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何も銑十郎元帥  作者: 神山
昭和13年 / 1938年 / 紀元二千五百九十八年
13/59

連合王国 ロンドン 外相公邸 /イタリア王国 ローマ キージ宮殿 /シュシュニック首相辞任演説 / 陸軍大学校における林銑十郎首相演説 / スイス ジュネーブ 連盟事務局(1938年2月-3月)

『久しぶりだなヨハン。何か新しいニュースあるかい?』

『それがひどい話なんだ。女房が浮気してるらしいんだよ』

『だからさ、なんか新しいニュースないのかって聞いてんだよ』


- ドイツのジョーク -


 国際連盟は有史以来初めて発足した「世界平和」を目的とする国際機構である。


 パリで開催された第1回会合-1920年1月16日の熱意と歓喜を、第2代国際連盟事務総長のジョセフ・ルイ・アン・アヴェノルは昨日の事のように思い出すことが出来る。


 4年に及ぶ長く苦しい戦いの末に軍国主義に支配された帝政ドイツと、多民族を支配した古き二重帝国は倒れた。また同盟国ではあったが野蛮な帝政ロシアも崩壊した。各地で民族自決に基づく共和制国家が次々と誕生したことは革命以来のフランスの歩みが間違っていなかったことの証明であると、パリ市民は喜んだ。


 熱意と歓喜が、冷笑と失望にとってかわられたのは一体いつの事であったか。


 ロバート・アンソニー・イーデン外務大臣は冷笑を浮かべながら、アヴェノルの前任者をいかにもイングランド人らしい言い回しで揶揄して見せた。


「ジェームズ(パース伯爵)は優秀な官僚です。ただ惜しむらくは、それ以上でも以下でもないことですな」


 カールトンガーデンズ街1の外務大臣公邸。イーデン外相はアヴェノルと昼食を共にしながら会談に臨んでいた。


 連盟事務総長であるアヴェノルが訪英したにもかかわらず、ロンドンの新聞各紙はスペイン共和派政府内部の対立であるバルセロナ5月事件の続報や、赤軍粛清の続報、日華停戦にハイジャックされていた。


 昨年の事件であるバルセロナ騒乱がアヴェノル訪英よりも重大記事として扱われているあたりに、英国民の国際連盟への関心が窺える。崇高な理想を掲げる割には、全く役に立たない組織-多かれ少なかれそれがロンドン市民の見解だ。そしてそれはイーデン外相の態度にも表れている。


 アヴェノルの前任はイギリス人のパース伯爵。首相秘書官を経験していたが閣僚経験はなく、おまけに本国政府から確実な支持や支援もなかった。しかしそのような状況下でも目立たないながらも堅実なリーダーシップを発揮。7つの常設事務局を設置し、機関の中立化に尽力した。


 ところがイーデンの口に掛かれば、偉大なる前任者も実につまらぬ人物として語られてしまう。


「アスキス老人(元首相。欧州大戦勃発当時のイギリス首相)の秘書官だったからか、彼は人間には理性があると信じていたし、国際政治にも秩序が構築出来ると信じていたようです。伯爵がカトリックだったからかもしれませんがね」


 アヴェノルはパース伯爵の後任問題が囁かれ始めた頃、面と向かって「10年近く仕事を一緒にしてきましたが、貴方には連盟を率いる器量がない」と言われたことがある。当然ながら面白くはない。結果、英仏両政府の協議によりアヴェノルが事務総長に就任した後は、事実上の連盟の創設者とは没交渉だ。


 だがどんなにいけ好かないイングランド野郎ではあっても、共に仕事をして作り上げた組織まで悪し様に意味がないと言われては許容出来ない。


「『大きな仕事を成し遂げた人は、必ずしも大衆の賞賛を受ける人ではない』-パース伯爵はよく言っておられました」

「『大衆に見えない秘密裏の仕事こそ、成功の大きな要因となる』でありましたか」


 鼻頭に侮蔑の皴を寄せながらイーデンが吐き捨てる。


「連盟が一体どんな仕事を成し遂げたというのですかな。コルフ島事件、ペルー・コロンビア戦争?それが欧州の平和と安定に何の意味があると?二重帝国崩壊後の中欧や東欧各国の諸問題に効果的な仲裁案でもつくれたと?」

「ダンツィヒ自由都市問題は連盟の仲介なくば、ベルリンやワルシャワはもっと強硬に出ていたでしょう。無力ではあっても無意味ではありません」

「そうした外交努力も、全てはドイツの再軍備を押しとどめられなければ無意味となるわけですな」


 アヴェノルは尚もパース伯爵とこれまでの連盟について擁護しようとしたが、イーデンは「政治的中立は結構だが、無策であることへの開き直りとしか思えませんな」と、さらに厳しく批判する。


 パース伯爵の事務総長としての在任期間(1920-33)は、アヴェノルが事務次長(1922-33)として補佐した機関とほとんど重なる。アヴェノルとしては「自分は経済担当であった」と反論したかったし、実際に旧中欧同盟諸国の経済立て直しに協力したという自負もある。


 とはいえ1920年1月16日のパリを思い出せば期待されていたほどの役割を連盟が果たしているとは、アヴェノル自身も断言することは躊躇われた。


 葛藤を見透かしたようにイーデンは冷笑を浮かべたまま続ける。


「何も敵対政党に所属しているから前任者を批判しているわけではないのですよ事務総長閣下。自由党の支持基盤は労働党に蚕食されており、相手にする価値すらありませんからな。しかし政治的中立を主張するあまり連盟が効果的な対応をとれていなかったのも確かです」


 「むしろそれを免罪符として無策であることを可としてきたようにも思える」とのイーデンの発言に、アヴェノルもさすがに気分を害して即座に反論した。


「外相。失礼ながら前任者の在任中、英国政府が連盟を全面的に支援したとは到底思えないのですが」

「世界平和なるお題目と、大英帝国の国益のどちらを優先するのかを、この私に聞くというのですか?」


 イーデン外相は鼻を鳴らして足を組んだ。20年代にはロンドン政界のファッションリーダーと持て囃された伊達男は、41歳という男盛りを迎えても意気軒高としている。


 アヴェノルとしては気分はよくはないがイギリスの協力なくして連盟が立ち行かない現実を考えると、17歳年下の礼儀知らずな若造相手にも下手に出ざるを得ない。ましてこれからの議題が連盟の存在とヴェルサイユ体制の根幹を揺るがしかねない事案とあっては、個人の心情を優先出来るはずもなかった。


 自身の屈辱感に蓋をして、アヴェノルは話題を切り出した。


「すでに大臣閣下にはお聞き及びでしょうが、オーストリーのシュシュニック首相がベルヒテスガーデンの総統別邸を訪問すると、先日発表があった件です」

「ドイツ人は群れたがるから困ったものです。独墺合邦アンシュルス、議題はこれしかありませんな」


 何とも鷹揚に頷いて見せたイーデンに、アヴェノルは危機感が足りないのではないかと懸念した。


 何をもってドイツ人とするかは人によって異なるだろうが、確かなのは神聖ローマ帝国の時代からドイツ人諸侯は中欧から東欧にかけて点在していたという歴史的事実だ。彼らにドイツ人意識があったのかは今となってはわからない。


 彼らの多くはナポレオンの時代に「ドイツ人ナショナリズム」に目覚めさせられるのと同時に、強制的に整理削減された。その遺産を背景にプロイセン王国宰相のビスマルクが強権と辣腕により整理縮小して作り上げたのが帝政ドイツ-統一されたドイツだ。


 この時プロイセン王国による早期統一を優先したビスマルクにより、二重帝国のドイツ人は対象外とされた。


 あるいはこのまま帝政ドイツと二重帝国が存続すれば、問題は起こらなかったかもしれない(別の問題が発生しただろうが)。


 先の敗戦によりドイツはホーエンツォレルン家から、二重帝国はハプスブルグ家の楔から解放された。そして楔から解き放たれた敗戦直後のオーストリーでは再び大ドイツ主義-ドイツ人による統一国家が盛り上がりを見せた。


 ウィーンとベルリンの合流を認めては各地のドイツ人が「我も我も」と続く可能性があったことから、連合国は「敗戦国が領土を増やすのはおかしい」という理由から反対。結果パリ講和会議の中でサン=ジェルマン条約が調印され、ドイツとオーストリーの合邦は禁止された。アヴェノルも財務担当として、オーストリー政府の財政基盤を固めるために尽力している。


 しかし今のドイツ政府は公然とアンシュルスをオーストリー政府に呼びかけている。数年前より政変が相次いだウィーンの現政権に、それを突っぱねる力があるとは楽観的なアヴェノルにすら思えなかった。


 そしてサン=ジェルマン条約の否定は戦後処理の枠組みそのものを揺るがし、ヴェルサイユ体制の崩壊につながる危険性を孕んでいる。故にアヴェノルは自ら欧州各国を訪問し、サン=ジェルマン条約(アンシュルスの否定)の原則確認に飛び回っているのだ。


 しかし大英帝国の外務大臣の反応は、アヴェノルの予想を遥かに上回る厳しいものであった。


「だからラインラント進駐(1936年3月7日)の時に、一撃をくらわせておくべきだったのですよ。あの時にヒトラーはこちらの魂胆を見抜いたのです。外交的冒険主義に出ても、英仏は動けないし動かないと。まともな常備陸軍のないイギリス。ナポレオン以来の大陸軍はあっても、頭がころころ変わるフランス。チェコスロバキアには意思があっても実力が伴わない。ユーゴスラビアは身内のことで忙しい」


 「この状況では併合を強行しても、軍事制裁はないと踏んでいるのですな」と語るイーデンの口ぶりが併合を容認するように聞こえたアヴェノルは、慌てて口を挟んだ。


「だ、大臣閣下。お待ちください。オーストリーの独立はサン=ジェルマン条約によって各国により保障されていることですぞ。今のドイツ政府も36年の独墺協定により再度承認しています。私は事務総長として、これらに反する現在のドイツ政府の行動に対してどのように対処するべきか貴国と善後策を協議するために……」


 『協議』という単語がアヴェノルの口から出た瞬間、イーデンはその顔に明白な軽蔑の色を浮かべた。


「事務総長閣下。3年遅く、3年早いですな」


 イーデンは出来の悪い生徒を指導する教授のように、露骨にため息をつきながら続けた。


「3年前のドルフース首相暗殺事件の時に、何か手を打っておけばこのようなことにはならなかった。フランスは隣国のスペイン内戦や人民戦線崩壊で政局が混乱している真っ最中……ま、これはいつものことですが。何よりあの時はイタリアの統領閣下もヒトラーに批判的でした」


 現在のチェンバレン政権がイタリアとの協調関係を再構築しようとしていることは、アヴェノルも聞き及んでいる。しかしその姿勢を閣内にありながら揶揄するイーデンの感覚が、彼には理解出来なかった。


「しかし何も出来なかった。これが歴史の真実です。そしてムッソリーニは旧協商が何も出来ないと見るや、昨年にはベルリン=ローマ枢軸を宣言。もはやドルフース首相暗殺事件の時のような対応は見込めんでしょう」

「フランス政治やイタリアの考えについて、貴方から講釈を受けるためにジュネーブから来たわけではないのです!私は、英国政府の考えをお聞きするためにっ!」


 さすがに相次ぐ侮辱に耐えかねたのかアヴェノルが顔を赤らめて立ち上がるが、イーデンはそれを手で制しながら、どこまでも冷ややかな口調で宣言した。


「3年後の意味するところが、まだわかりませんか?……私はヒトラーよりも、ムッソリーニを信頼出来るという人物と、これ以上一緒に仕事は出来ません。今朝の閣議で辞表を提出してきました。後の事はハリファックス卿と御相談ください」


 アヴェノルの顔色は赤から青に、信号機の様に変化した。



『外務大臣!辞任の理由についてお聞かせ願いたい!』


- 外交政策を巡る見解の相違であります。ですが私は今後とも保守党議員として、現在の政府を支持することに変化はありません -


『具体的には何が問題だったのでしょうか?スペイン内戦問題ですか、それともイタリア外交でしょうか。労働法制への反対が理由という一部報道もありますが』

『やはりアンシュルスですか!?』


- 内政問題が理由ではありません。また他国の内政問題にもコメントいたしません…ロバート・アンソニー・イーデンという政治家個人の見解といたしましては、仮に合邦が行われた場合。これはサン=ジェルマン条約を始めとしたヴェルサイユ体制への重大な挑戦であり、欧州の平和に対する破壊的な行為であると認識しています -


『それは現政権の対ドイツ融和政策への批判ですか?!』

『後任のハリファックス卿は昨年にヒトラー総統と会談しています。ドイツとの平和的共存が可能であるとする新外務大臣に、コメントを!』


- 人事は首相の専権事項であり、また噂で政策の判断をするのは早計であると考えています。新大臣には連合王国と連邦の国益のために頑張って頂きたい。以上であります -


『大臣、大臣!もう一問だけ!』

『大臣!』


(イーデン外相辞任会見取材メモ)



- アヴェノル国際連盟事務総長、日米に連盟復帰を呼び掛け -


 国際連盟事務総長のジョセフ・アヴェノル氏は21日、滞在先のロンドンで東西新聞との単独会見に応じた。


 アヴェノル氏は日華停戦を歓迎すると発言。また国際連盟は開かれた組織になるべきであると述べた。昭和10年(1935年)に正式離脱をした日本への復帰呼びかけかとの記者の問いかけに、アヴェノル事務総長は「東京と札幌の五輪の成功を祈る」と発言。連盟加盟国として五輪が開催されることが望ましいのかとの質問には「開会式に出席したい」と応じ、否定はしなかった。


 またアヴェノル氏は「提唱国であるアメリカが参加することで、連盟はさらに強力になる」とも発言し、アメリカの上下院に関連条約の批准を呼び掛けたいという考えを示した。


- 『東西新聞』(2月22日) -



 イタリア王国外務大臣のチャーノ伯爵こと第2代コルテッラッツォ・ブカーリ伯ジャン・ガレアッツォ・チャーノは初対面の人物に「ベニート・ムッソリーニ首相の親族なのか」とうんざりする程聞かれてきた。しかし彼とムッソリーニは岳父と婿の関係ではあるが、直接的な血縁関係はない。


 海軍の英雄を父に持ち貴族として華やかな生活を送ってきたチャーノと、鍛冶屋の子であることを誇りとするムッソリーニとは生まれも育ちもまるで異なる。にも拘らずイタリア人らしからぬ精力の漲った押しの強さが前面に出た風貌や立ち居振る舞いが、そう思わせるのであろう。


駐イタリア大使のパース伯爵・ジェームズ・ドラモンドは「むしろ似たもの同士だからこそ娘を嫁がせたのだろう」とチャーノ伯爵と面会するたびに思う。外相公邸であるキージ宮殿にはあまりにも似つかわしくない粗野な主の立ち居振舞い、そして傲岸不遜で自信にあふれた言動などは岳父と瓜二つだ。


 しかし似ていたとしても、まったく同一であることはありえない。


 現にチャーノ外相は、ベルリンとの関係改善に舵を切った義父への違和感を率直に語っていた。


「議長閣下(首相)は常々、ドイツ人ほど野蛮な人間はいないと批判しておられました。ナチスが何だ、あいつらの正体は人殺しであり殺人者でありテロリストなのだと。しかし今ではその連中と手を組もうとしている」


 その厳めしい風貌とは裏腹にチャーノ伯の声は涼やかであり、彼の育ちのよさをうかがわせた。だからこそ父の割り切った-悪く言えば節操のない唐突に思える方針変換への違和感が拭えないらしい。


 パース伯爵は事務総長在任中、カトリックに改宗したことからイタリア問題で弱腰であったとされる。当人からすれば公正中立であるべき国際機関の事務総長として振舞っただけなのだが、イタリアにおいては「ムッソリーニの友人」と見られていた。


 そのため外務大臣に就任したとはいえ、事実上は義父の代理人でしかないチャーノは、同盟国でもない他国の大使であるパースを私的な外相顧問のように扱っていた。


「ドイツ人を見極めろ。アルプスの向こう側にいったいどんな教義があるのか。彼等は、ローマ時代、カエサル、ウェルギリウス、アウグストゥスの時代に無学、無教養だった連中の子孫なのだと」


 「そんな連中と手を組むことに、どのような大儀があるというのか」とイタリアの外務大臣は吐き捨てた。


「国益のためだと義父は言いますが、他国の首相を平然と暗殺するような連中と組んでまで得られる国益など……」

「ドルフース首相を暗殺したのは、オーストリー・ナチスの党員でしたな」


 パース大使の返答にチャーノ伯爵は「貴殿はナチスにオーストリーもドイツもあるとお思いなのか」と述べ、公然とドイツに対する不信感をあらわにした。自分の言動に関する警戒感は乏しいようだ。表面上は真摯なアドバイザーとしての態度を崩さず、パースは内心で呟いていた。


 旧二重帝国の支配した地域に成立した共和国は、世界恐慌を経験し、そのほとんどが権威主義的な独裁体制へと政治形態を変えた。独立間もなく国家としての統一感にかける人造国家が国家を維持するためにとった緊急避難としての体制である。


 オーストリー共和国ではキリスト社会党のドルフース首相と現首相のクルト・シュシュニックが中心となり、オーストロファシズムとも呼ばれる独自の体制を築いた。議会を停止し社会主義者を弾圧。政治犯を牢屋へぶち込むと経済統制を強化し、海外メディアを含む報道規制を敷いた。


 こうした統制経済や強権的な政治体制は一見するとドイツの現政権に類似していたが、オーストロファシズムの究極の目的はオーストリーやチェコスロバキアにも勢力を拡大しつつあるドイツ国家社会主義労働者党を封じ込めることで、ドイツのオーストリー併合を防ぐことにあった。


 そのドルフースは白昼堂々、官邸に押し入ったナチス党員に暗殺される(1934年7月25日)。これを教育相だったクルト・シュシュニックがイタリアの支持を背景に事実上のクーデターまがいの強権をふるって鎮圧することで事態を収拾。辛うじて独立と政権を維持し、現在に至る。


 前述のムッソリーニ首相のナチス政権批判は、まさにこのドルフース首相暗殺の時のものだ。盟友暗殺の怒りはすさまじくチャーノを含めた外務省幹部は、ムッソリーニを前にドイツの名前すら出せなかったという。


「ヒトラーが直接指示したとは思えませんがね。喜んだことは確かでしょうが、まだそこまで大胆ではなかったはずです。もっとも今は知りませんがね」

「では大使は、例の要求は真実だと?」

「事実だとすればとんでもないことです。独立国家の政府首班が他国に特定の人事を要求するなど、あってはならないことです。そもそも36年合意でオーストリー国内でのナチスの活動を認めていたというのに」


 パース伯爵は「どうしようもありませんなぁ」と謙虚ながらも確固たる口調で断言して見せた。


 2月12日のドイツ・オーストリー首脳会談においてヒトラーがシュシュニック首相にオーストリー・ナチス指導者の入閣を要請してシュシュニック首相がこれを受け入れた一件は、各国政府に衝撃を与えた。明らかにオーストリーを併合するための前段階であると捉えられたためだ。


「失礼ながら、貴国がエチオピア侵略にかまけている間に、ヒトラーは着々と勢力を作っていたわけですな」

「ストレーザ戦線を放棄し、さっさと英独海軍協定を結んだ貴国にいわれる筋合いはない!」


 先ほどまでとは対照的に突如として無遠慮な物言いでイタリア外交を批判したパース伯爵に、チャーノ伯爵は机を拳で叩いて激怒した。


 1935年にヴェルサイユ体制の維持=ドイツ封じ込めのためにイギリス(マクドナルド挙国連立内閣)・フランス(反ファシストの人民戦線内閣)、そしてイタリア(ムッソリーニ)が連携すると3カ国の外相会談で合意していた(ストレーザ戦線)。それを2ヶ月もしないうちに英独海軍協定によりドイツの海軍再軍備を認めたのはイギリスである。これはイタリアからすれば重大な裏切りに他ならない。


 しかしパース伯爵はチャーノ伯爵の剣幕にも拘らず「貴国のエチオピア政策にまで、わが政府は責任をもてません」と顔色を変えずに言い切って見せた。


 エチオピア問題で国際的な孤立を深めたイタリアはヒトラーと再度手を結んだ。昨年ムッソリーニがドイツを訪問した際にはヒトラー自らがこれを接待し、両国の『枢軸』関係を強調した。


 当然ながら狙いはオーストリー併合への支持取り付けであることは言うまでもない。だがチャーノとしても岳父の手前、それを簡単に認めるわけにはいかず、強引にとぼけて見せた。


「義父はそこまでおろかではありません。マイフェルトでの演説の全文を大使もお持ちでしょう」

「ええ、ドイツとイタリアこそが真の民主主義国家だという、あの不愉快な演説ですな」

「その点については見解が異なりますが、あれのどこにオーストリーの併合を認めるという文言がありますか。綺麗ごとで協調関係を演出したに過ぎません。それ以上でも以下でもない」

「しかしオーストリー政府には威圧となったでしょうな」


 実際にウィーンがどう感じたかが問題なのだとパースは釘を刺す。


「北と南の大国が協調関係を演出しているのですからな。今回の首脳会談での人事案受諾も独伊の枢軸関係が圧力となったのでしょうな」

「……そもそも、英国のわが国への姿勢が一貫していないから、義父がベルリンの尻を舐める羽目になるのではないか!」


 自らの後ろめたさをごまかすように再び激高するチャーノ伯爵だが、彼にも言い分はある。


 イギリスはイタリアがエチオピア戦争(1935-36)を始めると満洲事変と同じように批判を強め、地中海艦隊を増強。「もはや同盟国とはみなさない」と公然と恫喝して見せた。


 ところがイタリアが東アフリカ領を確立させると、イーデン外相(当時)は歓迎声明を出して手のひらを返す。ドイツけん制のためにはイタリアと敵対し続けるわけには行かない。大陸における陸軍の主力を他国に頼らざるを得ないイギリスの弱みが露呈した一幕である。


「連盟も終わってから制裁だのなんだのと!」

「今の事務総長は時間にルーズなフランス人ですので。貴国が脱退(37年12月)されたのは残念とだけ申し上げておきましょう」

「大使、あなただから率直に申し上げる」


 見た目にふさわしい直情的な物言いでチャーノはイギリス大使に自らの考えを伝えた。


「貴国がわが義父を信用していないように、義父もイギリスを信用してはいない。ドイツもそれは同じであろうが」


 パース伯爵はふむと首をかしげて腕を組んだ。その態度にチャーノ伯爵は疑念を覚え「まだ何か」と尋ねる。


「すでに報道などでご存知でしょうがイーデン外相が辞任しました。新外務大臣は貴国との関係改善を望んでおります。つまりですな」


 声を潜めるようなしぐさをして身を乗り出すとパースは実際に声を絞り周囲を憚るようにして続けた。


「ここから私が申し上げることは、それを前提に聞いて頂きたい。ハリファックス卿からの好意と受け取っていただければ結構です」

「もったいぶらずとも結構」


 関係改善はその手土産の内容次第だとでもいわんばかりに、チャーノ伯爵は机の上に足を投げ出し、椅子に体を預けた。パース伯爵は一国の外相とも思えぬ傲慢な態度にもこれという反応は示さず、手土産の目録を淡々と読み上げた。


「……シュシュニック首相は、併合を阻止するために国民投票を実行するつもりです。国内で活動を禁止した社民党にも協力を打診してなりふり構わず否決に持ち込むつもりのようですが……その様子ではご存知ではなかった…ようですな」


 パース伯爵が言い終えるよりも前に、チャーノは椅子からひっくり返っていた。



- オーストリー首相、国民投票を宣言 -


 感動的な演説であった。軍人、警察、労働者、社会主義者に共産主義者まで、その場に居合わせた全ての人間がシュシュニック首相の演説を聞いていた。皆、ナチスのやり方に腹を据えかねていたのだ。


 2月24日、ウィーンのリング通りで演説したシュシュニック首相は、アンシュルツに賛成するか否かを国民投票にかけると宣言した。格調高く愛国心と統一を訴えかける演説に、すべての人が聞き入った。「オーストリーか、ドイツか」との問いかけに、オーストリー!の声が狭い通りに響きわたった。


- 東西新聞(2月25日)/ウィーン外電 -



 …ドイツ政府は本日、ミクラス大統領に最後通牒を手渡しました。時間の制限を付けて、ドイツ政府によって指定された人物を首相に任命するように命じました。


 ……そうしないと、ドイツ軍がオーストリーに侵入するというのであります。すでに国内にはドイツ軍が侵攻しています。


 労働者による暴動が起こり血の河が流れ、今の政府の手では制御出来ない事態が生じたというドイツで伝播された報道は一から十まで虚偽である事を、私は今、世界に向かって言明します。


 ミクラス大統領は『我々は力に屈服した。我々はこの恐ろしい時期に際してすら血を流す用意がなかったからだ』とオーストリー国民に告げるように私に求めました。


 私は首相として軍に対しドイツ国防軍に抵抗しないように命じることを決定しました。


 これが私の首相としての最後の仕事になります。


 私は……心の心底から出る、このドイツ語の告別の言葉をもって、オーストリー国民にお別れを告げます。


『神よ、オーストリーを守り給え!』


- クルト・シュシュニック首相の辞任演説(ラジオ放送) -



 先ほどオーストリーのシュシュニック前首相が逮捕されたという知らせが入ったことをお知らせしたい。


 諸君も知っての通り、3月13日にオーストリーの大統領代行兼首相が再統合に関する法律に署名した。フランスとイタリアの政府は併合を黙認しており、イギリスの反応はまだ不明である。日本政府としては、独立国家が併合されるという未曾有の事態にいかに対応するべきか、慎重に検討を重ねている段階だ。


 オーストリー国民はドイツを歓迎しているとされている。しかし歓迎していない国民の声は伝わって来ることはない。統一されたドイツ人。団結は実にすばらしい。今の段階で私が申し上げられるのはこれだけだろう。


 しかし諸君、シュシュニック前首相の演説、その中のミラスク前大統領の言葉を思い起こしてほしい。『この恐ろしい時期に際してすら血を流す用意がなかったから』だから屈服したのだと。


 我々はここから学ばねばならない。用意がなければ意思を表明することすら出来ないのが国際政治の現実なのだと。


 国民投票が実施されていた場合に結果がどうなったのか、それを知ることは永遠に不可能になった。諸君には血を流す用意と覚悟がなければ、国家の独立は維持出来ない。そのことを、実際に兵士達に血を流すことを命じる立場になる諸君には、肝に銘じて頂きたいのであります。


- 林銑十郎総理の陸軍大学校演説 (3月31日) -



 いかにも東洋人らしい顔立ちだ-アヴェノル国際連盟事務総長は、連盟本部の入るパレ・デ・ナシオンの自室で出迎えた日本の大使と握手を交わしながら、そのようなことを考えていた。


 東洋人は何を考えているのか分かりづらいとされるが、このチウネ・スギハラ大使もその例に漏れない。それでもアヴェノルは何度か面会を重ねるうちに、この東洋人には確固たる芯のようなものがあることが理解出来るようになった。


 英語・仏語・独語に加えて、下手をすればグルジア出身の書記長以上に堪能かもしれないロシア語を解釈出来るという稀有な人物だが、それをひけらかすことはない。こちらが聞けば必要最低限のことのみを返すが、その引き出しの多さにはいつも感服させられる。


 ニトベがかつて書いていた『武士道』の精神を体現したかのような存在。アヴェノルはスギハラをそう認識していた。


「……旧オーストリー国籍の職員解雇を?」

「えぇ、止めて頂きたいのです」


 大使が切り出した要件はアヴェノルの期待に半ば沿うものでありながら、事務総長としては好ましくないものであった。


 昨年末に日本の駐スイス特命全権大使に就任したスギハラは、アヴェノルのロンドンにおける東西新聞との会見以前からしきりに事務局に接触してきている。日本の再加盟を期待すると発言したのは日本側からの働きかけがあったからだ。


 20年代の南米・ラテンアメリカの脱退ラッシュ、1933年のドイツと日本(正式脱退はずれ込む)。そして昨年末にはイタリアが脱退。もはや国際連盟とは名ばかりの欧州諸国のサロンでしかない。


 アヴェノルとしては旧常任理事国の復帰は願ったりかなったりなのだが、連盟の調査団勧告を拒否して一方的に離脱したのは日本である。それに頭を下げて復帰を願うのは他の加盟国から反発を受ける恐れがあった。


 するとスギハラ大使は日本で言うところの「ハラゲイ」を提案した。


 どちらから要求したわけでもないが、どちらともなく意見が一致していつの間にか結論に落ち着く……アヴェノルはそんなことが可能なのかと思ったが、幸いにして今の日本の首相は日本外交の不安要素である陸軍のトップと外相を兼任している。


 このままでもじり貧の状況が続くだけであり、一人三役だから可能だというスギハラ大使の言をアヴェノルは受け入れた。仮に失敗したとしても自分に傷がつくわけでもないという打算もあったが。


 だがオーストリー国籍の職員雇用問題は「ハラゲイ」で片付くようなものではない。アヴェノルは語気を強めて言った。


「スギハラさん。貴方と日本政府の連盟への水面下の協力と支援には感謝しております。政治的リスクを背負っておられることも、十分に理解しています。ですが、それは」

「ドイツ政府から直接依頼されたわけではないのでしょう?」

「確かにそうです。しかしこのままでは要求してくることは間違いありません。先んずれば人を制する。先手を打って解雇することでベルリンの圧力をかわさなければなりません。スイスは永世中立国とはいえ、ドイツやイタリアと陸続き。オーストリーの併合でさらに接する面積が増えたのです」


 「ましてあれを見ては」とアヴェノルは文字通り肩を震えさせた。


 国民投票発表を受け、ヒトラーは裏切り行為と激怒。国防軍に動員を発令し、その実施日をオーストリーの首相官邸に伝えた。またオーストリー国内で『暴動』が発生していることをベルリン発のニュースで洪水のように拡散させ、入閣を要請したオーストリー・ナチス党の代表に援軍要請を出させて介入のための既成事実を着々と作り上げた。


 オーストリー軍は少数で各地に点在していたことからシュシュニック首相は国民投票案を白紙撤回せざるを得なくなり、当初の自治政府構想を飛び越えて完全併合にまで持ち込まれた。


「下手に抵抗すれば、こことてその二の舞にならぬとは限らぬのです。シュシュニックは投票をすれば勝つと思っていたようですが、ヒトラー総統をドイツ民族の救国の英雄と考えるものは多い」

「確かに。オーストリーの旧政権は愛国心だけはありましたが、それ以外の全ての能力に欠けていました。権威主義で経済政策でも失敗続き。隣国の同胞の経済繁栄をうらやむのも無理ありますまい」

「スギハラ大使、そこまでご理解していただけるなら、その要求が無理だということはお分かりでしょう」


 暗にスイス国内のドイツ系住民の動向を指摘したアヴェノルであったが、杉原は「いやいや事務総長閣下」と自らの顔の前で手を振った。


「先手を打つのは、なにも解雇ばかりではありますまい。彼らをドイツ国籍に切り替えてしまえばよろしいのです」

「……は?」


 あっけにとられるアヴェノルに、杉原はさらに続けた。


「無論、希望しない職員は解雇という形になるでしょうが、それはいたし方ありませんな。連盟を脱退したドイツも連盟事務局へのパイプは残しておきたいでしょうし。総統閣下はともかく、リッベントロップ外相あたりはこの点が理解できると考えてもよろしいかと。人件費の問題があるのなら、わが国の首相閣下が検討してもよいと申しておりますのでご安心を……」


 杉原はいったん言葉を区切ると、口角だけを吊り上げた笑みを見せた。


「事務総長閣下。早く動かれたほうがよろしいのではありませんかな?ドイツ軍が国境を越えてくる前にね」



 グレムリン効果は機械や電子機器の原因不明の異常動作で知られているが、元は第1次世界大戦中に、イギリス軍の航空パイロットの間で囁かれた悪魔のことである。人間に発明の知恵を与えたグレムリンは感謝や敬意を持たない人間を嫌い始め、いつしか機械に悪戯をするようになったとか。


 オーストリー国籍の職員問題で私を唆したスギハラが浮かべた笑みは、見えないドイツ軍よりも恐ろしかった。私にとってはスギハラこそが東洋からやってきたグレムリンに思えたものである。


- ジョセフ・ルイ・アン・アヴェノルの回顧録より -



・アヴェノルはフランス人。本作は毛根が不自由な人に脚光を当てる作品です(嘘

・エイヴォン伯爵イーデン。外務大臣としてはともかく、どうして首相じゃああなったんだ。優秀なんだろうけど個人的に友人にはしたくない人ベスト5に入る。

・チアノ外相のほうがごろいいかな。ムッソリーニの手のひら返しは異常。だけどフランスがあんなんでイギリスが平常運転だとやむをえないかも。

・ムッソリーニ「ファシズムとナチズムの間には明らかに基本的な相違がある。それは、我々は人種差別を受け入れることが出来ないということだ!」(キリッ

・なお、人種差別云々以前に人の定義には含まれないパターンが(ry

・シュシュニック首相の最後の演説。「神よ皇帝を守りたまえ!」をもじった最後の台詞を、内心からほとばしる独逸語で叫んだあたり泣かせる要素たくさん。ところで実際国民投票やってたらどうなったんだろうか?

・シュシュニック「よっしゃ!24歳以上の国民でやるで!え?それ以下はナチスのシンパ多いからだめ!社会民主党さん?禁止令解除してやるから投票に協力してくれ!(そしてたぶん警察と軍を動員して投票誘導)」…これで併合OKになってたら目も当てられんwww

・HARAGEIが外交用語になるかもね

・スギハラ・チウネ。第2次世界大戦中の日本の外交官の中では、おそらく最も知名度ある人。ロシアが入国拒否したり、まじの情報のプロだった可能性が指摘されている。事前の動員から独ソ戦を発生時期も含めて正しく予想。なんというか半端ない人。スギハラ以上に優秀だったけど名前が出てこない外交官もおそらくいたんだろうなあ。


・本作は毛根が不自由な人が活躍する作品で(×)本作は毛根が不自由な人が苦労する作品です(○)

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