軍人会館での林銑十郎祝辞(1937年4月3日)/ 嵯峨浩未公開書簡 / 連合王国 ウェールズ カーナーヴォン城 / アメリカ合衆国 ワシントンDC(特別市)国務省 長官執務室(1938年4月)
『愛する人と一緒に暮らすには一つの秘訣がいる。すなわち相手を変えようとしないことだ』
ジャック・シャルドンヌ(1884-1968)
人生には三つの坂があるといいます。のぼり坂、くだり坂 そして「まさか」(笑い声多数)…
のぼり坂を共にすることは容易であるとされます。目的地が明確であり、自分達がどこまで到達したかわかり易い。くだり坂、これは困難であるとされます。「登るよりも降りるのが難しい」のは木登りだけではありません。ただどちらにも相応のリスクは伴います。
この5年間、日本政府と満洲政府は国際社会の逆風と荒波を手を取り合いながら乗り越えてきました。築き上げた強い信頼関係があれば「まさか」。これも乗り越えることが出来ると、私は確信しております。
本日このようなる栄えある挙式に参加出来ましたことは、この林銑十郎。一生の誉れであります。日満両国と新郎新婦の栄えある未来を示すかのように、本日はすばらしい晴天に恵まれました。今後100年、200年と続くであろう両国の関係の礎となり、東亜の平和と繁栄が続くことを祈念致しまして、私の挨拶と代えさせていただきます。
醇親王継嗣殿下、嵯峨浩さん。御二人の未来に…………失礼。御二人の未来に幸あらんことを……切に願います。
- 昭和12年(1937年)4月3日 東京の軍人会館で開かれた愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の結婚式における林銑十郎内閣総理大臣の祝辞(レコード録音版) -
*
- とうとうあきらめて、私は死んだつもりで国の為に結婚しなければならなくなりましたの -
(1月21日)
- 本当に、もっともっと平凡な結婚がしたうございました -
(1月24日)
- 御国の為になることなら私はどうなろうと満足でございます(中略)…決心と覚悟がつきました -
(2月9日)
- 嵯峨浩未公開書簡より(結婚直前に友人に当てたものとされる) -
*
林銑十郎総理(陸相と外相を兼任)が宇垣一成(元陸相・前朝鮮総督)を駐英大使に抜擢した人事は、政界において大きな波紋を呼んだ。
当たり前ではあるが最も反発したのは、重要ポストを外様に奪われた外務省である。日英同盟は解消されたとはいえ、日英同盟の重要性は依然として変わらない。宇垣のワンマン体質に対する懸念に加え、外交官試験も通っていない素人に大使が務まるのかという、懸念と侮蔑混じりの批判がぶつけられた。
一方で陸軍からすれば「あわよくば陸軍の指定ポストにしたい」と考えてもおかしくはないが、その反応は驚くほど冷ややかなものであった。
宇垣は長州閥を相続して陸軍において宇垣閥を形成。憲政会-民政党政権で陸相を6度務め、軍縮と軍の近代化に辣腕を振るった重鎮だが、陸軍内部の評判は極めて悪い。現役のポストを減らされたのだから当たり前なのだが、組織の裏も表も知り尽くした実力派OBに帰ってこられては現役が好き勝手出来ないという考えもあったと思われる。
最も宇垣自身にも瑕疵がないわけではない。
この男は昭和6年(1931年)の3月事件なる陸軍首脳と民間右翼が手を結んだクーデター事件の首謀者である……とみられているが確たる証拠はない。このあたりが彼の処世術なのだろうが、直前までお墨付きを与えておきながら、浜口雄幸の後任の民政党総裁のポストが囁かれ始めると「何だそれは!」と激怒して手を引いたとされる。
この事件を契機に、宇垣は軍内部の信望を決定的に喪失した。
荒木陸相時代に旧宇垣派は古い陸軍の象徴として弾圧され、陸軍から一掃。にもかかわらず親分の宇垣は朝鮮総督として漢城にあり、日本国内の政局から一定の距離を置きながら、虎視眈々と首相の地位を狙い続けた。
これでは「宇垣の現役復帰など絶対に許さないし、首相になったら陸軍大臣など出さん!」という陸軍省幹部の考えも、あながち組織防衛ばかりとも言えない。
2・26事件で岡田内閣が総辞職し広田外相が大命を辞退した後、元老の西園寺公望は当然ながら宇垣も総理候補として検討した。朝鮮総督は初代の寺内正毅以来、首相候補に経験を積ませるための意味合いもあったからだ。ところが宇垣の辣腕は評価しても「クーデター事件のあとに、かつてクーデターの首謀者であった人物を担ぐのはいかにも」という声が陸軍だけではなく、3月事件の経緯を知る宮中からも噴出したために候補者から消えた。
繰り上がりで出てきたのが2・26事件鎮圧の最強硬派であった林銑十郎元陸相である。
全盛期の宇垣からすれば年次がかけ離れた林など、歯牙にもかけない存在であった。ところが越境将軍の知名度により陸相となると、いささか頼りないながらも権勢を振るった真崎派を粛清。2・26事件の迅速な行動により、瞬く間に総理へと上り詰めた。
後輩に追い抜かされたとはいえ、この精力と気力が顔中にみなぎったような岡山の男は総理の地位につくことを全く諦めていなかった。
ではその宇垣が何ゆえ駐英大使を引き受けたかといえば
「ほとぼりが冷めるまでロンドンでおとなしくしていてください」と、林が言ったとか言わないとか。
「朝鮮総督でいるよりも遠い欧州にいたほうが国内で宇垣待望論が高まります」と、かつて自分の部下であった阿部信行が進言したとかしていないとか。
3月事件(当時は民政党浜口内閣)に関与したことが民政党に発覚した結果、宇垣擁立論が急速にしぼんでいったのを見て、見切りをつけたとかつけていないとか。
どうせ林内閣はすぐに潰れるという考えから、少しでも日本から離れたところで海外の人脈作りに奔走していたとか、していないとか。
総理秘書官に貴族院における宇垣派である溝口伯爵(退役陸軍少将)が就任したことから、いざとなれば直ぐにでも帰国すればよいと考えたとか、考えていないとか。
まぁ、こんなところであるらしい。
「何をするのかわからないのも困りますが、何がしたいか丸分かりというのも困ったものですよ」と林が斎藤実(内大臣)に零したという話もあるらしいが、誰のことを念頭に置いていたのかは不明である。
それはともかく駐英大使としての宇垣一成の働きは総理候補者を自認するだけあり、辛口の評論でしられる清沢洌が「満点以上」と評しただけのものがあった。
普通の職業外交官であれば本国の意向を踏まえた上で、どうしても失点をしないように慎重になるものだ。
ところが点数を稼いで再び返り咲きたいという野心みなぎる宇垣は、全く躊躇せずにグイグイとロンドン政界に食い込み、半ば私見混じりの日本政府の考えや外交方針などを主張して回った。宇垣と親交のあったチェンバレン首相が「大使だと思ったら日本刀のセールスマンだった」と、その回顧録に書いているほどである。
そして宇垣本人も大使としての職務と職責を必要以上に果たしながら、ロンドンにおける大使生活を満喫していた。
日英接近に潜在的な警戒感のある駐英アメリカ大使とも友好関係を築き、支那大陸における日英協商路線に一定のめどを付けた。細かい交渉は自分の手に余るし、あとは本国の最終決定を待つばかり。情報収集や分析は駐在武官に任せて、宇垣は小うるさいハエのような日本の新聞社の目が届かないこともあり、イギリスの新聞社に必要以上のリップサービスをすることで、あちこちの社交場で引っ張りだことなっていた。今やロンドン社交界におけるちょっとした顔役である。
もっとも何処へ行っても代わり映えのしない食事には閉口していたが。
*
何枚も重ね着をしたコートの襟を両手で体の中心に引っ張りながら、宇垣は吹き荒ぶ強風に堪えきれないといったように叫んだ。
『流石に満洲や北部朝鮮ほどではないとはいえ、寒さが身に堪えますな!』
4月を迎えたというのにウェールズは薄暗い厚い雲に覆われている。まだ雪こそ見えないが、乾いた寒さが骨の芯まで響くようだ。
デビット・ロイド・ジョージ元首相の招待を受けた宇垣は、ウェールズのカーナーヴォンにある彼の別邸で休暇を過ごしていた。
ロンドンにおいて様々な人脈を築いた宇垣が個人的に最も意気投合したのが、このウェールズ人の元首相であったことは驚くに値しない。方や陸軍大学校を卒業したエリート軍人、方や小卒から苦学して弁護士になり、政治家になったという対照的な経歴ではあったが、ワンマンな政治手法やアクの強い一匹狼的な体質は極めて似通っていた。
ロイド・ジョージの別宅の窓からは、かつてイングランド王がウェールズを支配する拠点としたカーナーヴォン城を見渡すことが出来た。その絶景を褒めたところ屋敷の主から「案内をしましょう」という提案を受け、宇垣は多少の後悔を覚えながらも古城を散策していた。
この地にあった最後のウェールズ大公はエドワード1世の投降勧告を断り、騎士として戦い自身の誇りに殉じた。以降ウェールズはイングランドの支配を受けるようになったのだとロイド・ジョージは語った。
「イングランド人はウェールズ人を支配していたつもりだった。ところがいつの間にか支配されていた。おまけにウェールズ人に国まで救われたのです。出来の悪い脚本家でも、こんな荒唐無稽なあらすじは書かないでしょうな」
欧州大戦の後半に挙国戦時内閣を率いて戦った元首相らしい皮肉に、宇垣は石畳をステッキで突きながら笑い声を上げた。
伝説によればエドワード1世はカーナーヴォンで生まれた自分の息子(後のエドワード2世)をウェールズの有力者に披露した際に『ウェールズで生まれ、英語を話さない王子である』と宣言し、その統治の正当性をアピールしたという。
「これが今に続く『プリンス・オブ・ウェールズ』の始まりとされている。イングランド人は同化に成功したと考えているようだが根っこの所ではな」
ロイド・ジョージは彼の内面からにじみ出てくる反骨精神を、真面目腐った表情で取り繕いながら続けた。
「無論、我々はユニオンジャックと国王陛下を戴く連合王国の民である。それでもやはり我々はウェールズ人なのだよ」
『難しいですなあ。難しいのでなんとも私には答えようがありませんな』
「人の血はみな赤い。ゆえに平等だとコミュニストは言うが、血の記憶というものはあるのだ。歴史、文化、慣習……普段は血の色を意識しないように、記憶があることすら忘れている。しかし一度血を流すような事態が起これば、流れる血の色を見てしまえば記憶は目覚める」
「これを無視するからコミュニストはいつも失敗する」と大英帝国の元首相は語る。
『成功しているところもあるようですがね』
雄弁と多弁の境界線の上で往来を繰り返す宇垣は、余計な事とは知りながらもこれに応じた。ロイド・ジョージは大使の言葉に、自分とウェールズ人に対する皮肉が含まれていないかを確かめるような鋭い視線を向けたが、すぐに一緒に笑って答えた。
「成功の定義によるだろうが、何れ彼らはスラブの血の記憶に滅ぼされるだろう。10年後か、100年後かはわからないが」
ボーア戦争を始め保守党の植民地政策を舌鋒鋭く批判し続け、首相として多大な政治的犠牲を払いながらもアイルランドの独立を認めた老人のいう「血の記憶」には、宇垣も感じるものがあったらしい。あるいは朝鮮総督経験者として、暗に朝鮮半島政策を揶揄されていると感じたのかもしれない。
外見的に似ていたとしても朝鮮人と日本人の血の記憶が異なる以上、完全に同化することはない。だが現状で無理に切り離せばどうなるか。
『難しいですな。しかし閣下。貴国の場合で考えてみてください。インドやエジプトを切り離せば、貴国は持ちますか?』
「大きくなった子供を養い続ける動物などいない。遅いか早いか。それだけのこと。ましてや結婚ともなれば……」
そしてリトル・イングランド(小イギリス)こそ大英帝国の目指す道であるとするウェールズ人には、この例えは響かない。
「そう言えば、満洲のエンペラーの弟に王女が生まれたと聞きましたが」
『えぇ、それは可愛い子だそうで!』
宇垣は再びステッキで石畳を突くと、声を上げた。
満洲の帝室はかつての清王朝の最後の皇帝をトップとして建国された。だが愛新覚羅氏全体がこれに賛同したわけではなく、例えば皇帝の実父である醇親王は満洲国政府とは距離を置き、北平での生活を続けていた。そのため皇帝を支える皇族の拡大が急務とされていた。
満洲皇帝には嫡子がないため、現段階では後継者は弟の醇親王継嗣-愛新覚羅溥傑である。
日本は溥傑の取り込みを図るために、日本の皇室にも繋がる嵯峨侯爵家の長女を嫁がせ、日満一体を演出した。明らかな政略結婚とはいえ夫婦仲は良好だという知らせは、宇垣も含めた日本の政府首脳を安堵させていた。王子でなかったことは確かに残念ではあったが、日本人の血を引く皇族が誕生した政治的価値は測り知れない。
「ミスター・ウガキ。水を指すようだが、昔から結婚は簡単だが、離婚は難しいと相場は決まっているものだ。人が離婚する原因のひとつは、贈り物の種が尽きるからだとも言うではないか」
『閣下。貴方は本当に無粋ですな!』
これには面の皮が厚いとされる宇垣も憮然とした表情で反論した。しかしロイド・ジョージは「それは褒め言葉として受け取っておくよ大使」と受け流す。
「とはいえ日本はいつまで満洲に『気前のいい』贈り物が出来るのかね」
一瞬、宇垣は言葉を詰まらせる。
正直なところ今の日本は朝鮮半島ですら持て余している。朝鮮米の輸出(移動)に関して本土における米価の下落を防ぐために農業団体が農林省へ押しかけるのは、もはや予算編成前の風物詩となっている。今はともかく将来的にはこれに満洲の優遇措置も加わることになる。
当然ながら本土からは同じように不満が出るだろう。それをいつまで安全保障上の理由で納得させられるか。
いや、いつまで本土の有権者と納税者が我慢出来るかだ。
「日本人は真面目なのだな。植民地などレモンの種を絞るように利益だけ収奪すれば安上がりなものを」
珍しく黙り込む日本の大使に、ロイド・ジョージは意図的に揶揄するような口調で問題を単純化してみせた。
『朝鮮半島も台湾も日本の近くですからな。放置しておけば海外に取られかねません。治安を安定させようとすれば交通インフラや公衆衛生の整備は必要。イングランド島から遠く離れたインドのようにはいきませんよ。近隣を支配することの難しさは貴方がアイルランドで経験されたことでしょう』
「これはしたり!」
今度はロイド・ジョージが茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせた。
『若い女子ならともかく、気色悪いだけですな!』
「大使、年寄りはいたわるものだよ」
『閣下は私と5歳しか変わらんでしょうが!』
気の知れた長い友人のような会話を交わしながら、2人は70を超えた老人とは思えない足取りで城の中を歩いていく。たまに視線のあちらこちらに写る人影は警護の警官だ。会話の聞こえない距離にいるはずなのだが、宇垣の声は大きいのでどこまで意味があるのかはわからない。
2人は歩くスピードを緩めずに、黒塔の中を抜けて城内の広場に出た。「今出たのが黒塔、あちらがチェンバレインズ塔、そして鷲の塔-」ロイド・ジョージが再び解説を始める。
「これらを取り囲む城壁は、コンスタンティノープル城壁を参考にしたと伝わる」
『コンスタンティノープル城壁ですと?今はトルコ領の?』
「エドワード1世は十字軍に参加している。その時に見たものを参考にしたのだろう」
『ここにも東洋と西洋のつながりがあるわけですな』
宇垣は素直に感嘆の声を上げた。
ロイド・ジョージはしばらくステッキを手持ち無沙汰に回していたが、宇垣の視線に気がつくと照れくさそうに笑いながら宇垣を広場の隅のベンチへと誘った。老人らしく関節の動きのぎこちなさを見せながらも、着膨れた宇垣が自分と同じように座るのを確認してから、元首相は話題を変えた。
「今のジャパンの首相は、大使の後輩と聞きましたが」
『ええ!私よりもはるかに年次も経験も下ですな!あれはあれでよくやっているとは思いますが!私のほうがうまくやる自信があります!』
そういって胸を叩く宇垣に思わず笑い返したロイド・ジョージであったが、表情を改める。
「自分の間違いを認めるようで御恥ずかしい限りだが……」
雄弁家とされる老人らしからぬ逡巡を見せていた元首相は、それでも言葉を選びながら慎重に切り出した。
「ウィストン君(チャーチル元蔵相)の言うことが正しかった」
『欧州情勢ですか』
「彼は致命的なミスも多いが、真贋を見抜く目がある」
「オーストリー・ハンガリー二重帝国の解体に真正面から反対したのは、私の知る限りでは彼だけだ」と、ロイド・ジョージは独白した。実際、帝国解体後の中欧や東欧はパンドラの箱を開けたように民族問題が各地で噴出している。
「実を言うと私も帝政が解体された以上、あまりドイツを追い詰めるのは得策ではないと考えていたのだが」
『……レモンの種が軋むまで絞れと演説されていた記憶があるのですが』
「ミスター・ウガキ。国民の期待に応えてこそ、言われる前に実行してこその政治家だよ」
「そうでなければ長続きしないからね」と、ロイド・ジョージは自分が大衆に媚びた事を恥じるでもなく語って見せた。
このウェールズ人が挙国戦時内閣を率いたイギリスが帝政ドイツと二重帝国を崩壊させてから、今年でちょうど20年である。フランス軍のフォッシュ元帥が「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」と批判したヴェルサイユ条約調印は1919年。つまり来年がちょうど20年目だ。
「当時の国民感情を考えれば、当時の私が何を言っても無駄だったろう。かのウェリントン公爵も負け戦の次に困るのは勝ち戦と言っていたが……犠牲を払い負担に耐えた自国民の感情や国益を優先するのは、指導者として当然のことだ」
『ポーランドやチェコスロバキアなどは……』
宇垣はロイド・ジョージの発言に対する直接的な賛否を避けた。
『彼らにすれば酷かもしれませんが、独立戦争に勝利したわけではありません。連合国に与えられた自主自立です。独立がゴールではなくスタートとなった面もありますな』
「ポーランドなどはソビエトに戦争をふっかける始末。まるで狂犬だ」
「つまり離婚が難しいのはここなのだよ」とロイド・ジョージは持論に絡めて続けた。
「今日から別の国と線を引いたところで、国民が納得するわけではない。悪戯に民族意識を高め、多数と少数民族の対立に繋がる結果となった。旧二重帝国全体ではともかく、これまでの支配者だったドイツ人は新たな独立国家では少数派に落ちぶれた。皇帝を失ったオーストリーがドイツと合併したのも無理はない……だからといって二重帝国を存続させるプランが立てれたとも思えんが」
『やはりドイツの次の狙いはズデーデンでしょうか?』
「それはダウニング街10番(首相官邸)の住人である貴方の友人のほうが詳しいだろう」
探るような視線を向ける宇垣に、ロイド・ジョージは考える顔つきで続ける。
大戦後に独立したチェコスロバキア共和国は内陸国であり、北にポーランドとドイツ、南にハンガリー王国、東にルーマニア王国、そして西はちょうとドイツの東のわき腹を突き刺さるような形となっている。そしてチェコスロバキアはルーマニアを除いた3カ国と領土紛争を抱えていた。
そしてアンシュルスを成し遂げたドイツの視線は、明らかにズデーデン地方へと向けられていた。
「言い訳するわけではないが」と、当時の国境線をひいたイギリス全権がその理由を述べる。
「そんなに短期間で、綺麗に誰もが納得できる線引きが出来るわけがないのだ。何百年と同じ国で同じ皇帝陛下を戴いてきたのだから。誰かに泣いてもらってでも、乱暴にでも線を引かねばどうにもならない。各勢力の意見を聞いていては、いつまでたっても会議は終わらなかっただろうよ。ハンガリーや南ドイツでは共産主義者が暴れまわっていたというのに」
『閣下、失礼ながら講和会議を主導されたのは貴方ではありませんか。それに一度決まった離婚協議を再度蒸し返しては』
「……満洲で国境線を蒸し返された貴国が言うと、大変説得力がある」
この牽制に宇垣は鼻白んだ。
チェコスロバキアの主な国民は多数派のチェク人とスロバキア人。そして人口の3割近くを占めるドイツ人である。かつての支配者階級と同じ民族が、一転して少数派となった構図がここでも誕生した。
それも国土の全体に分散しているのならともかく、その多くがズデーデン地方にまとまって居住していることが話をややこしくした。
ドイツの東の柔らかい脇腹に刺さったようなチェコスロバキアの国土だが、ドイツ系住民の多数居住するズデーデン地方は、ちょうどドイツに刺さったチェコスロバキアの領土を覆いかぶさるかのような形で広がる。国内では少数派でも、国外を入れれば圧倒的な多数派。この内陸国チェコスロバキア政府の恐怖感は、北アイルランド問題を抱えるロイド・ジョージを始めとしたイギリス人にはよく理解出来た。
「この恐怖は経験したものでないとわからない。北アイルランドだけなら親イングランド派のプロテスタントが多数だが、アイルランド全体を合わせると圧倒的な少数派になる。だからといってズデーデンにおけるドイツ語教育禁止といった一連の諸政策が正当化されるわけではないが」
『しかしすでにサン=ジェルマン条約に反して、ひとつの独立国家が消えてしまいました。同じ条約で独立と領土の範囲が確定されたチェコスロバキアが、警戒するのも当然でしょうな……たしかドイツの外務省はズデーデンにおけるドイツ人抑圧政策は、民族自決に反すると宣言しているようですが』
宇垣がパリ講和会議の当事者としての見解を尋ねると、ロイド・ジョージは「条約の条文や精神のつまみ食いでしかない」と、ドイツの声明を切って捨てた。
「そんなことを認めてみろ。旧二重帝国領であったすべての国境線の引きなおしだ。敗戦国が戦争もせずに戦勝国の体制を否定するなど、聴いたことがない」
『ではドイツは戦争も辞さない覚悟で、先の宣言を発表したと』
「そればかりは総統の胸三寸だろう。ドイツがプラハに要求を突きつければ、当然ポーランドやハンガリーも領土を要求するだろう。そしてチェコスロバキアはソ連やフランスと軍事協商関係を結んでいる」
「第2次欧州大戦をする覚悟があるかと足元を見ている」とロイド・ジョージはひどく冷めた声で呟いた。
『チェンバレン首相は第2次大戦は大英帝国の終わりになると考えておられるようですが』
「遅いか早いかでしかない。植民地など英国経済に何の影響もないお荷物だ。合法権益だけ確保すれば、後は独立なり何なりさせればよいのだ」
リトル・イングランド(小イギリス)主義者のロイド・ジョージらしい物言いに宇垣は苦笑したが、さすがに次の発言は笑って見過ごせなかった。
「とにかく貴国が満洲でやったように線引きを変えるわけにも行かないし、許すわけには行かないのだよ」
『閣下、何度も申し上げておりますように、日本としては……』
「ミスターウガキ。私は今、日本の判断を批判しているわけではない」
今の満洲の国際的地位を確立するために日本が先の大戦で得た外交的地位を擲った事実、そして現在でも莫大な政治的コストを支払い続けている点を指摘しつつ、ロイド・ジョージは言う。
「私が指摘したいのは、現状を否定するか変えるには、それに倍する労力と時間が必要だという事実だ」
『アドルフ氏は、その力を持ち合わせておりますか』
「無論」
ロイドジョージはステッキで地面を小刻みに叩きながら、短く断言した。
大英帝国を偉大なる勝利に導いたこの英雄は、ワンマン体質と脇の甘さが災いして政権を追われた。結果、自分の所属した自由党の分裂と労働党の勃興。そして現在に至る保守党一強時代をもたらすことになる。
しかしそれにめげることなくロイドジョージは斜陽の自由党党首として、世界恐慌に際して様々な提案を行った。根っからの自由貿易主義者である彼はブロック経済に反対。政府支出を拡大することで失業対策に取り組むことを主張した。結局、老人は自由党も統一の障害になるとして追われ、政界の孤児へと戻った。
おりしも英仏海峡を隔てた大陸では、かつての敗戦国において政権を奪取した国家社会主義労働者党が、自身の訴えた政策と酷似した公共事業の拡大と失業者対策により経済の再生に成功していた。大戦中の対ドイツ最強硬派であったウェールズ人が親ドイツ派に転向したことは驚きを持って受け止められたが、彼としてはそれはごく自然なことであった。
ひょっとするとヒトラーの成功を、復権出来なかった自らのありえた姿と重ね合わせていたのかもしれない。
「ドイツの現政権は経済政策において正しい政策をとっている。失業者は消え、方法はともかく敵対者も消えた」
宇垣はかねてから疑問に思っていたことを尋ねた。
『閣下は2年前の党大会に招待され、総統と会われたそうですな』
伍長から敗戦後のドイツにおいて最高権力者に上り詰め、いまや欧州情勢を左右する人物とはいかなる男か。
「指導者になるには後天的な努力と共に素質も必要だ」
ロイド・ジョージは眉間に皺を寄せる。
「……しかし世の中にはいるものだよ。生まれながらの指導者となるべき者はな」
世評で言われるようにナチスの党大会の演出は確かに過剰なまでに洗練されてはいた。しかしそれだけでは人は動かない。主演が大根役者では舞台装置は何の意味もない。その点、ヒトラーは舞台装置や演出を最大限に活かせる天才的な役者であることは間違いないとロイド・ジョージは自分の所見を語った。
『例えば閣下も、生まれながらの指導者たる素質のある一人でしょうか』
「それが後天的な努力によるものか、あるいは先天的なものかは、この問題の本質ではない」
『では問題の本質とは』
「台本の筋書きを誰も知らないことだな」
ロイド・ジョージとしてはドイツが再び地獄に落ちようが、知ったことではない。
だが大戦後の世界秩序を-自分の政治的な遺産を否定するとなれば、話は異なる。
「素質。素質など大した問題ではないのだよミスター・ウガキ。自分が何者になりたいのかという明確な目標と、そこに到達するまでの工程表。研鑽と努力を続けるだけの気力と体力だ。それさえ出来れば、たいていの人間は成功する」
「そう、ウェールズの小卒でも大英帝国の宰相になれたようにな」とロイド・ジョージは言うと、ステッキを持つ手に力を込めた。
自由党を追放され元の政界の一匹狼へと戻った老人の体に、カーナヴォンの寒風が容赦なく吹き付ける。しかし老人は全く寒さを感じてはいなかった。ニューリベラリズムの旗の下、古びた帝国主義にしがみついた保守党政権と戦った若い頃の血が、久しぶりに沸き立つのを感じる。
過去の遺物が、唯々諾々と退場すると思ったら大違いであるという事を、あの『オーストリー人』に思い知らせてやる必要があるのではないか。
「私の見るところヒトラー総統はイングランド人の賢明さは知っていたが、ウェールズ人のしつこさについてはご存知なかったようだ」
「私が今、ロンドンで何と呼ばれているか知ってるかね」
宇垣は彼にしては珍しく一瞬躊躇しながらも、そのあだ名を口にした。
『失礼ながら、政界の一匹狼とか』
「その通りである。私は見てのとおりのはぐれ狼。年を重ねて牙が抜け落ち、目も見えない。物忘れはするし、毛も抜ける。耳も遠くなってきた……だがね。ミスター・ウガキ」
老いたりとはいえ、人の本質は簡単に変わらない。それは宇垣にも覚えがあった。
「私は狼としての本質は忘れたことはないつもりだよ」
『……どうやら、そのようですな』
ウェールズの老狼が見せた闘志に、宇垣一成は彼にしては珍しく神妙な表情で頷いた。
*
- 国際法により定められた宣戦の布告も警告もなく、つまり全く正当な理由もないままに婦女子をふくむ一般市民が、空中からの爆弾によって仮借なく殺戮されている戦慄すべき状態があります。このような好戦的な傾向が次第に他国に蔓延する恐れがあります -
- 世界の9割の人々の平和と自由、そして安全が、全ての国際的な秩序と法を破壊しようとしている残り1割の人々によって脅かされようとしているのです……世界に無秩序という疫病が広がろうとしています。これは不幸なことです。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は疫病の流行から、共同体の健康を守るために病人を『隔離』することを認めています -
- 1937年10月5日 シカゴでの大統領演説。通称『隔離演説』 -
(特定国の名前は出さなかった。空爆批判は国民政府軍の上海租界爆撃、スペイン内戦におけるゲルニカ爆撃、エチオピア戦争における毒ガス兵器の使用を念頭に置いたものとされる)
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- ウォレス農務長官、再び大統領批判か -
ヘンリー・ウォレス農務長官は10日、全米トウモロコシ協会のアイオワ州支部における演説で、先のルーズヴェルト大統領の日華戦争仲介を再び批判した。
ウォレス長官は「大統領の政策のほぼすべてを支持しているが、今回の日中仲介は受け入れられない」と改めて宣言。大統領と国務省の対応を批判した。長官は「満洲事件を見れば日本の大陸への侵略の意図は明らかであり、上海における国民政府軍の行動は正当防衛である」と主張。上海空爆における国際共同租界への被害は「日本の海兵隊が租界を盾にしたからだ」と日本を批判した。
その上で長官は「軍国主義の日本の肩を持つ今回のホワイトハウスおよび国務省の行動は、国際社会における大統領の信頼と、アメリカの中立性への疑念を呼び起こしかねない」と述べた。
- 東西新聞の国際欄(4月10日) -
*
- (中略)日華両政府の指導者の決断と勇気に、私は深い敬愛の念を覚えました。ここホワイトハウスに隣接するビルにおいて、両国の全権は堅い握手を交わしました。これにより極東亜細亜に平和が訪れたわけであります。たとえ昨日まで戦火を交わした相手とも、手を取り合うことが出来る。「友人にはなれなくとも、一緒に仕事をすることは出来るのです」と日本の大使は語りました。
アメリカと日本、日本とチャイナは考え方も政治体制も異なります。しかし未来に向けて共に話し合うことは出来る。私は混迷する国際情勢の中での希望を、そこに見ました -
- アメリカ合衆国大統領ラジオ演説放送『炉辺談話』(1938年4月11日) -
*
「……あの頭がスカスカのビックアップル野郎が!心にもないことをペラペラと、反吐が出るわ!おいっ、誰か痰壷もってこい!」
- 4月11日の炉辺談話を聞いた『サボテン・ジャック』の独り言 -
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ワシントンDCの国務省長官執務室で、コーデル・ハルは底意地の悪い笑みを浮かべた。
「またヘンリー(ウォレス農務長官)と大統領閣下が一戦交えたそうだね。あいにく私は出張中だったから。いやぁ、見てみたかったよ」
「笑い事ではありません」
閣内最年長の重鎮の発言に、ヘンリー・モーゲンソウ財務長官が頭を撫でながら渋い表情をした。
「彼のスタンスとして日中の仲介に反対するのはわかります。あそこまでヘンリーが持論に拘る理由。それがわからないのですよ」
「君もヘンリーではないか。ややこしいな」
「長官。閣議の度に胃が痛くなる身にもなってください」
モーゲンソウに対してハルは笑いながら手を振った。民主党全国委員長を務めた21歳も年長のハルからすれば、大統領夫妻の人脈から財務長官に指名されたモーゲンソウなどひよっ子扱いである。
「しかし君の言うことも最もだ」
ハルは首を傾げる。
1937年そして38年と、第32代フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領は「まったく棄てられた指導者」であった。
ニューディール政策はこれまでのアメリカ政府の伝統的な市場政策や財政政策に真っ向から反するものであり、34年には元のNY州知事でルーズヴェルトと民主党大統領候補の地位を争ったアルフレッド・スミスが、伝統的に民主党を支持していた大規模製造業や民主党保守派と共に『アメリカ自由同盟』を結成。反ニューディール政策を掲げ、36年の大統領選挙では共和党候補を支持した。選挙後も民主党保守派は共和党と共に大統領の政策を批判し続けている。
ルーズヴェルトは民主党支持層を中心に根強い人気はあるとはいえ、1938年になっても状況は好転しなかった。
2期目の重要な政治課題としていた最高裁改革に失敗。連邦準備制度理事会議長が「景気後退局面に入った可能性がある」と述べ、労働争議が各地で多発するなど、翌年の中間選挙を前に全く展望が開けていない。40年の大統領選挙はハル国務長官か、『サボテン・ジャック』ことテキサス出身の副大統領かと下馬評がささやかれ、早くもレームダック化が囁かれている始末だ。
「革新派のヘンリーからすれば、大統領の外交的得点は中間選挙に向けて願ってもない材料だと思うのですが」
「だからといって政治家としての信条や持論を曲げられないのだろう」
モーゲンソウをあしらいながらも、ハルの脳裏には葉巻をくわえた不敵な笑みを浮かべる日本の大使の言葉と態度が頭をよぎる。
上海事変の仲介を依頼してきたシゲル・ヨシダは、一定の目処がつくと「これで3選間違いなし」と似合わない御世辞を繰り返したものだ。
あの根性がひねくれた東洋人のことである。おそらく嫌味だったのだろう。
だからこそニューディール左派とも呼ばれる進歩派を中心とした反対論は、国務省を統括するハルとしても自分の功績を否定されるようで面白くはなかった。
モーゲンソウ長官も「いかにも」と同意して首をかしげる。
「財務省でも次官補や経済局の幹部の何人かが、ひどく反対しているのです。パリ不戦条約に最初に違反したのは日本ではないかと。確かに満洲ではそうです。ですが今回の上海租界空爆に関してはあきらかに国民政府軍に非があります。錦州爆撃を正当化するわけではないが、7年前の蛮行により今の悲劇を正当化するのは、どうにも釈然としないのですよ」
現政権の経済政策の重要なブレーンでもあるハリー・ホワイト財務次官補は「国際秩序の深刻な破壊につながりかねない」と仲介交渉そのものに否定的であり、大統領の「御友人」であるホプキンス外交顧問や、モーゲンソウと同じく大統領人脈で国務省上級顧問の職にあるアルジャー・ヒスも批判的であり、ハルを公然と批判していた。
しかし中間選挙を前に少しでも政治的得点を稼ぎたい大統領はこれら側近の意見を跳ね除け、ワシントンDCに日中の全権団を迎え入れ、見事に講和条約調印へとこぎつけた。
ルーズヴェルトは久々のホームランにご機嫌であり、昨年「隔離演説」をしたシカゴでの遊説で「亜細亜に平和を!世界に平和を!」と演説。観衆から大喝采を浴びた。
それ故に大統領は政権内部からの反発に、本来であれば自分のもっとも有力な支持基盤にして忠実な閣僚であるはずの農務長官や、ニューディール政策を取り仕切る実務官僚の反乱にひどくご立腹であった。現にモーへゲンソウも大統領から「省内を取り仕切れないのか」と雷を食らったばかりだ。
「平和の薔薇、か」
モーゲンソウが愚痴をこぼし続ける中、私ならこんな恥ずかしいキャッチコピーは死んでもお断りだがとハルが考えていると、執務デスクの上の電話が鳴る。
「私だ……何?私は呼んでおらんぞ。呼ぶわけがなかろう」
電話を取るや否や、ハルはそれまでの余裕交じりの態度から一転した不機嫌な声を上げる。その剣幕にモーゲンソウはコーヒーを噴出し、あわててハンカチでスーツを拭いた。
「……誰がここに通して良いといったのか?……問題になる?なるほど、国務省内部に国務長官の私ではなく彼に仕えている人間がいるとは知らなかった」
「公職に在職する者は党でも政権でもなく、国家に忠誠を誓うべきでしょうな」
そのあまりにも聞き覚えのある声に、ハルだけではなくモーゲンソウも「痰壷の中身をいきなり見せ付けられた」かのような顔を浮かべた。
「君が国家に対して、そのような殊勝な心がけで精勤に励んでいるとは初めて知ったよ」
「よくある事です。お気になさらず」
言葉とは裏腹に、その人物は右に垂れ下がった顔を吊り上げた。意志の強さを証明するかのような大きな目に太い眉。頭蓋骨そのものが大きいとしか思えない顔には、眉間の縦に筋が一筋走っている。その頭脳にいったいどれほどの情報が詰め込まれているのかは、彼しか知らない。
「私は君をここへ招待したつもりはないのだが?」
「でしょうな。私がお二方に用件がありましたので」
慇懃無礼さにかけてはシゲル・ヨシダ大使とよい勝負かもしれないが、ヨシダのような愛嬌は目の前の人物からは全く感じられない。ハルとモーゲンソウが無言でその先を促すと、彼は再び奇妙な笑みを見せた。
「悪い話ではありません。合衆国の国益に繋がり、かつ貴方達にも利益になる話をお持ちしたのですからね」
安物のスーツに身を包み、手には見せ付けるようにいくつかのファイル-『公式かつ機密』の書類を手にしたアメリカ連邦捜査局初代長官のジョン・エドガー・フーヴァーは、昆虫のような無機質な目で現政権の重要閣僚を見下ろしながら宣言した。
・流転の王妃。これだけの覚悟を23歳で…私には絶対に出来ない。腹くくった女性って強いですよね。
・デビット・ロイド・ジョージ。自由党をぶっ壊した男。小泉元首相みたいなタイプ。まあ一種の政治的怪物だけどスターリンやアドルフおじさんと違って議会制民主主義の枠内で暴れまくった人。チャーチルを子分扱いできるのは、この人ぐらいのものだろう。普通に書くだけでも相当面白い。
・ロイド・ジョージとかバルフォアとかアスキスとかチャーチルとか、英国政界は何でこんなにキャラが濃いんだろう。面白みはないけど実力者ぞろいの保守党とかさ。
・総統閣下はチェコスロバキアに怒ってます。
・いやまあね。ポーランドとかハンガリーとか馬鹿か!とは思うけどさ。実際長年続いた領土紛争解決の好機があるんなら飛びつくでしょう。国家の指導者なら。
・そもそもベルギーを道にしたドイツ軍が悪い(棒読
・でもWW1発生しなくても何らかの形で二重帝国爆発してたかもね♪
・陸続きの国って大変だなあ(人事)え?朝鮮?満州?知らない子ですね…
・モーゲンソウさん。ごろいいよね。個人的に声に出して読みたい苗字。モーゲンソウ。
・ルーズヴェルトさんは調子に乗っています。イェイ!イェイ!
・ラスボス・フーヴァー登場(白目)民主主義の怪物ってこいつのことだよな。何で誰も若い頃のことを知らないんだよ。謎なんてもんじゃねえよ。意味わかんねえよ。そんじょそこらのスパイ小説が裸足で逃げ出す本物のアレ。