死刑囚と犯罪者 04
「あらあら、とてもいたそうなおとがしたわ。だいじょうぶ? かわいいぼうや」
埃が薄っすらと溜まった床に、その人形は優雅に降り立った。僕の目の前に上品に立ち、その小さな手で僕のこめかみをそっと撫でた。
「な、あ、な……!?」
「おや、キャシー。ドレスが汚れてしまいますよ」
「でもぼうやはいたがってるわ」
「大丈夫ですよ」
「そうかしら」
そう言うと、再びふわりとその人形は浮かび上がりルイスさんの手中に収まる。糸で動かしているようにも、腹話術を使っているようにも見えない。
まさか、本当に人形が個々の意思を持っていると言うのだろうか。
「信じられます?」
ルイスさんが口を開いた。その、静脈血の様に重く淀んだ赤い瞳が僕を鋭く射抜く。
「こんなに可愛らしいのに、中身は悪魔なのですよ? こんなに優しいのに、世界から除け者にされるのですよ?」
もう一度、その目の前の男は「信じられますか?」と表情を変えぬまま問うた。
信じられない。そもそも、悪魔なんているとは今まで生きてきて微塵も思った事は無い。僕らの村にも教会はあったが、僕は教徒では無かった。でも、あの水は、獣は、確かに消えて無くなった。普通のものではない。
まさか、本当に?
「本当ですよ。
貴方が感じたもの、見たもの、聞いたもの、全てに偽りなどない。この子は悪魔で、貴方の目の前にいるのはその悪魔を創る大犯罪者。
それが『マドール技師』。貴方の父と同じです」
考えていた事を見透かされた様に声を掛けられる。その目に嘘などは見受けられない。つまり、父さんも、犯罪者。それも、悪魔を創るなんていう大罪人……。そんな馬鹿な。あんな、能天気な人が犯罪者なんて、俄かには信じられない。いや、信じたくない。
「……信じたくないならそれでも構いませんが、事実は事実。それは揺るぎませんよ」
徐にベッドのサイドテーブルから皺の寄った箱を引き寄せ、中からタバコを取り出しながらルイスさんは淡々とそう告げる。
そして、火をそのタバコに点け一息、煙と共に息を吐き出したその黒い男は青白い肌と黒以外に唯一色が付いている部分を僕に向けた。男は再びその薄い唇を開いた。
「とりあえず、こちらもいつまでもガキ引っ付けて動き回る訳には行きませんので、どっかに振り落としましょうか。貴方」
もう一度煙を吸って吐いたルイスさんは、何気なく今の僕にとっては目下恐怖となる事を零した。
ーー見知らぬ土地でそんな事されたら何をされるか分かったものじゃない! 刑務所に逆戻りして死刑にされるに決まってる!
それだけは嫌だと首を横に振り、僕の手は藁にもすがる思いでメモ帳と万年筆をひっ摑んだ。
『父と約束したんです!』
「……約束?」
『はい! 必ず故郷に戻って父を待つと! 日頃から言われていました。もし自分に何かあったらただ待っていなさいって!』
「…………」
『だから、僕は故郷に戻らなければいけないんです!』
「……で? それを無償で、尚且つ仕事も多く一つ所に留まれず、根無し草で犯罪者の私に? 貴方みたいなお荷物を遠い遠い貴方達の故郷まで運べと?」
万年筆を動かす手が止まる。
ーー確かにそうだ。なんの見返りも渡せないのにただ協力してくれなんて、虫が良すぎる。
あまりの自分の身勝手さに気付き、途端に恥ずかしくなる。自分はなんて図々しくて汚い奴なんだろう……。
「ああ、そうですね。でも、そのマリアを報酬として頂いて宜しいのでしたら、二つ返事で了承しますが?」
そう言いながら、男はベッドと反対の壁に接している机の上に行儀良く座っているマリアを指差した。彼女はまだ、瞼を閉じたままにも関わらず、燦然とそこで存在感を主張している。しかし、この男が言う事を信じるのならば、この美しい人形も悪魔をその球体関節の体の中に内包しているのだろうか。
ぼんやりと、その後光を背負っているかのような人形を見つめていると、ふわりと、煙の匂いがふと近くなった。
「どうです?」
短く問うて来たその男は僕の肩口に顔を近づけ、囁きながら目を細めた。その姿はまるで、チェシャ猫の様だ。
僕は、もう一度万年筆を握り直した。
『父は、マリアを失ったら、怒りますか』
「さあ、感情の読めない人なので。怒るかもしれませんし、悲しむかもしれませんし、案外ケロッとしてるかもしれません」
『父は、僕がちゃんと故郷で待っていたら、喜んでくれるでしょうか』
「私は子供なんていないのでよくわかりませんが、よっぽどの人格破綻者ではない限り、自分の息子が健気に自分を待っていてくれたならまあ、嬉しいんじゃないですか? たださえあの人ショタコンですし」
体をもう一度椅子に戻し、座り直す様に足を組んだルイスさんは天井を仰ぎ煙を吐き出した。
さっきのキャシーという人形もその太ももの上に腰掛け、ニコニコと不気味なまでに微笑みながら僕を見つめている。
要するに、自分の命か父の形見か、どっちか選べと言われているのだ。
ーー天秤にかけるまでもない。
『ーーはい。それでよろしくお願いします』
その黒い影の様な男は赤い瞳を細め、もう一度短く煙を吐いた。
「契約成立ですね」
悪魔がニタリと笑った気がした。