12. 恋のメロディーを聴かせて(上)
私はいつものように書類を片手に廊下を走る。そしてあの人の執務室に着くと、一度深呼吸をして一気にドアを開けるのだ。
「グレン少佐!!今日も愛しています!…………って、あれ?」
仏頂面で座っているはずの少佐はそこにいなかった。代わりに面白そうに笑っているのは、仲がいいもう一人の少佐だ。
「やぁサラ。残念だけどグレンは今、席を外しているんだよ。いたのがグレンじゃなくて俺でごめんね?」
「アレックス少佐!お疲れ様です」
私が姿勢を正して敬礼をすると、アレックス少佐はさらに笑みを深くした。
「この頃ここに入ってくるときは毎回告白しているよね。何かの作戦?」
「はい!私の少佐への愛が少しでも伝わるように思いまして!!」
私は笑顔で答えた。半分本当で半分嘘だ。
かつて決死の覚悟で伝えた告白。
グレン少佐は「勘違いしている」だの「頭を冷やせ」だのとまともに取り扱ってくれなかった。その後の対応もいつも通りで、あっさり告白はなかったことにされた。
それが悲しくて悔しくて──。
でもまた「なかったこと」にされるのも怖くて。私は半分冗談まじりでしか伝えることができなくなっていた。本音を潜ませながら。
「……グレン少佐は本当は私のことどう思っているんだろう」
思わず呟いた言葉は意外と大きかった。アレックス少佐の耳に届くくらいには。
「サラ」
「なーんて、冗談です!グレン少佐ってば照れてるだけですよねっアレックス少佐!!書類の中でグレン少佐にお聞きしたいことがあったのでまた改めて来ますね」
アレックス少佐は何かを言いたそうにしていたが、私は明るい声を作っていそいそとその場を立ち去った。何も聞きたくない。それはきっと優しくないから。
「2人とも、不器用だな……」
少佐の呟きは扉を閉めた私には届かなかった。
意識が浮上してゆっくりと目を開けた。ぼやけた視界で見慣れない天井を見つめる。数秒の空白の後、私はゆっくり体を起こした。
「なんでベット……?」
医務室のベットの中に私はいた。まだぼんやりした頭で記憶を辿る。そうか、私。
「倒れたんだった」
最近、前世の夢を見ていてろくに寝れなかった。寝不足とストレスがMAX状態だったのだろう。役を演じて夢中になっていたときにふと前世のことがフラッシュバックしていて止まらなくなった。そのザマがこれだ。
「あー最低だ……」
仕事にプライベートを持ち込むなんてプロ失格だ。体調管理もできなかったとか。他の声優さんや制作スタッフの方みんなに迷惑をかけてしまった。どう詫びればいいのか。ぽすり、とベットに倒れこみ自己嫌悪に陥った。
徐々に自分のやってしまったことが恥ずかしくなってベットにゴロゴロしたり頭を打ち付けたりしていると今一番聞きたくない声が私の名前を呼んだ。
「サラ……?」
私の動作がピタリと止まった。なんで、この人がここに。
「ぐ、グレンさん?」
「あぁ。目覚めたんだな、よかった」
おそるおそるカーテンを開けると、グレンさんが無表情ながらに心配そうな顔をしてこちらをうかがっていた。彼は収録に来たり来なかったりと半々だったのだが、今日は最終日だったので見に来たのだろう。
「ご心配をおかけしました。最終日でお見苦しいところを見せてしまってすみませんでした」
私はグレンさんに頭を下げた。かつての私の上司だった人。でも今は私が演じている役の原作者だ。途中で演じることができなくなってしまったなんて……。彼の顔を見ることができない。
「顔を上げてくれ、サラ。まだ顔色が悪い。体調が良くなかったんだろう?それとも……。何かあったのか」
「……っ」
静かに問いかけるグレンさんの言葉に一瞬だけ息が止まった。人の気配に聡い彼に、私の動揺は伝わってしまっただろう。
「そんな……」
「台本に何か問題があったか?俺も見させてもらったが原作を忠実に書かれている。言いづらいなら俺が」
「ちがう、違うんです!!」
この人はなんてことを言うんだ。慌てた私は思わずグレンさんの言葉をさえぎった。
「私が悪いんです。私がプライベートと混ぜちゃったんです」
私は俯いた。
「……昔、すごく好きな人がいたんです。でもその人とは色んな事情があって離れてしまったんです」
「…………」
「本気で告白したんですけどその人には伝わっていなくて。でもきっと、答えをはっきり言わなかったからその人は私のこと好きではなかったのでしょうね」
信頼されていたと思う。誰よりも近い位置にいた。気に食わない人は絶対傍に置かない人だったから嫌ってはいなかったのだろう。だがそれは『部下として』だ。
「『恋のメロディーを聴かせて』のマリーは、ただ先輩が好きだから『待っていたい』と言ったけれど、先輩が振り向いてくれるかもわからない。いつ帰ってくるかもわからない」
報われなくても、ただ傍にいられるだけで幸せだと思っていたあの頃。彼に好きと伝えられたらよかった。
でも環境は日々変化していって。少佐の隣が別の誰かに代わったとき、私は心臓が引き裂かれるような思いをした。そこで私は気づいたのだ。『報われなくてもいい』なんて嘘だって。
たしかな証が欲しかった。
「人を想い続けるって、聞こえはいいけど綺麗なだけじゃない。好きであればあるほどそれは果てがないんです。……私は一度、疲れちゃったから」
一番答えを求めていたのが自分だって思い知った。自分の浅ましくドロドロした気持ちを認めることができず。だけど答えを知ることも怖い臆病者で、もがけばもがくほど黒い感情に溺れていった。
「終わりがないってすごい残酷だなって、昔の自分とマリーを重ねて頭がこんがらがっちゃいました……ごめんなさい。私、何言ってるんだろう」
今のグレンさんにこんなことを言ってもどうしようもない。むしろ迷惑だ。まだ頭が混乱しているのだろうか。自分でも何を話したいのかが分からなくなってきた。さっきとは別の意味でグレンさんの顔が見れなくて、シーツに視線を落とした。
ポン、とかすかな温もりを感じた。
おそるおそる顔を上げると、壊れ物を扱うかのような繊細な手つきで私の頭を撫でているグレンさんがいた。
「……そいつはどうしようもないバカだな。こんなに想われていたのにサラの気持ちを無下にするなんて」
「グレンさん……?」
先ほどまで静かに私の話を聞いていたグレンさんは私をじっと見つめていた。
「サラの一生懸命な姿を見て俺はいいな、と思ったけど」
「え」
「声優の仕事に一途なところや役を理解する為に努力するところ。サラが頑張る姿はとても好ましく感じる。周りにいる人だってそう思うはずだ。きっと気づく」
グレンさんの言葉とその手はどこまでもやさしく、私の中でとけてゆく。
「そいつはきっと後悔しただろう。サラがいなくなった後に気づいたって遅いのにな。……距離が近すぎて見えなかったかもしれない」
「……っ」
「次は見つけるよ。──頑張っているサラのことを好きな人が、サラのことを」
その言葉を聞いた途端、涙があふれてきた。
この人は『グレン少佐』ではない。でも、彼からこの言葉を聞いて『前世のサラ』が、『現世のサラ』が報われたような気がした。
ぼたぼたと泣いている私にグレンさんは、それ以上は何も言わず、ただただ頭をやさしく撫でてくれた。その優しさに甘えて、私は涙を流した。




