王妃と十二人の魔女
そこは美しい庭園だった。
至るところに赤く艶めく薔薇が咲き誇り、甘い香りを放っている。
ここはリリィが生まれ育った場所だと、何故か理解できた。
あの西の塔を降りたところにある、母が管理している庭園。
リリィは、ここで母と過ごす時間が大好きだった。
母の魔法は植物を操ることに特化していた。そのためか、花を育てることも得意だったので、この庭園は常に美しく保たれている。
どうしたらこんなに美しい薔薇の庭を作れるのか母に聞いたら、「花が私を好きでいてくれるからよ」と微笑んでいた。
甘い香りのする庭を母と散歩しているのは、幼いリリィ。
ぴょんぴょん跳ねる娘をいとおしそうに見つめるのは、美しい女性だった。長いまっすぐの白髪を背中に流し、宝石のような水色の瞳を細めている。
「お母様、こっち!」
母を呼ぶリリィに近づこうとした女性は、突然顔を強張らせる。小走りでリリィの元へ辿り着くと、その背に隠した。
一体何から?
答えはすぐ訪れた。
「ごきげんいかがかしら、サージャ」
サージャというのは母の名だ。
その名を呼んだのは、艶かしさをまとった美女。
腰までを覆うウエーブがかった黒髪は艶々と輝き、ルビーのような赤い瞳は強い光を纏って親子を睨み付けている。
それはとても好意的とは思えない色を孕んでいた。
そして彼女の背後には、いずれも見目麗しい十一人の女たち。
リリィは知っていた。
黒髪の美女は、リリィの父である国王の正妃、カリーナ。リリィを産んだサージャを目の敵にしている。
他の女たちも同様だ。王の寵愛を得たサージャを敵と見なし、親子二人を蔑んでいる。
そして、産まれたばかりのリリィに呪いをかけた十二人だ。
サージャはリリィを庇うように一歩前に出ると、美しいカーテシーを披露する。
「ごきげんよう、王妃殿下」
カリーナは扇で口許を隠しているが、その目は憎々しげに歪んでいる。
「庭園を走り回るなど、はしたないこと。仮にも王の娘としての自覚はおありかしら、そこな娘」
「まあ王妃様、娘はまだ六歳ですわ。健やかな成長のためには、適度な運動も必要でございましょう? 王妃殿下も、幼少のみぎりにはそれはそれはお転婆だったそうではありませんか」
扇がカリーナの手の中でみしりと音を立てた。
後ろの女たちが「無礼な」「口を慎みなさい」など姦しいことこの上ない。
しかし、カリーナが静かに右手を上げると女たちは口をつぐんだ。
「何を言ったところで、負け犬の遠吠えね。どうせその娘の未来は決まっているのだから」
「そうでしょうか」
サージャの返答に、カリーナが目を眇る。
「何が言いたいのかしら」
「こちらの台詞ですわ。なぜ王妃殿下に娘の未来が分かるのでしょう」
「娘が何者かから呪いを受けたことは、周知の事実でしょう」
「ええ。そして、娘の母親はこの国で最も偉大な魔女であることも、周知の事実ですわね」
カリーナたちが気色ばんだ。
サージャは今、ここにいる十二人の魔女が自分に劣り、魔女らの呪いなどで娘を害することは出来ないと言ったのだ。
「…その強気がどこまで続くか見物ですわね。貴女ごときに娘が守れるのか、お手並み拝見と行きましょう」
「ご期待に添えるよう、尽力致しますわ」
カリーナは扇を閉じ、手の中に打ち付けると、憎々しげに親子を一瞥し、女たちを引き連れて去っていった。
「お母様…」
不安げな声で母親のスカートを掴むリリィに、振り返った母は微笑んだ。
「何の心配もいらないわ、可愛いリリィ」
暖かい手で頭を撫でられるが、リリィの漠然とした不安は消えることがなかった。
* * *
目を覚ましたリリィは、ゆっくりと瞬き、熱で気だるい体を起こす。
「…昼ドラかよ。こわっ」
あれはリリィ・ベルの記憶だろう。この体に残った記憶だ。
リリィ・ベルに忌々しい呪いをかけた十二人の女と、それを相殺するために傍迷惑な条件付けをしたリリィ・ベルの母親。
母親であるサージャについて、思うところはあるが娘を想っての行動だと理解できるからもういい。そもそもあの嫉妬深い十二人の魔女たちが妙な呪いをかけなければこんなことにはならない。
「いや、そもそもリリィの父親が諸悪の根源だわ。クソ野郎じゃん」
正妻いるのに愛人十二人って、どれだけ節操がないんだ。しかも全員が魔女。
全くもって、男というものはどうしようもない生き物だ。
京介も、あのギリアンという京介のそっくりさんも信用できない。
さんざん女を振り回した挙げ句、責任も取れずにとんでもない状況を招くのだ。
窓の外を見ると空が赤く染まっており、もう夕方だと分かる。
ギリアンが出掛けるのを見送ってから一度も目を覚まさなかったことを知り、半ば呆然とする。
「この体、百年寝たはずなのにまだ寝るんだ…」
それもこれも箱入り姫の体力の無さが原因だ。
朝より随分熱が下がった気はするが、未だ怠さは抜けないし、足も痛い。
しばらくはギリアンに頼るしかないと思うと非常に不本意だが仕方がない。
もう少し怠さが抜けたら、足に負担をかけない範囲で筋トレすることを心に決めたのだった。