二―七章
こいつは、学生の皮を被った狂人だ。何とか逃げなくては。
行斗は手合わせを再開するつもりらしい。
恐怖が過ぎる。今度は、骨折の一つもさせられるかも知れない。
プレッシャーに晒される中、心は必死に思考を廻らせた。
ただ逃げれば、執拗に狙われるだろう。
ある程度行斗を満足させ、できれば興味を失うように仕向けたい。
それができなければ時間を稼ぎたい。
そうすれば、酔螺を探し出して事態を打開できるかも知れない。
それにしても、ここ数日間はろくな事がない。
心は今の境遇に毒づいた。
何でこんな災難にばかり遇うんだ。
一体オレが何をした?
いや、色々したかも知れないが、そんなに罰当たりな事はしていないと思うぞ、多分。
ニタニタ笑う酔螺の顔が脳裏に浮かぶ。
やはり、あの女キジムナーのせいか。
また気がつくと、行斗が目の前にいた。
足を払われ、マンガのようにひっくり返った。
完全に心が素人だと言う事を把握したのか掴みもしない。ただ、足先で軽く払っただけ。
それだけで、しかし、心は半回転して板間に叩き付けられた。
圧倒的だった。
実力云々と言うより、生物としての種類の違いに思える程だ。
「これは、明らかにいじめだと思いますっ」
場違いな台詞で心は怒鳴った。
「上級生は下級生を労るのが、この学園の方針じゃあないんですかっ!」
何とか気を逸らせないか、心は叫んだ。
ひょっとすると、口くらいは勝てるかも知れない。
「厳しく指導しなさいとも言われています」
「いじめは指導とは言わないでしょうっ」
半ばやけくそで心は言った。
「いじめではありませんよ、一対一ですから」
だめだ、動じない。
「実力が違いすぎるでしょうっ」
「だからこその指導です。
実力をつける良い勉強になりますよ」
「あー言えばこー言う!」
「ああもこうも言った覚えはありません。
私は実学を重視しているので」
一方的な〈指導〉が再開された。
立つ暇も与えられずに、投げ倒され転がされ続ける。
へとへとになり、心は再び立つ事もままならなくなる。
勘弁してくれ!
内心の声とは逆に、気が遠のきかける。
倒れる事を許さないように、初めて行斗が心の襟を取った。
とんでもない投げがくる!
何とか抵抗しようと、動きの鈍った体を心はばたつかせた。
手足を無法測に振り回す。型もなんにもない、むちゃくちゃだった。
だがそのなかの一つが偶然行斗の腕を弾き上げた。無防備に開いた胸部。
吸い込まれるように心は、両掌を突き出した。
微かな手ごたえ。行斗が初めてよろめいた。
胸を押さえて咳き込む。
片ひざを着きかけるが、ニィと笑って踏みとどまる。
コォオオオオオオ……。
特殊な呼吸法で威力を相殺すると、何事もなかったかのように行斗は手を伸ばしてきた。
「今のは少し、いい動きでした」
再び、あっさりと襟を取られる。
とっさに投げられまいと、心は狂心功の沈墜呼閃で気を落として重心を下げる。
が、行斗は一瞬驚きの表情を浮かべ、掴んだ襟を放した。
堂に、甲高い笑い声が響き渡る。
突然笑い出した行斗に、心は訳が分からなくなった。
たちの悪い夢の中にいるようだ。
「なるほど、あなたはインターセクシャルですね。外見こそ男ですが、その内には女の遺伝子も内包し、男と女の狭間の性を持つ。
道理で、陰の気も陽の気も併せ持っていて重いはずです。
そうか、そこに目をつけたか……」