立憲民政党本部 大講堂(故富田幸次郎先生お別れの会)における町田忠治総裁の弔辞/ 神奈川県横須賀市 小泉又次郎邸 / 立憲民政党本部 総裁室 (1938年4月)
『敵がいる?それは良いことだ。人生の中で何かのために、立ち上がったことがあるという証だからな』
ウィンストン・チャーチル(1874-1965)
富田幸次郎君は故・浜口雄幸総理と同じく、まさに土佐の男でありました。
彼が同士と共に高知新聞を創業したのは、土陽新聞における勢力争いに負けたからではありません。高知県における言論府が1紙に集中することは、将来の高知県政に-ひいては日本の政治に中長期的に及ぼす影響を考えられたからであります。
いかなる高潔な人物が運営する組織であっても、第三者の監視の目がなくば腐敗や堕落と無縁ではありえません。互いに監視監督することでその宿痾から逃れ、また切磋琢磨する事で言論の質を高めるべしという彼の考えは政治においても共通していました。
富田君は政友会一強政治に反対し、明治41年(1908年)の衆議院議員総選挙に出馬されて初当選。一度の惜敗を除いて、毎回の当選を果たされました。高知における非政友会系勢力の中心として、中央においても党務の重責を担われたことは、皆の記憶に新しいところです。
富田君。貴方は決して派手ではありませんでしたが、その人柄から広く信頼を集め、幹事長や総務として党内意見の取りまとめや、党外との交渉に尽力されました。
国民同盟から復党された富田君は、政民連携運動に尽力されます。長年の持論を捨てたのかという心無い批判にも「国難を前に2大政党が争う時ではない」と毅然と反論された同君の訴えは、政治に携わる者に、その原点を思い出させてくれました。
衆議院議長としては常設委員会設置に向けて尽力され、現内閣もその実現に向けて協力を約束しました。貴方の思い描いた理想の政治がまさに実現しようとしていた矢先の訃報に、我々、立憲民政党の同士は慚愧の念に絶えません。富田君を失ったことは、まさに痛恨の極みであります……
- 前衆議院議長・富田幸次郎先生お別れの会における町田忠治(立憲民政党総裁)の弔辞 -
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立憲民政党の前の政策調査会長であり、今は林改造内閣の文部大臣を務める永井柳太郎は、民政党本部における富田幸次郎の党葬に出席した後、神奈川県横須賀市内の小泉又次郎邸を訪問していた。
永井は勝手知ったると言わんばかりに小泉のあばら家に上がり込むと、ネクタイを緩めながら、ちゃぶ台の前に胡座をかく。小泉はといえば黒の股引に白の鯉口シャツに「愛妾からのプレゼント」という腹巻を巻いた、なんとも形容しがたい恰好でビールの蓋を栓抜きで開けている。とてもではないが衆院第1党の大政党の幹事長には見えないが、それが野人・小泉という男であった。
「町田さんもよくもまあ、いけしゃあしゃあと心にもないことを言えるものだ」
永井は民政党の幹事長である小泉又次郎に呆れたように語った。
全盛期の原敬批判で名を挙げた雄弁家の永井と、横須賀における普選運動の闘士であった小泉は、加藤高明、若槻禮次郎、浜口雄幸と長年官僚出身の総裁が続いた憲政会-民政党にあって、党人派として気脈を通じていた。必ずしも政策的に一致するわけではないのだが、政治主導の確立-官僚政治の否定という1点で2人の認識は共通していた。
曇ったガラスコップに注がれた温いビールで乾杯をすると、永井と小泉は一気にそれを飲み干した。永井は大きなゲップをしてから、ちゃぶ台の上の干からびたスルメに手を伸ばす。話題は自然と今日の会合の出席者の話になる。
「安達さんも来ていたな。民政党の取り仕切りだから来ないかと思ったが」
「富田ちゃんは協力内閣運動では幹事長として安達さんと共に動いた側近中の側近だ。党を違えたとはいえ、町田さんもそれを理由に断らねえよ。それによ柳ちゃん(永井)、考えてもみなよ」
小泉は意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「今の安達さんは、たかだか20名にも満たない少数政党の代表だ。ああ見えて町田さんは、昔のことは忘れない人だから」
「かつての総裁候補に、今の現実を見せ付けるか。えげつないことを考えるねぇ、町田さんも」
「町田さんというよりも、大麻(唯男)か俵(孫一)あたりの振り付けだろう。官僚上がりの考えそうなことだ」
先ほどまでの自分を棚に上げて、小泉は官僚派への不信感を感情もあらわに吐き捨てる。
現在は衆院において民政党、政友会、社会大衆党(無産政党)に次ぐ第4党の総裁でしかない安達謙蔵だが、かつては立憲民政党の幹事長や浜口内閣の内務大臣として選挙を指揮し「選挙の神様」と言われた男だ。
それが民政党内部の権力闘争に敗れ、第2次若槻内閣を道連れにする形で総辞職に追い込むと、自らの手勢を率いて離党。国民同盟を結成した。しかしこれも内紛により分裂の憂き目を見ることになる。
番頭格の富田は民政党に復党。安達四天王と呼ばれた永井柳太郎・山道襄一・中野正剛・鈴木富士彌はといえば、そもそも永井は民政党に残留して従わず、山道は民政党に復党、鈴木は政界を引退し、中野に至っては国民同盟の中野派を糾合して「東方会」を結成する有様。
現に今日の会合に出席した安達は往年の剃刀のような鋭い気配はすっかり無くなり、民政党総裁候補の面影はなかった。
安達四天王の永井は離党しなかったことで党内の安達の党人人脈を継承し、中堅若手を中心に永井派を結成。民政党の実力者となった。
口をへの字に結んだかつての政治の師の顔を思い浮かべながら、永井は話を続ける。
「安達さんも勝負所で躊躇ったから、中野に引きずられる形で引っ込みがつかなくなってしまった。協力内閣が駄目になったからと内務大臣を辞めずに引きこもり、民政党内閣を潰す。それじゃあ党の主流派はついてくるわきゃねぇ」
「亡くなった江木(翼)だの井上(準之助)……まだ党籍のあった2人はともかく、幣原(喜重郎)だの伊沢(多喜男)に至っては民政党の政策はおろか運営にまで口出ししていた。多くの党員と同じく、私もそれには我慢ならんかった。ところがそれに対抗するためのやり方が、党内手続きや議論を放棄しての政策転換に政友会との連立構想」
「これでは伊沢を笑えんよ」と小泉は腹巻に手を突っ込みながら、もう片方の手で頭をかいた。
協力内閣運動は第2次若槻内閣末期、内務大臣の安達が推進した政治構想である。満洲事変への対処を名目に政友会と連立内閣を発足。行き詰まりが明確になりつつあった緊縮財政と幣原外交からの転換を図り、衆院の圧倒的な議席数によって軍部を抑え込もうとした。
だが「選挙もせずにそんな方針転換をしては」という真っ当な反論と、党内主流派からの反撃により交渉は失敗。内閣崩壊後に安達は先に述べた国民同盟の結党という形で、党を追放された。
「中野のいうこともわかるんだよ。浜口さんを総裁に選んだのは我ら党員だが、幣原や伊沢を選んだわけではない。にも関わらず彼らは党の外から民政党を支配しようとしおった!」
安達に同情するような口調で語っていた小泉は次第に感情が高ぶり、それを爆発させた。永井はそれをなだめつつ応える。
「又さん、ビールが零れるよ……たしかに当時の民政党は結党したばかりの反政友会の寄せ集めだったからな。政策立案能力も浜口さんの友人の力を借りなければどうにもならなかった。まして浜口さんというカリスマがいなくなればな」
「だからといって、閣議後の昼食会にも参加しない幣原外相の臨時首相代理はなかろう。あれを抑えるのに俺がどれだけ苦労したか」
憲政会時代に1回、民政党では2回目の幹事長である小泉は、幣原外相への反発を押さえ込むのにどれだけ苦労したかを朗々と語る。
そもそも立憲民政党は基本的には憲政会を中核に、政友本党や中小政党を合流して結成された反政友会の政党である。第2次大隈内閣以来、憲政会系勢力は政権から遠ざかっており、政策立案や政治資金に関しては官僚出身の執行部の人脈や閨閥に頼り切っていた。
特に浜口総裁は東京帝大の同窓生である伊沢(非政友会系内務官僚の大物)や幣原(外務官僚の元締め)を顧問としながら、政策の調整や中央政界(宮中や官僚機構)へのパイプとしていた。浜口のカリスマと政治力が健在であった頃は暴れ馬の党人も党執行部の統制下に従っていたが、浜口がいなくなれば瞬く間に本性をむき出しにして、党外からの口出しに噛みつき始めた。
その最強硬派が中野正剛である。中野ほどではないとはいえ、小泉や永井も多かれ少なかれその不満は共有していた。苦節10年と呼ばれた長く苦しい野党時代を支えたのは自分たち党員であり、断じて党外の官僚ではない。
「政党は官僚組織ではない。党員がいて党職員がいて、地方議員がいて支持母体があり、議員それぞれの後援会がある。1人の議員の背後には無数の利害関係者と支持者が控えている一国一城の主だ。伊沢や幣原何するものぞ……」
「柳ちゃん。茶化すのもいい加減にしてくれや。あんたはいいけどよ、俺があの時、閣内でどれだけ苦労したか」
浜口内閣・第2次若槻内閣の逓信大臣だった小泉は中野正剛逓信政務次官の上司であった。ところが中野は協力内閣運動や、幣原臨時外相代理問題で暴れまわった末に辞任。「野人・小泉も野獣の中野は抑えきれぬか」と散々嫌みを言われたことを思い出し、小泉はこめかみを揉む。何より小泉としては閣僚として政権運営に取り組んでいた浜口の苦労を見ていたからこそ、一概に批判しづらいのだと率直に語った。
「理屈では中野が正しいよ。しかしやり方が強引で筋違いだったから、ますます話はこじれちまった」
「いや、悪かったって又さん……まぁそうだな。町田さんはその点、党人にも配慮しているよ。政調会の拡充を掲げて実際に人員も金も手配してくれる。手前味噌だが、以前に比べてうちの党は格段に政策立案能力は上がった……伊沢とは手切れになったが」
「あ、あれな。噂は聞いていたけど本当なのか?」
「本当だとも。伊沢さんが絶縁状送りつけたらしい。自前で出来るようになれば、党外の伊沢など用済みというわけだな」
「それと引き換えに内務省との関係は悪くなったか……道理で。それで内務官僚上がりの川崎さん(川崎卓吉)の内務大臣の話が流れた理由がわかったよ」
あちらを立てればこちらが立たず。小泉の指摘に永井は渋い顔で腕を組んだ。
金も出せば口を出す。金も口も出さなくなれば、足を引っ張るのが伊沢流だ。浜口総裁・若槻総裁時代は強力な民政党の支援者だった伊沢多喜男は、いまや民政党の最大の政敵となりつつある。
若槻の突然の辞任により総務会長から総裁へと押しつけられるような形で擁立された町田は、党の政調会を拡充。党外に頼っていた政策能力の向上を目指した。それは自ずから伊沢の影響力低下につながる。党外人に頼らずとも党を運営するという町田の考えは、おおよその部分で実現されつつある。
そして永井からすれば町田総裁の指導力が確立されればされるほど、自分の政策実現の障壁になるという葛藤を抱えていた。
「町田さんはイギリス仕込みの自由経済論者だ。俺がどんだけ亜細亜政策の重要性を説いても、「聞いておく」「考えておこう」って、本当に聞くだけだと来てやがる。政調会で経済統制政策や海外進出策をまとめても総務会や幹部会で骨抜きにされる始末だ。あれじゃ政策的には伊沢と変わらない」
「まぁ、町田さんには町田さんの考えがあるから」
小泉が永井をなだめるように、空いたグラスにビールを注ぐ。町田の政党運営の自立と自主に永井は政策調査会長として協力した。なのに町田総裁は肝心なところでは総裁や執行部の権限を使い、若手の政策(つまり永井派)の亜細亜モンロー的な政策を受け付けない。初入閣となる文部大臣ポストも、閣内におしこめて発言を封じ込めようとする考えなのが透けてみた。
しかし永井にはそこまで理解していても、理解しているからこそ党総裁としての町田に従わざるを得ない。
「町田の爺さん、自分以外の総裁候補はいないと思って、開き直ってやがるんだ」
「たしかに若槻さんが辞任(1935年)した後、しばらく誰もやりたがらなかったからな。安達さんは言うに及ばず、宇垣大将は駐英大使でロンドンだ。今回の会にも電報を送っただけだし」
「近衛さんさえ、あんなことにならなきゃなぁ」
永井が残念極まりないといった口調で、ゾルゲ事件で失脚した貴族政治家の名前を挙げる。
政友会流に従うのなら党内に候補者がいなければ党外から招けばいい。永井は政友会の革新派らと近衛新党構想を(肝心の近衛文麿の了承なしに)協議。町田総裁ら執行部に圧力をかけるカードとして利用していた。
しかし近衛の失脚により「近衛新党カード」は使用出来なくなった。「自分以外に誰が総裁になるのか」と町田から面と向かって言われてしまえば、もっとも苦しい時期に総裁を引き受けた町田を引きずり下ろすだけの力は永井にはなく、まして近衛に代わる党外の総裁候補もいない。
「富田ちゃんが元気だったら、宇垣大将擁立もなんとかなったかもしれんが」
「又さんはそれでいいかもしれないが、宇垣大将は英米派だろ。あれは俺は政策的に駄目だ。それに3月事件のこともある」
小泉は民政党における宇垣大将擁立の急先鋒であった故人の名前を挙げるが、永井はすぐさま首を横に振る。テロで倒れた浜口総裁も宇垣擁立を考えていた時期もあったというが、3月事件の顛末を知ると「あいつは駄目だ」と激怒して永井や小泉を含めた党の幹部にその意向を伝えている。
それに永井からすれば政策的にも一致していた近衛であるからこそ、町田執行部への圧力となったのだ。嘆く永井に、小泉がうんざりしたように言う。
「そんなに不満があれば、ここでくだを巻いてないで、さっさと離党すればいいじゃねえかよ。柳ちゃんなら無所属でも当選出来るだろ?」
「馬鹿言うなよ又さん。安達さんみたいになりたかねぇよ。それに俺はともかく、党内の若手の面倒も見なきゃならん。そんな無責任な事が出来るか」
総裁候補がいない状況では、永井が離党したところで「第2の安達」になるのがオチである。だからこそ党執行部は今日の党葬に安達を招いたのかもしれない。零落したかつての師を永井に見せつけることが目的だった……と解釈するのは、流石に穿ち過ぎか。
永井は自分の考えが生産的でない方向に傾きつつあるのを感じ、自分に言い聞かせるように続けた。
「搦め手でやろうとしたのが間違いだったのさ。党内で地道に自分の理解者を増やす。遠回りのようだが、これしかない」
「……ところで知ってるかい柳ちゃん。死んだ富田ちゃんだけどな」
「政友と民政の反主流派を糾合した宇垣新党だろ。知ってるよ」
「それじゃない。宇垣大将を担いで、政友会と民政党を丸ごと合流させた単一保守政党構想だよ」
その話は初耳だったのか、永井は「はぁ?!」と眼を剥いた。小泉は悪戯成功といわんばかりに笑いながら、富田の筋書きを説明する。
「富田ちゃんは富田ちゃんなりに安達さんの継承者だったわけさ。個々の政治家や派閥同士の合従連衡としての政民連携運動ではなく、その先にある単一保守政党の指導者として宇垣大将を担ぎ、軍や官僚を抑え込もうという考えだったらしい」
机上の空論に聞こえた永井は「馬鹿言うなよ又さん」と意気込んで否定した。
「民政と政友は、明治自由民権運動の改進党と自由党から続く50年来の宿敵同士だぞ。地方組織だって固まっちまってるし、院内での連携レベルならともかく、そんなのうまくいくわきゃねえだろ」
「だからそこさ。そもそも今だって挙国一致内閣と言いながら、事実上の連立政権みたいなもんじゃねえか。それに政友会にも民政党にも、国民的人気のある総裁候補はいない」
ここで小泉に対して「自分こそが総理候補にふさわしい」と臆面もなく言えるほど、永井は自惚れてはいない。だからこそ宮中や軍部に人脈の広い近衛公爵を担いでいたのである。2大政党の総裁候補=総理候補でなくなって久しい現状では、突如として沸いたような新政党の総裁では大命降下などありえないからだ。
「政友会の鳩山ならウケはよさそうだが、党内で嫌われまくっている。このままなら政党中心の内閣復活などあり得ない。だからこそ指導力のある宇垣大将を担いで丸ごと合流させてしまえばいい。反対する連中には政党内閣という大義名分で協力させようというのが、富田ちゃんの論法なんだよ」
「近衛さんが失脚してから、富田ちゃん頑張ってたんだけどなぁ」と語る小泉に、永井は唖然として言葉もない。仮にそれが実現していたとするならば、現在の政民の執行部は発言力が低下していただろう。新執行部の中心になるのは富田を中心とした党人派だ。宇垣大将も政党運営は富田頼りにならざるを得ない。
「柳ちゃんのそんな顔、富田ちゃんに見せてやりたかったよ。いや、勿体ない」
小泉はどこか楽しげに新しくビールの瓶を傾ける。永井は憮然としていたが、言われっぱなしでは雄弁家としての沽券にかかわる。そこで目の前の人物に最も効果的であろう意趣返しを試みた。
「……そういや又さん。娘さんとは仲直りしたのか?」
小泉のにやけた顔が、一転して凍りつくのを見て、永井はようやく溜飲を下げた。
小泉の一人娘は民政党の職員であった鮫島青年と恋に落ちたが、娘を溺愛する又次郎に結婚を反対されて駆け落ちに至る。小泉が全国紙の尋ね人欄に「帰ってこい」と広告を出す大騒ぎ。周囲や関係者を巻き込んだどったんばったんの大騒動の末、さしもの小泉又次郎もとうとう「この男が代議士に当選すれば認める。ただし俺の選挙区以外でだ!」と折れた。
次の総選挙を誰よりも望んでいるのは、故郷鹿児島から出馬の準備をしている鮫島青年でも、それを手伝う小泉家の令嬢でもなく、娘と一刻も早く仲直りをしたい幹事長その人だろうというのは、民政党内での流行りのジョークである。
「べ、別に芳江が、ど、どうであろとも構わんのだが、うん…あれがどうしてもというので、私も仕方なくだな……」
先ほどまでの勢いはどこへやら。親馬鹿丸出して、それでいて素直になれない男親の定めなのか。視線を左右に向けて動揺を露わにする小泉に、永井は闊達に笑いながらビールを口にした。
「いやぁ、早く選挙にならねえかね。そうすりゃ、今の町田執行部も少しは揺さぶれるんだけど」
「柳ちゃん。あんたも町田さんも林内閣の閣僚なんだからさ」
そう苦言を呈した小泉であったが、何か思いついたように顔を上げる。その反応に訝しげに首を傾ける永井に、小泉はたった今、思いついた事を何の考えもなしに言葉にして見せた。
「……いっそのこと、林さんでも担いでみるか?越境将軍の知名度はあるし、あれでも戦争に勝った首相だぞ」
「林さんか……」
小泉と永井はそれぞれ黙り込む。何を思い浮かべていたのは当人同士しかわからないことだが、しばらく虚空を睨むように考え込んでいた2人は、ほぼ同時に視線を見合わせて口を開いた。
「「ねぇな(よ)」」
何をどう考えても、林大将では選挙の顔にならない-奇しくも2人はその点では完全な一致を見た。
*
「大麻君にはご苦労だったと伝えてほしい。近いうちに飯でも食おうともね」
「承りました」
跳ねっ返りの商工官僚に引導を渡した大麻への伝言を町田忠治総裁から直々に伝えられた松村謙三代議士は、直立不動の姿勢で頷いた。
町会議員からの叩き上げた松村は、町田が農林大臣時代の秘書官として仕え、以来最側近を自任している。富山県人らしい実直さが売りの壮年代議士だ。踵を返して総裁室を後にする松村を見送りながら、次期民政党幹事長に指名されたばかりの勝正憲は口髭を撫でた。
「松村君は素直ですな」
「素直すぎるのが玉に傷……と言いたいところだがね。彼は実直そうな理想主義者に見えるかもしれないが、意外と腹の黒いところがある。政治資金の集め方など中々のものだよ」
思いもがけない評価に、勝は戸惑いながら訊ねる。
「何故そのような人物を傍で使っておられるのですか」
「利害や損得で動くものは使いやすいからね」
「むしろ岸君みたいに利害も損得も関係なしに、信念で喧嘩をしかけようとしてくる人間が一番困るんだよ」と、町田はあっけらかんと言い放つとあははと笑ってみせた。
商工大臣としては4年目、党の総裁としては3年目。どちらも最長である。望まずについたポストとされるが、浜口ほど明確なカリスマはないものの、堅実に近衛新党論者(永井)を抑え込み、宇垣新党論者(富田)を棚上げにすることで執行部体制を確立した。
その町田に総裁室まで呼び出された勝正憲は、大蔵官僚として22年働いた後、東京市助役を経て政界に転身。大蔵参与官や商工政務次官を経験した次の幹部候補生である。町田は政務次官として自らに仕えた勝の働きを評価し、小泉又次郎の後任の幹事長とする考えをすでに伝えている。
しかし勝本人はいささか及び腰であった。
「私に、あの入れ墨又さんの後任が務まるでしょうか」
「何、心配はいらない。どうせ幹事長など大した仕事はないのだから、実務は大麻君にでも相談して聞けばよい」
最初から期待していないとでも言わんばかりの町田の物言いに、さすがに勝も顔をしかめる。
確かに幹事長は政友会でも民政党でも中堅幹部の就任する役職であり、議会運営を担当する院内総務や首脳陣を形成する党総務、町田が力を入れる政策の責任者である政調会に比べれば格下の感は否めない。それでも選挙の責任者であることは間違いなく、勝は「貧乏くじではないか?」と気がついた。
「それこそ又さんにでも務まったんだ。当面の幹事長としての君の職責は、次の総選挙までに、いかに政治資金を集めるかだな」
「……それで私ですか」
勝は大蔵省で税務畑を歩み、全国各地の税務署長や監督局長を経験している。確かにそれなりに顔は広いし、よい意味でも悪い意味でも各地の商工業者や経済人にも知られている。
「まあ座りたまえ」
憮然とする勝をなだめるように、町田が椅子とお茶を勧めた。
「……君も知っての通り、最近は財界も簡単に献金してくれない。大きくたくさん、それも一度にもらえるのが手間がなくて一番楽なのだが、それだと新聞記者の目もうるさいし、検察から何か言われかねない。今の時期、政治と金の問題が一番困る」
「手間ではあるが薄く広くひっぱってくるのが一番だ」と難題をさらりと押し付けようとする総裁に、勝は現状を客観的に捉える為に、総裁としての町田の見解を問うた。
「政治献金の減少傾向は我が党が政権の座から離れたことが理由とお考えですか。それともやはり既成政党批判が根強いからでしょうか?」
「まぁそれもある。財界も手元不如意らしいしね。政党なんかと一緒にされたくないと、表向きはいい顔をしたいんだろう」
町田があっさりと勝の指摘を認めた。
昭和初期の政争と党弊により、2大政党は有権者だけではなく宮中や軍部など既存の政治勢力からそっぽを向かれた。政党内閣崩壊後は更にその傾向が強まり、一部の青年将校らは「重臣と財閥、それと政党が手を組んでいるから世の中は良くならない」と理解しやすいロジックで訴えた。
「しかし実際の選挙結果は」
「たとえ実際の選挙結果は既成政党が全体の8割以上を占めていたとしても、その意見が一定程度受け入れられる土壌があったのは確かだろう。5・15事件の時は76歳の老人を撃ち殺したテロリストの青年将校の減刑嘆願が全国から集まったというしな」
今年75歳の町田が、7年前に76歳で死去した犬養木堂を老人と呼ぶのは違和感があったが、勝は直接には指摘しなかった。
いかに正しい(と民政党が考えた)政策であろうとも、世間から受け入れられなければ意味がないというのは、勝が実際に選挙を戦う経験で学んだことだ。大蔵官僚の勝としては忸怩たる思いがあるが、そう考えると井上財政という緊縮路線は間違っていると言わざるを得ない。
たとえ選挙(第17回総選挙)で勝利していたと主張したところで、次の選挙で民政党は大敗(第18回総選挙)しているのだから、何の説得力もない。
町田は勝に対して、具体例を上げながら政党の影響力低下を示してみせた。
「前の鉄道大臣の中島知久平君がいるだろ」
「はい。政友会の総裁候補ですね。中島飛行機経営者の」
「あれがなにゆえ、当選回数も少ないのに政友会の総裁候補に上り詰めたかを考えればわかる。金持ちといっても、オーナー社長が自社企業から引っ張ってこられる金額など知れておる。自分の資産を切り崩すにも限度がある」
町田の指摘に、勝は即座に合理的な回答を提示して見せた。
「……つまり政治献金の全体額が少なくなったことで、相対的に党内における中島氏の価値が上がったというわけですか」
「一時は総裁候補と言われた久原(房之助)君にしても、今の政友会筆頭総務の鳩山(一郎)君も似たようなものだ。鳩山君の場合は息子の奥さんの実家だが、裏を返せばそれだけ今の政党には価値がないと財界が判断しているのだろう」
「総裁としてはどのような対策をお考えでしょう」
「それを君に考えてほしいところだが、私としてはあちらがそう考えているのなら、こちらにも考えがあるとだけ言っておこうか」
既成政党を取り巻く厳しい環境を評して見せたあと、財界が支援しないのならそれなり対応をすると暗に述べる町田に勝はそれでいいのかと疑念を覚えながらも、先ほどから気になっていた松村代議士を介して大麻に伝えた一件について問うた。
「件の商工官僚ですが、総裁が大臣として直接処分を言い渡されなかったのは」
「気になるかね」
「気になるというよりも筋としてそうあるべきだと考えます。商工省を統制……あぁ、この場合は組織統制という意味ですが、しっかりと町田色にするためには、反乱の首魁たる岸の首を直接はねられたほうが効果的だったのではないかと思いまして」
筋目を重んじる官僚出身者らしい疑問に、町田は膝の上で手を組みながら穏やかな笑みを浮かべた。確かにその姿は麻生豊の4コマ漫画の主人公であるノンキナトウサンこと、とぼけた「ノントウ」にそっくりである。
そういえばノントウは一度は成功しても、最後はいつもすってんてんになるのがお約束であることを勝が思い出していると、町田は口を開いた。
「岸くんもあれは貧乏くじを引いただけだからね。私と対立する事が明確な商務局長だ。上司も同期も部下でさえも尻込みして、あるいは保身のためにやりたがらなかった。岸の義侠心を利用して、体よく使ったのだな」
「それでは岸君はドン・キホーテではありませんか。あれはそこまで短慮な男でしたか?」
「さてどうだろうか。岸君にはリスクの高い選択だったのは確かだが、選んだのは彼自身だ。何より自分なら出来ると考えてもいたのは確かだろうよ。勝てば商工省で彼に逆らえることの出来る人間はいなくなるわけだし、なんなら私の首もとれるわけだ」
勝の予想に反して、町田の口調には岸への敵意は(本心はともかく)少なくとも感じられなかった。
長ければいいというものではないが、短くては仕事を覚えるだけで交代となってしまう。商工省を把握しているという自信からか、町田はのんびりとした口調で「岸の乱」の当事者として敵将の胆力を評価してみせる。
「道化であることは確かだが、世の中は追々そうした道化により動かされてきたのも事実だよ。大隈さんや板垣さんがそうだった。あの2人が自由民権運動を始めた時は、まさか今のような2大政党になるとは想像すらしていなかったはずだ。それが今ではどうか」
政権を単独の政党で運営するのは難しくなったが、全議席の8割近くを既成政党が占めているではないかという町田に、勝は頷く。既成政党への逆風があると言われる中でもこれだけの議席を、消極的とはいえ国民からの支持を得ていることは否定しようのない事実である。
明治維新の功臣である板垣退助と大隈重信はともに政争に敗れて下野した。故に彼らの行動は自分達の復権が第1の目的であったことは確かだ。しかし彼らを担いだ民権運動家は、次第に勢力を拡大。幾度かの激しい政府との交渉や政争を経て、ついには相互に政権を担えるだけの政党組織へと成長させたのだ。「その遺産に胡坐をかいているといわれると否定出来ないが」と町田は苦笑した。
「その動機がなんであれ、日本を大きく動かしたのは確かだ。岸君とてそうならない保証はないよ……少なくとも彼の陰に隠れて対立を煽り、その失脚を喜んでいるような連中に、私は重要なポストなど与えるつもりはない」
そう語った町田の表情は、驚くほど冷ややかなものであった。
「何れ岸君は復権を果たすとお考えなのですか?」
「こちらから手をさし伸ばすつもりはないが、囊中の錐という諺もある。あれほど能力のある男であれば、民間であっても活躍するだろう」
まるで子供扱いだなと勝は内心で苦笑する。省庁にそれほど伝のない民間人閣僚ならともかく、明治の頃から衆議院に議席を持ち政党の創成期も興隆期である政党内閣も、そして今の苦境の時代も経験してきた老人が相手である。まして副総理格の国務大臣だ。これではいかに岸が一人で暴れたところで、他省庁の革新官僚も減俸問題の当時のように協力しにくい。
ノントウのあだ名の割には似つかわしくない用意周到さではあるなと勝が考えていると、総裁室の扉が3回、素早くノックされた。
『大臣、緊急です』
「入りたまえ」
町田の言葉が終わるか終わらないか、商工省から出向している佐々木義武秘書官が部屋に入る。佐々木は一目散に大臣に駆け寄ると、2枚のメモを渡した。それを見た町田は相変わらずのんびりとした調子で「御苦労様」と秘書官を労った。
「で、このあと閣議かね?」
「15時から開始予定であります」
「わかった。資料の用意と車を頼むよ……いや、党の車を使おう。その方が早い。君、悪いが総裁室の事務官に伝えてくれるか」
「承りました」
佐々木は一礼すると飛び出すように部屋をあとにした。不穏な気配を感じた勝は「どうされましたか」と町田に尋ねる。町田はしばらく考えるような仕草をしてから「他言無用だよ」と口を開いた。
「どちらにしても直ぐに伝わることだからね。悪い報せと良い報せがあるが、どちらから聞きたい?」
「……良い報せからお願いします」
「ドイツ政府が満洲との修好条約に調印した。イタリアもこれに続くことを表明したそうだ」
「そうですか」と勝は安堵とも落胆とも着かぬ複雑な笑みを浮かべる。確かに良い知らせだが、両手を上げて喜べるような知らせでもない。
オーストリー合邦を始め欧州における波乱要因であるドイツが、満洲を国家として承認した意味。エチオピアへの侵略などアフリカで現状を変更してみせたイタリアの現政権が満洲との交渉に着手する意味。満洲事変により手痛い対価を支払いながら、段階的に国際政治への復帰を目指す日本としては、ベルリン=ローマ枢軸と同じ現状打破勢力(満洲に限って言えば確かにそうなのだが)とみなされることは、痛し痒しだ。
少なくとも対外協調路線を掲げる民政党執行部としてはもろ手を挙げて喜びにくい。
「ドイツとしては対日関係改善を図りたいのだろう。防共協定の打診も袖にされて久しいしな」
「林総理は実際のところどう考えておられるのです?ドイツとの関係には慎重と考えてもよいのでしょうか」
「あの人の考えることなど、実際には誰にもわからんよ……で、悪い方なのだがね」
町田は机の上から茶碗を取ると、冷め切った茶を口に含みながら悪い知らせを告げた。
「ドイツ政府がズデーデン問題の最終解決をチェコスロバキア政府に要求したそうだ。チェコスロバキアが動員を命じたとの一部報道もある……つまり日本はそのドイツ政府のお仲間とみられる危険性があるわけだな」
「第2次欧州大戦になるかもしれん」
町田翁は険しい表情で茶を飲み干した。
・古くて新しい党人VS官僚。同じ代議士でもやっぱりカラーが違うらしい。両方から人望があった浜口雄幸は、政策面の評価はともかくやはり偉大な人だったのだろう。偉大な人物でも失敗するのが政治の難しいところなのかもしれない。
・小泉「これでいいのだ~これでいいのだ~」…ヤバイかこれはw
・武勇伝ばかり強調されますが、意外と苦労人な初代。中野正剛の上司なんて私は死んでもお断りだ。
・警備兵「安達大臣のお付の方!そこから先は大臣のみしか入れません」小泉「俺も大臣だ!」なお実話の模様。
・昭和天皇「刺青入れてるんだって?見せてくれないかね」小泉又次郎「え…っ」。なお陛下一流のギャグだったらしい(冷や汗)生物学者としての純粋な興味なら、それはそれで笑わざるをえない。わりとお茶目な先帝陛下。
・永井「西にレーニン、東に原敬」。なお原は珍しく本気で激怒した模様。
・安達謙蔵。ある意味最も気の毒な人。勝負しなければいけない時に尻込みするとこうなる典型。中野正剛はとりあえず土下座して謝るべき。
・反政友会の寄せ集めの民政党。政友会がグダグダになると自然と第一党になったはいいものの…戦後の中小政党とかは多くは民政党出身者。また戦後自民党の右派(大麻派)や、左派(松村派)なども民政党出身者。バラエティに富んでいるというか。まとまりがないというか…いまの自民党の総務会の意見集約システムの源流が民政党の総務会に端を発しているというのは偶然ではないだろう。バラバラ故に党の総裁のカラーが出やすいかもしれない。そりゃ近衛も断るわな…
・岸「君らね、表向きは聖人君子に見えても、腹の中は真っ黒なのはおるんだよ」。なお松村謙三のことらしく、あとで記者団が松村にちくったために岸は難儀したそうなw
・あの抱腹絶倒の大人気4コマ漫画、ノンキナトウサン!え?知らないんですか?!ナウなヤングは必読ですよ!関東大震災のあとから終戦ぐらいまで連載。主人公(無職)の「ノンキナトウサン」と「隣のタイショウ」が奮闘していろんな職につき、たまに大金を稼ぐも最後はスッテンテンにもどるという、一種のお約束スタイル。コンビなのも、こ○亀のお約束スタイルっぽい。なお見た目がまんま波平のお父さん。
・「磯野波平はノンキナトウサンです」でやる夫スレやろうとしたことがあるんですよ。すぐ諦めましたけど。この人の歴史は日本の近現代史そのものといってもいい。一番しんどい時期に民政党総裁を押し付けられて、なんだかんだで最後まで近衛新党運動に抵抗。2・26事件の時、首相と内務大臣が行方不明、蔵相暗殺で騒然とする中、町田だけが「あれはね。賊軍です」と言い切って、最初から最後まで一貫していたという腹の座り方。人格者であるけど何かこう、報われない人。
・うだうだと宇垣新党論者を取り込みながら棚上げ。意外と政治力はあるけど、先頭切って切り込むスタイルではない。
・さあ、盛り上がってまいりました(白目)