フリー百科事典より「朝飯会」 / 東西新聞・東京日日新聞(国際欄)/ 東京府東京市永田町 総理官邸 大会議室 / 東京府牛込区市谷 某居酒屋(1938年3月)
『君が普段どんなものを食べているかを言って見給え。君がどんな人間であるかを言ってみせようではないか』
ブリア=サヴァラン(1755-1826)
(林内閣の項目より移動)
・朝飯会
朝食会は林銑十郎内閣における政策研究会、政治勉強会である。朝食を共にして議論が交わされたのでこの名が付けられたという。「朝飯会」とも。阿部信行内閣書記官長(再編により内閣官房長官に)が主催し、林内閣の政策に大きな影響を与えた。近衛文麿公爵の昭和研究会と人脈的に繋がる部分がある。
(概要)
元々は阿部内閣書記官長と内閣総理大臣首席秘書官の溝口直亮伯爵(退役陸軍少将・宇垣一成元陸相の側近)が、各省庁から出向した首相秘書官との交流を深めるために月曜から金曜日まで開催した朝食会である。
これに高橋是清内閣参議が加わり必要に応じて経済官僚、財界人、学者、記者が参加。1937年の春頃からは、毎週月曜日と水曜日の朝食会において現在の経済状況の分析や産業政策に関する討議を行い、官邸首脳部の共通認識を深めた。後の「高橋学校」の源流である。
また佐藤市郎海軍中将が総理補佐官(38年に新設)に就任して以降、影佐禎昭陸軍大佐(陸相秘書官)、朝海浩一郎(外相秘書官)らと、毎週火曜日に外交安全保障政策を中心に議論が行われるようになった。状況により陸海の参謀本部・軍令部や外務省から幹部が出席。日中戦争(1937年)の戦争指導は、事実上この火曜会で行われたという。そのため「裏の大本営」とも言われた。
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(写真)
日華和平条約(ワシントン条約)に調印する王寵恵外交部長と吉田茂大使。中央はルーズヴェルト米国大統領。
(写真)
王寵恵外交部長(左)と握手を交わす吉田茂大使。その光景に満面の笑みを浮かべるルーズヴェルト大統領
3月18日。2週間に及んだ会議が合意を見た。ホワイトハウスに隣接する国務・陸軍・海軍ビルの大会議室で、吉田茂駐米大使と国民政府の王寵恵外交部長はルーズヴェルト大統領立会のもとワシントン講和条約に調印。両代表は堅い握手を交わした。
満面の笑みを浮かべる吉田大使と険しい表情の王部長が実に対照的であり、どちらが勝者かを如実に証明していた。詳細はまだ発表されてはいないが、内容としてはテロ対策では日本の要求を国民政府が受け入れる形となったようである。日本が国民政府に求めていた民間レベルでの言論統制要求こそ取り下げたが、テロに関する情報共有や両国捜査機関による協力体制が盛り込まれた。
懸案である満洲国承認問題は持ち越しとなったが、国民政府が満洲における現状を受け入れ、テロ対策に取り組むと正式な文書で表明したことは前進である。仲介に尽力したルーズヴェルト大統領は「両国の不断の努力により極東亜細亜に平和がもたらされたことは、実に喜ばしいことである」と記者団に語り、会見の最後には両大使を含めて3人で堅い握手を交わした。
- 東西新聞 (3月19日) -
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- 共産党によるテロか?南京で爆発事件多数 -
13日から14日にかけて、中国国民政府の首都南京において大規模な爆発が複数発生した。現地からの報告によると行政府においても火災が発生。これまでに300人以上の死者が出ている模様である。
南京市当局からの声明はまだ発表されていないが、救援活動を指揮する南京安全区国際委員会のラーべ委員長は「何らかの勢力によるテロと思われる」とコメントを発表した。先に政権を離脱した共産党や、講和に反対する国民党左派の関与が疑われ、大陸情勢の悪化が懸念される。
- 蒋介石主席が辞意。幹部が慰留も -
南京国民政府に、再び激震が走った。汪兆銘元鉄道部長ら左派を中心にワシントン条約への反対論が根強い中、蒋介石軍事委員会主席が「対日敗戦の責任を取る」として行政院長と中央執行委員会主席の辞意を表明。林森・国民政府主席も辞意を明らかにした。
党幹部や軍首脳は両者を慰留をしているが、蒋介石氏の辞意は硬いと見られる。しかし声明では軍事委員会委員長については触れておらず、軍の実権は握り続けるとの見方もある。
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- 汪兆銘氏銃撃さる!国民政府内部における勢力争いか -
国民党臨時幹部会に出席した汪兆銘氏が銃撃された。幸いにして凶弾は氏を掠めるだけにとどまったものの、3年前の国民党六中全会の開会式銃撃事件が関係者の頭をよぎった。知日派で知られる汪氏だが、今回のワシントン条約に関しては、蒋主席が責任問題の燻る中での早期解決を図ったことに「まず辞任して責任を明確にしてから対応を協議するべきであった」と異議を唱えており、アメリカではなく事実上の同盟国であったドイツとの仲介を仰ぐべきであったと主張。上海への再攻撃を主張する張発奎第18集団軍総司令ら軍の一部もこれに同調している。
- ソ連外相が国民政府を批判 -
沈黙を保っていたソビエト政府が口を開いた。ソ連外務人民委員長マクシム・リトヴィノフ氏は28日、モスクワ市内でのイギリス記者団との会見で「南京政府の停戦受け入れは、万国プロレタリアートの平和への切なる願いに背を向け、軍国主義とファシストに屈するものである」と発言。国共合作を廃棄した蒋介石氏を厳しく批判した。
ソビエト連邦政府は大陸への影響力を強めるために共産党が参加していた国民政府に軍事支援を行っていた(内務省警保局幹部の談話)とされ、モスクワでは中国共産党への単独支援に切り替えるかどうか、責任問題も含めて激しい議論が行われている模様である。
- 南京国民政府軍事参議院院長の唐生智氏、対日戦争を続けるべきであったと主張 -
南京における軍事の最高責任者が蒋介石に反旗を翻した。唐生智氏は海外通信社との取材で「ロシアがナポレオンを撃退したように南京を焦土と化し、長沙地域を不毛地帯としてでも日本軍と戦い続けるべきであった」と主張。蒋介石氏に国民政府軍事委員会委員長の辞任を求めた。
これをうけて週明け21日の上海証券取引所では株価が暴落。中小銀行のいくつかで取り付け騒ぎが発生し、日本軍が出動する事態となった。
- 李宗仁氏、中華国民政府主席を辞退。広西省へ帰還か -
……そもそも李氏は陸栄廷将軍(1928年に死去)の桂軍(広西軍)の流れを汲む新広西派の主要指導者であり、蒋介石氏とは中原大戦で戦火を交えたこともある。仮に李氏の国民政府離脱が事実であれば、国民政府の支配領域において連鎖的に軍閥独立の動きに発展する可能性もあり、各国政府は注視している。
- 東京日日新聞(国際欄)3月20日から28日までの記事より抜粋 -
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総理官邸の大会議室には朝食会とは名ばかりの張り詰めた空気が漂っていた。
出席者に出されたコーヒーはすでに冷めきっていて飲めたものではない。楕円形の机の上にはハムとキュウリを挟んだサンドイッチが山積みされた大皿が4つばかり置かれているが、誰も手を伸ばすものはいなかった……林総理(陸相・外相兼任)と高橋是清内閣参議を除いてはだが。
「以上であります」
この重苦しい空気の発生源である影佐禎昭陸軍大佐が陰鬱な声で説明の終了を告げると、誰ともなしにため息が漏れた。影佐本人の個人的な性格以前に、報告された内容は国民政府の分裂を予想させるものばかりである。これでは何のためにアメリカの仲介を仰いでまで講和条約の調印にこぎつけたのかわかったものではない。
そのような空気が漂う中、髭についたパンくずを払いながら林銑十郎が口を開いた。
「ご苦労であった影佐大佐。諸君、国民政府の内情については聞いてもらった通りだ。一連の経過をどう評価するか。それを踏まえて日本が大陸にどのような形で関与していくか。何時ものように気になったことは何を聞いても構わないし、何を発言しても構わない。率直な議論を期待している。では阿部さん。よろしく」
「では最初に海軍の見解を伺いたい。佐藤中将」
阿部信行官房長官から指名を受けた佐藤市郎海軍中将は、困惑げに眉を寄せる。
何分初めての出席ということもあるが、首相補佐官という立場で海軍の見解を代弁することに違和感があったからだ。まして現役の陸軍大将の総理と官房長官(退役陸軍大将)はともかく、むしゃむしゃとサンドイッチを食べ続ける高橋内閣参議にいたっては完全な文民である。
どこまで話していいものか……佐藤は言葉を選びながらも、まずはそこを明確にするために朝飯会の主催者に質問をした。
「官房長官。私は総理補佐官ではありますが、海軍の意見を代表して語れるとは…」
「佐藤中将」
阿部が口を開くよりも前に、林がコーヒーカップを片手に持ちながら呼びかけた。
「貴官も知っての通り、ここは公式な場ではない。あくまで朝食会であり、その中の雑談のひとつと考えてほしい。高橋さんは確かに文民だが、表でペラペラ話すような人ではない。選挙事務所にある達磨のようなものと考えれば結構」
「総理、私は縁起物ですか」
「見た目は拝みたくなりますよ、高橋先生」
顔を見合わせて笑いあう元総理と現総理。
佐藤中将が他の出席者の様子を伺えば、内閣の大番頭である阿部官房長官は苦笑を浮かべており、書記役を務める溝口秘書官はこめかみを抑えていた。外務省の朝海浩一郎秘書官は関心なさげに書類に目を落としている。影佐大佐はといえば陰鬱な無表情で、冷めたコーヒーに口をつけていた。
どうもいつものことらしい。佐藤中将は「それでは」と立ち上がり発言を求めた。
「まずは陸軍の上海事変における迅速な対応と動員に感謝いたします。上海海軍特別陸戦隊(上陸)は少数であり、あのまま孤立が続けば全滅もありえました」
「正直、上陸の精強さは陸軍の予想していた以上でした。上海租界を背にした難しい戦いにもかかわらず。やはり前回の上海事変の戦訓ですかな」
「影佐大佐のご指摘通りです。民間人を背にした戦いは以前から検討を重ねておりました。北伐中の南京領事館事件もありましたので」
佐藤の視線の先では朝海秘書官が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
親米派の幣原元外相の批判は、外務省においてはいまだに困難であるようだ。主流派はともかく幣原を痛烈に批判するのは白鳥敏夫(休職処分中)や牛尾、栗原らの外務省革新派と呼ばれる親ドイツ派が中心である。
「幣原元外相に問題がないわけではないが、神掛かりの白鳥と同じにされたくないのです」という朝海の説明に、佐藤はおろか政策的には亜細亜モンロー主義の白鳥と近い影佐ですら頷いた。
「私が申し上げるのもなんですが外交官というのは難しい職業であるなと、改めて実感しました。国を代表して行動し折衝する。当然ながら国益を優先しなければいけませんが、日本の現在の国際的な地位と国力を客観的に考えた場合……」
朝海は顎に手を当てると、少しばかり黙してから自身の現状認識を披露した。
「日本は単独で世界と戦えるだけの実力はありませんが、その動向が世界情勢に大きな影響を与えるという意味では大国であります。亜細亜の安定、ひいては世界の平和に責任があるわけです。しかし国際主義の外交官とは、それこそ矛盾しています」
「国益を考えずにひたすら世界平和に邁進する外交官など、コミンテルンと何の違いがあるのでしょうな」
「佐藤中将は笑われますが笑い事ではありません」
朝海は自嘲するような笑みを浮かべて続けた。
「亜細亜主義、東亜主義なども似たようなものです。大亜細亜主義の外交官などありえないのです。支那と日本は文字通り国が違うのですから。明治までは大陸の王朝が亜細亜の盟主であり、日清戦争で日本がそれに取って代わりました。どちらが上か下か、延々とやり続けているわけです」
これに影佐が低い声で反論した。
「朝海秘書官は日本が亜細亜の盟主であることに、ご不満なのか」
「正直、亜細亜の盟主かどうかはどうでもよいのですよ……まぁ、最後までお聞きください。問題は支那は徹頭徹尾、自分こそが盟主にふさわしいと考えていることです。共和制になった今もそれは変わりません。それは否定されませんでしょう」
「それは確かにそうだ」
「内心でどう考えていようと、それは自由です。しかしそれを実際の外交に持込み、これまでの外交常識や国際常識に反する上下関係を国家間に持ち込もうという姿勢は、断固として粉砕せねばならない。まして正面から戦って勝てないからと、テロを煽るなど論外。今の国民政府を共産党と手切れさせる、そしてテロへの断固たる取締り。この2点では陸軍と外務省は共同歩調は取れると考えておりますが」
朝海の言葉には陸軍に対する皮肉が含まれていた。大陸における諜報活動に関与してきた影佐には、朝海の亜細亜主義への突き放した物言いに思うところがあったようだが、その2点には反対しなかった。
そして別の観点から質問を重ねた。
「しかしだ朝海秘書官。今の国民政府はテロの主体であり実行犯である。テロ活動の停止、あるいは反日宣伝の国内活動を放棄すると本気で考えているのか」
「無理でしょう。無理ですが求め続けなければいけません」
朝海はその難しさを率直に認めつつ、日本の立ち位置をより明確に説明した。
「今回はアメリカというチャイナ-支那の経済において重要な地位を占める国を証人としました。条約を廃棄する、もしくは事実上無視するかのような行動を取れば、国際市場において支那の企業は締め出されます」
「仮に再戦となった場合、原因がどちらにあるかをハッキリさせるか。その点は異論はない。しかし少々楽観的に過ぎるのではないか。大陸市場を目当てにアメリカが妥協する可能性も考えておくべきではないか」
「影佐大佐の懸念は理解出来ますが、現在の大統領は市場介入の推進や規制強化により経済界との関係が悪化しています。伝統的な民主党系の大企業の離脱の動きすらあります。これらが即座に支持率の低下につながるとは思えませんが、年末に予定されている中間選挙を考えるなら外交で稼いだ得点を失いたくはないでしょう」
「むしろ日本としてはホワイトハウスから経済界への圧力も期待出来るか」
「如何にも。また対外宣伝戦は自己主張が強烈な華人が最も得意とするところ。こちらもその努力はしなければなりませんが、先に抑えるべきところは手を打っておくべきと考えます」
重ねるように続けられた朝海の説明に影佐は目を瞑る。それを肯定と見たものか、再び佐藤が発言を求めた。
「スイス大使が連盟に再接触している件ですが」
「連盟脱退の経緯を考えると違和感を感じる国民も多いでしょうが、アメリカと同じです。国益につながるのであれば使えるものは何でも使うということです。それ以上でも以下でもありません。幸い東京・札幌の両五輪と紀元2600年記念式典を控えております。連盟への国民の反発は根強いですが、海外の要人を歓迎するという文脈で説得は出来るかと。何より対外的な人脈は多いに越した事はありませんので」
「国民政府との仲介に、連盟事務局やイギリスを選ばなかったのは何故です?」
「佐藤中将は薄々感づいておられるようですが、連盟そのものには何の力がないからです。対外的な宣伝活動や社交場としては利用出来ますが、イタリアのエチオピア侵略で制裁案を可決したのは、すべてが終わったあとでした」
イギリスは確かにアメリカと並ぶ支那の重要な商売先ではあるが、日貨排斥運動が英国系商業銀行を目的としたポンド排斥運動につながる危険性を朝海は指摘した。
「上海経済そのものが立ち直れないダメージを受ける可能性がありますな。日米貿易が日華のそれを上回り、ドル決済が主流になりつつあるとはいえ、在華紡など西日本を中心に大陸へ進出した企業もまだ多い」
朝海の発言を高橋老人が引き継いだ。同じ内容であっても朝海と高橋では自ずから説得力が違う。阿部や影佐だけでなくタイプライターを打つ溝口も頷いている。佐藤は高橋に尋ねた。
「以前から疑問だったのですが、何ゆえ日本から欧州へ、また欧州から日本へ来る貨物は上海経由なのでしょう。帆船時代ならいざ知らず、今なら最短距離で日本へ来ることも可能でしょう。上海経由では遠回りな航路もあると思うのですが」
「種を明かせば簡単なのですがね。上海は支那であって支那ではない。租界をもつ国の法が完全に適用されるわけでもない。故に規制らしい規制が何もないというわけです。為替も関税もほとんど無税状態。あえて遠回りをしてでも、十分にお釣りが帰ってくるという算段ですな。例えば海軍が日本海海戦でお世話になったという上海の三井物産支店。先の大戦では上海だけで三井の売り上げの7割以上を占めていたことも」
高橋内閣参議がこの他にも具体的な数字を列挙して事例を説明をすると「……その上海に、蒋介石は爆撃をしたというのか」と影佐が呻くような声を上げた。
上海の重要性は理解していたつもりであったが、実際に数字を提示されると圧倒されるものがある。そして蒋介石があえて上海経済を人質としてまで日本に決戦を迫った政治的決断の重みを感じざるを得ない。
それを横目に見ながら、佐藤は再び朝海に尋ねた。
「まぁ、蒋介石主席のおかげで日本が合法的に上海を影響下に置けるようになったともいえますね。ところで朝海秘書官。仲介交渉にアメリカを選んだのは、外務省の判断ですかな?」
「いや、私だ」
朝飯会という名の通り高橋老人と二人でサンドイッチを食べ続けていた林が発言すると、溝口以外の全員の目が集まる。
林は冷めたコーヒーで手にしていたサンドイッチの残りを流し込むと、ハンカチで口元をぬぐいながら発言した。
「朝海君が先程指摘したように、今の連盟は無力だ。いずれは再編を迫られるだろう。その時、アメリカが参加するのとしないのとでは意味合いがまったく異なる」
これに先ほどまで反目し合っていた外務と陸軍の首相秘書官がそろって疑念を呈した。
「総理、失礼ながらアメリカの孤立主義は先の欧州大戦への参戦と失望を経験し、より確固たるものとなっております。そのアメリカに国際機関への関与を求めるというのは無理がありませんか」
「連邦議会の共和党が賛成するとは思えません。私としては満州でまったく役に立たなかった連盟に関与するという考え方そのものに違和感がありますが、仮にアメリカを-総理のおっしゃるところの新連盟の創設なり再編に巻き込むことが出来たとして、それは亜細亜における日本の影響力低下につながるのではないでしょうか。社交場でしかない連盟の足腰を強化してやるために日本の国益を犠牲にする利点を、私は総理の構想に見いだせません」
「朝海君や影佐君の言うことも尤もだ。しかしだね諸君。状況が難しいからやらない、それでは政治家がいる意味がないではないか。難しくとも必要であれば実行する。機会主義者では投資家にはなれても政治家にはなれんよ」
溝口秘書官のタイプライターを打つ音だけが響く中、林はさらに続けた。
「そして連盟だが、これは公開の場でルールを作ろうということだな。いや、ルールを作る舞台の設定なり設営を日米、そしてイギリスでやってしまおうということだ」
「支那のように一時的なルール破りを続けていれば何れ破綻する」と林は独り言のように呟く。
「故にルールに従って戦うものは強い。しかしルールを作るものにはかなわない。それを理解出来ないアメリカではない…三国志の時代ではないが味方は多いに越したことはない。アメリカと日本がしっかり手を組めば、日本はソビエトや大陸問題に注力が可能になる。英国の協力が得られれば、さらに選択肢は広がる。この3国に海軍力で勝てる国家など世界中のどこにも存在しない」
「そうだろう佐藤君?」という林首相に、佐藤中将は複雑な笑みを浮かべるだけで答えを避けた。
日露以来、日本海軍の最大の仮想敵はアメリカである。外交戦略上では日米英の連携の重要性は理解出来たとしても、海軍条約で煮え湯を飲まされ続け、机上演習で散々仮想敵としてきた相手と組むことには佐藤ですら違和感がある。
林は意図的にそれに気がつかなかったかのように、発言を続けた。
「そして今は三国志の時代ではない。ルールを作り、ルールに従い、堂々と戦う。それが文明人というものではないのか」
「ルールに従わないものが出た場合はどうされるのですか」
佐藤補佐官の疑問に林は澱みなく答えた。
「衣食足りて礼節を知ると儒学者は言うが、それは一般市民や国民をあまりにも侮蔑した言葉だと私は思うのだ。古代大陸はともかく、今の徴兵された日本兵に愛国心がないとでもいうつもりなのかとね。無論それは国民党政府の兵士も同じだ。戦う理由はいろいろあるだろうが、熱心な愛国者が全くいないことはありえない……しかし食べなければ戦えないのも事実。尤も」
そして林は再びサンドイッチを手に取り、顔の前で掲げて見せた。
「そんなことをたくらむ連中に、最初からくれてやるサンドイッチはないが」
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大阪朝日新聞と東京朝日新聞が合併し、社名を東西新聞と改めてから3ヶ月。緒方竹虎社長が「脳みそから汗が出る」まで考え抜いただけあり当初こそ取材先で怪訝な顔をされたものの、次第に「東西さんね」と名前と顔が一致するようになったのはありがたい事だと、東西新聞政治部次長兼陸軍キャップの高宮太平は取材の中で感じていた。
近衛公爵の一件でケチのついた社名を会社再編に合わせて一新する。当初は高宮もそのやり方が姑息に思えて、同業他社への転職を考えたほどである。しかし朝日のお家芸であった派閥対立が緒方主筆派の勝利という形で終止符が打たれたことにより、以前に比べて働きやすくなったのは確かだ。
そのうち「緒方派」が分裂するなりして次の派閥抗争が勃興するのだろうが、少なくとも高宮が現役でいられる間は、その心配はなさそうだ。
関東大震災を経てもなお東京市内にいくつか残る下町。長屋だかバラックだかわからない構造物が立ち並ぶ中に、丁寧な仕事をした焼き鳥と安い日本酒だけは山のようにあることだけが自慢の居酒屋があった。そのいまにも吹き飛びそうな表玄関には「本日貸切」という看板が掛かっているが、貸切ができるような店とも思えない。
少なくとも高等文官試験を通過したエリートが通うような店ではないことだけは確かだ。
そして前外務大臣の広田弘毅という人は、そういう所にも平気で通うような人物であった。
6席ほどしかない狭い店内のカウンターで酒を酌み交わしながら旧知の記者の近況を聞いてた広田は、高宮の話が終わると、その顔を綻ばせた。
「それはよかったねぇ。高宮君とこうして気楽に会えなくなるのは寂しいから」
「ありがとうございます。広田さんにそう言っていただけると甲斐があるというものです」
取材する側とされる側。関係を言い表すならそれだけなのだが、相手の事情を親身になって聞き、それを我が事のように喜び、そして悲しむ。広田弘毅とはそのような人であった。高平は取材対象である前に人間としての広田が好きであった。これは高平だけでなく多くの外務官僚がそうであろう。
神の子は大工の息子であったというが、広田は石工の息子である。無論広田はキリスト教とは何の関係もないし、宗派も異なるのだが。
福岡出身のさして豊かでもない家に生まれた広田は苦学して東京帝大を卒業し、閨閥もなく派閥にも入らず、徒党も組まずに外務省で大臣にまで上り詰めた。
苦労人にもいろいろ種類はあるが、広田は苦労したがゆえに人の苦労が理解出来る人である。面倒見がよく、決して親分肌というわけでもないのに不思議な人望があった。それは鼻持ちならない幣原元外相や、傲岸不遜が歩いているような同期の吉田茂駐米大使にはない魅力である。
とにかく高宮が驚くほど顔が広く、民間から政界、経済界に言論界、学会に軍人と交流は幅広い。そのため「外務省には幣原大臣と出淵(勝次。朝海浩一郎の岳父)次官、そして広田がいる」と言われるほどであった。
その人脈を買われて斎藤実・岡田啓介の両内閣で外務大臣を務めたが、高宮が記者として取材していた限りでは決して陸軍の言いなりではなかった。満洲事変後の難しい国際情勢にあって日本の国際的孤立を避けるために、陸軍からの要求をのらりくらりとかわし、何とかその圧力に対抗しようとしていた。
だが国務大臣はその気になれば、陸軍省の官僚など歯牙にもかけないだけの力があるのにも関わらず、正面からぶつかる事もしなかったのも事実だ。
勇気がなかったわけではない。しかし信念があるようにも思えない。世間の潮流に従うこともなければ、逆らうこともない。卑怯者でもなければ臆病者でもない。派閥を組むわけではないが影響力はあった。しかしそれを使ったようには思えない。省益などはおそらく頭の片隅にもなかったはずだ。
つまるところ官僚としてならともかく、大臣としてはなんとも評価に困るというのが高宮の見解である。
幣原男爵の「幣原外交」があり内田元外相の「焦土外交」があるのに、広田の外相時代を「広田外交」と呼ぶ声はとんと聞いた記憶がない。
岡田内閣が2・26事件で総辞職した後に外相であった広田に大命が降下したのは、人脈の広さもあるが、西園寺公爵がその敵を作らない人柄が見込んだからであろう。
同時に敵がいないということは強い味方もいないということである。入省同期の吉田茂を組閣参謀としたが、敵だらけの吉田はある意味最も参謀に向いていない。おまけに陸軍から人事への要求を突きつけられた。これに組閣参謀の吉田が激怒。広田は「要求を受け入れることは出来なくもないが、外務省と陸軍の前面衝突になるのは望ましくない」として大命を辞退した。
一旦引き受けた大命を辞退するなど無責任ではないかという声が噴出したが、当の広田は(内心はともかく)平然としたものであった。
その後も広田は定期的に外務省や永田町に顔を出し、個人的な情報収集を続けている。広田に言わせれば「外交官としての習い性みたいなものだから」ということだが、その分析は高宮も大いに記事の参考にさせてもらっている。こうして居酒屋に呼び出したのは一種の成功報酬みたいなものであるが、それを受け入れるのが広田という人である。
「僕はやっぱり外交官には向いていなかったのかなぁ。居酒屋での接待で篭絡されてたら、相手の国は安くつくから喜ぶだろうね」
「財布に優しい外交官ですか。記者としてはありがたい限りです」
何とも言えない魅力のある笑い方をする広田の顔を見るに付け、高宮は悪いとは思いながらも、この人が大命を辞退したのはつくづく正解であったという思いを強くする。
国政や永田町の汚泥にまみれて欲しくないこともあるが、広田の良くも悪くも朴訥とした人柄では、この非常時を乗り切れるとはどうしても思えないのだ。
広田の次に大命が降下したのが、現在の総理である林銑十郎大将である。
そして高宮は斎藤・岡田内閣時代の林陸相を、全く評価していない。
真崎と反真崎派に振り回され「越境将軍」の実像を陸軍省の隅々にまで知らしめた。渡辺教育総監と永田軍務局長が叱咤激励をして陸軍の真崎派や青年将校と対峙したが、自ら正面に立つことを恐れて永田鉄山を悪者にした。その結果、陸軍の将来を担う人材をあたらテロ(相沢事件)により失うことになる。そして本人はテロの対象になることを恐れてさっさと辞職した。
あんな卑怯者はいないというのが、高宮の林評である。
しかし広田はそんな林ですら一定の評価をしていた。
「林さんは僕と同じで派閥に入っているわけでもなかったからね。無理もないよ。満州への独断専行だって、やらなければ関東軍が全滅していた。父親を爆殺された張学良の気持ちはわかるけど、ああ横暴に振舞われては、日本だっていつか堪忍袋の緒が切れていた」
徳利から手酌で熱燗を注ぐ広田に、高宮が「納得出来ません」と食い下がる。
「それはそうかもしれませんが、陸相時代の林大将は明らかに無策でした」
「人間はね、与えられた仕事を天職と考え、懸命にやることだよ。僕だって最初は軍人を目指していたけど、それが外交官になっていた。次官も大臣もやらせていただいたということは、向いていたのかもしれないけどね。実際、林さんだってそうだろう?陸相時代は高宮君の言う通りかもしれないけど、総理大臣としてはよくやってると思うよ」
「少なくとも僕よりはね」と広田は焼きたてのネギマ串に齧り付いた。
「実は、宇垣駐英大使が何らかの交渉を進めているようなのです。そこで広田さんのお考えをお伺いしたく」
広田の御猪口に熱燗を注ぎながら、高宮は本来の『仕事』に取り掛かった。もっとも酒をいくら飲ませたところで、この人の口が必要以上に滑らかになったことも、軽くなったこともないのだが。
「以前、昭和9年(1934年)に、当時の英国のマクドナルド内閣から事実上の日英同盟の再打診があったとお聞きしましたが」
「うん。宇垣さんの話しは僕も聞いている。だけどオフレコで頼むよ……確かにそのようなことがあった。イギリス政府としては少しでも海軍予算を圧縮したかったのさ。高宮君も知っての通り、軍艦とは建造してそれで終わりではない。まず完成に合わせるように新規の乗員を育成する必要がある。交代要員も揃える必要があるし、海軍大学校など教育機関との調整も必要だ。既存の艦から人員を引っ張ってくれば、当然ながら穴埋めが必要になる。そして人材育成には恒常的に資金が必要だ」
「欧州大戦中に、建艦技術は革命的に進歩しましたからね。わずか5年前の船がもう旧式艦艇となり、一線では使えなくなったと聞きました」
杯を傾けながら高宮が広田の説明に応じる。
「しかし老朽艦といえども、使わざるを得ないのが今の王立海軍なんだよ。新規の艦艇建造は目処が立たないし、廃艦だけ先行させては人員が余ってしまうし、植民地軍が維持できなくなるからね……話が脱線したね。とにかくイギリスとしては海軍を圧縮したい。その穴埋めに日本海軍を使いたかったのさ」
広田の解説に「なんとも勝手な話ですね」と高宮が声を固くする。
ワシントン会議だのロンドン会議だの、英米が手を組んで日本に海軍軍縮の圧力をかけてきたことは子供でも知っている。都合が悪くなれば手をかしてほしいというのは、虫が良すぎないかという高宮に、広田は笑いながら「それが外交だから」と答えた。
「……ここから先は本当にオフレコで頼むよ。どうもイギリス政府内部では、実際に再度の日英同盟が検討されたようなんだよね。イギリスが満洲を承認し、日本が長城線南を侵略しないことを条件に、日英共同での大陸での治安維持活動を連携しようという案だったらしい」
「都合の悪い時は、アメリカの顔色を伺って日英同盟を廃棄しておきながら…まあそれはいいでしょう。ではなぜそれは駄目になったんです?」
「マクドナルド首相がね。アメリカを刺激するからやめておこうと言い出したんだよ」
「……ひ、人の国を小馬鹿にするのも大概にしろ!」
高宮は思わず机を殴りつけていた。
奥で作業をしていた店主が「何ですか」と飛び出してくるが、広田が「なんでもないから」とチップを握らせる。店主が高宮を睨みつけるようにして奥に引っ込むのを確認してから、広田が口を開いた。
「満洲を国際的に認めさせ、日本の国際的孤立を打開するためには願ってもない動きだったからね。私も外務大臣として駐日大使と接触し、なんとか実現に動こうとしたんだけどね……だけどマクドナルドさんが正しかった」
「といいますと?」
「案の定、アメリカさんが横槍を入れてきたんだよ。イギリス政府に『日本に外交的圧力と友好的態度を加えれば、日本は外交において健全な態度に戻る』という考えを伝えたらしくてね。これでイギリスがビビッてしまった」
高宮は怒りを越して呆れてしまった。他国の圧力により外交政策を変更するのなら、それではイギリスはアメリカの属国ではないか。何より日本がそのような国だと思われていることが情けなかった。
肩を落とす高宮に、広田が感じ入ったように声をかけた。
「高宮君は愛国者だねえ」
「広田さん。私はね!」
「まぁ、落ち着いて。私もこれをイギリス大使から聞かされたときは、さすがに腹が立ったけどね…でもね。アメリカさんの立場から考えてご覧よ」
広田は徳利を傾けながら続けた。
アメリカからすれば日英同盟は大西洋と太平洋からサンドイッチされているようなものである。ワシントン会議ではカナダやオーストラリアなどの圧力により日英同盟は発展的解消を遂げたが、この時の海軍軍縮条約に参加したのはアメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリアの5大国。
しかし実際にはイタリアとフランスはおまけのようなものであると広田は言う。
「実際にはアメリカとイギリス。そして日本の3大国なんだよ。麻雀をするには1人足らないけど…そうだね。実力はそう変わらない3人のプロ雀士と、ひとりの素人がいたとしよう。2人のプロが組んで1人のプロと素人さんと卓を囲んだら、どうなると思う?」
「……なるほど。アメリカさんが嫌がるわけですな」
「どんな手を使ってでもつぶしたいわけさ。日本が海軍条約でやられたことでもあるけどね。アメリカが再度モンロー主義に回帰したあと、日本は外交的な選択肢は色々とあったんだ。だけど対米同盟は難しく、ソ連は論外、国民政府は日本を敵視しているし、日英交渉も駄目ときた。だから僕はドイツと関係を結ぶべきだと考えたんだけどね」
広田の説明に聞き入りながら、時折手帳にメモをしていた高宮ではあったが、さすがにこれには首を傾げた。
国民政府を支援していたドイツと手を組み、大陸政策の立て直しを図る。
それは本末転倒ではないのか?
「今となってはもう不可能だろうけど、ドイツとなら防共協定という形で対ソビエトという意味でも利害が一致していたと思うんだよ。国民政府の軍事スポンサーだったドイツと日本が手を結べば、蒋介石も諦めるだろうとね」
「なんだかビザンツ帝国末期の外交のようですね。しかしいくらなんでも、それは節操がなさ過ぎませんか?」
高宮の問いかけに、広田は初めて苦笑を浮かべた。それは外交政策に関する意見を述べた広田に、林首相が反論したものと同じであったからだ。
林さんを嫌っている高宮君には言えない話だがねと、広田は一人、笑いを漏らした。
「ある人が言ってたんだが、機会主義者じゃ政治家にはなれないそうだよ。僕は陸軍が言う事を聞かないので外務省だけで何とかしようと頑張って来たんだけど、それが僕の大臣としての限界だったんだろうね」
「結局のところ僕という人間は、目の前の懸案を処理は出来ても、理想や意志を持って何かを決断し、それを万難を排して実行することが出来ない性格なんだよ」と自分の性格を語る広田に高宮は首を振る。
「広田さん、そんな気弱な事を言わないでください。いずれ貴方が必要とされる日が来ますよ!私はそれを信じてるんですから!」
「高宮君。君の言葉はうれしいけどね。僕はもう60歳だ。赤いチャンチャンコを着て、一回りして生まれ変わったといってもね。無理があるよ。そりゃ僕にだって亜細亜外交での理想はあるけど、そのために今までの自分を捨ててまで、もう一度やり直そうという気にはなれないんだよ」
広田は焼き鳥の串を手で弄びながら、つい先日の林との会談について思い出していた。
在任中の日英交渉に関する経過の説明をすると、林総理は「ならばいけるな」とだけ答えた。自分が不可能だと判断した理由を聞いていなかったのかと尋ねれば、林の回答は広田が予想もしていなかったものであった。
『君の外交判断はわかった。しかし私が聞きたいのは外交交渉のための戦略だよ。2対1が駄目だと、日英で挟撃される可能性を避けたいというのなら、3人で一緒にやればいいだけのことじゃないか』
『総理、ですがそれは困難だと』
『わかっている。簡単ではない。だが問題はそれが困難かどうかではない。やるか、やらないかだ。君の当時の立場では交渉が難しかったのはわかるが、私はやると決めたよ』
林総理はひげをねじりながら、自分の考えをはっきりと断言した。
『日本とイギリスというパンでアメリカという中身を挟む。パンだけでは味気なく、中身だけでは手が汚れる。一緒になってこそ始めて意味がある…題してサンドイッチ戦略だな』
「ねぇ高宮君、君はサンドイッチは好きかね?」
「は?いや、好きも何も、普通ですとしか……広田さんはどうなのです?」
「僕か?僕はだね……」
広田は顎に手をやり、しばらく考え込むような仕草をしてから答える。
「朝御飯なら、パンよりもご飯がいいよ」
「……いったい何の話です?」
怪訝な表情を浮かべる高宮を尻目に、広田は笑いながら日本酒を呷った。
・困ったときの百科辞典!
・困ったときの高橋先生!
・困ったもんだよ大陸情勢!…いや、本当にどうするのこれ
・朝食会という名のお勉強会。なお実際の近衛内閣の朝飯会において尾崎記者は主催者の一人。スパイに情報筒抜けw笑えんわ(真顔
・影佐大佐。苗字からしてかっこいいよね。プロの諜報屋というよりも。割と政治的な軍人さん。
・佐藤の長兄再び
・困ったときの高橋先(ry
・なおこの時、バルチック艦隊通過を知らせたのが森格。森格なあ…この人も面白い人なんだけど、セシル・ローズになるには時代がなあ。
・軍国太平記は面白い。林銑十郎さんぼろんちょ。統制派寄りだけど、割と客観視して書いてるから面白い。これに出てくる真崎さんの逸話を読めば、間違いなく嫌いになるw家庭の東條さんも伺える。
・広田さんの玄洋社人脈って何なんだろうね。徒党組むような人じゃないけど、何かどこまでもその影が付きまとうんですよね。作中じゃ書けませんでしたが。
・おかしい。林元帥が主人公っぽい…