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Loser Crying  作者: 負け犬
6/10

死刑囚と犯罪者 05

「そうと決まれば取り敢えず移動しましょうか」


 タバコをズボンのポケットから出した袋にねじり込み、ルイスさんは椅子から立ち上がる。そのまま腰を曲げて、僕の腕を掴み引っ張った。どうやら立たせたいらしい。だが、生憎と僕の足はまだ歩けるほど回復はしていな、


「えっ」


 思わず声が出るほど、すんなりと立てた。さっきまでは鉛よりも重いと思っていた足が、気味が悪い程すんなり言う事を聞いた。


「その囚人服のままでは目立ちますので、私のコートを羽織ってください。ちゃんと前も閉めて。フードも被って。歩くのが辛いようでしたら私の腕に掴まって……」


 突如、激しいノック音がこの部屋の空気を震わせた。先程までテキパキと動いていたルイスさんの手が、関節が錆び付いたかのようにピタリと止まった。尚もノック音は響いている。


「我らは王家直属憲兵団である!! 昨日未明、刑務所より逃亡した死刑囚と大犯罪者マドール技師の目撃情報があった!! 大人しく戸を開けろ!!」


 野太い男の声が響き渡る。憲兵団、捕まれば即死さえあり得る。

 思わず、ルイスさんに着せてもらったコートの袖口を握りしめた。少しファーが潰れてしまったかもしれないが、そんな事を凌駕する恐怖が僕に襲いかかって来る。

 僕が怯えているのを感じ取ったのか、その黒い男は面倒臭そうに溜息を一つ落とし、小さい声で僕に耳打ちをした。


「キャシーの力を使います。目と口を閉じて、出来るだけ息を潜めていなさい」


 そう言ったルイスさんは、またあの少女の人形を手繰り寄せ、僕の肩をその薄い体で覆う様に抱きすくめた。反射的にルイスさんの黒いシャツを軽く握る。

 間も無くして、ドアが軋み、前後に揺れ始める。遂に強行突破すべきと判断したんだろう。ぎゅっと目を強く閉じたと同時に盛大な木の破壊音が部屋に蔓延した。


「両手を挙げて壁に掌を当てろ!!」


 視界が効かない中、さっきよりも鮮明に聞こえる野太い声に、思わずルイスさんの服を強く握った。小さな舌打ちが上から降って来たのには閉口したい。

 ぞろぞろと憲兵特有の硬質な足音が部屋に満ちていく。しかし、彼らはどうやら僕たちを視認できないらしい。


「隊長、どこにも……」

「忌々しい悪魔の術だ! 惑わされるな! 探せ! 何処かに必ず痕跡があるはずだ!」


 きつく結んだまぶたの裏を見ながら、怒号を聞く。刑務所の冷たく暗い影を思い出し、肩に力が入る。あそこは嫌だ。なにが、じゃなくて、ただ漠然と嫌だった。

 そんな僕の様子を感じ取ったのか違うのか、少しだけ僕を抑える骨ばった手に力がこもった。


 じきに、ドタドタと言う重い足音と舌打ちを残し、男達の気配はこの部屋から消え失せた。

 急に静かになり、ゆっくりと冷めていく部屋の温度に肩の力が抜ける。無意識に止めていたのか、口から息の塊で出てきた。自然と息が上がる。少し苦しい。


「一息ついているところ悪いですが、この荷物持って頂けますか」


 疑問符を付けずにほぼ押し付けられるのと同意義に渡されたた黒い革張りの旅行鞄。訳もわからず受け取ると、肩が脱臼するかと思うほどの重量がかかり、思わず腰を曲げて鞄を床に置いてしまった。何が入ってるんだこの鞄。

 かなり勢いがついていたからか、どすん、と重たい音がしてしまい、ついでに小さな舌打ちが上から降ってきた。十中八九ルイスさんのモノだろう。

 再び持ち直そうと腰を入れて持ち上げようとしたところ、一人の武装した青年が入り口前へと滑り込んできた。憲兵だ。


「たっ……!」


 隊長、と叫ぼうとしたであろうその男は声を上げることなく昏倒した。

 男の前には掌底打ちの体勢のまま静かに佇む影。ルイスさんが男の意識を刈り取った事は火を見るよりも明らかであった。


「貴方が派手な物音を立てるから面倒臭い事になったじゃないですか」


 少しむくれたような声を出したその黒い影は、もう一つの草臥れた茶色の旅行鞄を引っ掴んだかと思うと、僕の体を右肩に担いだ。急に視界が反転する。ついでに持ったままの鞄が重力に弄ばれ、肩が痛みを訴えた。

 階下から野太い声が聞こえ、多数の靴音が近づいて来る。勘付かれたのだ。


「舌、噛まないように」


 端的に囁かれたその声が聞こえたと思ったら、僕は既に空中を飛んでいた。

 飛んでいく視界に、開け放たれた木製の窓と驚愕に満ちた小さな男の顔が映った。

 道を行き交う人の群れを見ていた。


ーーーーーー


「ぎゃっ」


 思わずひり出た情けない悲鳴。着地の瞬間に吐き出された空気の付属品である。

 そこは薄暗い路地裏。遠くに大通りの喧騒が聞こえ、近くに水滴が滴る音がする。空は明るいが光が届く事はなく、薄ら寒い温度がそこに蔓延していた。


「嗚呼、本当にツいていない」


 心底疲弊したような声が発せられた。誰かと勘繰る事なくルイスさんの物だと容易に分かる。明らかに落胆と僅かな苛立ちを含んだそれは、僕を責めているように聞こえた。否、事実非難しているのだろう。

 ずるり、とまるで荷物のように湿った不潔な石畳の地面に落とされた。当然痛みはあるが、この怪我が原因の痛みは全くと言って良いほど感じない。本当に何が起きたんだろうか。


「裏路地四丁目、右角曲がってすぐ」


 独り言のように呟かれたその声は、硬質な足音共に移動を始めた。同時に遠くではあるものの、この裏路地の世界の音であることが明確である若者の声が聞こえてきた。慌ててゴキブリの様に手足を忙しなく動かしその背中を追いかける。ふと、ルイスさんの足元を見れば、それは黒くて酷く踵の高い靴に包まれていた。先程からやたら高らかに鳴る靴音の正体が判明したと同時に、こんな靴を履いて窓を飛び降り、屋根を伝い、挙げ句の果てには高所からこんな硬くて滑りやすい石畳の上に着陸していたのかと、その驚異的な身体能力に感心する。しかし、この靴の形は確か女性ものではなかっただろうか。確かに線は細いが、ルイスさんはどこからどう見ても男性だ。


「何してるんです?」


 流し目で僕を見下ろすルイスさんの声が降りかかる。靴を凝視しているのがバレたようだった。慌てて靴から目を逸らしながら、何でもないという意思表示の為に首を横に振った。何を思ったのか、剣呑な光を湛えた赤い目を細めたその人は興味が失せたかのように再び前へと向き直った。

 冷たく湿っぽい裏路地に僕の薄い布靴とルイスさんの硬質で細い足音が響く。その間に声は無く、ただただ静寂と足音だけがこだましている。

 段々この空気に居心地が悪くなってきた頃、ふと、やさしい匂いが鼻をかすめた。パンの匂いだ。それも、焼きたての。情けないが、お腹がぐうと鳴った。再び、目の前の黒づくめの男の薄い肩越しに赤い目がちらりと覗く。途端に恥ずかしくなって、俯いた。小さなため息がぽとりと落ちた。僕はまた、いたたまれなくなった。


「ここです」


 ふと、硬質な足音が停止する。男が見上げる先には、壁にすっぽりと埋まる形で建っている緑煉瓦の家。小さく開いた窓から漂う匂いと、ドアノブにかけられた「open」の字に、ここが何かの店だという事と、あの美味しそうなパンの匂いの元であることが分かった。

 かつりと、思考を遮るように妙に響いた足音に、まるで不思議な世界に迷い込んだような感覚が壊される。

 ルイスさんが金メッキを塗られた取手に手をかけ、ゆっくりと押し開く。高らかにからんからんと来客を知らせるベルが鳴った。

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