運命の王子との、愛のキス
ずっと、夢見ていた。
いつかこの呪いが解かれ、私は自由になる。
運命の王子が、私を迎えに来てくれる。
だけど、こんな気性の強い私と、優しい彼はきっと合わないだろう。
喧嘩して、嫌われて、彼は私から離れて行ってしまうかも。
でも、だけどもし、王子が私を好きだと言ってくれたなら。
その時は、私はきっと、世界で一番の幸せ者だ。
きっと死んでもいいと思えるくらい、幸せだ。
ランドール王国の王と王妃の寝室に、第三王子帰還の知らせが入ったのは、すでに床についている真夜中だった。
翌日だと聞いていた王子の帰還に、初めこそ二人とも驚き、喜んだが、立場上「こんな時間に戻るなど非常識な。明日会いに来るよう伝えよ」と伝令を命じた。
だが、王達を起こした兵士は、青ざめた顔で首を横に振った。
「恐れながら陛下、すぐお会いになった方がよいかと思います」
「なぜ」
王の問いに、兵士は震える声で言った。
「王子殿下がお連れになった姫君ですが、ご危篤にございます」
ギリアンが王城の自室に戻ったのは、実に三ヶ月ぶりであった。以前と変わらず整えられた綺麗な部屋に、以前とは違う自分がいる。そして、彼の寝台にはぐったりと横たわるリリィ・ベルがいた。
先ほどまで、御典医がリリィを診てくれていた。縋るような目で彼を見つめるギリアンに、しかし医師は静かに首を振った。
リリィはまだ生きている。胸がわずかに上下しており、彼女が息をしていることがわかる。
だがギリアンが握っている彼女の手は、どんどん冷たくなっていく。
リリィが死ぬ。
まだ生きているのに、何もできない。
あの時と同じだ。ゆりを失ったあの時と。
彼女が死ぬと考えただけで、ギリアンは自分の体からも体温が奪われていくような気がする。
どうすることもできず、ただ呆然とリリィの顔を見つめていると、部屋の扉が開き、誰かが入ってくる気配がした。
「ギリアン」
かけられた声は、父親の声だった。
懐かしい声に、だがギリアンは振り向くことができない。リリィの死を目前に、動く気力すらなくなっていた。
ギリアンの肩に、手が添えられた。線の細い手は母親のものだ。ギリアンの後ろから、眠るリリィの姿を見ている。
「…この子の名前は?」
柔らかい母親の声に、ギリアンは反射的に答える。
「リリィ・ベル…」
父親がもう片方の肩に手を置いた。
「何があった」
父親が問いかける。ギリアンは、使うべき敬語すら忘れ、ぽつりと答える。
「呪い」
両親が顔を見合わせたようだった。魔法が廃れた今、呪いも眉唾ものの話と考えられているからだ。
だが、ギリアンは続ける。
「リリィには、呪いがかけられていて、俺が、解けなかったから、助からないって…。俺、俺が、不完全だったからって」
ギリアンの声が震え、王と王妃は息子が泣くのでは、と思ったが、涙はこぼれなかった。ただ、死んだような目で少女を見つめている。
ギリアンのことは全て知っているつもりでいたが、両親がこんな息子を見るのは初めてだった。このままリリィ・ベルが死んだら、後を追うのではと思うほど、ギリアンは危うかった。
王は戸惑い、言葉をなくしたが、そんな息子の様子にすぐ立ち直ったのは母親である王妃であった。
突然ギリアンの背中を強く叩き、怒鳴った。
「しっかりしなさい!」
その力強さに、尻に敷かれている王は思わず反射的に飛び退き、ギリアンは驚いたように母親の顔を見た。
王妃はギリアンに強い視線を向け、言った。
「いつまでも俺のせい俺のせいって、過ぎたことをぐちぐちと言うんじゃない」
切り捨てるようなその言葉に、ギリアンの目にわずかに生気が戻った。
「過ぎたことって…、まだリリィは生きているのに」
「だったら後悔ではなく、今できることを必死で考えなさい!」
ギリアンが息を呑んだ。母親は続ける。
「呪いとか不完全とか、私にはよくわからないけれど、今この状況を一番理解しているのがあなたなら、何とかできる可能性もあなただけでしょう。考えることをやめるな!」
厳しい母親の声が、頭に響いた。
今、リリィを救える可能性は、自分にしかない。
そこに一筋の光明を見出した。
「…どうして、不完全だったんだろう」
「え?」
母親が聞き返し、ギリアンは考えたことをそのまま言葉にする。
「呪いの解呪は不完全だったからリリィは助からないと言われた。だけど、どうして不完全だった?」
考えろ、考えろ。
必死で頭を働かせる。あの女が言ったことを全て思い出そうとする。
そこにきっと、何かある。
「リリィの死は回避できないけど、念のためと言って俺を殺そうとした。なら、俺にならまだ呪いを解く可能性が残っているのかも知れない」
誰が息子を殺そうとしたのか聞こうとした王妃を遮り、今度は王がギリアンに尋ねる。
「そもそも、不完全だったという呪いの解き方とは何だったのだ?」
「それは」
そう言いかけて、ギリアンは思い至った。
呪いを解く方法は、「運命の王子との、愛のキス」。
ギリアンは運命の王子で、確かにリリィにキスをした。だが、それが不完全だった理由は。
「まさか」
呆然と呟き、ギリアンはリリィを見つめる。彼女の息が細くなっていく。
ギリアンは立ち上がって、リリィの手を握っているのと反対の手で、リリィの唇に触れた。
もし、この予想が当たっているなら。
ギリアンがひどく緊張していることを感じ、両親は一歩身を引く。王は、王妃の手を取り、二人も緊張した面持ちで成り行きを見つめる。
ギリアンの手がリリィの額にかかった髪を梳く。初めて会ったあの日のように、しかしあの日とは違う想いで。
ギリアンは、祈りを込めて、リリィにキスをした。
リリィは、自分の体がどんどん冷たくなっていくのを感じていた。だが、手だけは暖かい。きっとギリアンが、手を握ってくれているのだろうと、何となく思った。
このまま自分は死ぬのだろう。本当はもっと、ギリアンとも後腐れなく別れるつもりだったが、真相を知ってしまった今、自分が死んだらギリアンは傷つくだろう。
呪いが解けなかったのは自分のせいだと思って、ひどく後悔するのだろう。
申し訳ない思いを持ちながらも死への道を進んでいたはずなのに、突然体が上に引っ張られる感覚があった。驚いていると、優しい手の感触がリリィの背中を押し、上へと更に引き上げた。
「振り向いてはだめ」
その声に、リリィは息を詰めた。
「そのまま上へ行きなさい。あなたの人生は、これから始まるの」
リリィの目から涙がこぼれた。震える声で呼んだ。
「お母様」
背中の気配は、少し笑ったようだった。
「大好きよ、リリィ・ベル。どうか、幸せになって」
リリィは涙を拭った。
「私もよ、お母様」
そう言うと、リリィは自らの力で上に見える光へ向かった。
ゆっくりと目を開けて初めに見たのは、泣き出しそうなギリアンの顔だった。
「リリィ」
震える声で名前を呼ばれ、リリィの目尻から涙が流れた。
「ふふ、変な顔」
泣きながらそんなことを言ったリリィを、ギリアンは抱きしめた。
リリィも体を起こしてギリアンの肩に顔を埋めた。
ギリアンは戻ってきたリリィの体温を感じ、安堵に泣いた。
そうしてリリィの耳元で、やっと言いたかったことを伝えた。
「愛してる」
呪いが完全に解かれなかったのは、初めて会ったときに、まだギリアンがリリィを愛していなかったから。
「愛のキス」ではなかったことが、不完全だった原因だ。
王と王妃が涙ぐんでうなずきながら二人を見ていることにも気がつかずに、ギリアンとリリィは見つめ合い、どちらからともなく笑いあって、もう一度キスをした。