4. 女子高生は伊達じゃない。
恋のメロディーを聴かせて——
この作品は、主人公マリーのハンカチが飛んでしまい旧校舎に迷いこんでしまったところから始まる。
学園に入学したての彼女は旧校舎内をさまよう。すると、どこからかピアノの音が聴こえてくるのだ。
情感豊かな音色に、マリーは深く感銘を受ける。そっとピアノの音がする教室のドアを開けると、美しい青年がピアノを弾いていたのだった──
今日はここまでを第一話として収録する。
こんな、王道少女漫画でありそうな作品を書いているクラリス先生は、絶対女性だと思っていた。作風と同じでたおやかで繊細な。
……それをなぜ、剣を振り回し返り血浴びてた野郎が書いているなんて誰が思うのだろうか?
作者がグレンさんだということで、人となりがある程度分かる。書いた人と作風を考えれば考えるほど笑いどころかだんだん恐怖すら感じる。
最初の関係者顔合わせのときに「体調不良で欠席」と言われたときにおかしいなーとはおもっていたんだよな。男性であるということは秘密にしていると言っていたから納得だった。
(このアニメの主人公をどう演じればいいのかまだ分からないんだよなぁ…)
主人公マリーは、かつて自身もピアノを習っていた。しかし途中でついていけなくなり、挫折し諦めてしまう。だからこそ、ヒーローの弾く美しいピアノの音色に心を惹かれてしまった──らしい。
(挫折って言われても…。前世はそんな諦めるとかなかったからなぁ)
『できない』とか『無理』とか言える状況ではなかった。ずっと前を向かなくてはならなかったのだ。何かをすることに関しては諦めたことはないが、人に対して、自分に対してあきらめたことは──ある。
それはちょっと特殊例だからはずすとして、
(うまくできるかな)
原作者だけでなく監督に、プロデューサーに、そしてこの作品のファンのみなさんに。認められるようなヒロインを演じなくてはならない。前世の上司のことばかり気にしていている場合じゃない。
監督の挨拶が終わった後、第一話の収録を始める。
マイクの前にスタンバイした。
(あぁ、ドキドキする)
マイクの前に立ち、第一声を発する前の空気はいつまでも慣れない。
不安とワクワクの混じった緊張感。……今回は別の意味でもどきどきなのだが。
「──シーン1、テスト入ります。3、2、1……」
さぁ、私は『マリー』になるんだ──。
結果。
「マリー役、ちょっと固い」「今のところ不自然」「声が高い。もう少しトーンを落として」「女の子らしさが足りない」……など、散々でした。
なぜ!?あんなに練習したのに!!
女の子らしさに関しては正直どうしようもなくないかな?……ガサツでごめんなさーい!
私ばかりやり直しをしてしまった。
最後には渋々OKをもらいなんとか収録を終えることができたのだが、いつもの倍近く時間がかかってしまった。
「本当にすみません!」
共演している声優さんたちに申し訳なくて、何度も頭を下げた。
「仕方ないよ、サラちゃんはヒロイン役初めてだもんね。コツがまだ掴めてないだけだよ」
「大丈夫だよ。俺も昔、慣れない役をやったときは何度も取り直しやっちゃったし。気にすることはないから」
皆さんは、笑って私を元気づけてくれた。他の声優さんたちが帰ったあと、
「サラ、」
「監督!!」
監督が私の名前を呼んだ。
「今日はすみませんでした」
「そうだな──まだ役にブレがある。次回は修正してきなさい。ダメなところはたくさんあったが……オーディションのときよりはマシになっていた」
最初の演技は自分でもひどかったと思っている。私が審査員だったら確実に落としている。よほど推したんだろうな……グレンさん。
「はい──次回までには必ず克服してきます」
「期待しているよ」
ぽんっと頭を撫でられ、監督もスタジオを去って行った。
ここの人たちはみんな優しい。こんな失敗をした私を、強く責めたりせず逆に励ましてくれる。
この人たちに報いたい。
そしてこの人たちに迷惑をかけてしまった自分が悔しかった。そしていずれ放送したときに、このアニメを見てくれたファンの人たちもがっかりさせてしまっただろう。
次は必ず期待に応えてみせる……!
私はそんな決意をしてこのスタジオを出た。
(早く帰ってまた練習しよう)
もう今日は帰るだけだ。ヒロインの役作りや練習のことを考えながら廊下を歩いていた。考え事に夢中になっていたせいか、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。
「きゃっ」
「………っ」
衝撃で目をつぶってしまったが、慌てて目を開ける。
「すみません!考え事をしていたもので…」
「いや、こちらこそすまない──サラ?」
ぶつかってしまった相手はグレンさんだった。
(えええええ!?なんでまだいるの!?)
ぶつかった衝撃よりも大きな衝撃が私を襲い、考えていた練習内容がすべて吹っ飛んでしまった。
「申し訳ありません、クラリス先生」
(やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい)
まだ私の中でこの人とどう接するか結論が出ていない。そんな中一緒にいたら絶対にぼろが出てしまう。早く立ち去らなければ。
「先生、なんて呼ばなくていい。グレンと呼んでくれ」
「しかし先生は先生ですよ」
「頼む」
グレンさんが真摯な目をして私に頼み込んだ。──やめてくれ、なんて顔をしているんだ。懇願と切なさの混じった顔は、私の心の中に小さな雫程度の波紋を呼び、徐々に広がってゆく。
……そんな顔されたら、もう断れないじゃないか。
「わかりました──グレンさん」
ちいさく私が名前を呼ぶと、昔はいつも仏頂面だったその顔にふわっと笑みをこぼした。
(………っ!)
破壊力が半端なかった。だめだ、私。雰囲気に流されるな。頼む持ちこたえろ私──どぎまぎしている心を必死に隠そうとした。
「サラ──この後時間があるか?」
「……?」
グレンさんがあたりを見回した後、私に問いかけてきた。なんなんだろう?そして、次に来た言葉はなかなかの破壊力を持ってやってきた。
「これから──食事にでも行かないか?」
間。
(うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!)
忘れてたけど、最初会ったとき私に記憶がないか疑っていたんだった!!危ないあぶない。空気に飲まれるところだったよ!恐怖、再来。
会ってすぐすぐ食事に誘うとか超びっくりなんだけど!ナンパか。今世のグレンさんは軽いのか?彼は顔が整っている分たちが悪い。普通の女性だったら即答で返事をしていただろう。
……ていうか私、明日は──。
「誘っていただいてとても嬉しいのですが、私明日学校があるので申し訳ないのですが……」
「……学校?明日は土曜日だが」
「はい」
私の今通っている高校はそこそこの進学校だ。土曜日は早朝から課外がある。ただでさえ収録やらなんやらで休みがちなのに、行けるときに行かねばならない。今日は早く帰らなければ。
「私の高校は、課外があるので」
そう言った私の言葉にグレンさんはきょとん、とした。
「高、校?」
あれ?この人もしかして……。
「はい。私高校2年生です」
「………」
今の私はちょっと化粧をして大人っぽく見えるようにしていた。きっと大学生か専門学校生だと思っていたのだろう。彼は呆然と「高校…高校2年…」と壊れたラジオのように繰り返している。グレンさんは、見た感じ成人しているように見える。
成人男性と女子高生が2人っきりで食事───
なかなかアダルティーな香りがする。どこかの条例に引っ掛かりそうな勢いデスネ。
「明日、朝早いんです。私はこれで失礼しますね──お疲れ様でした!!!」
早口でそういうと、放心状態のグレンさんを置いて足早にその場を後にした。
何もかもがぶっ飛びそうなほど今日は色々なことがあったけど、今日一番に思ったことは──
女子高生って肩書、超偉大だね!!
問題はまだまだまだまだ山積みだが、とりあえず現実逃避をしてみようかと思う、今日この頃。




