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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
20/59

NYT / ドイツ外務省大臣執務室 / 小野寺中佐の談話(都新聞)・松岡洋右氏談話(國民新聞)/ ヒトラー総統応援演説 / 東京府東京府東京市元赤坂 某料亭(1938年5月-6月)

『人間はある意見を思いこむと、その正当性を主張するのに都合がいいように、事実を寄せ集めるものだ』


フランシス・ベーコン(1561-1626)


- ハリファックス外務大臣、英満共同宣言を議会で説明へ -


 大英帝国外務大臣のハリファックス卿は、先日発表された英満共同宣言(上海コミュニケ)について議会両院で説明すると述べた。同宣言は駐華イギリス大使のナッチボルー・ヒューゲッセン氏と、満洲国務総理の張景恵氏が5月20日に上海のイギリス大使館における会談の中で合意したものである。


 「国交樹立に向けた5原則」によれば①支那領土の分割の否定、②満洲国における将来的な門戸開放政策の実施、③五族協和の精神をイギリスが尊重、④支那の武力による統一に反対、⑤英満の関係正常化は極東亜細亜と世界の緊張緩和に貢献する-というものである。


 先に国交正常化交渉に着手することを表明したアメリカ合衆国政府も、この5原則を歓迎するとの国務長官声明をすでに発表しており、事前に米英間で調整が行われた可能性を指摘する声もある。


 ホワイトハウスのスティーヴン・アーリー報道官は、記者団から満洲国建国は9カ国条約違反であるという、これまでの方針の転換ではないかとの問いに「現在調整中である」と直接のコメントを避けた。


- 『The New York Times』(5月23日) -



 神聖ローマ帝国なる幻影が何ゆえ何世紀にもわたり生き延びてきたかといえば、その領域に関係がある。


 いわゆるドイツは西にはライン川、南にドナウ川とアルプス山脈、北はバルト海と北海。東のロシア・ポーランド方面を除けば天然の要害ともいえる。三十年戦争も内戦にうつつを抜かせるだけの余裕があったからだと、いえなくもない。


 コルシカの貧乏貴族出身のフランス皇帝は、解体した神聖ローマ帝国内の諸侯領を再編。いくつかの中小王国をフランスの衛星国として再編することで、ライン川以東からの脅威を永遠に取り除こうとした。しかしナポレオン体制の崩壊により、その構想は泡と消えた。衛星国としての旧ライン同盟諸国は、ウィーン体制下における復古運動やドイツ統一戦争などを経て、再び整理縮小が行われた。


 その中でもしぶとく生き残り続けたのが、南ドイツのヴュルテンベルグ王国である。ヴュルテンベルグ王国はビスマルクの統一戦争においても、フランスやオーストリー帝国と隣接するという難しい状況にありながら巧みに両者を天秤にかけて、最終的にはプロイセンという勝ち馬に乗る。これにより帝政ドイツにおいても一定の発言力を確保し、その存在感と政治的なセンスを見せつけた。


 だがドイツ革命(1918年)により最後の国王が退位したことで、王国はその歴史に幕を閉じた。


 現在のドイツ国外務大臣であるリッベントロップ伯爵の下で外務省次官を務めるエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー男爵は、このヴュルテンベルグ王国宰相を父にもつ、由緒正しい貴族である。


 反ナチスを鮮明にして旧王都のシュトゥットガルトを事実上追放された旧王家とは対照的に、亡き王国の政治的なDNAを継承した彼は、勝ち馬を見極める能力に優れていた。それは単に趨勢が決まってから追従するという意味ではなく、趨勢が誰の目にも明らかになる前から自分の能力と他者の実力を冷徹に見極め、感情や思想を排した上で、自分を最も高く売りつけられる時期を見定めるという意味である。


 そのため、親衛隊への入隊を薦められればヴァイツゼッガーは断らなかったし、自分の思想がどうであれ、外務官僚として現在の政権与党の政策や思想に関して公言するような不用意な真似とは無縁であった。だからこそ外務省の刷新を掲げるリッベントロップ外相のもとで次官に取り立てられたのだ。


 故にヴァイツゼッカー次官は、ワシントンDCとロンドンから飛び込んできた満洲に関する報道を聞くや否や、午前中の公務をすべてキャンセルして大臣執務室へと駆け込んだ。そして彼の上司が事前に予想した通りの態度で自分を出迎えたことに、寧ろ安堵した。


「エルンスト君、これはどういうことかね!」


 ウルリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務大臣は、いつものように机の腕で手を組みながら、尊大な態度でヴァイツゼッガーを怒鳴りつけた。


 外交官経験があるとはいえ生え抜きの官僚ではない『総統閣下の外交顧問』は、省内で疎まれていたが、リッベントロップはそれに対抗するかのように殊更傲慢に振舞った。


 だがその表情はいつもの自信にあふれたものではなく、顔面は今にも卒倒しそうなほど蒼白なものだ。床には破り捨てられた英字新聞が散乱しており、ヴァイツゼッガーと同じ記事を見たことが確認出来た。


「イギリスが満洲を承認し、アメリカが国交樹立のための交渉を開始?これはいったい何の冗談なのだ?!」

「Aprilscherzアプリルシェルツにしては遅すぎますし、笑えませんな。ヒーナの旧暦によれば今が4月なのかもしれませんが」

「エルンスト君!これは重大な問題だよ!責任問題なのだよ!君にはその認識が足りないのではないのかね?!」


 リッベントロップ伯爵は自分の机を掌で強く2回叩いた。ヴァイツゼッガーは内心の感情を表すことなく「失礼致しました」と謝罪の言葉を口にする。それに納得したわけではないのだろうが、リッベントロップはそれ以上の追求をするだけの余裕がないのか、苛立たしげに人差し指で机を叩いて続けた。


「日本は国際的に孤立しているはずではなかったのかね!だからこそ我がドイツが手を差し伸べたのだよ?!先の臨時国会では、わざわざ総統閣下の演説で満洲との修好条約の締結を宣言していただいたのだ。にも拘らず、この失態だ!君はどう考えているのかね!」


 あえて総統官邸官房に満洲の一件をねじ込んだのが、外交的な成果をあせる外務大臣自身であったことはベルリンの住民なら誰でも知っている。仮に責任を問われるとするならば、それは外務大臣本人以外にありえないのだが、ヴァイツゼッガーはそれには触れなかった。


「大臣。今回の一件は外務省の失態ではなく、まして大臣閣下個人の政治的な失点にはつながらないと考えます」

「何故そんなことが言えるのだね?!」

「まずイギリスですが、これは英日同盟の復活の象徴的なものと考えるべきです。1936年以来、大陸問題を念頭にロンドンと東京の間では断続的に交渉が続けられていました。チェンバレン首相が対日関係改善論者であることは、ほかならぬ大臣ご自身がよくご存知でしょう」


 「確かにそうだが」とリッベントロップは言葉を濁す。その虚栄心の仮面の下では、総統からの信任を失うことを恐れる保身と、功名を上げて更なる権力の階段を駆け上りたいという野心が鬩ぎあっているのだろう。その間隙を見逃さず、ヴァイツゼッガーは畳み掛けるように、上司の望む、そして外務省にとって都合のいい「御説明」を続けた。


「そもそも英日がこれほどまでに接近したのは、前外相のノイラート男爵が、南京国民政府との伝統的な外交関係に拘泥したためです。日本からの度重なる要請にも拘らず国防省を説得しようとせず、軍事協力関係の継続を止められませんでした。前任の広田外相であれば、南京政府との関係の清算を餌にソビエトを対象にした防共協定締結も可能でしたでしょうが」

「……そうだ、それは、その通りであるな。コンスタンティン(ノイラート前外相)が、総統閣下の偉大なる世界政策を理解せずに、旧態依然とした外交にこだわったからこそ、日本もイギリスに接触したのだろう」

「早くから日本との関係改善を主張しておられた大臣は、まさに慧眼でありました」


 露骨な追従とわかっていながらも、悪い気はしないのか。リッベントロップは満足げに頷く。同じ旧ヴュルテンベルク王国に由縁を持つ前大臣を、それも本人がいないところで誹謗するのはいささかヴァイツゼッガーの主義に反するが、ドイツ外務省の独自性を総統官邸から守るためにはやむをえない事であるとして自分を説得した。


 それとは別に対ソビエト戦略を考えた場合、日本の地政学的重要性にいち早く着目したリッベントロップの慧眼については、追従を抜きにしてヴァイツゼッガーも評価していた。外交素人とされながらも素人ゆえに現状を正しく理解できたのが、この伯爵大臣の強みである。


 国民政府とドイツの伝統的な友好関係は、欧州大戦における日本の対ドイツ参戦への反感が背景にある。しかし満洲の建国(1932年)により極東亜細亜における日本の地政学的な重要性を無視してまで続けるだけの意味は、リッベントロップにもヴァイツゼッガーにも理解出来なかった。


「つまり満洲国承認というカードを切るのは、遅きに失したというわけだな」

「残念ながら、時期が遅すぎたとするしかありません」


 暗に満洲国承認というカードを切ったことは現在の外務大臣の政治的失点ではなく、タイミングを失した前任者に責任があるのだとするヴァイツゼッガーの進言に、リッベントロップは今度は深く頷いた。


 日本の親ドイツ派である大島駐在武官であれば、早期の交渉妥結は可能だったかもしれない。ドイツが政策転換で後手に回っているうちに、東京の政府は反ドイツ的傾向の強い東郷大使に交渉の窓口を一本化してしまった。ドイツの満洲承認は、むしろ東京からロンドンに対する早期承認への圧力カードとなったのだろう。


「しかしだエルンスト君。イギリスはわからないでもないが、問題はアメリカだ。何ゆえ植民地政策に反対するコロニストの子孫が、日本のそれを認めたのかが、私にはわからないのだ。それに英日接近には、アメリカは潜在的に反対していたはずだ。可能性だけなら米英日の海洋同盟はありえるだろうが、3カ国とも理想とする国家体制も国益もまるで異なっているときている。果たしてこのようなことが本当にありえるのだろうか」

「現在、アメリカ駐在の外交官や駐在武官、親ドイツ派のアメリカ人とも接触しておりますが、理由はわかっておりません。ホワイトハウス主導の決定なのは間違いないようです」

「……そうだな。わからぬことを前提に、いつまでも考えていても仕方がない」


 ようやく落ち着きを取り戻したリッベントロップは、左手の拳を口に当てながら、引き出しを開けて書類を取り出した。


 表題には『緑作戦』とある。


 噂に聞くそれが完成していたことへの驚きよりも、これほどまでにリッベントロップが極東情勢で取り乱していた理由が、この一件に波及することを恐れていたからかと、ヴァイツゼッガーはようやく得心がいった。


「エルンスト君。では今回の一件は緑作戦への影響はないと考えてもよいだろうか」

「戦争でなくとも相手に要求を飲ませる手段はあります……例え海洋同盟が現実のものとなったとしても、チェコスロバキアは内陸国。何の影響もありません。問題はフランスであり、ソビエトであります」


 「戦争でなくとも」というヴァイツゼッガーの言葉にリッベントロップは機嫌を損ねたのか、形の良い眉をひそめる。確かにこの上司には物事を率直に理解するだけの洞察力があることは認めるが、総統官邸の意向を気にするあまり、その長所が発揮出来ていないのもヴァイツゼッガーは部下として見て来た。


 国防軍最高司令部が緑作戦-チェコスロバキア侵攻計画の策定に要した時間は、明らかに遅延とサボタージュが疑われた。とはいえ実際には軍内部においても大きく見解が分かれていたからである。


 陸軍総司令官は前任者を更迭してヒトラーが就任させただけあって、その意向には忠実ではあったが「チェコスロバキアには勝てても、欧州戦争には勝てない」と考えており、多くの軍高官がこの意見に同調していた。


 作戦計画書そのものは草案の段階で、国防軍の『同志』から見せられていたが、ヴァイツゼッガーの目には、その悲観的な内容は「どう勝つか」というよりも「どうすれば総統を説得できるか」に力点が置かれているとしか思えなかった。


 折悪しく作戦計画書の完成と同日の5月20日、チェコスロバキア軍は予備役の動員を開始。プラハの政府はウィーンとは異なり「戦う用意がある」ことを国内外にアピールした。総統官邸はこの問題に掛かりっきりであり、上司であるリッベントロップの心労は察して余りある。


「何れにしても決断されるのは総統閣下であります。外務省としては総統官邸に必要な情報を素早く提供し、その決断を補佐するのみかと」

「……そんなことは、言われずともわかっている!」


 リッベントロップは再度机を掌で叩いたが、再び視線を目元の作戦計画書へと落として呟いた。


「……ここで失敗するわけにはいかんのだよ、エルンスト君。あの金髪の野獣や親衛隊に、これ以上大きな顔をさせるわけにはいかないのだ。我々は何としても総統閣下の期待と信頼に応えなければ、そうでなければ、新しいドイツにおいて我々の居場所がなくなってしまうぞ!」

「わかっております」


 ヴァイツゼッカーは内心の感情を押し殺して、『ナチス式』の敬礼をして見せた。



- 独の策謀に警戒を。ズデーテン問題は解決していない(帰京の小野寺中佐談) -


 22日午後3時32分東京駅着の特急富士で3年振りに帰京したエストニア・ラトビア・リトアニアの駐在武官の小野寺信大佐は、車中における記者との懇談において、最近の欧洲情勢について次のように語った。


『ズデーテン問題は単にチェコスロバキア国内の問題にとどまらない。2度目の欧州戦争が起るか起らないかという問題なのだ。私の結論を率直に言えば、現段階では戦争は起らないと思う。何故かというと、プラハはウィーンとは違い、戦う用意がある。先の動員は牽制ではなく真実のものだと考えるべきだろう』


『彼らの自信の背景には、フランスとソビエトという友人の存在がある。後者は信用出来るわけがないが、前者はナポレオン以来の大陸軍が健在だ。ここでフランスが妥協すれば小協商(チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ポーランドとフランスが結んだドイツを対象にした軍事協商)そのものが崩壊しかねない。それをプラハは理解している』


- 独伊枢軸と英仏枢軸との対立になるのでしょうか -


『チェンバレン内閣はイタリアに接近している。離合集散はいつものことだが、さすがに無節操な気はしないでもない。ローマとベルリンの関係は枢軸なる言葉遊びで表現出来るようなものではない。ムッソリーニ氏は決断力と実行力を兼ね備えた指導者ではあるが、戦略がない機会主義者だ。ヒトラー氏は戦略と実行力があっても決断までには時間が掛かる。理想主義者なのかリアリストなのか、今の段階では判断しかねる』


- 仮にドイツがチェコスロバキアに攻め込んだ場合、欧州大戦になるのでしょうか -


『仮定の話にはお答えできない。ただフランスもイギリスも国内で反戦世論が非常に根強い。働き盛りの青年層がごっそり失われた先の大戦の記憶が残っているからだ。反戦平和主義者は、ドイツの軍国主義より自国の政権の外交政策を批判する傾向がある。しかしベルリンがこれをもって英仏を軟弱だと理解するのは早計であると思う』


- 日本はどのように対応するべきなのでしょうか -


『それは政府に聞いてほしい。私は軍人として命令を実行するのみである。独伊対英仏という概念で解釈したい記者諸君の考えはわかるが、そんなに単純なものではないことだけは理解して欲しいのだ』


- 英国の満洲国の承認は、日本の東亜における地位を認めたということでしょうか -


『亜細亜の盟主とか欧州の盟主とか、そのようなことは軍人が考える話ではないし、コメントも出来ない。ただイギリスの満州国の承認は東亜の安定につながり、望ましいことであると考えている』


『スペインにおける内戦は終結の兆しが見えた。フランスは人民戦線が崩壊した結果、現実主義的な外交安保政策に回帰しつつある。これはベルリンに軍事行動をためらわせる政治的な圧力となるだろう。しかし問題はヒトラー氏は宣言したことは、どれほど時間が掛かっても必ず実行してきた。それだけは忘れてはならない』


- 都新聞(5月23日) -



- 欧州大戦の危機去る!ドイツ、ズデーテン問題の平和的な解決を希望 -


 (中略)外務省高官は匿名を条件に次のように明かした。すなわちドイツのヴァイツゼッカー外務次官はチェコスロバキアの公使に『武力侵攻の考えはない』ことを伝えたという。第2次欧州大戦の危機は去ったとする見解と、依然としてドイツはズデーテンの武力侵攻を諦めてはいないという見解が交錯している。


・外交評論家の松岡洋右氏(前満鉄総裁)の談話


『結論から言うと、チェコスロバキアの勝利だ。ヒトラー総統はきわめて合理主義的な人物である。勝てる戦はするし、勝てない戦はしない。この点では一貫している。チェコスロバキア政府がこれほどまでに強気なのは、フランスの全面的な支援を獲得したからであろう。ホッジャ首相の連立政権は、その経済的な失政をドイツおよびドイツ系住民の独立運動に転嫁することにより、国内の反政府派の攻撃の矢を避けようとしている』


『政府とドイツ人民党の交渉がどうなるかについては全く見透しがつかないが、私個人の考えでは、フランスおよびソビエトの圧力により年内にも円満妥協すると見ている。少なくとも9月のドイツの与党党大会までには決着するだろう……ヒトラー総統が未だに武力解決を諦めてはいないという報道は、誤った見方である。これは現に自分が親しくしている欧州外交関係筋の人物と接触して確信したところである。つまり第2次欧州戦争はないし、ズデーテン地方の自治権をプラハの政府が約束することで一件落着というわけだ』


- 國民新聞(5月24日) -



- 我が国との国境地帯に居住するドイツ系住民が、自力では政治的自由と精神的自由を確保できない場合、その人々を保護することが、ドイツ帝国の関心事である。これに関しては1ツォルの土地であろうとも、1人のドイツ人系住民であろうとも、例外はこれを認めない…我らの団結を妨げるものは、存在し得ないのだ! -


- 1938年4月のドイツ国会ライヒスターク議員選挙におけるアドルフ・ヒトラー総統の応援演説 -



 料亭が何ゆえ政治家の会合の場所として好まれているかといえば、その機密性の高さと動線の多さにある。信頼性のある料亭であれば身元調査も容易いし、仮にマスコミに玄関を張られていても庭の垣根から隣の料亭へと移ったり、裏口から入るなりしていくらでも偽装が出来る。


 しかし、この日の来客はあまりにも料亭の雰囲気に不釣合いであった。


 フランシス・ピゴット英国陸軍少将(駐在武官)、サー・ジョージ・サンソム商務参事官、そして駐日全権大使のロバート・レスリー・クレイギー大使は、人目を忍ぶように3人とも料亭の裏口から入った。


 寺内寿一参謀総長行きつけのこの料亭は様々な客層に対応してきたが、流石にすべてが外国人というのは珍しかったのか、女将や玄関番も戸惑い気味に応じた。日本慣れしたピゴット少将が和装で愛想を振りまくのとは対照的に、仕立てのよいスーツに身を包んだサンソム参事官とクレイギー大使は険しい表情を崩さなかった。


 3人が通された杉の間には、畳の上に西欧式の椅子とテーブルが設置されていた。これには3者ともに拷問としか思えない正座を避けられたことを喜んだ。


 いわゆる上座には3人を招待した人物が、彼らを待たずに既にワインボトルを空けていた。


『まずは乾杯といきましょうかな』


 赤ら顔ながらも流ちょうな英語で話す林銑十郎総理(外相と陸相を兼任)に、左にサンソム参事官を、右にピゴット少将を従えるようにして正面に座ったクレイギー大使は「何にでしょうか」と尋ねた。


『酒を飲むのに理由をつけたがるのが文明人の悪い癖だと思うのだ。理由など何でもよいのだ。孫が出来た、庭の花が咲いた、便秘が治った、日英関係の未来にでもかまわないぞ』

「……その流れで英日関係を並べないで頂きたいのですが」

『満洲という厄介な宿題が片付いたのだ。たいした違いなどない』


 クレイギー大使がやんわりと苦言を呈したが、林はまったく気にした様子も見せずに「では乾杯」とさっさと音頭の声を発した。サンソム参事官はあわててグラスを掲げ、3人の中ではおそらく最も日本と関係の深いピゴット少将は、苦笑しながらこれに応じた。


 ピゴット少将は彼の父親が伊藤博文元首相の法律顧問であったことから5歳で来日。帰国後に陸軍士官となった、根っからの親日派である。今の陛下が皇太子時代の訪英では随行員を務めた経験があり、1936年からは4回目となる駐在武官を務めている。イギリスのチェンバレン首相が蔵相時代から手がけていた対日関係改善の切り札的存在であった。


 一方、駐日大使館において経済政策を担当するサンソム商務参事官は、初代の駐日英国大使クロード・マクドナルドの私設秘書を皮切りに30年近く日本に外交官として滞在し、日本文化の専門家としても知られる存在である。


 ピゴット少将は同じ軍人ということもあり日本の軍部に楽観的な見解を示していたが、サンソムはどちらかというと冷静かつ客観的であり、日本軍の穏健派と強硬派は手法こそ異なるとはいえ目指すところは亜細亜モンロー的な政策であり、たいした違いがないというのが持論である。


 前任のサー・クライヴ大使はピゴットの楽観的な見解を信用しておらず、慎重なサンソム商務参事官を支持していた。しかし首相に就任したチェンバレンの更なる対日関係改善を目指す意向により交代させられ、欧州大戦よりピゴット少将と知己である現在のクレイギーが新大使に就任した。


 サンソムとしては2人ほど楽観できないという自らの見解には変わりはなかったが、それでも「日本における満足な回答は支那とイギリス、そしてアメリカは受け入れられない」というサンソムの指摘した矛盾を解決して見せた林の手腕は、一定程度の評価をしていた。


 そもそもピゴット少将もクレイギー大使もその根底には大英帝国の国益があり、そのためには対日関係が重要であるという認識を共有している。故に満洲事変(1931年)以来、こじれた両国関係の関係改善が、イギリスの満洲国承認によりひと段落したこともあり、林の招待に素直に応じていた。


 とはいえ欧州情勢の緊迫により、和やかな雰囲気は冒頭の乾杯だけに終わった。


『日本政府としてはヒトラーがチェコスロバキアに対する要求を諦めたとは考えてはいない。むしろこれを見て、より強硬になる可能性もあると考えている』


 林は海外の新聞を取り出した。「チェコスロバキアの勝利!」「ヒトラーの野望を挫いた小国の勇気!」といった見出しが勢いよく並び、プラハの現政権を評価している。これにサンソムが応じた。


「しかし林閣下。政府機関の公式な見解や発言ならともかく、これらは民間の報道機関であります。違法行為を煽ったわけでもないのに取り締まることなど出来ません」

『それは理解している。しかしだ。問題はヒトラーがこれを見て、どう感じるかだ。それを報道機関の責任とは言わない。しかし政府当局者としては、最悪の事態を考えて行動する必要が在ると私は考えている』


 ワイングラスを傾けながら林は自らの見解を語り、クレイギー大使は手帳を取り出してそれを記録する。クレイギーは大使就任直後からピゴット少将のルートにより断続的に林と接触し、日本政府の見解や方針を本人から直接聞いていた。


 『勉強会』と称するこの種の会合は本国への報告書にも反映され、第2次上海事変では事前に林が予想した通りに解決したこともあり、ロンドンにおけるクレイギーの評価と共に対日関係改善論者を後押しすることにも繋がっている。


 ピゴット少将は軍人同士ということもあり日本陸軍に友人が多いのは言うまでもない。サンソムとしても対日関係が改善すれば、次は商務参事官の自分の出番であるという思いがあるので賛成はしないまでも、反対はしなかった。


「反ってチェコスロバキア問題解決に意固地になると?」

『その通りだ少将。オーストリーがそうだったではないか。最初は自治政府構想だったのが、国民投票の発表により完全併合にまで突き進んでしまった。勢いに乗じたドイツは強い』

「軍という意味でしょうか。政府という意味でしょうか。それとも民族として?」

『サンソム参事官。それは言葉のあやというものだし、それこそ人類学者か民俗学者の領域だろうな。本質はともかく、実際に今のベルリンの政権内では、ヒトラー総統の個人的なキャラクターが政策の意思決定に大きく影響を与えていると見るべきだろう』

「しかしズデーテンの自治権を認める方向でプラハは調整しているようですが」


 クレイギー大使の疑問に、林は首を振った。


『ありえぬよ。ヒトラー総統はオーストリー方式にズデーテンの併合を志向していると予想した対処方針を策定するべきだ。それが党大会の前か、それとも来年になるのかはわからぬが』

「しかしそれを周辺国が、特にフランスが認めますか?」

『ポーランドやハンガリーも、チェコスロバキアとは個別に領土問題を抱えている。仮にドイツがズデーデンを要求した場合、この2国が追随しない理由があるとは思えない。特にポーランドはフランスとの関係があるので、ダラディエ首相としても反対しづらいだろう』


 これにはクレイギーも苦しい表情を浮かべた。


 解体された二重帝国を新たに線引きをしたのは連合国であるが、特にチェコスロバキアは抑圧されていた反動からか領土要求が噴出。度々強硬論を主張して会議を紛糾させた。二重帝国においても独自の議会を持っていたハンガリーから北部ハンガリーを分捕り、同じ被支配階級であったはずのポーランドとも領土問題を抱えている。


 仮にこうした領土問題の解決を両国が要求し、ドイツと手を結んだ場合はどうなるか。


 問題はオーストリー併合により、すでに現状変更を認めてしまった点にある。いくらヴェルサイユ体制の堅持をと主張しても、国際連盟は相変わらず無力であっては説得力などないに等しい。肝心のフランス政府も対ドイツ戦略を考えた場合、チェコスロバキアとポーランドのどちらを選択するのかと問われた場合、前者を選択する可能性は決して低くないだろう-林はあらかじめ用意されていた文章を読むかのように、すらすらと答えた。


「ではドイツがポーランドやハンガリー政府を巻き込んだ場合、チェコスロバキアの事実上の解体を認めるほかないというのが、日本政府の考えなのでしょうか」

『善悪の問題ではないのだよ少将。逆にお尋ねするが、英仏の世論、特にフランスはチェコスロバキアのためにもう一度欧州大戦をやろうと訴えても、国民の支持が得られると思われるのか』


 日本に対しては楽観的なピゴット少将も、未だに軍需関連企業をバカンス法案の対象外とするか否かの法案修正でもめているフランスには、さすがに楽観的になれないらしい。


 林はサンソム、ピゴット、クレイギーの反応を窺うようにそれぞれの顔を見てから、さらに続けた。


『私の個人的見解はともかく、少なくとも軍人は常に最悪の事態を想定して考えておく必要があるだろう。最悪の事態とはすなわちチェコスロバキアの解体であり、旧二重帝国から独立した諸国、ユーゴスラビアなどバルカン諸国も含めてベルリン=ローマ枢軸へと雪崩を打つことだ』


『そうなれば次はポーランドだ。東プロイセンと国土を分断するポーランド回廊をいつまでもヒトラー総統が認めるとは思わない』と指摘する林の見解を否定する材料はイギリス側は持ち合わせてはいなかった。


 重苦しい空気が立ち込めるが、林は相変わらずワインで酔ったのか饒舌に続けた。


『ハムラビ法典であったか旧約聖書か忘れたが、こういう言葉があったな「Tooth is a tooth for a eye for an eyeと』

「被害者と同等の害を加害者に与える同害報復タリオですね」

『流石はサンソム君。よく知っているな…つまりそういうことだと思うのだよ』

「……よく意味がわかりませんが」


 クレイギー大使が首を傾げるが、林はワイングラスを傾けながら続けた。


『目には目を、歯には歯を、条約破りには条約破りを。相手がルールに不満だというのなら、こちらが馬鹿正直に守ってやる必要などない。こちらも必要に応じてルールを書き換えてやればいいのだよ。幸い我が国政府はアヴェノル事務総長ともパイプがある』


 満洲における現状変更を英米に認めさせた日本の総理はそう嘯くと、ワインで濡れた髭をハンカチで拭いながら言った。


『裏書させるにはもってこいの人物だとは思わんかね?』


・豆腐総理こと張景恵。こういう人好きなんですよ。

・ホワイトハウスの報道官って歴史が長いんですね。

・ウィーン会議(1814-15)において「全ての人に代わって食う」と揶揄されたヴュルテンベルグ王国初代のフリードリヒ1世。デブで嫌われ者だけどやり手の王様。

・使いやすい上司のリッベントロップ。しかしまあ、ヴァイツゼッカーの保険のかけ方はえげつないというか如才ないというか。二人とも第一次大戦の最前線で活躍したことあるあたりはヒトラー総統と共通している。

・3月から着手して5月に完成。遅いのか早いのか

・小野寺信。終戦間際の工作で有名な人。しかしスウェーデンもなかなか一筋縄では行かない国。そりゃナポレオンの将軍の中で唯一生き残った家だからあたりまえかw

・松岡が石原将軍のポジションに…

・ジョセフ・グルーといいクレイギーといい、任地ぼれするようなレベルの外交官ではない。こういう知日派がいてくれたことは本当にありがたい。

・ピゴットとサンソムを同じ時期に日本においておくのがイギリス流。


・おかしい。林が主人公っぽいぞ。これはコミンテルンの陰謀に(2回目)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 英米駐在経験のない林銑十郎がなぜ流ちょうな英語を話せるのかと英国側は疑わないのかな?(棒 [気になる点] 「旧ヴュルテンベルク王国に所以を持つ」→「旧ヴュルテンベルク王国に由縁を持つ」 「…
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