8. おおむね順調です
あのグレンさんとカフェのお会いした後日から、『恋のメロディーを聴かせて』は収録を重ねていった。グレンさんとの質問(とプロデューサーによる挽回の為の地獄の声優特訓メニュー☆……血反吐はくかと思った)により、私はヒロインのコツをつかんでいった。
『君はピアノを弾かないの?』
『え?』
ある日、いつものようにピアノを数曲弾き終わった後アティリオはマリーに問いかけた。
こっそりピアノを聴いていたことがばれてしまったマリーは、思い切って青年──アティリオのピアノに惹かれたということを話した。すると彼は照れながらも『傍で聴いてくれたらいいのに』と、こぼした。それからは、マリーは放課後はアティリオのピアノを、彼の傍という特等席で聴くことができるようになった。
『君のその手はピアノを弾く手だろう?見れば分かるよ』
『……私は弾けないわ』
『嘘』
彼は言葉を切り、言った。
『君は僕のピアノが好きだというけれど、ピアノを弾くことも好きだったんじゃないか?だってピアノを眺める君の目が語っているよ。弾いてみたいって』
『でも……』
『ほら、きなよ』
アティリオは戸惑っているマリーの手をひき、鍵盤の前に座らせる。
『一緒に弾こう。僕が教えてあげるから、ね?』
アティリオの弾いた後に続いて、マリーも真似をしながらついていく。最初はおそるおそるといったマリーだったが、だんだん夢中になってピアノを弾いてゆく。
今日のピアノは2人のメロディーが重なり合い、楽しさを奏でていった──
「はいカット!──うん、よかったよ」
映像が終わる。OKをもらえたので今日の収録はこれで終了だ。
「サラ、すごい自然だったよ。最初の演技とまるで別人みたい」
「うん、ヒロインが板についてきたんじゃない?」
「ありがとうございます!」
他の声優さんたちに褒められて頬がゆるむ。マリーの恋も順調だったが、私の演技も順調だと言ってもいいのではないだろうか。
「最初はどうなることかと思っていたんだが……。サラの『マリー』も面白いね」
「監督!」
いつの間にか監督が背後にいた。
「これからも励みなさい」
「ありがとうございます!!」
私は監督に頭を下げた。監督は私の肩をぽんぽんとたたくと部屋から退出した。
「やったな、サラ!」
「えへへ」
声優さんたちに頭をぐしゃぐしゃにされる。私は喜びを隠しきれなかった。
役を上手く演じられたのも嬉しかったのだが──なんてここは温かい場所なのだろう。
私は今この場にいられること、関わるすべてに感謝をした。
「お疲れ、サラ」
「グレンさん!」
スタジオを出ると、グレンさんがそこにいた。
「お疲れさまです」
「収録を聴いていた。……俺の想像するマリーそのものだったよ」
「きょ、恐縮です!」
そんな、だってこれは──
「今の『マリー』があるのは、グレンさんが力をお貸ししてくれたからです!本当に感謝しています。あ、あとクラシックのCDもありがとうございました」
「参考になったか?」
「はい、とても!!」
グレンさんは後日、作中のイメージ音楽と初心者でも聴きやすいクラシックCDを送ってくださったのだ。いち声優にこれだけしてくださるなんて、滅多どころか絶対にありえない。ど素人しかも音楽の才能ゼロどころかマイナスの私でさえ、すんなり入ってきた音楽だった。聴きやすすぎて途中で眠ってしまって、最後まで聴けなかったなんて絶対に秘密だ。
「すべてグレンさんのおかげです。ありがとうございます!!少────!」
佐、と言葉を続けようと思ってはたと止まった。……おい私。今何口走ろうとした!?
グレンさんは「少……?」と怪訝な顔をしている。うっかりしちゃったよ、どうしよう!ご、ごまかさなきゃ!!
「しょ、しょ、…………ショートケーキって美味しいですよね!!」
沈黙
(やっちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!)
『しょう』から繋がる言葉が思いつかなかったからってショートケーキって!!不自然すぎだろ!バカなの?何なの?……バカだよ私!!何の脈絡もなくショートケーキ?おかしすぎるだろ!!
ほら、みてごらんよ、豆鉄砲をくらったようなグレンさんの顔を。…………前世含めて初めてみたわこんな顔!!
私の中の冷静な部分が告げてくる。これはジ・エンドだと。
前世では軍人でしたからねー。状況把握能力は培われてます。……今だけ逃避させてくれ、マジ職業病。
「今私すっごくハマってるんですぅ。『パティスリーファリノス』ってお店がおススメなんですよ!店内もすっごく可愛らしくてこう、メルヘンチックなかんじで」
嘘ですごめんなさい、店以外全部デタラメです。私はショートケーキよりチョコレートケーキ派だ。『パティスリーファリノス』の店内はいかにも女の子の夢を詰め込んだ、みたいな雰囲気で、私は恥ずかしくて入れなかった。
グレンさんの顔を見れない。でも沈黙も耐えきれない。だから思いつく限りのショートケーキの魅力について語りだした。お前はショートケーキのまわし者かってくらい。……ろくに食べもしないくせにな。
グレンさんの手がおもむろに動き出した。ちょっとビクつく私。
ポン、ポン。
彼は私の頭を2、3度撫でると「そうか」と言って去って行った。
「なんとかごまかせた……?」
グレンさんの背中が見えなくなった後、呟いた。大丈夫だったのか……?
真相は謎に包まれてしまった。知るすべはないままに。
「明日の『恋のメロディー楽しみ』だわ~」
放課後、親友のディアナと校庭を歩く。今日はこのまま一緒に遊びに行く予定だった。ディアナはうっとりとした様子で語り始めた。
「アニメ放送後は原作のイメージ壊してないかハラハラだったんだけど、いい具合にできてたし」
あれから徐々にアニメがテレビで放送されるようになった。ディアナの今のトレンドは、この作品についてだ。ダイレクトに感想を伝えてくれるので、私はちょっといたたまれない。
「最近はヒロイン役の『サラ』も声、合ってきたしね」
「はは、は……」
アニメが放送された次の日。登校直後に声優『サラ』は、袋叩きにあった。「やっぱりミスキャストだと思っていたのよ!ショタが無理矢理に女の子を演じてるって感じ。間違っても『マリー』じゃない」などなど……。制作陣より的確なご指摘ありがとう。胸と胃が痛い。乾いた笑いすら出なかった。……なんとかなって本当によかった。
「『恋のメロディー』の作者、クラリス先生もきっと素敵な方よね!きっとガーデニングやクラシック音楽が趣味で、紅茶を飲みながら優雅にこの作品を書く──みたいな。儚げなお姉さまよ、絶対!!」
微妙に合っているのが可笑しい。クラシックCDをたくさん持っている様だったのでおそらく趣味なのだろう。前回お会いしたときは紅茶を堪能されていた。でもね、ディアナ。私は声高に言いたい。
クラリス先生は男だ!!
確かに美形と言えるほど顔は整っている。しかしその顔の表情は動かず、ほぼ無表情(現世では少しは変わるようになったが)。ごつい手にすらりとした高い背。目つきはきつく、本人は自覚ないようだが彼の一瞥は超怖い。
恋は盲目っていいますからね。どんな要素も「クールで素敵!」だったけど、時が経ってグレンさんを客観的に見れるようになりましたよ。そして彼は返り血浴びて、ついた血を別の血で洗うような男だったからな。間違っても「儚げなお姉さま」ではない。「恐ろしいお兄様」だ。
それはともかく、あの「ショートケーキ事件」(あれはもう私の中で事件扱いだ)から何のコンタクトをとっていないし連絡もこなかった。大丈夫だったんだろうな、てかあれでごまかされたなんてチョロいなグレンさん。
なんて遠い目しながら考えていたのでディアナが私をつつくまで気づかなかった。
「…………、……ラ、もう!サラってば!!」
「はっ」
気が付いたときは隣のディアナが頬を膨らませていた。おっと危ない。意識が飛んでいた。
「私の話聞いてる?」
「ごめんごめん、ちょっとぼーってしてた」
「もう……」
「ごめん!なんだったっけ?」
私は彼女の前で両手を合わせた。「あとでクレープ一つね」なんて言われた。うむむ。
「だから、あそこに止まっている車の横にいる男の人かっこいいねって話」
「車?」
ディアナの指さす方を見ると、確かに校門前に車が止まっていた。黒のセダンでいかにも高級車ーってかんじだ。こんなところに車が止まっているので超目立つ。てか、あれって
「グレンさん……?」
見間違いか?いや、私の視力は2.0だ。車の横に佇んでいるグレンさんは、女子生徒の視線を独り占めしていた。え、あの人何してんの?知り合いでも待っているのかな。知り合い?知り合いって、
(まさか…………、私?)
マジか!?
やっぱり不審に思われたのだろうか。……そりゃ思うわな!!撤退!撤退命令発動!!
私はディアナの腕をひっつかみ、踵を返そうとしたときグレンさんとばっちり目があった。
(アウトーーーーーーーーーー!!)
さすがに気づかれたんなら逃げるわけにもいかない。これからも収録のときにお会いしたりするのに無視はまずい。私は足早にグレンさんのもとへ駆け寄った。……ディアナの腕はひっつかんだまま。ひとりにしないでおねがい。
「こんにちは、グレンさん」
「あぁ、サラ」
隣のディアナは「え、このイケメンと知り合いだったの!?サラ説明して!」なんて小声で騒いでいる。あとでクレープおごってあげるから、今だけ大人しくしてて!
「先日はどうもお世話になりました」
「いや」
「……あの、誰か待っていたりされてたんですか?」
私はずばっと聞いた。グレンさんはさらっと言った。
「サラを待っていた」
ですよねー。やっぱりうぬぼれとかじゃなかった。どうしようか、考えあぐねていたとき、
「あの!!」
突然ディアナが声をあげた。え、ちょ。ディアナさん?
「私、サラの友達です!もしかして────サラの恋人ですか?」
「!?」
ちょっと何言ってくれちゃってんの!?やめてやめてマジやめて!!
「で、ディアナ!何言ってんの!!グレンさんは──」
はて。
私は弁解しようとして止まった。なんて説明したらいいんだ?声優のことはみんなに隠している。親戚とか?……こんな美形、血のつながりなんか一ミクロンも感じない。うわ、どうしよう。いっそ「クラリス先生だよ」とか言ってやろうか。……無理だな。
私があぐあぐしていると、グレンさんは何か察したのか。
その形の良い唇に人差し指をあててこう言った。
「さぁな」
艶やかな仕草に呼吸が一瞬止まった。
隣のディアナは頬を紅潮させて口をパクパクしている。…………高校生相手に何やっているんですか!!刺激が強すぎます!!!!
「今日ここに来たのは、仕事の都合で近くまで寄ったからだ。以前ここの制服を着ていたところを見かけたからな。……受け取ってくれ」
グレンさんはどこ吹く風で、私に『あるもの』を渡した。そういえば一度時間なくって制服で収録したっけ。なんだろう?
「『パティスリーファリノス』……」
受け取った袋に書かれてあった名前を読む。え、これまさか。
「ショートケーキだ」
(うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!)
予想外の贈り物は私にものすごい衝撃を与えた。真に受けたんだショートケーキ!!…………でも、
「私がもう帰っちゃってたら…………?」
ケーキは生ものだ。どうしたんだろう?運よく会えたからよかったものの、遭遇する確率なんて会えない確率よりもはるかに低い。
「そうだな」
グレンさんは苦笑して言葉を切った。そして、
「確かに考えなかったわけじゃない。でも、だからこそ…………会えてよかった」
目をそっと伏せ、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「またな、サラ」
グレンさんは私の頭を撫でた後、車へ乗り込んだ。私はというと、「ありがとうございます……」とお礼を言うのが精一杯だった。
(これは…………ときめくところなんだろうな)
うまく会えるかどうかも分からないのに、わざわざ私の為に待っていてくれた。私が大好きだと言った『パティスリーファリノス』のケーキを抱えながら。……だがしかし。
私の頭には、ひどいやつだと思われるかもしれないが、一つの感想しかなかった。
あの人……………………乙女か。
何最後の表情!!健気だな!女の子顔負けだよ女子力絶対負けてる私!!
てか『パティスリーファリノス』よく入店しましたね!薄ピンクと白のフリルがそこらじゅうにあって私ですら勇気がなくて入れなかったのに。どんな顔で入ったのだろう?どんな声で言ったのだろう?
「ショートケーキください」って。
「……………………ぶはっ」
想像したら笑えてきた。いや、超失礼だけどね!
どうしよう、可笑しさと嬉しさが同時に込み上げてきて今、絶対変な顔してる。
あのグレンさんが、────グレン少佐が私のために。
「ねぇ!あのかっこいい人誰?サラの何!?」
ディアナは私に何度も何度もそう聞いた。私はというと、答えは曖昧にはぐらかした。私とあの人の関係?そんなの「さぁな」くらいが今は丁度いい。
「ショートケーキなんて……。サラ、ケーキは絶対チョコ派だったでしょ」
彼女は私の親友だ。私の大好きな物をよく知っている。そう、私はチョコレートケーキ派だ。
でもね、──────今日だけは。
「ショートケーキも悪くないって思ったのよ」
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!