王妃と王女
気がつくと、リリィは城下町の真ん中にある広場にいた。
昼間は多くの民で賑わうこの場所は、夜には静寂に包まれる。近くに民家もないため、人が起きだしてくることもない。
リリィは、目の前にいる女を、恐怖を持って見つめた。
自分に気づかれないよう事も無げに空間移動の魔術を使った王妃に、体が震える。
何より、この女はもう死んだはずなのだ。鏡の中にいた時は、残留思念か何かと思っていたのだが、今目の前にいるこの女は、確実に生身だ。
「どうして、生きてるの」
声が震えて、思わず唇を噛む。王妃は笑った。
「ああ、これ? あなたとサージャへの憎しみがあまりに深いものだから、私たちは念だけでこの世に留まっていたの。この体はね、あなたに対峙するため、都合のいい体を探していたら、夫を若い女に寝取られて憎しみに凝り固まった女を見つけたものだから、ちょっと拝借したの。ふふ、思念が似ているからとっても居心地がいいのよ」
リリィはショールを握り締めた。そして、引っかかった言葉を拾い上げる。
「私、たち?」
「そう、この念は、王妃カリーナと十一人の愛人たちの念。この姿は代表と言ったところかしら」
リリィは目を見開く。道理で、とんでもない圧力だ。だが同時に、理不尽だという思いも湧き上がる。
そうだ、いつも理不尽に、自分と母は憎まれた。
リリィも母も、ただそこに生きていただけだったのに。
城には、十二人の魔女がいた。魔女たちはいずれも美しく、王はその全てに手を付けた。
そして子を宿したのは、最も魔力の強いサージャという魔女だった。
サージャは姫を産んだ。王は姫の誕生を喜んだが、子を産んでいない王妃の手前、サージャと姫・リリィを優遇することは難しかった。
ところで王妃も、魔女であった。それも、国で一、二を争うほどの力を持った魔女だった。そして自分と同等かそれ以上の魔力を持つサージャを、常日頃から敵視していた。それが、サージャが子を産んだことで表面化した。
他の十一人の魔女は、どちらかというと王の愛人という立場のほうが重く、魔力は大したものではなかった。だが、女の嫉妬ほど怖いものはない。
王妃は、十一人の魔女と結託して、生まれたばかりのリリィ・ベルに呪いをかけた。
「リリィ・ベルは、十五歳の誕生日に死ぬ」
だが、母サージャは、王妃がそのような行動に出るであろうことを察していた。そして、呪いの内容を正確に読み取り、娘に更なる呪いをかけることで緩和した。
「リリィ・ベルは、十五歳の誕生日から百年の眠りにつく」
十二人の魔女から受けた死の呪いを打ち消すには、代償として百年の眠りが必要となる。だがサージャはそれでも姫に、死よりも生を与えてやりたかった。
「姫は、百年後に、運命の王子との愛のキスで目覚め、呪いは解かれる」
百年後に目覚めても、姫をたった一人、孤独にさせることはしたくない。そう考えたサージャがつけた呪いを解く方法は、第三者の介入。
それが、ギリアン・ランドール。
リリィにも魔力があった。それも母譲りの強い魔力が。
十五歳になるまでにも、何度も命を狙われた。その最中、母は自分が十二歳のときにとうとう殺された。それから三年は、自分自身の魔力で身を守った。
いつか自由になってやる、と心に決め、常に旅支度をクローゼットの中に用意していた。
だが十五歳の誕生日、リリィは殺された。
しかしリリィにとって、予想していなかったことが起きた。自分を殺しに来たのは、王妃でも愛人たちでもない、リリィの父だったのだ。
「かわいそうなリリィ、今父が楽にしてやろう」
女たちの間で繰り広げられた呪いなど知る由もなく、ただ自分勝手に「娘を助ける」ために殺しに来た。
リリィは絶望し、息絶える直前に持てる限りの魔力を放出した。
その瞬間、グレイス王国は茨に覆われた。
民の全てはその茨に触れると姿を消した。死ぬのではなく、ただ消えた。
リリィの首を絞めて殺した父王は、茨に覆われ滅びた我が国を見て錯乱し、リリィが閉じ込められていた塔から逃げ出した。城内にも茨が蔓延り、全ての人間が消えていた。王妃と十一人の魔女以外には。
魔女たちは、この惨状を引き起こしたリリィを詰った。そしてその中で、これまで自分たちがリリィに呪いをかけ、サージャを殺したことを口走ってしまった。
それを知った王は激怒し、王妃と十一人の魔女を斬り殺した後、自害した。
リリィ・ベルは死ななかった。
母が自分に与えた、二つ目の呪いが発動し、眠りに付いた。
魔力の強い姫は、その力で夢を見た。その夢は、全て現実に起こったことだった。
リリィは知った。王妃と魔女たちが、父王に殺されたことを。父王が死んだことを。そして、自分の魔力の暴走が、国を滅ぼしたことを。
リリィは、言わずにはいられなかった。
「どうして? 私たちは、生きていたかっただけだった。目障りなら、国から追い出してくれたほうがよかった。自分たちが王に愛される努力もせず、ただ私たちを貶めるだけに力を注いで、それも全て私たちのせい?」
王妃は腕を組み、困ったように首を傾げた。
「まあ、生意気。私たちには決まりがあったのよ。誰一人、王の子を生まないこと。それを破ったのはサージャのほうよ」
リリィの唇が震えた。
自分が生まれなければ、母はきっと死ななかったのだろう。だが、自分は生まれて、母は自分を愛してくれた。「あなたを生んでよかった」と言ってくれた。
リリィの目に涙が浮く。
「悔しいわ」
「なあに?」
王妃の不思議そうな問いかけに、リリィは拳を握り締めた。
「あんたたちも子どもを生めば、あるいはこんなことにならなかったのかもしれない。お母様はおっしゃったわ。あなたを生んでよかった、それで死ぬことになったとしても、母親になれただけで、私は幸せだった」
王妃の顔から笑みが消えた。冷たい空気が二人を包む。
「もしあんたたちが、子どもを生まなかったとしても、私を娘と呼んでくれたなら、きっと私も素直にあんたたちの娘になれた。十二人も母親がいて、幸せだって思える未来も、あったかもしれないのに」
「有り得ないわ」
王妃の冷たい声が、リリィの言葉を遮った。リリィは、涙に濡れた目を伏せる。どうして、自分はこんなにも非力なのだろう。目の前の人一人、説得できない。
そんなリリィの様子を冷たい目で見つめていた王妃は、再び笑みを浮かべた。
「ようやく、あなたを殺せるわ」
リリィは顔を上げる。唇を引き結んで王妃を睨みつける。
だが王妃は実に楽しそうに、言葉を続ける。
「呪いは、完全に解かれていない。だけどあなたは目覚めて、動いている。それは、あなたが不完全な解呪を自分の魔力で補っているから。だけど、…見たところ、そろそろ限界かしら」
「…うるさい」
リリィは硬く拳を握り締める。手の平に血が滲む。
「サージャの呪いの解呪の条件を、あの王子は満たしていない。だったら勝つのは、最初に私たちがかけた呪い。あなた、もう死ぬわ」
「何だ、それ」
突然割って入った第三者の声に、リリィは息を止めた。
王妃がゆっくりと振り向くと、そこには剣を握り締め、息を切らして二人を追ってきたギリアンが。
彼は呆然と、二人を見つめていた。