第一話 夢幻の者達と八杜高校(1)
“ーーー◯◯ッ!!”
誰かが、誰かの名を叫んでる。
必死そうに、横たわる己の右手を握り締めて…悲痛な掠れた声を絞り出す。
“ーーーッ、◯◯ぁッ!”
顔は伏せていて見えない。しかし、背丈や声からして10歳前後の男の子だろう。
…これは、夢? それとも、幼い頃の記憶? でも、そんなものあたしには存在し得ない。両親が言うには3歳から10歳までずっと重い病気で植物状態だったという、…ありえない。勿論目覚めた後の記憶でも、この男の子に見覚えはない。じゃあ…、やっぱりただの夢……?
“ーーーごめんッ! ◯◯ッ!!”
? 何故、謝るの…? …どうしてかな、ただの夢なのに、キミには…謝って欲しくないと思ってる。
ズキッ
ッ…! 頭がっ、痛い……!?
突然襲われた激しい頭痛に、あたしの意識は一瞬で飛んだ。
★ ★ ★ ★
「………うぅ…ん、……朝…?」
窓を開けっ放しで寝てしまったらしく、布団を避けてしまった両足を、隙間風に撫で付けられ思わず身震いする。もう春なのに…まだこんなに寒いなんて。
あたしがゆっくり上半身を起こすと、ツキッと微力の頭痛がした。その痛みでハッと、先程まで見ていた夢の内容が脳裏に蘇る。あの、今にも泣き崩れそうだった男の子、そして何故か横たわっていた自分…。あれは、本当に夢だったのだろうか…?
「……何で、ただの夢なのに。……こんなに気になるんだろう」
「ーーおい、…深波? ……起きてるか?」
聞き慣れた低く鋭い…だけど確かな優しさも感じられる声が、遠慮がちなノックの後に廊下から聞こえてきた。これが見た目の割に過保護な兄の、昔から欠かされたことのない日課である。
あたしー貝塚深波ーは、3歳から10歳まで何らかの重病で植物状態だったらしく、目覚めてからこれまでずっと異常なくらい過保護な家族に守られてきた。病気が治ったとはいっても、目覚めた時はまだ3歳までの記憶のまま…。
10歳といってもそれは肉体のみで精神は赤子同然。当然その状態では義務教育といえど学校には行けず、担当医の診察と家族のサポート、ネット教育等忙しない日常が待っていた。
…しかし、自分は家族に疑問と不安を抱いている。
中学生までの勉学や常識の壁を乗り越えて無事今に至るが、問題はこれまでの家族のあたしに対する態度だ。
…まるで、腫れ物に触るかのように挙動不審に接してくる…。それは今現在も続けられていた。
「……うん、起きてるよ…砂樹兄」
「! …ならいい、朝飯はもうできてる」
部屋の扉で仕切られているというのに、砂樹兄の雰囲気が和らいだのを感じた。
…そんなあからさまに安心してくれちゃって本当家族揃って心配性なんだから。
「今日から新しい“町”に“学校”があんだ。早めに出た方がいいだろ。…それに、お前にとっては“初めて”の学校だからな……」
!! ーー新しい“町”に……“学校”っ!!!
胸がこれまでにない程高鳴った。
「すぐ行くわ、砂樹兄!!」
「…フン、はしゃぎ過ぎて初日に怪我すんなよ。…まぁ、無理もねぇか」
彼は含み笑いをしながらリビングの方に向かって行った。…そこまで子供じゃないわよ、もう!
…! そうだ、のんびりなんて勿体無い!
あたしはベッドから飛び起き、整理が中途半端なダンボールを避け、開いた窓を閉めてカーテンを全開にする。レースが掛かった窓越しに“見慣れない町”の姿が広がっていた。…その景色に、何故か“違和感”を感じる。
……“見慣れない”……? …ホントウニ?
ズキッ
つい先程夢の中で経験した激しい頭痛がまた自分を襲い、あまりの痛みにフローリング(床)に頭を抱えて座り込んだ。
いや、あれは夢だったからこれが最初になるのか…? …だけど、確かに痛みがあった。
ーーユメノ、ハズナノニ。
パァンッ
脳裏で破裂音がした途端、何らかの映像が鮮明に浮かび上がってくる。
“なぁなぁ、◯◯! …ついでに◯◯! 今日の夜、…【例の場所】に行こうぜ!!”
“おいおい…、俺はついでかよ。……あー、【町外れの森】にあるっていう、【古びた御社】のことか…?”
“えぇー…? ダメよ、◯◯! パパ達が彼処には、絶対近寄るなって言ってたでしょ!”
……そこで映像は途切れた。突然の出来事の終止にあたしは安堵する。
何だったの、今のは…? ……それに、1人は夢(?)で見たあの男の子…よね?
映像には、2人の人物がいた。夢(?)に現れた男の子、そしてその子よりも少し年上っぽい男の子…。とても仲が良さそうに思えた、幼馴染みだろうか? あのもう一つの女の子の声は? 何故彼等は“あたしに向かって”話しかけていたのだろうか? …あたしだとでも? …けど、何だか声に違和感があるような…声変わり前だから?
それに……、今の現象はまさかフラッシュバック? ありえない、そんなのおかしい。その現象は、過去に起きたトラウマを蘇らせるもののはず…。…日常会話が何故トラウマなのだろう?
あたしがトラウマで彼等との部分だけ記憶喪失になったというなら、自分が目覚めてからずっと家族の誰か1人が傍らにいたのに、如何して誰もその事に触れないのだろう?
…もし隠しているとしたなら、…学校から帰ったらさりげなく聞いてみよう。今思えば、あの挙動不審な態度もそれが原因かもしれない。
ーー大丈夫。どんな答えでも……隠されるより、挙動不審な態度をとられるよりはよっぽどマシなはず。
(そろそろリビング行かないと…、過保護な主様が偵察を送り出してくるわ…)
「……ハァ、せっかくの初登校だっていうのに、一気に気持ちが沈んだわ……」
まだ些かふらつく身体に鞭打ち、昨日引っ越しのダンボールから出した真新しい制服に着替え、扉の横に準備しておいた教科書の入った指定鞄を持ちリビングへと向かった。
廻る 廻る 廻る
“貴方様”の元へ 私は何度でも
嫌だ 嫌だ 嫌だ
お前は要らない 要らない 来るな
何故 何故 何故
邪魔するな “お前まで” 何故廻る
殺す 殺す 殺す
何度廻るとて お前を殺してやる
ーーワタサナイ ワタスモノカッッ!!!