ばかなおれ
――ええええ?
助けるつもりがこんなことに。息苦しくて暑苦しい。呼吸ができなくて意識が遠くなっていく。目の前がまっくらになる直前、誰かが手を掴んだ。
「こんなとこで寝るな、バカっ」
もの凄い力で無理やり引っ張られる。顔や体にもふもふの毛並みの生温かい物がばんばん当たる。合間に「ぎゃん」だとか、「うごっ」だとか、言葉にならない叫び声が嫌でも耳に入ってくる。
「猫又……」
やっと山が割れて外に出た途端よろよろと膝をついた。後ろを振り返るとそこには真っ二つに切られた狐や、頭から血を流した狐が転がっている。
姿が見えるようになった猫又がどんと足で狐を蹴とばすと、それは壁にぶつかってべちょりという嫌な音を立てて落ちた。
残った狐は十匹くらいになり、歯をむき出して唸りながら猫又の周りを回っている。
「もう止めろ。ここから出ればいいんだろ? もう狐を殺すのは止めろ。僕を殺すんじゃなかったのか」
先生の声に猫又はふんと鼻を鳴らしただけで見向きもしない。猫又だって無傷じゃない。相手は鋭い牙や爪を持つ獣の妖怪なのだ。腕や足といった服が覆ってないところは血だらけになっている。
先生を狙ったほうが楽なのに、なぜ? そう思った俺はがつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。ようやく猫又の意図が分ったのだ。
狐を全滅させて笹井先生を解放する気だったんじゃ……。
「ぐわぁっ」猫又の爪で目を抉られた狐が宙を舞って床に転がった。
「うるさい、人間っ。自分で制御もできないくせに妖怪を飼ってる気になってんじゃねえっ。自分の食い扶持くらい自分の甲斐性で稼ぎやがれっ」
腕に食いついた狐を力任せに引っ張って放り投げた猫又が吼えるように喋る。狐はいくらかの肉を食いちぎっていったのか、猫又の腕は皮がめくれて酷い有様になっていた。
「猫又、血がっ」
「悠斗、来るんじゃないっ。俺サマの仕事を増やすな、ばかやろうっ」
そんなことを言われると動けなくなる。俺って本当に無力で、偽善的で。先生のこと、可哀そうだなんて言いながら何もしない。表面的なことだけしか見て無いくせに猫又を悪者にしてた。
今だって傷ついてる猫又に加勢することも傷を癒すことさえできないでいる。これじゃあ、本当の友達だと思われるわけも無い。
自分が悪いのに。まわりのせいばかりして逃げ回る自分。卑怯な俺。目の前で繰り広げられるスプラッタな光景をただ目を逸らさないように見ることしかできない。
絶対目を逸らしてはだめだ。口当たりの良いことばかり見て良い人ぶる自分を変えたい。
猫又のやりたいことを否定するのは簡単だ。だが、俺は猫又の友達でありたい。だから良い事も悪いこともしっかり見届けて、その結果で物を言いたい。
「止めろっ、止めてくれ。一匹だけでも助けてくれ」
先生がそんな殊勝なことを言いながら猫又に近づく。猫又の間合いに入った先生の手のすき間から紙きれが見え、おれは咄嗟に先生の腰に後ろから飛び付いた。
「放せ、丘野」
「嫌だっ、俺は猫又の仲間なんだっ」
先生のゲンコツが頭に入るが、放すわけにはいかなかった。その紙は呪文が模様のように描いてある。
「狐は僕が生まれた時からの付き合いなんだ。狐たちのいない生活なんて考えられない。黄葉、逃げろ」
先生の呼びかけに残った最後の一匹の狐が反応して後ろに飛び退いた。
「逃がすかっ」
猫又の前に俺を振り切った先生が飛びだす。
「どけ、人間っ」
猫又の血だらけの体にぶつかるように先生は向かって行くと手を突き出した。
「猫又っ、先生は呪符を持ってるっ」
大声で叫んだ言葉は遅かったのだろうか。猫又の動きが止まってごろんと床に倒れた。それはもうあっさりと。
「猫又っ」
肩に貼られている呪符を慌てて剥がそうとするがぴったりとくっついたそれはびくともしない。
「く、苦しくないか? 今剥がしてやるからな。ちくしょっ、なんだよこれっ」
見る間に顔色が悪くなっていく猫又に焦る。なんで紙きれのくせしてこんなに頑固なんだ。爪を立ててめくろうとしてもとっかかりもないほど隙間が無い。
「なんで先生を攻撃しなかったんだよ、見えてただろ」
泣きそうな声になるのを抑えられなかった。この後に及んで猫又を非難するなんて俺はバカだ。そう分かっていても言ってしまう。
「くそったれ。おまえが人間に手を出すな……そう言ったんだろうが。だから俺サマは……」
そうだった。