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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
16/59

岩畔豪雄回顧録 / 京城日報・東京日日新聞 / ドイツ国 首都ベルリン 旧国会議事堂(1938年4月)

『握り拳と握手はできない』


インディラ・プリヤダルシニー・ガンジー(1917-1984)


 ……私の提出したレポートは上層部で評価されたらしく、帝国陸軍は諜報と謀略の科学化(有り体に言えば盗聴や破壊工作活動等)に本格的に取り組むことになった。昭和12年(1937年)11月、中佐への昇進が決まるのと前後して、私は新設された参謀本部第8課の主任となった。8課は諜報・謀略活動を専門としており、秋草俊や福本亀治ら錚々たる顔ぶれが揃っていた。


 初代課長には当然ながら影佐禎昭大佐が就任すると思われていたが、総理官邸から陸相秘書官として続投を希望されたため、辰巳栄一大佐が就任した。辰巳氏は陸軍大学校37期で私より一つ年次が上であり、省部の役職から駐在武官まで一通りを経験してから参謀本部への御帰還である。


 将来の三長官候補として陸軍の王道を歩まれた方に邪道の諜報や謀略など出来るのかと、課内の空気は冷めていたが、辰巳大佐は淡々と職務をこなされた。どちらかといえば活動そのものよりも、活動で得た情報の分析に重きを置いておられた。


 この頃、参謀本部兵務課に「秘匿名警務連絡班」を設置した。将来的には米国の中央情報局のような諜報機関を目指す雛形として、その存在は陸軍省にも参謀本部にも、それどころか辰巳大佐にすら知らされず、ごく一部の口の硬い軍高官しか知る者はいなかった。


 ところが連絡班設置の翌日、影佐大佐がただでさえ陰鬱な顔を蒼白にしながら8課を訪ねられた。


「林総理は連絡班の存在を認識している」


 私達は何か間違いだと思ったが、影佐大佐に名前から創設メンバーまで列挙され「何をしてもいいが、情報分析能力を鍛えることを忘れずに、諜報活動のための諜報活動にだけはならないように」との指示を直接受けたそうだ。


 念のために辰巳大佐を問いただしたが、むしろ連絡班の存在に驚かれた様子であった。あれが演技であれば、大映の役者は全員失職だろう。考えてみれば内務省警保局長や内務次官歴任した林首相の実弟の白上氏は、2・26事件やゾルゲ事件で辣腕を振るわれた人物である。朝鮮軍司令官や前回の陸軍大臣時代の振る舞いから林元帥を舐めていた我々であったが、それが間違いであることに我々はようやく気がついた。


 我らは「特高に負けてなるものか」と研鑽に励んだ。


 昭和12年(1937年)12月。私は影佐大佐の密命をうけ、アメリカ合衆国のワシントンDCに飛んだ。飛行機を乗り継ぎ、ハワイから西海岸、中西部を経て東海岸まで1週間の長旅である。その間、私は旅行鞄を一度たりとも手放さなかった。


 ワシントンDCは言わずと知れた合衆国の首都であるが、行政府庁の隣に先住民のスラムがあるなど、新興国アメリカの光と影を象徴するかのような都市である。私の会談相手は、まさにその闇の中から突如として湧き出したかのような怪物だった。


 大統領就任パレードでお馴染みのペンシルベニア大通りの935番地。クリスマス商戦を前に賑わいを見せる人ごみを掻き分け、今は初代長官の名前を冠する連邦捜査局本部ビルこそが、私の旅の最終目的地である。


 連邦捜査局-FBIの通称でしられる司法省傘下の警察機関は、今でこそアメリカにおける正義の象徴のような扱いを受けるが、1920年代の捜査局時代には腐敗して堕落した組織であった。江戸時代の日本において大名や旗本領が複雑に入り組んだ上州や北関東において超法規的な権限を持つ火盗改が活躍したように、州や行政区分を超えた重大犯罪に対処するために設立された捜査局は、長谷川平蔵の後の火盗改が腐敗したように、無気力と無策が蔓延していた。


 それを改革したのが、若干29歳の若さで捜査局のトップに就任したたジョン・エドガー・フーヴァー氏である。


 彼は捜査局の人員を整理縮小し、徹底した綱紀粛正を行った。近代科学捜査をいち早く導入し、自ら全国を駆け回り有能な捜査官をスカウト。瀕死の組織を見事に立て直した。


 現在では広く知られていることだが、フーヴァー氏が(捜査局から連邦捜査局へと組織変更されたのが1935年である)初代長官としてFBIの基盤を築き上げたことは誰しもが認めるところであるが、彼がそれを私的に利用していたのも、また確かな事実だ。


 捜査のためにはマフィアと手を組むことも厭わず、盗聴や破壊工作など非合法な手段もためらわずに手を染めた。そうして不正に得た情報を元に政治家を恐喝し、捜査局時代を含めると何と48年間も長官の座にあり続けた。本来であれば予算をチェックするべき連邦議会や大統領を、公然と脅迫していたのだから呆れたものである。林元帥の言う「目的と手段を履き違えるな」という指示は、彼を念頭に置いたものだったのかもしれない。


 昭和12年(1937年)当時の私は、そこまでフーヴァー氏のことを知っていたわけではない。しかし何かと黒い噂が当時から付きまとっていた同氏の印象がよくなかったのは確かである。


「この部屋にイエロー・モンキーを入れたのは初めてだ。光栄に思いたまえ」


 事前に連絡を入れていた為、スムーズに長官室に通された私を出迎えたフーヴァー氏の第一声がこれだ。「手が穢れるから握手はしない」と轟然と言い放つアメリカの捜査機関のトップを、私は事前に人種差別主義者と聞かされていなければ殴りかかっていたかもしれない。


 しかし今から考えてみると、同氏は私を挑発していたのだろう。何か不穏な動きをすれば不審人物として取り押さえ、鞄の中の資料を「何の見返り」もなく手にすることが出来るのだ。帰国後に影佐大佐からその点を指摘された私は手段を選ばぬ情報の鬼の覚悟に、心身が震えたものだ。


 そんなことは知る由もない当時の私は、鞄から2センチはあろうかという書類の束を取り出すと、無言で長官に差し出した。


 その態度に一瞬だけ眉を上げたフーヴァー氏であるが、書類を受け取ると私に椅子を勧めるわけでもなく自分のデスクに戻ると、すざましい速さで捲り始めた。


 立ち尽くす私を存在していないものとして扱うこと30分。長官はようやく視線を書類から上げた。


 飢えたウシガエルのような気持ちの悪い眼差しが、私を見据える。


「……なんだねこれは」

「表題のとおりであります長官閣下」

「信憑性は?」

「それをお調べになるのは長官の職務範囲内かと思われます。ゾルゲ事件はご存知でしょうか」

「……その捜査の延長線上に、これらが出てきたと?」


 フーヴァー氏は書類をデスクにわざとらしく投げつけた。


 私もこのファイルを影佐大佐から見せられたときは驚いたものだ。まさかコミュニストが日本だけではなく、イギリスやアメリカの政府上層部まで、それもここまで大規模に浸透していたとは。


 タイプライターで印字された合衆国政府、および連合王国政府の、政府高官や職員の名前と現在の肩書き、そしてモスクワから送られたであろうコードネームが記されている。


 例えばイギリスの名門ケンブリッジ大学に端を発するという英国のスパイ網には、王室顧問の名前もある。国王の交代があったばかりだというのに、皇太后の従兄でもある彼が共産主義者のスパイだと発覚すれば、王室の存在そのものが揺らぎかねない。


 仮にこのリストが公表されれば、英米の現政権は吹っ飛びかねない大スキャンダルになるだろう。特に当時のイギリスは国王退位の時期と重なり、国内では政情不安が囁かれていた。大統領の顧問や友人がスパイと名指しされているアメリカは言うまでもない。


 しかしフーヴァー氏はさすがに名うての曲者である。傲岸不遜な態度と表情には焦りの色は見えず、まるで「よくあることだ」とでも言わんばかりの態度であった。


「で、東京は私に何を要求したいのだ」

「何もいたしません閣下。これは日本の現政権から長官へのプレゼントであります」

「あいにく、私はアジア人から情報を恵んでもらうほど困ってはおらん。それにこれは……ゾルゲ事件の調査から出てきたというのは嘘であろう」


 フーヴァー氏の指摘は私も感じていたことであった。


 これらはどこかの調査機関が長い時間をかけて、恒常的に同一人物や団体を調査しなければ書けるはずのない報告書なのだ。特にケンブリッジ・ファイブなる通称がついている英国の5人は、まだ捜査機関に所属したばかりのものも多い。具体的な物証も情報漏えいの根拠もないのに、突如スパイと名指しされて認める人間などいるはずがない。


 しかしこのレポートを書いた人物は、明らかに確信を持って彼らをスパイと指摘している。


 要するにちぐはぐなのだ。


「こんなもので逮捕してみろ。FBIの面子は丸つぶれだ。ましてイエローからの真偽定かではない情報に飛びついたとあってはな」

「確かに現状では、それらは怪文書に過ぎません。しかし長官。怪文書かどうかは調べてみないとわからないのではないでしょうか」

「貴重な捜査人員を割り当て、安くはない捜査費を使うだけの価値が、この怪文書にあると?」


 こつこつと人差し指で書類をつつくフーヴァー氏に、私はとっさに反論していた。


 私がこのファイルを見た限りでは、この書類のメンバーは『黒』である。いけ好かないアメリカ人の鼻を明かしてやりたいという思いもあったが、祖国の名誉を守らねばならないという一種の愛国心の発露と、それ以上に情報の世界で生きてきた自分の勘が、私に強く訴えかけていたのだ。


 ここで引いてはいけない。


「怪文書であれば閣下は日本政府の諜報機関の無能さを知り、弱みを握ることになります。事実であれば閣下は大英帝国と合衆国の現政権の弱みを握ることになります。どちらに転んでも損はないかと」


 フーヴァー氏は私の言葉に目を瞑り、腕を組んだ。検討する余地について思考を巡らせていたのか、それともイエロー・モンキーを視界に入れたくなかったのかはわからない。


 おおよそ10分ほども考え込んでいたであろうか。フーヴァー氏は「わかった」とようやく返答をした。


「ルテナント・カーテル・イワクロ。日本政府に伝えていただきたい。これは貸しだとな」


 後にイワクロ・ファイルと私の名前がつけられたそのレポートがどうなったのか。当事者であるはずの私も承知していない。


 ただ私の記憶が正確だとすれば、そのレポートに付属されていたファイルに名前があった人物の中には、そのまま政府の要職を勤め続けた人物もいた。


 しかし失脚したり、または不審な死を遂げた者がいたことも付け加えておくべきであろう。


- 岩畔豪雄回顧録 (機密指定により公開は2001年以降) -



- 松岡洋右満鉄総裁解任!激震走る新京 -


 「どういうことだ!」松岡洋右氏の怒号が新京の満洲鉄道本社に響いた。満鉄改革の旗振り役である松岡氏の突然の解任に、満鉄内部には動揺が走った。


 そもそも松岡氏は外務官僚から立憲政友会の代議士となり、国際連盟脱退演説で一躍時の人となった人物である。政党解消運動がファッショ的傾向とみなされたことを嫌った同氏が、南満洲鉄道14代総裁に就任したのは3年前のことだ。


 満鉄は恒常的な赤字経営が続いており、同氏は経営立て直しのため重工業部門など不採算部門の切り離しを行う一方、経営の三本柱として鉄道と炭鉱部門、そして調査部門への特化を掲げた。特に調査部門の強化を目指した「大調査部」構想は松岡総裁の肝煎りであり、官民の人材をかき集めた。


 しかし調査部門の拡充は将来の政界復帰を見据えた人材集めとの穿った見方も強く、関東軍や満洲国行政府に出向する日本人官僚の中では「満鉄を財布にして松岡の政界復帰を手助けするつもりはない」という不満が充満していた。そもそも経営改革のための不採算部門切り離しのはずが、調査部門の人件費に抑圧されては本末転倒であるという声は、満鉄関係者の中からも出ていた。


 事変以来、満鉄は満州大使と関東局長官を兼任する関東軍司令官の監督下にあるが、植田謙吉司令官(陸軍大将)はこうした声に配慮したものと思われる。後任には内閣参議(交通政策担当)で元満鉄理事の十河信二氏が有力である。


・解任された松岡洋右氏の談話


「断じて!断固として!!何が何でも受け入れられ(省略)


- 京城日報(4月1日) -



- ドイツで議会選挙 -


 4月10日。ドイツで議会選挙が行われ、与党のドイツ国家社会主義労働者党が圧勝した。得票率は9割以上、無効票や反対票は総合しても2パーセントに満たないという驚異的な勝利である。党や行政組織による監視が行われていたとの報告もあるが、基本的に大多数の国民は、治安を回復して経済成長を軌道に乗せた現在の政権に満足している傾向が見られる。


 併合されたばかりのオーストリーではアンシュルスの是非を問う国民投票が実施され、99パーセントという圧倒的な多数で信任を受けた。ヘルマン・ゲーリング国会議長は「ドイツ民族の統一という崇高なる大義が、国民から支持された」とする歓迎声明を発表した。


- 東京日日新聞 / ベルリン外電 -



 ドイツの議会ライヒスタークの歴史は、神聖ローマ帝国の時代に遡る。これはドイツ国王が重要事項を有力なドイツ諸侯に諮問する宮廷会議が起源である。


 神聖ローマ帝国の形骸化が進むにつれて、議会は国家としての統一性を担保するために寧ろ恒常的に開催されるようになった。直接的な継続性はないものの、帝政ドイツにおいてもワイマール体制下でも議会がライヒスタークと呼ばれる所以である。


 そして選挙が形ばかりのものとなったナチス政権下でも議会は存続していた。


「おや東郷大使。奇遇ですな」

「……これはこれは。ええ、まったくの偶然ですね」


 焼け落ちて廃墟となったまま放置された旧国会議事堂の前で、駐ドイツ大使の東郷茂徳はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ親衛隊中将と「偶然」鉢合わせた。


 東郷はドイツの経済団体との会合のために、ハイドリヒは再選を果たした臨時議会の召集に国会議員として出席するために『偶々』すれ違った……という形である。東郷としてはドイツ外務省の頭越しに親衛隊中将と何度も面会を繰り返すことは憚られた。そのためこの様な形をとったわけだが、ハイドリヒはむしろ嬉々として東郷の提案に従った。


 東郷は本国からの命を受け、ドイツとの関係改善のために(渋々ではあるが)、現在の政府首脳との接触を開始していた。


 幸い外相兼任陸相の林銑十郎総理の後押しを受けて大島前駐在武官のような露骨なナチスびいきの人員を一掃したこともあり、東郷は大使館を完全に統制下に置くことが出来た。これまでは何かしようとすれば、常に背後や隣に注意しなければならない状況から開放されたことは、東郷は素直に感謝していたが、それだけ自分の両肩に国益の重圧が重くなっていることも感じていた。


 故にいけ好かない無礼な若造であっても、東郷は内心の不快感をぐっと押し殺した。


「まずは再選、おめでとうと申し上げておく」

「物理的にも実績の面でも総統閣下以外の選択肢がないのです。当たり前のことでしょう」


 ハイドリヒはしゃがみ込んで旧国会議事堂の窓枠から中を覗き込むような姿勢で、そっけなく応じた。


 政権主導により再整備が進むベルリン市内においても、33年に焼け落ちたまま放置されているこの場所に近づく人間は少ない。廃墟見物に訪れた物好き同士の会話-という体裁である。


 ハイドリヒの口調にはナチス以外の政党が解散されているとはいえ、他の有象無象の政党があったとしても現政権与党の勝利は間違いないと確信した響きがあった。ナチス嫌いで知られる東郷も、その点は嫌々ながらも認めていた。


「オーストリーの国民はアンシュルスを支持しました。国際社会がどのように批判しようとも、それは揺るぎない事実であります」

「警察と軍隊が有権者に銃を突きつけた、実に平和的な選挙でしたな」

「コミュニストから有権者を護衛するためには当然でしょう……少なくとも、満洲国や朝鮮、台湾において一度も選挙をしていない貴国よりも、わが国は民主的といえるでしょうね」


 ハイドリヒの痛撃に、東郷は「満洲は独立国で、日本の関与するところではない」との公式見解を苦りきった表情で答えた。


 元々ドイツは国防軍や外務省の主導する南京国民政府への支援を続けてきたが、ヒトラー総統は否定的であったとされる。親国民党路線は、欧州大戦において日本がドイツのアジアの植民地を「侵略」したことへの不信感が背景にあった。


 そしてヒトラーは確固たる極東戦略があってのことではなく(元々興味もない)、逆張り的な側面が大きかったと思われる。


 しかし第2次上海事変による国民政府軍の大敗と、国防軍の顧問団が捕虜になったことを好機とみなしたヒトラーは陸軍と外務省の人事を一新。国内における主導権をさらに確固たるものとした。


 現政権における対日接近論者の筆頭は、新外相に就任したリッベントロップ伯爵である。


 ヒトラー総統の外交顧問であった彼は1935年頃から外務大臣への猟官運動もかねて、外交的な成果を求めていた。日本政府および陸軍がソビエトを最大の仮想敵国としているのは周知の事実であり、リッベントロップ伯は就任前より個人事務所を舞台に対日接近工作をはかり、様々なルートから「防共協定」を打診した。外務省や国防軍の鼻を明かしてやりたいという思いもあったと思われる。


 しかし日本側の大島駐在武官の失脚や、ドイツの政権内部の反発、国民政府軍への支援への日本政府の反発が重なったこともあり、3年以上経過した今もなんら具体的な成果は上がっていない。


 そこにナチス嫌いで通る東郷大使が手を差し伸べた。


 日本側からの働きかけにヒトラーはリッベントロップではなく、ハイドリヒをあえて交渉の窓口とした。これは対日関係改善への意気込みをあらわしていると、ハイドリヒ自身が東郷に説明したものだ。政権内での権力闘争に関しては東郷の関与するところではない。


 そして何もかも対照的な2人は何度かの非公式な接触により、ひとつの合意を結んだ。


「総統閣下は決断を下されました」


 ハイドリヒが焼け落ちた木材を拾いながら言うと、東郷はステッキで足元の瓦礫をどかしながら応じた。


「つまり満洲国を承認されると?」

「おや?他国の問題ではありませんでしたかな?……冗談ですよ。先の閣議において独満修好条約への調印を決定しました。外務省、国防軍もこれに同意。臨時議会において正式に発表される予定です」

「……満洲政府には日本政府からも伝えておきましょう」


 東郷は足元の瓦礫を踏みつけながら応じた。


 選挙や国民投票でアンシュルスをどのように取り繕ったところで、サン=ジェルマン条約の否定なのは間違いない。国際的孤立を深めるドイツにとっては少しでも自国の理解者は欲しいはずだ-東京と外務省首脳はそう判断し、東郷にドイツ政府に対して満洲国承認への働きかけを求めた。


 防共協定に否定的なことで知られる東郷は、日本国内の根強い反ドイツ感情を説明しながら「ドイツ側から積極的に満洲を承認するとあれば、風向きは変わってくるかもしれない」とドイツを説得した。


 ドイツにとっては親国民政府路線との完全な決別であり、大陸における日本の主導権をドイツ政府が認めたことを意味する。一方で日本には外交的なリスクは無きに等しい。


 日本に一方的に有利な内容にも拘らず「総統閣下の御威光を軍と外務省に再確認させる意味合いもあります」と東郷が説くと、ハイドリヒはにやりと笑ってこれに協力することを約束した。


「しかし大使、貴方もずるい人だ。総統閣下を利用しようとする人物は多いが、貴方ほど上手にやってのけた人間はいないと私が保証しましょう」

「それは光栄ですな」


 まったく嬉しさの感じられない口調で、東郷は自分も溶けたガラスの残る窓跡から議事堂の中を覗き込んだ。


 黒こげた石畳の間からは雑草が生い茂っている。5年前、この議事堂は業火に包まれて全焼した。1933年の3月に総選挙を終えたばかりのヒトラー政権は、放火事件を共産主義者の犯行と断定。選挙で躍進した共産党を(前科は掃いて捨てるほどあったが)捜査もせず法的根拠もないままに弾圧した。


 そして臨時国会議事堂に選ばれたクロル・オペラハウスにおいて、新内閣は全権委任法を成立させる。


 647議席中、出席した議員は535人。112人は『病気』・『逮捕』・『逃亡』により欠席。臨時国会議場周辺には『警護』のため親衛隊がピケ・ラインを張り、廊下には突撃隊員が立ち並ぶなか、敗戦の中で生まれたワイマールドイツの民主主義は死んだ。


 東郷の目には、焼け落ちた議事堂はドイツの議会制民主主義の墓標のように思えて仕方がない。


 だからこそ、ナチスがあえてこの廃墟を放置したままにしておく理由がわからなかった。


「……しかし、何ゆえ議事堂をこのまま放置しているのですかな。治安の観点からも美観の面からも、首都の中心に廃墟を残しておく理由がわかりません。シューペア卿ならばさっさと取り壊して再開発すべきと言い出しそうなものを」

「大使ともあろうお方がお解かりになられないとは……これはね、民主主義者への警告なのですよ」


 この若者と話していると驚かされてばかりだなと、東郷は中を覗きこむのをやめて振り返った。無論、肯定的な意味ではない。ハイドリヒは瓦礫に腰掛ながら、ガラスが解けて固まったと思われるものを手にして、日にかざしている。


「先の大戦以来、ドイツには失望と失意、失業が溢れていました。解決するべき政府や内閣は毎年のように変わり、政党はそれぞれの行動部隊が街中で乱闘する始末。警察は無力で、軍は傍観するばかりで役にも立たない。毎年、旧連合国から莫大な賠償金を請求され、領土は諸外国に蹂躙され続けていました。都市には失業者があふれ、農村部では耕す人すらいない……その時代の象徴が、この議事堂なのですよ」


 つまり今の政権はドイツ国民に問いかけている。あの時代に戻りたくなければ、自分達を支持しろと。議事堂を再建することもなく、臨時議事堂を使い続けているのもその一環だとハイドリヒは言う。


 確かに当時のドイツを取り巻いていた国際環境は厳しいが、単にドイツの被害者としての側面ばかりを強調するのは東郷には違和感があった。


 東郷の内心の葛藤を知ったことではないといわんばかりに、ハイドリヒはガラスの玉を放り投げると、瓦礫からひょいっと飛び降りた。どこか子供っぽい仕草ではあるが、だからこそ東郷は生理的な嫌悪感が先に立った。


「そういえば大使。今年の党大会のスローガンが決まりましたよ」

「そうですか。昨年が労働、その前が名誉の時代でしたか……で、今年は何です」


 まったく興味がなさそうに尋ねる東郷に、ハイドリヒは笑いながら答えた。


「記念すべき第10回党大会のスローガンは『大ドイツ』です-偉大なるドイツが再び復活したことを、全世界に証明して見せますよ」


・なんで林さんは連絡班の存在を知ってたんだろうね(棒読み)

・ハルに「貴方のような部下がいれば」と言わしめた岩畔豪雄。ペーパーをまとめるのが異常に上手かったらしい。日米諒解案を事実上纏め上げた人。このタイミングで松岡がごねてなきゃ、間違いなく日米開戦は避けられてたかもしれないレベルの完成度。何でも出来たスーパーマンだけど何か残したのかというと…まあそんなこといったら全員そうなるけど

・偽札作りとかさ、なんかこう大陸色の強い軍人さんの諜報活動とか謀略って、あっちの色が強いんですよね。いやね、国民政府や共産党への対抗上やむをえないのわかるんだけどさ。

・スパイに米国政府が1から10まで動かされていたとは思えないけど、重要政策に関してスパイの影響がまったくなかったとはいえないあたりが難しいところ。日中戦争泥沼化させた近衛内閣の尾崎秀実とか。悪いのは近衛なんだけど、尾崎の影響がないとは言い切れない。その点が共産圏のスパイの恐ろしいところかもしれない。

・松岡さんは無職になりました。

・松岡さんは無職になりました。大事なことなので2回書きました。

・十河さん。地味に満州事変拡大支持派。史実でも林内閣組閣参謀。

・東郷さんとハイドリヒ君(3回目)。なんなんでしょうね。書きやすいんですよね、この二人。

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