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時喰いダンジョンに、喰われたのはきっと

作者: 編乃肌

 時喰いときぐいダンジョン――――それは時の女神が創った、人間の記憶と時間に干渉する恐ろしい迷宮だ。


 このダンジョンの中では、時の流れが狂う。そして大切な記憶の一部が奪われ、身体は徐々に退行する。攻略するためには、己の積み上げた時間が喰い尽くされる前に、記憶が封じられた懐中時計を探し集めなくてはいけない。


 喰われる時間に抗い。

 巻き戻る身体の恐怖に耐え。

 どんな己の記憶とも向き合う。


 それが可能な者だけが、このダンジョンに挑む権利を持つ。


 

 【迷宮攻略者・リガード=アバドンの冒険記録より】  



●●●

 


「――――おい、起きろ、ミウ」

「ん……」


 ミウがゆっくりと、丸い翡翠のような瞳を開く。冷たい地面に倒れていた身体を起こせば、ツーサイドアップにした、薄水色のセミロングの髪がサラリと揺れた。


 周囲は凹凸のある石造りの壁。それが何処までも続いている。高い天井には、ところどころに光る魔石が埋め込まれ、辺りをほんのりと照らしている。


 ミウは微睡む瞳を擦りながら、声を掛けてきた人物に焦点を当てた。


「えっと、ここは……」

「しっかりしろ。頭は正常か? 俺のこと分かるか?」

「? う、うん。リントだよね」

「そうだ。お前の幼馴染で、共に旅してきた冒険者仲間。そんで、他の追随を許さない男前。これらも覚えているか?」

「最後以外なら大丈夫」

「よし。ひとまず俺に関する『記憶』は、全部抜けているわけじゃねぇな」


 立ち上がって、リントと呼ばれた少年が頷く。

 眩いウルフカットの金髪に、勝気な琥珀の瞳。腰には獲物であるサーベルを提げている。ミウは即座に男前であることを否定したが、整った見目と自信に満ちた雰囲気は、昔から異性にモテることをミウはよく知っていた。


 忘れるはずが無い。

 今年で16になる、同い年の冒険者でミウの幼馴染である、リントだ。


 ようやく稼働し始めた脳で、ミウは此処がどこであるかを思い出した。


「リ、リント! もしかして此処って、時食いダンジョンの……っ!?」

「そうだ。『あの』ダンジョンの中だ。どうやって入ったか、そこに至るまでの『記憶』は奪われてるようだがな。お前は覚えているか?」

「……ちょっと待って、順番に整理していくから」


 ミウは程好く日焼けした手を額に当て、記憶を辿る。


「まずは、此処に来た目的……私達は、ユイを助けるために来た」


 ユイは、ミウの一つ下の妹だ。

 見た目は双子のようによく似ている。だけど人見知りなミウと違い、性格は明るく社交的。誰からも好かれる少女である。


 ミウとリント、そしてユイは、各地に点在する自然の迷宮・『ダンジョン』を探索する、『迷宮冒険者』と称される者達だ。


 ダンジョンは、神々が暇潰しで創った『神の箱庭』とも言われ、そこには奇跡を起こす貴重なアイテムが多数眠っている。迷宮内の構造も多種多様で、一度攻略されても自動で初期の状態に修復する。

 その存在が確認されてから数十年、いまだダンジョンについての謎は解明されきっていない。

 

 襲い来る罠や魔物を蹴散らし、アイテムを集め、迷宮の創造主である神の用意した条件を満たして、無事に生還する。

 それが『迷宮冒険者』たちの役割であり仕事だ。


「リントは剣士、私とユイは魔法使いとしてパーティーを組んで、三人でいくつも迷宮を攻略して……順調だったのに」


 あるダンジョンの攻略の最中。

 不幸にもユイが、倒した魔物からある『呪い』を受けた。


 魔物の中には、極一部だが特性を持つ個体がいる。その魔物は『道連れ』という特性で、じわじわと身体機能が衰え最後には死に至る、そんな呪いをユイに掛けたのだ。このままでは、あと一年も経たずしてユイの命は潰える。



 ――――ミウとリントは、ユイを救う最後の手段として、この難易度Sランク指定の『時喰いダンジョン』に挑むことを決めた。



「俺達はユイの呪いを解くために此処に来た。このダンジョンには、どんな呪いや術でも解ける『解呪の薬草』があると、情報を得たからな」


 当のユイには、「危険すぎるよ!」と引き留められたが。

 

 『迷宮冒険者協会』が定める難易度Sランクのダンジョンは、攻略者が数えるほどもいない。駆け出し冒険者のミウ達には、無謀と言われても仕方ない挑戦だ。

 だけど、ミウがたった一人の大切な家族を救うためには、もうこのダンジョンに挑むしか道は無い。

 無茶は承知で、リントもついてきてくれた。


 チラッと、ミウはリントの顔を下から覗き見る。


 ……こちらは仲間を、延いては好きな女の子を助けるためだろうと、ミウは思っている。

 リントは昔からユイのことが好きなのだ。ずっとリントを見てきたミウではなく、ユイを。


「? どうした、ミウ?」

「な、なんでも無いよ」


 ミウは頭を振って立ち上がった。今はそんなことに気を揉んでいる場合ではない。


「えっと、どこまで思い出したっけ? そうそう、ユイを近くの村の診療所に預けて、私とリントはダンジョンのある『巡りの森』に向かっ……!」


 そこで急激な頭痛がミウを襲った。思わずこめかみを押さえる。

 森の入り口にリントと足を踏み入れたところまではしっかり覚えているのに、その先の記憶は白い靄でも掛かったように不明瞭だ。


 「お前もか」と、リントは腕を組んで溜息をついた。


「とりあえず一つ目の奪われた記憶は、このダンジョンに来るまでの過程だな。俺も思い出せねぇんだよ。無理に思い出そうとすれば、頭が割れそうなほどに痛む。……あの冒険書に記されていた内容は本当だったな」


 リントの言葉に、ようやく痛みの引いたミウは、腰に巻いてあるポシェットに手を入れた。中が異空間のようになっており、突っ込めるサイズのものならなんでも収納できる。限界許容量はあるが、重さを感じずお手軽に物を運べる、冒険者には必須のアイテムだ。


 ちなみにミウは『なんでもポシェット』と呼んでいる。リントには「ガキのネーミングセンス」と馬鹿にされた。

 このセンスが分からないとは可哀想な奴だ。


 暫く漁って、ミウは一冊の本を引っ張り出す。


「あった!」



 ――――最初にこのダンジョンを攻略した、名のある迷宮攻略者・リガード=アバドンの冒険記録。



 ダンジョン攻略法も記載された冒険の記録書は、常に高値で取引される。本来ならミウ達では到底手に入る代物ではないが、頼み込んで他の冒険者に譲ってもらったのだ。


「えっと、『時食いダンジョンに入れば、大切な記憶は奪われる。失う記憶は五つ。その五つの記憶は、懐中時計になりダンジョン内に散らばっている』、か。ユイを助けるためのアイテムを探しつつ、時計集めをしなくちゃいけないってことだよね。私とリント、合わせて10個? 多くない!?」

「……噂どおり、曲者ダンジョンって感じだな」


 ページを捲りながら眉を寄せるミウに、リントもガシガシと煩わしそうに金髪を掻く。


「まずは先を進むか。ダンジョンについての情報は、歩きながらおさらいしようぜ。行くぞ、ミウ」

「うん、リント」


 歩き出すリントに、本を抱えたままミウも続く。

 漂う生温い空気が、そんな二人の足にぬるりと絡みついた。

 


●●●


 

 【リガード=アバドンの冒険記録 第一章】


 ダンジョンに入って、私と相棒はまず、お互いの記憶を確認し合った。いくつか思い出そうとすれば、激しい頭痛に襲われる。奪われた記憶に大方の当たりをつけてから、私達は探索を開始した。


 未知なるダンジョン。

 だが何も恐れることは無い。


 これまでずっと、私は相棒と二人で、数々のダンジョンを攻略してきたのだから。「お前と一緒なら大丈夫だ」と肩を叩き合い、私達は奥へと進んだ。



●●●



「『しかし、のんびりしてはいられない。ダンジョンに足を踏み入れた時から、もう巻き戻しは始まっていたのだ』……巻き戻しって、要はこのダンジョンに居ると、どんどん身体の時間が逆に進んで、幼くなっていくってことだよね」

「だな。まだ目に見える変化は無いが、此処に長く居すぎると、そのうち赤ん坊まで戻っちまうってことだろ」


 コツコツと靴音を立て、岩壁に挟まれた道を注意深く歩みながら、ミウは改めてこのダンジョンの仕組みを恐ろしく思った。


 巻き戻る時間。

 幼くなっていく身体。


 子供になってもまだ自由に動ける範囲でなら、ダンジョン攻略は続けられる。無事に脱出さえすれば、時間は正常に動き、身体は元に戻ると冒険書にはあった。

 だがもし赤ん坊まで退行したら、そのまま存在が消滅する恐れだってあるのだ。


 手遅れになる前に、何としてでも解呪の薬草と、懐中時計を集めなくては。


 リガードの手記によると、懐中時計に封じられた記憶を取り戻すと、身体の退行を遅らせることも出来るらしい。


「まぁでも、お前が餓鬼に戻っても、特に問題はないよな」

「なんでよ」

「だって5歳から頭も身体も、大して成長していな……イッテェ! 」


 デリカシーに欠けるリントの頭を、ミウは冒険書で叩く。

 いつものことだ。ユイのことはちゃんと女の子扱いする癖に、ミウにはこの態度。気を許してくれていると思う反面、その差に時折泣きたくなる。


 ユイは女の子らしくて可愛い。魔法は治癒やサポート系が得意で、リントの怪我をいつも治してあげている。気遣いも出来て、ミウの自慢の妹だ。

 反してミウは、馴れた相手以外には内気で、女の子らしいことなんて一つも出来ない。魔法は攻撃魔法しか使えず、それも基礎的な技ばかり。


 現に、リントは剣の腕が、ユイは治癒魔法の技量が認められ、『二等冒険者』の称号を協会からもらったのに、ミウだけ三等だ。


 二人に隠れて魔法の練習をしているが、効果はいまひとつ。姉妹なのにユイと違って、才能がなく不器用で。

 ふとした瞬間に、酷い劣等感に押し潰されそうになる。


 ……キラキラして真っ直ぐなリントに、お似合いなのは愛らしく優秀なユイで、やはり自分は相応しくないなと、そう思うのだ。


「なんだよ、俯いて。さっき俺が言ったこと気にしてんのか?」

「……違うし。ちょっと考え事しているだけだから」


 憂い顔を覗かせるミウに、リントは訝しげな顔をする。

 この仄暗い空間の中で、場の空気だけでも明るくしようと、リントがわざと軽口を叩いてくれたことくらい、ミウは気付いている。


 それなのにリントを困らせて。

 やっぱり私は嫌な子だなと、笑いたいのに自己嫌悪が止まらない。


 そんなミウの背中を、リントは宥めるようにポンポンと叩いた。


「この先のことでも考えていたのか? そんな不安な顔すんなって。Sランクダンジョンっていっても、このダンジョンの仕組みが特異ってだけで、罠も少なければ魔物のレベルも中級くらいだ。お前はすぐに何でも考え過ぎなんだよ」

「べ、別にそれで不安になっていたわけじゃ……」

「俺達は無事に此処を出る。そんで、ユイは必ず助ける。心配すんな、お前のことは仕方ないから俺が守ってやるよ」


 「俺、強いし。仕方ないからな」と、リントは小さくはにかんだ。

 そこに仲間を守る以外の他意は、きっと無い。それでもミウの胸中は暖かくなる。やはり私はリントが好きだなと、そう感じてしまう。


 急に速足になったリントの背中を追いながら、ミウはようやく気持ちを切り替えることが出来た。

 その折だ。


「お! 見つけたぞ、ミウ」

「え?」


 岩の窪みの中に、こぢんまりと納まっている宝箱。リントは慎重に近づき、手に取って蓋を開けた。中から鈍色に光る、針の無い懐中時計が現れ、裏にはミウの名前が刻まれていた。


 細い鎖を持ち上げ、リントはミウの眼前で時計を揺らす。



「――――お前の記憶。一つ目だ」




●●●



 【リガード=アバドンの冒険記録 第二章】


 懐中時計に触れると、記憶が波のように押し寄せてきた。


 まだ妻が生きていた頃。

 穏やかに肩を並べる、懐かしくも優しい思い出だ。


 妻も私も冒険者だった。相棒も入れて三人で、数々のダンジョンを攻略してきた。だが妻は病に掛かり亡くなった。死の時に彼女の傍にいたのは、私ではなく相棒だ。助けられずにすまないと、何度も頭を下げられた。辛い想いを彼にさせたと今でも悔やむ。

 その記憶も時計に封じられており、私は後に見つけて涙した。


 生の時間を重ねると、どうしても朧気になり色褪せる過去の記憶。

 それをこの懐中時計は、当時に抱いた感情までを鮮明に思い出させる。


 私の懐中時計は、早々に集まった。


 私の大切な記憶の半分は、妻との思い出。

 もう半分は、相棒と過ごした日々だった。



●●●


 

 時計に指を触れさせた瞬間、ミウの脳内を満たした情景は、幼い頃に両親を喪ってから、リント達と過ごした日々の一場面だった。

 ミウとユイの親は、村を襲った魔物の群れに殺された。生き残った身寄りのない子供は、隣村の孤児院に集められ、リントもそこに居た。歳も近く、ミウ達はすぐに仲良くなった。


「俺は大きくなったら、冒険者になりたいんだ。ダンジョンにはロマンがある!」

「……私も、魔法の才能があるって言われたし、冒険者になろうかな。迷宮でいろんなものを見てみたい、かも」

「お姉ちゃんとリントくん、冒険者になるの? お姉ちゃんがなるなら、ユイもなる!」


 そんなふうに三人で笑い合う記憶。

 この頃は、リントへの報われない恋慕にも、ユイへの醜い劣等感にも苛まれることなく、孤児という境遇にありながらも、ただただ幸せだったとミウは感じる。



 手にした懐中時計は、いつの間にか光の粒になり消えていた。

 記憶の海から引き揚げられたミウの頬には、一筋の雫が伝っていた。



「ミウ!? どうした、大丈夫か!?」

「……ごめん。ちょっと悲しい記憶だったから。も、もう平気……って、リント?」


 涙を拭って顔を上げ、こちらを覗き込むリントの姿を見て、ミウはすぐに違和感に気付いた。

 

 輪郭が心なしか丸みを帯びている。

 身長も縮んだような気がする。


 慌てて自分の手を見れば、こっちも少し小さくなっているように感じた。

 しかし、リントの変化の方が顕著だ。ミウはつい先ほど記憶を一つ取り戻した分、退行がリントより遅いのだろう。


 『もう巻き戻しは始まっている』――――リガードの言葉が脳裏を過り、ミウの肌が粟立った。


「早く、早く進もう! 急いで時計を集めなきゃ!」

「な、なんだよいきなり」

「気付いていないの? リント、若返りが始まっているんだよ! 私よりも速い進行具合で!」

「そういえば、なんか服がちょっとブカブカになったような……」

「馬鹿! リントが縮んだの!」


 惚けた態度のリントの腕を取り、ミウはぐいぐいと引っ張る。

 見えない巨大な蛇に、足先から呑まれているような。そんな気味の悪さを振り払うように、ミウ達は先を急いだ。



●●●



 【リガード=アバドンの冒険記録 第三章】


 自分の時計を揃え終わると、手の中に小さな鍵が現れた。

 鍵についたタグの説明によれば、これを岩壁に押し当て回せば、何処からでも外へ出られるそうだ。


 ただし、その時点で脱出可能なのは私だけ。

 相棒の時計はまだ集まっていない。最後の一つがどうしても見つからないのだ。


 私の身体の退行は、ダンジョン内に居る限り止まることは無いが、随分緩やかだ。記憶をすべて取り戻したからだろう。

 しかし……時計を揃えきっていない相棒の身体は、壮年から青年、出会った頃の少年期までどんどん戻っていった。サイズの合わない服を身体に巻き付けている始末だ。

 やがて相棒は、小さな手で剣さえ振えなくなった。


 アイテム収集は粗方終えた。私だけ出ようと思えば、いつだって出られる。

 相棒も、「もう俺を置いて行け」と、何度もそう私に訴えた。

 だがそんなことが出来るはずもない。


 時計は何処だ、何処にある。

 早く見つけなくては。


 相棒の最後の記憶を探して、私達はダンジョンを歩き続けた。



●●●



 リントがサーベルを一振りし、倒した魔物の血を掃う。身体は人で顔が豚のような魔物は、程なくして砂になって消えた。

 ダンジョンに出現する魔物の最期は、皆こうだ。いや、魔物だけでなく人間も、ダンジョン内で死ねば銀色の砂になる。そこには骨一つ残らない。


 死体ごと迷宮に取り込まれているのだと、ある冒険者は言った。


「お、アイテム入りの宝箱が出たぞ。中身は……やったぞ、ミウ! 解呪の薬草だ!」

「本当!?」


 魔物を倒せば宝箱を得られる場合もある。青々と茂る薬草を確認して、ミウは歓声を上げた。

 

 これでユイは助かる。

 あとは残りの時計を集めて脱出するだけだ。


「もう一つアイテムが……ああ、こっちはハズレだな。『魔除けの腕輪』だ」


 七色の天然石が連なる魔除けの腕輪は、腕につけた者の気配を魔物から隠す効果がある。これだけ聞くと有用なアイテムにも思うが、『つけた者の気配だけ』というところが難点だ。他の誰かが傍に居れば、そちらの気配を魔物に悟られるので意味が無い。


「私達が使うなら、二つ以上要るよね。一度の使い切りだし……レア度は微妙だね」

「こっちは売りに出すか」


 リントはジャケットの胸ポケットに、乱雑に腕輪を仕舞った。


「薬草はゲットしたし、今のところ上出来だ。時計はお互いにあと一つずつか」

「身体は二歳分くらい逆行しちゃった、かな。まだ大丈夫そうだけど……あ。腕、怪我してるよ、リント」


 魔物の爪で傷ついたのだろう。薄らと赤い筋が、リントの鍛えた腕に走っている。


 ユイと違い治癒魔法の使えないミウは、ポシュエットから回復アイテムを取り出そうとするが、もう底をついたのか見当たらない。

 おかしいな、とミウは首を傾げた。


「どうしたんだ?」

「……なんか、回復アイテムが見つからなくて。ダンジョンに来るまでに、記憶は無いけど結構使ったのかな。多めに入れてきたはずなのに」

「巡りの森は魔物も雑魚ばっかのはずだし、そこまで使わないと思うけどな。まぁ大した怪我じゃねぇし、いいよ」

「でも……」


 ……此処に私じゃなくユイが居れば。

 またそんな卑屈な想いが、ミウの胸に影を落とす。 


 「平気平気」と、リントは腕を回した。


「この先も下手に特性持ちの魔物に出会わなきゃ、なんとかなるだろ。此処から出れば、身体はダンジョンに入る前と同じ状態に戻るんだし」


 この時喰いダンジョン内に居るうちは、負った怪我は蓄積される。しかし外にさえ出れば、身体の退行も内部で受けた負傷も、すべて無かったことになる。 

 

 基本的にダンジョンで受けた影響は、ダンジョンの中だけに限るのだ。

 もちろん、ここで死んだら流石に終わりで、話は別だが。


「脱出さえすればいいなら、多少は我慢するさ。それよりお前、さっき見つけた宝箱はどうした? まだ中を確認していないだろ」

「あ! 開けなきゃ!」


 ミウが宝箱を発見したところで、魔物が出現して戦闘になったため、まだ中をチェック出来ていなかった。

 ポシェットから箱を取り出し、ミウは蓋を開ける。

 鈍い光を湛えて出てきたのは、リントの名前の彫られた、彼の最後の懐中時計だった。


「これで俺は揃った! でかしたぞ、ミウ!」


 水色の頭を撫で回してくるリントに、ミウは「ぐちゃぐちゃになるでしょ!」と文句を言いながらも、褒められたことが嬉しくて破顔する。

 ジャラと音を立てて、懐中時計がリントの手に渡り、記憶が再生される。


 その記憶に、リントは琥珀色の瞳を見開いた。



「――――え?」



●●●



 【リガード=アバドンの冒険記録 第四章】


 ようやく、相棒の最後の時計を見つけたところだった。

 魔物の急な襲撃を受け、相棒は深手を負ってしまった。幼子の身体に魔物の牙は深く食い込み、下手な治療など追い付かないほどの致命傷だった。

 

 だけどまだ息はある。

 私は急いで、相棒の弱々しい掌に、無理やり時計を握らせた。早く記憶をすべて取り戻させ、相棒の分の鍵を出現させられたら。二人で外に出られる。どんな傷だって無かったことになる。


 私は祈るように、相棒の手と時計を一緒に強く握り込んだ。

 ……だからだろうか。


 相棒の記憶が、そのときは私にまで流れ込んできたのだ。

 そして私は息を呑んだ。



 その記憶は――――相棒が私の妻を殺す、その瞬間だった。



●●●

 


「ねぇ、リント。さっきからどうしたの?」


 ミウは前を行くリントの背に、窺うように声を掛けた。

 最期の時計を手にしてから、リントの様子がおかしい。出現した鍵にも関心を示さず、早々に仕舞って心ここにあらずだ。


 ミウの最後の時計がなかなか見つからないから、苛立っているのだろうか。


 一拍おいて、リントは少し幼くなった顔をミウに向ける。


「……なぁ、ミウ。お前の懐中時計の記憶って、どんなだった?」

「どんなって……」


 急な質問にミウは戸惑う。

 一つ目は孤児院での日々のことだった。他には両親が健在だった頃や、はじめて初級のダンジョンをクリアしたときなどの記憶が、ミウの懐中時計には封じられていた。あまり使わないが、ミウの持つ柄に赤の組紐を巻いたナイフは、初攻略記念にリントやユイと共に選んで買った思い出の品だ。


 おずおずとそう教えれば、リントは「そっか」と空虚に呟く。


「やっぱり変だよ、リント。さっきの時計に何か……」

「俺も同じだよ、大体は。お前やユイと過ごした記憶が多かった。出会った時や、初攻略記念に三人で買い物に行った時……それと、覚えてるか? ユイが夜泣きしてた頃のこと」


 懐かしさを宿して、リントの瞳が細まる。


「昔、ユイは親が恋しくて夜に泣いてただろ? その度に、お前が落ち着くまでユイを宥めてたよな」

「う、うん。あったね、そんなことも」

「ユイを寝かしつけてから、お前はやっと寝れていたよな……一人でこっそり泣いてから」

「なっ!?」


 なんで知っているのか。

 焦るミウに、いつもの調子でリントが意地悪く笑う。


「フツーにバレてるぞ。昔から意地っ張りだよな、お前。素直に一緒に泣けばいいのに」

「ユ、ユイの前では泣かないよ! 不出来で情けなくても、私はお姉ちゃんだから」

「……お前は情けなくねぇよ。めげずに一人でずっと、魔法の練習もしてるだろ」

「それも知ってるの!?」

「おう。氷魔法の応用技で、的じゃなく自分の足を氷らせてたこともな」


 ミウの頬が羞恥で染まる。


 魔物を足止めする、中級の氷魔法を練習していたのは、比較的最近の話だ。失敗続きで、いまだ一度も成功したことはない。


「諦めんなよ。お前なら、絶対会得できるから」

「……なんでリントが言い切れるの。失敗したところ、見てた癖に」


 ふて腐れた顔をすれば、リントは柔らかく微笑んだ。ドキリとするような笑顔だった。「また三人でダンジョン探索したいな」と、どこか遠くを見つめてリントが言う。


「……したいじゃなくて、しようよ。ここから出て、ユイを助けてさ」


 珍しくミウの方が強気な発言をすれば、リントがそれに言葉を返す前に、鋭い魔物の咆哮が響いた。岩壁が揺れる。今までで一番強い奴であることは間違いない。


 「くるぞ」と、短くリントが呟いた。



●●●



 【リガード=アバドンの冒険記録 第五章】


 妻の病は、魔物の特性による特殊なものだ。治療方も特殊で、私の生命力のようなものと引き換えに、妻は辛うじて生き延びていた。


 記憶の中で、妻は相棒に「これ以上、リガードの負担になりたくない。頼めるのは貴方しかいない……勝手を承知で、私を終わらせてほしい」と、そう縋った。

 相棒の当時の狂おしいまでの苦悩が、私にも伝わってきた。


 そして……悩みに悩んだ末に、相棒は妻を手に掛けた。

 妻は最後に「ごめんなさい、ありがとう」と微笑んだ。「リガードをよろしく頼む」とも。


 その先は、私にも覚えのある記憶だ。妻を助けられなかったことを詫び、深く私に頭を下げた相棒。

 ……私は何も知らなかった。

 すべて相棒に背負わせて、何が友だ。私は無知だった。妻の最期の想いにも、私を支え続けてくれた相棒が抱えるものも、何一つ知らなかった。


 記憶の再生が終わる頃には、相棒は虫の息だった。

 せっかく手に入れた鍵を握る力さえない。鍵は相棒自身が回さなくては意味はない。手遅れ、だった。


 思うに、なぜ相棒の時計がここまで見つからなかったのか?


 それは、きっとそこに封じられた記憶が、相棒にとって思い出したくないものだったからではないだろうか。

 無意識に取り戻すことを拒んでいたから、相棒は時計をなかなか見つけ出せなかった。

 それならば……目の前で死に行く命は、私のせいだ。


 私は冷たくなっていく相棒の身体を掻き抱き、何度も何度も謝罪を繰り返した。

 相棒も同じように、声にならない声で私に謝った。謝るべきは、背負わせた私なのに。


 

 最期に「出会えて良かった、ありがとう」と言い残し、相棒は銀色の砂になった。



●●●



 苦戦を強いられたがリントたちはなんとか魔物を倒せた。銀色の砂が舞い、現れた宝箱の中にはようやく……ミウの最期の懐中時計があった。

 嬉々としてミウは手を伸ばす。しかしその腕を、リントは引き留めるように掴んだ。


「リント?」

「ミウ。俺は……」


 リントが何事かを言いよどむ。

 触れる手の感触にドキドキしながら、ミウは言葉の続きを待った。だがリントは「なんでもない、わりぃ」と笑って腕を引く。


「な、なに。気になるじゃん」

「あとでな、お前の最後の記憶の再生が終わってから言うよ」

「……? 約束だからね」


 引っ掛かるものを残しながらも、ミウは懐中時計を手にして記憶の海に沈んでいく。意識が飛ぶ間際、視界を掠めたリントの表情は、なぜか寂しそうに見えた。




 ――――ミウは、リントと鬱蒼とした森の中心で、魔物の大群に囲まれていた。

 『巡りの森』だ。どうやらこれは、時喰いダンジョンに辿り着くまでの記憶らしい。


 四方八方から醜い呻き声があがる。

 通常なら『巡りの森』の魔物は雑魚ばかりだ。だが運の悪いことに、遭遇した魔物の一体に『呼応』という特性持ちがおり、奴らは次々と仲間を呼んだ。


「クソ、どんだけ湧いて来るんだよ……!」


 ミウの隣で、サーベルを構えるリントが舌を打った。倒しても倒しても、魔物の数は増える一方だ。個々の力は弱くとも、これではキリが無い。いつの間にか回復アイテムは底をついていた。


 大型の魔物が、背後からミウに襲いかかる。


「ミウ!」


 身を挺してミウを庇ったのはリントだった。ぐしゃりと肉を裂く嫌な音が響いて、真っ赤な鮮血が飛ぶ。口から「ぐっ」と悲鳴を漏らし、リントの身体が地へと崩れ落ちる。


「リントッ!」

「……逃げろ、ミウ」


 木々のざわめきと共に蠢く魔物共は、重傷を負ったリントに容赦なく牙を向ける。

 咄嗟に、ミウは魔法を発動した。


 魔物を足止めする、中級の氷魔法。


 残り少ない魔力を使い果たし、かつて一度も成功したことの無い魔法を、ミウは土壇場で成功させた。辺り一帯の地面を凍らせ、魔物達の動きを一時的に封じる。

 ミウは火事場の馬鹿力で、リントを連れその場から駆け出した。


 森の出口の方向はもうわからない。

 ただ長くは持たないだろう魔法が切れる前に、とにかく魔物達から距離を取り、リントの治療をしなくてはいけないと思った。


 汗が頬を伝う。血の匂いが鼻をつく。息が荒くて肺が苦しい。

 リントの顔は、どんどん蒼白になっていく。


「お、れは、もう無理だ……進むなら、俺を置いていけ、ミウ」

「なに言ってんの!? リントを置いていくなんて絶対に嫌!」 


 どうしてこんなことになったのだろうと、ミウは何度も己に問うた。

 ユイを助けるために来たのに、目的の場所にすら着けず、こんなところで……!


 リントから流れる血は止まらない。魔物の咆哮が聞こえ、追い立てられるようにミウたちは走った。

 森の中を走って走って走って。

 走り続けて。



 その先に辿り着いたのが――――『時喰いダンジョン』の入り口だった。



『汝らを挑戦者として認めよう』


 フラついて洞窟の入り口に嵌め込まれた扉に手を当てれば、そんな声がミウの耳に届いた。

 凛と澄んだ美しい女性の声は、時の女神のものだろうか。

 気づけば、ミウたちは薄暗いダンジョンの中にいた。


 『これより巻き戻しを開始する』と再び声が聞こえたと同時に、ミウの傷ついた身体やリントの深い傷口が治りだした。


 ――――魔物に襲撃される前の状態に、時が『戻った』のだ。


 ポシェットの中身までは巻き戻しの影響を受けなかったが、ボロボロの服も元通りになった。リントの顔にも赤みが指し、安堵したのも束の間。

 ミウたちの身体から五つの光が飛びだし、それらは懐中時計になって、ダンジョンの奥へと散り散りになって飛んでいった。


 その淡い光を視界に収めたのが最後――――ミウの意識は暗転した。




「嘘でしょ、なにこの記憶……」


 すべての記憶を取り戻し、ミウは呆然と立ち尽くした。


 自分達はここに来るまでに、魔物に襲われていた?

 私を庇って、リントは重症を負っていた?

 逃げた末に辿り着いたのがこのダンジョンで、今私たちが普通に動けるのは、時喰いダンジョンの『巻き戻し』の影響のおかげ?


「ねぇ、待って。待ってよ、それなら……」



 ――――ここから出たら、リントはどうなるの?



「……全部、思い出したんだな」


 背後から聞こえたリントの声に、ミウは勢いよく振り返った。リントは普段と変わらぬ飄々とした表情を浮かべている。

 その身体に、今は『死』に近付くほどの傷はないはずなのに。

 記憶が戻ってしまったミウの手には、彼の生暖かい血が伝った感触が確かに残っていた。


「俺もさ、自分の最後の時計を手に入れた時に思い出したんだ……ああ俺、死にかけてたんだって」

「わ、私を庇ったから……!」

「お前のせいじゃねえよ。同じ状況ならお前だって俺を庇っただろ。……いいか、よく聞けミウ。お前はその鍵を使って、ここからさっさと脱出しろ」


 ミウの手の中には、外へと繋がる鍵がもう出現している。ぎゅっと、ミウは震える手で鍵を握った。


「リントは……? リントはどうするの……?」

「俺は出ねぇよ。ここに残る」

「なんで……!?」


 ミウは薄水色の髪を振り乱し、リントに掴み掛かる。


「分かっているの!? ここに残ったら、どんどん子供に戻って……最後は消えちゃうんだよ!?」

「だからって、俺が出てどうする? あの怪我で助かると思うのか? お前の下手くそな治療で一命を取り留めたとしても、重症に変わりは無い。そんな俺を連れて、どうやってお前はあの森を抜ける?」

「それは……!」


 ミウは言葉に詰まる。嫌になるくらいリントの言う通りだった。

 このダンジョンを脱出すれば、身体は正常な時を刻み始める。『巻き戻し』の影響で動けていたリントの身体は、再び死に瀕するだろう。


 そんな彼を連れて、ミウが魔物の蔓延るあの森を抜けられる可能性は、あまりにもゼロに等しかった。


「でも、お前一人なら抜けられる。……その腕輪があれば、魔物も寄ってこないだろ」


 そこでミウは、腕に嵌る『魔除けの腕輪』に気付いた。記憶の再生をしている間に、リントがつけたのか。七色の石が鈍く光る。

 「考えろ、ミウ」と、リントは静かな声でミウを諭す。


「俺たちの目的はなんだ? ユイを救うことだろう? 俺が一緒にここを出たらその足手纏いになる。外に出れば、お前は俺を見捨てられない。……だからお前は一人で行け、ミウ」


 リントの言いたいことは理解できる。だけどミウはフルフルと首を横に振った。


 どうすればいいのか分からなかった。


 ここにリントを残せば、彼の身体は退行しいずれは消滅するだろう。魔物に殺される可能性だってある。だけどリントと共に脱出すれば、彼は瀕死の状態になってしまう。


「いや、いやだよリント。私には決められない……っ」

「……俺が万が一に助かる可能性があるとしたら、ここに残ってなんとか生き延びて、お前と元気になったユイがもう一度迎えに来るって選択肢くらいか。ユイが居れば、外に出てすぐに治療も出来るだろ」

「それまでリントが生きている保障は? すぐに助けに来られるわけじゃないんだよ?」


 一度攻略したダンジョンに同じ者が挑むには、『別の誰か』が攻略した後でなくてはいけない。どのダンジョンにも共通したルールだ。


 そんな低い生存の可能性に掛けて、リントをこんな危険な場所に置いて行けと言うのか。


 無意識にミウはリントの服の袖を強く掴んでいた。そんなミウの水色の頭を、リントは宥めるように撫でる。


「わかってるだろ、何が最善なのか。お前なら選べる……大丈夫だ、ミウは自信がねぇだけで、本当は強い奴だからな」


 強い奴なんかじゃない、とミウは耐え切れなくなった涙を流しながら吐き出す。


 強いのはリントだ。どうして自分の死をここまで傍において、笑って私の心配が出来る? リントは私を庇って怪我を負ったのに。なんで無力な私が生き残る? 私はリントやユイがいなくては何も出来ない、ただの役立たずなのに。

 

 巡りの森のことだけではない、このダンジョンで己の過去の記憶を改めて見せられたことで、ミウは如何にして自分が一人で生きていけなかったかを思い知っていた。

 

「私は弱いよ……なんにも出来ない。これまでだって、リント達がいないと……私は……」

「……リガードの手記にはさ、『どんな己の記憶とも向き会える者だけが、時喰いダンジョンに挑む権利を持つ』ってあっただろ。お前はそうやって自分の弱さをいつだって認めて、弱音を零しながらも向き合って、喰らい付いてきてたじゃねぇか」


 時喰いダンジョンは己の記憶と……自分自身と向き合うダンジョンだ。

 それならリントは、常に弱い己に抗ってきたミウこそが、攻略者にふさわしいと思った。そしてその弱さは、本当はきっとミウの強さなのだ。


「そんなお前だから、俺は惚れたわけだしなー」

「は」


 あっさり飛び出した告白とも取れる言葉に、ミウは大きく目を見開いた。


「リント、今なんて……」

「……マジで気付いてなかったんだな。ユイには前々からもろバレだったのに」

「うそ……だって、リントはユイのことが好きなんじゃないの!?」

「そっちこそなんでだよ!」

 

 胸をはって、「ずっと昔から俺はお前一筋だっ!」とリントは言い切る。尊大な態度は照れ隠しらしく、彼の耳は真っ赤だった。

 ミウは驚きや羞恥を通り越して、ただただ涙を流し続けるしか出来ない。


「ずっと私の片想いだと思ってた……」

「……お前こそ、サラッと告白すんなよ」

「先に言ったのはリントでしょ」


 そっと、ミウはリントの胸に頭を預ける。触れる温度は暖かい。冷たくなっていくリントの身体を思い出したミウは、その温度にまた涙腺が緩むのを感じた。


 またこのダンジョンに戻ってきたなら、懐中時計になる大切な記憶は、きっとこの瞬間だろう。

 ……そんなことを考える時点で、ミウの心は決まっていた。


「私は行くよ、リント。……リントを置いて、ここを出る」

「ああ」

「だけど必ず、ユイと戻ってくるから。そのときは三人で脱出しよう。それまで絶対に死なないって、約束して」

「わかった。時計は揃っているからな、そうそうすぐに餓鬼にはならねぇよ。魔物にも負けねぇ。お前らが来るのを、ここでのんびり待ってるさ」


 ミウは頷いて、ゆっくりとリントから身体を離した。そして解呪の薬草だけを取り出し、ポシェットをリントに渡す。回復アイテムはないが、保存食や他に有用なアイテムも入っている。ミウのナイフも忍ばせてあるので、身体が縮めば、サーベルよりも扱いやすいはずだ。

 ミウは薬草と、リントがくれた魔除けの腕輪さえあれば十分だった。


「じゃあ……私は行くね」


 リントが素直に受け取ったのを確認して、ミウは鍵を岩壁に押し当てて回す。

 すると壁は長方形に切り取られ、その先に白い光が溢れる外への出口が現れた。


 ――――ここから一歩踏み出せば、脱出できる。


 しかしその一歩に戸惑うミウの背を、トンッとリントは押した。


「っ、リント!」


 ミウの身体が白い光の中に投げ出される。

 振り返って最後に見たリントは、「生きろよ、ミウ」と口を動かして、どこまでも明るく笑っていた。



●●●


 

 【リガード=アバドンの冒険記録 最終章】


 ――――私は外に出れた。

 身体は元の年齢を取り戻し、入った時とまったく同じ状態に戻っていた。得たアイテムは手元にあったが、ダンジョン内で受けた傷は細かなもの一つ残っていない。


 まるで長い夢でも見ていたようだ。

 ……しかし夢ではない証拠に、私の隣にもう相棒はいなかった。


 私は泣いた。

 声をあげて、まるで幼子のように泣き続けた。


 そんな私の耳に、攻略者として私の名を呼ぶ『時の女神』の声が、美しくも虚しく響いた。



●●●



 空が青い。

 いつの間にかミウは、ダンジョンの入り口の前で仰向けに倒れていた。


 森の木々の葉の合間から、どこまで青い空が見える。身体はダンジョンに入る前に負傷した時のままで、重くて怠かったが動けないほどではない。


 薬草と腕輪を確認し、ミウは目許を拭って起き上がった。


 時喰いダンジョンの扉は固く閉ざされ、手を触れても再び迎え入れてはくれない。代わりに、澄んだ声で攻略者としてミウの名が呼ばれる。そこに……中に残されたリントの名はない。

 声をあげて泣き出したくなる衝動に耐え、ミウは唇を引き結んだ。


 目を閉じれば、『生きろよ、ミウ』と言って笑った、リントの顔が浮かぶ。


「……必ず、迎えにくるから」


 時喰いダンジョンに背を向け、ミウは駆け出す。

 後ろは決して振り向かず、ミウはもう泣かなかった。



●●●



【終わりに】


 最初に攻略した者に、ダンジョンに名を付ける権利が与えられる。

 それならば私は、このダンジョンを『時喰いダンジョン』と名付けよう。


 私はすべてをこのダンジョンに喰われてしまった。相棒も、大切な思い出も、これまで積み上げたものも、何もかも。

 もう二度と、今までのようにダンジョンに潜ることはないだろう。

 

 だが私に残された最後の使命として、これから挑む者たちのために、『時喰いダンジョン』についてここに記す。

 どうか君たちは、己の過去の記憶から逃げずに向き合い、時の女神の試練に打ち勝って欲しい。

 そして私のように大事なものを決して失わず、真の意味でこのダンジョンを攻略して欲しい。


 ――――この先、『時喰いダンジョン』に挑む者たちが、過去ではなく未来を掴むことを祈っている。

 


●●●



 長閑な村の上空を、一羽の鳥が旋回して青空に消えていく。


 柔らかな風が、ミウの短くなった水色の髪を掬い上げた。二ヶ月近く世話になった仮家の前で、ミウはこれから発つ準備をしていた。といっても、新しく購入した『なんでもポシェット』に入れ忘れが無いか、簡単に確認しているだけだ。


 新しい物はやはり馴染みが薄い。渡したお気に入りのポシェットの方を早く返してもらわなきゃと、ミウは決意し直す。


「お姉ちゃん! これ、忘れているよ!」


 冒険書を片手に、ユイが家から遅れて出てくる。ミウと同じ水色の髪をツインテールにして、ぴょんぴょんと跳ねさせる様子は、少し前は床に伏していたと思えないほど元気満々だ。


 ミウは礼を述べて、『リガード=アバドンの冒険記録書』を受け取る。


 冒険者同士の噂で聞いた話では、著者であるリガードはつい先日亡くなったらしい。だがダンジョンで大切なものを失い、それから迷宮冒険者を辞めた彼の晩年は、存外穏やかなものだったそうだ。

『今となってみれば、私はあのダンジョンで真実を知れて良かったと思う。あの記憶も私の一部として積み重ねることが出来た。あちらで妻や相棒に会えたら、また笑って肩を並べたい』

 そう最後に言い残し、生まれ育った地で一人静かに息を引き取ったという。


「この冒険書は、一応手放せないよね」


 ミウはパラパラとページを捲り、パタンと閉じて、それからそっと冒険書をポシェットに仕舞った。手首につけた魔除けの腕輪が、陽に反射して輝く。

 とっくに効力は切れているが、ずっとお守りとしてつけているものだ。


「でもさ、お姉ちゃん。ユイたちが別の攻略者候補を見つける前に、あのダンジョンを攻略してくれた人がいて良かったね。一緒に朗報も手に入ったし」

「……そうだね」


 ミウが攻略した『時喰いダンジョン』に、次の攻略者が出たと報が届いたのはそれから約一ヶ月半後のことだった。

 攻略した者はミウ達より等級の低い冒険者の青年で、ただ偶然迷い込んだだけだった。おまけに過去に後ろめたい記憶があり、なかなか時計を見つけられず、長らく彷徨っていたと聞く。

 

 そんな者が一人であのダンジョンを攻略するのは難しい。

 青年は、とある不思議な少年に、ダンジョン内で助けられたのだと語った。


 金の髪に琥珀色の瞳の、十も行かぬ歳の少年は、赤い組紐の巻かれたナイフを巧みに操り、魔物を蹴散らして青年の脱出の手助けをした。青年が攻略できたのは、その少年のおかげだという。


「迎えに行くっていったのに……じっと耐えて待つだけじゃないのが、リントらしいというか」

「でもここからはユイたちの出番でしょ? ただリント君のために、ユイは治癒魔法用の魔力を温存しとくから。森やダンジョンでの戦闘は、おねえちゃんにお任せしちゃうけど本当に大丈夫?」

「うん。そのために鍛えたんだし。今度こそ、必ず三人で攻略しよう」


 ミウはグッと拳を握る。「喰われたものなら、飲み込まれる前に吐き出させなきゃね」と冗談めかして笑うミウを見て、ユイはパチパチと瞬きを繰り返す。


「なんか……お姉ちゃん、強くなったね。いや、前から強い自慢のお姉ちゃんだったけど、自信のない弱気なとこがすっかりなくなったっていうか……」

「そ、そうかな?」


 照れたように髪をかく。

 私の弱いとこも、あのダンジョンに喰われたとか? などと考えて、ミウはなんだかおかしくなった。


「よし、それじゃあそろそろ行こうか。巡りの森でも油断しないで、確実にダンジョン攻略目指して」

「そんでリント君に会ったら、二度とお姉ちゃん泣かすなって、文句言わなきゃ!」


 姉妹は揃って足を踏み出す。

 遠くの空でそんな二人を送り出すように、金色の鳥が高く鳴いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃ面白かったです! ゾクっとさせられたり、ほっこりしたり、短編でこれだけ面白い作品も珍しいと思います! できたら続きも書いていただけると嬉しいなぁ(^^)
[良い点] 会社で読ませていただいてたのですが、リントがミウを送り出すシーンで涙が出るのを会社のみんなにバレないように必死で耐えながら最後の方はもう鳥肌たってました、とても素晴らしい作品だと思います。…
[一言] なんてことだ。開始時点から『いずれこのダンジョンを整備して管理すれば若返りの聖地として貴族女性や王族からすら大金をもぎとれるぞ!』って思いながら読んでたのに、外に出たら無効化だとぅ?そんな馬…
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