5. ジレンマ
「グレン少佐はどうして軍人になったんですか?」
遠い昔。
私はグレン少佐にお聞きしたことがある。私は生まれ育った村は燃えて帰る場所を失い、稀少な存在の魔法使いであった故に軍にいることを望まれた。
この人はどんな理由から軍人になることを決めたのだろう。
単純な好奇心だった。
「俺の家系が軍人ばかりを輩出していた。だから──父も軍人だった」
(……なぁんだ)
意外と普通な答えだった。私は少しがっかりしたのを覚えている。しかし、この話には続きがあった。
「俺の父は優れた剣の使い手だった。後ろ盾の力もあっただろうが、父は大佐にまで上り詰めた──」
今の戦争が一番激化していた時代だった。
そんなときにグレン少佐は新兵として軍に入隊したという。
「初めて戦場に出た時だ」
少佐は父親が大佐ということもあり、激戦地への配属にはならなかったという。
しかし初めての戦ということで大事には至らなかったが大きな怪我をしてしまった。
だがグレン少佐の怪我はかわいいものだったらしい。
怪我をしていない新兵など皆無だった。命は助かっても退軍せざるを得ないような怪我を負った者や死者が数えきれないほど多くいた。
「新兵が大量に死んでいるときに父たちは何をしていたか?──安全なこの国の軍本部で卓上会議だ」
グレン少佐はまだ若かった(今もそんなに年をとっていないが)ので父に問い詰めたそうだ。なぜ優れた剣の使い手である父が戦場に出ず卓上会議などをしているのか。実力を持っている者こそ率先して戦場へ赴き、他の者や勝利を導くものではないのか?
死んでいくのはまだ何も知らない新兵ばかりではないか──
「俺は父に怒鳴られたよ。『うるさい、ごちゃごちゃ言わずにお前は俺の命令に従っていればいいんだ』と。戦争が終われば俺たち大人がこの国の政治をしなければならないから当然だ、とも言っていたな」
俺は愕然とした、とそう少佐が言い、視線を床へと落とした。
「ずっと父の言いなりになっていたが、俺は、俺たちは何の為に戦っていたのだと。俺たちは今までそんな『大人たち』の為に戦っていたのかと」
「そんな……」
「そうではないだろう?」
初めて自分で考えてみたとグレン少佐は言った。──俺たちは何の為に戦うべきなのか、と。
「勿論、国の為というのもある。だが、俺は力を持たない国民やこれからの未来を作っていくであろう子供たちの為に戦いたいと思ったんだ」
国を平和に導き、平和になってもなお、守る為にこの力を使いたい──
「だから俺はどんなに階級が上がろうとも前線に立ち続ける。──この戦争を早く終わらせるために」
その瞳には強い意志が感じられた。
「早くお前みたいな子供が、こんな戦争に関わることなく暮らせる国になればいいな」
そう言って私の頭を撫でた後、この国を一望できる窓の外を少佐は眺めた。
その時のグレン少佐の背中は凛としており、とても大きく見えたのだった──
「夢か……」
カーテンのすき間から、柔らかい朝日が差し込む。穏やかな朝だった。
(昨日グレンさんに会ったからかな)
どんなに考えても、どう接することが正解なのか分からなかった。
現世の私の世界はもう彼がすべてではなかった。
学校、友達、勉強、プロデューサー、声優──そして将来。
数えだしたらきりがない。
(そうだ、今日学校だった)
時計を見たら、目覚ましの鳴る1時間前だった。今日は久々に、ゆっくり散歩しながら学校へ行くか。私は学校へ行く支度をするために、伸びをしながら起き上った──。
早朝はいい。
すこしひんやりした風が心地よいし、爽やかな空気は心が澄み切っていくのがわかる。
(『恋のメロディーを聴かせて』の小説をもう一度読み返すか)
教室についた後、私は次回の収録に向けて役を深めるために小説のページを開いた。しばらく読み進めていると、私の背中に何かがひっついた。
「おはよーサラー」
「おはよう、ディアナ」
親友のディアナは、中学のときからの付き合いだ。彼女の綺麗な青の瞳が好奇心の色を見せた。
「何読んでるの?」
「クラリス先生の『恋のメロディー』だよ」
「わぁ!サラもはまったの!?」
嬉しそうに言うディアナは、アニメやラノベが好きな女の子だ。気に入った作品を見つけたら私に必ず布教をする。宣教師だった。中でもクラリス先生の作品は大ファンだった。
「あんたもようやくクラリス先生の作品の良さがわかってきたのね。『恋のメロディー』はもうすぐアニメ化するし!本っ当に楽しみ!!」
彼女はクラリス先生のいいところを熱心に語りだす。私はちょっと引き気味み聞いていた。いや、私もクラリス先生の作品好きだよ?だが信者を目の前にすると、なんかこう……圧倒されるというか。
「でも不安なのよねぇ~」
彼女はさっきまでのテンションの高さから一変して、深いため息をついた。
「ヒロイン役のキャストが『サラ』だっていうじゃない。『サラ』っていつも少年役のイメージしかないからどんなかんじになるのか全然予想つかなくってさ」
どきっ。
実は私、周囲には声優だということを隠している。もちろん、親友のディアナにも。だから、「『サラ』って声優のショタ声がかわいすぎる~」とかなんとか語ってくれたときにはとてもいたたまれなかったし、「『サラ』とサラ、名前も似てるけど声もちょっと似てるわよね」って言われたときには冷や汗タラタラだった。
「『マリー』のイメージ崩れたら私おこだよ?」
「はは、は……」
1話みたら絶対怒るなこの子。
ディアナの話を聞きながら、何とかしなければという思いが一層強まった。
「お前、昨日の収録散々だったんだってな」
学校が終わった後、事務所に寄ったらプロデューサからそんなことを言われた。
「アニメの制作陣は頭抱えてたぞ。監督は何とかなるだろう言っていたが」
うわぁぁぁぁ。まじどうしよう。頭抱えてたって!!
「オーディション時と昨日の音源もらった。まぁ、マシになったのはわかるんだが……お前、そんなんでオーディションによく受かったな。なめてんのかあの演技」
「……すみません」
返す言葉もございません。ううぅ。
「次回は挽回できないとどうなるか、分かってるだろうな?……アンチがわいてSNS系すべて荒れるぞ」
ひぃぃぃぃ!!
新人のころ経験したことがある。まだまだ未熟だったから……。胃に穴があくかと思った。2度はごめんだ!!
「原作者もお前のことを気にかけてくれていたな。さっきまでこちらにいらしていたんだがもう帰られた」
セーーーーーーフ!!!!!
はち合わせになんなくて良かった!グッジョブ、私!!
「一番お前をヒロイン役に押していたらしいからな。現場で声を聴いて、何か思ったんだろうな。──それでこれだ」
私に渡したもの、それは一枚の紙切れだった。
「クラリス先生が連絡先を置いていった。役作りに苦労しているみたいだったから、力になれることがあれば連絡してほしいと」
アウトーーーーーー!!!!!
あの人なんてモノ残してくれちゃってるんだ!?重いよ!この名刺は軽いけど!!
「原作者から役の情報が聞けるなんてこんな機会めったにないぞ。吸収できるもんはすべて吸収しておけ──くれぐれも失礼のないようにな」
あーこれ、絶対連絡取らなきゃいけないパターンですか。
ちなみにエスケープは可能ですか?今ならここの窓から飛び降りれる気がする。現在地はビルの30階だが。
「クラリス先生とお会いしたが、イケメンだったな。だからまぁ……アヤマチなんかはおきねーだろ」
最後のほうは鼻で笑いながら言われた。
私も何も起きないとは信じたいが、第三者からそこまで言われたら私だってカチンとくる。
「分からないじゃないですか。私だって昔、モデルにスカウトされたんですから!」
過去のことをひっぱりだす。どうだ!!
「もでるぅ?」
私の予想に反して、プロデューサーは挑発的な目をした。
「──いいことを教えてやろう」
絶対悪いことだな。プロデューサーのいいことは私にとって絶対「悪いこと」だ。私は確信していた。
「かつてお前をスカウトしたエリクは──脚フェチだ」
「………?」
エリクさん──アロハシャツの人だ。それがどうしたというのだろうか?
「お前スタイルはいいからな。顔は、化粧やライト──最後は編集していじればなんとかなる。あのとき『俺の理想がここに!!』っとか言ってた。あいつが特殊じゃなかったら、誰もお前なんかに声かけねぇよ。お前本気にしていたのか?お前がモデルとか(笑)」
プロデューサが、こらえきれないとでもいうように笑いを漏らした。なんだって!?知りたくもない事実発覚!私もあのときはおかしいなーって思っていたけど!!ショックだな!
「まぁ、まだ中学生っぽかったしこれからの伸びしろに期待していたっていう部分もあっただろうが……結局育たなかったなぁ?」
プロデューサーがにやにや笑いながら私の顔から視線を少し下げた。どこ見てるかなんて、言わずもがなだ。
「セクハラ!!プロデューサー、セクハラです!!」
「あ?俺にセクハラ訴えるんだったらそのまな板なんとかしてから出直しやがれ」
ひどい!!でも言い返せない!前世もそうだったが、今も私の胸は……。うぅ、これ以上は言いたくないっ!──平和になったこの世界だけど、残酷な現実だってある。
「ほら、とっとと行きやがれ。次は頑張れよ。俺、超期待してるから」
満面の笑みでそう言われた。期待してるとかもそうだが、その後の「まぁ、発育は諦めろ(笑)」とかはいらない。超いらない。
私は帰ろうとしたのだが、
「あと、先生に連絡した後は必ず俺に報告すること。直接会うことになっても6時には帰宅な」
「……はい」
最後に一つ、付け加えられた。
プロデューサーは厳しいけど、私のことを考えてくれるのがわかる。そして、私が頑張っている間は絶対に見捨てたりはしないのだ。
(……どうしよう)
私は名刺を見つめて途方に暮れた。
連絡をしたほうがいいに決まっている。でも相手は──グレンさんだ。
怖い。
前世の私の思いと現世の私は葛藤に苛まれた。……もう吹っ切れたと思ったのに。いざ携帯を手に取ると、手が震えた。しかし次回までの役作りの手立ては、まだこれしか見つかっていなかった。
私は思い浮かべる。
私に期待してくれたプロデューサー、監督、これからアニメをみるファンの親友──原作者、クラリス先生。
私は一呼吸を置くと携帯の番号を、押した。




