初めてのプレゼント
ランドール国の城下町へ到着したその日、急げば当日中には城へ入れたのだが、ギリアンはわざと行程を遅らせた。
自分でも何故かわからないが、リリィとの旅をまだ終わらせたくないという気持ちがあった。
リリィとは結局、歩み寄ることはできなかった。あの日聞いたリリィの身の上話が本当か否かもわからないままではあったが、城に帰れば確実に、彼女との別れは訪れる。
そしてギリアンは、この旅の中であることに気づいていた。リリィは、自分のことを嫌ってはいない、むしろ好意を寄せつつあるということである。
どんなに自分のことを嫌っているかのように振舞っても、これまで多くの女性と接してきたギリアンには、それが女性の本心かどうかが本能的にわかるようになっていた。中にはリリィのように、女癖の悪い男にかかるまいとする意地で自分に冷たく振舞う女性もいたのだ。リリィの振る舞いは、まさにそれだった。
そしてギリアンも、リリィのことを初めほど嫌いではなくなっていた。彼自身、女性に「優しくない接し方」をしたのは初めてだったのだが、それが存外いちいち気を使うこれまでの付き合いよりかなり楽であることに気がついた。そして、リリィとの喧嘩も当初の頃ほど憎憎しい気持ちを持ってすることはなくなっていた。むしろ、嫌なものは嫌だと互いに言い合えるこの関係を、悪くないとすら感じ始めていた。
もしかしたらこのまま、リリィは本当に自分の恋人になるのではないかという想いが、ギリアンの中にわずかに芽生え始めていた。
きっと行程を遅らせたのも、リリィとの関係を少しでも変えられるかもしれないというギリアンの無意識の思いだったのかもしれない。
城下町の宿でリリィを休ませると、ギリアンは城下へと繰り出した。
騎士詰所へ赴き、第三王子が明日婚約者を連れて城へ帰還する旨を言付けた。
騎士たちは久しぶりに見た王子に驚き、言付けを受けて訝しげな視線を寄越してくる。
これまでのギリアンの女癖の悪さを、彼らは知っているのだろう。
素直すぎる騎士たちの態度に苦笑いしつつ、「頼んだぞ」と声をかけて屯所を後にした。
宿に戻る道程で、久々の城下の商店街を見て回る。
ギリアンに気付いた住民たちがざわつき、「若い娘を隠せ」と言っているのを聞いてしまったときは気まずい思いをした。
成程、これほど広まってしまえば、父王も怒るわけだ。
これ以上いたずらに住民たちを戸惑わせないためにも、さっさと宿に戻ろうとした時、道端の露天商が広げている小物の中の一つに目を惹かれ、思わず手に取っていた。
「もう旅も終わりだな」
その日の夜、宿の部屋でそう話しかけたギリアンに、リリィはぞんざいな返事をした。
「そうね」
彼女は何の気もなしにベッドに腰掛け、窓の外の風景を見つめている。その横顔からは、何を考えているのかを知ることはできなかった。
ギリアンは逡巡したが、決意して立ち上がり、リリィの横に立った。リリィは傍に来たギリアンを、眉間にしわを寄せて見やった。
「…何」
そのつれない返事に、しかしすっかり慣れたギリアンはめげず、リリィの前に拳を突き出した。
リリィはその拳とギリアンの顔を交互に見たが、やがて訝しげに拳の下に手を出した。
ギリアンの拳が開かれ、リリィの手の平に何かが落ちる。リリィが手の平の上で見たものは、水色の石が嵌め込まれた銀細工の髪飾りだった。
「何、これ」
リリィが心底不思議そうに聞くと、ギリアンは僅かに頬を紅潮させて答えた。
「安物だけど、ここまで付いてきてくれた礼だ。その、石の色がお前の目の色に似てたから」
リリィが驚いたように瞬きした。そして改めてまじまじと、ギリアンのくれた髪飾りを見つめる。
「これを、私に?」
「いや、もっといいやつ買ってやりたかったんだけど、何しろ金も時間もなくて。…気にいらなかったら捨てて」
リリィはその言葉に、しばらく黙って髪飾りを見つめていた。だがやがて、ぽつりと言った。
「ありがとう」
ギリアンは、「いらない」と言われることを想定していたので、驚いて言葉に詰まった。その表情に、リリィはギリアンを睨みつける。
「何よその顔は」
「あ、いや、突き返されるかと思ったから。その、気に入った?」
そう聞かれ、リリィは動揺したように「えっ」と言って肩を震わせた。そして視線を彷徨わせる。
「ぜ、全然。でも、せっかくくれるって言うもの返すのは失礼だから」
いつもならかちんとくる言い方だが、そう言ったリリィの頬が僅かに赤くなっているので、実は結構気に入ったのかもしれないとギリアンは思い、思わず笑った。
その様子にリリィはキッとギリアンを睨みつけ、寝台から立ち上がった。
「ほ、本当に気に入ってなんかないんだから。絶対に付けないんだから」
「ああ、うん。そうだな」
だがギリアンはくすくす笑いながらそう答えた。こういう時のリリィは可愛いなと、素直に思える。
だがリリィは気に入らなかったらしい。靴を履いて肩にショールを羽織ると、部屋の外へ向かう。
「え、おい、どこ行くんだ?」
もう夜も遅い、さすがに危ないと思って声をかけたのだが、「うるさい、すぐ戻るわよ!」と怒鳴られ、諦めた。
ばたんと閉じられた扉を見つめ、ギリアンはまたも笑った。