第十三話
「え? 覚えていない?」
私はゲームからログアウトして、地学講義室のカーテンを開けながら質疑応答を繰り返していた。
「序盤で死んだ。そのあとはずっと観戦してた」
百日紅先輩は机の上に眠そうに伏しながらはっきりと言った。
特殊オブジェクトには触ったが、何も起こらなかった、と。
では、あそこにいたのは何者だったのか。だが、誰もそんな質問には答えてくれなかった。ティエもキルトもうんうん唸りながら考えてくれているが、一向に思いつく気配はない。
勝手に選出したあの五人はすでに帰ってしまっていて、この教室にいるのは科学部全員とTAIだけだった。
もう六時半だ。夕日はまだ出ているものの、辺りもほんの少しだけ暗くなっている。部活動から帰る人も窓から覗けばちらほらと見えた。
「黒羽は寝たままだし、どうしよう?」
まだ黒羽はゲームをしていることになっていて、地面にひれ伏したままだ。訊きたいことがたくさんあるのに起きてくれない。
私はもどかしくなって、外していたシートを首に巻きつけた。
「な、綾切さん! やっても意味はありません!」
そう。ゲームはもう終了していることになっているので、再びログインしようと私は新規のゲームが始まるまでアバター状態で空間を漂うことになる。
しかし、
それでも、
「行かないといけないんだよ、ティエちゃん」
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――それでも、私は行かなければいけない
俺は屋上で寝転がり、赤黒い世界のさらに黒い部分を見ていた。
世界が崩れ始めているその様子を見ていた。
黒いポリゴンが世界を浸蝕して、壊そうとしている。
この世界で俺は存在しないことになっている。だから、誰もいないゲームは終了するのだ。次のゲームを始めるために終わるのだ。
ログアウトも出来ない。待つのは死だ。
マスター権限は先程この世界で失った。たとえマスター権限を行使できようともこの世界からの脱出は不可能だ。俺はいないはずのプレイヤーだから。
たった独り。
このまま、自分の魂ごと独りでこの世界から消える。自分の作った世界のけじめをつけるために誰かが仕組んだバグを取り除き、自分の命を犠牲にする。
俺の夢を支えてくれている人全ての期待を絶対に裏切らないために消える。
「生きたいなあ………見たいなあ……俺が作ってきたものを」
独り呟く。誰にも聞こえないだろうから喋り続ける。
「……自分の夢の為にこの世界を創ったっていってたけどよく考えれば違うんだよなあ」
お前は気付くのが遅かった、と自嘲した。
いつからか俺の夢の基準は自分でなくなっていた。自分の為ではなくなっていたのだ。
では、誰の為に、何の為に俺はこの命を捨てるのかと訊かれても返答に困ってしまうわけだが、それでも自分の為ではないのだろうな、と思う。
もしかしたら、TAIの為にかもしれないし、全世界の注目してくている人たちの為かもしれないし……味方でいてあげると言った綾切を裏切らない為かもしれない。
自分以外の他人の為の行動。
これは偽善とか、欺瞞とかではない。ただ俺が死の淵で一つ思う可能性だった。
俺が俺以外を基準とした行動の意味の理由の候補の一つだった。
「あーあ。難しいな。俺は何がしたかったんだろう?」
壊れゆく世界で問うた。答えは返ってこないだろうが問いかけた。
《TAI》、《SIX》、《オール・ラウンド》
俺が作った三つのプログラムAI。世界を揺るがせた歴史的快挙。人間の新たなる進歩。
こんなふうにいろんな人が大それた事を言う。
黒羽 雄介はそんなことを言われるために作ったわけではないのに。
自然と涙がこぼれた。
自分でも、何か悔しいことや悲しいことがあったのだろうか、と思った。
両親に捨てられた時も、シンジケートで働いていた時も、殺されかけた時も、インベンションを壊された時もこんな感情など出てこなかったのに。
「泣いているの?」
頭上から声がした。ここには俺しかいないはずなのに。
きっと幻聴とか走馬灯とかいわれているものだ。彼女の声なんて聞こえるはずがない。
「なんで泣いているの?」
「……なんで、だろうな。俺にもわかんねぇ。死ぬのが恐いわけでも、夢の先が見れないのが悔しいわけでもないんだ」
幻が悲しそうにしているのが分かった。
そして、タタタと走って近づいてくる音が聞こえてくる。すごくリアルな幻だ。
「黒羽 雄介」
俺のフルネーム。そういえば、つい最近になって何回も呼ばれるようになったな。ニュースにも出ているほどだ。あんまり興味ないけど。
「……私は貴方の絶対の味方よ」
視界に綾切の顔が見える。悲しそうに、辛そうに顔を歪めていて、今にも泣きだすんじゃないかと思ってしまう。俺の涙はもう止まっているはずなのに、頬には新たな水滴が落ちてきた。次から次へと落ちてくる。まるで大豪雨だ。
――あーあ……俺が悪いのかな?
綾切が泣いていた。ぐしゃぐしゃになるまで顔を歪ませて俺の顔を覗いている。
「なんで泣いているんだ?」
さっき幻がした質問を今度は彼女に聞いてみる。
「………分かんないよ。黒羽見てると泣けてきたの……涙腺ゆるゆるのおばさんみたいに」
彼女は無理に笑おうとして顔を強張らせてしまう。俺はそれをじっと見つめた。
「そうか」
――なんで泣いているかは俺にもお前にも分からない、と。
「綾切。俺はこの世界と一緒に消えるけど、もう何も悲しくないぞ。嬉しくもないけどな」
「なんで?」
泣きながらそう問いかけてきた。涙の落ちた場所は黒い斑点となる。
「お前に会えたから………最後に独りじゃなくなったから」
俺がそういうと、綾切は我慢するように唇を閉じて、吹き出した。
「ぷっ。この中二病患者め」
「うるせ……死に際くらい格好よく逝かせろ」
なんてやつだ。こんなときに他人を揶揄するとは。
「あっはっはっは!」
すごい馬鹿にしたような笑みで笑われた。手足をばたつかせている。俺が何かおかしなことでもいったのだろうか。
彼女は涙を拭きとり、俺に告げた。
「黒羽は死なないよ。私がここに来れたんだから、大丈夫」
「は?」
「勝負よ、黒羽。まだこのゲームは終わってない。だから、決着さえつければ二人とも帰れるよ。私だって新規のゲームを始めるつもりでここに来たんだから」
指を差して決闘を申し込んだ彼女の顔は晴れ渡っていて、綺麗だった。
黒いポリゴンの波はそこまで差し迫ってきているので武器を集める暇はない。だが、新規のゲームと言ってもセーブデータは残っている。
「黒羽。今回のルールはこの屋上のみの決闘ね。本気で来なさい」
コクンと俺が頷いて拳を握ると、彼女はハンドガン二丁を構えた。デストラクションは先程の爆発で壊れてしまったらしい。何ともありがたい話だ。
「よーい、ドン!」
彼女の号令と同時に俺は走って前進する。自分の体重を乗せながら突進した。
綾切は一歩も動かずハンドガンを構えて、ギリギリまで引き付けようとしていた。
パン……パン。
二回銃声が響き、ハンドガンから出てくる弾はどちらも俺の横を通り過ぎていく。何を狙っているのか最初から銃の弾道上に俺はないように見えた。
だが俺は気にせず、反動で硬直している綾切の前に立つ。拳を振りかぶろうとしたところで背や肩に痛みが走った。銃弾だ。
ダメージとして一割ほど削られる。
跳弾だったようで、それほどのダメージではない。おそらくこの跳弾は最初の二発だ。
――後ろにある扉にあてて跳ね返すとか、どこのガンマンだよ
いくら動作補助付きでもこれは普通出来ないだろう。運動神経があまりにもいいからといって、いきなりできるものなのだろうか。
「フッ」
彼女の短い吐息が聞こえてきた。回し蹴りだ。
俺はすんでのところで《エア・パック》を使って回避する。そして展開したままターンを行う。彼女の背後にまわって拳を入れようとする。
だが、ここでスタングレネードを使われてしまう。もろに受けてしまい、視界を奪われた。この状態が二〇秒は苦しいな。
俺は目を閉じたまま拳を彼女の背中に叩きこむ。ヒットした感触があった。
だが、喜びも束の間に腕をがっちりと抑えられる。しばらく締め付けると、そのまま銃口を向けたのが分かったので、急いで《エア・パック》で浮上する。
ドン。と耳が痛くなるような鈍い音が聞こえた。
俺はかなりのダメージを受けたが、ヘッドショットだけは受けなかった。セーフ。ヘッドショットは即死の可能性が出てくるから何が何でも避けねばならない。
残り七秒。
俺は《エア・パック》で浮上したまま、蹴りを入れる。当たらない。
顎にアッパーカットが入った。だが、まだ俺は死なない。
俺はひとまず銃弾の届かない距離まで離れる。走ってくる様子はないが、チャキと構える音だけは聞こえてきた。威嚇のつもりらしい。
スタン解除。これで自由に視覚を使える。
俺の視界が戻ってくると同時に彼女は走って、ハンドガンの届く距離まで詰めてきた。
ドン。ドン。とまたもや両方の銃の口から弾丸が飛び出した。
俺はなんとか一発を避けるが、もう一発は身体に食い込んでしまう。残りゲージは二割になってしまった。俺はあと銃弾三、四発を当てられると終わってしまうだろう。彼女はというとまだ九割ほど残っている。
俺もスタングレネードを投げることにした。
が、彼女は事前に察知したのか目を瞑った。これも回避されてしまう。
「よし」
別に当たろうと当たるまいとどっちでもよかったのだ。
俺は必ず硬直状態になるこの状態を待っていただけだったから。俺は《エア・パック》で一気に加速。
彼女の背中にまたしても回った。今度は連撃で拳をねじ込むように入れる。
「ぐうっ……」
彼女は避けようとして、吹っ飛んでしまう。
俺は追撃するために尻もちをつきかけている彼女を追う。スタミナ保存のために走りながら、アイテムを一つ手に取る。
彼女は尻もちをついた途端にハンドガンを俺に向かって撃った。俺は避けない。避けてしまっては体勢を立て直す時間を与えてしまうからだ。
俺の残りゲージは約一割。彼女の残りは六割。圧倒的不利だ。しかし、俺は諦めない。これは本気で来いという彼女への精一杯の誠意だった。
尻もちをついている彼女に殴る、蹴るの暴行を加える。殴る手にはサンドペーパーが握られていて、ほんの少しだけダメージが加算される。
――これがリアルだったら、最低だな、俺
だが、仮想世界なので気にしない。思いっきりやることにしているので、躊躇うことはない。
彼女のゲージが残り一割を切ったところで、
ドン、と重たい一撃。超至近距離の一発だ。
俺のゲージが尽きてしまう。あまりにもあっけない終わりだった。俺が後退もせずに攻め続けたせいで当てやすくなってしまったのだ。警戒するのを怠っていたのが敗因といえるだろう。
「私の勝ちよ、黒羽。褒めなさい、平伏しなさい!」
どこの女王様だと思いながら、俺は手を叩いた。
「おめでとう、綾切。今日の優勝はお前だな」
「ふふん。ありがとうと言っておくわ」
鼻を鳴らして、偉そうに胸を張っている。しかし表情はにやにやとしていた。
俺は軽く服をはたくと、彼女に近づいて言った。
「帰ろうか」
「……うん。楽しかったよ、黒羽。また別のやつでも……遊ぼう」
「おう」
黒いポリゴンがもう屋上に入ってきた。波のようにうねりをあげながら黒羽達を囲むように押し寄せてくる。
Winner Ayagiri
綾切&黒羽 ログアウト。
もうすぐで終わるこの物語。
アナザー系の終わり……どうやらもう少しです。ラストスパート。




