リリィ・ベル・グレイス
宮田ゆりは混乱の極みにあった。
目が覚めたら大嫌いな男の顔があった。とりあえずひっぱたいたのでそれは良しとする。
問題はこの状況だ。
知らない部屋で、見たこともない水色のドレスを着て、覚えのない寝台にいる自分。
そして自分の体にまとわりつく白い長い髪。
もしかしなくても、これは自分の髪か。
何がどうしてこうなった。
「ええええ。何これ。マジ信じらんない。ここどこだ」
思わず漏れた声に、先程ひっぱたかれて呆然としていた男が立ち上がった。
「ああ、目覚められたばかりで混乱されておられるのですね。ご安心ください。私がついております」
「うっさい京介。キモい!」
本当にキモい。今までさんざん嫌がらせをしてきた相手に、今度は何を企んでいるのか。
そう思って冷たい目で京介を見るが、何となく違和感がある。
顔は完全に京介だ。だが、まず服装がおかしい。まるでファンタジーの冒険者のような旅装で、腰に剣。そして、妙にキラキラした瞳でこちらを見つめてくる。
キモい。
男は不思議そうに首を傾げた。
「キモイとは、どういう意味ですか? それにキョウスケとは人の名前ですか?」
何をとぼけてるんだと思いかけたが、男は本当に戸惑っているようだ。
「…京介じゃないなら、あんた誰」
男は白い歯を見せて微笑んだ。こいつ、京介じゃないとしてもナルシストだ。
「私はランドール王国の第三王子、ギリアンと申します。そして、貴女を百年の眠りから覚ました、運命の王子です」
「…うん、わかった。ちょっと黙ってて」
「えっ」
黙るよう言われた王子は戸惑ったようだが、こちらの戸惑いの比ではない。
運命の王子。普通なら頭がおかしいのかと思うところだが、知らない部屋で目を覚ました自分には、何も言えない。
寝台から下りて、部屋の様子を見回す。鏡台が目に入り、突っ立っている王子を押し退けてそこへ向かい、鏡を覗く。
見知った自分の顔だ。だが、髪は白に、目は水色に変わっている。
「ええええ…。マジで…」
後ろから様子を覗き込んできた自称王子と目が合う。ウザイ。
だが言い返すより先に、鏡台の引き出しが目に入る。
何故だろう、とても気になって、引き出しをゆっくりと開けた。
そこには白い便箋。表には見たことのない文字が踊っているが、何故かゆりにはそれが読めた。
「未来の私へ…?」
「不思議な宛名ですね。姫が書いたものですか?」
自称王子を睨み付ける。
「黙ってて」
「そう言われても。お困りの様子の姫を放っておくなど、私にはとても」
爽やかな笑顔でそんなことを言われる。胡散臭い。
「だったら教えてよ。私は誰で、この状況はなに」
「貴女は百年前に滅びた国の姫で、運命の王子が呪いを解くのをずっと待っておられたのです」
「…聞くんじゃなかった…」
何だこのメルヘン脳の自称王子は。百年の眠りとか運命の王子とか、どこぞのお伽噺じゃあるまいし。
「あのさ、ちょっと本当に静かにしてて。あんたじゃ参考になんない」
「え、ですが」
「黙ってろ」
「…はい…」
自称王子はしょんぼりして近くの椅子に腰かけた。
京介ならもっと嫌がらせをしてくるところだ。本当に別人か。
そんなことを考えながら、ゆりは手紙の封を開けた。
『未来の私へ
これを読んでるってことは、こっちの世界で目が覚めたってことね。
だけど記憶が飛んでる可能性があるので手紙を残しておきました。』
未来の私とは、ゆりのことだろうか。記憶が飛ぶとはどういうことだろう。
『あなたの今の状況を説明するね。
あなたの名前はリリィ・ベル・グレイス。
このグレイス王国の王の娘。』
何ということでしょう。どうやら王女のようです。
いやいや、信じられるか。
『あなたの、いいえ、私の母は側室で、肩身の狭い思いをしてた。
父は女癖が悪くて、正妃の他にも十二人の愛人がいたの。
母もその一人で、私を生んだことで側室になったけど、他に子どもがいなかったせいで女たちの恨みを買った。』
昼ドラか。というか境遇が重すぎて引くわ。
『王妃と愛人たちは、全員が魔女だった。
王妃と十一人の魔女たちは母を恨み、結託し、生まれたばかりの私に呪いをかけた。』
呪いと来たよ。いよいよファンタジーだよ。
『その呪いは、王女リリィ・ベルは十五歳の誕生日に死ぬ、というものだった。
だけど力のある魔女だった母は、王妃の行動を察していた。
呪いの内容を正確に読み取り、娘に更なる呪いをかけることによって相殺しようとした。
その呪いはこう。
リリィ・ベルは、十五歳の誕生日から百年の眠りにつく。
百年後に、運命の王子との愛のキスで目覚め、呪いは解かれる。
十二人の魔女の呪いを打ち消すには、代償として百年の眠りが必要となる。
だけど母はそれでも、私に死より生を与えようとした。
そして百年後に目覚めて、私を孤独にしないために。
母は第三者の介入を組み込んだ。
それが、運命の王子』
出たよ、運命の王子。
嘘でしょ。あのナルシスト、本物の王子か。
京介顔のくせに。
だが手紙には、さらに続きがある。
『だけど私は、ただ百年も眠って過ごすなんてお断り。
だから自分にさらに魔法をかけた。
この世界ではない他の次元の他の世界に転生し、百年以内に自分で運命の相手を探してキスして呪いを解く。
この体を仮死状態にして、他の世界に魂を飛ばすことにしたの。
もし百年以内に運命の相手が見つかれば、リリィ・ベルはこの世界で死に、呪いは解かれて他の世界でそのまま生きることになる。
だけど見つからなければ、こちらの世界で百年経って運命の王子が来た時点で、魂はこの世界に引き戻される。
あなたがここで手紙を読んでいるということは、他の世界では運命の相手に出会えず、向こうで死んでこちらに戻ってきたということ。
だけど一度転生しているせいで、リリィの時の記憶が戻っていない可能性があると思うのでこの手紙を残しました。
理解できた?』
手が震える。
他の世界では運命の相手に出会えず、向こうで死んでこちらに戻ってきた。
死んで。
最後の記憶は、頭が痛くて気持ちが悪くて、そのまま意識を失ったこと。
階段から突き落とされた時、打ち所が悪かったということか。
ゆりは手紙を握りしめ、おとなしく座っている王子に視線をやった。
死んだ原因は、京介の取り巻きの嫌がらせ。
まるで、こいつが向こうの世界からゆりを引き戻すよう仕組んだように感じられる。
睨まれた王子は、驚いたように立ち上がった。
「姫、どうしました。顔色が」
「あんたのせいじゃん!」
王子は戸惑ったようだ。動きが止まる。
「いや、違う。でも、似すぎでしょ。無関係? いやいや、嘘でしょ」
「姫?」
「うるさい、姫って言うな!」
ゆりの怒りが爆発した。
「さっきからへらへら媚売って、私そういう男が大っ嫌い! それにその顔、昔から大嫌いだった! あんたが私を殺したんだ!」
王子が眉根を寄せた。とうとうその顔が苛立ったように歪む。
「あのさあ、さっきから誰と勘違いしてんの。俺はあなたとは初対面だし、媚を売ってるとか、勘違いも甚だしいわ」
急に口調が変わった。それでも京介よりはまだ上品だ。
「あーあ、マジかよ。こんなとこまで苦労して来て、目覚めさせたらこんなうるさい癇癪持ちとか、超へこむ」
前言撤回。京介並みに口が悪い。
「私だって、あんたが運命の王子なんてごめんよ。ああもう、何この状況」
ゆりは手紙を握りしめた手を顔に押し付ける。
死んだということは、向こうにはもう戻れないということだ。
だが自分にはリリィの記憶がなく、この世界のことを何も知らない。
しかもここは滅びた国だ。こんなところに置き去りにされたら、こっちの世界でも死ぬだろう。
だがそこでふと、握っていた手紙が目に入った。
裏にも何かが書いてある。
『ちなみに、呪いはまだ完全に解けてないよ。
その場所を離れて、王子の国で正式に婚約しないといけないからね。
頑張って王子をタラシこむのよ!』
「って、はああぁぁ!?」
「何だよ急にでかい声出すなよ!」
王子に詰られる。いらっとする。
いや、いらっとしている場合ではない。
婚約? この京介顔の王子と?
「無理!」
「何がだよ!」
王子は完全に王子キャラを捨てたようだ。
もう完全に京介だ。
ゆりは葛藤する。婚約。
…一度婚約さえしてしまえば、結婚前に婚約破棄すればいいんじゃない?
「それだ!」
「だから何がだよ!」
ゆりは王子に向き直った。背に腹は変えられない。
「あんたには、私を目覚めさせた責任がある」
「…何だよ急に」
王子が嫌そうな顔をする。
「だけどまだ呪いは完全に解けてない。だから呪いを解くために、あんたの国に連れていって婚約して」
「っはああ!?」
王子が大きな声を上げた。
そんなに嫌か。キスしたくせに。
だがこの際それには目を瞑ろう。
ゆりはさらに畳み掛ける。
「一度婚約さえしてくれればいいから! そのあと婚約破棄していいから!」
あまりに必死の形相に、王子が返答に詰まる。
暫しの思案の後、王子は渋々と頷いた。
「…まあ、俺も結婚相手を連れて帰らないと城に入れてもらえないし。性格の不一致で婚約破棄すればいいか」
「交渉成立ね。…ところで何で結婚相手連れ帰らないと城に入れてもらえないの?」
「…聞くな」
どうやら困った王子のようだ。まあ、どうでもいい。
王子は再び椅子に座ると、聞いてきた。
「で、お前の名前は」
お前という呼び方にカチンとくるが、名前で呼ばせればいい話だ。
宮田ゆり、と言いかけて止める。
この顔でゆりと呼ばれるのは嫌だな。
そう思う。
「リリィ・ベル・グレイスだよ。短い間だけどよろしく、ギリアン」
次話は少し間が空くかもしれません…
気長にお待ちいただければ幸いです。