彼の岳父は元鉄道大臣で「国粋大臣」との異名を持つ右翼団体とも関係の深い小川平吉である。政友会正統派(高橋総裁の分裂期に離党せず政友会に残留した勢力)である小川は、当然ながら復党組でありながら田中・犬養・鈴木の3総裁のもとで権勢を振るった鳩山に批判的だ。
一方の貴族院で追求の先頭に立ったのは後に岡田内閣で機関説問題の追求にも立った菊池武夫男爵である。背後に平沼騏一郎の国本社系勢力の関与があるのは明白であった。
鳩山からすれば自分を追い落としたい政友会の非主流派が、責任追及を逃れたい司法省や在野の右翼団体と結んで攻撃を仕掛けてきた以外の何者でもない。別件ではあるが鳩山はこの後、樺太開発をめぐる汚職疑惑なるものを身内であるはずの政友会の代議士から指摘されて大臣辞任を余儀なくされている。
「まあその側面はあっただろうさ」
三木は鳩山の疑念に一定の理があることを認めながら異議を呈した。
「しかしあんたの義理の兄貴である鈴木さん(鈴木喜三郎)は、平沼の爺さんの直系だろう?」
「それは僕が自由主義者だからだろうね。奴らからすれば僕の総裁就任を阻止出来れば、その理由はなんでも良かったのさ。その時々で右翼とも手を結べば左翼とも手を結ぶ。そういう連中なのさ!」
激昂する鳩山に配慮して三木は指摘しなかったが、それは鈴木前総裁も鳩山も似たようなものである。
挙国一致の斎藤内閣を非民主的で憲政の常道に反すると批判しておきながら、文部大臣として入閣したのは党内屈指の自由主義者として名高い鳩山その人である。議会で多数派であるときは「第1党が政権を担うべき」と主張しながら、先の総選挙(1936年)で敗北した後、三木はとんとその話を鳩山の口から聞いた記憶がない。
「あんたが立派な人なのはわかるよ、鳩山さん。ファッショが今以上に流行った時も、あんたは一切揺るがなかった。だけどさ、あんたは政治的な理想と、実際にやってる政治的な行動があまりにもかけ離れてるんだよ」
正面から苦言を呈する三木に、鳩山は本気にした様子もなく「目的を達成するためには仕方がないだろ?」と首を小さくかしげる。
「物事には限度がある。俺だって政友会と戦うためには、そりゃーいろいろやった。だけど何事もやりすぎると有権者は話を聞いてくれなくなる。いくら目的が崇高でもね。そりゃ、あんたも5・15事件のあと経験してきたことだろう」
「しかしね三木さん。総裁にならなきゃ、やりたいこともやれないんだよ。貴方のところの政党と違って、うちは基本的に総裁と党執行部の権限が強いんだ」
「そんなことは、あんたら鈴木派が好き勝手やってきたのをみりゃわかるさ」
不貞腐れたように横を向く鳩山に「あんたが今、党内の嫌われ者になってるって事もね」と三木はねじ込む様に続ける。
「コップの中の嵐は結構だが、コップを叩き割っちゃ意味がないだろと言ってるんだよ。今のあんたは政友会じゃ有力者とはいえ少数派だし、中島さんだってゾルゲ事件の前までは近衛さんを担ごうとしてたんだろうが」
半ば罵るように忠告する言葉を連ねながら、三木はなにゆえ自分がここまで赤の他人の鳩山に親身になっているのか、自分でもよくわからなかった。
議会屈指の武闘派である河野一郎、院外団上がりの大野や野田副総裁の娘婿である松野鶴平等々。数は減ったとはいえ鳩山派には良くも悪くも人材が揃っている。金があるとはいえ、お人好しでわがままな性格。お世辞にも個人的には優れた人格者ではない鳩山を大将と慕う連中が、今もなお顕然たる勢力を維持しているその理由。おそらくそれが鳩山にはあって自分にはない「大将の器」というものなのだろうと、三木は考えている。
そして当の鳩山は相変らず横を向いていた。まったく子供のような男だと三木が苦笑すると「何がおかしい!」と顔を真っ赤にして怒り出すので、三木はとうとう笑い出してしまった。
「いやいや、すまんすまん。話が脱線したな」
「……滝川先生の話だったな。そもそも大学自治は文科省も認めていたことだ。滝川先生の著作を発禁処分にして理由作りをして。当時の小西総長に罷免要求をしたんだよ。少しでも顔を立てやろうと思ってね」
「ヤクザが要求したショバ代をまけてやって恩に着ろといっているようなものだな」
「うるさいよ三木さん!俺だってそんなことは十分わかってるんだ!」
「なのに小西総長も法学部教授会も無視するどころか、先例を理由に文章で拒絶しやがった」と、鳩山はどこかで聞いたような話を怒りながら続けた。
「文部大臣の僕としては、強硬手段に出なきゃしょうがない!!」
弁護士である三木は、人間は後ろめたいことがある時は必要以上に自己弁護のために多弁になることを経験として知ってはいた。とはいえここまで典型的なパターンも珍しいと、懐中手にして興味深そうな表情を浮かべる。
当時の鳩山文相は最終手段の文官分限令により滝川の休職処分を強行した。確かに帝大教授は高等文官であるため対象の範囲に相当するのだが、一教授を名指しで指名するのは異例中の異例。内外で猛烈な反発を招いた。
自由主義者としての鳩山の名声は大いに傷つき、政友会の非主流派は多いに溜飲を下げたというわけである。
「まったくどいつもこいつも人の足を引っ張ることばっかり!」
貴様が言えた義理かと三木は内心で呆れながらも訊ねた。
「怒ってもしょうがねえだろ?それで肝心の法学部以外は何をしてたんだ?」
「それがほとんど無反応だ」
「あん?」
三木が怪訝そうな表情を浮かべる。
「法学部の学生やなんかが、散々騒いでたじゃねえか」
「学生は騒いでいたけど、他の学部の先生や講師はな。文部省の強硬姿勢にだんまりを決め込んだのか、もともと興味がなかったのかはわからないが」
「京大らしい個人主義だよ」と口元を皮肉げに歪める鳩山は、自由主義者として説を曲げたことを悔やむよりも、政治家として面子を潰されたことへの怒りが色濃く表れていた。
法学部教授31名を始め全教官は滝川休職に抗議して辞表を提出したが、他学部は無関心を決め込んだ。小西総長の辞任により、孤立化した法学部の辞表提出組は残留組と辞任組に分裂。
すかさず後任の松井総長が鳩山文相と交渉し「文官分限令による滝川休職は特別処置であり、今後は教授の進退は総長の申し出により文部省がこれを判断する」という合意に至ったことで、さらに辞任組は分裂。新聞や文化人らの支援した学生の反対運動も、夏季長期休暇突入により多くが自然消滅するという、なんともあっけない幕切れに終わった。
納得や支持を得られるかどうかは別問題だが、経緯だけを見れば「俺はそれだけ配慮してやったんだ!」と言う鳩山の発言にも理があるのは確かだ。しかし鳩山の不満は止まる気配がない。
「分限令が多用されないように、松井総長と一定の歯止めを作ってやったの。それなのに未だにウジウジと俺を批判する連中が、鳩山は自由主義者の面汚しだのなんだの……理想で飯が食えるか!俺は政治をやっているんだ!」
「まぁ、そうカッカしなさんな。また奥方に怒られるよ。でも今回の東大の一件では、あんたが苦労して作った歯止めも無意味になる恐れがあるんじゃないかね?」
「そんなこと、私が知ったことか!」
怒鳴り返した鳩山の顔を「本当にいいんだね」と三木が覗き込むように視線を向けた。
鳩山は軽率なところもあるが決して馬鹿ではない。三木の言わんとするところを正確に理解していた。あいも変わらず仏頂面のままではあったが、鳩山は結んだ口を渋々といった調子に開いた。
「……私があれだけ苦労して作った先例を無視されてはかなわない。それは認めよう。しかし官選案導入や、分限令の乱用をしてみろ。如何に三木さんの頼みであっても、私とその一派は議会で徹底的に追求して永井の首を取るからな」
「別に私は永井に義理があるわけじゃないんでね」
必要とあらば介錯も辞さないと断言してから三木は言った。
「あんたはそれでいいのかい?政友会も一応は今の林内閣の一員だろ?」
「それこそ私の知ったことではないよ」
「それに今の内閣が潰れれば、少しでも今の閉塞した状況を打破出来るかもしれない」と語る鳩山の野心漲る眼差しに、浪人の身である三木は苦笑するしかなかった。
*
「立命館は商売上手ですな」
ヒトラー・ユーゲントとの会合を終えた林銑十郎総理(陸相・外相兼任)は、閣議前の僅かな時間を見計らって米内光政海相と山本五十六次官との会談に臨んでいた。
長身で愛想のよい米内の横に小柄で無愛想な山本が並ぶと、どこかの寺社の仏像のような趣がある。唐突に東京帝大問題を取り上げ始めた陸軍出身の総理に山本次官が露骨な警戒感を示す中、米内はいつもと変わらず泰然自若としていた。
「京大事件ですかな」
「あの事件に連座して失職した教官の多くが、中川小十郎立命館大学総長のお声掛りで移籍しました。美談のようですが、早い話が安く買い叩いたわけですな。滝川教授も立命館で講演するなど依然としてお元気のようですが、看板としては悪くはない。しかも尻を持つのは西園寺公爵ときている」
「生半可な右翼は手出しできませんよ」という林に、米内は苦笑しながら頷いた。
相手が国立大学だからこそ右翼団体の恐喝は効果的である。もとより国に頼らず財政的に独立している私学は、その独自の校風があるため簡単には屈服しない。立命館の場合は事実上の創設者である元老西園寺を敵に回すだけの政治的なリスクと、それによって得られる活動の成果。また献金という形でのリターンを考えると、明らかに割に合わない。
こうした背景を説明し終えた林に、米内は「ここでも金ですか」と返した。
「金がないのは首がないのと同じでしてね。それは海軍さんも十分経験済みのはずです」
「確かに」
「かといって私学ばかりではどうにもうまくはない。金持ちだけ勉強すればいいでは、国は成り立ちません。義務教育の中から優秀な人材には門戸を開く。たとえ資金面で問題があっても何らかの形で補佐する体制を構築する。要は何事もバランスですな。傾いた船は転覆しやすい。それが左でも右でもです。違いますかな?」
髭をねじりながらいう林に、米内は今度は黙って頷いた。林の意図するところがどうにも掴みかねたからだ。もっともそれは大臣に就任してから今までずっとそうなのだが。
「実は内閣参議の町田(忠治)さんから頼まれましてね」
「ノントウさんからですか」
「えぇ。頭に血が上っている永井を助けてやってほしいと。今のままでは連立に反対する政友会や民政党の跳ねっ返りに足元を掬われかねないというわけです。私としてはこんなことで政権運営に支障をきたすのはつまらないですし、議会第1党の民政党に恩を売っておくのは悪くはないと思っています。その点はどう思われますか?」
飄々とした表情で癖球を剛速球で投げつけてくる林に、表情を一層険しくする山本次官。
海軍を政治に巻き込むなと、軍刀があれば手にして切りかからんばかりの態度の山本を視線でなだめると、米内は「私は海軍大臣ですので政府の決定に従うだけです」と応じた。
「なるほど政府の決定ですか。では政府の決定……というよりも行政府の長たる私の要請があれば、海軍は検討する用意があると考えてもよいのでしょうか」
これだからこのカイゼル髭はと、米内は表面上は笑いを崩さずに「もっともですな」と賛成とも反対ともつかぬ言葉を返した。しかし林はそれに気がつかないのか、そのまま続けた。
「実はですな。東京帝大の長與又郎総長が一身上の都合で辞意を表明してきまして」
「一身上の都合、ですか」
「もうすぐ還暦ですからね。無理もありませんが」
いけしゃあしゃあとよく言うと、米内は林のよく回る口に感心したような視線を向けた。
おそらく後任を海軍の現役将官か退役将校かで当てたいので海軍としての意見を調整してほしいと依頼したいだろうと、米内は見当をつけた。そうでなければこの場に海軍省ナンバー2の山本を同席させる意味がない。
京大事件の鳩山文相の基準を前提とすれば「大学総長が」「文部省当局に」「具申」するなら分限令の対象になりうる。
本来であれば生え抜きが望ましいが、今の状況では総長職を引き受けるだけの蛮勇の持ち主はいないだろう。おそらく本命は元次官の山梨勝之進、穴馬で岡田啓介元首相であろうかと米内は頭の中で人事年鑑を広げて目処をつけ始めた。
「退役海軍技術中将の平賀譲さんを考えているのですが……」
林の口から飛び出したのは、それこそ思いもがけない人物であった。
「あのニクロム線をかね?!」
「正気ですか?!」
それまでの余裕をかなぐり捨てて米内は突発的に叫び声を上げ、山本は思わず目の前の人物の正気を疑った。そのあまりの言われように林のほうが苦笑を浮かべたほどである。
東京帝国大学工科大学造船学科を首席で卒業した平賀は一貫して海軍の造船部門に勤務。海外経験も造船経験も豊富な海軍屈指の造船のプロフェショナルであるが、同時に職人気質の短気な質であり、瞬間湯沸かし器と同じ意味である「ニクロム線」や、名前をもじった「平賀不譲」のあだ名で知られている。
昭和6年(1931年)に一度予備役編入になるも、ロンドン海軍軍縮条約廃棄後の建艦競争や、友鶴事件(1935年)、第4艦隊事件(1936年)など設計思想や強度に原因があるとされた海難事故が多発したことで呼び戻され、海軍艦政本部『嘱託』という、なんとも奇妙な立場で制度改正や再発防止策に取り組んだ。
会社にたとえれば定年した役員に社内改革の全権を振るわせるようなものであり、人柄や性格を差し引いても、海軍が平賀の能力を必要としていた裏返しでもある。
米内や山本からすれば一連の対策も終え、ようやく本当の意味でお引取り願おうという人物の名前を林が言い出したことがそもそも驚きであり、その後から「あれに最高学府の総長が務まるのか」という疑問が続いた。
林は「よく考えてみてください」と髭をねじりながら続けた。
「平賀さんは現役の技術将校でありながら古巣の東京帝国大学の工学部教授を兼任されています。工学博士の学位もある。軍人でありながら技術者としても一流で海外でも知名度が高い。プライドの高い学者先生を黙らせるにはもってこいの人材ではありませんか?」
「いや、ですが平賀君は……」
「米内大臣が引き止めたいお気持ちはわかりますとも」
米内の発言に意図的に被せるように林は続けた。
「平賀さんは優秀だとお聞きしています。何せわざわざ予備役編入の後に嘱託として呼び戻されたほどだとか。これからも現役で活躍可能な人物とは理解していますが、そこをあえてお願いしたいのです」
現役というところを強調して話す林に、山本が米内の肘を引いた。
平賀は確かに優秀だが性格に難がある。渾名の通りに空気を読むことをせず、自らの信じたことを主張するがゆえに妥協をしない。これから兵機一系化を推進しようという時に、海軍としては反対論は出来る限り封じ込めをしたい。それこそ一時的な制度不全や人事の停滞を引き起こしてでもだ。それを平賀は空気を読まないがゆえに正論で批判しかねない。
平賀ほどの知名度のある人物が批判すれば、議会や新聞は喜んでこれを取り上げるだろう。予備役は現役に介入しないという不文律はあるものの、平賀の場合は海軍から頭を下げて嘱託に迎え入れたのだ。再び黙っていろというのは、いかにも外聞も悪い。
「……考えられましたな」
林の顔を見据えながら、米内はポツリと呟いた。
米内も山本に視線で指摘されるまで気がつかなかったが、まさか東京帝大総長が体のいい「棚上げ人事」だとは誰も思うまい。そして先ほどから腕を組んで黙り込む大砲屋であり航空本部長経験者の山本は次期連合艦隊司令長官(GF)の有力候補。五月蝿いOBが介入しない現場で自由にやりたい気持ちは彼にもあった。何より東京帝国大学の総長であれば経済学部を混乱を理由に人事権を行使したとしても、文部省からの大学自治への介入ではなく総長としての判断で押し切れる。鳩山基準もクリア可能だ。
民政党に恩を売り、海軍に恩を売り、自分の政権の不安要素を取り除く。三方一両損ではなく三方一両得とは、いささか強欲な気もしないでもないが。
短いながらも飾らない米内のほめ言葉に、林はその頭をなでながら「いやぁ」と照れたように首をすくめた。
「いやいや。知っての通り、私は欲張りでしてね。皆に嫌われたくないという八方美人なだけです」
「結果が伴うのならよいではありませんか」
「それはそうなんですがね。いや、実は私も総理になるまではわからなかったのですがね」
この石川県人は「合戦の勝ち負けなら誰の目にもわかりやすいですが、政治の勝ち負けというのはハッキリとしていないのですよ」と指摘した。
「負けを認めなければ、それが勝利というへそ曲がりな連中もいるし、明らかに勝っているのに勝利している実感がない連中もいる。そうした多種多様な人物を取りまとめて国益を追求しなければならない……」
林はそこで疲れたように息をひとつ吐くと、自嘲するように笑いながら、いけしゃあしゃあとこう言ってのけた。
「それこそ私のように強欲でなければ務まりませんな」
・貴方と私で「ゆー&あーい」…おそらく数年前に流行ったであろう親父ギャグ
・インテリの喧嘩ほど手におえないものはない。
・単なる思想弾圧とするとよくわかんなくなる滝川事件。
・ちなみに矢内原事件と労農派摘発事件が行われていない世界線です。
・大体どこにでもいっちょかみな鳩山一郎。小説吉田学校でもほめてるのか貶してるのかよくわからん書き方。自由主義者なんだけど政治遍歴は節操なさすぎ。でもそれは尾崎行雄も犬養木堂も同じだし。孤高の人になってしまった尾崎よりは鳩山のほうがまだ幅広かったのかもしれない。床の間にしか座れない典型か。
・この鳩山とワンマン吉田を使いこなした田中義一はやっぱり人物だと思う。
・ツーといえばカーの米内と山本。これがニュータイ(ry
・平賀義父さん!妙高4姉妹の一番上のお姉さんを僕にくださ(記録はここで途絶えている
・史実の時期的にはこの年12月に就任予定の平賀総長。少しだけ早くなりました。
・貴様もゆー&あいしてやろうか!
・ゆー&あいショック!愛で空がおちてく(ry