三日目 変動
誰もいない聖堂で一人の少女がひざまずいている。
幼さを残す顔立ち、成熟しきっていない肉体。
しかし。
天使に祈るその姿は見るものの心を震わせる。
それが彼女が聖女である所以だろう。
「聖女様、少しお休みになられては……?」
神官長が心配そうに尋ねる。
「構わないでください。 時間がないのです」
「少し休むだけの時間もですか?」
「ええ、その通りです。 天使様に祈りを捧げなければ……」
神官長はため息をつき、聖堂から出る。
その後も聖女は一人で祈り続けた。
「アテが外れたよ。 ラエルは天使のことは知らないそうだ」
「嘘をついてるだけかもしれないぞ?」
エフィとラエルが寝静まった頃を見計らい、アラモードに来ていた。
ロキウェルは酒を飲みながらニヤッと笑う。
「あいつが嘘をつけるとは思えないな」
「おいおい、メルトォ、いつからそんなに甘くなったぁ?」
「……どういう意味だ?」
「エルフなんか信じんなってことだよ」
「はあ……、お前もフアノと同じことを言うんだな」
「そりゃあな……。で、知りたいのは天使のことだっけか?」
「ああ、天使が地上を去ったのと同時にエルフが現れた。なにか関係があるかもしれない。 そして、大災害があったのもそれと同時期だ」
「エルフが大災害を起こした。それで決まりだろうよ」
興味無さそうに酒を煽る。
「それは安直すぎる。 まあ、なにか手がかりがあるかもしれないし、しばらくは様子見さ」
「情報が得られなかったら俺に言ってくれ」
「……どうしてだ?」
「貴族のオッサンに高い金で売れるからな」
「バカか」
俺も酒で喉を焼く。
「おはようございます! メルトさん!」
「なんだ、起きてたのか?」
あの後、ロキウェルの愚痴に付き合わされ、アラモードから帰ってきたのは明け方になってしまった。
「はい、それで……朝食を作ってみたんですけど……食べてくれますか?」
「へえ、飯が作れるのか」
「簡単な物しか作れませんけど……」
テーブルにはそれなりに美味そうな料理が並べられている。
「いや、十分だ。 ありがとう」
「い、いえ!……メルトさんに喜んでいただけたならわたしも嬉しいです」
そう言って笑う。
「……エフィは?」
「えっと、まだ寝てます」
寝室に行くと、エフィは起きていた。
「気分はどうだ?」
「最悪」
「だろうな」
「頭がガンガンする……」
「無理はするなよ。 それから朝食だ。 起きれるなら来い」
「ご飯……!」
驚くほど素早い動きでベッドから抜け出す。
ちなみに服は雨でビショビショだったので脱がして乾かしてある。
「きゃああああああああ! なんで⁉ なんで全裸⁉」
「濡れてたからな、もう乾いてるだろう」
暖の近くに干してある衣類を一式投げて渡す。
「出てけ! 見るな!」
怒り狂った声で俺を追い出すエフィ。
「わかったわかった」
しかし、こうして見るとなかなか良い体をしている。
胸は程よく大きいし、腰のラインも文句無しに美しい。
エルフは美しいと相場が決まっているが、やはりこの娘も息を飲む美しさだ。
「……天使みたいだな」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
「は、はあ⁉ いいからさっさと出てけ! この変態! 色欲魔!」
「メルトさん、わたし、他に何かできることはないでしょうか?」
「飯を作ってくれるだけで十分だ」
「ですけど、養ってもらうばかりでは……」
やはり引け目を感じるということか。
「なら、アラモードで働くか?」
「えっと、あの酒場さんですよね?」
「ああ、俺の知り合いの店だ」
「わたし、そこで働きたいです。 メルトさんに迷惑ばっかりかけられません」
気合が入ってるな。
「わかった、後で行こう」
「間も無く世界は滅びます。 わたしは今日、天使様からお告げをいただきました」
聖女が神官長に告げる。
「その中で天使様は神はお怒りだとわたしに言ったのです。 その滅びを避けるためには天使様の魂を空に還さなければなりません!」
「空に……還す……?」
「天使様は仰りました。 猶予を与えると。 それがどれぐらいかはわかりませんが残った時間は僅かなのです」
「ほら、風邪に効くらしい。飲め」
ベンから貰ったジャムを茶に溶かして渡した。
「……変な薬とか入ってないでしょうね」
「バカか」
「……ありがと」
「なんだ、礼が言えたのか」
少し意外だ。
「わたしのために作ってくれたんでしょ? なら、感謝するのは当たり前よ」
「人間の作ったものでもか?」
「あんたは……他の人間とは違う気がするから」
どうやら少しだけ心を開いてくれたようだ。
「辛かっただろ」
「まあね……でも、ラエルがいたから」
「そうか」
「熱っ! ……ふぅーふぅー」
「おい、気をつけろ」
「わかってる、大丈夫よこれくらい」
息で茶を冷ましながら、少しづつ喉を鳴らす。
「一息ついたか?」
「うん……あったかい」
「そしたら、休んでろ。俺とラエルはアラモードに行く」
「え? どうして?」
「あそこで働きたいんだと」
「なっ、あそこってあの嫌な女も働いてるじゃない!」
「フアノのことか。 まあ、少しすれば慣れるだろ」
「いじめられたりしたらどうすんのよ!」
「あいつはそこまで小さい女じゃない」
「どうだか……」
前途多難だな……。
「とりあえずそういうことだから、俺たちはもう行くぞ」
「わかったわよ、……いってらっしゃい」
「……ああ」
いってらっしゃい、か。
「そういう訳で、こいつをここで雇ってくれ」
ベンに経緯を話し、頼む。
「まあ、構わねえが。 ラエルちゃん、何歳だ?」
「えっと、十八です」
「ここにくるまでは何してた?」
「貴族の方にお仕えしてました」
「貴族ねぇ……」
「貴族だと何か問題あるのか?」
「いや、ここにくる連中なんざろくでなしばかりだ。 絡まれた時、上手くあしらえれば良いんだが」
確かにそうだ。ラエルはどう考えてもそういう事はできそうにない。エルフだから客がほっとくわけもないと。
「そういうのはわたしに任せて」
フアノが酒を俺に渡しながら言う。
「なんだ、随分気前がいいじゃないか」
「後輩ができるならその指導は先輩の仕事よ」
「なら、フアノ。ラエルちゃんに仕事を教えてやってくれ」
「わかった、給仕から教えるから頭に叩き込んで」
「は、はい!」
ラエルはフアノに連れられ店の奥へ行く。
「良い子だな。 お前に迷惑かけたくないから働くなんて」
「……そうだな」
「失礼する。 メルト・レシオルという方はいるか?」
その後もしばらく酒を呑んでいると、店に女の役人がやってきた。
「俺だが、何の用だ?」
「ああ、あなたを呼んでこいと言われたのだ」
「……あんた誰だ?」
「わたしはティストア・フローリア。治安維持局の者だ」
治安維持局か。
黒い噂も結構聞く。
「わかった、同行しよう」
「理解が早くて助かる。 一緒に来てくれ」
「ベン、悪いがラエルを頼む。 それから金はつけといてくれ」
「はいよ」
しかし、酒に強くて良かった。